「OPN」と一致するもの

いまは深い意味をもって聞こえてしまう“新世紀のゴスペル”、しかし、イヴ・トゥモアの新作には、危険な時代を生きていくうえでの重要項目も表現されているのではないだろうか。脱線しながら、久しぶりの音楽談義をしてみました。

木津:イヴ・トゥモアの〈Warp〉2作めの最新作『Heaven To A Tortured Mind』、ぼくはかなり驚きました。前作『Safe In The Hands Of Love』ですでに大きく舵を切っていたとはいえ、ここまでポップに振りきれるのか、と。 サウンド的にエレクトロ、IDMもあるもののかなり後退して、ロック・アルバムと言っていいも内容です。 コンボ・スタイルのトラックも多いし。前回の対談で野田さんがすでに指摘されていましたが、グラム全開ですよね。

野田:しかしそれはちょっと前までの、人類がCOVID-19の危険に晒される前の時代のモードでもある。カニエ・ウェストとレディ・ガガとイヴ・トゥモアにも共通する感覚、グラムだったね、グラム、だからあのときあれほどグラムだって言っただろうが!

木津:はい(笑)。しかしだとしたら、なぜグラムを時代が要請したのでしょう? グラムということはパンク以前の、70年代前半のけばけばしい装飾性であるとか、いかがわしさ とか、ナルシシズムとか、ジェンダー規範を外れていく感じとか……そういったものが参照されるムードがあったということですよね。

野田:カニエ・ウェストとレディ・ガガ、あるいはグライムスなんかにも共通するのはナルシズムだけど、まあ90年代は自然志向や匿名性の時代だったし、自意識やナルシズムの類は悪しきモノと解されていたから、そうした前時代への反動もあったんだろうね。ディーン・ブラントは鋭かった。「ナルシズム」というキーワードをちゃんと出していた。クイーンだってグラムなわけだけど、イヴはボウイやマーク・ボラン的なグラムの本質に迫っているんじゃないのかな。スタイルと言うよりはコンセプトとしてのグラム。たとえば、もともとIDMファンを唸らせていたイヴが〈PAN〉から出したセカンドでいきなり我が姿をさらしたところに象徴されたよね。以前までIDMといえばテクノのコアな志向を内包していて、つまり顔よりも音だった。しかし、イヴやアルカみたいな人たちは、オウテカが死んでもやらないことをやったよね。

木津:そこはやっぱり、2010年代のアンダーグラウンドのクィア・ラップ・シーンやドラァグ・ボールが果たしたことが大きいんだと思います。アルカもイヴもその辺りとすごく密接に関わっていますからね。異物であればあるほど輝ける場所。ナルシスティックでナンボという世界。それはある意味では戦略であり、同時に本人たちにとって切実なものでもある。イヴはミッキー・ブランコ周りから出てきたひとで、いまに至るまですごくファッショナブルな打ち出しをしていますね。ただそこに、ちゃんと説得力がある。

野田:たったいま現在(4月10日)はなかなかナルシズムなんて言ってられない状況だから、これはほんの1か月前までの感覚で言うけど、クィアであれ何であれ、自分を晒す、まあ素顔は晒さないけど装飾的に自分を晒すということは、SNSの匿名文化が一般化した時代のひとつの面白いアンサーとも言える。ちなみにイヴは昔チルウェイヴのバンドに関わっていたんでしょ? 

木津:そうですね。ティームズ名義で出した『Dxys Xff』という作品は2012年に橋元優歩さんが「チルウェイヴのその後」とレヴューしていますよ。チルウェイヴ期は00年代末から10年代頭なので、まあ時代的にも合致してますよね。イヴ・トゥモア名義としては〈PAN〉からはIDM寄りの作品を出しているけど、セルフ・リリースの『Experiencing The Deposit Of Faith』はアンビエント。ほかにも名義がいろいろあって、ハウスっぽいことをしていたり、もっとエクスペリメンタル・ヒップホップっぽいものもあったり、〈Warp〉とサインする以前はとくに、とっ散らかっていてよくわからないところもあったんですけど。

野田:チルウェイヴというのは、のちに分析されているように、911ないしはリーマンショックという現実を前にした反応であり逃避主義の表れで、まさにこれがヴェイパーウェイヴにも繋がるわけで、テン年代の音楽における重要な水脈の起点、OPNもヴェイパーウェイヴもやっているけどチルウェイヴのEP出しているし、現在のインディのひとつの起点だよね。ラップがインディおたくと結びついたのもクラウド・ラップが大きかったでしょ。で、イヴがチルウェイヴにリンクしてたことはすごく重要で、それは今作の魅力にも大きく関係しているんだけど、夢見ること、ファンタジーの復権というかね。

木津:なるほど。チルウェイヴはインディ・ロックとIDMの距離を近づけたという意味合いも大きかったと思うんですけど、ヴェイパーウェイヴほどインターネットの匿名性に潜っていかない方向性を選んだ一派は、パフォーマンス性の問題にぶつかったと思うんですよ。たとえばトロ・イ・モワなんかはよりダンサブルな方向に行って、けっこうファンキーなバンドでライヴをやっていたりする。逆にウォッシュト・アウトはそれがあまりうまくいかなかったのかもしれない。とにかく、ベッドルームの夢――いまの野田さんの言葉で言うとファンタジーですよね――をどういう風に肉体性を持たせて再現するかという問題が、イヴの場合は70年代ロックを参照することで昇華されたのかな、と。

野田:グラム・ロックというのは、ロックンロールそのものをやるんじゃなくて、ロックンロールをやることとはどういうことなのかをやる、ソウルそのものをやるんじゃなくて、ソウルをやることとはどういうことなのかをやるという、メタな視点がある音楽だったんだよね。それがイヴにはあると思う。人気作の『Serpent Music』にしても。いまエレクトロニック・ミュージックをやることとはどういうことなのかという視点があるし、いま聴くと意外とチルウェイヴやインディっぽかったりもするんだよね。OPNと併走している感がありながら、OPNにグラムはないからさ。〈蛇の音楽〉という隠喩は、やっぱいろいろ想像を掻き立てるよね。たとえば、異形の者たちの音楽であるとか、ね。気味悪くて美しいとかね。そしていまエレクトロニック・ミュージックに耽溺するのは、そういう者たちであると。これは、やっぱそれ以前のエレクトロニック・ミュージックにはなかった。RDJはそれを逆手にとってたけど。

木津:ふむ。セルフ・イメージのメタ化という意味でも、RDJはたしかにそうですね。いっぽうでイヴは、グラムのサウンドや表層以上に哲学や精神性でリーチしていると。しかし、いまエレクトロニック・ミュージックに耽溺する者たちは、はみ出し者なんだという視点はおもしろいですね。その感覚は野田さんも共有するところなんですか?

野田:残念ながら、ぼくはもう年齢的にそこまでナイーヴになれないんだろう。っていうか、いや、いまはそんなこと言ってられないかも(笑)。そもそもエレクトロニック・ミュージックの世界は、人種やジェンダーから解放された世界でもあるからね。だからイヴの自分の見せ方も、アンドロジニアス的じゃない? 日本語の訳詞が女性言葉になっているのがどうも自分にはしっくりこないんだけど、まあ、敢えて「ボク」でもいいんじゃないかと思う感じかな、ぼくがイヴから感じる感覚は。

木津:日本語はジェンダーの縛りが強い言語ですから、そこは難しいですよね。「女性言葉」というのももう時代遅れなのかもしれない。でも、イヴに ある種の少年性が感じられるというのはすごくわかります。この場合ジェンダーで分けないほうが望ましいので、思春期性というほうがいいかな。それと、野田さんの言うアンドロジニアス的なところ――いまの言葉でいうとノンバイナリー的なところは、スロッビング・グリッスルの存在も大きかったんでしょうね。この間亡くなってしまったジェネシス・P・オリッジはそうした点でも先駆的な存在だったわけですけれど、イヴは音楽を始めたきっかけがそもそもTGですから。インダストリアルはイヴの音楽にかなり入っていますけど、TGからの影響もサウンドの問題に留まっていない。定型や規範を逸脱していくことに自由や美、快楽を見出すという。

野田:へー、TGがきっかけなんだぁ。ドゥリュー・ダニエルもTGだし、TGって、確実にある人たちを勇気づけてるよな。TGもメタ的な音楽だった。イタロ・ディスコそのものをやるのではなく、イタロ・ディスコとはなんなのかをやるというね。小林君とか三田さんみたいに〈PAN〉時代の作品が好きな人は〈Warp〉になってロック色が強くなったことにがっかりしているのかもね。たしかに初期のあのちょっと感傷的で、繊細なエレクトロニック・サウンドはいまでも魅力だし、正直ぼくのなかにもイヴは“Limerence”を越えられているのかという疑問はあるんだけど、そういう感覚はティラノザウルス・レックス時代が良いと言っているファンに近いのかもなとも思う。とにかく彼はいままで言ってきたように音楽へのアプローチがグラム的、つまりメタ的で、だからIDMもやるし、ロックもやるし、R&Bもやるし、ってことだと思う。

木津:なるほど、そう繋がるんですね。ただ、いまでこそメインストリームもジャンル・ミックスの時代だと言われていますけど、イヴの音楽のキメラ的なまでの雑食性や奇形性に、ぼくはもっと切実なものも感じるんですよね 。いまの野田さんのメタの話は納得なんですけど。それこそ、この間三田さんがレヴューを書いていたンナムディもポストロックっぽいことやエクスペリメンタル・ヒップホップっぽいことを同時にやっていてユニークですけど、彼も二重のマイノリティであるブラック・クィアとしての複層的なアイデンティティが音楽性と結びついているようなところがある。自分の存在を特定の音楽では定義できないという。いずれにせよ、イヴの『Heaven To A Tortured Mind』もたんに今回はロックをやりましたっていうことじゃなくて、インダストリアル、チルウェイヴ、IDMといったものを、精神性も踏まえて経由してきたからこそたどり着いた作品だということは言えると思います。あともうひとつ重要な影響元として、ニルヴァーナやクイーンズ・オブ・ストーン・エイジみたいなオルタナティヴ・ロックもあるみたいですね。前作以降とくにそうした部分も出ていますけど、それは自分のナイーヴさやイノセントな部分をさらに隠さなくなったということだと思う。

野田:グラムって、松岡正剛さん的に言うと「もどき」ってことだと思うんだけど、そのものではない永遠の近似性、つまり「にせもの」、しかし、デヴィッド・ボウイがそうだったように、「にせもの」だからこそ「本質」を語れる。ロックンロールもどきだからロックンロールの本質を突いたんだ。「自殺者」というメタファーでね。それからマーク・ボラン的にいえば「スライドする」ということ、つまり「ずらすこと」、「ずらすこと」で見えるモノ、あるいは「にせもの」であり「ずらすこと」で得ることのできる自由、「ずらすこと」で見えるファンタジー、、こうした感覚がイヴにはあって、それは彼のジェンダーにも関わっているのかもしれないけど、それが彼のいう「ロマンス主義」じゃないかと。チルウェイヴってまさにベッドルーム音楽で、逃避的だったし、ヒプナゴジックかつドリーミーであったわけだけど、イヴはそれを生き方にまでしようとしている感じがする、というかそういう迫力が1曲目から感じられる。ま、これはイントロが最高に格好良くて、イントロの勝利。“20thセンチュリー・ボーイ”を意識しているのかもだけど(笑)。

