「OPN」と一致するもの

Oneohtrix Point Never - ele-king

 『Returnal』の最初の2曲を聴いて欲しい。とくに1曲目の、嵐のようなノイズ──ノイズなどと書くとマニアが好むところのノイズだと思われそうだが、オウテカからマイブラまでを含む広義のノイズだとお考えいただきたい──は圧巻で、メドレーとなっている2曲目の重たいドローンへの展開は、テクノと呼ばれる音楽に興奮したことのある感性であるならば打ちのめされるだろう。
 2010年、〈エディションズ・メゴ〉は、エメラルズの『Does It Look Like I'm Here?』とともにワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、通称OPNの『Returnal』をリリースした。この2枚のアルバムが、当時のUSアンダーグラウンド・シーンの素晴らしい豊かさを世界に知らしめたのである。快楽原則の支配から逃れられないクラブを拠点としたエレクトロニック・ミュージックから生まれようのない音楽である。そもそも、ノイズ、アンビエント、ドローンなどという、言葉だけ見るといかにもマニアックで地味な音楽が、これほど魅惑的に響くとは、僕には思いも寄らなかった。〈ワープ〉もアプローチが遅い! 
 だいたい、ジェシー・ルインズには最初に謝っておくが、僕の嫌いな......、いや、嫌いじゃない、だいっ嫌いな(とあまり繰り返すと、それは好きだという意味だと言われるのでもう言わない)ソフィア・コプラが映画で起用するようになったこの年、OPNの新譜が〈ワープ〉から出る。『R Plus Seven』は、アンビエント色を強めた前作『Replica』の延長線上にある作風で、ピアノの音色が印象的な、豪快な『Returnal』と比較して控えめだが深い作品となっている。ノイズはないが、OPN流サティ解釈と言うと大げさだが、いままで見せなかった美しい旋律がある。早い話、いままででもっとも幅広く聴かれそうな内容だ。待望の新作は9月21日に発売。

IKEBANA - ele-king

 この10年、お決まりの語法を無視したユニークな音楽の多くが北米から出て来ている。エクスペリメンタル・ミュージックと呼びうるものは、UKにシーンがないわけではないのだろうけれど、しかし、圧倒的に北米もしくはUK以外の欧州からのほうが目立っている。1980年代はOPNやローレル・ヘイロー、グルーパーやエメラルズのような音楽、いわゆるレフトフィールドな音と言えばUK以外からの方が珍しかったというのに、である。社会的、経済的な厳しさで言えば、北米もそれなりにきついはずだ。裕福だから実験、というわけではないだろう。
 何にせよ、こうした豊かな多様性を持った、知覚の領域を拡張するための......か、どうかは知らないが、メインストリームに媚びることない実験精神旺盛なUSインディ・シーンと共鳴するような日本人アーティストがもっと出てきてもおかしくはない。前に紹介したイルハはそのひとつとに数えらるのだろうが、このイケバナもリストに加えておこう。

 元シトラスとインセンスという、活動歴の長いふたりの女性からなるイケバナの音楽にいちばん近いのは、僕が思う限り、おそらくグルーパーだろう。とはいえ、ゆらめいているギターとその残響音から聴こえる彼女たちの歌は、はっきりと、「歌」としての輪郭を保っている。歌詞があるし、ホープ・サンドヴァルほど声に力があるわけではないが、"Alone"や"Rose"には惹きつけられるメロディがある。何かこう、持っていかれるのである。
 電子的に変調された声と美しいギターのアルペジオが交錯する"Kiss"の展開も、聴き手をものの見事に引きずり込んでいく。7分以上ある"Ikebana"は、他の曲と同様に、最小限の音数と魅惑的な残響音、そして空間的な「間」を使って、素晴らしい音楽体験をもたらしてくれるだろう。この曲に関して言えばイルハの音響と近いものを感じるが、音の間合いはより長く、魅惑的な静寂を持った、残響音の美学だと言えよう。
 この、じわじわとリスナーを増やしていきそうなアルバムのマスタリングは、デムダイク・ステアのマイルス・ウィッテカー。この作品に対してヨ・ラ・テンゴが惜しみない賛辞を送るばかりか、自らリミックスも手がけていると聞くし、"Alone"に関してはKing og Opusによるリミックスも近々発表されるらしい。8月3日にライヴがあるというので、行ってこようかと思います。

interview with Tim Hecker - ele-king

 週刊誌的な興味でしかないと思いつつ、ブランドン・クローネンバーグのデビュー作『アンチヴァイラル』を観に行った。そして、そこには父の失ったものがすべてあるとさえ思えた。多言は必要ないだろう。スノッブと観念を瞬時に結びつけてしまう手際は見事にトレースされ、『ヴィデオドローム』をそのまま引用したシーンまであった。余裕だ、としか思えなかった。
 
 ゼロ年代前半、ティム・ヘッカーが『ラジオ・アモーレ』(03)で、それまでのアンビエント・ミュージックにはなかったようなササクレだったムードを持ち込んだとき、それがどこから来るものなのか、最初はぜんぜんわからなかった。発信元はドイツの〈ミル・プラトー〉でもヘッカー本人はカナダで活動していることや、彼の周辺にはゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!がいて、翌年、地元の〈エイリアネイト〉からリリースされた『ミラージュ』にはそのメンバーが多数、起用されていたことから、彼に対するイメージは少しずつアグレッシヴなものへと変化していく。それは安直にデヴィッド・クローネンバーグやGYBE!が醸し出してきたアポカリプティックでタナトスと結びついたカルチャーとのオーヴァーラップと言い換えてもいい。ブランドン・クローネンバーグに煽られていた僕は、つい、そのことを訊きたくなってしまった。

自分にとって感情や興味が沸き上がるような音楽を作ることにフォーカスしている。平穏を保ち、美しくグロテクスで、みんなが聴いてくれるような音楽であればと思ってる。

自分の音楽を映画に喩えると、どの作品になるでしょう? ちなみにブランドン・クローネンバーグ『アンチヴァイラス』は観ましたか?

