「OPN」と一致するもの

Ginevra Nervi - ele-king

 中国の動画サイトに投稿されたグラム・ロックの映像にはたいてい「精神汚染」というタグが付けられている。中国メディア全体が華美なことに敏感なのである。パンデミック前には視聴者がファッションを真似するという理由で複数の宮廷ドラマが放送中止となり、コロナ禍で最高視聴率をマークした「乘風破浪的姐姐」というオーディション番組も槍玉に上がった。30歳を過ぎた女性アイドルが生き残りを賭けて競い合う同番組は「アメリカズ・ゴット・タレント」を少しばかりヒネった企画だけれど、確かに本家よりもセットは豪華だった。そのトバッチリというのか、バラエティ番組も放送禁止の対象になったというので「快楽大本営」という番組を探して観てみたところ、なんのことはない「王様のブランチ」に歌って踊るコーナーがくっついたものを公開収録でやっている程度のものだった。これぐらいでもダメなのか……と。しかし、僕が違和感を持ったのは華美ということよりも「乘風破浪的姐姐」や「快楽大本営」でステージに上がる芸能人たちがあまりにもスタイル抜群の美男美女だらけだったこと。たまに客席が映ると日本の70年代を思わせる冴えない相貌の男女が客席を埋めていて、そのギャップは歴然だし、芸能人になる条件としてあからさまにルッキズムが肯定されているのだなあと。韓国でも「日本の女優はあまり美人ではない」という論評が盛んだったところに「だけど、個性的な顔の方が作品は記憶に残る」という意見が出てきて、あまりに同じような顔の女優が韓国には多過ぎるという方向に話が逆流するなどルッキズムが対象化されつつある感じを覚えたりもしたのだけれど、中国はまだとてもそんな感じではないのだろう。

 イタリアからネットフリックスやアマゾン・プライムの音楽を手掛けてきたジネーヴラ・ネルヴィによるデビュー・アルバムは、台の上に立って、さも10頭身であるかのように見せかけた本人がジャケット・デザインを飾っている。ハリウッド俳優がちょっとばかり体重を増減させただけで「肉体改造」と称するのが最近は普通になり、そういったギミックも含めてルッキズムをバカにした表現なのは明白で、アルバム・タイトルも「外見障害」と訳せばいいのか、「見た目がめちゃくちゃ」とでも訳すのか。彼女の場合は身長が低いことで人生に面白くないことが多かったとか、見た目で判断されてきたことに異議があるということなのだろうか。具体的にはもちろんよくわからない。いずれにしろ誤読も含めてデザインで多くを語ることには成功している。少なくとも僕はこのジャケット・デザインの「見た目」が気になって聴いてみようと思ったし。予備知識がないということは先入観もゼロで中身に接することができる。短いスキャットとドローンのミックスでアルバムは幕を開け、ミニマルと優しいインダストリアル・ノイズを組み合わせた“Variable Objects”へと橋渡される。クラシカルの素養は感じられるものの、アルカやOPN以降のポップな音処理が前景化し、彼らのグロテスクな要素が苦手だった人には爽やかな変奏に感じられる内容といったところだろうか。3曲目は“Twelve”、4曲目は“Seven”、5曲目は“Nine”とヒネくれたタイトル・センスが小気味好く、10年代に実験的と感じられた傾向をどれもスタイリッシュなポップ・ソングへとリモデルし、先行時代の作品をメタで楽しく作り変えたという風情。そして、じょじょに自分の持ち味に慣れさせていく。

 実験音楽なのに、とても軽やかでポップな印象さえ残すという意味ではローリー・アンダーソンのデビュー・アルバムが脳裏をかすめる。何度か聴いてみると重い部分もあり、とくに後半は実験的な色合いを剥き出しにしていくものの、構成の妙でそこはリスナーをさらりと深みまで導いてしまう。以前はビヨークそっくりの曲などもやっていたようだけれど、このアルバムにその片鱗はなく、そういう意味では完全に独自のサウンドを掴んだ瞬間がパッケージされている。やかましいを通り越したジャングルのフィールド録音にまったく踊れないパーカッションを組みわせた“Twenty”や複数のミニマル・ミュージックを混ぜ合わせてポリリズム化した“Zero, Two, One”や同じく“Eleven”も新鮮。異なる2つの要素をミックスする時に「こんな発想はなかった」と思うわけではないのに「こんな曲はなかった」と思わせてしまうのはやはりセンスがいいからだろう。エディット能力が優れていたとされるナース・ウイズ・ウーンドとは同じ能力を持ちながら逆方向の美意識を発揮しているということかもしれない。ストリングスを何重にもレイヤーさせた“Anmous”、アルバム・タイトルと呼応しているのかなと思わせる“An Interior of Strange Beauty”にはブレイクで意表をつかれ、2曲目の““Variable Objects””を重くアレンジした“Stasiv V”を経て♪多元宇宙で私は解き放たれる~と歌うヴォーカル・メインのエンディングへ。すべてを壊して再構築に再構築、再生に再生するという夢の歌。とにかく発想が豊かで、曲がヴァラエティに富んでいるにもかかわらず、アルバム全体に統一感があり、なかなか感動の1枚である。

『The Disorder of Appearances』を聴いて僕は久々にアヴァン・ポップという言葉を思い出した。森田芳光やタランティーノが最初に現れた時の「あっ」という、あの感じ。瞬間風速だけが人生だぜ、みたいな。わざとなんだろうけれど、サウンドにはあまり奥行きがなくて、本音をいえば異なったミックスでも聴いてはみたいところ。そのせいなのか、オーディオを変えてみると異様につまらなく聞こえる曲もあり、僕と同じ再生環境にない人にはどう聞こえるのかはちょっと未知数。できればイコライザー満載のミキサーを通して聴いてみたい。

ele-king vol.29 - ele-king

特集:フォークの逆襲──更新される古き良きモノたち

巻頭インタヴュー:ビッグ・シーフ
インタヴュー:マリサ・アンダーソン、キャロライン、スティック・イン・ザ・ホイール、ローラ・キャネル、ランカム
特別インタヴュー:ベル&セバスチャン

もっとも古い民衆の音楽、いま広がるフォークの時代、
ネットでは読めない貴重なインタヴュー、歴史やシーンの概説~コラム、そしてディスクガイド

※増ページ特別価格

contents

revenge of folk
フォークの逆襲──更新される古き良きモノたち

●それは “金のかからない音楽” である by 松山晋也

[interview] Big Thief
ビッグ・シーフ──世界は変わっても、変わってはならないもの by 木津毅

[interview] Marisa Anderson
マリサ・アンダーソン──旅路の彼方に by 野田努

●概説アメリカーナ by 松村正人

●フリー・フォーク──ゼロ年代のニュー・ウィアード・アメリカとは何だったのか by 野田努

●それはいまも進化している by 岡村詩野

●歌い継がれる生 by 木津毅

●女性アーティストたち by 岡村詩野

[interview] caroline
キャロライン──美しくスローな黄昏 by 野田努

●英国フォークの復興と新世紀 by 松山晋也

[interview] Stick In The Wheel
スティック・イン・ザ・ホイール──労働者階級の声としてのフォーク by 松山晋也

●UKウィアード・フォーク by ジェイムズ・ハッドフィールド(James Hadfield)