木津:“Gospel For A New Century” 、シンプルなリズムなんだけどブレイクが絶妙で、文字通りのグラマラスなロック・アンセムですよね。イヴって歌のうまさで聴かせるタイプじゃないけれど、だからこそ妖しい魅力が炸裂してる。初期のロキシー・ミュージックがよく引き合いに出されていて、たしかに連想する部分もあるかなと。とにかく新しいアルバムはこのモードで行くんだっていう気概がこの曲に表れてますね。文字通りデモニッシュなミュージック・ヴィデオもカッコいい。Youtubeで再生しようとすると「この動画は、一部のユーザーに適さない可能性があります」と警告が入りますが、危険な香りのする華やかさがあります。

野田:ぼくのなかで初期のロキシーはそれこそ超一流の「もどき」、サイモン・レイノルズは「実現不可能な理想とありえない欲望」って表現していたけど、とにかくロキシーはいわゆる知能犯であってね。アートワークやファッションも含めてコンセプチュアルだし、イヴの華やかさとは違うんじゃないのかな。言いたいことはわかるけどね。イヴはもっとエモーショナルだと思う。切ないところがあるし、ブライアン・フェリーの「決して手に入らないモノをしかし切望し続ける」という感覚はあるのかもしれないけど。ところで、グラムの原点って何かというと、オスカー・ワイルドとJ・R・R・トールキンと言われているんだよ。

木津:へえ! ワイルドはなるほどという感じですが、トールキンはちょっと意外かも。

野田:ワイルドは、わかるよね、「自然ほど退屈なモノはない」ってことだよ。モリッシーも歌っているね、「君はイェイツだけど、ぼくにはワイルドがある」。もっともいまワイルドがどれほど意味があるのかぼくにはわからないけど。で、トールキンはぼくも向こうの記事で読んで「なるほどー」って思ったんだけど、もちろんファンタジーであり、それは大人ではなく「子どもたち」にむけたってことだよね。さっき木津君がイヴには少年性があるって言ったけど、イヴの表現に重層性があるのは、こうしたいろんなことがリンクしているからだと思う。それはそうと、今作は前作以上にロック、ポップ色が強く、とはいえ曲の作りはより凝縮されているんだけど、すべて短い曲だし……サンダーキャットの新作も短い曲ばかりだったね、で、同時にそのなかで歌メロをどれだけ作れるかってことにも挑戦していると思うんだけど、木津君的に面白かった曲って何?

木津:ぼくがまず挙げたいのは“Kerosene!”ですね。甘いソウル・チューンなんですけど、途中暑苦しいギター・ソロが入ってきますよね。クレジット見たら、これ、ユーライア・ヒープの“Weep in Silence”からの引用らしくて。イギリスのハードロックですよね。少なくとも僕はほとんど聴いてこなかったものだし、パンク世代の野田さん的にも苦手としたところなんじゃないですか(笑)? 何にせよ、こういうところもパンク以前の70年代が入っていて、ハードロックの鬱陶しいエモーショナルさが妙にマッチしているというか、イヴらしいチャレンジングな接続で意外とありだなと、この曲よく聴いてしまいます。同じ意味で、“Supar Star”もいいですね。これぐらいエモーショナルに振りきれているナンバーが、このアルバムでは光っているかなと。 “Romanticist” から“Dream Palette”へと短いナンバーが間髪いれずに続く烈しさもハイライトですね。

野田:ぼくも木津君と同様、最初に聴いたときに「こりゃすごいな」と思った。グラム・IDM・ロックというか、じつは1曲1曲がよく作り込まれているし、まずは“Identity Trade”“Kerosene!”“Hasdallen Lights”の並びがいいよね。“Supar Star”もそうとうクセになるメロディがあって、ロマンティストのぼくとしてはやっぱ“ Romanticist”かな。ファンタジーってさ、要するに想像世界であって、とにかく全力で〈想う〉ことじゃない? 誰もが望まない今日の状況下で、このファンタジーがリリースされたことは、ある意味では難しいんだけど、でもこれだけキツイ状況のなかで、よき世界を想うことは超重要だしさ、文化がいかにユートピアを描けるかってこともポイントだよね。だからさ、しっかしこのタイミングでのリリースっていうのは、人びとの価値観が揺れているときだから、“Gospel For A New Century”がなにか別の意味に聴こえてしまわない? まさに、それが良きモノか悪しきモノかは見えないけれど、〈新世紀〉になってしまいそうだし。

木津:たしかに……。このアルバムには、象徴的に「ゴスペル」と「ブルース」って言葉が曲名に入っていますからね。公的なものと私的なもののせめぎ合い。あと今回は、とにかく熱烈なラヴ・ソング集ですよね。このコロナ・ショックで外出できない状況が続いていて、人恋しくなるタイプとひたすら孤独に浸るタイプに分かれているような気がするんですけど、ぼくはそれでいうと前者で(笑)、この激しいフィーリングにいますごくグッと来てしまいます。オープニングから「あなたのすべてになってあげる、ねえベイビー」ですから。ただイヴの場合、前作までにあったようなダークな感じももちろんあって、後半ノイズ・ロック的な展開になっていく“Medicine Burn”は、前作から続くディプレッションのモチーフがたぶん入っている。アルバム・タイトル通りの「A Tortured Mind」=「拷問された心」というマインドが基調にある。だから、異形の者たちのラヴ・ソングというのを徹底したアルバムで、ぼくはこのひたむきさはいますごく求められていると思います。

野田:「拷問された心」というのは、これまた暗示的な言葉。どれだけ我々の内面は痛めつけられているかってことだろうね。で、ありながら、ここまでキラキラしているっていうのがすごい。俺がいま20代だったら、ああいうグラマラスな格好していただろうな、似合っているかどうかはともかく。木津君もグラマラスでいこうぜ。もっとカラフルな服を着るんだよ!

木津:小林くんと違って、ぼくは派手な色もよく着ますよ。 柄物はちょっとハードル高いですけど……。でもたしかに、イヴはすごくファッショナブルな存在でもありますよね。今回のアルバムで大きくフィーチャーされているシンガーのヒラキッシュ(Hirakish)はモデルですし……画像検索してみてほしいんですけど、ヒラキッシュのヴィジュアルもすごく危うげでカッコいい。あと、ブランドMOWALOLAとのコレボレーションでショート・フィルム『SILENT MADNESS』を発表していましたけど、前回の対談で野田さんが言っていたようなゴスな感じがキマってる。野田さんはフランク・オーシャンやジェイムス・ブレイクを聴いているような繊細な若い子に聴いてほしいっておっしゃってたじゃないですか? ぼくもそこはほんとに同意で、イヴはそういう子たちを熱狂させるようなアイコン性もありますよね。当世風のロックスター像というか。そこも、メタ的な意味でのロックスターということですけど。ポップ/ロック・アイコンというものの功罪を踏まえた上での、あのヴィジュアルの打ち出しなのかな、と。

野田:しかもちょっとパロディぽいっていうか、面白がってるっていうか、どこか遊び心があるのっていいよね。COVID-19によって、ワクチンが普及するまでほとんどの人は危険に晒されているわけで、そうなると心の余裕もなくなってくる。毎日のニュースにうんざりしながら、メンタルも追い詰められそうになる。そんなときは、こういうイヴもそうだし、ンナムディもそうだし、シリアスさとふざけている感が混じっているのが良いよね。家にいるあいだ友だちとスカイプしながら飲んで聴くにはいいですよ。ちょっと気持ちがあがるかも。で、ここには愛と自由がある。愛をもって語る、愛をもって行動すると。自分のなかの愛の力を増幅しよう。ってことで、待ってるよ、木津君。

木津:ぼくはいつも愛と自由のことしか考えてないですよ。愛を政治利用させないこと。音楽やアートのなかで解き放たれること。だからこの苦しい時期にこそ『Heaven To A Tortured Mind』を聴いて、また街に出られるようになったら、きっとグラマラスなファッションにも挑戦して、野田さんに会いに行きますよ。

野田:おいおい、参ったなぁ。。。

(2020年4月10日)

Daniel Lopatin - ele-king

 ダニエル・ロパティンが劇伴を手がけた映画『アンカット・ダイヤモンド』(原題:『Uncut Gems』)が Netflix にて1月31日より配信開始となる。その布石として、サウンドトラック制作の背景を追ったドキュメンタリーが YouYube にて公開中だ。日本語の字幕付きで視聴できるのはありがたい。予想以上に良い内容のサントラだっただけに、どんなふうに制作が進められていったのか、気になるところです。下記、新たにコメントも到着。いわく、「すべてが美しい叙事詩のよう」。ロパティン本人のインタヴューはこちらから。

アダム・サンドラー主演/サフディ兄弟監督/A24 配給
『UNCUT GEMS』(邦題『アンカット・ダイヤモンド』)
Netflix にて1月31日より独占配信開始!
OPNことダニエル・ロパティンが手がけたサウンドトラックの制作ドキュメンタリーが日本語字幕付きで公開!

サフディ兄弟による本作は、そのストーリーと音楽によって、ニューヨークの喧騒を見事に描き出し、時には映像さえ必要ないのではないかとすら思わせる。 ──The New York Times

サフディ兄弟監督/アダム・サンドラー主演/A24配給の映画『Uncut Gems』(邦題『アンカット・ダイヤモンド』 Netflix にて1/31より独占配信開始)。世界に先駆け公開となったアメリカでは興行収入が A24 史上最高記録を塗り替え、NY映画批評家協会賞とサンディエゴ映画批評家協会賞では監督賞受賞、キャリア史上最高レベルの素晴らしい演技と評判の主演アダム・サンドラーは、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞で『JOKER』のホアキン・フェニックスを抑え主演男優賞を受賞するなど、配信開始前からここ日本でも映画ファンを沸かせている本作。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)ことダニエル・ロパティンが手がけた本作のサウンドトラックの制作背景を追ったドキュメンタリー映像が公開! 日本語字幕付きでの視聴が可能となっている(YouTube 上の設定ボタンより「字幕⇨日本語」で設定)。

ニューヨーク宝石市場を舞台とした一風変わったクライム・サスペンス作品を彩るダニエルが手がけた音楽は、緊迫した物語と絡みながら、ヴァンゲリスやタンジェリン・ドリーム、そして芸能山城組をも彷彿とさせる幻想的な音色や、まるでスティーヴ・ライヒが書き下ろしたオペラのようなミニマルでパーカッシヴな声楽曲までを幅広く表現。映画のシーンに合わせどのように音を構築したのか、そしてサフディ兄弟と互いを刺激し合いながら、いかにしてこのかつてない劇伴を完成まで至らせたのか、貴重な制作の裏側が垣間見られる内容となっている。

Behind the Soundtrack: 'Uncut Gems' with Daniel Lopatin (DOCUMENTARY)
https://www.youtube.com/watch?v=pIAvmtNIx9I&feature=youtu.be

今でもこのサウンドトラックがどういうものか説明出来ない。 なぜならすべてが美しい叙事詩のようでその瞬間その瞬間に意味があるからだ。 ──Daniel Lopatin

予告編
https://youtu.be/vTfJp2Ts9X8

『アンカット・ダイヤモンド』 (原題:『Uncut Gems』)
監督:ジョシュア・サフディ&ベニー・サフディ
脚本:ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ、ロナルド・ブロンスタイン
製作:スコット・ルーディン、イーライ・ブッシュ、セバスチャン・ベア・マクラード
出演:アダム・サンドラー、キース・スタンフィールド、ジュリア・フォックス、ケビン・ガーネット、イディナ・メンゼル、エリック・ボゴシアン、ジャド・ハーシュ
音楽:ダニエル・ロパティン
公開:2020年1月31日 Netflix にて全世界配信開始

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Daniel Lopatin
title: Uncut Gems Original Motion Picture Soundtrack
release date: 2019/12/13 FRI ON SALE

