Home > Reviews > Album Reviews > Klaxons- Surfing the Void
クラクソンズも、大きく見ればゼロ年代を覆ったサイケデリック・ムーヴメントのUKにおけるひとつの展開であったと、得心もし納得もする。かつて騒がれた"ニュー・レイヴ"というお祭りについて、なかったかのように振る舞うのには無理があるが、少なくともセカンド・フルとなる今作までの歳月が、このバンドをより冷静にとらえることを可能にした。複雑になりすぎてかえって何もないようにみえるこの時代を生きるための、新しい想像力を拓いたサイケ・アクトたちのいちにんとして、クラクソンズを捉え直すのも無駄ではあるまい。
クラクソンズの音はじつにごちゃごちゃとしている。それは長年放置された産業廃棄物が怪物へと変身し、人類と産業社会に報復するといったSF的なシナリオを連想させる(実際、彼らはJ.G.バラードの熱心なファンとしても知られる)。社会の歪みが産み落としたウィアードな反乱分子。奇妙なファルセットと蛍光ファッションも、下水道やゴミ処理場で生成した危険な生命体のイメージに重なる。まさに「ヴォイド」そのもののなかの生命といった佇まいである。ドリーミーではないが、あれだけごたついた音は、シーンに顕著なシューゲイズ・ムードとそれほど遠くはない。
その一方で、クラクソンズにはやはりクラクソンズとしか言いようのない曲がある。シングル・リリースされた"エコーズ"は、弱起からはじまるややしつこいシンコペーションがリズムの基調となっているが、これが彼らのひとつのパターンだ。ベースがグルーヴィーに牽引し、オクターヴで重ねられたヴォーカルとコーラスは、これまた彼らの特徴といえる下降音型をとって展開する。ギターも饒舌......というか、よく喋る。音数は多い。そしてBメロに入れば、誰しもが「ああクラクソンズだ」とつぶやかずにいられないだろう。
それは突き詰めればアクの強いメロディと、人力のグルーヴ、そしてギター・ロック・バンドとしての本性だ。彼らのダンス・ビートには血と熱がたぎっている。こうした特性がシャープに表れているのは"ザ・セイム・プレイス"、"サーフィング・ザ・ヴォイド"、"フラッシュ・オーヴァー"、"サイファ・スピード"といった曲である。
"サーフィング・ザ・ヴォイド"以下の3曲は、プロダクションにおいてこれまでとは少し異なるハードさが感じられる。このあたりはロス・ロビンソン起用の効果というところだろう。デビュー作と異なった音楽性を志向するあまり、オプションのパーツをつけ過ぎたミニ四駆のごとくクラッシュしてしまったということもない。今作も変わらずクラクソンズである。彼らをまた聴けて、普通にうれしい。
すましたバンドではない。『スヌーザー』誌10月号に掲載されたインタヴューが素晴らしいのだが(いちリスナーとして、いち青年として、じつに勇気づけられる)、「どんなクレイジーで、変な音楽を作ってても、やっぱり上を目指さなきゃ(笑)。下を目指したり、一握りの人のために音楽を作ったりすることには、僕は意味を見出せない」「僕らはいま楽しんでるし、楽しむことをシリアスに受け止めてるんだ」というジェイムス・ライトンの発言からは、彼らの持つ前向きさは、シニシズムやアイロニーに殺されることはない。ビカビカに光るサイケデリアを兜にかかげ、敵はいなくとも出陣していく、クラクソンズにはまったく勇気づけられる。
蛇足だが、国内盤にのみボーナス・トラックとして収録されている"ハロー23"が隠れキラー・チューンなので、国内盤を購入されることをお薦めする。
橋元優歩