TH:見たことないな。なので答えるのは難しいね。日本の映画だと新藤兼人の『鬼婆』(64)になるんじゃないかな。

 え? 新藤兼人。去年、亡くなった?(さきほど日付が変わり、原稿を書いている途中で命日になった) 僕は『裸の島』や『北斎漫画』といった代表作しか観たことはなかった。人間を即物的に撮るという印象が強い作家である。話は前後するけれど、僕はこういった興味にはまったく逆らえないので、インタヴュー後、すぐに『鬼婆』を観てみた。そして、なるほどであった。ティム・ヘッカーをクローネンバーグやGYBE!と重ね合わせたのは間違いだった。そのことを知らずに以下のインタヴューは続いていく。なんとももどかしい。


作を重ねるごとに作風が重々しくなっていきますが、それは意識的にそうしているんですか?

TH:それは違うな。時間の経過でそうなったのか、礼拝的なハーモニーへの興味はあると思う。

あなたは常にエモーショナルなノイズ・ドローンを生み出そうとしていますが、人が抱く感情のなかでもとりわけ「切なさ」を重視しているように 思えます。それとも違うことにこだわりがありますか?

TH:自分にとって感情や興味が沸き上がるような音楽を作ることにフォーカスしている。平穏を保ち、美しくグロテクスで、みんなが聴いてくれるような音楽であればと思ってる。

同郷だからというわけではないのですが、あなたの音楽はゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!の音楽をエレクトロニック・ミュージック に置き換えた面があると感じますか? やはり影響は受けている? それともこれは誤解?

TH:彼らのスタジオは自分の住んでいる家から2ブロック先の所にあるけど、直接的な影響はないと思う。間接的にはあるよ。モントリオールは小さい町だからね!

ラジオ・アモーレ』があなたの転機になったと思います。単に気持ちいいだけのアンビエント・ミュージックではなく、ノイズや耳に痛い要素を取り入れたものをつくっ たのはなぜですか? 普通に考えると90年代のアンビエント・ミュージックに対して不満があったのかなと思いますが。

TH:当時はアメリカのノイズ・シーンで起きていた音楽が好きで、個性やパワーを感じていたし、無味乾燥なコンピューター音楽をチープなギター・ディストーションに通して、ある特定のテキスチャーとムードを作るというアイデアに興味を抱いていたんだ。それが自分が探求していた手法だった。

 ここだ。彼はとくに名前をあげていないけれど、紙エレキング7号でこってりと特集したように、ウルフ・アイズやダブル・レオパーズがアメリカの地下シーンを形成し始めた頃で、イエロー・スワンズやバーニング・スター・コアのデビューもこの時期に重なっている。前述した『鬼婆』でも冒頭から林光がおどろおどろしいパーカッションを挿入し、かつてミュージック・コンクレートが執拗に欲した無常観を彼が欲していたことがよくわかってくる。そう、最初はなんだかわからなかった『ラジオ・アモーレ』の謎がどんどん解けていく。


『ラジオ・アモーレ』というタイトルの意味を教えて下さい。

TH:スペイン語で「ラジオ・ラヴ」という意味で、ジャケットもそうなんだけどフィールド・レコーディングの多くは中米で録ったんだ。

洞窟や教会など、スタジオとは違った音の響きをする場所で録音を試みるのはいつからやり始めたことですか?

TH:前からずっと興味があって、最近やっとちゃんと出来る環境を見つることが出来た。『レイヴデス 1972』はスタジオの仮想的な空間を合成的にシュミレートしたリバーブでなく、実際の大きな空間のなかで作れた最初の作品だね。

もっとも大きな影響を受けたと思うミュージシャンを3人あげて下さい。

TH:わからないな。

ダニエル・ロパーティン(OPN)から『インストゥルメンタル・ツーリスト』のコラボレイトを持ちかけられた時、彼のことは知っていましたか? また、共同作業を通じて評価が変わったところはありますか?

TH:ネットで連絡を取って話をたくさんして、それからレコーディングを一緒に何日かやってみようという流れになったんあ。ポスト・デジタルな時代において、どうスタジオでコラボレートするかを考えさせられる良いきっかけになったね。

 最初に作風が重々しくなっていると訊いたように、OPNとのコラボレイトでもヘッカーはその路線を突き進んでいる。同作のライナーでも書いたようにロパーティンもマザー・マラーズ・ポータブル・マスターピース・カンパニーのデヴィッド・ボーデンと共作を試みるなど、両者にミュージック・コンクレートや現代音楽への興味があったことが一種の接点をなしていたことは間違いない。そこにあるのは、ヘッカーが興味を抱いたUS地下シーンの洗練であり、彼の身体を通した解釈である。『レイヴデス 1972』に続くソロの新作はこの秋になるらしい。


WWW presents Tim Hecker Japan Tour 2013

WWW presents
<東京> Opening Guest:Ametsub -exclusive set-
日  程:2013年6月7日(金)
会  場:渋谷WWW
時  間:OPEN 19:00 / START 20:00
料  金:前売¥4,000 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:WWW 03-5458-7685

主催:渋谷WWW
協力:p*dis / melting bot

WWW & night cruising present
<京都> Opening Guest:Ametsub -exclusive set- / DJ:Tatsuya Shimada (night cruising)
日  程:2013年6月8日(土)
会  場:京都METRO
時  間:OPEN 17:00 / START 17:30
料  金:前売¥2,800 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:METRO 075-752-2787 / WWW 03-5458-7685

主催:渋谷WWW / night cruising
協力:京都METRO / p*dis / melting bot

<チケット発売中>
チケットぴあ[P:197-955] / ローソンチケット[L:75645] / e+ (https://eplus.jp/timhecker)
WWW・シネマライズ店頭(東京公演のみ) / メール予約(京都公演のみ)