国内盤CD
BRC-625 (解説書封入) ¥2,200+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10630
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZR5G8DL

TRACKLISTING
01. The Ballad Of Howie Bling
02. Pure Elation
03. Followed
04. The Bet Hits
05. High Life
06. No Vacation
07. School Play
08. Fuck You Howard
09. Smoothie
10. Back To Roslyn
11. The Fountain
12. Powerade
13. Windows
14. Buzz Me Out
15. The Blade
16. Mohegan Suite
17. Uncut Gems

インタビュー掲載中!
ele-king: https://www.ele-king.net/interviews/007303/
──人間としての自分に近い作品に思えた

BEATINK 年間ベスト「BEATINK BEST OF 2019」キャンペーン実施中!
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10746

Tiny Mix Tapes - ele-king

 昨日、音楽批評サイトの『タイニー・ミックス・テープ(Tiny Mix Tapes、以下TMT)』がツイッターにて活動休止を宣言している。

 2001年にローンチした同メディアは、おもにヴォランティアによって運営されてきたという。今回休止を決断した理由の詳細は明らかにされていないが、もともとブルックリンのアニコレやブラック・ダイスなどをプッシュしていた『ピッチフォーク』が徐々にメインストリーム寄りになったことへ対抗するかのように、『TMT』はアンダーグラウンドへの愛を表現しつづけ、独特の審美眼でその動向を捉えてきた。
 LAのサン・アロウやNNF一派、ないしはアンビエントやドローンにも着目する一方、積極的に日本のナードな音楽(アイドル含む)も紹介していたし、PCミュージックやディーン・ブラントなどのネット以降の音楽シーン、とりわけチルウェイヴ~ヴェイパーウェイヴの隆盛に一役買ったのも彼らだった。そのあり方をむりやり一言で要約するならば、OPN の台頭と並走するかたちで10年代の音楽を盛り上げてきた音楽メディア、ということになるだろう。じっさい、昨年末に発表された『TMT』が選ぶ2010年代の100枚の第1位はチャック・パーソンで、OPN 名義の作品も20位内に2作選ばれている(3枚もピックアップされたのはロパティンだけ、だったはず)。
 哲学を援用したり謎のポエムを披露したりするレヴュー文も、垢抜けない大学院生っぽさが漂っていたとはいえ、それはそれで魅力的だったし、個性的なタグ付けも毎度ほほえましく、またレコメンド作品を「ユリイカ!(EUREKA!)」と呼ぶところも気が利いていた。
 じつはわれわれ『ele-king』は2013年に、同メディアの設立者であり編集長であるマーヴィン・リンにインタヴューを試みている(その後、個人的に何度かメールで文通したりもしました)。さらに昨年は同氏の著書『レディオヘッド/キッドA』を邦訳刊行してもおり、少なからず繋がりがあった。
 ちょうど2010年代が終わるこのタイミングで『TMT』が活動を休止するのは、ひとつの大きなサイクルの終わりを象徴しているように思えてならない。
 『TMT』のみなさん、長い間お疲れさまでした。

Tunes Of Negation - ele-king

 年明け早々から大変なことが起こっている。いや、緊張それじたいはもっとまえからはじまっていたので、たんにわれわれが他者に無関心すぎるだけというか、ようするに今回は日本における中東の報道の非対称性があらためて浮き彫りになったということなのかもしれないけれど、個人的に昨年もっともよく聴いたアルバムがイランの電子音楽家ソウトによる「生を破壊する傲慢とそれにたいする抵抗のサウンドトラック」だったこともあり、そしてちょうど年末に同作を聴き返したばかりだったこともあり、なにか絶対的な存在から啓示を受けているような気がしてならない。あるいはラファウンダのルーツもイラン(とエジプト)だし、ふだん好きで動向を追っかけている音楽たちが、ここ数日、なにかのしるしのように再浮上してきているのだ。シャックルトンの新作もそのしるしのひとつだった。
 00年代半ばにダブステップの隆盛と連動するかたちで頭角をあらわし、以後ミニマル・ミュージックやアジア~アフリカの音楽を貪欲に吸収、独自に昇華させていったサム・シャックルトン。彼自身はイングランドのランカシャー出身だけれども、その新作『Reach The Endless Sea』のタイトルは、13世紀スーフィズムの詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩に由来している。ルーミーが生涯の大半を過ごした地は現在のトルコにあたるが、彼はペルシア文学の巨星としてイラン文化にも大きな足跡を残している。

 おそろしいほどに毎度マンネリとは無縁なサウンドを届けてくれるシャックルトンだけれど、「否定の曲たち」という意味深な名を与えられた今回のチューンズ・オブ・ネゲイションは、タクミ・モトカワ(鍵盤/パーカッション)およびラファエル・マイナー(マレット)とのコラボレイション・プロジェクトである(+ヴォーカルで、〈Editions Mego〉からもリリースのあるヘザー・リーが2曲に参加)。シャックルトンらしいトリッピーでトライバルな感覚はそのままに、オルガン(好きですね)や鉄琴の音色、3を強調した(ポリ)リズムが全体のムードを決定づけており、バンド内の有機的な衝突が最大の聴きどころとなっている。
 冒頭 “The World Is A Stage / Reach The Endless Sea” ではヘザー・リーの歌と宗教的な響きの鍵盤が全体を支配しているものの、途中で強烈なパーカッションに主導権を奪われてもいる。続く “Tundra Erotic” では、おなじく鍵盤とパーカッションによって生成される催眠的な空間のなかで、どことなく OPN のエディット法を思わせる声の断片たちが幽霊のように顔をのぞかせている。“Rückschlag / Rising, Then Resonant” におけるインド古典音楽の要素やくぐもった音のかたまり、“The Time Has Come” のドローンなどにも目を見張るものがあるけれど、もっともキラーなのは先行シングル曲 “Nowhere Ending Sky” だろう。作曲に参加したモトカワの手によるものかもしれないが、2分過ぎに差し挟まれるメロディがじつにもの憂げで、すぐに過ぎ去ってしまうそのキャッチーな旋律を、背後のミニマリズムや後半のドローンが強固に脳裏に刻みつける仕組みになっている。

 しかし、『無限の海への到達』とはなにを意味するのだろう。レーベルのインフォによればそれは、シャックルトン本人が音楽で成し遂げたいことらしい。いわく、「変化を促し、光のなかへと入りこむこと」。ルーミーが開いたトルコのメヴレヴィー教団は、スカートをなびかせながら回転する舞踏で知られているが、かつてルーミーの作品をフィリップ・グラスがオペラ化していたことも合わせて考えると、シャックルトンもまたそのくるくるまわることで神に接近するという発想に、自身のミニマリズムを重ねあわせているのかもしれない。反復こそが互いのちがいを際立たせるのであり、すなわち他者へ到達するための契機なのだ、と。

interview with Takuma Watanabe - ele-king

 その端緒をひらいた2014年のソロ作『Ansiktet』の時点では、2010年代後半が映画と音楽の関係の再考に費やされるとは、本人に確証があったかどうかはいささかあやしいが、渡邊琢磨はその1年後の冨永昌敬監督の『ローリング』、2年後には吉田大八監督の『美しい星』などの劇場公開作品の音楽を手がけ、盟友染谷将太監督とは実験的な作風にとりくみ、今年ついにみずからメガフォンをとり、染谷将太と川瀬陽太、佐津川愛美が出演する『ECTO』を完成させるにいたった。同作は今年5月に委嘱元である水戸芸術館で、晩夏には山口県のYCAMの爆音映画祭でも、規模はことなるが弦楽器の伴奏つきの上演を行っている。もうしおくれたが、渡邊琢磨の『ECTO』は映画の上映と生演奏がひとつとなってはじめて作品となる舞台芸術的映画作品で、革新的な方法論もさることながら映画なる形式へのエモーショナルな自己言及によって画期的な作品にしあがった、その完成から間を置かずして、というより余勢を駆ったか、渡邊琢磨はさらに映画に広く深くかかわろうとしている。
 そのことは処女作となる映画作品と同名のレーベル〈ECTO Ltd.〉の始動にもうかがえる。またしてももうしおくれましたが、“ECTO”とは超常現象愛好家にはおなじみのあのエクトプラズムのエクトであり、ギリシャ語の「外」を意味するこのことばをレーベル名に冠した渡邊琢磨の胸中には、映画の内にありながら映像に外として付随する音楽の浮動する特異な位置を多角的にとらえんとする野心がうかがえる。とともに、音楽のみならず音をめぐるテクノロジーと価値観すなわち環境の変化が映画にいかに循環するのか、あるいはその逆は? との問いかけをふくみ、そのことはベルが鳴り客電が落ちた劇場の暗がりでおぼえる胸の高鳴りによく似たものを呼びおこす。
 サウンドトラック盤『ゴーストマスター』はECTOレーベルの第一弾である。青春群像恋愛SFホラー活劇とでも呼ぶべきヤング・ポール監督の同名作は幾多の形式と手法と記号と技法をDIY風に融合した秀作だが、それゆえに音楽にもとめられる要求にも幅があったという。音楽を担当した渡邊琢磨の苦闘ぶりは本文をご参照いただきたいが、取材の後日仙台から郵送されてきたサントラ盤に耳を傾けながら本編で聴いたのとも印象をことにする音楽のあり方にうたれたとき、私は渡邊琢磨の新たな試みの意義をあらためて認識した。すなわち、映画とは、音楽とは、映画音楽とはなにか、との問いである。

映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

映画音楽を中心にするレーベル〈ECTO Ltd.〉を発足させたんですよね。

渡邊:染谷(将太)くんが監督した『ブランク』(2017年)という映画があって、そのサントラをリリースするさい、ミックスダウンと部分的に録音もやり直して、アンビエントにつくり変えたんですけど、それが映画音楽の副産物として面白いなと。レコードのセールス的に映画音楽は少々厳しいかもしれませんが、メディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO Ltd.〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

野田:『ゴーストマスター』のジャケットをちょっとみせてもらいましたよ。鈴木(聖)くんがデザインしているじゃない。

渡邊:そうですね。じつは〈ECTO Ltd.〉のレーベル・ロゴも聖くんがつくってくれました。

その〈ECTO Ltd.〉レーベル第一弾が2019年12月に公開した映画『ゴーストマスター』のサントラだと。すでに2作目以降も決まっているんですよね。

渡邊:染谷くんが監督し、菊地凛子さんが脚本を書いた短編作品の音楽を担当したのですが、本編20分弱の間、音楽がずっと鳴り続けていて、モジュラーシンセを使ったりドローンになったり、音楽的にも発見がいろいろあったので、権利的な問題がクリアになれば、同作のサントラを出したいと思っています。

冨永昌敬監督の『ローリング』(2015年)、吉田大八監督の『美しい星』(2017年)、染谷監督の『ブランク』、今年上演(映)した作品としての『ECTO』もそうですが、琢磨さんはこの数年映画と音楽についてかなり意識的にかかわってきました。サウンドトラックというメディアの現状についてはどう考えていますか。

野田:最近じゃOPNなんかもサントラ(『Good Times』『Uncut Gems』)を手がけているよね。

渡邊:ダニエル・ロパティンのようなアーティストがサントラやるような状況って昔はそんなになかったと思うんですね。歌唱入りのテーマ曲をバンドやミュージシャンが担当するなどはありましたが、劇判をジョニー・グリーンウッドとかトレントレズナーとか、トム・ヨークもそうですし──

