「OPN」と一致するもの

スーパーカー - ele-king

 紙ele-kingに掲載されていた2010年の彼のベストにはZsにOPNにマウント・キンビー、あるいは灰野敬二による静寂までもが並んでいる。それらを彼は「とんでもなくマニアックな表現や音がポップな形になった作品」だと説明している。OPNをポップだと表現する感性が間違っていないことは、アントニー・ハガティが"リターナル"を純然たる歌ものとしてカヴァーしていることが証明しているが、逆に言えば彼はマニアックなだけの、言い換えれば自分本位な音の実験に終始することにも不満を覚えているとも言える。

 スーパーカーの楽曲を中村弘二が再構築したアルバムを出すというこの企画を聞いたとき、彼にとってスーパーカーは過去のものになっていると勝手に思い込んでいたから、まずは驚き、次にいまの彼の知識と技術を動員してかつてバンドが鳴らしていた意味を解体するような音の実験を想像した。この第一弾は、IDMを取り入れて大胆な変化を遂げる『FUTURAMA』以前の、バンドがまだ「瑞々しいギター・ロック」と呼ばれていた頃の楽曲を対象としている。それらオリジナル・ヴァージョンは、ここ数年の中村弘二の音楽とはかなり遠いものである。
 が、左右のチャンネルにドラムが振り分けられた冒頭の"Walk Slowly"からそうした先入観は小気味良く裏切られる。中村弘二の巧妙な音の配置の実験やクラブ・ミュージックの手法の導入はあるのだが、しかしいしわたり淳治が書いた歌詞を分解するようなこともなければ、メロディを損なうこともない。多くの曲はiLLでみせたミニマリズムにもとづくサウンド・デザインを応用しているとはいえ、たしかにこれはスーパーカーなのだ。
 本作の聴きどころはアレンジと録音である。音数を絞りつつ反復と細かな音の出入り、それから生音とエレクトロニクスの配分にかなり意識を傾けているように思える。アンビエントのような音響空間を作っている"Drive"から、波の音が導入になっている"Dive"などはエレクトロニカへのアプローチが生かされ、"OOYeah"はエレクトロ・ハウス、"Wonderful World"はエレガントなシンセ・ポップに仕立てられている。"Trip Sky"では彼らしいサイケデリックなトリップ感が際だっているが、これ見よがしにサウンドの大胆さを強調することもない。謙虚で、奥ゆかしいアレンジに徹している。ミニマル・テクノ風の"Lucky"はオリジナルからもっとも遠いサウンドになっているが、その楽曲が放つフィーリング――この場合、思春期特有の憂鬱だ――自体は変わらない。彼がこの頃の自分たちの曲にいまどういう想いがあるのか僕にはわからないが、それはもはや彼(ら)だけのものではなくなった、ということに自覚的になっているのではないだろうか。ラストに収録されているデビュー・シングル"cream soda"も面白い。いま聴いてもなお甘酸っぱいバンドの思春期を代表するこの曲は、大きくアレンジを変えずに、よりノイジーな生々しさを際立たせている。やはりこの曲はノイジーなギター・サウンドがよく似合っていると思う。

 実験的とはいえ、レフトフィールドに振り切ることは敢えてやらずに、アルバムはあくまでもポップ・ミュージックとして成立している。結果として本作は、やや複雑な回路を持つアルバムになった。過去の楽曲を取り上げること自体が聴き手のノスタルジーを刺激するものであるし、とくにスーパーカーのように当時若い層から熱烈に支持されたバンドならなおさらだろう。が、中村弘二は原曲のムードは残しつつ音の冒険をしっかりコントロールすることで、ノスタルジーに回収されることを周到に避けているようだ。素材は古いものだが、音が過去を振り向いていない。それらの歌をかつてと同じように口ずさむことができるのは、世代的にスーパーカーを聴いてきた僕としてはやはり嬉しいものだが、ここでは懐かしさよりもその新しい姿に対する興奮が上回るのである。