東京公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/1306/003742.html
京都公演詳細:https://www.metro.ne.jp/schedule/2013/06/08/index.html

The Flaming Lips - ele-king

 ロッキー・エリクソンの半生をかなり生々しく描いているらしいドキュメンタリー『YOU'RE GONNA MISS ME』にはずっと興味を引かれつつ、まだ見ていないし、これからも見ないほうがいいのかもしれない。精神病院を出たエリクソンが5つ以上のスピーカーからノイズを流しながらサングラスをかけたままテレビを観る場面の強烈さが相当らしく、「サイケデリック・その後」の人生に覗き見感覚で接することは......60年代の遺産の暗部にダイレクトに触れる覚悟がなければ許されないような気が僕はしている(そして、その覚悟はまだない)。ただ、だからこそエリクソンの場合、その人生を経た音楽作品、すなわちオッカーヴィル・リヴァーのサポートを得た復帰作『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オブ・イーヴル』のシンプルな力強さは胸の奥の柔らかいところを一瞬にして掴むものであったし、そしてまた、刑務所で録音されたというそのボロボロの音の弾き語りを聴く度にいまも、音楽から逆流して彼の人生に想いを馳せずにいられない。

 サイケとは言いつつ、2000年代以降の表面的なイメージとしてのザ・フレーミング・リップスは、大勢のヌイグルミを従えて夜毎楽しげな宴を繰り広げている愉快なバンドといったところだろう。もちろんその楽しさはウェイン・コインの実存主義的思想(「きみの知っているひとはみんな死ぬ」)に裏打ちされたものであるが、その哲学自体、バンドのドキュメンタリー『フィアレス・フリークス』によるとメンバーのスティーヴン・ドロゾがドラッグで死にかけた経験に基づいていることがわかる。30年前、ただのジャンクなサイケ・バンドとしてその後の可能性を感じさせずに登場した彼らは気がつけば、いくつかの最悪なバッド・トリップを経験しながら、多くのアメリカのインディ・バンドにとっての精神的支柱のような存在にまでなった......ブッ飛びながら、逸脱しながら、フラフラと表現活動を続けるモデルとして。
 だから、ザ・フレーミング・リップスはひとつのゴールを過ぎたバンドとして、抱かれたイメージと期待に応えながら楽しく活動し続けることだって選べたはずなのだ。が、彼らはそうしなかった。攻撃的で、実験的、ダークだった大作『エンブリオニック』の時点でたしかに新たな道を選んでいたし、先のコラボレーション・シリーズにしたって豪華なゲスト陣とは裏腹にマニアックめの内容だったが......この『ザ・テラー(恐怖)』に至っては、バンドのイメージをひっくり返し、その「楽しさ」に躍っていたファンすら遠ざけかねない不穏な一枚である。トリップはまだ途中、その最中。「サイケデリック・その後」にまでは辿り着いていない、そのエグさがドロリと流れ出ている。
 いくつかの曲において悪夢的で閉所感があり、またいくつかの曲においてスラッシーで強迫観念的、そして全編を通じてメランコリックで瞑想的。多くのひとに愛された『ソフト・ブレティン』や『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』のポップさは解体され、切なく美しいメロディはしかし着地点を定めぬまま部屋の上のほうを漂うばかり。男女のエレクトロ・デュオであるファントグラムを招聘した"ユー・ラスト"に至っては、13分に渡って重々しい反復を繰り返しながらずぶずぶと沼に沈んでいき、そして抽象的なアンビエントで酩酊させて終わる。いくつかのダーク・アンビエントな作風やエレクトロニックな意匠は近年のUSアンダーグラウンドの潮流とも結果的にはシンクロしていると言えるし、実際OPN辺りと比較する向きもあるのだが、この驚くべき変化はきわめて内的な動機によって促されているように思える。
 ウェイン・コインが長年連れ添ったパートナーと別れたことが本作に大きく影響しているそうだが、そのことがここまで痛ましい表現を導いてしまうことに動揺する。僕にとってウェインは、あるいはフレーミング・リップスは、どちらかと言えばつねに自覚的で、ユーモラスで、強い存在だったからだ。だがここで彼は、"ザ・テラー"で「やっぱり、みんな孤独」と言いながらその次曲の"ユー・アー・アローン"で「僕はひとりじゃない/孤独なのはきみ」と口走ってしまう錯乱を隠さない。クラウト・ロックめいた反復と激しいビートが不安感を煽る"オールウェイズ・ゼア、イン・アワ・ハーツ"は、「いつも心にあるのは 暴力と死の恐怖/いつも心にあるのは 愛、そして苦痛」といつ告白から始まりつつも、どうにかして「生きる喜び、それが何ものにも勝る/何ものにも勝るんだ」となかば自分に言い聞かせるように終わっていく。
 ドリーミーな音だと形容できるのかもしれない、が、心地よいとは言えない。何かただならぬ狂気がこのアルバムにはあり、そこに踏み込むことこそがバンドにとっての、サイケデリアの新たな領域となっている。ザ・フレーミング・リップスは完成などしていなかった......ここで「恐れ知らずのフリークスたち」は、人生の苦痛と悲哀に震えながら酩酊することを選んだ。そう......恐れ知らずにも。

Tim Hecker - ele-king

 まさに待望の初来日だ。ティム・ヘッカー......日本でもいまだ信者の多い『ピッチフォーク』をはじめ、イギリスの『ワイアー』まで、みんな大絶賛の、ここ10年のエレクトロニック・ミュージックにおいては超重要人物ですよ。
 以下、今回の来日に関して、三田格が寄せた文章です。

