Home > Reviews > Album Reviews > John Grant- Love Is Magic
星占いの恋愛運の欄を見ればよく「好きな異性がいるあなたは……」と書いているように、世の大半のラヴ・ソングはヘテロセクシュアルを前提として作られている。たいていの場合世界はマジョリティの原理で動いているのだから、べつに驚くことでもないのかもしれない。だがいっぽうで、まるで同性愛がこの世に存在しないように示し合わされているような不気味さもそこにはあって……たとえば、学校の教科書にLGBTを掲載する必要があるのは特別扱いするためではけっしてなく、「思春期を迎えると誰もが自然に異性に興味を持つようになります」といったような嘘を性教育の現場からなくすためだ。あるいは、教科書に載らない性や愛について描くことがポップ・ソングにはできるのかもしれないが、ゲイを表明している作家によるゲイ・テーマの歌ですら「これはゲイの歌と言うよりは、普遍的な愛の歌である」といったような聞こえのいい言葉がその存在を隠そうとすることもしょっちゅうだ。では、僕たちの愛と人生が息をできる場所はどこにある?
ジョン・グラントのラヴ・ソングは、「普遍的」などという一見優しげな言葉にけっして取りこまれない明確さと具体性でゲイである自身の性と愛、そして人生を繰り返し描いてきた。しかも彼は優れたリリシストでもあった。厳格なキリスト教の家庭で育ったために両親にゲイであることを受け入れられなかったこと、セックス中毒やゲイ・サウナ(ハッテン場)での放蕩、そしてHIV感染。そうした事柄が、皮肉やサーカスティックな笑いとともにダイナミックに描写される。もちろん彼の歌はすべてのゲイを代表するものではないが、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルやボーイ・ジョージといった大スターとはまったく異なる場所から、ゲイ中年のありのままの姿を曝け出した。その歌たちは弱さやみっともなさを晒し続け、そしてなおも誰かと心を通わせることや幸福を諦められずにいる。
ソロ4作目となる『ラヴ・イズ・マジック』においてもまったく変わっていない。50歳となったグラントは、息子がゲイであることを受け入れずに死んでいった母親のこと、アイスランドで見つけたボーイフレンドとの別れ(前作『グレイ・ティックルス、ブラック・プレッシャー』では彼との蜜月が歌われている)、そしてゲイとして老いていくことの孤独感を赤裸々に綴る。赤裸々に……というより、まるでそれらが隠されることをはっきりと拒むように。ジョン・グラントの歌は、いま表舞台で称揚される多様性の華やかさが見落としているクローゼットの奥にしまわれた魂の声をもノックする。
サウンド的にはもっともシンセ・ポップ色が強いものとなっており、これはエレクトロニック・ミュージック・グループであるラングラーのベンジとグラントが組んだクリープ・ショウの経験が反映されたものだ(ベンジは本作に参加している)。アナログ・シンセが醸すどこかノスタルジックな響きはジョン・グラントのメロディと声の物悲しさとユーモアの両方を増幅させ、『ラヴ・イズ・マジック』を複雑なペーソスに満ちたものにしている。たとえば“Tempest”はシェイクスピアではなく80年代のアーケイド・ゲームの名前だそうだが、そこではレトロなゲームのサウンドを引用しながら物寂しく愛が懇願される。まんま80年代シンセ・ポップ風の“Preppy Boy”では、アメリカのアイヴィー・リーグ的価値観で育った中年を揶揄しつつ、彼との秘かな同性愛関係をほのめかす(「彼に電話番号を渡したんだ/離婚したあとだったから」)。例によってグラントは道化として振る舞っているし、彼の書くストーリーはある種のゲイ的な内輪ネタとしてそれなりに笑えるのだが、それらはつねにどこか悲しい。最初はプーチンについての歌だったが、「彼はトランプよりも賢い」ことに気づいてドナルド・トランプのことを強烈な卑語で描写するものになったという“Smug Cunt”のような曲でさえ(「小さな子どもみたいに振る舞って/高いオモチャでオナニーする/きみが黙らないから、彼らがきみを遊ばせるだけ」)、柔らかな電子音とグラントの深いバリトンでメロウな響きになる。
だから、ファンキーなエレクトロ・ポップ“He's Got His Mother's Hip”のような曲もジョン・グラントらしい愉しい曲だが、“Is He Strange”のようなリッチなバラッドにこそ彼の本領が発揮されているのだろう。かつて「きみの愛の前ではすべては色褪せるんだ」と歌っていたグラントは、同じ男に向けていまは「きみをがっかりさせたことを、ただ申し訳なく思う」とつらそうに頭を下げる。あるいはタイトル・トラックの“Love Is Magic”。そこで彼は「愛は魔法/きみが好むも好まないも/そんなに悲劇的でもないさ/それはたんなる、きみが買った嘘にすぎない」とエレクトロニック・ブルーズに乗せて朗々と歌う。もしジョン・グラントの個人的で生々しく、悲しい自画像である歌がそれでも普遍的なのだとしたら、それは、彼が愛のことを嫉妬や惨めさ、別離や性感染症も伴ったものとして、それでも「魔法」と呼ぶからだろう。
いっぽうで、クロージングの“Touch And Go”は自身でなく、アメリカ軍の情報を漏洩させた元陸軍兵でありトランスジェンダーであるチェルシー・マニングについて描いたものだという。ソウルの甘い調べで、「チェルシーは蝶、彼女は羽化したんだ/彼女を網(ネット)で捕まえることはできない/彼女には内なる自由があるから」と優しく擁護する。『新潮45』の件を思い出さずとも、LGBとTは別物であり、それらは連帯することはできないという偏狭な意見はいつも現れて、僕たちの気持ちを挫かせる。だがグラントの歌の柔らかく、毅然とした反論はどうだろう。奇しくもこの曲は、#WontBeErased時代に響くスウィートなプロテスト・ソングとなった。
木津毅