The Alps - ele-king

 不抜けたクラウトロックの電子音が宙を蝶のように舞う......かと思えば電子ノイズの波が打ち寄せてくる。サンフランシスコの3人(昔タッスルにも参加していたアレクシス・ジョージアプレスをはじめ、ジーファ・カントゥ・レスマ、スコット・ヒーウィッカー)によるジ・アルプスの音楽もこの時代のサイケデリック・ミュージックだが、パンダ・ベアやウォッシュト・アウトのようにポップを志向するものではない。人によってはこれをポスト"ポスト・ロック"と呼ぶそうだが、たしかにインストゥルメンタル・バンドで、しかし"ポスト・ロック"よりヒプノティックで、トランスを志向するものである。トリップを誘発する反復するパーカッションとドローンに導かれて、ジ・アルプスは〈メキシカン・サマー〉に移籍して最初のリリースとなる本作の2曲目において印象的な旋律を重ねるが、それは彼らのひとつの武器だ。ゼラが主宰する〈タイプ〉からリリースされた前作『ル・ヴォヤージ』は70年代初頭のピンク・フロイドを最新のアンビエントで調理したような作品で、全体の出来としてはまあまあだったが、それでもアルバムの何曲かは彼らの演奏するメロディが冴えているためレコード店で流れていると「何ですか、これ?」と訊いてしまうのだ。

 『イージー・アクション』は、基本的には『ル・ヴォヤージ』の発展型だが、前作との大きな違いは、ブルース臭さがなくなり、エレクトロニクスを大胆に打ち出した音作りとなっていることである。エメラルズやOPNの影響もあるのだろう、クラウトロックからの影響はそのミニマルなアプローチにも注がれているが、先述したようにこのバンド特有の優美なメロディは維持している。ギターのアルペジオやピアノのよどみない音色を用いて、それが自分たちの武器であることを知っているかのように、美しい調べがクラスターめいた電子ノイズに飽きた頃に挿入される。
 90年代後半の"ポスト・ロック"を引き合いに出される所以のひとつは、おそらくは空間処理の巧さにあるのだろう。ジ・アルプスには素晴らしい静寂がある。このアルバムを聴いたあとでは、パンダ・ベアの『トムボーイ』など音数が多すぎると感じてしまうほどで......、というかあれはたしかに音数が多い音楽で、玄人のトビ好きなら間違いなくジ・アルプスを選ぶに違いない。どこまでもピースで、ホント、これこそ野外フェスティヴァルで聴いてみたい音楽である。
 まあしかし、このアルバムは何よりもアートワークですよ。ねぇ、見てくださいよ、これ、写真が下手でわかりづらいかもしれませんが素晴らしい! 音もベリー・ナイスだが、この立体のピラミッドのデザインゆえにE王。

Hype Williams - ele-king

 〈ノット・ノット・ファン〉に続いて〈メキシカン・サマー〉もダンス・レーベルをスタートさせるらしい。そのA&Rを務めるのがゲームス(OPN)で、彼らのヒット作をリリースした〈ヒッポス・イン・タンクス〉がハイプ・ウイリアムズの3作目を獲得です。なるほどです。ペース、早いです。
 ひと言でいえば、なかなかヴァージョン・アップされている。ダブというフォーマットを使ってドローンをディスコ化するという無理なトライアルのなかでは意外な成功を収めている人たちといえ、ドローンとディスコのいいところを融合させようという目的だけで共感できるし、それがなぜかダブステップとシンセ-ポップのクロスオーヴァーと表面的には似たものになってしまうところも面白い。逆に言えばドローンやディスコ・カルチャーといったジャンルにこだわりたい人たちにはスカムもいいところで、実際、サンプリング・ソースのくだらなさはその印象を倍加して伝えるところがある。A6"ドラゴン・スタウト"やB3"ミツビシ"などアンビエント・タイプの曲ではOPNに通じるニュー・エイジ風味も耳を引き、フリー・インプロヴァイゼイションに無理矢理ドラム・ビートを叩き込んだようなB4"ジャー"も独創的(A7"ホームグロウン"の元ネタはもしかしてマッド・マイク?)。
 ライヴなどではマスクで顔を隠し、インタヴューもほとんど受けないらしく、一応、正体不明などといわれてきたけれど、『ピッチフォーク』などではロイ・ブラント(ロイ・ンナウチ)とインガ・コープランドがその正体だと暴いている(でも、それは誰?)。クラウトロックとダブの出会いといった紹介のされ方も半分ぐらいは納得で、OPNやジェイムズ・フェラーロに対するイギリスからの回答という表現はいささかクリシェに過ぎるだろうか。もうしばらくの間、何をやっているのかよくわからない人たちであり続けて欲しいというのが正直なところではあるけれど。前作に関しては→https://www.dommune.com/ele-king/review/album/001561/