ムームのヒドゥル・グドナドッティルとかね。

渡邊:そうですね。彼女が手がけた『チェルノブイリ』(HBO制作のドラマ)の音楽は素晴らしかったです。最近、音楽好きな映画監督がミュージシャンに直談判するような状況も顕著になってきましたし、映画音楽すなわち職業作家だけの仕事という時代でもない。バジェットいかんにかかわらず、監督や制作部とのコミュニケーションから音楽を着想することも多々ありますし、ミュージシャンが可能性を追求できる現場でもあると思います。

野田:染谷さんと菊地凛子さんは芸術的な野心をすごくもっているじゃない。あれだけメインストリームにいながら彼女もアンダーグラウンドにたいする嗅覚もある。

渡邊:そうですね。凛子さんはこのところ、染谷監督作品の脚本も書いていますが、ご自身の直感と趣向をそれとなく仕事にとりこんでしまう、その才覚がすごいです。海外では女優のマーゴット・ロビーや、ブラッド・ピットなどが独自のプロダクションをたちあげて大作を製作していますが、表方も裏方も手がける人が増えてきました。凛子さんはハリウッドでも仕事をしているし、そういった考え方があってもぜんぜん不思議ではない。

彼らが制作に関与できる状況があるということですね。

渡邊:ブラッド・ピットが運営する製作会社〈PLAN B〉もそうですが、〈A24〉や〈Oscilloscope〉のような独立系製作会社が2000年以降増えました。最近はポスプロ(ポストプロダクション)なども、映画監督自身が編集ソフトを使って作業することもありますが、以前は分業というか、編集は編集マンにお願いするのが慣例だったと思います。それがいまやラップトップ一台で完結できてしまう。映画は一人で作るものではないので、相対的に考えると良し悪しありますが、テクノロジーの発展とともに映画制作の状況も変わってきましたね。

職域がゆらいでいる現状がある。

渡邊:私的にシンギュラリティに関心はありませんが、AIの問題なども含まれるかもですね。AIが実装されているツールが出回ることで職域問題のバイアスが多少なりともかわるかもしれない。音楽制作においてもマスタリングやミックスをAIが行うツールがありますし、自己完結できる部分はどんどん増えている。

映画音楽に特化した、あるいは関連したといってもいいかもしれませんが、そのようなレーベルの構想はいつから?

渡邊:じつはここ最近──なのです(笑)。基本サウンドトラックのリリースは映画の制作会社や委員会の意向に沿って決めるのですが、インディペンデント映画やショートフィルムの場合、サントラがリリースされることがまれだったりするので、監督や制作サイドにサントラの音盤化のご提案をして、話しがまとまればリリースするという感じです。

いまの予定ではサウンドトラックとその二次利用作品ということなんですか。

渡邊:あるいは映像作家自身がつくる音楽、音響作品ですとか。効果音のスタッフの仕事にフォーカスしたものとか。ECMでも、ゴダールの映画の音だけがパッケージされたアルバムがありましたよね。そういう傾向の作品も含め(映像や映画の)音全般をあつかっていくということです。

しかしよく考えると、サウンドトラック盤が存在する映画の基準って、音楽のよさ以外になにかあるんですか。いまはサントラはあまり出ませんが、中古市場ではサントラもひとつのジャンルを形成するほどの分量があって、掘っていくとけっこうマイナーな作品のサントラもありますよね。

渡邊:映画音楽の仕事に携わってわかったことですが、音楽コンテンツのとりあつかいが漠然としているケースもありまして、映画の最終行程であるダビング作業の後に、劇伴の出版管理ほか、本編における音楽の使用箇所を記載する「Qシート」を提出するなどの話しになるのですが、映画の公開からだいぶ時間が経って詳細な連絡をいただくことも多々ありまして。映画は制作行程が複雑ですし、音楽以外にも事後クリアしなければならない作業や問題も少なくありません。ただ、映画が公開されてから時間が空いてしまうと、作業内容もあやふやになってくるので、それなら劇伴が出揃った段、もしくはダビング作業直後にプロデューサーもしくは製作会社の担当者に出版の意向などをおうかがいし、所定の管理団体がない場合は、こちらでお預かりすることもできますとご提案しておくのもよいかなと。それから、サウンドトラックをリリースすると、今回の記事のようにパブリシティ効果も期待できるかもしれない。勝手がよいレーベルがあればマーチャンダイズとしてサウンドトラックをつくることも容易ですし。映画作品のPR、掲載メディアも横断的になるというか、音楽の観点から映画をとりあげるのも面白いのではないかと。あわせて、監督からサウンドトラック盤をつくりたいという要望が出る場合もあります。監督は個々の行程に思い入れがありますし、若い世代の監督にはクラブミュージックからサントラまで雑多に音楽好きな方もいます。

映画音楽をメディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

『ゴーストマスター』のヤング・ポール監督は若い世代に入りますよね。これが処女作ですね。拝見しましたが、いい感じで──

渡邊:とっちらかってますよね(笑)。

(笑)やりたいこといろいろやった感がありますね。

渡邊:初長編作らしい大変、野心的な映画です。

『ゴーストマスター』の音楽はどのような取り組み方だったんですか。

渡邊:本作は恋愛映画の撮影現場が次第にホラーに転じていくという映画内映画の要素があります。キラキラ恋愛映画を撮っているのだけど、とにかく撮影現場が滞る。キャストもダダをこねるし、監督も投げやりで、プロデューサーもうまくとりもってくれない。三浦貴大くん演じる主人公のダメダメ助監督は、本心ではホラー映画を監督したい野心があります。その思いと現場のストレスがピークに達したとき、恋愛映画の台本がホラー映画にトランスフォームするということなのか、とにかく惨劇の現場と化していくわけです。脚本を担当された、楠野一郎さんは大御所ですが、何とも不可思議でブラックな喜劇性をもあわせもつ恋愛ホラーをお書きになられた。本を読んだ直後は一筋縄ではいかないと思い、じゃっかん身構えました(笑)ホラーとはいえ根底に恋愛映画が通底していて、そこにも監督の演出意図があるので、表層とメタ構造になっている下部の映画の選択肢、要するにホラーなのか恋愛なのかを場面毎に問われる作品でした。

判断するにあたっての基準や、要素から導き出せる正答みたいなものはあったんですか。

渡邊:それがないんですよ(笑)。正解がみえてこない。ホラーのシーンで恋愛映画のテーマを当てても、そういう演出に思えてきますし。

形式にたいする批評として成立しますからね。

渡邊:そうなんですよ。しかも映画制作それ自体を扱うという点では、監督のルサンチマンとはいいませんけど(笑)、ポール監督ご自身のいろんな現場の実感にも由来していると思いますので、そういう裏返った自我の面白さも反映したいなと思いまして。

いつごろからはじまったんですか。

渡邊:去年(2018年)には作業していたはずなので、ポスプロも含め1年はかかったかなと。

ヤング・ポール監督は琢磨さんの音楽をすでにご存じだったんですね。

渡邊:本作のプロデューサーの1人である、木滝(和幸)さんは、冨永昌敬監督の『ローリング』も手がけていまして、ポール監督も『ローリング』をご覧になっていたらしく、渡邊さんならということで、お話自体はだいぶ前にいただきました。企画の概要的に、最初はホラー映画とうかがっていたので、恋愛映画が作中どういうふうに機能するかわかっていなかったのですが、初稿をいただいた段で映画の構造的に重要なパートだとわかってきました。私的には、ホラーの音楽をやってみたいという思いがかねてよりあったので、音楽作業の開始当初はもっとホラー然とした劇伴をつくっていたのですが、何曲投げても監督が首を縦にふらないので、再度ミーティングしたところ、ホラーと恋愛のどちらかに寄るのではなく、双方の要素を折衷したいということで、ようやくニュアンスがつかめてきました。

でも音楽の面からいうと微妙ですよね。さきほどもうしましたように、どのようなものでもそのように聞こうとすればそう聞こえる。やりすぎると記号になるし、中庸でいいことでもないような気もする。あるいはジャンル映画風ということなのか。

渡邊:そうですね。だから正解が見えにくいというか、結局、画と音を合わせたときのフィーリングというか、理詰めではないですね。『ゴーストマスター』には、セルフパロディー化しているような登場人物も多々出てきて喜劇的な立ち振る舞いをするのですが、キャラクター自身はマジなので、滑稽でも泣けてくるという(笑)、そういうポール監督の演出の妙と、それを体現してしまうキャストの方々の絶妙さには脱帽しました。そういう異化効果的なバランスにはとてもシンパシーを感じたので、監督と意見が対立するということではなく、もうひと捻りできるかどうかを監督と熟慮しました。

けっこう音楽ついていますよね。

渡邊:それなりに量はありますね。

しかも映像でもスローやCGなどの特殊効果場面の音楽もありますよね。これは一概にはいえないかもしれませんが、その場合はホラーと恋愛の二項のほかにも撮影方法や、オマージュしている作品も加味しなければならないのではなかと思いました。

渡邊:トビー・フーパーですとか監督の名前や作品に言及する場面もありますからね。あわせて、旧来の映画音楽的な要素も欲しいという要望が監督からありましたし。それは職能でカヴァーすればよいのですが、音楽が著しく演出に影響してしまうので慎重につくりました。『ゴーストマスター』が面白いのは、意味不明なシーンや謎の伏線が回収されることなく、そのまま放置されるところです(笑)。屋上をみんなで歩いていくシーンとか。突如、ふりつけをしたかのような動きで人々が屋上を歩き出す、一体なんなのと(笑)、監督に演出意図をうかがっても、よくわからないとかおっしゃるし(笑)、そういうナゾのシーンが多々あるのが面白い。

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キップ・ハンラハンと仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういうみようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。

話は変わりますが、冒頭でも話に出たミュージシャンで映画音楽を手がけるひとたちについて琢磨さんは同じ立場としてどう思われますか。ジョニー・グリーンウッドはもちろん、ダニエル・ロパティンも。彼らはグリーンウッドならPTA(ポール・トーマス・アンダーソン)、ロパティンならサフディ兄弟というふうに監督とのコンビネーションもあります。その点もふくめて、琢磨さんは映画音楽の現状をどうみておられますか。

渡邊:ポール・トーマス・アンダーソンとジョニー・グリーンウッドのコラボレーションについては、なりゆきがわからないので言及できませんが、その点は措いたうえで、グリーンウッドが手がける映画音楽には弦楽が採用されていたり、室内楽的な要素もあったりしますよね。その点を考慮すると、PTAがグリーンウッドを起用したのは別段レディオヘッドのメンバーだからとか、ギターのサウンドが使いたいとか、そういう表面的な事由ではないわけで、逆にいえばグリーンウッドの音楽性、資質をよく理解していたからこそ、弦楽や管楽の劇伴を発注できた、あるいはグリーンウッドのアイディアを採用したということではないかと思います。OPNは、サフディ兄弟との2作目は、ダニエル・ロパティン名義でしたが、初コラボの際は、イギーポップとのコラボを除けば、OPNがそれまで積み上げてきた作風から、さほど逸脱しない音楽を監督も求めている感じでしたね。だから、ジョニー・グリーンウッドの場合は、そもそも弦楽器をフルで使う音楽をつくりたくて、その欲求とポール・トーマス・アンダーソンの映画が邂逅した感じではないかと。音楽家にとっていい実験の場ができたというか。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)が彼らのはじめてのタッグだったと思いますが、現代音楽のありとあらゆる書法を使っていますよね。僕もキップ・ハンラハンと最初に仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですよね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういった欲張りな感じがどっと出る。でも、そういうある種のアマチュア精神というか、みようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な作曲は作曲家、編曲は編曲家というような分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。その点、ジョニー・グリーンウッドは音のイメージがちゃんとありますよね。同時に音楽史上の参照点も分かりやすい。

