「OPN」と一致するもの

Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨秋リリースされた『Garden Of Delete』の昂奮も冷めやらぬなか、年明け早々にジャネット・ジャクソンをドローンに仕立て直したかと思えば、ハドソン・モホークとともにアノーニのアルバムをプロデュースしたり、DJアールのアルバムを手伝ったりと、ダニエル・ロパティンの創作意欲は留まるところを知らない。そのOPNがまた新たな動きを見せている。
 昨年公開された“Sticky Drama”のMVもなかなか衝撃的な映像だったけれど、このたび公開された“Animals”のMVもまた、観る者に深い思考をうながす内容となっている。近年は過剰な音の堆積でリスナーを圧倒しているOPNだが、彼はもともとアンビエントから出発した音楽家である。そのことを踏まえてこのヴィデオを眺めてみよう。このMVは「ベッドルームとは何か?」という問いを投げかけているんじゃないだろうか?
 監督はリック・アルヴァーソン。主演はヴァル・キルマー。以下からどうぞ。

https://youtu.be/1UztCDH2xuQ

ONEOHTRIX POINT NEVER
ヴァル・キルマー主演の最新映像作品「ANIMALS」を公開

エクスペリメンタル・ミュージックからモダンアート、映画界まで活躍の場を広げ、熱狂的な支持を集めるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、2015年に発表し、賞賛を浴びた最新作『Garden of Delete』から、作品の核となる楽曲「Animals」のミュージック・ビデオを公開した。

Oneohtrix Point Never - Animals (Director's Cut)
YouTube:https://youtu.be/1UztCDH2xuQ
公式サイト:https://pointnever.com/animals

Val Kilmer

Directed & Edited by Rick Alverson
Story by Daniel Lopatin & Rick Alverson

Ryan Zacarias - Producer
Drew Bienemann - DP
Alex Kornreich - Steadicam
Julien Janigo - Gaffer
Paulo Arriola - 1st AC
Jess Eisenman - HMU
Dan Finfer - Home Owner

ロサンゼルスで撮影された本映像作品は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティン原案のストーリーを元に、映像作家リック・アルヴァーソンが監督を務め、映画『トップガン』や『ヒート』、『バットマン・フォーエヴァー』などで知られる俳優ヴァル・キルマーが主演している。

また本作品は、現在ロサンゼルスのアーマンド・ハマー美術館にて開催中のアート展『Ecco: The Videos of Oneohtrix Point Never and Related Works』のオープニング・イベントにて10月18日にプレミア上映された。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、『Garden of Delete』をリリース後も、人気ファッション・ブランド、KENZOのファッション・ショーにて、ジャネット・ジャクソンの「Rhythm Nation」をアレンジした160人による合唱曲を披露し、マーキュリー賞にもノミネートされたアノーニのアルバム『Hopelessness』をハドソン・モホークとともにプロデュースし、ツアーにも参加するなど、ますますその活躍の場を広げている。

label: WARP RECORDINGS / BEAT RECORDS
artist: ONEOHTRIX POINT NEVER
title: Garden of Delete
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー / ガーデン・オブ・デリート
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-486 定価 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナストラック追加収録

[ご購入はこちら]
beatkartで購入:https://shop.beatink.com/shopdetail/000000001965/
amazon: https://amzn.to/1NbCrP4
tower records: https://bit.ly/1UodWT0
HMV: https://bit.ly/1LVZJIv
iTunes: https://apple.co/1NOGOj3

Tracklisting
1. Intro
2. Ezra
3. ECCOJAMC1
4. Sticky Drama
5. SDFK
6. Mutant Standard
7. Child of Rage
8. Animals
9. I Bite Through It
10. Freaky Eyes
11. Lift
12. No Good
13. The Knuckleheads (Bonus Track For Japan)

interview with galcid - ele-king

 金魚は目をぱちくりさせていた。
 初めてgalcidのライヴを観に行ったときのことだ。9月21日に日本橋・アートアクアリウムでおこなわれたgalcid + Hisashi Saitoの公演は、想像していた以上にダンサブルで、ハードで、でもふと虚をつくような意外性があって、不思議な体験だった。フロアは大量の金魚鉢に包囲されていた。金魚にはまぶたがないから、まばたきなんてできるはずがないんだけど、これがgalcidの力なのだとしたら、おそろしい。


galcid - hertz
Coaxial Records/Underground Gallery

Techno

Amazon Tower iTunes

 文字通りインダストリアルな環境に生をうけ、10代でニューヨークに渡り、クラフトワークやYMOなどの過去の偉大な遺産と90年代の豊饒なエレクトロニック・ミュージックを同時に大量に浴びて育ったgalcidは、ある意味では正統派であり、またある意味では異端派でもある。「ノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーション」を掲げ、モジュラー・シンセを操り、インプロヴィゼイションにこそテクノの本懐を見出す彼女は、ソフトウェア・シンセが猛威をふるう昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかで間違いなく浮いた存在だろう。もしかしたらそういった表面的な要素は、「あの頃」のテクノを知るオトナたちに哀愁の念を抱かせるかもしれない。だがgalcidの音楽が魅力的なのは、単にオールド・スクールなマナーをわきまえているからだけではないのである。
 以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、galcidの音に対するフェティシズムは相当なものである。「音色マニア」あるいは「音色オタク」と呼んでも差し支えないと思うのだけれど、そのような彼女の音に対する執念が、予測不能のインプロヴィゼイションというスタイルの土台を形作ることで、ありそうでなかった独特のテクノ・サウンドが生み出されているのである。〈デトロイト・アンダーグラウンド〉が反応したり、ダニエル・ミラーやカール・ハイド、クリス・カーターといったビッグ・ネームが惜しみなく賛辞を送ったりするのも、きっとそんな彼女の職人的な細部への配慮に尊敬の念を抱いているからだろう。
 galcidの音楽には、これまでのテクノとこれからのテクノの両方が詰まっている。その不思議なサウンドが生み出されることになった秘密を、あなた自身の目で確認してみてほしい。きっと目をぱちくりさせることになるよ。

2回目に見たgalcid(ギャルシッド)はより進化していて、さらにインプロヴァイズでの自由度が増した素晴らしいパフォーマンスだった。
──ダニエル・ミラー(2016年9月21日@日本橋・アートアクアリウム)

小林(●)、野田(■))

前に『ele-king』でダニエル・ミラーのインタヴューをしたとき、彼がギャルシッドの名前を出しているのですよ。

レナ:そうなんですか!

「日本人アーティストのリリース予定はありますか?」と訊いたら、ギャルシッドを挙げていましたよ。

一同:へえー。

羽田(マネージャー):DOMMUNEの神田のイベントで1度共演したことがありまして、先日アートアクアリウムで再び共演する機会があり、当日ダニエルと話してみたら、よく覚えていてくれたんですよね。ただ、メディアでコメントをしていた、というのは初耳でしたね……。

レナ:それはすみませんでした(笑)! 実はカール・ハイドがギャルシッドの音源をネットで見つけて会いたいって言ってくれて! この前、東京に来ていたときに会ってきたんです。それをディスク・ユニオンに言ったら、セールスのコピーになっていました(笑)。その前後にダニエルの言葉も入れたかったなぁ……(笑)。

ギャルシッドの音楽は、アンダーワールドよりはダニエル・ミラーの方が近いかもしれないよね。

プラッドと写真を撮られていたのをツイッターで拝見したのですが、プラッドもギャルシッドの音源を聴いていたのですか?

レナ:あのときはたまたま会場で会っただけなんです。それよりクリス・カーターが話題にしてくれて嬉しかったです。すぐ宇川さんに連絡したら、カール・ハイドよりも燃えていましたね(笑)。

うん、クリス・カーターを好きな人のほうがギャルシッドに入りやすいと思います。

レナ:そうですよね。

それではそろそろインタヴューに入りたいと思います。まず、ユニット名の由来は、「ギャル」+「アシッド」ということなんでしょうか?

レナ:そうですね。これはプロデューサーの齋藤久師がポロッと言って決まりました。私がDOMMUNEに出ることになったときに「名前どうする?」と聞いたら、「女性だし、ギャルシッド(galcid)でいいんじゃない?」というすごく軽いノリで決まりましたね(笑)。こんなに長く使うことになるとは思わなかった。

それは何年だったんですか?

レナ:2013年の末ですね。11月末に1回やって、年末のLIQUIDOMMUNE。そこが本格的なスタートになりましたね。

レナさんが最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃だったのですか?

レナ:2歳のときですね。「題名のない音楽会」を見て、自分でやりたいと言ってピアノをはじめたんです。あの番組に中村紘子さんが出演していて、すごくカッコよく見えたので、「(ピアノを)習わしてくれ」と両親にお願いしたのですが、当時2歳からのピアノコースが故郷の高松市(香川県)にはなかったんですよね。そこでエレクトーンをはじめました。エレクトーンのコースは小学校に入る頃に終わってしまうので、そこからはピアノという風に自然に切り替わるんです。で、そこからはピアノをやっていたんですが、だんだん課題曲が難しくなってくると、五線譜がすごい感じになってくるじゃないですか!!
 そこから耳コピの世界に入っていきましたね。先生に弾いてもらって、それを聴いて練習していたんですけど、先生は(私が楽譜を)読めているという錯覚を起こしていました。耳で聴いて何かをやるというのはそのピアノ教育のおかげだと思うんですよね。ピアノは中学生のときまでやっていました。

子供のころにピアノとか鍵盤をやっていて、途中でついていけなくなってテクノに行く人は多いよね。OPNだってそうじゃない?

(OPNは)母親がクラシック音楽の教授と言っていましたよね。そこからどのような経緯でテクノに行ったのですか?

レナ:先ずは実家が鉄工場なんですよ(笑)。もう、家がインダストリアルなんです、朝起きたら、もわーっとシンナーの匂いがしているし(笑)。だから、そこから遠いところに行きたくてクラシックやったり、フルートやったりしていました。高校生のときに坂本龍一さんの音楽をちゃんと聴きだして。当時はまだ地元にも中古のレコード屋さんがいっぱいあったんですね。そこに浅田彰さんとの『TV WAR』とか『Tokyo Melody』とか廃盤になったLDがいっぱいあって、『音楽図鑑』とかYMO直後のソロ作品をすごく面白いなあと思って、買って聴いていたんですよ。そこからテクノとは直接は繋がらなかったんですけど、何かの本に坂本さんのインタヴューが載っていて、「クラフトワーク」という言葉が書いてあったんです。それで「クラフトワークって何?」と思って探って、初めて聴いたのがライヴ盤だったんですよ。“トランス・ヨーロッパ・エクスプレス”の80年代のライヴを聴いて、これは聴かなきゃいけない、と思ってずっと聴いていました。そうしたら、だんだん好きになってきましたね。

80年代のライヴ盤って、海賊盤じゃないですか?

レナ:え! 友だちから借りたんですよね……まずいですね(笑)。

一同:(笑)。

レナ:その後は自分でアルバムを買ったりして、すごくハマっちゃったんですよね。そういうものを抱えたまま渡米をしたんです。『ザ・ミックス』が出た頃だったかな。95、6年にそれを聴いて、「(いま聴くべきものとは)ちょっと違う」と言う人も当時いたんですけど。いろんなアルバムを集めたり、クラフトワークのコンサートもニューヨークで観たりしましたね。そのときもけっこう賛否両論で、「クラフトワークに進化はなかった」と言って帰っていく人、私みたいに「生き神に会えた!」という人の両方いましたね。その会場で、エンジニアみたいな人とかゴスやパンクの人、ヒップホップの人とかオタクっぽい人とかがぐちゃぐちゃに混ざって列に並んでいるのを見たときに、「この振れ幅はハンパない!」と思ってすごく感動した覚えがありますね。

クラフトワークが『ザ・ミックス』を作った理由のひとつは、デトロイト・テクノに勇気づけられたからなんですよ。だから当時のアメリカ・ツアーは、クラフトワークにとってみたらきっとすごく意味があったと思いますよ。

レナ:そうだったんですか!! すごい長蛇の列で、ふたつ先のストリートまで並んでいましたね。最後にロボットが出てきて、もう歌舞伎とかでいう十八番みたいな感じでしたよ(笑)。

羨ましいですね。当時はクラフトワークがあまりライヴをやっていなかった時代ですからね。

レナ:その後はけっこう頻繁にライヴをやっているイメージがありますけどね。96、7年頃はアメリカの中でエイフェックス・ツインも表立って出てきたし、〈Warp〉がすごくアクティヴだったじゃないですか?

アメリカでは〈Warp〉がすごく力があったんですよね。とくに学生たちのあいだでね。あの時代、アメリカという国の文化のなかで、オウテカやエイフェックスを聴くというのはすごいことですよね。

レナ:MTVが彼らをとても推していて、『アンプ』という番組でガンガンに詰め込んで放送していたんですよね。その番組で、私が田舎で買ったLDに入っていたナム・ジュン・パイクと坂本さんの映像がちょろっと使われていて、「ここでこんなものを観るとは思わなかった!」とびっくりした覚えがあります。テクノの番組がすごく盛り上がっていて、録画して観まくっていました。ちょうどクリス・カニンガムやビョークが盛り上がっていた頃ですね。ほかにも〈グランド・ロイヤル〉とか、サブカルチャーがかっこいいという流れがあって、そこに学生としていたので、影響は大きかったですね。

ちなみにおいくつで?

レナ:当時は10代でしたけど。

ませてるナー。

10代(17歳)で、いきなりニューヨークに行くということに、特にとまどいはありませんでしたか?