[interview] Laura Cannell
ローラ・キャネル──縦笛とヴァイオリン、その時空超えのあらすじ by 野田努

●インディっぽいブリティッシュ・トラッド10枚 by ジョン・ウィルクス(Jon Wilks)

[interview] Lankum
ランカム──アイルランドの伝統と実験 by 松山晋也

■ディスクガイド by 松山晋也、木津毅、松村正人、小林拓音、小川充、岡村詩野、野田努

[interview] Belle and Sebastian
ベル&セバスチャン──いまも温かなグラスゴー・インディの魂 by 妹沢奈美

■ジャック・ケルアック生誕100年記念座談会 by マシュー・チョジック(Matthew Chozick)、水越真紀、野田努

アート・ディレクション&デザイン:鈴木聖

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無秩序と混迷の時代、その出口とは?

この腐った世界で、真にラディカルであるために。 ──斎藤幸平(『人新世の「資本論」』ほか)

ドナルド・トランプ、ジョー・バイデン、バーニー・サンダース、ウラジーミル・プーチン
ジュリアン・アサンジ(ウィキリークス)、グレタ・トゥーンベリ
ブレグジット、黄色いベスト運動、雨傘運動、中東紛争とパレスチナ闘争、そしてコロナ禍──

『パンデミック』シリーズで大きな注目を集めた
スロヴェニアの知の巨人が、激動する現代を斬る!

目次

序章 それでもこの状況は「大好」なのか
第一章 サウジアラビアへのドローン攻撃は、本当にゲームチャンジャーか
第二章 クルディスタンを荒廃させたのは誰か
第三章 我々の楽園にある種々の厄介
第四章 アサンジとコーヒーを飲むことの危険性
第五章 クーデターの解剖──民主主義と聖書とリチウムと
第六章 チリ―新しいシニフィアンに向けて ニコル・バリア‐アセンジョとスラヴォイ・ジジェク
第七章 左派労働党の敗北──検死の試み
第八章 そうだ、ユダヤ人差別は健在だ──だが、どこで?
第九章 完全に理にかなった行為。狂った世界の
第十章 イラン危機の勝者と敗者
第十一章 本当にアメリカの道徳的リーダーシップは失われたのだろうか? 合衆国が四大勢力制になりつつある現状
第十二章 ほどほどに保守的な左派を求める嘆願
第十三章 アマゾンが燃えている──だから何?
第十四章 同情ではなく、ラディカルな変化を
第十五章 トランプ対ラムシュタイン
第十六章 恥の日だ。まったく!
第十七章 民主主義の限界
第十八章 COVIDの絶望という勇気
第十九章 トランプの床屋のパラドクス
第二十章 トランプをその概念において亡き者にする方法
第二十一章 民主主義の再生? ジョー・バイデンじゃ無理!
第二十二章 情勢と選択
第二十三章 「グレート・リセット」? ええ、お願いします──でも、本当のやつを!
第二十四章 コロナ禍のキリスト
第二十五章 最初は茶番、それから悲劇?
第二十六章 トランプの最大の背信は何か
第二十七章 ジュリアン・アサンジ、君に捧げる
第二十八章 バイデン、プーチンの魂について語る
第二十九章 階級差別に抵抗する階級闘争
第三十章 「死ぬまで生きねば」 パンデミック下の〈生〉について、ラムシュタインから知るべきこと
第三十一章 あるヨーロッパのマニフェスト
第三十二章 ストップしたのは、どのゲーム?
第三十三章 トンネルの先に光が見える?
第三十四章 三つの倫理的態度
第三十五章 パリ・コミューンから百五十年
第三十六章 なぜ私はまだ共産主義者なのか

監修者解説 ジジェクの現状分析──「分断された天」と「ラディカルな選択」(岡崎龍)

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interview with Huerco S. - ele-king

 ブライアン・リーズ、フエアコ・S以外にもいくつかの名義を持つこのアーティストのキャリア、そのサウンド・スタイルは一貫したものもありつつも、そのスタートとなった2010年代というディケイドは端的にいって前半後半で異なる。2010年代初頭、キャリア初期には朋友アンソニー・ネイプルズのレーベル〈Proibito〉を中心に、このフエアコ・S名義も含めていくつかの名義でディープ・ハウス・トラックをリリースしじわりじわりと知名度をあげた。どちらかと言えばダンサブルな12インチを主体にしたアーティストであったと言ってもいいだろう。その後、ひとつ転機となったのはやはりフエアコ・S名義のファースト『Colonial Patterns』だろう。初期のシングルのハウス路線をその後のアンビエント・タッチの作品へとつなげたその音楽性で、やはり OPN の〈Software〉との契約ということもあり、より広い層へと名前を広げていった作品となった。以降、どちらかと言うと、アルバム・サイズの作品で大きく注目される感覚で、2016年のセカンド『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』は、2010年代のダブ・アンビエントの金字塔ともなった作品だ。さらにディケイドの後半は、クラブ・トラックスというよりも、後述する活動を含めてより幅広いカッティング・エッジなエレクトロニック・ミュージックを牽引する存在であり続けている。

 この2010年代後半から現代の彼の活動ということで言えば、自身も含めた、その周辺のアーティスト・コミニティというのがひとつ強い印象を持って浮かび上がってくる。抽象度のさらに高いダーク・アンビエントなペンダント名義、そしてペンダント名義をリリースした主宰レーベル〈West Mineral Ltd.〉からは彼の朋友とも言えるアーティストたちの作品を次々とリリースしている。またこのアーティストの連なりはさらにスペシャル・ゲスト・DJ(Special Guest DJ)主宰の一連のレーベル〈3XL〉とその傘下〈Experiences Ltd. / bblisss / xpq?〉のリリースへとつながっていくのだ。自身の参加するゴーストライド・ザ・ドリフト(Ghostride The Drift)のようなプロジェクトも含めて、この一団でそれぞれコラボ・ユニットなどを形成し、どこか匿名性が強くミステリアスな印象を受ける。リリースされるサウンドも雑多で、ダブ・アンビエントからIDM、ベース・ミュージック~ダンスホール~ジャングル、さらにはブルータルなメタルコアのような作品まで、エレクトロニック・ミュージックのレフトフィールド・サイドを突っ走っていると言えるだろう。

 そんななかで2022年の春にリリースされたフエアコ・Sの『Plonk』は驚くべく完成度でまたもやシーンを驚かせた。エコーの霧が晴れたクリアなエレクトロニック・サウンドは、どこかDAW~グリッチ流入前の1990年代の実験的なテクノの、言ってしまえばリスニング~アンビエント・テクノにおける「リズム」の冒険を現代へと引き寄せたという感覚がある。いや、そう感じるのは古い人間だけで、彼が言うように現在の音楽がそうした傾向を持っていると考えた方がいいのかもしれない。ともかくそうした断片的な流れ、要素が、彼の才能を通して新たにシーンに提示されたということだろう。フエアコ・S名義のアルバムは、現代のところ毎回サウンドががらりと変わっている。それは彼のアーティストとしての進化の発表の場ということなのかもしれない。2020年代のエレクトロニック・ミュージックのシーンを占う上でも、またひとつ分岐点となりそうな作品だ。
今回はコロナ禍を経て、4年ぶりとなる待望の来日公演直前に、シーンの新たな流れの推進力となるかもしれない新作の話題を中心に、通訳の方に質問を託したのだった。

オウテカの存在は大きくて、1990年代後期と2000年代初期のIDMや電子音楽全般に影響を受けている。

ベルリンを活動拠点にされているようですが、音楽制作に関して影響はありましたか?