 ミル・プラトーからリリースされた『レイディオ・アモーレ』(2003年)がはじまりだった。
 テクノ/エレクトロニカはこの時、初めてゼロ年代のアンダーグラウンドを席巻したドローンと接点を持つことになった。
 ひたすら気持ちよければよかったアンビエントはとくにそのセールス・ポイントを失い、耳を覆いたくなるような瞬間を経験しながらもアンビエント・ドローンとして新たなタームを歩みはじめる。ティム・ヘッカー自身もアンビエントやノイズを呑み込んだドローンの多様性にこだわり、その裾野を1作ごとに広げていく。
 〈クランキー〉からリリースされた『ハーモニー・イン・アルトラヴァイオレット』(2006年)はそのひとつの集大成であり、アイスランドの教会で取り組んだオルガン・ドローンの 『レイヴデス、1972』(2011年)は新たな方向性を示すものとなった。
 昨年はOPNと組んだ『インストゥルメンタル・ツーリスト』も話題になった。日本でつくられるアンビエントはいまだに90年代マナーのものがほとんどである。それらがすべて古く聴こえてしまうのは間違いなくティモシー・ヘッカーのせいである。(三田格)

WWW presents Tim Hecker Japan Tour 2013

<東京公演>
日  程:2013年6月7日(金)
会  場:渋谷WWW
時  間:OPEN 19:00 / START 20:30
料  金:前売¥4,000 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:WWW 03-5458-7685 

<京都公演>
日  程:2013年6月8日(土)
会  場:京都METRO
時  間:OPEN 17:00 / START 17:30
料  金:前売¥2,800 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:METRO 075-752-2787 / WWW 03-5458-7685 

<チケット情報>※2公演共通
先行予約:3月29日(金)19:00 ~ 4月7日(日)23:59
受付URL https://eplus.jp/timhecker
一般発売:4月13日(土)
チケットぴあ[P:197-955]、 ローソンチケット[L:75645]、e+ (https://eplus.jp/timhecker)、
WWW・シネマライズ店頭(東京公演のみ)にて発売。
     
主催:渋谷WWW
協力:京都METRO / p*dis / melting bot

東京イベント詳細URL→ https://www-shibuya.jp/schedule/1306/003742.html
京都公演URL → https://www.metro.ne.jp/


Blanche Blanche Blanche - ele-king

 定額配信戦国時代と呼ばれる昨今だが、配信音楽の時代の病理はけっして「配信」にあるのではなくて、この「定額」の方にかくれているのではないかと思う。先日、新しい音の情報を追うのに忙しすぎて原稿を書く時間がなくなったという人の話をきいたとき、まるでイソップだとみんなで笑ったが、冗談ではないのだ。音がありすぎる......。インターネットがおのおのの観察すべき範囲をほとんど無限にしたことは、音の大海原で自由に宝を探し回る能動的な主体を可能にした一方で、あてどもない波間に、自らが聴くべき限界を引きつづけなければならないという消耗をもたらしたのだとも言える。配信音楽における「定額」は、その波間に浮かぶブイのひとつだ。お得という以上に、われわれに限界を与えてくれる。100万曲であれ200万曲であれ、そこに囲い込まれれば、このなかで聴いていればいいというほどよい宇宙が広がる。原理的にわれわれを無限から解放するサーヴィス、それが「定額」のもうひとつの姿かもしれない。ここには「定額」の範囲だから聴く、というひとつの転倒もふくまれている。

 他方で、アナログ・フォーマットしか持たないことでこの無限のステージへ乗らないという、護身的な選択をする人たちもいる。もちろん、ネット通販をしていたり、誰かが音源を変換してウェブにアップされるということもあるけれども、配信をせず、CDも作らない人たちのなかには、単なるアナログ趣味や音質の問題を超えて、この無限との対峙を意図しているように感じられるものがある。フランスの男女デュオ、ブランシュ・ブランシュ・ブランシュも、筆者にとってそう感じられるアーティストのひとつだ。というか、『パパス・プルーフ』の方のリリース元〈ラ・スタシオン・ラダール〉自体がそうしたレーベルである。エラ・オーリンズやダーティー・ビーチズをリリースするこのフランスのレーベルは、ノスタルジーというにはあまりにつめたい、墓の底から掘り返されたブロンズのような音を、じつにうやうやしく、絹地にくるむようにして提示してくる。亡霊のようなサンプリング、残響、歌、そうしたものにまさにフィジカルを与え、世に送り出す。なんというか、多くがダウンロードできそうなシロモノでなく、幽玄にして有限というか、アナログ盤にしか寄り代として適当なかたちを見いだせなかったというような、奇妙な霊性がある。うーん、何かオカルト的だけど本当なんです。だからなんとなく、ここの作品は「チェックしとくべき音源」という範疇を外れていく。音楽的に非常に重要な作品であることは間違いない。しかし呪いのビデオ・テープのようなもので、「あなたの手にわたること」が重要で、そうでなければわれわれの音について語る意味はありません、と向こうから拒否されるような感じがするのだ。無限のなかのいち音源であることから、彼らは降りる。

 『ウッデン・ボール』の方は〈NNAテープス〉から。OPNやドルフィンズ・イントゥ・ザ・フューチャー、ジュリア・ホルターにコ・ラ、ピーキング・ライツなど、アンビエントからダンス、サイケデリック、エクスペリメンタル・ロックにわたって、USアンダーグラウンドの水脈のひとつを確実になぞり出しているテープ・レーベルだ。手持ちのテープ・レコーダーで録音したというようなローファイで粗い録音、気ままで合わせることを知らないシンセ、チープなピアノやピッチの合わないサンプリング、初期アリエル・ピンクのポスト・パンク・ヴァージョンといったところだろうか。そうした音の破片がスキゾフレニックに寄せ集められた1分足らずの短い曲が、タイムスリップしてきたガラクタのように並ぶ。だが、それらはヴェイパーウェイヴが体現するような露悪的な交換可能性――ネット上に転がっているどうでもいい音の集積です、といったコンセプト――に開かれた音ではない。そうした無限を拒絶すべく寸断され、同じものが生まれないように奇怪に縫合されまぶされたマテリアルであって、同じ盤から都度ちがう音が出てくるような錯覚がある。こうした音に触れていると、事実これに出会ったということが重要で、音源の無限に振り回されることもないな、という開き直りというか、腹の括り方ができるから不思議だ。