レナ:あまりなかったですね。それは田舎にいたおかげだと思っていて、東京に出るというのとニューヨークに出るというのは、違うんですけど……

言葉が違うよ(笑)。

レナ:(田舎を)出るということに関して、高校生くらいの頃からみんなが選択をするんですよ。うちの場合は近場だと神戸、大阪とかで、東京組はまた感覚が違うんですよね。私の同級生でも何人か海外に行った子はいましたね。父親も変わっているから、鉄を打ちながら「全然いいんじゃん?」と言ってくれました(笑)。父親はジャズとか集めている音楽マニアで、「語学はその国に行って学ぶのがいちばんいいから、いいんじゃないの、その語学で何か学んで来なさい」とふたつ返事で許してくれましたね。

「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

父親が聴いていたジャズの影響はあったのでしょうか?

レナ:いや、特に10代の頃はほとんど聴いていないです。でも後から知ったんですけど、父はセロニアス・モンクとかバップ系のジャズが好きで、私も速いテンポのが好きなので、もしかしたら影響はあるかもしれないですね(笑)。

小林君はその話をインプロヴィゼーションに結びつけたかったでしょう(笑)。

レナ:そうなると綺麗ですね〜(笑)。すんません(笑)。

ふつう父親が好きな音楽なんて聴かないよ。

レナ:そうですよね(笑)。

周りにレコードが膨大にあって、元々クラシック・ピアノをやっていたということで、環境は整っていたという印象を受けました。それと鉄がガンガン鳴っていたということで(笑)。

レナ:鉄は嫌いでしたけどね(笑)。まあ、そういう意味ではそうですね。

当時テクノというとヨーロッパの方が強かったんですが、なんでロンドンではなくニューヨークだったんですか?

レナ:私も行ってから気づいたんですよね。本当にバカだなーと思ったんですけど、アメリカとイギリスの文化の差があまりわかっていなくて。坂本さんはニューヨークに行ったじゃないですか。「なるほど、ニューヨークはクールなんだな」と思って、行っちゃうんですよね。でも、聴いている音楽はすべてイギリスの音楽だったんですけど(笑)。

90年代のニューヨークはハウスですよね。

レナ:そうですよね。私の場合は90年代と言っても後半ですが、当時ハウスはあまり聴いていなかったので、そういう意味ではニューヨークのものからは影響を受けていないかもしれないです……。後にドラムンベースとかのムーヴメントになってきて、その頃からいろいろなところに顔を出しはじめました。それから、エレクトロニカがいっぱい入ってきたので、オヴァルや〈メゴ〉系のものを聴いたり、結局ヨーロッパ系ばっかり聴いていましたね。ニューヨークにいなくても全然良かったという(笑)。あ、でもノイズ系、アヴァンギャルド系のものに出会えたのは大きかったです!

ハハハハ。

何年くらいまでニューヨークに住んでいらっしゃったのですか?

レナ:2003、4年くらいまでいました。テロの前後くらいにD.U.M.B.Oというブルックリンにアート地帯を作るというプロジェクトがあって、元々アップル・シナモンの工場だったところを占拠してパーティをしたりしていたんです。そこに出させてもらったりもしていて面白かったんですけど、企業が入ってきて、表参道みたいな感じで整備されはじめて。そのときにテロが重なって、アーティストたちがニューヨークを去ってしまったんですよね。私はそれが理由で帰ったわけではないんですけどね(笑)。レーベルはデトロイトにあって、どうしようかなと思っていたんですけど、東京に住んだ経験がなかったので住んでみたいと思ってたんです。住んだことがないところへの憧れってあるじゃないですか。とくにその頃、私は小津安二郎・塚本晋也・ビートたけしの映画を観たり、アラーキーさんの写真集を見ながら、『ガロ』を購読していたりしたので(笑)。

あなた何年生まれですか(笑)?

レナ:ハハハハ、ニューヨークに(書店の)紀伊國屋があって、そこで『ムー』と『ガロ』を定期購読していたんです。

だから宇川君と気が合うんだ(笑)。

レナ:『ユリイカ』の錬金術特集とか本気で見ていましたからね(笑)。それで「日本すごいな」と思って、憧れの東京に行きたかったというのが帰国の理由ですね。

先ほど、ニューヨークにいる時点で所属レーベルがデトロイトにあったとおっしゃっていましたが、その頃からレーベルとの契約があったのでしょうか?

レナ:そうですね。インディーズのレーベルなんですけど、〈Low Res Records〉というレーベルがあって、いま出している〈デトロイト・アンダーグラウンド〉も含めてみんな仲間なんです。あとは〈ゴーストリィ・インターナショナル〉とか、みんな近所なんですよね。

アーティストもダブっていますよね。

レナ:そうなんですよね。ヴェネチアン・スネアズとかが出してました。うちはたまたま白人のコミュニティだったんですよ。デトロイトって、一部の黒人になりたい白人がいたりして、私もそのなかにピョンといたんです。GMキッズと言って、お父さんがみんな車のデザイナーをやっているような人たちが、金持ちなのに一生懸命チープなやつで作っていて(笑)。ちょっと根本のスピリットが違うんじゃないか? とか思ったり(笑)。〈ゴーストリィ・インターナショナル〉はまさにそうですね。

〈ゴーストリィ〉の社長は、フェデックスの社長の息子なんですよね。

レナ:そう、そのサムはすごくいい人ですよ。ただ乗っている車がハマーとか、NYに居る妹の住んでる場所がトランプ・タワーだというだけで(笑)。
 デトロイト辺りで活動してる人ってけっこう保守的なところがあるんですけど、そのなかでも〈ゴーストリィ〉周辺の人たちは実験的なことをやっていましたね。
 昔、シーファックス・アシッド・クルーと一緒にヨーロッパをツアーで回ったんですけど、それも刺激を受けましたね。シーファックスはカセットテープと101と606でプレイしていて、「違う!」と言いながらテープを投げていたのが「かっこよすぎる!」と思ってました。606の裏を見てみたら「TOM」と書いてあったので、「兄貴の借りてるんじゃん(笑)。大丈夫なの?」と訊いたら、「彼はいまお腹を壊してるし、大丈夫!」とか言ってて、すごいなあと(註:シーファックス=アンディ・ジェンキンソンはスクエアプッシャー=トム・ジェンキンソンの弟)。そのときに、「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

いつから自分で作りはじめたのですか?

レナ:すごく恥ずかしいやつは高校生の頃から作りはじめていますね。

ニューヨークに行ってから意識的に作りはじめたということですか?

レナ:そうですね。機材を買いはじめたのもその頃ですね。ずっと作りたいとは思っていたんですけど、機材というのは敷居が高かったですね。
 オール・イン・ワン・シンセ全盛期だったので、まず階層の深さにやられてしまいました。ステップ・シーケンスは組めるんですけど、音色もすごい量が入っていて、何をやりたかったか忘れてしまうような操作性だったんです。あの当時、ローランドだったらXPシリーズ、コルグだとオービタルが宣伝していたトリニティとかいろいろ出てきたんですよね。とりあえずオール・イン・ワン・シンセを買ったんですけど、シーケンサーに打ち込むということにすごく苦労してしまい、苦戦していたところ、ローランドから8トラックのハード・ディスク・レコーダーが手の届く値段で出たのでそれを買って、そこから幅が広がりましたね。

たしかにあの時代って、作るときのイクイップメントがわりと形式化していたというか、「こうでなきゃいけない」みたいのがいまよりありましたよね。

レナ: 88鍵もなくても別に大丈夫なこととか、少しずつわかってきて、同時に、ニューヨークにあるちょっとマニアックな楽器屋さんに通うようになって、そこで店員をしていたのがダニエル・ワンだったんです。彼はシンセに詳しくて、日本語も上手だったから、行けば教えてくれるんですよ。「オール・イン・ワン・シンセってすごく便利だけど、絶対こっちでしょ!」とミニモーグを勧めてくれて、「なるほど」という感じで、ずっと憧れの機材でした。
 当時、バッファロー・ドーターとかマニー・マークとか、メジャーだとベックとか、モンド・ミュージック要素のある音楽がブームだったんです。同時にムーグ・クックブックが出てきて、音色に感動して、またアナログ・シンセのほうに傾倒していったんです。
 ちなみにニューヨークに行って最初に買ったCDが、YMOの1枚目なんですよ。それまで聴いたことがなくて……。実は、日本にいたときには電子音楽が嫌いだったんです。当時流行っていたのが、全然自分が好きではない音だったんですよ。その当時は聴かず嫌いでYMOも好きではなかったんです。でもクラフトワークはすごいと思っていたので、日本人のシンセの音色がそういう音なのかな、と思っていたんですけど、芸者からコードが出ているジャケのアルバム(註:YMOのファーストは、日本盤とUS盤とでジャケや収録曲が異なっていた)を聴いてみようかなと思って買ったんです。「X/Y」の棚のところでXTCとYMOで迷ったんですけど(笑)。でも自分も日本人だし、「買ってみるか!」と思って、いざ聴いてみたら「すごい! こんな温かい音だったんだ!」とびっくりしてしまって。
 それで「いまさらかよ」という感じでハマっていって、10代の終わりの頃に色んな音を聴きはじめるんですよね。当時の最先端の〈Warp〉系のものと、クラシックなクラフトワークやYMOを同時に聴いていて、「すごいな、いいな」と思って楽器屋さんに通ったんです。ミニモーグは1音しか出ないのに、「こんなにするの?」って心で泣いてました(笑)。

やっぱり最初からアナログ・シンセの音色に興味があったんですね?

レナ:でもなかなか自分で手に入れるまでには至らず、IDMとかが流行って、そういう要素も取り入れながら「頭よさそうにやってみようかな?」とやってました(笑)。もちろんその時期のオヴァルやプラッドは大好きだったんですけど、自分でやるとなると、ああいう頭のいい感じではなかったですね。やっぱり野蛮な方が向いていたみたいで(笑)。ギターも触ってみたし、本当にいろいろやりましたよ。何が一番いいんだろうと思ったんだけど、やっぱりアナログ・シンセへの憧れが捨て切れなかったんですよね。
 その後、NYで出会った保土田剛さん(註:マドンナや宇多田ヒカルのエンジニア)からMK2のターンテーブルとアナログ・シンセを借りたんですよ。それをハード・ディスクで録ったりしていましたね。

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女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

音色に対するフェティシズムですね。

レナ:そうです。そうして帰国後、仕事で齋藤久師に会うんですね。それで彼のスタジオに行ったら、全部アナログ・シンセだったんですよ。スタジオに行って10時間くらい(アナログ・シンセを)触っていましたね。何も飲まず食わずでずっとやっていて、それくらい没頭しました。
 フルートをやっていた経験がアナログ・シンセの仕組みを覚えることに役立って、フルートって息の量だったり吹き方だったりで音を変えていくんですけど、シンセのモジュールもまさにそういうことで、楽器の吹き方というのをフィルターとかで弄っていく感覚でやっていくと、すぐに覚えられたんです。仕組みがスッと入ってきたので、すごく合うな、と思いました。単音の太さにもやられて、ピアノは和音勝負というかコード勝負というイメージですが、アナログ・シンセの本当に単音で、にじみが出るような音を出せるということにますます魅了されてしまって。
 これをどうやって自分の音楽に取り入れようかと思って、初めはけっこうミニモーグで曲を作っていました。昔のペリキン(註:ペリー&キングスレイ)とかああいうコミカルな感じの曲を作ったり、ディック・ハイマンとかそういう音楽を聴いて作ったりしていましたね。昔のモーグ系の音楽ってカヴァー曲が多いじゃないですか。モーグ・クックブックなんかその最たるバンドなんですけど、カヴァー曲ではなくて自分の音楽を作りたくて。
 だんだん「メロディってなんのためにあるんだろう」と思うようになって、ある意味ジャズ的にマインドが変わっていったんですよね。
 私はそれまで音楽の活動をするときに、すごく時間をかけてやることが美しいと思っていたんですよ。3ヶ月くらい山に籠って歌詞を書いてきましたとか、すんごいカッコいいと思って(笑)。「レコーディングは6ヶ月掛けてやっています」みたいなのがすごいと思っていたんですけど、でも、うちのプロデューサー(齋藤久師)はその真逆だったんですね。何か作ってみようということになったら、「5分くらいで考えて」とか言われて、「え、5分!? いま録音するんですか?」と言ったら、「だってフレッシュなうちがいいでしょ」と。そこで一生懸命絞り出して思考をするということを初めてやって。
 やったことないことにトライするのはすごく好きなので、直感的にすぐにやるということに面白さがあるということに気づいたんです。それで「セッションしてみようよ」と言われて、楽曲制作はしてましたけど、実はセッションなんてしたことがなかったんですよ。「セッションしてみないと楽器がわからない」とか「0から100までのレベルを全部使ってやってみないとわかんないから、全部セッションで試してみればいいんだよ」とか言われたので、「わかりました」と(笑)。やっている最中は「ダメだな」と感じたのに後で聴いてみたらまとまっていたりして、そういういろいろな発見があって、セッションでの制作やライヴの仕方に傾倒していったんですよね。

可能性としてはディック・ハイマンみたいな、モンドというかイージー・リスニングというか、そういうものに行く可能性はあったのですか?

レナ:すごく好きな世界だったので、可能性はありましたね。

でも結果はそれとはある意味で真逆な世界に行きましたね。

レナ:そうですね。その前からエレクトロニック・ボディ・ミュージックとかパンクとかいろんなものを聴いていたんですけど、モンドってお洒落じゃないですか。女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

なるほど。

レナ:このアルバムを作ったときに、「態度としてすごくパンクだ」と言われたんですよね。(アルバムを)聴くと、これまで聴いてきたものが、どこかしらに滲み出ているということに気づいたんです。私の世代から下の世代のって、ジャンルが細分化されすぎてひとつのジャンルをずっと聴いてるようなイメージがあるんですけど、私は周りに年上の人が多かったというのもあって、たくさんのジャンルの曲を聴きましたね。それでも、電子音楽というのは自分を表現するのにいちばん適しているジャンルだな、というのはなんとなく思っていたんですが。

ギャルシッドのスタイルに一番影響を与えたのは誰だと思いますか?