気軽に生の弦は使えないものね。

渡邊:とくに弦は束になると非日常的な音像になるじゃないですか。それをそれなりの予算で使えるとなったときの欲望ってすごいわけですよ。私的にはそうそうあるわけじゃないですけど。PTAも音楽が好きなひとだからグリーンウッドに弦を書いてもらいというディレクションと、作曲者の状況や意思がうまい具合に化学反応を起こしたんだろうなと思います。それ以来ふたりのコラボレーションはつづいていますよね。最近はジョニー・グリーンウッドがやっている音楽をポール・トーマス・アンダーソンがドキュメントしてたりもするし。

それだけいい組み合わせだと本人たちも思っているということかもしれないですね。

渡邊:個人的には、PTAはヘイムとかフィオナ・アップルとか女性アーティストのMVなどを手がけているときの方がしっくりきますけどね。好みの女性アーティストばかり撮っているというか(笑)。

ジョニー・グリーンウッドやダニエル・ロパティンが映画音楽に進出してきているのは象徴的というか、琢磨さんが映画と音楽に関心をもつのもわかります。

渡邊:去年は私的に(映画を)監督し、編集もみようみまねで手がける過程で、映像と音の相対的な発見が多々ありました。過去に仕事をした映画監督、たとえば、冨永監督などは棒つなぎ(仮編集)などは、もしかしたら編集マンがやるのかもしれませんが、その後、冨永くん自身で再度編集や微調をすると、途端に冨永ワールドが立ち現れる。その点では音楽とも似ていますよね。そういう編集のリズム感、グルーヴ感をもっている監督は多々おられます。そういったことも念頭に、私的に映像編集をおこなった際は、完全に音楽的な感覚で切ったり繋いだりしていました。今後、ポストプロダクションを自身で手がける映画監督や映像作家も増えていくでしょうし、逆に、映画監督が音楽にかかわるあり方も変化していくのではないかと思います。サフディ兄弟の映画音楽にしても、タンジェリン・ドリームのようなシンセを駆使した映画音楽を参照しているのは間違いないですし、『神様なんかくそくらえ』(2014年)では冨田勲さんや、それこそタンジェリン・ドリームを使っています。アナログ・シンセサイザーが効果的に使われた70年代後期から80年代全般の映画のムードや質感が好きなんだろうなと思いますし、OPNもその辺の映画に通底する質感は熟知しているでしょう。そうやって1本組んで、前時代的なオマージュだとかリファレンスありきのシネフィル的な趣向を超えて、両者の協働のあり方が新作『Uncut Gems』に結実したのかもしれない。『Good Times』もそうでしたが、ロパティンの映画音楽はかつてのタンジェリン・ドリームやヴァンゲリスのようなエレクトリックワールドな演出とはちがうわけですよ。映像と音の親和性がカメラワークに由来していたり、編集のスピード(これは速い場合もハイスピードのように極端に遅い場合もです)が、現行の電子音楽と相性が良いような気がします。そういう撮影などの技術革新などもあって、映画と音の新たな関係性の土壌ができたのだと思います。ハーモニー・コリンもそうでしたし、『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー監督、2017年公開)でもラストモードが音楽をやっていたりだとか、かつてないような映像と音のインタラクションが増えてきていると思います。過去の仕事の概念からいったらほとんど効果音のような音も劇伴という括りで捉えていますし。ポール・シュレイダーのような巨匠がドローンのような音楽を非常に効果的に使っているというだけでも興奮しますよ。

現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

レーベルの設立文で、〈ECTO Ltd.〉での活動の視野にはサウンドデザイン的な表現も入ってくると述べられていましたが、それはそのような認識からくるものですか。

渡邊:あの文章は自分の仕事に対する戒め的な側面もあるのですが(笑)、じっさいにそうだとは思います。オーディエンスの観点からしても、映画をみているときの体感として、いまやIMAXやドルビーのような典型があるわけじゃないですか。90年代初頭から現在のハリウッドライクなというか、ルーカスのTHXが主導する音響技術が定着していったと思うのですが、つくり手からすると、あの重低音やアタック音は少々食傷気味です。ある特色をもつ技術革新が進むと、最初のうちは物珍しさも手伝って、多くの人が追従する音楽をつくるのですが、二番煎じが昂じると、自分はそれをやらないぞというムーヴメントが反動的に起こります。個人的な見解だと、劇伴における重低音を個性的に推し進めたのが、ヨハン・ヨハンセンが手がけた、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(2015年)のサントラで、あのグリスアップを多用した弦と打楽器の音像は、一頃のアクション映画の代名詞になっていると思います。とにかくコンバスやチェロをひとまとめにしてグリスアップすれば「いま」っぽい(笑)。映画音楽には、そういう流行り廃りの面白さがあるんですよ、映画音楽のなかの音色傾向といいますか。

ムームのヒドゥル・グドナドッティルはヨハン・ヨハンセンの弟子筋ですよね。

渡邊:そうですね。くりかえしますが、彼女の『チェルノブイリ』の劇伴は、前述の低音演出の総括的な作品としても秀逸です。現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

そんな単純な話なのか(笑)。

渡邊:ハハ、でも音の生理なんて単純なものだと思うんですよ。映画音楽史を意識しながらみていくと、何年かに一度そういった時期、傾向がありますよ。

高音というのを美学的に言い直すとどうなります。

渡邊:低音というのはアトモスフィアをつくりやすいわけです。体感もあります。低音というのはサウンドトラックだけにかかわらず、地鳴りのような効果音などにも多用されますよね。きわめて映画的なレンジだと思いますが、たとえば、武満(徹)さんのお仕事などは、そこまで低音重視ではないですよね。

そうですね。

渡邊:世界的にみても映画音楽史の上でも、かなり特異で鮮度のある映画音楽です。もちろん、作曲家=武満の作風というだけではなく、その時代の映画がもちえたトーンに呼応してるようにも思えますが。そういう響きが流行るかはさておき、一方の余白になっているとは思います。

低音でもグリスアップでもない基準ですね。

渡邊:そうですね。とはいえ、武満さんの映画音楽もある時代の参照点でもあるわけで。映画監督がみてきた映画の音がそのひとのなかに蓄積されているわけですし、それなりに邦画をみていけば、必ずあの独特の武満トーンが記憶に残っているはず。だから音楽に疎いとおっしゃる監督でも、映画における音のマナーやリテラシーはあって、実際、音を当ててみるとなにがしかの映画の記憶が思い起こされたり、具体的な作品名を出して、あの映画の音楽がよかったなどの話しになりますし。

発見ですよね。それはさきおっしゃっていた映画と音楽、テクノロジーや方法論との親和性と同じで、不可逆的なものでもあると思うんです。

渡邊:ええ、映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

〈ECTO〉レーベルはそのような映画音楽作品をリリースするレーベルであり、『ゴーストマスター』はその第一弾であると。そう考えると、琢磨さんほど映画音楽に真摯にとりくんでいるミュージシャンはいないかもね。

渡邊:いえいえ! 自重ではありませんが、私はまだまだ試行錯誤の段階ですし、映画音楽の世界もよい意味で魑魅魍魎うごめいていますからね(笑)。最近はノイズやヒップホップ界からもドラマや映画音楽に参入してくるアーティストがいますし。個人的に映画は好きですが、それだけが動機でもないと思いますし。ただ、映画音楽をつくるのも、レーベルをスタートするのも、映画や音楽からの呪いみたいなものであると同時に、つまるところ実験であり、結果的には音楽にフィードバックしてくるなにかだと思います。

■映画情報

映画『ゴーストマスター』
監督:ヤング ポール
脚本:楠野一郎/ヤング ポール
音楽:渡邊琢磨
主題歌:マテリアルクラブ「Fear」
出演:三浦貴大/成海璃子
配給:S・D・P(2019年 日本)
○新宿シネマカリテほか絶賛公開中!全国順次ロードショー
ghostmaster.jp/

Aphex Twin - ele-king

 まもなく終わりを迎えようとしている〈Warp〉の30周年。ほんとうに今年はいろいろありました。いちばん大きかったのは、NTS のオンライン・フェスティヴァルでしょう。もちろん、ビビオフライング・ロータスプラッドチック・チック・チックバトルズ、ダニー・ブラウン、ダニエル・ロパティントゥナイトなど、リリースも充実していました。ステレオラブの一斉リイシューもありましたね。明日12月27日には、これまで限定的にしか発売されていなかった30周年記念ボックスセット『WXAXRXP Sessions』がレコ屋の店頭に並びます。《WXAXRXP DJS》を筆頭に、多くのアーティストが来日したことも嬉しい思い出です。エレキングも『別冊ele-king Warp 30』を刊行いたしました。そんな〈Warp〉イヤーをしめくくるだろう、おそらくは最後のニュースの到着です。

 30周年記念イヴェント《WXAXRXP DJS》で先行上映されていたエイフェックスのA/Vライヴ映像が、これまた明日12月27日、なんとユーチューブにてフル公開されることになりました(日本時間午前6時)。9月20日のマンチェスター公演で撮影された映像です。エイフェックスで終える2019年──すばらしい年越しになりそうですね。ちなみにこれは宣伝ですけれども、今年は『SAW2』の25周年ということもあり、エレキングも『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム──セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』という本を出しています。ぜひそちらもチェックをば。

30周年記念イベントで上映されたエイフェックス・ツインの
A/Vライブ映像が12月27日に YouTube で公開決定!
30周年記念ボックスセット『WXAXRXP SESSIONS』も
今週金曜よりレコードショップにて販売開始!

『WXAXRXP (ワープサーティー)』をキーワードに、様々なイベントを通して、30周年という節目を祝った〈WARP RECORDS〉。その一貫として11月に開催された『WXAXRXP DJS』にて先行上映されたエイフェックス・ツインのA/Vライブ映像が、12月27日に YouTube でフル公開されることが発表された。上映される映像は、今年9月20日に行われたマンチェスター公演で撮影されたもの。日本での公開時間は、12月27日午前6時となる。

Aphex Twin – Manchester 20/09/19
https://youtu.be/961uG4Ixg_Y

また、イベント会場やポップアップストアでのみ販売されていた30周年記念ボックスセット『WXAXRXP SESSIONS』が、同じく12月27日より、レコードショップの店頭にも並ぶことも決定。以下の店舗にて販売される。

取り扱い店舗
BEATINK.COMhttps://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10754
タワーレコード 渋谷店
タワーレコード 新宿店
タワーレコードオンライン
Amazon.jp
HMVオンライン
ディスクユニオン・オンラインショップ
テクニーク

WXAXRXP Box Set
Various Artists

release date: 2019/12/27 FRI

WARPLP300
10 × 12inch / 8 prints of WXAXRXP images / 10 stickers

MORE INFO:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10754

収録内容はこちら↓(各12inch も販売中!)