 セルジュ・ゲンズブールをアシッド・フォーク風に演奏してきたフランスのエル-Gが新たにジョー・タンツと組んだオペラ-モルトの正式デビュー・アルバムもエレクトロニクスを前面に出したせいか、ハイプ・ウイリアムズと同じくレフトフィールド・ポップへの意志を感じさせるアルバムとなった。とはいえ、全体の基調はあくまでも初期のスロッビン・グリッスルを思わせるレイジーなエレクトロニック・ポップ=プリ・インダストリアル・ミュージックで、英米の動きとはいつも多少の距離を感じさせるフランスらしい作風といえる。だらだらとして快楽の質には独特の淀みが含まれ、けっしてシャープな展開には持ち込まない。80年代前半のフランスに溢れた傾向と何ひとつ変わらず、近年、『ダーティ・スペース・ディスコ』やアレクシス・ル-タン&ジェスによる『スペース・オディティーズ』が掘り起こしつつあるライブラリー・グルーヴとも一脈で通じるものも。フランス実験の重鎮、ゲダリア・タザルテと組んでミュージック・コンクレートにも手を出すような連中なので、そんな風に聴かれたいかどうかはわからないけれど。
 チルウェイヴをダフト・パンクの影響下にある音楽だと解する僕としては、このようなオルタナティヴなヴァリエイションは次世代に向けた必要なポテンシャルとして過大に評価したい。あるいは単純に"アフリカ・ロボティカ"が好きだなー。この曲はきっとアンディ・ウェザオールを虜にするだろう。

Hype Williams - ele-king

 これはそのうち裁判沙汰になるかも? ケミカル・ブラザーズが最初は(尊敬のあまり?)ダスト・ブラザーズと同じ名義を名乗っていて、やはり改名を余儀なくされたように、ビギーや2パック、あるいはナズやカニエ・ウエストのPVなどを総なめで制作してきた映像監督と同名のプロジェクト名をつけた英独3人組(?)による2作目。とはいえ、昨秋、ドレイク"オーヴァー"をスクリュードさせたセカンド・シングル「ドゥー・ドロイズ・アンド・キル・エヴリシング」のカップリングからシャーディーを好き勝手にカット・アップした"ザ・スローニング"を採録するなど著作権に対する対抗意識は満々のようなので、いわゆるひとつの確信犯ではあるのだろう(ま、ケミカル・ブラザーズみたいに売れることはねーか)。

 麻の葉が舞い散る1作目同様、スモーカーズ・デライトを予感させるジャケット・デザインがまずは気を引く。『人びとがざっくばらんにゆらゆらしはじめたとき、何が起きているのかわかるのさ』とかなんとかいうタイトルもそれなりに期待を煽る。オープニングもいいし(これも先のシングルから採録)、曲が進むにつれて、フォームはどんどんグズグズに。遠景にもさりげなく小技の効いた音が置いてあり、テープの逆回転(?)も効果を上げている。まー、でも、全体的にはチルウェイヴが骨抜きになったような脱力ポップスといったほうがよく(ヒップホップとして紹介されている記事があるのはやはりオリジナルと混同しているのだろう)、レインジャーズを薄味にしたようなトロ・イ・モアからさらにダイナミズムを差し引いた感じで、そういう意味ではけっこうズレてるし、このズレから次に生まれてくるものを予感させる。そもそもチルウェイヴというのはシューゲイザーではなく、基調にあるのはダフト・パンク由来のシンセ・ポップ・リヴァイヴァルで、"ワン・モア・タイム"のブレイクを延々と長引かせたものだと僕は思っているので、あそこから別な方向に向かう可能性を見い出したと考えてもいいだろう(そう思うとダフト・パンクの底力を思い知らされる年でしたよね、2010年というのは。ちなみに映画『トロン』は音楽が先で、それに合わせて映像をつくったものらしい--おでん屋ロクで太田さんか誰かがそう話していた)。

 チルウェイヴといい、ハイプ・ウイリアムズといい、80Sポップをハイファイから遠ざけただけで、こんなにさまざまなヴァリエイションが飛び出してくるとは......(OPNの別名義=ゲームズの12インチをリリースしたヒッポス・オン・タンクスから早くも3月にサード・アルバムも予定されている)。
 ちなみにお仲間(?)らしきハウンズ・オブ・ヘイトも似たような音楽性で、デビュー・シングルらしき「ヘッド・アンセム」ではもう少しモンドな食感が味わえるものになっている(両者を合わせたDJミックス→https://soundcloud.com/~)。