レナ:うーん、考えてもいなかったですね。

3年くらい前に『ele-king』で「エレクトロニック・レディ・ランド」という特集を組んだんですね。打ち込みをやる女性が00年代に一気に増えてきたので、それをまとめたんです。USが圧倒的に多いんですよね。そのなかでローレル・ヘイローっていう人を僕はいちばん買っているんですが、彼女にインタヴューしたら、「私が女性だからという括りで珍しいとか面白がるというのはない」と言ってきたんですが、考えてみたら当たり前で、それはそうだよなと反省したんですね。女性がテクノやっていて珍しいからすごいのではなく、ローレル・ヘイローがすごいんですね。それと同じように、ギャルシッドは、性別ではなく、やっぱ音が面白いと思うんですけど、でも、女性の感性というものが作品のどこかにはあるんでしょうね?

レナ:女の人はマルチタスクというか、何かをしながらいろいろなことを考えられるから、そういう視点はもしかしたらあるかもしれないですね。何か「この楽器1本で!」みたいな気負いはたしかに感じていないですね。

アルバムを聴いていて思ったのは、単純にずっと反復が続いていくという曲があまりなくて、展開が次々と来る感じじゃないですか。

レナ:それは私のクイーン好きから来てるのかな?(笑)。私、性格がせわしないんですよ(笑)。

一同:(笑)。

クイーンはまったく思い浮かびませんでした(笑)。と言いつつ、踊れないわけではもちろんなくて、僕はボーナス・トラックを抜きにした最後の曲が気になりまして、この曲はキックが入っていないですよね。でもキックを入れたらかなりダンサブルなハウスになると思うんですよ。

レナ:“パイプス・アンド・ダクツ”ですね。純粋にビートを入れるということを抜いて、あの曲には和声も珍しく入れたので、それもあると思います。これは私は言葉と声で参加しただけで、齋藤久師が作曲しました。あの曲を聴いているとある時代に引き込まれていく気分になるんですよね。多分、彼自身がリアルに生きていた時代に、という事だと思うのですが、やっぱり音楽は記憶と結びついていると思うので。まあ私はインダストリアルというだけで懐かしいんですけどね(笑)。

音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。

テクノをやっているという意識はあるんですか?

レナ:プロデューサーの意図は別として(笑)、本人的にはあまり気にしていないんですけどね。4つ打ちにすればダンサブルになるわけだし、ライヴではいかようにもできるんですよ。でもそれだけだと「ドンチー、ドンチー」となってしまうので、「ドン、ドン、ドン、ドン」ではなくて「ドン、ドン、ドドン、ドン。ドン、ドコ、ドドン、ドン」みたいにトリッキーなリズムにしてみたり、いろいろと試行錯誤してみますね。私はいまTR-09を使っているんですけど、意図するものとは違うという意味で打ち間違いもしてしまうんですよ。そのとき面白いリズムになったりするんですよね。そっちのほうでグルーヴができたら、そのまま修正せずに作っていったりして、そういう意味では軽く縛られているのでそれが面白いですね。

ジュリアナ・バーウィックなんかは、自分の声をサンプリングしてそれを使用するんですけど、ギャルシッドはそれとは真逆で、もっと物質的ですよね。それでいてダンス・ミュージックでもある。いったい、ギャルシッドが表現しようとしているものは何なんでしょうね。それは感情なのか、あるいは音の刺激そのものなのか、あるいはコンセプトなのか……。

レナ:いまは自分でノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーションという縛りを作っているので、まずそこをスタイルとして楽しんでいるというのがあるんですけど、最近ソロでやっているときはマイク・パフォーマンスの比重が多くなってきているんですよ。それに自分でダブをかけながら、エフェクターで低い声を使うときもあるんですけど、最近は素声でもやっていてパンキーに叫ぶときもあったり。それをダブでやっているんです。それを聴いた人が「あまりこういう感じは聴いたことないね」と言ってくれて(笑)。前までは2、3人でやって間を見計らいながらやっていたんですけど、ひとりでドラムやって、シークエンスふたつ持って、ミキサーいじって……となると仕事が多くて、最近は突然全部切って叫んだりして、また全部スタートさせるみたいなことをはじめたんですよ。

ライヴの度合いがどんどん高まっているということですか?

レナ:そうですね。だから2枚目はどうなるんだろうということを話しているんです。性格が変わってきているのかもしれない。言葉にはすごくメッセージがあるのでヘタなことは言えないんですよ。

いまは言葉にも関心があると?

レナ:そうなんです。それは元々あったものなんですが、またここにきて出てきていて、もっとコンセプチュアルになっていくのかなと思っていますね。今回(のアルバム)の最後の曲には声を入れているんですけど、2枚目へのバトンタッチのような気がしていて、あれは声そのものを音として処理しているんですけど、次はもっと声や言葉が意味を持ってくるのかなとも思っています。

クリス・カーターがギャルシッドを気に入ったのは、きっとギャルシッドの音が冷たいからだと思うんですけど、それは意識して出したものなのですか? それとも自然に出ているものなんですか?

レナ:意識はしていないですね。私自身はあまり冷たいとは思っていなくて(笑)。暴れ馬とか、プリミティヴというイメージでやっているので、音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。
 クリス・カーターがまず言ってきたのは映像だったんです。YouTubeにギャルシッドの紹介ヴィデオを上げていて、それを見て「この音はなんなんだ」と言ってくれたみたいで、「デジタルを使っているのか? 使っていないのか?」とかそんなことを聞いてきたんですよね(笑)。「一応MIDIは使いましたけど……」とか答えたんですけど(笑)。あの人はそこにこだわっているのかな、という感じがしたんですけど、「グッド・ワーク」と言ってくれたので良かったです。昔、DOMMUNEでやったときに、宇川さんが「クリス&コージーだ!」と言っていたんです。そのときのセッションはたしかにノイズではじまっていたんですよ。

ファクトリー・フロアって聴いています?

レナ:聴いていないですね。

UKのバンドなのですが、クリス・カーターがリミックスしているほど好きなバンドなんですよ。最近はミニマルなダンス・ミュージックなんですけど、初期の頃はギャルシッドと似ているんですよね。まさに雑音がプチプチという感じで(笑)。そういうインダストリアルなエレクトロニック・ミュージックはいまいろいろとあるんですけど、もうひとつの潮流としてはPCでやるというのがありますよね。OPNやアルカもそうだろうし、EDMもそうですが、PCが拡大している中で、なぜギャルシッドはモジュラーやアナログにこだわるのでしょうか?

レナ:私の場合は最初にオール・イン・ワン・シンセで体験した階層の深さというのがあって、PCでやるときに操作に慣れればいいんでしょうけど、直感でノブを回すのとマウスでノブを回すというのはちょっと違うんですよね。思ったようにいかなかったりね(笑)。いまこうなんだ!という感覚がマウスやトラックパッドなどのインターフェースだとかなり違いますよね。直感的に動かせないというのが、ひとつのフラストレーションになってしまいますね。
 もうひとつの理由としては、バンドをやって歌を歌っているときにPCを使っていたんですけど、PCがクラッシュしたときほど苦しいものはないということですね(笑)。いまは起動時間がだいぶ速くなったと思うんですけど、でも何かあったときに冷や汗かいちゃう感じとか、どうしようもないときにマイクで「トラブル発生!」とか言いながら繋ぐのも嫌で(笑)。専用機って強いじゃないですか。叩けば治るとかありますし(笑)。

はははは、アナログ・レコードは傷がついても聴けるけど、CDは飛んじゃうと聴けなくなるのと同じですよね。

レナ:そうなんですよ。そこの機能性・操作性は絶対的であって、やっぱり触れば触るほどコンピュータからは遠くなってしまうというか。コントローラーのちょっとのレイテンシーも、音楽のなかではすごく長いんですよね。特にライヴで使っていると、それは私のなかでは大きなデメリットなんですよね。

大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックに関してどのような可能性を感じていますか?

レナ:私はエレクトロニック・ミュージックにこれ以上技術はいらないと思っていて、楽器メーカーの流れを見てもみんなが原点回帰しているというか、昔あったシンセの6つの階層を2つにして全部いじれる場所をむき出しにするみたいな、より操作をシンプルにしていこうという流れがあって、ライヴ性が高くなるように機能する楽器が出てきているんですね。エレクトロニック・ミュージックの可能性としては縮小していく感じはいまのところまったくないじゃないですか。どこで線引きするのかは別としてですけど。

質問を変えますが、ジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけているということで、そこに至った経緯を教えて下さい。

レナ:レーベルがイアンと仲が良くて、レーベルのなかでイアンがジャケを手がけているシリーズがあるんですよ。それは絶対に写真は使わないでグラフィックのみなんですけど、そのラインにギャルシッドを入れるかという話になっていました。夜光という工業地帯で撮った写真をメインに入れたくてお願いしてみたら、とりあえずイアンに見せてみよう、ということになったんです。そうしたら写真をとても気に入ってくれて、おまけに音も気に入ってくれて、即OKが出ました。結構早めにあげてくれたよね。

羽田(マネージャー):そうですね。

レナ: 「ギャルシッド」というロゴを入れているんですけど、あれは手書きでやっているみたいです。

あのカクカクの文字って彼のデザインの特徴のひとつでもあるのですが、たぶんずっと手描きなんじゃないでしょうか。

レナ:それを知らなくて、すごく失礼な質問をしちゃったんですけどね(笑)。

本当はもっと冒頭に聞くべきだったのですが、〈デトロイト・アンダーグラウンド〉からリリースすることになった経緯を教えて下さい。

レナ:オーナーのケロとはデトロイトの別のレーベルと契約していた頃からの知り合いで、私がやっていることには前から注目してくれていて、彼の友達のジェイ・ヘイズが東京に来るときにも連絡をくれたりして、ずっと繋がっていて、同レーベルのアニー・ホールが日本に来たときにうちにずっと泊まっていたんですよ。そんな経緯もあって、私のやっていることもケロはよく知っていて、「アルバムを出すことを考えているんだよね」と言ったら、「うちから出そうよ。とりあえず作ってやってよ」と手放しに喜んでくれて、その後に音源を聴いて、それでそのままリリースしたんですよね。でもあのレーベルの中でも今回のアルバムは異質だと思います。あそこのレーベルはもうちょっとグリッチ系なんですけど、私は全然グリッチしていないので(笑)。

確かに(笑)。ちなみにカール・ハイドとは何かプロジェクトをする話はあるのですか。

レナ:話だけではそうなっています。私で止まっているんです。連絡しなくちゃ(笑)。「俺が歌うよ」と言われたんですけど、「ギャルシッドが歌?」って話しになって、「じゃあギター弾くよ」と言われて、「ギター弾くとうるさくない?」と返したら本人は爆笑していました(笑)。どうやってコラボするんだろうという感じなんですけど、それもまた面白いところかなと思っていますね。でもすごくミュージシャン・シップを大事にしている方だったので、「お蔵入りなんていっぱいあるよ。U2とのやつもお蔵入りだからね。そういうものなんだって」と励ましてくれたんですけど。彼は人とやるということの大切さを語っていて、確かにそれで違う自分を発見できたりもするので、いろいろやってみたいなとは思っています。

最後に、ギャルシッドの今後の予定をお聞かせ下さい。

レナ:12月2日に渋谷ヒカリエでボイラールームに出演しますね。あと、カセットテープで『ヘルツ』のヴァージョン違いをCDと同じ〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉から出す予定です。来年にはボイラールームを皮切りに海外でやることが多くなるので、いまはその準備という感じです。

—galcid Live Information—

10/23 (Sun) Shibuya Disk Union 4F (Workshop & Live) with Hisashi Saito
11/11 (Fri) Contact Tokyo
11/26 (Sat) Shinjuku Antiknock
12/02 (Fri) Boiler Room at Shibuya Hikarie

more info:
https://galcid.com/

宇多田ヒカル - ele-king

情愛の濃さを一方的に注いでいる状態、全身的に包んでいて、相手に負担をかけさせない慈愛のようなもの、それを注ぐ心の核になっていて、その人自身を生かしているものを煩悩(ぼんのう)というのです。……愛という言葉はなんとなく、わたくしどもの風土から出て来た感じがしませず、翻訳くさくて使いにくいのでございますが、情愛と申したほうがしっくりいたします。そのような情愛をほとんど無意識なほどに深く一人の人間にかけて、相手が三つ四つの子どもに対しても注ぐのも煩悩じゃと。石牟礼道子「名残りの世」

 ポップ・ミュージックにおける「わたし(I)」と「あなた(YOU)」をめぐる歌は、たいてい「ラヴ・ソング」とくくられがちなのだけれど、そこでの「愛」はセックスの欲望をふくんだ恋愛関係だけに限られるものではけしてなくて、セクシャルな欲望よりももっと大きく、深く、強い感情もそう呼ばれる。慈愛……なんていえば聞こえはいいけれど、人は生まれて、必ず死ぬから、その愛も必ずいつか断ち切られる痛みをともなう。水俣公害の苦難を描いた『苦海浄土』で有名な熊本土着の作家、石牟礼道子は、ネガティヴな仏教用語をほがらかに裏切った民衆の言葉づかいで、その愛を「ぼんのう」と肯定的に呼んだ。それはこの国の大衆=ポップの言語感覚だ。