ホロノミックディスプレイが作動した - ele-king



 年明けから間もない2013年1月4日のことだ。日本時間の午後1時すぎに目が覚めて、僕はいつもどおりリヴィングへふらふらと歩き、ノートPCを立ち上げた。ヴェイパーウェイヴ周辺の連中がなにやら興奮してツイートをしているのを見て、貼ってあったURL(https://jp.tinychat.com/spf420)をクリックすると、ヴィデオ・チャットの画面へ飛んだ。ディスプレイに映されたのは日本企業のCM映像。高速で流れていく英文の会話。毒にも薬にもならない浮ついたスローな音楽。僕はおもわず誰もいないリヴィングで声をあげた。なんてこったい! そこは、ヴェイパーウェイヴの連中のフェスティヴァル会場だった。そのときはインフィニティー・フリークェンシーズ(Infinity Frequencies)がプレイをしているらしかった。

 〈#SPF420〉とタグで銘打たれたフェスティヴァルの形式はこうだ。ストレス(STRESS)と名乗る女性が司会として、次の出演者を生の音声会話で紹介する。あらかじめ『YouTube』にアップ済みの出演者紹介の映像を流す。それから出演者が演奏を開始する。プレイ中のVJは出演者みずからがチョイスしているときもあれば、ブラックサンセッツなるアカウントがVJをしていた。演奏が終わると、画面が真っ暗になり、観客はチャットに拍手の意(「CLAP」など)をみんないっせいに打ち込む。そして、ストレスがふたたび司会をはじめ、次の出演者紹介をする。最後までこれの繰り返し。

 集まったチャットの参加者(観客)はこのフェスティヴァルに興奮していたようだ。「ラグジュリー・エリート(Luxury Elite)がいるの? まじ?」などと言っている者もいた。現住国を発表する流れでは、アメリカはもちろん、ヨーロッパやアジアからの者も多かったが、日本と答えたのは僕のみ。しかしまあ、チャットの内容はだいたいがなんの意味も生産性もないやりとりだ。「Lana Del Gay」や「James Vaporro」などと、ミュージシャンの名前を(特に「Gay」で)もじった言葉遊びが多くを占めた。それが高速で行われる。ヴェイパーウェイヴとそこからの波を追いかけつづけている日本のブロガー・ポッセ『Hi-Hi-Whoopee』のアカウントも日本語でチャットに入ってきたが、「会話についていけない」とぼやいて消えてしまった。チャットでやりとりをするには一瞬にして文脈を読んでいかなければならなかった。僕も慣れるには時間を要した。このイヴェントは以前にも行われており、日ごろからチャットに手馴れているユーザーが多かったようだ。司会のストレスは、来場したユーザーのみんなに丁寧な挨拶をしていた。このフェスを開催できたことが心から嬉しかったのだろう。見ていて気分がよくなる雰囲気があった。

 出演者も興味深い。音楽評論家アダム・ハーパーによって「#Vaporwave」というタグが生まれる前から、それにあたる作品を発表していたプリズム・コープ(Prism Corp)ことヴェクトロイド(Vektroid / New Dreams Ltd.など名義多数)やインフィニティ―・フリークェンシーズのほかに、彼らに触発された、いわば第2波といえるアカウントのラグジュリー・エリートや福岡在住を自称するクールメモリーズ(coolmemoryz)(おそらく元「t r a n s m a t 思 い 出」名義)が混合している。そこに、〈アギーレ〉(Aguirre)からのリリースをひかえていたアンビエントやノイズのトランスミュート(Transmuteo)や、〈アムディスクス〉(Amdiscs)からのヴェラコム(VΞRACOM)などニューエイジな装いのメンツも合流している。そして、どうやらこのカオスに貢献していたのは、チャズ・アレンを名乗るビートメイカーであるメタリック・ゴースツ(Metallic Ghosts)のようだ。先のYouTubeのアカウント然り、フェスのアートワークも彼が担当していたと思われる。

 トランスミュートの瞑想的なノイズはすばらしく、熱狂的な歓迎を受けていた。しかし、この日もっともおおきな拍手喝采の言葉で迎えられた大本命は、やはり、ヴェイパーウェイヴで最も有名になってしまったプリズムコープ:ヴェクトロイドだ。ウェブカムの前に彼女/彼ははっきりとその姿を現した。ときどきFBIのマークをVJに出現させハプニングの音を混ぜる茶目っ気をみせながら、まさにホテルのラウンジやプラザのBGMに最適なミューザックのループを延々と披露した。それはつまり、市場において消費者である僕たちが知るかぎりこの世でもっとも退屈で決して家に持ち帰ることのない音楽=ミューザックだが、いまや世界各国の物好きが、それらをインターネットの画面の奥に集積したゴミのような情報のなかから拾い上げ、面白がっている。挙句の果てには、それをグチャグチャに歪め、ズタズタに切り刻み、垂れ流したそのクソに浸りながら深夜にPCの前でハッパをキメるわけだ。現にヴェクトロイドは、ボングを用いてウィードに火をつけて吸引する自らの姿を何回もウェブカムで生中継した。『facebook』では彼女の姉妹ということになっている司会のストレスも別枠で吸引の様子を一瞬だけ映す。情報デスクVIRTUALの曲名にあったとおり、彼女たちはミューザックをウィードブレイク(#WEEDBREAK)のBGMに活用している。自室でひとりPC画面の前でにやつきながらウィードを吸引するヴェクトロイドの姿は、まるで部屋の外のなにかから逃げようとしているようだった。