Teebs - ele-king

 2010年のクラブ・シーンにおける大きな出来事のひとつにフライング・ロータスの『コスモグランマ』があった。『Resident Advisor』は年間ベストの2位に、礼儀正しい『TINY MIXTAPES』は"好きなアルバム50枚"の4位に、日本のインディ・ロック・キッズにもカニエ・ウェストを買わせたであろう『PITCHFORK』は14位に......、『FACT』にいたってはトップ40枚にも入らないという極端に低い扱いだが(曲がりなりにもクラブ・メディアがJJのようなアコギ系ソフト・ロックを褒めておいてあれは酷い)、僕自身も『コスモグランマ』を初めて聴いたときにはとても興奮したし、2010年のハイライトに違いないと思ったけれど、結局自分の"好きなアルバム10枚"には入らなかった。15位以内には入るけれど、たったいま聴き返してみたいという衝動には駆られない。

 理由はいくつかある。ある時期からエレクトロニック・ミュージックへの興味がジェームス・ブレイクに注がれたこと、あるいはエメラルズOPNのコズミック・ミュージックに強く魅入られてしまったこと......等々。発表された当時はよく聴いたものだが、夏以降は聴かなくなってしまった。宇宙に行きたければエメラルズを聴いたし、ビートを楽しみたければダブステップを聴いた。『コスモグランマ』は良くも悪くも古典的で、スティーヴン・エリソンに何度か取材した経験で言えば、彼はおおよそ古典主義者的な人だった。彼には良くも悪くも厳格的なところがある。そういう彼の属性を考えれば『コスモグランマ』は完璧で、エリソンの芸術的な高みに違いないとは思うのだが、実際のところ『ロサンジェルス』のラフな感覚のほうが好きなファンも多いではないのだろうか。

 ティーブスとトキモンスタ、この2枚とも2010年のリリースであり、フライング・ロータスの〈ブレインフィーダー〉まわりのトラックメイカーであり、どちらも好きなアルバムだ。2枚ともドリーミーで、際だったトゲのない穏やかな音楽と言えるし、ファンタジーめいているとも言える。ノサジ・シングといいゴンジャスフィーといい、あるいは〈ロウ&セオリー〉周辺にはサイケデリックな感性が横溢しているように思える。これに関してはトラックメイカーのみならず、〈ノット・ノット・ファン〉のようなインディ・レーベルからベスト・コーストないしはノー・エイジのような連中にいたるまでの最近の西海岸の"傾向"でもあるけれど、その基本は酩酊のための音楽だと思っている。もっとも酩酊の感覚は大衆音楽にとっては重要な要素で、Pファンクからチルウェイヴ、レゲエからアンビエント、ジャズからハウスにいたるまで銀河のように広がっている。スティーヴン・エリソンのなかの厳格さも、こうした音楽の快楽原則に逆らっているわけではない。ゆえに『コスモグランマ』も好かれたのだろう......が、同時に僕は『ミッドナイト・メニュー』と『アーダー』も気に入っている。かたや韓国系アメリカ人女性、かたや元画家によるヒップホップの夢想である。

Seefeel - ele-king

 ミディアムテンポの8ビートとエレクトロニック・ノイズの"デッド・ギターズ"は、音の粒子の荒れたカンだ。see(見る)+feel(感じる)という、あの時代らしいネーミングを持ったバンドは、15年振りの4枚目のアルバムで貫禄を見せつけている。1993年、このバンドが登場したときは、「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとエイフェックス・ツインの溝を埋めるバンド」と謳われたものだったが、最新作の『シーフィール』は「ダブステップとクラウトロックの溝を埋めている」ようだ。2010年にシングルとして先行リリースされた"ファウルツ"は、ある意味では歌モノだが、『クラスターII』をバックにスペースメン3が歌っているような、倒錯したポップである。"リップ・ラン"は1994年ぐらいのシーフィールにもっとも近い。ドリーミーで、スペイシーで、ダビーだ。1990年代末にボアダムスに在籍していたイイダ・カズヒによる8ビートとシゲル・イシハの重たいベースが霊妙なメロディをともなって、霧のように広がるこの音楽に骨格を与えている......。
 