 インタヴューなどではっきりと語られているように、この『Fantôme』には、3年前に急逝した宇多田ヒカルの実母の存在、というか不在が横たわっている。もちろん歌は歌だし、言葉は言葉だ。ポップ・ミュージックに見いだされる意味はいつだって複数あって、それらはときにアーティスト本人のなかでさえ不確かに重なり合いながら発せられ、オーディエンスに受け取られる。このアルバムで生々しさを増した彼女のヴォーカルは、あくまで普遍的なメロディと言葉に落としこまれることで、ポップ・ソングとしての透明な強度を保っている。とてもパーソナルで、シリアスなモティーフを扱っているのに、とても開かれていて、ぞっとするほど優しい。

 いつか彼女がフェイヴァリットとしてあげていたのは、コクトー・ツインズやPJハーヴェイ、シャーデー、それに実母である藤圭子といったシンガーとともに、アトムス・フォー・ピース、フランク・オーシャン、最近ではOPNとハドソン・モホークの手を借りてアノーニへとトランスフォームしたアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズといった名前だった。それでなんとなく、復帰後のアルバムはポップ・ソングの形式を前衛的に溶解させるものになる可能性もあるのかなと思ったのだけれど、このアルバムのたたずまいは、あくまでクラシカルでオーセンティックだ。多くの曲でエンジニアとしてクレジットされているのはスティングやU2、昨年のグラミーで4部門を受賞したサム・スミスなどを手がけたスティーヴン・フィッツモーリス。マスタリングはスターリング・サウンド。ベースになっているのは丁寧に音響処理された生楽器の演奏、彼女自身の手によってプログラミングされた電子音、それに静謐でドラマティックなピアノだ。

 『Fantôme』は宇多田ヒカルの8年半ぶりのオリジナル・アルバムということになるけれど、その長い沈黙を意識したことがない人間でも、彼女の名前と顔、そしてその声を知っている。前世紀末にピークを迎えた20世紀の大衆音楽の巨大産業化の波は、日本では「Jポップ」と呼ばれるムーヴメントとして現れた。そのスター・システムの最大で、おそらく最後の申し子。平成日本のポップ・スター。

 21世紀になってCDの売上がごっそりと減り、音楽シーンの断片化が進み、ストリーミングの普及によってさらに流動的な多極化が進む現在、「ポップ」という言葉を定義するのはますます難しくなりつつある。それでも、1990年代末に物心がついていた世代で、彼女の声をまったく聴いたことがない人間というのは日本にたぶん存在しない。本当に存在しないかなんてわからないけれど、わからなくてもそう言わせてしまうのがポップ・スターというものだ。15歳でデビューした彼女は、アルバムを重ねるごとにシンガーとしてだけではなく、自分自身に対するプロデューサーとしても成長していった。名実ともにポップ・フィールドの頂点にいるのに、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべながら。宇多田ヒカルはやがて2010年に「人間活動」を宣言し、表舞台から姿を消した。

 このアルバムはリリース直後、アメリカのiTunesで6位にチャート・インした。かつて全編英語詞でのぞんだ2枚のアルバムが商業的には苦戦したことを考えれば、ほぼすべて日本語で歌われるこのアルバムのチャート・アクションは驚くべきことだ。ティンバランドやトリッキー・スチュアートといったプロデューサーを起用したそのアメリカ進出のアルバムについて、彼女が強く感じた違和は、英語による詩作よりも、自分の作品に自分以外の声を入れること、だったそうで、それはこれまでの彼女のアルバムがいつもどこか密室的な空気を漂わせていたことと無関係ではないと思う。その宇多田ヒカルがこのアルバムに自分以外の人間の声を歓迎した。元N.O.R.K.の小袋成彬、椎名林檎、そしてKOHHだ。クレジットで確認する限り、KOHHは唯一、声だけではなく言葉をこのアルバムに捧げている。

 そういえば彼女のアメリカでのアーティスト・ネームは、「UTADA」だった。ファースト・ネームじゃなくファミリー・ネーム。すでに2012年に発表されていた“桜流し”をのぞけば、アルバムのクライマックスと呼ぶにふさわしい“忘却”に招かれたKOHH。彼もまた、幼い頃に死別した実父のファミリー・ネームを名乗る人物だ。著名な音楽一家で英才教育をうけ、10代のなかばでポップ・スターになったニューヨーク帰りの帰国子女と、父親との死別と母親の薬物中毒を赤裸々に歌いながら日本のアンダーグラウンドなトラップ・ミュージックの立役者となった、北区王子の刺青だらけのラッパー。いかにもメディア好みの組み合わせだし、間違いなく現在の日本のポップ・シーンで最大級の事件ではある。けれどここにあるのは、それぞれに周囲から押しつけられる「特別さ」に背を向け、手ぶらでみずからの根源的な喪失の経験に向き合おうとする、ふたりの人間の誠実な姿だ。

 みな望んでこの世界に生まれてくるわけではない。誰も生まれる家族や場所を選べない。突然ある国に、ある家族に、ある肉体に産み落とされ、ある言語を、人種を、国籍を、セクシャリティを、肌の色を、からだの形を受け入れることを強いられる。どんなに普遍的に表現しようとしても必ずある特定の言語に縛られてしまう「言葉」を、誰もが感覚的に感知できる「音」へと変換することを「歌」と呼ぶなら、歌とは、不自由な世界で自由であろうとする意志のことだ。

 リード・トラックは宇多田自身の手によってプログラミングされたシャープで吹っ切れたダンス・ポップ、“道”。フックの「It’s a Lonely Road, but I’m not Alone」という嗚咽のような切実なリフレインは、リズムに乗ったファルセット・ヴォーカルの軽快さによって引っ張られつつ、直後の「そんな気分」でチャーミングにはぐらかされる。まるでタトゥーのように心の傷跡を引き受けること。不在という形の存在=ファントーム(幻/気配/亡霊)というアルバム・タイトルの秘密は、ここであっけらかんと明かされる。

 ダブル・ベースに誘われた濃厚なバンド・セットで共依存的な男女をロール・プレイする“俺の彼女”。歌声のトーンと一人称を使いわけ、空虚なマチズモをフェミニスト的な視線でアイロニカルに戯画化するのかと思いきや、それだけではなく、見せかけの強さと共犯関係にある、ほの暗い内面のもろさを描く。重なり合わない男女のモノローグの並列は、ストリングスをバックにしたスリリングな欲望を訴えるフックをはさんで、振り出しの男の語りに巻き戻され、宙吊りのまま終わる。この曲のクライマックスにフランス語で忍ばされた「永遠(L'éternité)」をめぐる関係性のモティーフは後半、ヘルマン・ヘッセを呼び出しながら勇ましいホーンを響かせるファンク・チューン“荒野の狼”では逆に、今度はお互いに交差することができずに「永遠の始まりに背を向ける」人間同士の孤独として変奏される。

 ヒップホップ的なリズム・セクションで始まり、インコグニートのベーシストが心地よくベースを滑らせる“ともだち”は、本人がインタヴューでLGBT的な問題系を意識して作曲した、と発言したことで一部で話題になっている。きわめて保守的なジェンダー観をかかげる自民党の政治家までがレインボー・プライドのパレードに顔を出す現在、そうした解釈が可能なポップ・ソングが日本語圏で歌われること自体はそこまで驚くべきことじゃない。けれど、ポップスの社会的インパクトが歌詞のメッセージうんぬんを超えて、それが誰によって、どんな場所で鳴らされるかによって現実を揺さぶるパワーを生み出すのだとすれば、この曲はやはりとてもアクチュアルだ。

 この夏、都内のあるロースクールで同級生による同性愛のアウティングによって命を絶った青年の事件が明るみに出た。遺族の会見での言葉、あえて公開されたプライベートなLINEでのやりとりのディティールなど、いまだこの社会に蔓延するセクシャル・マイノリティに対する無理解の残酷さを痛感させる出来事だった。小袋成彬の深みのあるヴォーカルをバックに、あくまで軽いトーンで口にされる「君に嫌われたら生きていけないから」というボーイ・ミーツ・ガールのクリシェは、ボーイ・ミーツ・ボーイにも、ガール・ミーツ・ガールにも、あらゆる関係性にむけて開かれることで、ひどく生々しい痛みを表現してしまっている。それにしても、「ハグ」と「キス」のあいだの無限の距離をじれったく逡巡する歌声、口には出せない嫉妬や性的なファンタジーをほのめかす言葉、そんな葛藤を無視して悪戯っぽく欲望を煽るホーンのアレンジ……社会的なコンテクストうんぬんを抜きにして、まずはポップスとしての緻密な魅力をこの曲が持っているからこそ、そこにはあらゆるアイデンティティを超越する力が宿っているのだ。

 もっとも力の抜けたストレートなヴォーカルを聴かせる“花束を君に”は、オフコースやチューリップを意識してソング・ライティングされたというオーセンティックな葬送曲だけれど、それは「薄化粧」というワンフレーズで匂わされるだけ。それにアルバムで最初に完成させたという、悲恋の歌のようにも聴こえる追悼歌“真夏の通り雨”の、コーラスと呼ぶにはあんまりな言葉をリフレインしながらのフェード・アウト。爪弾かれるハープの響きに夢のあわいから拾ってきたような詩を並べる“人魚”は、左右のチャンネルに丁寧に振りわけられたドラム・パターンの絶妙なズレが心地よく鼓膜を撫でる。

 “二時間だけのバカンス”でデュエットする椎名林檎とはいつかカーペンターズの“アイ・ウォント・ラスト・ア・デイ・ウィズアウト・ユー”をデュオでカヴァーして以来のオリジナルの共演だ。この曲自体が、切実なモティーフにあふれたアルバムのなかで、それこそ古くからの友達に誘われて出かけたような解放感に満ちている。そしてある1曲をはさんでラストの直前、サム・スミスの“ステイ・ウィズ・ミー”でも響いていたシルヴェスター・アール・ハーヴィンの抜けのいいスネアに後押しされ、彼女のソロ・ヴォーカルが跳ねる“人生最高の日”。「歓声にも罵声にも拍手喝采にも振り返んない」というラインは、KOHHがフランク・オーシャンの“Nikes”への客演で披露した「自由にする/まるでパリス・ヒルトン」という、毎分毎秒、何億万分の一の出会いの可能性を祝福するラップの転生した歌声のようにも聴こえる。

 ラスト・ナンバーは“桜流し”。仏教的な諸行無常の死生観、本居宣長以来のその日本ヴァージョンとしての「桜」というモティーフ。繰り返す生と死……いや、それでも決定的な死はある。「もう二度と会えないなんて信じられない」からのぞっとする絶望と諦観は、このトラック・リストの最後に置いてしまえば、どうしてもアルバムの核に置かれた、家族をめぐる喪失のストーリーを連想させてしまう。けれどこの曲はその決定的な出来事の前に発表されているのだ。あらゆる別れはひとつの死であること。すべての葬送は生き残った者たちのためのセラピーであること。この曲が、まるでその喪失にむけて歌っているように聴こえてしまうことは、なによりも彼女のソング・ライティングの普遍性を物語っている。

 そして作品が他者に開かれたという意味でも、アルバムを通じたハイライトといっていいだろうKOHHとの“忘却”。最初はノイズだと思った。クリアに、そして重く鳴る心臓の音。すぐにアンビエント的に風景を覆い尽くすストリングスが鼓膜を支配して、後ろでピアノが踊り、曲の三分の一がそのまま過ぎる。前触れもなくヴォーカルが入る。「好きない人はいないもう/天国か地獄」。黄達雄(KOHH T20)という強烈な固有名詞は、「三歳の記憶」、「二十三年前のいい思い出」という記号的な数字にそっけなく置き換えられる。「思い出せないけど忘れられないこと」について韻律をたどる男の言葉に亡霊のように女の声がよりそい、やがてラップが途切れると、女の声が生々しく実体化する。「熱い唇/冷たい手/言葉なんて忘れさせて」。次のヴァースでぶっきらぼうに女の背中を押すラップは、「吐いた唾は飲むな」、「男に二言はない」といった男性的なジェンダー・ロールを裏切り、ラストのオルガンにのせた「いつか死ぬとき手ぶらがベスト」という彼女のパンチラインに引き継がれる。ふたりの声は、ぎりぎりまで接近して、だがはっきりとは交わらず、ただ言葉だけがダイアローグをつなぐ。足をすくうベースの低音の浮遊感に抵抗するかのように、心音はいつのまにか力強いドラムスに変わっている。

 日米のヒップホップにおけるラップの主流が、セルフ・ボースティングによるマチズモと具体的な固有名詞を駆使したリアリズムをベースとしていることを考えれば、ここでのKOHHのラップはひどく特異だ。最近の彼のラップ、たとえば『DIRT』シリーズ以降のいくつかの曲の英訳に目を通すと、ほとんどヒップホップのリリックとは思えないほどのアブストラクトさを実感する。「女と洋服と金」というトラップ・ラッパーとしての彼のマテリアリズムとは真逆の、スピリチュアル・ミュージックとしてのラップ。時代のアイコンであることを背負わされたポップ・スターが、ごくごくパーソナルな喪失の経験に生身で向き合う、その最奥の現場で、あまりに人間的なリアリティを歌ってのし上がったラッパーが、これまでにないスピリチュアリティに接近している。ここにあるのは、ポップ・スターのロール・プレイでも、ヒップホップ的な成り上がりのストーリーでもない。