 この日、ヴェクトロイドは2回出演し、アンカーの際には衣装をレトロなスタイルに変えていた。彼女はなぜか全角英字でチャットに参加する。繰り返されるウィードブレイク。観客にもウィードや酒の摂取を呼びかける。僕は、ログインしたときに「Daniel Lopatin」なるアカウントが参加者のなかにいたことをチャットに書いた。彼らは知っているのだと思ったが「まじ?」「どうせ誰かの偽アカウントだろ」という反応がかえってきた。事実、僕はたしかに見た。ダニエルとヴェクトロイドのあいだには交流があった(註2)ようだし、彼が見ていても不自然な話ではないと思った。やがて観客たちは口々に「ありがとうダニエル」とつぶやきはじめる。ヴェイパーウェイヴがダニエルの「斜陽会社」=〈サンセットコープ〉からはじまったことを誰もが自明に感じていると言えるだろう。

 フェスティヴァルも終幕に近づき、ストレスがアフターパーティーの会場『Turntable.fm』のURLを告げる。同サイトは閲覧を米国ユーザーのみに限っているため、米国外の観客はここでお開きとなった。ストレスは米国外のユーザーへ丁寧に謝罪しつつ、来場者への感謝の意をなんども書き込んだ。やがてジオデジックとして知られる下城貴博がヴェクトロイドへのラヴコールを書き込んだ。ヴェクトロイドは握りこぶしに親指を立て、ニヤリとした笑みで応える。やがて、音楽は止んだ。時計を見ると午後4時をまわっていた。

 正直に言えば、このフェスティヴァルが終わった瞬間、僕はおおきな虚無感と倦怠感が心の奥底からこみ上げてきた。なにせ、結局のところただのチャットにすぎない。音楽なぞ、ほとんどミューザックの垂れ流しである(註3)。ただただ退屈を空回りするだけであった。部屋を1歩でも出れば、現実がしっかりと待っている。窓の外はいつのまにか夕方だった。日本ならまだ日中だが、米国時間では深夜に、こんなくだらないことを「世界中の孤独なティーンがベッドルームで行っている」(Tomad)(註4)のだ。しかも、ウィードと酒をあおりながら。
 後日、ダラー・ジェネラル=司会のストレスは、ヴェクトロイドの言葉を最後に引用しながら、こんな挨拶を『facebook』に残している。

 とにかく、本当にありがとうと、今夜のイヴェントに来てくれた美しい人々に言いたいです。きみらみんな本気で超最高だよ。タイニーチャットにに来てくれた一人ひとりの力添えなしにSPF420が成功することはなかったでしょう。(出演者への挨拶。斎藤により中略)
 我々は100を突破しました! 134人の参加者が集まったよ、みんな! (135のときにキャプチャーできればよかったけど、ああもう)

 またすぐにみなさんとインターネットで会えることを願っています、
 SPF420: SPF420: Welcome To The Workplace.™
(日本語訳:斎藤)
#SPF420FEST 2.0: WELCOME TO THE NEW ERA:
https://www.facebook.com/events/...


 おおきな喜びが伝わってくる文面だが、彼らにはディスプレイの外へ出てくるつもりがないようにも読める(註5)。はたして、彼らの指す「The Workplace.™」とは、ベッドルーマーにとって逃げ場となる仮想空間なのだろう。無職であることがうかがわれるようなツイートを何度もしているヴェクトロイドが自らへの最大の皮肉として言っているようにも思える。
 だが一方で、ヴェクトロイドはときおり現実空間のパーティーに出演しており、2月に入ってからもマジック・フェイズ(Magic Fades)とともにギャラリーでパフォーマンスをしている。さらに、〈トライアングル〉の主宰バラム・アキャブがヴェクトロイドとのスプリットで7インチをリリースする旨を発表したばかりだ。

 はたして、ヴェイパーウェイヴァーは現実において「仕事場™」を拡張することができるだろうか。
 日本ではプラモミリオンセラーズで知られる鈴木周二がventla名義でヴェイパーウェイヴに触発された作品を発表しつづけており、§✝§(サス)やジオデジックはライヴ(註6)でその地平を切り開こうとしている。それはまた、べつの機会に......。

今日、我々とともに新たな世界へ加わりましょう......よりよい明日のために。

Prism Corp. International
We Know Who You're Working For.™
(日本語訳:斎藤)
札幌コンテンポラリー | BEER ON THE RUG:
https://beerontherug.bandcamp.com/album/-

空はあなたに従います。。。
安全に走行
悔なし

Farewell,
New Dreams Ltd.

(原文ママ)
PrismCorp™ Virtual Enterprises | New Dreams Ltd.:
https://newdreamsltd.tumblr.com/post/38483741858

 2012年、ヴェクトロイドはウェイパーウェイヴのベッドルーマーを引き連れ、「よりよい明日」のための「新たな世界」を目指して飛行した。それが情報デスクVIRTUALであり、セイクリッド・タペストリーではついに空を(下に)従えることに成功したのだ。

 そして2013年、ホロノミックディスプレイが作動した


(註1)
特別編集号 2012 ソーシャルカルチャーネ申1oo The Bible』より。アルバート・レッドワインは『ザ・ニューヨーク・タイムズ』からもインタヴューを受けている

(註2)
昨年の11月末にはヴェクトロイドがOPN(=ダニエル・ロパーティン)に謝罪のメールを送ったとツイートし、同日にOPNも「ヴェイパーされた」とツイートしている

(註3)
なお、このフェスティヴァルの音源や映像の一部が『facebook』のイヴェントページからチェックできる

(註4)
紙『ele-king vol.8』の「キャッチ&リリース」より。ちなみに、トマドが主宰する〈マルチネ〉はシーパンクのイメージを模したダウンロード・ページや、限定Tシャツをリリースしたtofubeatsも情報デスクVIRTUALをお気に入りにあげている