 シーフィールのカムバック作は過去のどのアルバムとも違うが、ファンにはドリーミーな『クイック』と無愛想な『サッカー』の中間だと説明することができるかもしれない。数年前に再発された彼らのデビュー・アルバム『クイック』は、〈トゥ・ピュア〉がもっとも勢いのあった時期にリリースされた、当時のロンドンのシューゲイザーからのアンビエントへの見事なアプローチだった。それはあの時代の幸せな空気が詰まったドリーム・ポップで、そしてアルバムのなかの1曲は翌年にエイフェックス・ツインによるリミックスが2ヴァージョン発表されている。1994年に〈ワープ〉と契約した彼らは、素晴らしい12インチ・シングル「ステアスルーEP」を発表している。収録された"スパングル"は〈ワープ〉のクラシックとして知られている曲で、その根強い人気たるやおよそ10年後にオウテカがリミックスをしているほどだ。
 とはいえ、1995年のセカンド・アルバム『サッカー』にはファースト・アルバムのような親しみやすさはなかった。そればかりか、初期のドリーミーな質感を積極的に排除しているようだった。セカンド・サマー・オブ・ラヴを丸めて捨てるように、ギタリストのマーク・クリフォードを中心とした第二期シーフィールは、1996年には〈リフレックス〉から『(Ch-Vox)』を発表するが、バンドはそれを最後に休止状態となり、そしてクリフォードはディスジェクタ名義のソロ作品『クリーン・ピト・アンド・リド』を〈ワープ〉から出すと、音楽の表舞台から姿を消す。
 
 フィードバック・ノイズをキング・タビーをミキシングしたような"メイキング"も最高だが、ジェームス・ブレイクやマウント・キンビーのようなポスト・ダブステップと共振する"エアレス"、エメラルズやOPNと共振する"Aug30"はなお素晴らしい。そして、アルバムの最後を飾る"スウェイ"の、ノイジーでありながらエレガントな展開は......このバンドの15年の沈黙が無駄ではなかったことを確信させる。第三期に突入したシーフィールは後ろを振り向かずに前に進んでいる。2011年の1月において間違いなく頂点に立つ1枚の登場である。
 
 ......というわけで、明けましておめでとうございます!

Mist - ele-king

 カラード・マッシュルーム・アンド・ザ・メディシン・ロックスのキノコ・ジャケに続いてエメラルズからジョン・エリオットレイディオ・ピープルことサム・ゴールドバーグによるセカンド・コラボレイション。EPと銘打たれ、45回転というフォーマットにもかかわらず、かつてなく濃厚な構成と全体を大きく突き動かすダイナミズムが一気に聴き手を引き込んで離さない。ムーグやコルグをメインとしたアナログ・シンセサイザーが序盤から大きく波打ち、ベースのうねりは70年代の記憶をくすぐりかねないほどレトロ色を帯びつつも、メディテイションとは違う事態へと発展している。まったく新しいとまではいわないけれど、チルアウトやクラウトロックとはまた違ったテクスチャーに向かって一歩を踏み出そうというものになりつつあるというか。タイトル曲ではジュリアン・コープによるアンビエント・プロジェクト、クイーン・エリザベスを思わせるアブストラクなドローイングを先達と同じく心のままに楽しんでいる感じがよく伝わってくる(叙情性に関して屈託のない曲ほど古さを帯びて感じられるというのは、はて、なぜなのか)。

 また、オリジナルのカセット・リリースを09年に〈ディジタリス〉が6種類のジャケットでアナログ化していたイマジナリー・ソフトウッズ名義のドローン作も、新たにジェイムズ・プロトキンのリマスターを得て同時期にリイッシュー。アナログ2枚組のヴォリウムで展開されるアンビエント・ドローンはイーノを思わせるスタティックな世界観に貫かれ、最近になってアウター・スペースや上記のコラボレイションなどで躍動感を強く押し出している面とは違う側面を強く印象づける(たまたま、年末の行事が立て込んでいるときに、疲れ果ててぼんやりと聴いていたら、これが効いてしまいましたね)。音数を抑え、ドローン本来の単音だけで展開される「延び」にすべての神経を集中させた感じは単純なドローンから様々に変容を遂げつつある現在において、シンプルな表現の強さを奪い返すような出来と言えるだろう......って、2年前に制作されたものだから、ある意味、当たり前か。あるいは、そこにスティーヴ・ライヒを思わせる弦楽の響きが漣のようにループされ、その残響音だけで聴かせるシークエンスや『ミュージック・フォー・エアポート』をドローン化したような"アンタイトルド(B3)"など、静謐をつくり出すヴァリエイションにもどこか考え抜かれた風情がある。リマスター以前のヴァージョンを聴いていないので、プロトキンの力量がどれほどのものかはわからないけれど、それなりのものがあるのだろうと思いつつ......(プロトキンに関してはOPNからサン・アローまで、このところの大事な作品では彼の名前を見ないものはないというほど気になる存在となっているので、復活版『ele-king』でインタヴューをオファー。この10年のUSアンダーグラウンドについて広く話を訊いているので、お楽しみに)。