 このアルバムを語る際、しばしばイギリスのアデルが引き合いに出されているようだ。それは国民的なポップ・スターとしての存在感、という意味ではなるほど頷けるものの、しかしすくなくとも純粋に音楽的にいえば、どちらかといえばコンサヴァティヴなたたずまいのアデルに比べて、卓越したグッド・リスナーとして吸収したエッジーな音楽的要素を独自に消化し、普遍的なポップスに組み上げる宇多田ヒカルの手腕は際立っている。そのことを別にすれば、そういえばアデルの大ヒット曲“ホームタウン・グローリー”は、そのサンプリングをネタにイギリスの各地のラッパーたちがそれぞれの地元をレプリゼントする曲をYouTubeに発表するストリート・アンセムになっていた。それはたしかに、日本のヒップホップ・シーン界隈での宇多田ヒカルの根強い人気にもオーヴァーラップする。PSGのPUNPEEがDOMMUNEでのスペシャル・セッションで示したように、ニューヨークのハードコア・ラップのキング、ナズが“ザ・メッセージ”でサンプリングしたスティングのあの“シェイプ・オブ・マイ・ハート”のギター・フレーズは、ここ日本では、「二人で靴脱ぎ捨てて、はだしで駆けていこう」という“NEVER LET GO”の彼女の甘い歌声とともに記憶されているのだ。

 そして、デビューしたばかりだったKOHHの“MY LAST HEART BREAK”での、“SAKURAドロップス”のサンプリング。スキャンダラスなラインとヴィデオばかりが話題になりがちだけれど、あそこでKOHHは、ひどく猥雑なラップの隙間で、「これが最後のハート・ブレイク」という原曲の歌詞を「これが最後の傷だから平気/自分に言い聞かせる」というリリックでさりげなく引き継いでいた。「壊れない心臓」という歌い出しで始まるあの曲が、登場時のKOHHのまるで内面を欠いたエイリアンのようなメンタリティの誕生を記録した曲だったとすれば、ふたりの新たなフェーズを予感させるこの曲でのセッションは、飛び交うハイプとはまったく無関係なところで、やはり記念碑的な意味を帯びている。

 「宇多田ヒカル」というひとりの人間について語ろうとすれば、天才と呼ばれるその才能であるとか、特殊といえば特殊なその生い立ちであるとか、どうしても特別なドラマがつきまとう。もちろんポップ・ミュージックはそうしたバックグラウンドさえ原動力にしてさまざまな感情をオーディエンスから引き出すものだ。けれどここにあるのは、誰もが誰かの子であり、ときには父や母となり、そして誰しもいつかは喪失を経験する、というシンプルなリアルだ。普遍的な喪失の経験に向き合おうとするこのアルバムの誠実さを、もしドラマティックと呼ぶのなら、どんな人間の生もドラマティックなのだ。彼女のパーソナルなセラピーの記録でもあるこのアルバムは、大切なのは「特別であろうとすること」じゃなく、「自由であろうとすること」なのだと教えてくれる。世界の不自由さをいったん受け入れ、それでもそこには「自由になる自由がある」と。宗教思想においては煩悩と呼ばれる愛も、諸行無常の死生観も、しなやかに飲みこんで笑ってみせる大衆音楽=ポップスのぞっとするような力がここにはある。

 2016年、カニエ・ウエストにせよビヨンセにせよフランク・オーシャンにせよ、話題作をリリースしたトップ・アーティストたちはいずれも、リリース形態そのものがアート表現の一部であるといっていいような動きをみせていた。そうでなくても、この日本ではポップ・アイコンに否応なくつきまとう「物語」への消費欲望だけをあっけらかんとアンプリファイしてCDの売り上げに結びつけるセールス方法が定着してひさしい。データ配信やストリーミングの普及と、アナログ・レコードへのフェティッシュな回帰のはざまで、CDというメディアは過渡期のものとして衰退していく運命にあるとの声もあるほどだ。そんななか、彼女は特典もなしのフィジカルCDとiTunesによる配信という、とても素朴なフォーマットでこのアルバムをリリースした。そこには、自分の音楽に対する自負……というよりは、なにかもっと力の抜けた、大げさにいえば、自分を取りまく世界に対する信頼のようなものを感じる。

 宇多田ヒカルが愛読しているという話もある小説家、中上健次の音楽論はけっこうデタラメなものも多いのだけど、もっとも印象的に記憶しているもののひとつに、耳と音にかんするものがある。耳は目や口と違い、閉じることができない感覚器官だ。しかも脳にいちばん近い。だからそれはもっとも脆く、それゆえ聴覚とは生命や霊のヴァイブレーションをもっとも鋭敏に感じとる器官なのだ……と彼は真剣に論じていた。冗談のようなその熱弁にならうなら、このアルバムでもっともスピリチュアルな場所で鳴らされる音は、生命のヴァイブレーションそのものである、心臓のたてる鼓動だ。誰も自分の心音を直接に聴くことはできない。鼓動を聴くためには、誰かの胸に耳を押しあてる必要があるし、鼓動を聴かせるのなら、誰かの頭を胸に抱く必要がある。聴くこと、聴かせることは、誰かを信じることなのだ。

Frank Ocean - ele-king

あなたの表面に浮かぶ印
あなたのしみだらけの顔
傷ついたクリスタルが
あなたの耳からぶら下がって
あなたの怖れは 僕には計り知れなかった
僕は仲間たちには 共感できない
本当は 外側で生きたい
ここにいて 頭がおかしくなるくらいなら
むしろ僕のプライドを粉々に砕いた方がましだ
たぶん僕は馬鹿なんだ
たぶん僕は移動するべきなんだ
どこか落ち着けるところへ
二人の子供たちとプール
僕は臆病者だ
僕は臆病なんだ(★1)

 ポップソングが持つ、既存のフォーマットに絡め取られず、果てしなく自由であること。ルールで固められたホームの、遥か上空を浮遊すること。彼が臆病でないことは、このアルバムの作りを見れば分かる。彼は移動する。

 彼は内側から外側へ移動する。あるいは境界線を移動させ、外側を内側に引き入れる。しかし内側と外側は、見方ひとつで反転してしまう。

 17の名前が付けられたピースたちは、典型的なR&Bの楽曲の長さと比較して、不自然なほど長くてもいいし、逆に短くてもいい。それはシンガーソングライターのソロ・アルバムだが、必ずしも、常に歌声が聞こえていなくてもいい。ビートは、何らかのテンポを刻むが、ダンスフロア向けにチューニングされていなくてもいい。それが、外側で生まれたこのアルバムの色。歌モノのクリシェの外側へ、彼が移動することで拾い上げた、ブロンド色。

 何かを拾い上げたということは、何かを捨てたということだ。フランクが捨てたものたち。そのひとつ。バックビートに打ちつけるスネア。もしくはバックビートをひとつのカテゴリとするビートそのもの。現代的なR&Bの世界の内側がこれまで共有してきたバックビートを疑うこと。結果、中盤から後半にかけて、スネアとキックなき楽音がビートを刻むプリミティヴな風景が展開する中、途中キックとスネアの世界観に回帰する“Close To You”のどこか牧歌的な響き。

 一拍目のキックで沈み込む身体を引き上げるスネア。抑圧された欲望を解放するクラップ。言い換えれば、目の前のあなたを抱き締めることの、あるいは殴りつけることの表象としてのスネア。これらのクリスピーな因子たちを沈黙の沼の底に放置することで、示す、反動。

 あるいはぶつ切りにされ、突発的に挿入されるコラージュのサウンド・ピース群。ティム・ヘッカーやOPNが弄ぶ時空の歪みが、随所に配置された60分超の音の連なり。たとえば“Nights”や“Godspeed”の曲中で肌触りが異なるピースが導入されたときの、あなたの驚きの表情、あるいは好奇心に満ち、仄かに潤んだ瞳の輝き。カーテンが引かれる動作とともに、突然喜怒哀楽の価値が入れ替わったり、心地よさの定義が転覆されたりする世界。

 尺の長い曲と短い曲のふるまいの、圧倒的な差異。まずは、長い曲。弾き語りの楽曲は裸体だ。その裸体に、どのように布をあてがって、隠しながら曝け出し、ラインを強調し、あるいは輪郭を霧で包むかを探求しているのが、フランクのプロダクションだ。ドライな音場でピアノやギターに伴奏される彼の歌声は、あなたが手を伸ばせば、触れられるほど、そこにある。一方で、深い残響音の支配する音場で、彼の歌声は、あなたの目が届かないところまで離れゆく。リヴァーブやディレイは、あなたとの距離を測る物差しだ。いや、そもそもラヴ・ソングというもの自体が、あなたと誰かの距離を測る観測機なのだから、フランクが投げかけるサウンドの肌触りに、あなたは素直に近さや遠さを感じればいい。

 次に、尺の短い曲。たとえば、アンドレ3000のライムで埋め尽くされた“Solo (Reprise)”。フランクはどこで何をしているのか。そこにあるのは、アンドレのライムと、フランクの不在を証明するビート。不在のピアノコード。彼を象徴する歌声を不在とすることのオーラにより、逆に存在感を強調すること。マイルスがトランペットを置いて、オルガンを叩いた“Rated X”のように。セカンド・アルバムにして、すでに不在でいられることへの驚嘆。

 マガジン付属版のオープニングを、加工したヴォイスと日本人のラッパーのライムで飾ること。「君たちを預言者にしてあげる/まずは未来を見てみよう」と歌うフランクに、「今しかない時間/大事にしな/何憶万人も/いい人ならいるよ」と返答するKOHH。逆にKOHHのヴァースの「誰かのことを/誰も縛れはしない/他人の心」というラインに、フランクはアルバムを通して対峙している。人はそれぞれが、他人には計り知れない「怖れ」を抱えている。

 2012年、フランクは4つ前の夏の記憶、つまり19歳のときの夏の記憶をネットで世界に向けてカミングアウトした。彼は、自分と同じ19歳の青年を前にしたその時の状況を「絶望。逃げ場はない。その感情とは交渉の余地はなかった。選択の余地もなかった。それが初恋だった。それが僕の人生を変えた」と記した。

1942年生まれ、ニューヨークはハーレム育ちのアフロアメリカンでゲイのSF作家、サミュエル・R・ディレイニーは、ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」を批判する論考である「サイボーグ・フェミニズム」の中で次のように述べている。

ひとつの立場から、私は読む。
ひとつの立場から、私はこの読みかたには何かが欠落しているように思う。
かくて、私はひとつのテクストを──テクストのシミュレーションを──ひとつの立場からもうひとつの立場へ手渡す。私のものとはいいがたい借りものの立場から、あなたのものともいいがたい立場へ。このテクストは私のところへ回ってきたが、あなたもまたこれを誰かに手渡すだろう。(★2)

フランクがこのアルバムで模索し、示そうとしているのは、過去に描かれたことのない、歌と、感情と、愛と、人間のあり方だ。かつてディレイニーが僕たちの外側の生物/機械や世界を描いたテクストで、それらを探究したように。フランクは、外側との境界線を軽々と跨ぎながらも、友人や恋人との関係を通して、人は自己の意識の内側、そして皮膚の内側に留まらざるをえないという事実を繰り返し突きつけられる。そして“Be Yourself”ではロージー・ワトソンによってピア・プレッシャーの無化が諭され、“Solo”では「So low」な自身の内側において、孤独=soloであることの高み=ハイになることのポジティヴネスが探られる。

しかしフランクが“Nikes”という楽曲において、ひいてはこのアルバムにおいて証明していることがある。70億の二乗で示される組み合わせから、28歳のルイジアナ育ちのLAのシンガーと、26歳の王子のラッパーのヴァースが連結されることで、何が見えるのか。その、目も眩むような、確率の脆弱さ。そして、その吹けば飛んでしまいそうな確率が生き延びたことで現れた、外側と内側を重ね合わせることで生じるランドスケープの新奇さ。そして、あなたは気付くかもしれない。あなたの日常における他者との出会いも、実は、このように新奇な風景を更新しているのだという事実に。それぞれの怖れは個別のものでも、その怖れから生まれる言葉は共有されうる。他人の内側の怖れは共有できずとも、その怖れから生まれた言葉=テクストは他者に手渡され、外側で書き足され、組み合わさる。その組み合わせに、賭けてみること。

一光年の距離はどのくらいだろう

アルバムはこの言葉で締め括くられる。フィーチャリング・ゲストを単純に並べただけではない、言葉の組み合わせ。ケンドリック・ラマー、ビヨンセ、アンドレ3000、KOHH、ジェイムス・ブレイク、キム・バレル、セバスチャン、そしてフランクの弟や友人の家族、つまり他者の言葉=テクストが有機的に、しかし都度交わらない確率に晒されながら組み合わされたアルバムの、最後のライン。アルバム最後の曲“Futura Free”は、メインの楽曲の後、途中40秒間の空白を挟んで、ノイズ塗れの会話群がコラージュされる。その中で、最後に聞き取れる言葉。ひとつの問い。アフロ・フューチャリズムの想像力が、現在の方向に折り畳む未来。折り返された現在にプロットされた未来が、あるアーティストや作品に、突如として、顔を覗かせることがある。

ディレイニーは、前述の引用部に引き続き、次のように記している。

おそらく、それは移行に関するシミュレーションにほかならない。
読むことによって、我々はそれを食い止めるのだろうか?
読むことによって、我々はそれとともに歩むのだろうか?(★3)

フランクは、移動の目論みをこのアルバムに落とし込んだ。あなたは、このアルバムをどう読んでもいい。いかようにも解釈して、あなたの言葉=テクストを付け加えてもいい。そのために、“Futura Free”の40秒間の空白が、あなたを待っているのだから。