(註5)
対照的に、アダム・ハーパーによってヴェイパーウェイヴの文脈でも語られてしまったファティマ・アル・カディリは、積極的にイヴェントへ出演している。その様子は工藤キキが本サイトでも伝えている

(註6)
サスは音楽的にはウィッチハウスやシンセウェイヴに近いがウェイパーウェイヴの意匠をまとったライヴを行っており、ジオデジックはヴェイパーウェイヴのイヴェントを開催したいとツイートしている

以上-----------------------------------------------

Tim Hecker & Daniel Lopatin - ele-king

 先日、ダニエル・ロパーティンのシンセ・ポップ・ユニット、フォード&ロパーティンの『チャンネル・プレッシャー』を聴き直したところ、この音楽の、シンセ・ポップを装ったある種の「アンビエント/プロセス・ミュージック」めいた作りに気づかされた。歌と伴奏が分離しているようでしていない。それぞれのパートが万華鏡のようにゆっくりと変化する。近視眼的に聴けば、ところどこの音響的な変化や仕掛けがわかる。彼のワンオートリック・ポイント・ネヴァー(OPN)名義のノイズ/ドローンのカタルシスにも、彼のクリアなデジタル音響による空間的なモーフィング(変化)がある。
 いっぽうのティム・ヘッカーは、『レイヴデス,1972』がそうだったように、なかば宗教的とも言える崇高さを音響のなかに求めている、と僕には思える。過去にも、美の求道者さながら洞窟や教会における音響/残響をなかばスピリチュアルなアンビエントとして蒸留している。タイプの異なる、そして熱心なファンを持っているふたりの共作『インストゥルメンタル・ツーリスト』がリリース前から注目を集めるのは当然である。

 『インストゥルメンタル・ツーリスト』には、トーマス・マンに捧げられ曲があり、"人種差別的ドローン"や"消費のための儀式"なる曲名、また、「観光客」「パリ」「芸者」「Tascam」といった言葉からもアルバムが聴覚的な面白さのみに限定したものではないことが察せられる。ロパーティンの音楽は、デジタルを使いながらデジタルの牢獄から精神を解放するかのような柔軟性と自由度がある。ときにそれは、ポスト・モダン的な相対的なものとして表出する。ゆえに彼は安っぽいシンセ・ポップも実験的なノイズ/ドローンも並列してなんでもできる。
 かたやティム・ヘッカー、彼が求める崇高さは、トーマス・マンを持ち出すほどだから、「芸術」と呼ばれるものの意味を再考するものなのだろう。アルバムは全体的に言えば、ロパーティンの奔放さ(ノイズ)はほどよく抑制され、ヘッカー色が強く出ているように感じられる。ヨーロッパの重みを思わせる、異様なほどの陰り、悲嘆とメランコリーが聴き取れる(とくに"人種差別的ドローン"はすごい迫力)。そして、それら陰影の隙間からは美がこぼれる。もう少し両者の(異なる価値観の)せめぎ合いを見たかった感はぬぐえないが、聴き応えはたっぷりある。

 考えてみれば、チルウェイヴという良くも悪くもB級趣味の流行のなかで生まれたのがロパーティンの〈ソフトウェア〉というレーベルなので、『インストゥルメンタル・ツーリスト』は世俗における耽美派といった趣とも言える。2012年は、ある種の隠遁的態度を表明するかのように、グルーパーのライヴが養源寺でおこなわれ、ブライアン・イーノが21世紀に入って初のアンビエント作品を発表した年である。シンリ・シュープリームが10年ぶりに新曲を出してもいるデムダイク・ステア、アンディ・ストット、レイム......陰鬱さのなかに夢を見ようとするゴス/インダストリアル・リヴァイヴァルがいよいよ際だった年でもあった。そんな1年の締めくくりに相応しいアルバムだと言えよう。

Ital - ele-king

 ダンス・ミュージックといっても、アイタルの場合はまるで首根っこを押さえて踊らされるような抑圧的なものがあって、それが身体的な快楽へと結びついていくのは先のことになる。解放するビートではなく、制圧するビートと言えばよいだろうか。筆者にはダブル・バインドの感覚に近いように思われる。ビートは踊れと言ってくるが、音全体としては踊るなと言う......深刻な精神の危機に結びつくともされるこの二重拘束のプレッシャー、そのなんとも消耗的な抑圧ののちには、わあっと叫びながら踊り出してしまいたいような危険な快楽が待っている。
 実際にブラック・アイズからミ・アミまで、彼アイタルことダニエル・マーティン-マコーミックの異様なヴォーカル・スタイルには、一貫して同種の分裂が感じられる。女性かと思うほど高く、カンの強い声でけたたましく叫びまくる彼のヴォーカルは、けっしてハードコア由来のものとばかりは言えない。もっと彼の存在そのものに根ざすような、スタイルを超えた衝迫がある。ライヴにおいても感じたが、それは唐突にはじまって止む。制御のきかない、彼自身の精神のいち部であるようにきこえる。ゆえにあらゆる形式性から逃れ、シャウトでもスクリームでもない、未確認のノイズとして鮮やかな印象を頭に焼きつける。
 今作ならば、たとえば"エンリケル"後半の掻き傷のような高音ノイズがその代理だ。殺伐としたドローンとインダストリアルなビートが、相反する信号を発しながら二重拘束を強いてくる。その割れ目から漏れ出すキリキリと不快なノイズは、嫌がらせるようにじりじりと音程を上げ、なかなか止まない。
 あるいは"ホワット・ア・メス"。今度は冒頭からうんざりするようなファルセットの嘆願――嘆願かどうかは知らないが、しつこくねちねちと、リヴァーブで増幅しスクリューで減速しながら、何事かしゃべりつづけている――に圧迫され、すっかり滅入りながらも身体はダンス・ビートでハイに刺激されるという、逃れたくてたまらないダブル・バインドが襲ってくる。これをヘラヘラとクールに聴けるほど筆者はタフではない。だが、"ディープ・カット"の冒頭までには、その不快さから去りがたいほど骨抜きにされて、ぐったりしながらも音に身をもたせざるを得ない。