 それにしても2010年はエメラルズにはじまり、エメラルズで終わっていくなー。2011年は誰がこれに匹敵する大量リリースで振り回してくれることだろうか。
 それではよいお年を。

Colored Mushroom And The Medicine Rocks - ele-king

 このアートワークがすべてを物語っている。マーク・マッガイアーの生真面目さとは裏腹に、エメラルズのメンバーのひとりにこんな冗談のわかる人がいたことが驚き。クローズアップで写っているのはベニテングタケ・キノコで、もちろんメスカリンを含むアレである。日本の山でもよく見かけるキノコだけれど、気をつけてくださいよ、キノコは本当に......(略)。
 いずれにしても素晴らしいアートワークによる、アウター・スペース名義でソロ・アルバムを発表したばかりのジョン・エリオットのカラード・マッシュルーム・アンド・ザ・メディシン・ロックス名義でのアルバムである。カラー・ヴァイナルはお約束通りのサイケデリック模様だが、僕はこういう低俗なデザインがけっこう好きなので嬉しい。エメラルズ内におけるジョン・エリオットは、ヴィンテージ・シンセサイザーの音色を操作することを快感とするある種のオタク......要するにマニアかと思っていたのだけれど、なかなかどうして、彼は飽くなき幻覚の探求者であり、それを自分の楽しみへと変えていることが、三田格から借りているアウター・スペースのアルバムを聴いていてもわかる。カラード・マッシュルーム名義のアルバムのあとには、イマジナリー・ソフトウッズ名義のアルバムも出しているし、CDRやカセットテープを入れるとリリース量もすごい。

 エメラルズの音楽から聴こえるクラウトロックへのリスペクトには大きなものを感じるが、それはカンやノイ!ではない。初期のタンジェリン・ドリーム、エレクトロニクスを導入してからのマニュエル・ゲッチング、あるいはポポル・ヴー......つまりコズミックと形容された音楽だ。ポップの史学よればそれらはおおよそアシッドの彼方に夢を見ていた音楽となるが、エメラルズに限らず、ひと昔前ならガレージ・ロックをやっていたような連中が、どうしてゼロ年代はサイケデリックに向かっているのか興味がある。ホントにどうしてしまったのだろう。エメラルズといいOPNといい、USのこの世代ときたら......。

 アルバムは今年この名義で発表したカセットテープの編集盤で、これはいまひとつのスタイルとなっている。つまり最初に超限定のカセットテープで発表してからあとでヴァイナルに落とす。すべての曲はシンプルなミニマリズムで、空想に耽るにはもってこいの柔らかさを有している。冒頭の"フォロー・ザ・パス(道を進め)"は不吉なアルペジオからはじまるが、カラード・マッシュルームがこれを聴きながら山道を歩いている人を奈落の底に落とすことはない。3曲目の"ブラッド・プドルス"では、エリオットの得意技というか、まあ、ある意味ワン・パターンなのだが、アナログ・シンセサイザーによるアタックの効いたアルペジオと安っぽいドラムマシンがだらだらと続き、そしてB面の"シー・チャンネル"では静かにゆっくりと深いトリップへと歩んでいく。あまり無理せずに、草原を歩いていけば、最後の曲"ラスト・チャプター"のメロウなアンビエントが優しく迎えてくれるだろう。
 騒ぐほどの内容ではないが、アートワークをふくめまずまずの1枚である。