★1:フランク・オーシャン『Blonde』(2016年)より“Seigfried”。
★2、3:巽孝之編『サイボーグ・フェミニズム』2001年、水声社。

吉田雅史

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大勢が僕たちを嫌ってるし、僕たちが存在しなければいいと願っている
──フランク・オーシャンのタンブラーより

 6月12日の夜は眠れなかった。フロリダ州オーランドのゲイ・クラブで49人が殺された銃乱射事件の続報を次々に追っているうちに気がつけば朝になり、精神的にすっかり参ってしまったのだ。そのひと月前にたまたまゲイ・クラブに遊びに行っていた僕は、自分が被害者になるところを……ホモフォビアの凶悪犯に殺されるところを想像した。あるいは逃げ惑う自分を。それから少し経って、犯人がクラブの常連であったことからゲイもしくはバイセクシュアル男性であった可能性が高い(というか、確実にそうだろうと自分は思う)ことが報じられると、いっそういたたまれない気持ちになった。僕は自分が加害者になるところを……自分が同性愛者だと受け入れられず、自己嫌悪とルサンチマンに駆られてホモフォビアに囚われる自分を想像した。自分が被害者にも加害者にもなりえる世界に、いまなお生きている現実を突きつけられた気分だった。そして考えても詮ないことが頭をよぎった。犯人は、フランク・オーシャンの『チャンネル・オレンジ』を聴かなかったのだろうか……と。

 『チャンネル・オレンジ』は、オーシャンが自分の失恋を赤裸々に綴り、歌うことでそれを乗り越えていこうとするところで終わるアルバムだった。そうして自分の恋を葬送し、自身を受け入れる作業でもあった。“フォレスト・ガンプ”……それはラヴ・ソングにおいてはごくありきたりの失恋の物語だったはずだが、青年が青年に抱いた恋心について描かれていたために、ブラック・ミュージック/ポップ・ミュージックを更新する1曲と「なってしまった」。彼自身は自分の表現において、自分自身に正直でありたかっただけだ。社会に何かを強く訴えるとか、自分がきっかけとなるとか、そういうことは優先して考えられていなかったはずだ。僕もあの曲を、あのアルバムをそう捉えていた。
……だから、オーランドの銃乱射事件からしばらく経って、冒頭で引用したメッセージをオーシャンが事件を受けて発表したとき、僕は少し驚くとともに鋭く胸を突かれたような気がした。迷うことなく、「We」「Us」という人称を使っていたその熱のこもった文章に。その時点で発表されていた新作のタイトル『ボーイズ・ドント・クライ』──ザ・キュアーの引用──がどうして複数形なのかようやくわかった。それは反語だ。「僕たち」は、いつだって泣き続けているのだと。僕がフランク・オーシャンを聴いているといつも感じるのは、マイノリティとはたんに人数が少ないということや「属性」のことではない、ということだ。

 散々待たされてようやく発表されたヴィジュアル・アルバム『エンドレス』、そしてそれに続いた『ブロンド』は、「We」「Us」についての作品集だ。虚実入り乱れるストーリーテリングを特徴としていたそれまでの作風に比べ、より内面的で、よりパーソナルな度合いが高まったとされるが、自分には聴けば聴くほどに「僕たち」や「わたしたち」の音楽に思えてくる。膨大かつ多岐にわたるコントリビューター/インスピレーション元のリストのせいもある。ジャンルをやすやすと越えて行き来する音楽性によるところもある。よりエモーショナルな声で歌われている痛みや傷が、とことん赤裸々であるがゆえに生々しいからでもあるだろう。たとえば1曲め、“ナイキス”──あまりに感傷的で、あまりに美しいオープニング・ナンバー──ではエフェクトのかかった声が「RIP トレイヴォン」と告げる。もちろん、銃殺されたトレイヴォン・マーティンのことだ。「RIP トレイヴォン、僕みたいなニガー」。このナンバーのエクステンデッド・ヴァージョンでは、そして、KOHHのラップに引き継がれる。あるいはまた、タイラー・ザ・クリエイターとファレル・ウィリアムスがクレジットされている“ピンク+ホワイト”では涼風を感じるようなスムースな演奏に乗せて自身の生い立ちが綴られているが、それは後半ビヨンセとの現在のポップにおいて最高にリッチで眩しいコーラスとなって表現される。また、ギターの弦の震えが優しげな“スカイライン・トゥ”では夏の記憶がケンドリック・ラマーの客演をさりげなく加えながら映し出される。イントロのキーボードの響きがいかにもフランク・オーシャンらしいバラッド“ホワイト・フェラーリ”ではビートルズの“ヒア、ゼア・アンド・エヴリホウェア”が、“ジークフリード”ではエリオット・スミスが引用されている。それらは彼自身が想いを寄せてきた/寄せているアーティストたちやミュージシャン、シンガーが総動員されたものであり、彼の内面世界に溶け込んでいる。これまで以上にR&Bやソウルの囲いをあっさりとはみ出る音楽的な幅広さにかかわらず、統一感があるのはそのためだろう。そもそもアートワークがヴォルフギャング・ティルマンス──90年代のアンダーグラウンド・ゲイ・カルチャーを現代アートの領域まで拡張したドイツの写真家──だという時点で、フランク・オーシャンというひとがアメリカのメインストリームにおけるブラック・カルチャーの枠を大きく外れた感性のひとだということがわかる。
 叶わなかった恋、ドラッグ、SNS時代における虚しいリレーションシップ、子ども時代の記憶と肉親への想い、ポップ・スターとしての空虚さや孤独……『ブロンド』における音楽的/文化的な折衷性や多層性は、フランク・オーシャン自身の感傷を中心としてかき集められたことによるものだ。それは彼の弱さや正直さからできている。ポップ・スターもアンダーグラウンドの新鋭も、肌の白いひとも黒いひとも黄色いひとも、生きているひとももう死んでしまったひとも召喚されて、ここで息を吐き出したり音を鳴らしたりしている。オーシャンの心の震えが、それら大勢の人間の表現と少しずつ共鳴している。その、少しずつ、という感覚こそがフランク・オーシャンのポップ・ミュージックだと思える。彼の音楽にとっての「僕たち」とは、彼が説明されるときにしばしば言われる「ゲイもしくはバイセクシュアル男性」、ではない。たくさんの、本当にたくさんの人間たちの吐息のことだ。

 このアルバムのムードを端的に示しているのがラスト2曲だろうか……とくにビートレスの“ゴッドスピード”は出色だ。ゴスペルのコーラスは、しかしカットされ、ときにピッチシフトされてどこかしら不完全でいびつなものとして響いている。それにどこまでもセンチメンタルな鍵盤と歌──存在しなければいいと願われている僕たちが、しかしそれでも存在していること。多様性やダイヴァーシティなんて言葉を政治家が声高に叫ぶ現在において、それでも行き場所を見つけられない人間たちの逃げ場所が『ブロンド』だ。いまこのときも燃えさかる憎悪を一瞬だけでも忘れられるように、そこでは少しばかり苦しそうに、だが慈しみをこめて、「I will always love you」と歌われている。

木津毅

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DJ Earl - ele-king

 OPNがシカゴのフットワーク/ジュークにおける重要レーベル〈テックライフ〉の作品に参加していること自体が事件だが、それはいまや超売れっ子のテクノ・コンセプチュアル・アーティストがゲットー・ミュージックにアプローチしているから事件なのではなく、シカゴのフットワーク/ジュークというスタイルが、ゲットーに閉じることなく他との接触を好み、そして拡張していることが事件なのだ。このところCDでしか買っていなかったぼくもさすがにヴァイナルで(しかフィジカルがないので)買いました。何故なら、才能あるDJラシャドが他界して、そしてシカゴのフットワーク/ジュークのリズム/手法はさんざんいろいろなところで引用/消費されていて、この先どうなんだろうと思っていたところに、『Open Your Eyes』はそのタイトル通りリスナーの「目を開かせ」、この音楽を延命させたと言えるだろうから。また、アフリカ系アメリカ人をめぐる政治的状況が、もはや一触即発を越えているこのとき、こうした異種混合(ハイブリッド)をやってみせるところにパーティ・ミュージックのもっとも理想的な考えが具現化されていると解釈するのは、飛ばしすぎだろうか。
 
 OPNが関わっているのは全8曲中3曲だが、その3曲はやはり面白い。シニカルに言えば、知性派は得てしてストリートのワイルドネスに過剰な憧れを抱きがちだが、ダニエル・ロパティンは、理性的に彼らのファンクネスに色味を加えているだけではなく、明らかに彼らの可能性を押し広げている。とくに“Let's Work”という曲がそうだ。いっぽうDJアールのほうでも、たとえばTaso(昨年ジェシー・ランザとコラボしている)との共作“Smoke Dat Green”なる曲は、直球なその曲名と、そしていかにもフットワーク/ジューク的な声ネタ・チョップを使いつつ、しかしその展開はドラムンベースを取り入れたDJラシャドの遺産を継承しながらも、それでは飽き足らないと言わんばかりにハウスやテクノを吸収し、さらにもっと前に進んでやろうじゃないのと言っているようだ。それはたとえば、ジョージ・クリントンが〈ブレインフィーダー〉から作品を出すような、よき方向に向かっているということなのだろう。

 昔ながらのシカゴ・ハウス・ミュージックのファンにとって、「オープン・ユア・アイズ」といえば、マーシャル・ジェファーソンのあの曲である。ジェファーソンはそこで、ハウス・ミュージックには真実へと目を開かせる力があることを主張したが、DJアールは、フットワーク/ジュークというスタイルそれ自体が見開いていることを証明した。これを聴けば、キミの目も開かれるだろう。

Motion Graphics - ele-king

 2010年代、アンビエント・ミュージックは変貌を遂げている。アンビエント・ミュージックは環境の音楽なのだから、時代や環境が変われば別のものになる。当然のことだ。いつまでも1978年のアンビエントや、1991年のアンビエントや、2007年のアンビエンス感覚が通用するわけではない。

 となれば「ポスト・インターネット以降の音楽」というものは、つまるところ「2010年代以降のアンビエント・ミュージック」の問題に還元される。インターネットはわれわれの環境だからだ。

 われわれが生きている環境は30年前とは違う。かつてはテレビや雑誌、ラジオが情報メディアの主流であったが、現在は、アイフォーンやタブレット、PCなどのインターネット・デバイスが情報摂取の主流になってきている。それほど、デジタル・デバイスは日常に浸透している。

 これは換言すれば、生活に情報が「過剰」に浸透した時代ということになる。情報がそのまま環境化された社会。環境が情報の流出によって生成されている社会。このような社会=時代において「情報」の音楽であるポップ・ミュージックと「環境」の音楽であるアンビエント・ミュージックは限りなくイコールになる。過剰な情報環境の中で、両者の境界線が融解し、侵食され、80年代から90年代までのジャンル分けがほぼ無効になった。

 そう、いまや情報=環境なのだ。「ポスト・インターネット的音楽」や「OPN以降」とは、そういった時代の音楽=アンビエンスも意味するのでないか。

 そして、モーション・グラフィックスのファースト・アルバムもまた無数のデジタル・デバイスに囲まれた時代特有のアンビエント・ミュージック=ポップ・ミュージックといえよう。より正確には、そういったイメージを喚起する音である。

 結論へと先を急ぐ前に、彼の経歴を簡単に説明しておこう。モーション・グラフィックスは、ニューヨークのジョー・ウィリアムズの変名である。本作はそのファースト・アルバムだ。 シングルは〈フューチャー・タイムズ〉から送り出されたが、アルバムは〈ドミノ〉からのリリースである。

 モーション・グラフィックスとしてはファースト・アルバムだが、ウィリアムズは2007年にホワイト・ウィリアムズ名義でインディ・ダンスなアルバムをリリースしている。また、マキシミリオン・ダンバーのメンバーとしても知られている。さらにはマックス・D率いるレーベル〈フューチャー・タイムズ〉のコア・メンバーでもある。マックス・Dとは、昨年リリースされたコ・ラ『ノー・ノー』(〈ソフトウェア〉)の共同プロデュースを手がけている。くわえて、ウィリアムズは、〈パン〉から発表されたマックス・Dとコ・ラのユニット、リフテッド『1』にもサウンド・エフェクトで参加した(モーション・グラフィックス名義)。私見だが、同アルバム特有のアトモスフィアはウィリアムズの功績が大きいのではないかと思う。

 端的にいって、この二作は「OPN以降」の重要作であった。そして『モーション・グラフィックス』もまた(やや、遅れてきた?)「ポスト・インターネット」「OPN以降」的な作品といえる。

 収録された楽曲は、坂本龍一を思わせるフランス印象派的な和声が印象的な80年代風ポップ・ミュージックをベースにしているが(「高橋ユキヒロ」作品の影響も強そうだ)、加工されたロボ・ヴォイスによるヴォーカルやメロディなどから、どこかプラスティック・ソウルな印象もある。場合によってはジャズの雰囲気も感じる。だが、それらはすべて夢想的な電子音楽が基調となっているのだ。

 だが、もっとも重要な特徴は、トラック内に散りばめられたデジタル・デバイスの発する音=ノイズなどが多層的にレイヤーされている点にあるように思える。サウンド・レイヤーのコンポジション。これは非常に現代的な特徴だ。

 たとえば4曲め“エニィウェア”のイントロはアイフォーンの着信音のようなサウンドだし、9曲め“メゾティント・グリス”や10曲め“ソフトバンク・アーケイド”などはオフィス内に響くキータッチのような音がレイヤーされている。ほかにも水の音から何かをたたく音、ピアノなどの楽器音から鳥の声のようなものまで、さまざまな日常的なサウンド・エレメントを本作から聴きとることができるだろう。そして、それらのサウンド・エレメントは、徹底的に整理され、本作特有のアンビエント/アンビエンスがコンポジションされているのだ。