ブライアン・リーズ(Brian Leeds、以下BL):2019年から2021年までの、パンデミックのほとんどの期間中はベルリンに住んでいたけれど、実は2021年の末に地元のカンザスシティに戻ってきたんだ。カンザスでは家族と自然の近くにいられることを楽しんでいたけれど、今回の日本のツアーの後に、フィラデルフィアに引っ越すよ。

新作『Plonk』は、ラストの “Plonk X” こそアンビエントですが、ホエアコ・S名義としてはある意味でパーカッシヴで新たな境地へと至った傑作だと思っています。まず、アブストラクトな『Plonk』というタイトルはどこからきたのでしょか?

BL:タイトルの『Plonk』(日本語で「ポロンと鳴る音、ドスンと落ちる音」などの意味)は、アルバムのサウンドを端的に説明するのにちょうど良かったんだ。アルバムのプロジェクトのいちばん初期のファイルを保存するために付けた名前で、自分の中でその言葉が引っかかっていたんだよね。“Plonk” というワード自体が、今回のアルバムを上手く言い表す機能をしていると思う。あと、これまでのアルバムがすごく長い名前になりがちだったから、その流れを断ち切るためでもあったんだ。

『Plank』の、特に、3、4、6、8のようにパーカッシヴなサウンドは、前作の『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』とも、また初期の同名義でのハウス・サウンドとも違った印象を持ちます。強いて言えば最初期のオウテカなど、93年ぐらいの、まだDAW登場以前の実験的なテクノを彷彿とさせます。こうしたスタイルの楽曲はなにか、意図があったものでしょうか? それともたまたまデキたパーツから膨らませていったものなんでしょうか?

BL:うん、オウテカの存在は大きくて、1990年代後期と2000年代初期のIDMや電子音楽全般に影響を受けている。ただ、そういった音楽からの影響はアルバムにはっきり出ていると思うけれど、自分はラップをよく聴いていて、それも確実に今回の作品に関係しているね。

今回のリズムの打ち込みに関して、例えばスケッチに使っている入力機材などが影響を与えたとか、そういったテクノロジーの部分での影響はありますか?

BL:このアルバムはDAWの FL Studio 20 だけで作った。コンピュータのみの制作は制約があるけれど、自分にとってはいちばん強力な機材でもある。アルバムの中のメロディやパーカッションの多くでランダマイザーを取り入れている。今回のアルバムのテーマでもある自動車や自動車工場、メカニックといったものの影響に立ち返って、人間味のある要素を取り除いて、機械自身が語るようなサウンドにしたかったんだ。

今回は同名義の以前の作品のような深いダブ・エフェクトがかかったサウンドとも違ったクリアな音像が印象的です。こうした変化はどこからきたものでしょうか?

BL:ダブの要素や音響のフィデリティ(忠実度)にはいつも興味があって、特にロウな音質に惹かれるのかもしれない。でも今回のアルバムでは新しい方法を探求して、いままでとは違う制作のプロセスを試したいという気持ちが強かった。普段聴いたり、DJでかけたりする大半の曲から確実に影響を受けている。うまく成功したかどうかはわからないけれど、正しい方向に向かって間違いなく一歩進み出せたと自分では思っているよ。

今回のアルバムのテーマでもある自動車や自動車工場、メカニックといったものの影響に立ち返って、人間味のある要素を取り除いて、機械自身が語るようなサウンドにしたかったんだ。

SIRE.U の参加、そもそもヴォーカル曲には驚かせられたんですが、彼の起用はどのような経緯で?

BL:Sir E.U は、自分が昔リリースしたことのある〈Future Times〉から作品をリリースしていて、今回自然とフィットするように感じたんだ。彼は幅広いタイプのトラックでもラップができる人で、その才能にも興味があった。今回僕が用意したトラックでも、素晴らしい仕事をしてくれたと思う。今後は、自分の作品でも誰かのレコードのプロデュースでも、もっとヴォーカリストと一緒に曲を作ってみたいね。ラップでもポップでもなんでも。

逆に前作との境界線にあるような “Plonk VII” “Plonk X” などのアンビエント曲も印象的です、アルバムの選曲にはわりと時間などをかけたんでしょうか? なにかコンセプトなどがあればお教えください。

BL:これらのアンビエントなトラックを一緒に含んだのは、自分の過去と現在の橋渡しをするためでもある。自分の過去の作品との繋がりをリスナーに与えながらも、これからの未来に対して同意を促すような役割を果たしているんだ。

『Plonk』直前には ペンダント名義のアンビエント・アルバム『To All Sides They Will Stretch Out Their Hands』がリリースされていますが、本作との関係性はあるんでしょうか? 例えばそれぞれしっかりとサウンド・コンセプトを作って別々のタイムラインで作ったのかとか、作っているうちにそれぞれ振り分けていったとか。

BL:『To All Sides~』は、ペンダントの最初のアルバム(『Make Me Know You Sweet』)を作った2017、2018年と同時期にできていたんだ。かなり時間が経って古くなっているから、いまの自分との繋がりはもはや薄れたといえるね。曲を作るときは、基本どのプロジェクトのためのものかは把握しているよ。ペンダントではダークな一面を、ホエアコ・Sではメロディックで、遊び心に富んだ一面を表現している。自分にとってホエアコ・Sはジャンルに縛られずフィーリングを重視するプロジェクトで、ペンダントはダーク・アンビエントってところだね。

『Plank』のリズム・アプローチの変化のひとつに、ゴーストライド・ザ・ドリフト(Ghostride The Drift)などの周辺アーティストとのコラボからの影響ありますか?

BL:確かに影響を受けているし、他の人との音楽制作自体もそうだね。他のアーティストとのコラボレーションと、自分が聴く音楽、そしてDJをすること、これらの組み合わせが『Plonk』にいちばん大きな影響な影響を及ぼしている。

あなたのレーベル〈Western Mineral〉とスペシャル・ゲスト・DJことライアン・フォール(Ryan Fall)の〈3XL / Experiences Ltd. / xpq?〉といったレーベルは、あなたのカンザス時代からの仲間=Rory O’Brien、Exael、Ulla Straus and Romeu といったアーティストとともにひとつのシーンというかコミニティを作っているような印象を受けます。彼らとのコラボレートはやはりあなたにとってとても良い刺激になっていますか?