Jefre Cantu-Ledesma - ele-king

 ラスティ・サントスのザ・プレゼントを聴いて『ラヴレス』を聴く回数が減ってしまいそうだと書いたことがある。それはザ・プレゼントが描き出すイメージ豊かなドローンの多様性に引き込まれてしまったからであり、また、そのことによって『ラヴレス』が持っていた濃密なムードにどこか鬱陶しさを感じるようになったせいもある。ザ・プレゼントは全編がシューゲイズではないし、比較すべきものではないのかもしれないけれど、シューゲイザーが辿ってきた狭苦しい流れのなかでは、なかなか『ラヴレス』を凌駕する作品が現れることもなく、その美意識が揺るぐこともなかった。エレクトロニカと融合したポート-ロイヤルにしても、低音部をカットしたビロングにしても、その鬱陶しさはそのまま受け継がれ、それがシューゲイズを決定づける要素になりかけていた。シガー・ロスやグルーパーはむしろそのなかから生まれてきたともいえるし、だからこそノイズ・ドローンとの垣根も低く、KTLやナジャのようなドゥーム系とも親和性を取り沙汰することも不可能ではなかったといえる。このことにザ・プレゼントの存在は多少の疑問を与えたのかもしれない。大きな変化をもたらしたわけではない。何かがわずかに動いただけ。あるいはその感触だけがあった。そのこととチルウェイヴの浮上が同時期だったということは何かの符号のようにも思えるし、何も関係はないのかもしれない。

 タレンテルのリーダーで、タッセルのメンバーらとはジ・アルプスとしても活動するジェフレ・キャンツ-リデスマのセカンド・ソロはそれまでのキャリアをいささか覆す感じで、全編がシューゲイズであった。しかも、5曲でヴォーカルまでフィーチャーされている。タレンテルのドローンは地獄で瞑想に耽っているような......とかなんとか『アンビエント・ミュージック 1969-2009』でも書いた通り、基本的にはおどろおどろしく、サウンドの要はドラムにあった(と、僕は思っている)。それはどとらかといえばアンサンブルに重きを置くサウンドで、音楽の魅力はその空間性にあったといってもいい。それがここでは『ラヴレス』に勝るとも劣らない濃密なシューゲイズが展開され、しかし、その音圧の固まりが鬱陶しさに転じることはなく、実に広々としたイメージを与えていく。どの曲もすべて開放感に満ち満ちていて、『ラヴレス』よりはエイフェックス・ツインやサン・エレクリックに感覚は近い。一説によると『ラヴ・イズ・ア・ストリーム』というタイトルは『ラヴレス』ではなく『ラヴ』を訴えたいという意味があるそうで、それならばなるほど『ラヴレス』に感じられるようになった鬱陶しさを払拭していることはたしかだし、彼が活動の拠点としているサン・フランシスコで起きている他の動きとも連動するようなヒッピー的精神の表れとして聴くことも不可能ではない。そう、エンディングこそ手馴れたドローンに回帰していくものの、それまではとにかくひたすら天に舞い上がっていくようなシューゲイズがこれでもかと繰り返され、先のカリフォルニア議会でもしもマリファナを合法化する法案が可決されていたら、いま頃、このアルバムはその存在感をもっと示すことになっていたかもしれない......
 キャンツ-リデスマが運営する〈ルート・ストレイタ〉(グルーパーやイーリアス・アメッドなどを輩出。OPNがフリートウッドマックやマーヴィン・ゲイをカヴァーした映像作品も)からはまた、00年代のサイケデリック・ドローンを支えてきた重要なグループのひとつ、イエロー・スワンズが解散した後にようやくピート・スワンソンが完成させたソロ・アルバム『フィーリングス・イン・アメリカ』もリリースされたばかり。ツアー会場のみで販売された限定アルバム『ウェアー・アイ・ワズ』とともに暗く沈みこむノイズ・ドローンは『ラヴ・イズ・ア・ストリーム』とはあまりに対照的で、現時点では時代の角を曲がり切れなかった印象が強く残る。

Brother Raven - ele-king

 グローイングもエメラルズもほんの少し前まではヘヴィ・ドローンだったことを思うと、もはやどんな方向に流れるのもありなんだろうけれど、それにしても摩訶不思議な展開に踏み込みつつあるサイケデリック・ドローンの新作をいくつか。