Aphex Twin
Peel Session 2

放送:1995.4.10
エイフェックス・ツインが披露した2つのラジオ・セッションのうちの1つ。すべてが当時のオリジナル音源で、披露された全音源がそのまま収録されている。アナログ盤でリリースされるのは今回が初めて。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10526

Bibio
WXAXRXP Session

放送:2019.6.21
ビビオが、ブレイクのきっかけとなったアルバム『Ambivalence Avenue』に収録された3曲と、2016年の『A Mineral Love』収録の1曲を、ミニマルで美しいアコースティック・スタイルで再表現した4曲を収録。『WXAXRXP x NTS』の放送用にレコーディングされたもの。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10527

Boards of Canada
Peel Session

放送:1998.7.21
ボーズ・オブ・カナダによる唯一のラジオ・セッションが、オリジナルの放送以来初めて完全版で収録。これまで当時の放送でしか聴くことのできなかった貴重な音源“XYZ”が公開中。

https://youtu.be/JZYnw3GBAlU

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10528

Flying Lotus Presents INFINITY “Infinitum”
Maida Vale Session

放送:2010.8.19
フライング・ロータスの出世作『Cosmogramma』リリース当時、『Maida Vale Session』にて披露されたライブ・セッション音源。サンダーキャット、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、そして従兄弟のラヴィ・コルトレーンらによる生演奏。ここ以外では聴くことのできない楽曲“Golden Axe”が収録されている。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10529

Kelly Moran
WXAXRXP Session

放送:- / - / -
今回の『WXAXRXP Sessions』用にレコーディングされ、唯一過去放送もされていない超貴重音源。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10530

LFO
Peel Session

放送:1990.10.20
デビュー・シングルを〈WARP〉からリリース直後に『Peel Session』に出演した際のパフォーマンスで、長年入手困難かつ、ここでしか聴くことのできない音源を収録。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10531

Mount Kimbie
WXAXRXP Session

放送:2019.6.21
『WXAXRXP x NTS』企画で初披露されたパフォーマンスで、マウント・キンビーがライブを重ねる中で、どのように楽曲を進化させていくのかがわかるセッション音源。ミカ・レヴィもゲスト参加している。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10532

Oneohtrix Point Never
KCRW Session

放送:2018.10.23
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)率いるバンド、Myriad Ensembleが『KCRW session』で披露したスタジオ・セッションから4曲を収録。OPN以外のメンバーは、ケリー・モーラン、イーライ・ケスラー、アーロン・デヴィッド・ロス。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10533

Plaid
Peel Session 2

放送:1999.5.8
プラッドが『Peel Session』に出演した際に披露したパフォーマンスを収録。『Rest Proof Clockwork』リリース当時のオリジナル音源で、ライブで高い人気を誇る“Elide”も含まれる。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10534

Seefeel
Peel Session

放送:1994.5.27
アルバム『Succour』リリース当時に『Peel Session』で披露されたセッション音源。ここ以外では聴くことのできない“Rough For Radio”と“Phazemaze”も収録。

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10535

interview with Daniel Lopatin - ele-king

今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。

 監督は前回同様ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟。製作総指揮はマーティン・スコセッシ。たしかに、外部の意向が大きく関与している。映画のサウンドトラックなのだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、ジョエル・フォードしかり、ティム・ヘッカーしかり、彼は他人とコラボするとき、基本的にはOPNの名義を用いずにやってきた。そう、幾人ものゲストを招いた昨年の『Age Of』までは。だからむしろ、サフディ兄弟と初めてタッグを組んだ『Good Time』(17)がOPN名義で発表されたことのほうがイレギュラーな事態だったのかもしれない。ソフィア・コッポラ監督作『The Bling Ring』(13)もアリエル・クレイマン監督作『Partisan』(15)もリック・アルヴァーソン監督作『The Mountain』(18)も、ダニエル・ロパティンの名でクレジットされていたのだから。
 ときどき自分が人間であることを忘れてしまう──ダニエル・ロパティンはそう語っている。今回OPN名義ではなく本名で作品を発表することになったのは、その音楽がまさに自分のものだと思えたからだという。不思議である。サウンドトラックの制作でそのように感じるのは珍しいケースなのではないか。それに、パーソナルなのはむしろ、OPN名義のほうではなかったか。つまり今回彼は、サフディ兄弟とはもちろん、ゲイトキーパーや「MYRIAD」で仲間に引き入れたイーライ・ケスラーのような他人たちと仕事をすることによって、あらためてみずからの人間らしさや自分らしさを確認しつつも、あえてコラボの解禁されたOPNではなく本名のほうで作品を発表したということで、そこには何かしら他者にたいする意識の変化が……
 とまあ、そんなふうにいろいろと深読みしてみたくなっちゃうわけだけれど、DJアールアノーニをプロデュースしたときもOPN名義だったのだから、たぶん、本人は深く考えて使いわけているわけではないのだろう。思うに、そのようなある種のユルさにこそ彼の本質みたいなものが宿っているのではないか。それに振りまわされるかたちでわたしたちはいつも、「今度はなんだ?」と気になって、独自の分析や自説を披露したくなってしまうのではないか。ようするに、彼の音楽や振る舞いは、どうにも思考誘発性が高いのである。

 今回の『Uncut Gems』でキイとなるのはおそらく、初期の彼を思わせるアナログな触感から『AKIRA』的な発想と王道のクラシカルなアレンジとスムージィなサックスの奇妙な混合へとなだれこんでいく、冒頭“The Ballad Of Howie Bling”だろう。この曲から聴きとることのできる諸要素は、声楽を活かした8曲目やサックスの映える10曲目、やはり芸能山城組を思わせる13曲目、おなじくかつての音色で思うぞんぶん感傷の湯船につかる最終曲などに、分散して登場することになる。ほかにも、これまでの彼にはなかったクラシカルな旋律を聞かせる2曲目や4曲目、ブリーピィかつミニマルな7曲目、ライヒ的な9曲目など、今回のサントラもいろいろと分析したくなる魅力にあふれている。
 そのような誘発性をこそ最大の武器に、2010年代のエレクトロニック・ミュージックを代表する存在にまでのぼりつめたダニエル・ロパティン。去る10月末、《WXAXRXP DJS》のために来日していた彼だけれど、幸運にも取材の機会に恵まれたので、『Uncut Gems』についてのみならず、かつての作品のまだあまり語られていない部分についても質問を投げかけてみた。じっさいに対面した彼は、いわゆるアメリカ人らしい陽気なナイスガイといった印象で、そのサウンドやコンセプトから連想されるような気難しさや思弁の類はいっさい身にまとっていなかった。

音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。

いまも拠点はブルックリンですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):ああ、不幸なことにね。

それはなぜ?

DL:もう10年住んでるからそろそろ場所を変えたいかな。

先日ニューヨークのラジオ局WNYCの「New Sounds」という番組(*1982年の開始以来、積極的にエレクトロニック・ミュージックや現代音楽などを紹介してきた番組)が終わることになって、『ニューヨーク・タイムズ』紙がそのことを「NYはかつてほどクールではなくなってしまった」という方向で記事にしていたのですが(*それらの抗議の結果、番組は継続することに)、いまニューヨークのエレクトロニック・ミュージックのシーンはどうなっているのでしょう?

DL:物価が高くなって、アートやクリエイティヴィティみたいなものが薄くなってきているね。グレイなサイクルに入ってしまっている。豊かな歴史のあるところだから残念だよ。もちろん、そこから変わって新しいものが出てくる可能性はあるよ。僕自身は新しいアイデンティティの感覚がある場所に惹きつけられるね。ニューヨークはアイデンティティがもう決まりきってしまっているというか、そういうサイクルにあるのかなと思う。たとえばメキシコシティに行ったときは、すごく新鮮なものを感じた。新しいものが出てきている感じがした。だからいまは自分の拠点を変えることを考えたり、もう少しアメリカの外で何が起きているかとか、どういうところに何があるのかを考えたりするべき時期なのかもしれないな。

いまニューヨークでおもしろいことをやっていると思えるアーティストやレーベル、ヴェニューはありますか?

DL:ニューヨークでどんな新しいクールなものが出てきているか、何が起きているかという質問に答えるのに、僕はあんまり適していないと思う。よく知らないんだ。なぜかというと、僕は影響を受けることから隠れているからね。新しいものをスポンジみたいに吸収しすぎてしまうと、自分のものがわからなくなるようなことがあるから、いま何が起きているかということからは距離を置いているんだ。でも、友だちがやっていることはおもしろいと思うよ。たとえば〈RVNG〉をやっているマット・ワース(Matt Werth)。彼がキュレイトしたイヴェントやライヴはどれもおもしろいと思う。

前回のサウンドトラックはOPN名義でしたけれど、今回本名を用いたのはなぜですか?

DL:それはほんとうにたんなる思いつきだね。父と母がいて僕が生まれたということ、自分が人間であるということを忘れてしまうときがあるんだけど、そのことを少し思い出したんだ。今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。だからこそ「これは良い作品だ」「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。まあ、思いつきなんだけどね。

人間であることを忘れるというのは、たとえば自分を「音楽機械」のようなものだと感じることがあるということでしょうか?

DL:たしかに、音楽をつくるマシーンみたいなところはあるね。でもそれはクールな機械で、自分でも気に入ってるんだ。他方でものすごく自己中心的な、自分だけの、誰も入れないような世界がある。自分がつくっているものはパーソナルな言語みたいなところがあってね。「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」は自分だけのコミュニケイションみたいな場所なんだ。でも今回はほかのひとたちとのコラボがあったり、監督との絆やコミュニケイションも含まれてるから、もうちょっとあたたかさがあるし、そういう意味では人間的だね。

過去にも何度かサウンドトラックを手がけていますけれど、おなじ監督と組むのは初めてですよね。サフディ兄弟の映像表現はあなたの音楽と相性が良いのでしょうか?

DL:今回は彼らの最高の作品だよ。もちろん彼らは友人だし、コラボレイションがうまくいく親密な関係性ができていると思っている。サウンドトラックをつくることには彼らも関わってくるからね。ただ、彼らと仕事をするのは2回目だけど、ほかにたくさんの監督と一緒にやったわけではないから、比べられる人がいないんだ。僕は、友情がなくても良い仕事はできると思っているから、将来的にはそうじゃない人とも仕事をしてみたい。ただ、ひとつ言えるのは、彼らみたいに友人で、かつアーティスティックな面でも共感できる人と働くのはすごく楽しいし、贅沢だということ。もし一緒に仕事をしなかったとしても、彼らの映画は好きになると思う。すごく良い映画をつくっているからね。一緒に仕事することになったきっかけは、2014年の『神様なんかくそくらえ(原題:Heaven Knows What)』なんだ。あの映画を観てすごく良いと思ったし、そのひとつ前の、レニー・クックというバスケットボール選手のドキュメンタリー(『Lenny Cooke』)も観ていたから、ぜったい良い仕事ができると思っていたんだよね。

今回もサウンドトラックに台詞が入っていますね。これはじっさいに映画のなかで使われている音声ですか?

DL:4つ入っているはずだけど、それらはとくに僕がとりつかれている台詞なんだ。僕にとって重要で、この映画のソウルを代表するような台詞を選んだ。ただ、それはちょっと変な台詞で、たとえば予告編に入れられるタイプの台詞ではないんだけど、自分にとってはすごく重要なもので。僕にとってこの映画の意味を象徴するような台詞だね。

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ヴェイパーウェイヴは祈りみたいなものだと思う。自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。

今回のサウンドトラックにも声楽が入っていますけれど、これまでサンプリングだったり聖歌的なものだったり叫びだったり、あるいはチップスピーチを導入したり自分自身で歌ってみたり、毎度アプローチは異なれど、あなたは一貫して声にたいする高い関心を抱きつづけてきたのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

DL:声はものすごくユニークな楽器なんだ。地球上でいちばん変な、ユニークな楽器で、ある意味人間のあり方とか音楽のあり方、ことばとしての音楽のあり方のキイになるようなものだと思う。これから言うことは僕のオリジナルな理論ではないんだけれど、音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。たとえば傷ついたときとか、死に直面したときのうめきだったり、音楽はそういうものから生まれたんだっていう理論があってね。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。だから、声ってものすごく変だし、いわゆる人間的といわれているものとはぜんぜんちがう、エイリアンのようなものだったりもするけど、でも同時にほぼすべての人が持っているもので、それが人を進化させてきた。人間ひとりひとりが声を持っている。それは全員が生まれつき持っているものでありながら、ひとりひとり異なるものだ。こんなに多様な楽器はほかにないよ。そういう意味で声はものすごく興味深いね。

なるほど。そのような声にたいするアプローチは、9年前のチャック・パーソン名義の作品でも、スクリュードというかたちであらわれていました。『Eccojams Vol. 1』はヴェイパーウェイヴの重要作とみなされていますが、日本ではなぜかいまになってヴェイパーウェイヴが再流行しています。ユーチューブに音源をアップしていた当時は、どのような意図があったのでしょう?