 こうした感覚については、マーティン-マコーミックは自覚的な発言を残している。「身体的な嫌悪についてよく考えていて、その表現を自身のなかや他人に見つけたように、精神にあるむき出しの神経に直接触るような、そんなプロジェクトをはじめたいと思った」。これは彼がソロ・プロジェクトとしてセックス・ワーカーを名のりはじめるにあたって考えたことだというが、アイタルにおいてもじゅうぶんにその性質を語るものである。つづけて彼は、それらが彼自身のなかの嫌悪に対するアート・セラピーだとも述べる。薄気味が悪いほど冷静な自己分析だが、おそらくそのとおりなのだろう。こうした分裂によって、彼は何かを縫合しているのかもしれない。
 そうすると"ディープ・カット"における救いが見えてくる。強すぎない4つ打ち、ノイジーだがどこか抜けのある音響。ライヴ・エディットが用いられているのは、適度なチルアウトによって、この「治療」を完結させるためではないだろうか。じつに巧妙な構成をしている。

 彼は〈タッチ・アンド・ゴー〉から〈ノット・ノット・ファン〉、そして〈プラネット・ミュー〉を渡ってきた。彼のなかの異形のハードコアは、〈タッチ・アンド・ゴー〉の象徴的な幕引きとともにバンドのスタイルを解かれ、ダンスに、ハウスに、ドローンに、ダブに拡散し、また凝縮していった。〈ノット・ノット・ファン〉や傘下の〈100%シルク〉は、こうした不定形のハウスを受け止めて発信する柔軟さと先鋭性とでインディ・シーンを大きく動かした。本人も言うように、ベッドルーム・ミュージックを作るプロデューサーと、DJと機材オタクとがいっしょにいるような、ゆるやかなコミュニティであることがこのレーベルの性格をよく表している。そしてポリシックのサイケデリアやルーディ・ザイガドロのクラシック趣味とR&Bなど、今年も幅を広げている〈プラネット・ミュー〉にも冴えがあった。彼は狙ったわけではなく、自然に時代のモードと併走している。この数年における重要なレーベルをつなぐ数奇な精神/身体として、アイタル名義で2作めとなる本作には説得力ある完成度が宿っている。OPNなどとの共通性も強くうかがわれるが、マーティン-マコーミックには粗野で抑制のきかないカルマがあり、それが方法においてはラフでありながらも強い魅力になっている。インディ・ダンスと言わず、この数年のインディ・シーンを見渡したときに、ぜひとも捉えておくべき1点である。

Chart Meditations 2012.11.12 - ele-king

Chart


1

Andrew Chalk - 狂詩曲の波間に浮かぶ四十九の風景 (Faraway Press)
英ドローンの重鎮Andrew Chalk待望の新作は、なんと49のランドスケープを49曲で表現した54分に渡る至福のラプソディー集。現実世界が薄らいでいく事間違いなしの紛うこと無き傑作です!

2

Bernard Gagnon - Musique Electronique (1975-1983) (Tenzier)
Xenakisに師事していたカナダの電子音楽家によるコンクレート集。どれもこれも鋭利な金属摩擦のようで完成度が凄まじい。間違いなく2012年の重要発掘作でしょう!

3

Cut Hands - Black Mamba (Very Friendly)
アフロノイズ・プロジェクトCut Hands待望の2nd。重い打撃の岩石パーカス、暗黒アフロな辺境リズム、髪が逆立つ鋭いノイズはここでも炸裂。アンビエント要素も増えて更に暗黒界を制覇してます!

4

Twinsistermoon - Bogyrealm Vessels (Handmade Birds)
世紀末ドローンと、男性の声とは思えない程にボーカルの甘さが際立つフォークを演奏する仏作家の新作。混沌と至福の境界線が曖昧になって深くなってます! ジャケも素晴らしい。

5

Sympathy Nervous - Plastic Love (Minimal Wave)
ここMWにより再評価が高まった国産シンセポップ・ユニットの編集盤第2弾。80sテクノポップにテクノの原型やインダストリアル、日本語詞と、電子音が跳ねまくる絶妙な格好良さです!

6

Bee Mask - Vaporware / Scanops (Room40)
奇跡の来日も記憶に新しい電子音楽家Bee Mask。長尺2曲構成にて、宇宙の漆黒や星々の光を巻き付けながら神秘的な電子音がグングンと上昇。抜群のSF世界を構築しています! 完成度高いです。

7

V.A. - Tomorrow's Achievements - Parry Music Library 1976 - 86 (Public Information)
カナダの電子音楽レーベルParry Musicの音源集。瑠璃色にの柔らかいアンビエンスや近未来/宇宙色なロマンスが備わった展開でどれも高品質。OPN以降のアンビエント時代にガッツリ食らいつく1枚です!

8

Discoverer - Tunnels (Digitalis Recordings)
カセット1本出したっきりだったシンセシストですが、これがどっこい人気のレーベルから好作を発表。出す音1つ1つから近未来の町並みが出来上がって行くようなロマンス、宇宙リゾートな日差しが広がる抜群の心地良さです!

9

V.A. - The Instructional Media Guide To Mindful Internet Exploration (Instructional Media)
南国ニューエイジな世界観で、一部のカセット狂に大きな爪痕を残したレーベルの第2作。レーベルの代表作家Mother Gangやそのうち大きなレーベルからデビューしそうなMagic Eyeなどなど。ここは装丁が良いです。

10

Diseno Corbusier - El Alma De La Estrella (ViNiLiSSSiMO)
スペインのニューウェーヴバンドの86年作が再発。脱力奇怪ボーカルと太いミニマルシンセが暴れる1曲目が素晴らし過ぎます。近年のこの手の再発の中でもかなりキレた1枚でしょう!
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