BL:もちろん、僕の友達と彼らの音楽は、いままでの創作にすごく影響を与えているし、今後も進化し続けたいと思っている。計り知れない才能があって、作りたい音楽を限りなく追い求める意欲を持った友達に出会えてラッキーだったよ。彼らの音楽にはすごく遊び心があるし、インスピレーションをもらえるんだ。

ちなみにスペシャル・ゲスト・DJは、アメリカ時代からのつながりですか?

BL:Shy(スペシャル・ゲスト・DJ)とは、当時のパートナーの Naemi(exael)を通じてだね。彼らが2013年ごろにカンザスシティを訪れた時に知り合った。そのとき Shy はシカゴに住んでいたんだ。

また今回はアンソニー・ネイプルズとジェニーのレーベル〈Incienco〉からのリリースとなりましたが、彼のレーベルは、あなたやDJパイソン、そしてアンソニー自身のようなエポックメイキングな作品をリリースするアーティストばかりです。アンソニーのそうした審美眼に関して、あなたの印象をお教えください。

BL:アーティストたちが本当にやりたいことを表現できるようなレーベルの運営に情熱をそそぐアンソニーとジェニーには愛をささげたいね。大きなレーベルと契約する代わりに、自分の音楽をリリースしたがっている友達がいてくれるのは嬉しい。僕にとってはつねに個人的な繋がりが大切なんだ。

ちなみにさきほどあげたオウテカのような90年代初期の実験的なテクノで好きなアーティストはいますか?

BL:オウテカ、モノレイク、パン・ソニックヴラディスラヴ・ディレイ、T++ だね。だけど『Plonk』に関しては間違いなく、もっと新しい音楽からインスピレーションを受けているよ。

ペンダントではダークな一面を、ホエアコ・Sではメロディックで、遊び心に富んだ一面を表現している。自分にとってホエアコ・Sはジャンルに縛られずフィーリングを重視するプロジェクトで、ペンダントはダーク・アンビエントってところだね。

あなたの初期のハウス作品にはベーシック・チャンネルのようなダブ・テクノとセオ・パリッシュのようなローファイなハウスのハイブリッドのような印象を受けます。このふたつのアーティストはあなたの音楽に影響を与えていますか?

BL:ベーシック・チャンネルは、自分の音楽性に最も影響を与えているもののひとつだね。セオ・パリッシュはそれほどかな。カンザスシティに住んでいて、ハウス・ミュージックに興味があったときは彼の影響を受けてたけれど。最近あまりハウスは聴かなくなったんだ。

上述のアーティスト、影響を受けた作品としてあげるとすれば?

BL:たくさん選びたいのはあるけれど、最初に挙げるならベーシック・チャンネルの「Radiance」だね。

■ジャマイカのルーツ・ダブは聴きますか? もしお気に入りの作品があればお教えください。

BL:いや、ルーツ・レゲエはあまり興味がないね。どちらかといえば、ダンスホールやラテン・ミュージックを現代的に解釈した人の音楽からインスパイアを受けることが多いかな。

■あなたはつねに、カテゴライズを拒むようにエレクトロニック・ミュージックに新たな道を作り続けています。それと同時に初期の作品や今作には、ダンス・ミュージックへの愛情も感じることができます。こうしたアーティスト像はあなたが考えていることとマッチしますか?

BL:確かに、過去の音楽は現在の自分に影響している。だけどそれを従来の形でそのまま焼き直すというよりは、新しい方法を通して音楽への愛やリスペクトを伝えようとしているんだと思う。だから過去の音楽だけにフォーカスするのではなく、いまの新しい音楽を聴くことで、そのためのアイデアを多く得ることができるんだ。

生涯で最も衝撃的だったDJは誰でしょう?

BL:とても答えづらい質問だから、最近感動したセットで、自分の世界の中で踊れたDJをふたり選ぶよ。Djrum と Barker だ。

Huerco S. 来日情報

熊本公演

EVEN

2022年6月17日(金)
開始:22時
料金:3500円(1ドリンク付)

Line up:
Huerco S. from KC
egg
IWAKIRI
Kentaro
jpn

東京公演

Sustain-Release presents 'S-R Tokyo 2.0'

2022年6月18日(土)Day1
開始:10:00pm~6:00am
料金:DOOR ¥4,500 / W/F ¥4,000 / GH S MEMBERS ¥4,000 / ADV ¥3,250 / BEFORE 23 ¥2,500 / UNDER 23 ¥2,500

Line up:
-STUDIO X
Aurora Halal (NY)
Huerco S. (KC)
食品まつり a.k.a Foodman -Live
Lil Mofo

-CONTACT
Kush Jones (NY)
YELLOWUHURU
DJ Trystero
Kotsu

-FOYER
Hibi Bliss
suimin
k_yam
Loci + sudden star
T5UMUT5UMU

2022年6月19日(日)Day2
開始:4:00pm~11:00pm
料金:DOOR ¥3,000 / W/F ¥2,500 / GH S MEMBERS ¥2,500 / ADV ¥2,250 / BEFORE 17 ¥2,000 / UNDER 23 ¥2,000

Line up:
-STUDIO X
Hashman Deejay & PLO Man (VBC / BE)

-CONTACT
Mari Sakurai
ASYL
DJ Healthy

https://www.contacttokyo.com/schedule/sr-tokyo2-day1/

愛知公演

DENSE#

2022年6月24日(金)
料金:Door 3000YEN / Adv 2500YEN / U25 2000YEN(0時までに入場のみ)

Line up:
HUERCO S
KURANAKA aka 1945

live:
CRZKNY

dj:
DJ UJI
Karnage
abentis
Good Weather in Nagoya

大阪公演

2022年6月25日(土)