DL:はじめはシンプルだったよ。そのころはデスクワークの仕事についていて、時間を無駄にしていたんだ。与えられた仕事が来るまでコンピュータの前で何時間も何もしないようなときがあったりね。ものすごく落ち込む仕事だった。それで、その時間にループをつくりはじめたんだ。自分にとってはちょっとした詩みたいなもので、ポップ・ソングのある部分を切りとって、それをものすごくスロウダウンさせて、瞬間を引き延ばして、そのなかで自分がポエティックな瞬間を泳げるような感覚をつくりだした。だから、ものすごくパーソナルなものだったんだ。つくり方も簡単で。やり方を学べば誰でもつくれるものだから、それを大勢の人たちがつくって、フォークロア的なものになればいいなと思ったんだ。みんながつくることでそれがひとつのプラクティスになるようなね。だから、いま日本でヴェイパーウェイヴが人気になっていたり、もしかしたらほかの場所でも人気なのかもしれないけど、そう聞いて僕はすごく嬉しいよ。喜びを感じるね。自分がはじめたころはオリジナルなものだったから、とくにユニークなものだとも思っていなくて、単純で、プラクティスみたいなものだと思っていた。誰でもできるものになっていくと思っていたから、じっさいにいまそうなっているのは嬉しいよ。(ヴェイパーウェイヴは)祈りみたいなものでもあると思うんだ。それはべつにポップ・ミュージックの神さまにたいする祈りということではなくて、自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。そこでものすごく鳥肌が立つような感覚を得たりね。そういう音楽の瞬間をつくる。それは3分間でもいいし、300分間でもいいんだけどね。

『Eccojams』のアートワークとタイトルは、セガのゲーム『エコー・ザ・ドルフィン』のパロディですよね。イルカがサメに変更されていましたけれど、あのイメージを使ったのはなぜですか?

DL:いくつかレイヤーがあるんだ。「Eccojams」ということばは、もちろんゲームから出てきたってのもあるけど、「ecco」という文字の並びが好きだったってのもある。あと、ミニットメンっていう、いろんなことばをつくったカリフォルニアのパンク・バンドがいて、たとえば「マーチャンダイズ」のことを「マーチ」って言いはじめたのも彼らなんだ。いまでは誰もが「マーチ」って言っているよね。それで彼らは、「We jam econo」という言い方もしていて、「econo」は「economy」から来てると思うんだけど、高い楽器じゃなくて安い楽器でジャムってるんだぜ、って意味で彼らは「We jam econo」と言っていて、その「econo」を使ったってのもある。だから、すごくいろんな意味があるんだ。当初は「Econo Jam」だった気がするな。それを「Eccojams」に変えた気がする。(*このミニットメンのくだりは昨年すでに『Age Of』リリース時のインタヴューで語ってくれている。紙エレ22号の32頁参照。ここではイメージの意図を尋ねたかったのだが、残念ながらうまく伝わらなかった模様)

きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

あなたの友人であるジェイムス・フェラーロもヴェイパーウェイヴの重要人物のひとりとみなされています。『Age Of』のコンセプトは彼との読書会をつうじて生まれたものだそうですが、それはほんとうですか?

DL:音楽界でいちばん古い友人だね。だからすごく仲はいいんだけど、彼はほんとうにミステリアスで変なやつなんだ。最後に彼と会ったのは、僕がたまたまパリでギャスパー・ノエ監督を訪ねていたときで。彼(ノエ)のアパートはものすごく人が行き来する道に面しているんだけど、ドアを開けたらなぜかジェイムスがいたんだよ! ジェイムスはパリに住んでいるわけじゃないんだけど、たまたまドアを開けたら彼がいたんだ。「なんだこれ、夢なのか?」って思いながら「何してるの?」って声をかけたら、「いまフランス革命のリサーチをしているんだ」って言っていたね(笑)。まったく理解できなかったよ(笑)。彼は魔法使いみたいにクレイジーなやつでね。僕はただふつうに生活している人間だけど、彼は魔術師みたい、ソーサラーみたいなんだ。ときどきテキストでやりとりをしたりするけど、じっさいに会ったのは何ヶ月も前だな。ほんとうに変わった人だよ。

最近の彼の作品は聴いています?

DL:つねに超フレッシュな人だと思う。彼の音楽はどの曲もぜんぶ聴いてるはず。ものすごくオリジナルで、彼の脳のなかに直接トランスミッションしているような音楽、それが彼の音楽だと思う。聴いているとまるで脳のなかに座っているような感覚になるんだ。良いアート作品にはつねにそういう部分があるものだと思うけど、彼はほんとうにオリジナルだと思うよ。

いま彼がやっているポスト・アポカリプティックなフィクションについてはどう見ていますか?

DL:彼のコンセプトを信じちゃダメだよ! ぜんぶしょうもないことを言っているだけだから(笑)。インタヴューで聞くぶんにはすごくおもしろいし、まとまりもあって、僕も思うところがあるけど、彼は彼自身を含め、まわりの人みんなに嘘をついている。バカにしているところがあるんだ。でもそれはまったく悪意ではなくてね。ものすごく美しくて、シュルレアリストみたいなものだよ。きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

(わりと信じてますけど……と言いかけたもののお尻が迫っていたのでつぎの質問へと移る)『Age Of』ではCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)の論集からインスパイアされたことがクレジットされていたため、いろんな憶測が飛び交いました。そのことについてあなた自身の口から説明してください。

DL:変な憶測だね。CCRUに影響されているのは“Black Snow”という曲だけ。ウェイバック・マシン(Wayback Machine)っていうウェブサイトをやっていた友だちが、サイバーパンクのアーカイヴのなかから一篇の詩を見つけて、僕に送ってきたんだ。その詩がまるでランディ・ニューマンの曲のように思えてね。それで少しことばを変えたりして、サイケデリックなランディ・ニューマンの曲みたいにしてつくったんだよ。ただそれだけのシンプルなこと。だから、ニック・ランドがいま言っているような政治のばかばかしいこと、それを僕は残念だと思うけど、それとはまったく関係ないね。

ニック・ランドや加速主義にシンパシーを感じているわけではない?

DL:そもそも彼についての知識があまりないね。ただ、2~3年前に彼の本を読んだときに、すごく美しくてカラフルでシュルレアリスティックなことばをつくる人だとは思った。詩人みたいな部分ですぐれたものを持っていると思う。でも、政治的なスタンスとかは、ものすごくヘイトに満ちた人だから、自分が彼とつながっている、彼に共感を持っていると思われるのはいやだな。彼が過去じっさいにそういうコレクティヴの一員だったことはたしかだけどね。僕はそれをよく知っているわけでもないし、そこに共感したということではないよ(笑)。

FKA Twigs - ele-king

 2010年にデビューし、ブライアン・イーノパティ・スミス以来の逸材と絶賛されたアンナ・カルヴィは、4年後、「EP2」に収録されていたFKAトゥイッグスの“Papi Pacify”(https://www.youtube.com/watch?v=OydK91JjFOw)をカヴァーしている。カルヴィはなるほどパティ・スミスを思わせる堂々とした歌いっぷりで、カントリー色が強く、“Papi Pacify”もスケール感を持たせた仕上がりとなっている(https://www.youtube.com/watch?v=ljI6eLcGyzw)。トゥイッグスとカルヴィの“Papi Pacify”を聴き比べてみると、その違いは歴然で、密室的な響きを重視するトゥイッグスにはヨーロッパ的な美と官能が横溢し、カルヴィのそれは対照的にドライでパワフル、それこそアメリカ的な解放感そのものである。そこは見事に変換されている(トゥイッグスをアメリカ的な空間概念に放り込んだスパイク・ジョーンズのCM「ホームパッド」はまるでわかってねーなー)。「Pacify」には「宥める」という意味があり、トゥイッグスが触感でそれを達成しようとするのに対し、カルヴィにはまったく色気がなく、風に吹かれるなど自然の摂理として同じ効果を期待させているといえばいいだろうか(“Papi Pacify”のカヴァーが収録されたEP「Strange Weather」にはデヴィッド・ボウイとのデュエットやカヴァーも)。

 FKAトゥイッグスの美と官能は何に由来するのか。ひとつには彼女の音楽的バックボーンがインダストリアル・ミュージックと近しいことにあるだろう。これまで僕がトゥイッグスについて書いたことを簡単にまとめると、それは「スクリュードされた賛美歌」だということで、何度も書いてきたことだけれど、ショスターコヴィッチがインダストリアル・ミュージックの元祖だと思っている僕にとってインダストリアル・ミュージックもモダン・クラシカルもポピュラー・ミュージックの場面では大差なく(ポスト・クラシカルと呼ぶのは日本だけ)、大きくいえば拘束の美学に貫かれ、とくにインダストリアル・ミュージックは機械文明のなかで疎外された肉体を誇張して表現してきた歴史があり、官能性はまさにその中心をなす理念といえる。トゥイッグスのヴィデオから音を消してデムダイク・ステアエンプティセットを流してもまったく違和感がなく、トゥイッグスのヴィジュアル表現がインダストリアル・ミュージックそのものだということはすぐに理解できるだろう。インダストリアル・ミュージックが前衛や回顧も含めて2017年にピークに達したということはスロッビン・グリッスルの再発評でも書いた通りで、明らかに2010年代の音楽的な屋台骨をなし、様々に分岐していった一本の小枝がトゥイッグスだったのである(なんて)。とくにアルカとの関係は興味深く、アルカのサウンドを覆う表面的なインダストリアル・テイストではなく、その根底にあるアーサー・ラッセルのスタティックな音楽性はトゥイッグスとアルカをこれ以上ないというほど強く結びつけた感がある。『MAGDALENE』ではアルカはブルガリアン・ヴォイスをサンプリングした“Holy Terrain”のヴォーカルをいじり、プログラムを手掛けた以上の関係ではないけれど、『LP1』(14)で構築されたモードから大きく逸脱することはないという意味で、やはりアルカが与えた指標には大きなものがあるだろう。『MAGDALENE』をつくっていた時期にトゥイッグスがアーサー・ラッセルばかり聴いていたというのもアルカの向こう側にあるものに興味を持ったからではないかと僕は邪推する。“Holy Terrain”はまた、プロデュースでスクリレックスが関わっていることにも驚かされる。

 とはいえ、『MAGDALENE』を生み出す大きな立役者となったのはニコラス・ジャーだという。全体をコントロールしているのはトゥイッグスだけれど、彼女のなかにあったものを引っ張り出してくれたのはジャーの手腕によるところが大きいとトゥイッグスはオフィシャル・インタヴューで強調している。ジャーが関わっていないのは前出の“Holy Terrain”とダニエル・ロパティン(OPN)&モーション・グラフィックスとの“Daybed”だけで、プロデュースに参加していない曲でもジャーはドラムやパーカッションを叩くなど、なんらかのかたちでほとんどの曲に関わっている。ジャーによる2016年のサード・アルバム『Sirens』にはどことなく賛美歌めいた曲もあり、官能性からはほど遠いものの、「Pacify」という感覚を敷衍するという意味でモダン・クラシカルの文脈を共有することができたということなのだろう。ジャーにしても『MAGDALENE』は大きな飛躍を意味したに違いない。それはモダン・クラシカルが主に再生産している18世紀のロマン主義における両義性というものだったのでははないだろうか──彼の新作を聴いてみなければわからないけれど(“Papi Pacify”のカヴァーを含むアンナ・カルヴィのEP「Strange Weather」にはスーサイド“Ghost Rider”のカヴァーが収録され、『Sirens』にもこれに通じるような“Three Sides of Nazaret”だったり、なぜかロックンロールの痕跡が散りばめられている)。