 この数学的なまでに整理された清潔な音響空間のアンビエンスは、われわれ現代人にとって夢想/理想的環境といえよう。不要な情報に塗れた現代人は流出された情報の層が、きちんと整理・管理された空間を希求するものだ。ノイズを排除するのではなく、ノイズをコンポジションすること。いまやノイズは抵抗の手段ですらない。このような時代において旧来のノイズ・ミュージック論が無効になるのはいうまでもない。

 私は本作を聴いて、ロケーション・サービスのアルバムを思い出した。「人間」のいない世界のアンビエンスが鳴り響いているからだ。だがそれはディストピアですらない。なぜなら情報が管理され、人間による混乱が希薄な世界は、われわれの夢想でもあるのだから。本作はそんな2016年のアンビエンスを反映した現代的なポップ・ミュージックといえよう。人工的で、儚く、インターネットの楽園=夢の表象のような音楽。

 いや、そもそも、クラフトワーク以降のエレクトロニック・ミュージックは、人間の「ロボット」化を希求してもいたのだから、この「人間が希薄化したポスト・インターネット的なアンビエンスを生成する音楽」こそ、テクノ=ポップの理想の実現といえるのかもしれない。

Fábio Caramuru - ele-king

 好むと好まざるとに関わらず、音楽は直感的に時代を反映し、ときに奇妙に変化する。気がつけば、それは“いまこの時代”の作品の傾向として現れる。今日のアンダーグラウンド大衆音楽/インディ・シーンにおけるひとつのキーワードに「ニューエイジ」がある。え、ニューエイジだって? そう、ニューエイジだ。宗教的なものとは限らないが、ときに精神世界に言及する。瞑想的で、そして多くは自然回帰願望音楽であり、癒しの音楽として機能する。
 ジョアンナ・ブルークは、70年代にロバート・アシュレーやテリー・ライリーに学んだほどの現代音楽畑の出で、初期シンセサイザー・ミュージックの実践者のひとりでもあるが、彼女が商業的な成功を収めたのはニューエイジ・ミュージックの分野においてだった。80年代初頭に彼女は海や白鳥や宇宙、ヒーリング・ミュージックの作品を発表している。そして、この80年代こそが商業音楽としてのニューエイジ・ミュージックが最初に売れた時期でもある。
 だが、長い間、たとえ売れても、ニューエイジ・ミュージックはいかがわしいものとして、他の大衆音楽とは一線を引かれていた。ことユース・カルチャーとリンクするロックのような音楽、とくにストリート・ミュージック、あるいはシリアスな(アドルノ先生の言うところの)純音楽的な立場からは胡散臭いものとして見下されていたのが実情だった。ジャズや現代音楽ではなく、水晶やお香と同じ棚に並べられることのほうが多かったかもしれない。
 だからマシューデイヴィッドの昨年の『In My World』におけるニューエイジへの傾倒に対して戸惑いを感じたのはぼくだけではないだろうが、しかしこの方向性は、じつはここ数年のアンダーグラウンド大衆音楽/インディ・シーンを聴いている人にはわからなくもなかったはずだ。なにしろ一時期のOPNにもその感覚があり、かつてのエメラルズには自然回帰願望が如実にあったし、そのギタリストだったマーク・マッガイアのここ最近のソロ作品はニューエイジ色が充満しまくり、マシューデイヴィッドが今年〈リーヴィング〉から出した『Trust the Guide & Glide』にいたってはニューエイジそのものだ。こんな状況下で、今年の夏前にリリースされたジョアンナ・ブルークにとっての初の編集盤、CD2枚組の『Hearing Music』(CDのステッカーにはがっつり「ニューエイジのパイオニア」と記されている)がアンダーグラウンド大衆音楽/インディ・シーンで注目されるのも必然だと言えよう。(プロデューサーは『I Am The Center (Private Issue New Age Music In America, 1950-1990) 』(2013年)のDouglas Mcgowanで、同コンピレーションにはブルークの曲も収録されている)

 最近、『FACT mag』にこうした「ニューウェイヴ・オブ・ニューエイジ」に関するとても興味深い論考が上げられた。以下、部分的にざっくりとだが要約してみよう。
 「ニューエイジは80年代に流行っているが、基本的にはシリアスな音楽ファンから軽蔑されてきた。しかしそれは、政治的混乱と環境問題が重なったレーガン時代のアメリカで流行っている。テクノロジーが人間の私生活に深く入り込み、睡眠さえも贅沢になりかねない今日において、人は起きている時間のほとんどを資本主義に奉仕する。ニューエイジの復活は、鬱病を抑止する瞑想テクニックへの関心、あるいは不眠症対策のアプリや瞑想アプリへのニーズの高まりと関係している。それは、不安をかき消すためのサウンドトラックとして機能している」
 この記事で面白いのは、ここ1年のハウス・サウンドに見られるニューエイジ的な音響を紹介しつつ、他方で「ニューウェイヴ・オブ・ニューエイジ」におけるヴァイパーウェイヴとのリンクを指摘しているところだ。あのレイドバックしたまどろみからは、レトロ志向やノスタルジア以上のものが見えやしないかと。そして、「ニューエイジは、概して非政治的で、市場経済に取り込まれやすいということは知られているが、Sam Kidelの『Disruptive Muzak』は、雇用年金省のヘルプラインに電話したときの応答を録音/コラージュすることで、ニューエイジ的音響でありながら批評的/政治的とも言える作品となっている」と、「ニューウェイヴ・オブ・ニューエイジ」の豊かさを主張する。
 そこまで広げて考えるなら、今年リリースされたサン・アロウとララージとのコラボレーション作品『Professional Sunflow』もこの潮流に該当するだろう。1980年に〈EG〉からデビューしたララージは、まさに80年代のニューエイジ・ブームの時代に活躍したミュージシャンのひとりで(先述した『I Am The Center』にも収録されている)、たとえ『Professional Sunflow』がインプロヴィゼーション・ミュージックであっても、サン・アロウとララージが共演すること自体が時代を物語っているし、また、ララージのニューエイジ的な思想性よりも音響的な好奇心が優先するその作品を聴いていると、「ニューウェイヴ・オブ・ニューエイジ」がゴシック/インダストリアルと同じカードの裏表つまりディストピアに対するユートピアという単純な構図にいるものではないこともわかる。しかし、ここに意味や脈絡、切実さがないとは言わせない。

 ジョアンナ・ブルークは学生時代、スタジオの外に出てはコオロギの声を録音していたというが、ブラジルはサンパウロのピアニスト、ファビオ・カラムルの『エコ・ムジカ』にも、さまざまな動物たちの声がコラージュされている。聴こえるのはピアノの音と動物の声だけで、アルバム全体として“自然”が主題となっているそうだが、その響きがニューエイジにありがちな超現実的というわけではない。楽曲たちは牧歌的でありながら時折軽快で、素朴だが洒落ていて、ブルースからクラシック、モーダルから無調までと多彩な演奏はさり気なく、テンポが遅いわけではないがエリック・サティ的で、アンビエントなフィーリングによってまとめられている。ニューエイジ・コンセプトではあるが、日常と地続きの何気なさがこの作品の魅力であり、ぼくが気に入っている理由でもある。
 このアルバムは「ニューウェイヴ・オブ・ニューエイジ」とは何の関係もないところから出てきているが、はからずとも時代を象徴する1枚になった。安らぎに飢える北半球のアンダーグラウンド大衆音楽の誰かが聴いていても不思議ではない。仕方がないだろう、心休まる時間帯は、現代ではますます貴重になっているのだ。


Brian Eno × Dentsu Lab Tokyo - ele-king

何もかもが俗悪きわまる再版であり、無益な繰り返しなのである。過去の世界の見本がそのまま、未来の世界の見本となるだろう。ただ一つ枝分かれの章だけが、希望に向かって開かれている。この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所で我々がそうなっていることである、ということを忘れまい。 オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』浜本正文訳

 ブライアン・イーノ? ああ、なんか有名なじいさんね。アンビエントだっけ?──若いリスナーたちにとってイーノとは、もしかしたらその程度の存在なのかもしれない。しかし、実際の彼はそんなのんきなご隠居さんのイメージから最も遠いところにいる。2016年のブライアン・イーノは、たとえばアルカやOPNと同じように切実に、「いま」という時代のアクチュアリティを切り取ってみせようと奮闘しているアーティストのひとりである。いま彼が試みていることは、あるいはフランク・オーシャンが実践するような複合的な展開、あるいはビヨンセが体現するようなポリティカルなあり方、あるいはボウイの死のようなインパクト、そのどれにも引けを取らない強度を有している。
 4月末にリリースされたイーノの最新作『The Ship』は、歌とアンビエントを同居させるというかつてない音楽的実験を試みる一方で、そこに大胆に物語性をも導入するという、これまでの彼のどのアルバムにも似ていない野心的な作品であった。そしてそれはまた、タイタニック号の沈没および第一次世界大戦という出来事を「いま」という時代に接続しようとする、非常にポリティカルな作品でもあった。そのような複合性を具えた同作は、『クワイータス』誌が選ぶ2016年上半期のトップ100アルバムのなかで5位にランクインするなど、各所で高い評価を得ている。

 去る9月15日、『The Ship』のタイトル・トラックである "The Ship" の新たなミュージック・ヴィデオ「The Ship - A Generative Film」が公開された。
 とにかくまずはデスクトップのブラウザから、この特設サイトにアクセスしてみてほしい

トレーラー映像

 このヴィデオでは、イーノとDentsu Lab Tokyoとのコラボレイションによって開発された「機械知能(Machine Intelligence)」が、"The Ship" にあわせて自動的かつリアルタイムに、一度限りの映像を生成していく。あらかじめ20世紀の様々な歴史的出来事を学習させられた「機械知能」が、刻々と更新されていく世界中のトップ・ニュースを解釈し、それに類似した過去の出来事をピックアップして新たな映像を生み出していく、というのが本ヴィデオ作品の大まかな仕組みである。サイトへアクセスした瞬間に新しい映像が自動的に生成されるため、われわれはその時々でまったく異なる映像を視聴することになる。
 画面の左側では、ロイターやBBCの最新の記事がリアルタイムで更新されていく。画面の上部では、その記事の写真から「機械知能」が連想した過去の様々な写真が召喚され、ランダムに配置されていく。更新されるニュース写真とそれに基づいて召喚される過去の写真は、互いに何らかの関連性を有したものであるはずだが、必ずしも同じような出来事を記録したものであるとは限らない。要するに、「機械知能」が最新の写真を見て、それをあらかじめ記録された膨大なデータ=「記憶」と照合し、何か他のイメージを連想していくのである。したがって、そのプロセスには「誤認」の発生する余地がある。
 たとえば人は月を見たとき、そこに単に地球という惑星の衛星としての天体を認識するのではない。ある者はそこにウサギの影をみとめ、またある者はそこにカニの影をみとめる。それは、観測者が自らの所属する文化の体制に縛られて無意識的におこなってしまう、創造的な「誤認」である。では、はたして「機械知能」にもそのような「誤認」をおこなうことが可能なのか──それが本ヴィデオ作品のメイン・コンセプトである。

 このアイデアの一部は、すでに『The Ship』でも試みられていたものだ。表題曲 "The Ship" の二つ目のパートである "The Hour Is Thin" は、マルコフ連鎖ジェネレイターがタイタニック号の沈没や第一次世界大戦に関連する膨大な文書を素材にして自動的に生成したテクストを、俳優のピーター・セラフィノウィッツが読み上げていくというトラックであった。今回のヴィデオ作品はいわばその映像ヴァージョンであり、"The Hour Is Thin" で試みられていた偶然性の実験をさらに推し進めたものだと言えるだろう。
 イーノはこれまでも『77 Million Paintings』といった映像作品や、『Bloom』、『Trope』といったスマホ用アプリなどで、決して(あるいは、可能な限り)繰り返しの発生しない映像表現や音楽表現の探究を続けてきた。それは「ジェネレイティヴ(生成する)」と呼ばれる着想であるが、本ヴィデオ作品もそのような試行錯誤の径路に連なるものである。それは、ある何らかの制約のもとで能う限り偶然性や一回性を追求しようとする手法であり、あるいは、ある何らかの秩序のなかでいかにその秩序から逸脱するかを思考しようとする手法である。そのように「ジェネレイティヴ」な探究の最新の成果として公開された本フィルムは、何よりもまずブライアン・イーノという作家によって提出されたアート作品なのである。

 だが、このヴィデオ作品のポテンシャルはそこにとどまらない。本ヴィデオ作品が興味深いのは、「ジェネレイティヴ」という技術的な手法が、世界の報道記事とリアルタイムで関連付けられているというところである。つまりこのヴィデオは、極めて政治的な作品でもあるのだ。たったいま発生した出来事も実はすでに過去に起こったことの繰り返しなのではないか、いや、完全に同じ出来事が生起することなどありえないのだから、仮に繰り返しのように思われる出来事が起こったのだとしたらそれはあくまで「誤認」によって恣意的に過去の出来事が捏造されたにすぎない、いや、しかし「誤認」が発生するということは少なくとも過去の出来事と現在の出来事との間に何らかの類似点が存在するということではないか、いや、……。
 これは、まさに『The Ship』というアルバムが喚起しようとしていたことである。本ヴィデオでは「機械知能」による「誤認」を通して、たったいま人間がおこなっていることとかつて人間がおこなったこととの間に、強制的に回路が繋がれる。そのサンプルのひとつが、『The Ship』ではタイタニック号の沈没と第一次世界大戦であったわけだ。それに加え、一度として同じ画面が立ち上がることはなく、常に異なる映像が紡ぎ出されていくという趣向も、『The Ship』がかけがえのない「個性」の亡骸を拾い集めようとしていたことと呼応している。
 本ヴィデオ作品は、一度CDやヴァイナルという形に固定されてしまった『The Ship』を、再び偶然性や一回性の荒波のなかへと解放する作品なのである。

 さらにこのフィルムが興味深いのは、そのように「ジェネレイティヴ」な映像が、われわれを音楽へと立ち返らせる契機をも与えてくれる点だろう。次々と生成されてゆく映像に目を奪われていたわれわれは、しばらく時間が経った後に、ふとそこで音楽が鳴っていたことに気がつく。われわれが映像を見続け、「これは何の写真だろう?」、「これは最新のニュースとは何も関係がないのではないか?」などと思考している間、その背後ではずっと "The Ship" が鳴り続けていたのである。積極的に聴かれることを目的とせず、周囲の環境(この場合は、デスクトップの画面)への注意を促す──これは、まさにアンビエントの機能そのものではないか。

 このフィルムにはあまりにも多くのテーマが組み込まれている。テクノロジーの問題、アートの問題、音楽の問題、政治や社会、歴史の問題。このヴィデオ作品を通してわれわれは、それらの問題について「いま」という時間のなかで考えざるをえない。
 正直、『The Ship』という作品をここまで発展させてくるとは思っていなかった。イーノの探究は衰えるどころか、ますますその先端を尖らせている。今年われわれはボウイというスターを失ったが、まだわれわれはイーノという知性を失っていない。われわれはそのことに感謝しなればならない。(小林拓音)

BRIAN ENO

Dentsu Lab Tokyoとのコラボレーションが生んだ
「機械知能」が生成するミュージックビデオ
「The Ship - A Generative Film」を公開!
制作の裏側を紐解いたインタビュー記事も公開!