料金:BEFORE 0:00 : 2000yen DOOR : 3,000yen
開始:23:00

Line up:
Huerco S. (West Mineral Ltd.)
and more

https://circus-osaka.com/event/huerco-s/

Julian Sartorius & Matthew Herbert - ele-king

 イーライ・ケスラーの跡に道ができている……のかもしれない。主にドラム・ソロでインプロヴィゼーションを展開してきたケスラーはニューヨークを拠点にレッドー・ホース名義や〈Pan〉からのソロ作、あるいはオーレン・アンバーチとのジョイント作『Alps』でも大した注目を集めなかったものの、10年代後半にローレル・ヘイロー『Dust』と OPN『Age of』に相次いで起用されたことによって急速に知名度を上げ、タイミングよくリリースされた〈Shelter Press〉からの『Stadium』でようやく彼自身の作家性も広く認めらることになった。細かく緩急をつけたドラミングやリズムの起点がどこにあるのかわからないフィールド録音とのアンサンブルなど演奏の可能性を再認識させ、プロセッシングに頼りきっていたアンビエント・ミュージックにも大きな刺激をもたらしたことは確か。これに続いたのがウィル・ガスリー。オーストラリアのドラマーで現在はフランスを拠点にするガスリーもまたデビューから10年以上陽の目を見ず、カントリー・ブルースからミュジーク・コンクレートと幅広く模索を続けたのちファイアー!オーケストラに参加したことでオーレン・アンバーチと交流が深まり、同じくアンバーチとのジョイント作『Knotting』や、アンバーチとガスリーにマーク・フェルとサム・シャラビまで加えた『Oglon Day』をリリース。様式性を完全にオミットしたケスラーとは異なり、はっきりとガムランに寄ったドラミングを聞かせるガスリーは、南インドの音楽に接近していたマーク・フェル(詳しくは『アンビエント・ディフィニティヴ改訂版』P276)とはさらに『Infoldings』『Diffractions』と立て続けにコラボレート・アルバムを制作し、偏執的ともいえるパーカッション・サウンドをこれでもかと展開した。ガムランにフォーカスしたなソロ作『Nist-Nah』ではダイナミズムを最小限にとどめ、『Stadium』と同じくドラミングの「間」をクローズ・アップし、その試みは8人編成のアンサンブル・ニスト・ナーという新たなユニットを始動させるに至っている。ケスラーやガスリーがアンビエント・ミュージックと親和性が高かったことは興味深く、その線だけでもマット・エヴァンスや金子ノブアキなど気になる人は数多いる。サイモン・ポップしかり、ライオンズ・ドラムしかりである。

 2004年にフリー・ジャズのコリン・ヴァロン・トリオとしてスイスからデビューし、09年にシンセ・ポップのエレクトリック・ブランケットにも加わったジュリアン・サートリアスもソロや数多くのユニットで『Nist-Nah』や『Stadium』を思わせるアトモスフェリックなドラミングを多く試み、とくに10日間に渡ってヒッチハイクを続けながら路上で演奏したという『Hidden Tracks: Basel - Genève』はエレクトロニクスもプロセッシングも一切行わずエディットだけで構成したという快作。いわゆるドラムセットを運び歩いたわけではないようで、ガムランを思わせる細かな鐘の音の連打や意味不明な打撃音が瞑想性を誘いそうで誘わないという微妙なラインで展開されていく。スイスのSSW、ソフィア・ハンガーのバックで叩く機会の多いサートリアスと見事なコラボレーション・アルバムを完成させたのが、そして、マシュー・ハーバート。コロナ禍に映画のサウンドトラックを5枚続けてリリースし、レトロなハウス・アルバム『Musca』でダンスフロアへの帰還も果たしたハーバートがかなりアグレッシヴなアプローチでサートリアスを追い詰め、『Hidden Tracks: Basel - Genève』と同じ人なのかと思うほどオープニングから緊張感が途切れない演奏が続く。『Drum Solo』というタイトル通り、ハーバートは自分では音を出さず、サートリアスのドラムにリアルタイムで手を加えているだけだという。とてもそうは思えないけれど、ハーバートが耳にしていたであろう核となるドラムの演奏は確かに聴き取れるし、これにディレイなのかサンプリング・ループなのかぜんぜんわからないけれど、シンバルの音をそのままドローンにしてしまったり、種々様々な音があっちからこっちから襲い掛かっていく。全体のタイトさとその持続はメビウス&プランクがフリー・ジャズをやっていたらこうなったかなという感じで、オウテカにしか聞こえないというレヴューも見かけたけれど(確かに中盤はそうかも)、鬼気迫るムードはこのアルバムが〈Accidental〉傘下に設けられた新たなライン〈Album In A Day(1日でアルバムを仕上げる)〉からのリリースであったことも一因を成していたのだろう(ミックスもその日のうちに終わらせたという)。いや、しかし、ハーバートはコンセプトの鬼である。この人はこのまま生涯を貫き通すにちがいない。


Croatian Amor - ele-king

 コペンハーゲンを拠点として活動し、10年代を代表するインディペンデント・レーベルでもある〈Posh Isolation〉の運営もおこなっているローク・ラーベク。その彼によるプロジェクトのひとつであるクロアチアン・アムールの新作がリリースされた。
 ラーベクはラスト・フォー・ユース、ダミアン・ドゥブロヴニク、ディ・スカルプチャーズ、ソロ名義など複数のプロジェクトを同時に動かしてきた才人だが、なかでもクロアチアン・アモール名義の作品は、彼にとって重要なプロジェクトだったのではないか。
 じじつクロアチアン・アムールは2013年に最初のアルバム『The World』をリリースしてからというもの、ほぼ途切れることなく、〈Posh Isolation〉からリリースしているのだ。
 実質ソロ・プロジェクトゆえの動きの身軽さもあるだろうが、ヴァーグ²™やスカンジナビアン・スターとのコラボレーションも継続的に実践するなど、さまざまな音も実験と挑戦を繰り返していることからも、ラーベクにとってクロアチアン・アモールはさまざまな音の実験の場なのかもしれない。ちなみに2014年にはラスト・フォー・ユースとの共作で『Pomegranate』をリリースしている。

 本作『Remember Rainbow Bridge』は、ソロ・アルバムとしては眩い「光」のサウンドを放つエクスペリメンタル環境音楽とでも形容したいほどの傑作『All In The Same Breath』のリリース以来、2年ぶりのアルバムである。とはいえ2021年も、ヴァーグ²™との『Body of Content』や、スカンジナビアン・スターとのEP「Spring Snow」をリリースしているので、昨年からずっと新作が継続しているような印象を持ってしまう。
 とはいえその音楽はつねに微細に、かつダイナミックに変化してきた。私見では初期のインディ・アンビエント的な音楽性から脱却したのは、2016年リリースの『Love Means Taking Action』だったと思う。音に深みが出て、音の重ね方や構成がよりソリッドになり、同時にアンビエントとしてのチルなムードもある。いわばインダストリアル/アンビエントなエレクトロニック・ミュージックとでもいうべき音響空間を実現したのである。
 そして2019年の『Isa』と2020年の『All In The Same Breath』は表裏一体のようなアルバムと私は考えている。いわば「光のオペラ・アンビエンス」とでもいうべき独特の煌めきを獲得したように思えたのだ。だがこれはこの二作だけに限らないともいえる。彼の全アルバムには一貫してエモーショナルな感情がうごめいているように感じられるからだ。
 新作『Remember Rainbow Bridge』は、これらの共作の成果を踏まえつつ、何より『All In The Same Breath』の「その後」を受け継ぐようなアルバムに思えた。『All In The Same Breath』は、光の拡張のようにオプティミスティックなエレクトロニック・ミュージックであったが、『Remember Rainbow Bridge』はそこから個人の内面の変化と成長に焦点を当てたようなアルバムとして仕上がっていた。
 ひとりの少年が青年になり、何かを喪失し、何かを獲得するように、このアルバムの音楽もまた変化する。飛翔。不安。夢。リアル。前進。アンビエントからビート・ミュージックまで駆使しながら、このアルバムのサウンドは聴き手をどんどん別の世界へとつれていってくれるだろう。
 1曲め “5:00 am Fountain” はゆったりとしたアンビエントなムードではじまり、声のサンプルや機械信号のようなシーケンスに次第にビートが入り、ゆるやかに上昇するように盛り上がっていく。まるで現世から飛翔するように。2曲め “Remember Rainbow Bridge” では軽やかなシンセサイザーのアルペジオを基調としつつ、ダイナミックなビートが優雅に絡み合っていく。楽曲の構成が絶妙なせいか音世界にどんどん入っていけるのだ。アルバムには全8曲が収録されているが、曲想はヴァリエーションに富みつつも、作品に世界に没入させていく手腕はどの曲でも変わらない。
 