 オフィシャル・インタヴューでトゥイッグスは気になることを語っている。18世紀のドレスとストリート・ファッションのミックスに興味があるというのである(これを聞いてのけぞらないパンク世代はいないだろう。パンク以降、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルカム・マクラーレンはバック・トゥー・ヴィクトリアに向かった前者とBボーイ・ファッションに入れ込んだ後者に分かれて敵対し、ウエストウッドは「Bボーイ・ファッションは低脳」とまで罵っていたのだから)。18世紀のドレスとモダン・クラシカルが掘り起こす18世紀のロマン主義。それらをヨーロッパにおける伝統回帰の範疇として捉え直すと、2010年代のもう一方のトレンドであるワールド・ミュージックの掘り起こしとは、ある意味、同じことを並行してやっているという印象を持ってしまう。ヨーロッパの伝統とアフリカの伝統。どちらにもアイデンティティが契機としてあり、悪くすれば移民排斥の原動力にもなりかねない(南アフリカでは周辺国からの移民が殺される事件が相次ぎ、移民が引き揚げていく現象が起きている)。それぞれの回帰作業を横断してしまうこと。これがトゥイッグスの音楽を特別なものにしているのではないだろうか。「スクリュードされた賛美歌」というのはそういう意味である。ボディ・ミュージックをファンクでねじ伏せたジェフ・ミルズと大枠でやっていることは同じというか。

 ロマン主義とはまた、神の不在が意識された時代でもある。タイトルの由来となった「マグダラのマリア」についてトゥイッグスは、これまで「罪深い女」だとされてきたマグダラのマリアの評価が変わってきたことをあげている。マグダラのマリアには子どもの頃から興味があり、とくに「罪深い女」であり「聖女」でもあるという二面性に惹かれてきたと彼女は続けている。これと同じことをマーティン・スコセッシが1988年に映画化した『最後の誘惑』の原作者ニコス・カザンザキスもイエス・キリストについて述べている。「極めて人間的なものと超人間的なものの両面性を持っていた。キリストのこの二元性は私にとって以前から尽きぬ謎であった」(映画字幕より)。『最後の誘惑』はそして、キリストが磔にならず、マグダラのマリアと結婚して幸せな家庭を営みかけるというアナザー・ストーリーを構築する。そうでなくともキリストを当時、イスラエルにはごろごろいた革命家のひとりとして荒くれ者のように描いた同作は、キリスト教右翼が勢力を伸ばしていたアメリカ各地でボイコットに会い、上映禁止に追い込まれてしまうものの、『聖書』にはマリアとイエスが「結婚していない」という記述は見つからず、少なからずの支持者を得た考え方となり、キリストとその信者の結びつきを考える上ではユニークなアプローチをなしていることは否めない。マグダラのマリアが同じように評価を変えているとしたら、例えば僕にはコージー・ファニ・トゥッティがストリップをやっていたことについて自伝で肯定的に語っていることや、チッチョリーナやサーシャ・グレイといったストリッパーたちが広い意味で文化的に、あるいは政治的にも活躍してきた時代背景との関連を考えずにはいられない。コージー・ファニ・トゥッティもそうだし、マドンナが『ワンダーラスト』(08)でポール・ダンスに寄せていた思いはとても複雑なものに感じられ、“Cellophane”のヴィデオ(https://www.youtube.com/watch?v=YkLjqFpBh84)でトゥイッグスがポール・ダンスを題材に選んだことは(彼女にはマドンナやムツミ・カナモリが性を売って乗り越えなければならなかったハードルはなかったはずだけれど)、そうした歴史の延長上にある表現だったといえるだろう。ジミー・ファロンの「レイト・ナイト・ショー」でトゥイッグスが踊るポール・ダンス(https://www.youtube.com/watch?v=yRyrvdB_3lQ)はまさに息を呑むような美しさであった(それにしても相当な腕の力ですよね、これは)。

 インダストリアル・ミュージックがダンスホールと結びつき、トゥイッグスの横断性に習ったのが2016年。あれから3年が経ち、イキノックスと結びついたロウ・ジャックがヴァチカン・シャドウにもダブをやらせてしまった(https://www.youtube.com/watch?v=BqiRpPZU7V4)。これをファッション・トレンドと呼ばずして何を?

Daniel Lopatin - ele-king

 まもなく《WXAXRXP DJS》での来日を控えるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンが、新たなサウンドトラックをリリースする。2年前の『グッド・タイム』に続いて、今回もサフディ兄弟監督による映画の劇伴だが(原題『Uncut Gems』)、名義が OPN から本名へと変わっているのには何か意図があるのだろうか。
 映画の製作総指揮はマーティン・スコセッシで、主演はアダム・サンドラー、さらに作中ではザ・ウィークエンド(The Weeknd)がサックスを吹いていたり(予告編にも登場)、トラヴィス・スコットまで参加している模様。全米では12月13日に公開され、それ以外の地域では2020年1月に Netflix での配信が予定されている。
 なお、サントラのコントリビューター一覧にはイーライ・ケスラーゲイトキーパーの名も挙がっており、音楽のほうも注目すべきポイントが多そうだ。リリースは映画の公開とおなじ12月13日。

DANIEL LOPATIN

アダム・サンドラー主演、サフディ兄弟監督の話題作
『UNCUT GEMS』の音楽をOPNことダニエル・ロパティンが担当
12月13日にサウンドトラック・アルバムのリリースが決定

ダニエル・ロパティンが新たに手がけたサウンドトラック・アルバム『Uncut Gems - Original Motion Picture Soundtrack』が12月13日にリリースされることが発表された。ハリウッド俳優アダム・サンドラーが主演を務め、NBAの元スター選手であるケビン・ガーネットや、ザ・ウィークエンドが本人役で出演するクライムサスペンス映画『Uncut Gems (原題)』は、ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟が監督を務め、新進気鋭の映画スタジオA24の配給で2020年1月に Netflix にて公開が予定されている。

Uncut Gems | Official Trailer HD | A24
https://youtu.be/vTfJp2Ts9X8

今週いよいよ開催を迎える〈WARP RECORDS〉30周年記念イベント《WXAXRXP DJS》にも出演するワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンとサフディ兄弟がタッグを組むのは、2017年公開のロバート・パティンソン主演映画『グッド・タイム』に続き、今回が2度目となる。『グッド・タイム』では、カンヌ・サウンドトラック賞やハリウッドメディア音楽賞を受賞したことでも大きな話題となった。ダニエル・ロパティンは、これまでにもソフィア・コッポラ監督映画『ブリングリング』(2013)やヴァンサン・カッセル主演映画『Partisan (原題)』(2015)の映画音楽を手がけている。

ダニエル・ロパティンが手がけた音楽が、映画のクライマックスの緊張感をさらに高め、また幻想的な要素も加えていることよって、強迫観念や神経の高ぶりが生むエネルギーが映画を包み込んでいる。 ──Little White Lies

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンの類いまれなるパーカッシヴなサウンドトラックが、次々と巻き起こる展開を圧倒する ──IndieWire

エレクトロニカとオペラを融合したダニエル・ロパティンによる不穏な音楽は、見る者の血圧を上昇させ続けながら、サフディ兄弟の生み出す奇妙なマジックに多大なる貢献をしている。 ──Thrillist

Uncut Gems (原題)
監督:ジョシュア・サフディ&ベニー・サフディ
脚本:ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ、ロナルド・ブロンスタイン
製作:スコット・ルーディン、イーライ・ブッシュ、セバスチャン・ベア・マクラード
出演:アダム・サンドラー、キース・スタンフィールド、ジュリア・フォックス、ケビン・ガーネット、イディナ・メンゼル、エリック・ボゴシアン、ジャド・ハーシュ
音楽:ダニエル・ロパティン
公開:2020年1月予定

ダニエル・ロパティンによるサウンドトラック・アルバム『Uncut Gems - Original Motion Picture Soundtrack』は、12月13日(金)に世界同時リリース。国内盤CDには解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Daniel Lopatin
title: Uncut Gems Original Motion Picture Soundtrack
release date: 2019/12/13 FRI ON SALE

国内盤CD
BRC-625 (解説書封入) ¥2,200+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10630
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZR5G8DL

TRACKLISTING
01. The Ballad Of Howie Bling
02. Pure Elation
03. Followed
04. The Bet Hits
05. High Life
06. No Vacation
07. School Play
08. Fuck You Howard
09. Smoothie
10. Back To Roslyn
11. The Fountain
12. Powerade
13. Windows
14. Buzz Me Out
15. The Blade
16. Mohegan Suite
17. Uncut Gems

Sequoyah Murray - ele-king

 アトランタといえばいまじゃトラップのいわば聖地だが、セコイア・マーレイ(Sequoyah Murray)を虜にしたのはグライムスだった。そして彼はエレクトロニック・ミュージックに興味を抱き、地元のDIYコミュニティや即興/ジャズのシーンに出入りした。マーレイが今年の5月に〈スリル・ジョッキー〉からリリースしたデビューEP「Penalties Of Love(恋の罰)」は、“黒いアーサー・ラッセル”としてこぞって評価されているが、22歳になったばかりの若者の才能には、もっとさまざまな感覚が詰まっているという点において自由で、魅惑的かつ新鮮であることが先日リリースされたばかりのファースト・アルバム『Before You Begin』によって明らかになった。
 3オクターヴほどの音域を行き来しながら、バリトンヴォイスを自在に操るマーレイのヴォーカリゼーションは、ありし日のビリー・マッケンジーのようである。たしかにアーサー・ラッセル風だった「Penalties Of Love」とはまた違って、『Before You Begin』はグライムスの影響から来ているのであろうシンセポップ風の曲もあることも一因となって、色気と荘厳さを兼ね備えたマッケンジーを彷彿させる。つまり、イヴ・トゥモアがデヴィッド・ボウイならこやつはロキシー・ミュージックだ。恋がはじまったら、やがて終わりゆくであろうその甘美な時間は、しかし終わってはならない、断固として。

 両親ともに音楽家で、家にはプロのドラマーの父が作ったスタジオがあるという恵まれた環境で育ったセコイア・マーレイはポップスも大好きで、とくにビヨンセのファンであることを公言している。終わってはならない甘美な時間はポップスの本質でもあり、本作においてはミルトン・ナシメントとトロピカーナからの影響もあるそうだ。色気に満ちた声と実験性のあるポップ・サウンド(ゴスペル、アフロ、ラテン的サイケデリア)との素晴らしい結合は、この先大きな舞台にも昇りそうではあるが、ある記事によると今年ベルリンでマイク・バンクスに感銘を受けたというから、この若者はまだまだいろんなものを吸収していきそうである。
 近年はOPNであるとかローレル・ヘイローであるとか、ドレイクやジェイムス・ブレイクもしかりだが、ゼロ年代後半に脚光を浴びはじめた人たちもすっかりベテランと呼べるような年になって、そして同時に今後10年に重要な働きをしそうな若い世代が出はじめている。が、それにしても“Penalties Of Love”はキラーすぎる。

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