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Aphex Twin

IDMTechno

Aphex Twin

Collapse EP

Warp Records / ビート

Tower HMV Amazon iTunes

野田努   Sep 21,2018 UP
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 物価の高いロンドンはともかく、イギリスの田園風景はいつかまた見たいという思いがある。昔、何回か逍遙した。短絡的に思えるかもしれないが、美しい森や小川があり、羊が鳴いているあの景色のなかにいると、『原子心母』や『聖なる館』から『チルアウト』や『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』がより深く理解できたような気になれるのだ。そしてじっさい、そういう時代でもあった。
 いまから遡ることおよそ25年前の1993年の初夏のこと。当時定期購読していた『NME』というイギリスの音楽紙の広告に、コーンウォールで開催される野外レイヴの告知を見つけた。ヘッドライナーはエイフェックス・ツイン。これは行かねばならない。そう思ったぼくを含めた6人ほどは、大韓航空に乗ってソウル経由でロンドンに向かった。待っていたのはドタキャンの知らせだったが、こんなリスキーな海外弾丸ツアーをさせてしまうほど、その時代の「コーンウォール」「野外レイヴ」「エイフェックス・ツイン」という記号にはたいへんな吸引力があった。(そもそもレイヴ・カルチャーとは、パッケージ化されたものではなく、ゆえにユートピアであり、ゆえにいろんな意味でリスキーだったのだ)

 〈Warp〉が派手な宣伝を仕掛けて、鳴り物入りでリリースされた「Collapse EP」のアートワークには、コーンウォールのグウェナップピットと呼ばれる18世紀に建てられた円形劇場がデザインされている。そして劇場は崩れている。Collapse=崩壊。これまでRDJ(リチャード・D・ジェイムス)の作品にはコーンウォールの地名が18引用されているそうだ。それらの言葉から喚起されるであろうイメージが持てないほとんどの日本人リスナーにはお手上げの話だが、コーンウォールはRDJにおいて良きモノとしてあることは間違いないだろう。
 とはいえ、「Collapse EP」は『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』や“ガール/ボーイ・ソング”のような惜しみない牧歌性が行き渡った作品ではない。ぱっと聴いたところではドラムの音が印象的で、ときおりベースも唸りをあげるのだが、しかし全体的につかみどころがなく、より無意味な音響がこれでもかと展開されているようだ。その無意味さをもってどこまでリスナーを惹きつけられるのかという作品に思える。
 エイフェックス・ツインの新作をいま聴いてあらためてすごいと思うのは、まずはその音色があまたあるエレクトロニック・ミュージックのどれとも違っていることだ。それがIDM風の複雑な打ち込みの音楽であっても、だいたいどれもほかと似たようなイクイップメント(ソフトウェアやプラグイン)で制作されているので、まあ、テクノロジーを使っているつもりがそれに支配されているという風にも見えるし、実験的という名の没個性的な曲が量産されがちだったりする。そこへいくとRDJはずば抜けてほかと違っている。日本版には解説として、佐々木渉さんによる使用機材の分析が詳しく記されているが、読むとなるほどなと思う。なぜいまこれを? なぜこんな使い勝手の悪いものを? という機材を織り交ぜながら、RDJはクラフトワークとは違ったアプローチによる“テクノ”を追求している。

 さて、1曲目の“T69 Collapse”は感触的には『サイロ』の延長にあり、“アナログ・バブルバス”時代のメロディもわずかににおわせてもいるが、ジャングルを崩したようなリズムを使って曲はファンキーに展開する。転調してからのドラミングは笑いながら作ったのだろうか……、ちなみにT69は第二次大戦中に製造された戦車の名前だそうだ(RDJは戦車好きで有名)。
 続く“1st 44”ではさらにギャグを強調している風に聴こえる。意味不明な声や叫びはRDJ作品ではお馴染みではあるが、この曲のラテンを崩したようなパーカッションと鼓笛隊のようなドラミングとのへんてこりんなコンビネーションはなかなか面白い。“MT1 t29r2”は乱雑な展開のエレクトロ風の曲で、ここでのドラムのプログラミングもまあ面白いといえば面白い。4曲目の“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”を聴いていると、ぼくは1993年の初夏にコーンウォールに行きそびれた代わりにロンドンのクラブで聴いたRDJのDJを思い出す(過去にも何度か書いたことがあるけれど、そのときはほとんど客はおらず、閑散としたフロアではビョークとその女友だちだけが踊っていた)。そのときの彼はとにかくひたすら、骨組みだけのシカゴ・ハウスをかけていた。20年後にはフットワークとして世界に知られることになる音楽の原型のようなトラックたちだ。洗煉される前の粗暴なダンス・ミュージックたち。“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”にはその燃え尽きたような、抜け殻のようなリズムがある。

 1992年、ポリゴン・ウィンドウを出したばかりのRDJにロンドンにいた知人を介して取材したときに、「セカンド・サマー・オブ・ラヴのときあなたは何をしていたんですか?」と訊いたら、「夏は大好きだ」と彼は答えた。夏は好きだ──質問をはぐらかしたその言葉をぼくはRDJについて考えるときに忘れたことがない。「Collapse EP」の無意味さは、この音楽がダンス・ミュージックであることを裏付けているのかもしれない。コーンウォールの円形劇場は、レイヴ会場のようにも見える。最後の“Pthex”だって、そう、ダンス・ミュージックだ。が、ただ、いったいどうやってこれで踊ればいいのかぼくにはわからない。まあ、そういう曲はRDJには多いのだが、しかし、社会から完璧なまでに隔絶されたような音楽をやっていたRDJでさえも社会の行方を案じる今日この頃において、このノるにノれないダンス・ミュージック集と“崩壊”という強い言葉を表題に用いた裏にはなにかもっと別の理由があるのではないかと勘ぐってしまうのだ。

野田努