 『Remember Rainbow Bridge』は「少年時代の感性と成長」というコンセプトで一貫しているのだが、それを表現するのが「物語性」ではなく、音による「没入感」である。そしてその没入感の根底には「感情」を揺さぶるようなドラマチックなコンポジションがある。
 本作『Remember Rainbow Bridge』にはアンビエントの要素もある。リズムが入った曲もある。声やヴォーカルも入っている。音の色彩は実に多彩だ。だが根底にあるのは「感情」の大きなうごきのようなものではないかと思う。そう、エモーショナルなエレクトロニック・ミュージックなのだ。
 最終曲 “So Long Morningstar” は静謐なアンビエント作品でありながら、声のサンプル、ギターのフレーズ、弦楽器的な旋律、電子音の持続が折り重なり、聴き手の心と感情に浸透するような音響を展開している。
 感情? もしかするといまの時代にはそぐわない言葉かもしれない。だがエレクトロニック・ミュージックはつねにエモーショナルが重要なポイントだった。クラフトワークもデトロイト・テクノも竹村延和もフェネスも OPN もアルカも感情の動きを自身の音にスキャンしていくような感覚があった。
 機械的であっても感情を捨て去ってはいないのだ、感情は私たちにとって大切なものだ。喜び、畏れ、怒り、恐怖、悲しみ、驚き。音楽は多様な感情を反射するアートである。クロアチアン・アモールの音楽もまたそのことを証明している。「感情の復権としてのエクスペリメンタル・エレクトロニック・ミュージック」がここにもある。

Huerco S. - ele-king

 ゲーム・チェンジ的な傑作が、といった印象の作品です。USカンザス出身~ニューヨーク拠点のアーティスト、ブライアン・リーズのプロジェクト、フーエアコ・エス名義の3作目となるフル・アルバム(間にカセット・リリースのアルバム大の作品『Quiet Times』もあり)。リリースはアンソニー・ネイプルズと写真家でもあるジェニー・スラッテリー(Jenny Slattery)によるニューヨークのレーベル〈Incienso〉から。

 2010年代初等、キャリア初期のハウス・トラックで朋友アンソニー・ネイプルズとともに注目を集め、なんといいますか、そのセオ・パリッシュをベーシック・チャンネルがクアドラント名義でミックスしたような、そんなビートダウン・ハウスをガス状のダブ・ヴァージョンにした2013年のファースト『Colonial Patterns』を OPN のレーベル〈ソフトウェア〉からリリース。続く、2016年の本名義のセカンド『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』(アンソニーの〈Proibito〉よりリリース)では、さらにダブ・アンビエント・テクノ色を強め、その表現においてひとつの転機とも言える作品になりました。そして続く2018年のペンダント名義『Make Me Know You Sweet』や、昨年の同名義『To All Sides They Will Stretch Out Their Hands』などでは、さらにアブストラクト、かつダークなアンビエント・テクノをリリースしています。

 ここ数年は上記のようにアンビエント・タッチの作品が多かったのですが、まず本作の大きな変化は本名義でひさびさとなるリズムを主体とした作品(といってもハウスではない)となりました。1曲目 “Plonk I” では、それまでどこか避けていたように思えるクリアなニューエイジ的なサウンド感覚も援用しつつ、リズムの躍動感を主眼にした展開に。まさにイントロとして本作品の新機軸感を醸し出しています。この曲が象徴するように、これまでの作品のトレードマークでもあったエコー/リヴァーブ感、ガス状のダブ感が晴れて、全体的にクリアな質感が増幅された点も、同名義の作品としてはわかりやすい変化と言えるでしょう(ラスト・トラックなどにはダブの残り香はあり)。そして2曲目~4曲目 “Plonk II~IV” と、アルバムが進むうちに否応なしに本作の主眼が「リズム」にあることが明白になっていきます。インタールード的に、過去のダブ・アンビエント路線を彷彿とさせる “Plonk V” を挟んで、キラキラとしたシンセ音と後半はスロウなブロークンビーツがグルーヴをノッソリと刻む、アルバム・ハイライトとも言える “Plonk VI”。ノンビート的な “Plonk VII” にしても、エコーの重奏的な絡み合いにしてもベースラインとともにリズムの幻惑をさせるような感覚。どこか90年代後半のエイフェックス・ツインを彷彿とさせるエレクトロ “Plonk VIII”、そして次いで繰り出されるのは初となるヴォーカル(ラップ)トラック。〈Future Times〉からの Tooth Choir による濃いアシッディーなトラックでのラップが印象深い、気だるい SIR E.U のラップのバックには、まるでスピーカー・ミュージックの強烈なドラム連打を煙に巻いたような、もしくはドリルンベース的とも言えるドラム・サウンドが亡霊のように揺れ動いています。最後の曲こそ、同名義の前作を豊富とさせるダブ・アンビエント(とはいえこれも圧巻のクオリティ)ですが、本作の中心は、やはりリズムのアプローチというのが大方のリスナーの印象ではないでしょうか。

 小刻みなリズムが絡みつくストレンジなシンセが有機的に融合した感覚は、ある意味で90年代中頃までのまだリズムの冒険に意欲的だったテクノ──「ハウス」、もっと大きく言えばダンス・グルーヴのループ・リズムからの脱却と、それに伴うリズムの打ち込みの細分化は、1990年代前半のデトロイト・リヴァイヴァルやリスニング・テクノの先鋭化にも通じる感覚ではないでしょうか。また肝としては、IDMというほどエレクトロニカ的なグリッチ感覚が薄いというのも重要ではないかと。それこそパリスのところで書いたような〈リフレックス〉が標榜していた “ブレインダンス” 的とも言えそうな感覚でもあります。

 アンビエントものから、こうしたリズム主体の動きということで言えば、なんとなく思いつくのが彼のここ最近の周辺の動きです。ペンダント名義の作品をリリースしている、自身のレーベル〈West Mineral〉から、Ben Bondy、Ulla Straus、uon といったアーティストの作品や自身とのコラボ作品をリリース。言い換えると、ほぼ同様の人脈が交差する(はじめは傘下のレーベルかと思ってました)、Special Guest DJ(という名義のアーティスト)主宰の〈3XL〉(傘下に〈Experiences Ltd. / bblisss / xpq?〉あり)周辺人脈と、ここ数年は関係を深めているように見えます。ブライアン参加のプロジェクト(Ghostride The Drift など)も含めて、これらの動きには、ダブ・アンビエントやエコーの残響音の中に、アブストラクトに亡霊化したジャングル、ダンスホール、IDM、などなどさまざまな要素を含んだまさにレフトフィールドなテクノの最前線的な作品が目白押しといったところでとても刺激的です。NYとベルリン・スクールを結ぶ地下水脈としてここ数年おもしろい動きを見せています。最近では〈West Mineral〉からは、〈3XL〉のオールスターとも言える、virtualdemonlaxative というプロジェクトがブルータルなノイズ~ブレイクコア的な作品をリリースし話題にもなりました。前述の Ghostride The Drift や Critical Amnesia のような〈3XL〉周辺人脈とのコラボは、本作につながりそうなブレインダンス的なリズムの援用がなされており、そのあたりに本作のリズムへのアプローチの出自があるのではという見方もできます。