人類というのは慢心と偏執的な恐怖心(パラノイア)との間を行きつ戻りつするものらしい:我々の増加し続けるパワーから生じるうぬぼれと、我々は常に、そしてますます脅威にさらされているというパラノイアとは対照的だ。得意の絶頂にありながら、我々は再びそこから立ち戻らなければならないと悟らされるわけだ…自分たちに値する以上の、あるいは擁護しきれないほど多大な力を手にしていることは我々も承知しているし、だからこそ不安になってしまう。どこかの誰か、そして何かが我々の手からすべてを奪い去ろうとしている:裕福な人々の抱く恐怖とはそういうものだ。パラノイアは防御姿勢に繫がるものだし、そうやって我々はみんな、遂にはタコツボにおのおの立てこもりながら泥地越しにお互いと向き合い対抗し合うことになる。
- ブライアン・イーノ

アンビエントの巨匠、ブライアン・イーノが、最新アルバム『The Ship』のコンセプトでもあるこのステートメントを出発点に、テクノロジー起点の新しい表現開発に取り組む制作チーム「Dentsu Lab Tokyo」(電通ラボ東京)とともに、人工知能(AI)の可能性を追求する先鋭的なプロジェクトとして発足。最新楽曲「The Ship」に合わせて、映像が自動的かつリアルタイムに生成されるミュージックビデオを本プロジェクトの特設サイト上に公開された。

BRIAN ENO’S THE SHIP - A GENERATIVE FILM
https://theship.ai/

*特設サイトの視聴環境
携帯端末向けには最適化されておりませんので、ご覧いただくためには、下記パソコン環境でのブラウザーを推奨します。
Windows >>> Google Chrome(最新版)、Mozilla Firefox(最新版)
Macintosh >>> Safari 5.0以降、Google Chrome(最新版)、Mozilla Firefox(最新版)

トレーラー映像はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=9yOFIStVuRI

本プロジェクトは、AIを「人間の知能」と対比し、その違いを際立たせるために「機械知能」(Machine Intelligence:MI)と名付け、機械が人間のようなクリエーティビティーを発揮できるかを模索するものとして発足。人類共有の外部記憶ともいえるインターネットから、20世紀以降のエポックメーキングな出来事を記憶として大量に学習させた機械知能を構築し、世界的な報道機関が運営するニュースサイトのトップニュースを見て、記憶と照らし合わせながら類似する事象を解釈し、どのような映像を生み出すのかを追求したプロジェクトである。

特設サイトにおいては、アクセスした瞬間に映像が生成されるため、来訪者ごとに視聴できるミュージックビデオが異なり、訪れる度に唯一無二の作品として、楽曲が持つ世界観とともに人々の感性を刺激し続ける。

またWIRED.jpにて制作の裏側を紐解いたインタビュー記事が公開中。
https://wired.jp/special/2016/the-ship/

The Shipについて
もともとは3Dレコーディング技術を使った実験から創案され、相互に連結したふたつのパートから成り立つブライアン・イーノ最新アルバム。美しい歌、ミニマリズム、フィジカルなエレクトロニクス、すべてを知り尽くした書き手が綴る物語、そして技術面での新機軸といった数々の要素を、イーノはひとつの映画的な組曲へと見事に纏め上げ、キャリア史上最もポリティカルな作品にして、過去の偉大な名盤たちのどれとも似つかない傑作である。ボーナストラック「Away」が追加収録される国内盤CDは、高音質SHM-CDを採用し、ブライアン・イーノによるアートプリント4枚が封入された特殊パッケージ仕様の初回生産限定コレクターズ・エディションと、紙ジャケット仕様の通常盤の2フォーマットとなり、いずれもブックレットと解説書が封入される。

Dentsu Lab Tokyoについて
新しいクリエーションとソリューションの場であると同時に、研究・企画・開発が一体となった“創りながら考えるチーム”でもあるDentsu Lab Tokyoは、2015年10月1日に始動。これまでの広告会社のアプローチとは全く違う、テクノロジー起点の新しい表現開発に取り組んでいる。
キーワードはオープンイノベーション。電通社内のみならず、社外の提携アーティストやテクノロジストとも協働しながら、広告領域にはとどまらない分野のクリエーションとソリューションを手掛ける。

https://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Brian-Eno/BRC-505/


TOYOMU - ele-king

 驚きはいつも突然やってくる。カニエ・ウエストの新作が出たばかりの頃、おそらく世界の多くの人間がgoogleにそのスペルを入力し、検索エンジンをかけたのだろう。すると、そこには、ほとんど無名の日本人青年がでっち上げた『The Life of Pablo』が出たのだった。あるいは誰かがそれを発見して、ツイッターで瞬く間に広がったのかもしれない。
 『印象III : なんとなく、パブロ (Imagining "The Life of Pablo")』と題されたそれについて「悪ふざけの極みだった」とTOYOMUは述懐しているが、しかしその作品自体が(ジョークを含めて)魅力的作品だったことは、翌日即アップされた海外メディア(FACT、ピッチフォーク、BBCほか)の反応からも伺える。TOYOMUは、たったひとりでインターネットとサンプリングを利用するという最高にヒップなやり方で、一夜にして世界の耳を自分の音楽に傾けさせたのだった。
 こんな知能犯を放っておく手はない。〈サブ・ポップ〉や〈ミュート〉のライセンスで知られる〈トラフィック〉が、TOYOMUと契約を交わし、いよいよデビューEPをリリースすることになった。タイトルは『ZEKKEI』(絶景)。
 TOYOMUはトーフビーツと同じ世代で、彼と同じようにヒップホップを聴いてトラックメイキングをはじめている。つまり、彼のバックボーンはヒップホップなのだが、TOYOMUの音楽からはレイ・ハラカミ的な叙情性やコーネリアス的な遊び心とファンタジーが聴こえる。あるいはまた、彼の音楽は、OPN、ARCA、あるいはアッシュ・クーシャやハクサン・クロークともリンクしている(そう、いまの時代の響きを有しているってこと)。

 『ZEKKEI』は11月23日にリリース。この大いなる一歩、心地よく、喜びをもたらす作品集を逃すな!


Hudson Mohawke vs James Blake - ele-king

 8月半ば、ハドソン・モホークとジェイムス・ブレイクとの間で興味深いやりとりが交わされた。そのやりとり自体はよくあるミュージシャン同士のビーフで、つまりは単なるゴシップなのだけれど、「コラボとは何か?」という問題を提起するものでもあったので、簡単に経緯を記しておきたい。

 ことの発端は、あるひとりのファンが「ハドソン・モホークとジェイムス・ブレイクとのプロジェクトが必要だ」とツイートしたことにある(8月11日23時16分)。そのツイートを受けてハドソン・モホークは、フランク・オーシャンとだけでなくジェイムス・ブレイクともデモ作りをおこなっていたことを明らかにした(8月11日23時43分。オーシャンの名前が挙がっているのは、昨年末、オーシャンのために作ったとされるハドモーの音源がリークされて話題になったことが念頭に置かれているため)。その音源が日の目を見ることになるかどうかは不明だが、これ以上トラブルに巻き込まれたくないハドモーは、「何もリークするつもりはない」とツイートを続ける(8月12日0時21分)。
 その後ジェイムス・ブレイクは、このハドモーの発言を真っ向から否定するツイートを投稿する。「彼には才能があると思うけど、ぼくはハドソン・モホークと仕事をしたことはないし、彼が何のことを話しているのかわからない。敬意を表しつつも、困惑している」(8月13日3時10分)。
 この発言を受けてハドモーは、ブレイクがハドモーの音源を用いていくつかのことを試みたが、それが失敗に終わったこと、またハドモーはフランク・オーシャンとも一緒に仕事をしたが、それも失敗に終わったこと、そしてそれらが日の目を見ることはおそらくないが、もしそうなったら最高だということを連投し(8月14日23時27分)、「これを証明しないといけないなんて信じられない」というコメントとともに、ブレイクから送られたと見られるeメールのスクリーンショットを公開した(8月15日4時58分)。そこには、2014年2月5日という日付とともに、「きみが送ってくれたビートでいくつかのことを試してみたけれど、うまくいかなかった。すまない」という内容が記されていた。
 これに対しブレイクは、長めに書かれたメモのスクリーンショットを直接ハドモー宛てに送信する(8月15日8時50分)。

あーもう、頼むよ。そうさ、ぼくはその音源を聴いて、丁重にお断りした。2年経ってきみは、リークできる何かがあるような段階までぼくらがコラボしたという考えを仄めかしている……? [それなら]きみが持っているものをリークしたらいい。ぼくのヴォーカルや入力のないきみ自身のビートをリークすることになるだろうけどね。ぼくらが一緒に仕事をしたことはなかった。そのことを神に感謝するよ。ぼくは自分の音楽をきみに預けることなんてできないからね。もしきみが音楽をリークすると脅かし続けるなら、いずれ、もしくはそうすることができると仄めかすだけで、すぐに誰もきみに音楽を預けなくなるだろう。もう一度言う……困惑している。

 これに対しハドモーは、「帰ったら連絡する。プライベートに話そう」と返信している(8月15日10時30分)が、ここで唐突にOPNがふたりのやりとりに介入している。OPNはハドモーとブレイクの両者に宛てて、「去年の夏きみたちが何をしたか、ぼくは知っている」と記された映画『ラストサマー』の画像を添付し、白紙のリプライを送信(8月15日13時29分)。その後ハドモーは「ジェイムスとは何の問題もない」とツイートし(8月15日17時07分)、事態の収束を図った。

 行き違いはふたつある。ひとつは、ハドモーの「デモを作った」、「自分のビートを使ってブレイクが作業した」という発言内容を、ブレイクが「一緒に仕事をすること」すなわち「コラボ」としては見做さなかったということ。もうひとつは、ハドモーの「音源が日の目を見たらいいのに」という願望を、ブレイクが「音源をリークするぞ」という脅しとして受け取ったということ。このふたつが絡み合って、どんどん話がこじれていったのである。まあ要するによくある誤解の積み重ねなのだけれども、それが『ピッチフォーク』をはじめとする様々なメディアに取り上げられることで大きな騒動へと発展してしまったわけだ。
 そういった表面的な行き違いの部分、あるいはふたりの間の感情的なしこりを無視して、「コラボした/していない」という点にのみ着目すると、興味深い問題が浮かび上がってくる。
 ハドモーはブレイクにビートを送った。ブレイクはそれを使って色々と試みたが完成には至らず、最終的に作業を断わった。したがってハドモーは、完成品はもちろん作業途中の音源さえもブレイクから受け取っていないのだが、ハドモー的にはこの時点で共同作業=コラボが成立している。ハドモーのビートを用いてブレイクがあれやこれやと格闘したのだから、それはもう共同作業=コラボでしょう、というわけだ。他方ブレイク的には、制作が途中で行き詰まりトラックが完成しなかったので、共同作業=コラボは成立していない。
 つまり今回のビーフは、コラボレイションという概念に関して、過程を重視するかそれとも結果を重視するか、という争いだったのである。誰かが作ったものに別の誰かが手を加えたら、たとえ作品が未完成であったとしてもその作業自体はコラボである(ハドソン・モホーク)。最終的に作品が完成しない限り、誰かが作ったものに別の誰かが手を加えたとしてもその作業はコラボではない(ジェイムス・ブレイク)。はたして共同作業=コラボとは過程のことなのか、それとも成果のことなのか?
 文化的なものは、たとえそれが物理的にはたったひとりの手によって生み出されたものであったとしても、多かれ少なかれ過去の様々な遺産や他者とのコラボレイションである──たしかにそうなのだけれど、そういった大きな次元の話ではなく、もっとプラグマティックなレヴェルで「コラボとは何か?」ということを考えるとき、今回のハドソン・モホークとジェイムス・ブレイクとの論争は非常に示唆に富んだやりとりだったのではないだろうか。(小林拓音)

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