 最初は比較的従来のアンビエント・ドローンに近いもので、滝川じゃないクリステル・ガルディによる初期3部作『クルセイダー』『アライアンス』『オーシャン・ウーマン』からのセレクト集。順に1曲、6曲、5曲という抜き方で、大雑把にいってAサイドが『アライアンス』のAサイド、Bサイドが『オーシャン・ウーマン』のAサイドに近い。初期3部作をそのまま2CD『リフツ』にまとめたことで知名度を得たOPNのアイディアに触発されたのではないかと思えるもので、内容的にもシャープさをすべて丸く包み込んだような仕上がりは平たくいってOPNへの女性からのアンサーという感じもなくはない(実際、B4はOPNと共作)。アナログ・リリースでは1作目となる『ライズ・イン・プレインズ』(裏アンビエントP243)でもバウンシーで抑揚な激しいドローンが展開されていて、それはここでもそのまま継承され、酔っ払ったようにクニャクニャとウネり続けるドローンはタイム・トンネルから出られなくなってしまったような不安を与えながら最後までまったく安定しない(安直にアラビア風ともいえるし、過去のジャケット・デザインなどから勝手に推測するとガルディはもしかするとイスラム系なのかもしれない。そう思うとピート・ナムルックとドクター・アトモによる『サイレンス』をドローン化したものにも聴こえてくるし、だとしたら〈アタ・タック〉からリリースされたブルカ・バンドとの共演かリミックスを希望~。音楽を禁じるタリバンに対抗してブルカを着たままで演奏するので、普通に演奏しているのにどこかサイケデリックになってしまう女性3人組のバンドです! 殺される覚悟なのか?)。

 また、OPNが主催するRオンリーのレーベル、〈アップステアーズ〉から『イン・フィータル・オーラ』をリリースしていたアントワープのイナーシティことハンス・デンスが新設の〈アギーレ〉からリリースした『フューチャー・ライフ』(カセット付き)はドローンの文脈にテリー・ライリーやギャビン・ブライヤーズを思わせる古風なミニマル・ミュージックを背景に溶け込ませることでやはり独特の酩酊感を演出する。どの曲もはっきりとしたイメージは持たず、レジデンツ『エスキモー』をドローン化したような曲があるかと思えばローレンス風のダブ・テクノに聴こえてしまう曲あり、どの曲もモコモコといっているうちにいつしかその世界観に呑まれていく......。

 上記の〈アギーレ〉からリリースしたデビュー・カセット『ダイヴィング・イントゥ・ザ・パイナップル・ポータル』が最近になってアナログ化されたばかりのポッター&アンダースンが、そして、とんでもない。こういうのは......ちょっと聴いたことがなかった。大ガラスの兄弟を名乗るシアトルのデュオは09年から4~5本のカセット・テープをリリースした後に初のアナログ・リリースとして『VSS-30』を〈ディジタリス〉からリリースし、導入部こそ典型的な思わせぶりのようでありつつ、全体的にはクラフトワークにハルモニアが憑依し、それでいてクラウトロックの亜流には聴こえず、とてもシンプルですっきりとした構成に落とし込むという離れ業をやってのけている(すべてテープにライヴ録音)。ドローンの要素はもはや皆無で、新しいと思える部分はすべてリズムに神経が集中している。ダンス・ミュージックにおけるフィジカルなリズムではなく、ノイ!のようにそれで遊んでいるタイプ。リズム自体が遠くへ行ったり近づいたり、あるいは間隔を意識させることでとても空間的な時間をつくり出したりする。これはスペース・ロックの新しいフォーマットといえるのではないだろうか。デビュー作では彼らはまだドローンの要素を残しており、むしろ、そのせいでエメラルズのようにクラウトロックと重ねて聴く要素もそれなりにあったと思うのだけれど、ここにはそのような過去との接点はかなり見えづらいものになっている。勢いや新鮮な感覚という意味では『ダイヴィング・イントゥ~』も非常にいい演奏だし(これもテープにライヴ録音)、アンビエント・ミュージックとしてのわかりやすさも侮れない。しかし、『VSS-30』で達成されたものはその先にあるものといえ、この進歩をめちゃくちゃ評価したい。
 セーラームーンの必殺技、スパークリング・ワイド・プレッシャーをユニット名にしたフランク・ボーによる『フィールズ・アンド・ストリング』や裏アンビエントの2008年で大きく取り上げたミルーの正式なサード・アルバム『ザ・ロンリネス・オブ・エンプティ・ローズ』など紹介したいものはまだまだ多い。それらはまた機会があれば。

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