 生楽器を取り入れながらも、なんというかポスト・ロックやフュージョンの呪縛にハマらない、エレクトロニック・ミュージックとしてのいい塩梅を提示した、アンソニー・ネイプルズの『Chameleon』とともに、リスニング・テクノの、新たな可能性を示したそんな感覚の作品でもあって、これまたその周辺の動きも含めて、まだまだ注目させるに相当しい作品を世に問うてしまったという、そんな作品ではないでしょうか。

Keith Freund - ele-king

 20年前すでに音楽リスナーだった人は、あの頃のフォー・テットを思い出すといいだろう。フォークトロニカなどというサブジャンル用語で括られていた時代の、潔癖で愛らしいエレクトロニカ。キース・フロイントによるこれは、ジャズとアンビエントに寄った、その現代版である。つまり、時代を反映したダークでインダストリアルでディストピックな音楽ではない。小さな喜びをもった潔癖で愛らしいエレクトロニカだ。
 では、20年前はまだ赤ちゃんだった小山田米呂君のような音楽リスナーにはなんて言おうか。もしキミがOPNイーライ・ケスラーなんかが好きだったら、この音楽も好きになるかもしれない、反抗的ではないけれど夢想的な音楽だ、これだけ言って興味を持ってくれなければそれまでだ。なぜならこの音楽には虚栄心はないし、山っ気もない。誰かがこれを好きになってくれたらそれで良いや、そんな謙虚な音楽だったりする。

 オハイオ州アクロンを拠点とするキース・フロイントには、すでにそれなりのキャリアがある。彼のプロジェクトでもっとも名前が知られているのは、おそらくトラブル・ブックスだろう。これはフロイントが彼のパートナー、リンダ・レイショヴカといっしょにやっていたプロジェクトで、10年前にはマーク・マグアイアと共演もしている。また、そのメンバーのひとりマイク・トランはTalons'名義で長いことフォークをやっていて、数年前にVICEが「もっとも過小評価されているソングライター」として紹介したことでここ最近広く知られるようになった。フロイントに関しては、最近ではLemon Quartet、Aqueduct Ensembleといった名義でのジャズ/アンビエント寄りの作品が注目を集めているが、これらはアンドリュー・ウェザオールも評価したというアーティスト、G.S. Schrayとの共同プロジェクトになる。いずれにせよ、地元アクロンのインディ・シーンで活動している人たちといろいろやってきているようだ。
 時代との折り合いの付け方に苦労したとマイク・トランはVICEのなかで話しているが、たぶん、アクロンのシーンそのものがそうなのだろう。そこはポートランドでもなければ、LAでもNYでもない。クールでトレンディな若者を惹きつけるような街には見えないし、シカゴやデトロイトやフィラデルフィアのような箔があるわけでもない。業界が頻繁にチェックするようなところでないことはたしかだろう。だから、商業的な利益を得るうえで必ずしも機会が恵まれているとは言いがたい土地で長く音楽活動を続けるには、音楽への愛情が不可欠だ。ただでさえSNS時代はヘンな大人が嘲笑の的になりがちで、愛がなければまずやっていられない。しかし活動を支える純粋な思いは、いつしかおのれの音楽作品を磨き上げることにもなる。本作『Hunter on the Wing(翼のうえのハンター)』がそれに当たる。
 
 “なんもない、ただ月を聴く(Nothing, Just Listening to the Moon)”という曲を聴けば、このアルバムの魅力がわかるだろう。ひなびたノイズのループ、ピアノとサックスフォンが気持ちよさそうに音を奏でている。目新しい手法ではないが、このあたたかいテクスチュアにはアルバム全体に通じる親密さがある。フロイントは、フィールド・レコーディングを駆使してこの音響を味わい深いものにしているが、同時に極めて人工的な響きの抽象的な電子音が曲のなかで奇妙な時代感を感じさせる。宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の世界に、突如としてシンセサイザーが送り込まれてしまったと、そんな夢想を引き出す音楽なのだ。
 こうした実験的だが穏やかさを崩さないエレクトロニカ系は、20年前のフォー・テット、さもなければフェネスの『Endless Summer』がそうだったように、じつは時代のトレンドに隣接しているということを、20年前すでに音楽リスナーだった人は覚えていることだろう。繊細な叙情性とアコースティックな響きは最近ずいしょで聴ける時代の信号のようなもので、いまもしぼくがDJをやるとして、キャロラインの次にこのアルバムのなかの1曲をかけても違和感はないはずだ。ただし、こちらには政治的表明などないけど。“なんもない、ただ月を聴く”と言っているぐらいなのだからね。

Pendant - ele-king

 フエアコ・エスとして知られるブライアン・リーズの別名義ペンダントの新作『To All Sides They Will Stretch Out Their Hands』がリリースされた。前作『Make Me Know You Sweet』(2018)から実に3年ぶりのアルバムだ。10年代のエクスペリメンタル/アンビエント・シーンの最重要アーティスト、待望の新作である。

 フエアコ・エス=ブライアン・リーズは2013年、当時OPNが主宰していた〈Software〉からアルバム『Colonial Patterns』をリリースした。アンダーグラウンドなハウス・ミュージック・シーンにいたリーズだが、『Colonial Patterns』のリリースによってエクスペリメンタル・ミュージックのリスナーから注目を集めることになった。このアルバムに影響を受けたエレクトロニック・ミュージック・アーティストは、ある意味、OPNと同じくらい多いのではないか。そして2016年には、ニューヨークを拠点とするカセット・レーベル〈Quiet Time Tapes〉から『Quiet Time』と、アンソニー・ネイプルズ主宰の〈Proibito〉からアルバム『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』の2作をリリースし評価を決定的なものとした。その霞んだ音響は不可思議な霊性のようなアトモスフィアを放っており、巷に溢れる凡庸なアンビエント作品と一線を画するような音だった。翌2017年にはブライアン・リーズは実験電子音楽レーベル〈West Mineral〉を立ち上げた。2018年には同レーベルから自身の別名義ペンダントのアルバム『Make Me Know You Sweet』を発表する。レーベルのキュレーションも格別で、例えばポンティアック・ストリーターウラ・ストラウスの『Chat』(2018)、『11 Items』(2019)などの重要作を送りだしてきた。本作もまた〈West Mineral〉からのリリースである。

