Home > Regulars > NaBaBaの洋ゲー・レヴュー超教条主義 > vol.3 “何を”するかではなく”どう”するか- ――自由の意味を広げた名作『Deus Ex』
■"何を"するかではなく"どう"するか
『Deus Ex』はありていに言えば自由度が高いゲームです。さまざまなスキルとそれのレベリング、会話中の選択肢による展開の分岐等、もともとRPGが持っていたシステムをFPSという大枠のなかに取り入れている、ということは先ほど軽く説明したとおり。
ですが、FPSとRPGのハイブリットは当時はともかくいまでは珍しいものではないですし、自由度の高さを謳うゲームも然りです。そういう状況にあって『Deus Ex』がいまも昔もユニークでありつづけているのは、プレイヤーに与える自由度の性質が、他の多くの作品とは根本的に異なるからです。
多くのゲームにとっての自由度とは、おもに目的選択の自由とキャラクター・クリエイションを指すことが多いです。たくさんのやれることがあって、そのなかから自由にやりたいことを選ぶ。さらにキャラクター・クリエイション――能力や武器防具を好きにチョイスしたり成長させることで、自分好みのキャラクター像を作ることができる、といった具合です。
しかし『Deus Ex』はそれとはちがって目的はつねに決められており、それに対しての選択権はプレイヤーにはありません。しかしその目的達成のための手段がきわめて多様かつ多層に作られており、言わば“何を”するかではなく“どう”するか、手段の多様性に自由を求めたデザインなのです。
補足がてらに言っておくと、これは一般的なRPGにおけるキャラクター・クリエイションが担っている役割それ自体に焦点をあてていると言うこともできるでしょう。キャラクターを自分好みに成長させていくこととはつまり、目的に対して取り得る手段や有利性を自ら選択していくということですから。
だから他の一般的な自由度の高いゲームと呼ばれているものに“どう”できるかの自由がまったくないわけではありません。しかし『Deus Ex』がそれでもなお異端なのは、キャラクター・クリエイション要素は勿論のこと、それ以外にも多層構造のレベル・デザインや、ひとつの事物に対してとれる行動が必ず複数種類用意されている等といった、文字通りゲームの全要素が手段の多様性を高めること一点に注がれているからです。
RPGの基本システムは踏襲しているが、全てが一貫して手段の多様性に繋がっている。
ここで昨年のRPG超大作、『The Elder Scrolls V: Skyrim(ザ・エルダー・スクロールズV:スカイリム)』(以下『Skyrim』)と比較してみましょう。『Skyrim』はまさに上記の話でいうところの目的選択の自由を突き詰めたRPGの典型です。この作品はタイトルにもなっている広大なスカイリム地方が舞台で、プレイヤーは自由にその世界を歩き回ることができます。ダンジョンに行くのも町に行くのもプレイヤーの気が向くまま。メイン・ストーリーも一応あるにはありますが、完全に無視して他のことに明け暮れてもかまわず、むしろ推奨すらされている節があります。
『Skyrim』は広大な寒冷地を舞台にした、西洋RPGの王道中の王道だ。
対する『Deus Ex』はある場面での行動範囲は限られており、その場における目標も明確に設定されていて、それをしないという選択はとれません。というよりもそれをしないと先に進めない。ストーリーについても同じで、途中お使い程度のわき道にそれることはできても、大筋は一本道で自分の行動でその後のストーリー展開が大きく変わることもない。その意味では『Skyrim』よりもずっと一本道の普通FPSの進行形態に近いと言えるでしょう。
しかし何度も言っているように目標達成までの手段の多さが本作の最大の特徴であり、あらゆる場面で複数のアプローチが取りえます。たとえば鍵のかかった扉をひとつ前にするだけでも、正規の鍵をどこからか見つけてきて正々堂々開けることもできれば、解錠スキルがあればロック・ピックを使ってこじ開けることもできる。電子式ならマルチ・ツールで無効化できるし、近くにコンピュータ端末があればそれをハッキングしてあたり一帯のロックをすべて無効化することもできる。はたまた重火器の扱いに長けていればドアそのものをぶっ壊すということすら可能だし、どれも嫌だというのならそのドアを避けて別のルートを選んでもいいのです。
開錠方法の多彩さには、それまでのゲームの単なる合鍵探しへのアンチテーゼも込められている。
こうした手段の選択肢が多層に積み重なってひとつのエリアを形成しており、プレイヤーはそれらを常に自分の好みやスキル、作戦と照合して選択していくことになります。そのバリエーションはおよそ思いつくすべての可能性を網羅していると言ってもよいでしょう。
このさながら守りの堅い要塞を自分のイマジネーションで攻略していく感覚は、かなり独特なものがあります。ふたたび『Skyrim』を例に挙げると、あの作品は目的選択の自由度はものすごく高くても、いちど選んだ目的自体の解法は限定的なんですね。『Skyrim』でさえそうなのですから、他の一本道のゲームなら言わずもがなでしょう。
それに加えて本作は、数多くの派生作品に恵まれつつも本当の意味での後継がないと僕は思っており、それによりなおさら孤高の存在感を放っているのです。