 フエアコ・エス名義の作品は、現時点では2016年の『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』が最後だ(来年2月に新作が出る模様)。リットン・パウエル、ルーシー・レールトン、ブライアン・リーズらのユニット PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』が2021年にフランスの〈Shelter Press〉から発表されいるとはいえ、ソロ作品は2018年リリースはペンダント『Make Me Know You Sweet』以来途絶えていたのだからまさに待望リリースである。とはいえ録音自体は前作がリリースされた直後の2018年に行われた音源のようだ。すでに制作から3年の月日が流れている。どうしてそうなったのかは分からないが、彼のサウンドの持っている時間を超えたような「霊性」を考えると、3年の月日が必要だったのではないかとすら思えてくるから不思議である。

 アルバムには全6曲が収録されている。アルバム前半に “Dream Song Of The Woman”、“In The Great Night My Heart Will Go Out”、“Formula To Attract Affections” の3曲、後半に “The Story Of My Ancestor The River”、“The Poor Boy And The Mud Ponies”、“Sometimes I Go About Pitying Myself While I Am Carried By The Wind Across The Sky” の3曲が収録され、合計6曲が納められている。アルバム全体は、大きなストーリーというか流れがあるというよりは、まるでアンビエントやドローンが次第に瓦解していくように音が変化していくようなサウンドを展開している。

 冒頭の “Dream Song Of The Woman” は白昼夢のようなドローンが展開するアンビエント曲だが、2曲め “In The Great Night My Heart Will Go Out” から細やかな物音のコラージュによって生まれるどこか荒涼としたムードのサウンドスケープである。曲が進むごとに音の霞んだ感触や荒んだディストピア的なムードが展開しつつも、アンビエントからエクスペリメンタルなコラージュ作品へと変化していく。そして17分45秒に及ぶ最終曲 “Sometimes I Go About Pitying Myself While I Am Carried By The Wind Across The Sky” でコラージュ/アンビエントな音響空間は頂点に達する。20世紀の残骸である音とその蘇生とリサイクル、荒涼とした光景そのものをスキャンするような持続、ノイズ、音楽のカケラ、幽玄性。それらの交錯と融解。まさにアルバム・タイトルどおり「四方八方に手が伸びる」ようなサウンドスケープである。

 最後に本作のマスタリングを手がけたは、エクスペリメンタル・ミュージックのマスタリング・マスターのラシャド・ベッカーということも付け加えておきたい。

2021年7月26日 - ele-king

 ここ10日ほどずっと気が重いのは、もちろん小山田圭吾について考えているからだ。そもそもオリンピック開催に反対のぼくが、小山田圭吾がそれに関与したということに失意を覚えないはずがなく、また、問題となった二誌の記事の内容に関しても、一次資料に当たったわけでないが、ネットで明らかになっている部分だけ見ても擁護しようがない。自分自身のふがいなさも痛感している。音楽シーンにはぼくのようにROとQJを読まない人だっているわけだし、ぼくの仕事は人格をチェックすることではない。とはいえコーネリアスの特集号を2冊も作っているのだから、これらの記事に目を通し、これはいったい何だったのかを本人に問い、語らせるべきだった。下調べが徹底していなかったという批判はあって然るべきだ。

 ぼくが小山田圭吾と初めて会話したのは、1999年のたしか夏も終わりの頃だったと思う。きっかけは『ファンタズマ』だ。エレクトロニック・ミュージックばかりを聴いて、渋谷系と括られているシーンとはとくに接点のなかったぼくに、ひとりの友人がこれは聴いたほうがいいとCDを貸してくれたのである。ぼくは『ファンタズマ』を素晴らしい作品だと思ったし、折しもロックの特集を考えていたこともあって、小山田圭吾の友人でもあった彼が取材のセッティングをしてくれたというわけだ。以来、小山田圭吾とは主に取材を通じて何度も会うことになるが、ぼくにはとても「いじめ自慢」をするような人には見えなかったし、露悪的だったこともなかった(これは擁護ではない、ただそうだったという事実を書いている)。
 米国の出版社による「33 1/3」というポップ・ミュージック史における傑作アルバム1枚についてひとりの著者が一冊を書くシリーズがある。ジャンルで言えばロックがメインで、日本では村上春樹が訳したビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』が有名だ。このなかの1冊として(そして日本のロック・ミュージックのアルバムとしては最初に)2019年にコーネリアスの『ファンタズマ』は刊行されている。「コーネリアスは西欧の音楽ファンの世界地図にJ-POPを載せる上で重要な役割を果たした」という紹介文とともに。
 コーネリアスは日本の大衆文化の国際的な評価に大いに貢献した。海外での知名度は高い。ゆえに今回のニュースは海外の有力メディア(『ガーディアン』や『ピッチフォーク』)でも報じられている。彼の音楽作品は道徳心を説くものではないし、暴力を駆り立てるものでもないが、件のニュースはコーネリアスの評価や今後の活動にダメージを与えるだろう。小山田圭吾は多くを失った。「社会など必要ない」と言ったのは新自由主義の起点となったマーガレット・サッチャーだが、彼が発表した謝罪文にも「社会」がなかった。いまコーネリアスを総合的に評価するうえでの難しさはそこに集約されているのではないかと思う。
 だが、『ファンタズマ』や『ポイント』が部屋に籠もってひとりで音楽を作っていた多くの若者の創作意欲を促したのは事実だし、これら作品を純粋に楽しんだリスナーやその音楽に癒されたリスナーが世界中に多数いることも事実だ。エレキングは基本的にリスナー文化を醸成することを目的としている。作品は世に出たときから作者の支配下から離れ、それを享受したもの(=リスナー)のなかで育まれるものだ。コーネリアスの音楽を愛している人たちが障害者への虐待を肯定することは100%ないだろうし、ファンの心のなかにある『ファンタズマ』や『ポイント』が汚れることもないだろう。
 ことの大小はともかく、誰にだって人生において失敗はあるだろうし、少なくともぼくにはある。この文章を書いているのも、今回の騒ぎと自分が決して無関係だとは思っていないからだ。コーネリアスが失ったものは大きい、しかし時間はまだ十分にある。なんらかのカタチをもって解決して欲しい。それがすべてのファンが願っていることだろう。

 今回の件でもうひとつ気が滅入ったのは、彼の息子、小山田米呂への執拗な罵詈雑言だ。こんな前近代的ムラ社会のつるし上げが、21世紀のいまもネット社会にあるということが本当に悲しい。「親の七光りで書かせやがって」などと言ってくる輩もいたが、小山田米呂は彼の若い感受性をもってOPNのような10年代を代表する電子音楽やシェイムのような若いバンドについて言葉を綴れる書き手であり、可能性を秘めたミュージシャンだ(そもそも米呂とぼくは、コーネリアスとは関係のないところで出会っている。若い世代のインディ・ロックについての若い書き手を探していて、それがたまたま小山田圭吾の息子だった)。近い将来、彼がまたあの軽妙な文体で若い世代の新しい音楽について書いてくれることを願っているし、堂々と音楽活動を続けて欲しい。

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