Home > Regulars > NaBaBaの洋ゲー・レヴュー超教条主義 > vol.3 “何を”するかではなく”どう”するか- ――自由の意味を広げた名作『Deus Ex』
■当時のテクノロジーとニーズだからこそ生み出し得た特殊性
ではなぜ本当の意味での後継作がないのか。冒頭でも触れたとおり関連作品はシリーズの正当続編から異母兄弟作まで多岐にわたっている『Deus Ex』でありますが、そのどれもが本作のある重要な特徴をじゅうぶんに引き継いでいないからです。
それは一言で言えばレベル・デザイン。ちなみにレベル・デザインとはステージの構造だったり、どこに敵がいてどこにアイテムがあるとか、要はいろいろな物やイベントを事前に配置しておくことでゲームの展開やおもしろさをデザインしていくことを指す用語です。そして『Deus Ex』の多層に連なる立体的な構造――レベル・デザインは他に類を見ない複雑かつ整合性のとれたもので、これは同時に当時の時代性を色濃く映してもいます。テクノロジーとニーズ、これらふたつの時代的特徴に作り手の才能が組み合わさったことにより、まさに本作は2000年当時でなければ作りえなかったレベル・デザインに結実していると思っています。
このテクノロジーとニーズの時代性について順を追って説明していきましょう。まずテクノロジーについて言うと、本作は“どう”できるかの自由を、その大部分をレベル・デザインのみで実現しています。その極端な比重の大きさこそが当時の技術力を雄弁に語っているとともに、本作を特徴的な存在にしている一因なのです。
先ほどの扉の例を思い出していただくとわかりやすい。鍵がかかった扉に対する複数の解決方法、それらはすべてその扉にあらかじめ仕込まれた設定なのです。このような複数の解決方法が設定された事物が、ステージ上に無数かつ多層に配置されている。それは超複雑なあみだくじと形容してもよく、その選択肢と分岐の量の膨大さゆえに、プレイヤーはあたかも自らの意思とアイディアで活路を創造していると感じることができるでしょう。
これはべつの言い方をすれば、プレイヤーが問題にぶつかったときに取りうるだろう行動を、すべて想定した上で事前に仕込んでいるということです。すみずみまで想定しつくし、さらにどんな行動をとっても先の展開に矛盾が起きないようにも設計されている。まさに総当りの力技。どういうふうに組み合わせても完成するジグソー・パズルを作るに等しい難解さですが、それを本作はみごと達成しています。
時には意外な場所に別ルートがあったりもするが、手がかりはちゃんと提示される。
しかしいまのゲームならレベル・デザインのみですべてに対応しようとはせず、もっとスマートな方法をとるのが定石でしょう。つまりAIに頼るわけです。ゲームにおけるAIは典型的な例では敵キャラクターが人間らしいリアルなふるまいを取る機能であり、より広く捉えるとゲーム側が自立的に状況を分析し、ゲームの展開を自動生成していく機能も含まれます。
ゲームをヴァーチャル・リアリティという側面から見た場合、あたかもそこに実在の世界があるかのような、定型に縛られない有機的な振る舞いを見せることが近年では多くのゲームで追求されています。初代『Deus Ex』はそこが弱点で、膨大な仕込みによって擬似的なヴァーチャル・リアリティを再現してはいましたが、されど想定されたできごと以外は決して起きないしできない、とても静的な世界なのです。また敵AIは当時としてもおバカな部類で有機的な反応は期待するべくもなく、それがなおのことレベル・デザインによる仕込み偏重に拍車を掛けています。
これに対し『Deus Ex』の後継作は、よりAIがゲーム性に強く結びつけられている。もっともわかりやすい例は『BioShock』で、敵は『Deus Ex』よりも賢い、というよりも行動バリエーションが多彩で、プレイヤーの行動に対するリアクションと、そこから誘発される突発的できごとに対応していくのが主要のおもしろみになっています。要はプレイヤーがどんな振る舞いをしてもAIがその場で判断して合理的な反応を返す、結果として自由度が高く感じられるという、『Deus Ex』が仕込みによって実現したこととアプローチは違えど方向性はかなり近しいのです。
同様のアプローチの差異は『Deus Ex: Human Revolution』でもみてとれて、ここにテクノロジーの進化に伴う、ゲーム・デザインの変化を感じるのことができるのです。とは言えそれで『Deus Ex』をローテクだと批判したいわけではなく、むしろ当時のローテクなりに根性で作ってしまったところが強いオリジナリティになっているわけですね。
次にニーズのちがいについて説明すると、近年では『Deus Ex』のような複雑なゲームは求められないという事情が何よりも大きいです。本作は多数の武器に多数のアイテム、そして何より多層構造のレベル・デザインがある。これらの組合せにより多数の問題解決法がとれるのが特徴であることは何度も説明してきましたが、しかし一方でそれは何をやってもいいということではありません。どういう進め方をしたとしてもプレイヤーは基本的に不利な状況に置かれており、その上で豊富な選択肢のなかから生き残れる道を探すという、サヴァイバルの意味合いが強いのです。
中長期的な視野で戦略を立てることを求められる場面も多々あるため、状況を理解し自分なりの結論を導き出していけるようになるにはゲームへのかなりの習熟が必要です。確かにそれはそれでおもしろいのですが、つまりは相応の時間をゲームに投じないとおもしろさが見えてこないということでもあり、当時こそそういうタイプのゲームは多かったものの、なかなかいまでは受け入れられづらいでしょう。
『Deus Ex』が発売された2000年当時とくらべ、いまはゲーム人口も、ゲームにかかる開発費も桁違いに多く、業界はハイコスト・ハイリターンの道を突き進んでいます。必然としてより多くの人に受け入れられるデザインが追及されることになりますが、多くの人とは言い換えればゲームにあまり熱心でない人もターゲットになってくるということです。要はカジュアル・ゲーマーですね。
ゲームにあまり熱心でない人たちもふくめた多くの人に受け入れてもらうためのメソッドはいろいろとありますが、そのうちのひとつがおもしろさがすぐ伝わる、自分の取った行動の結果がすぐわかる、というものです。おもしろさが見えてくるのに時間がかかったり自分の行動が正しいのかそうでないのか判然としない時間がつづくと、プレイヤーは不安になったり飽きてしまうのです。だから『Deus Ex』はいまの基準でいうとおもしろさを理解されないあいだに速攻で投げられてしまいかねない危険性が高い。
かくして今日のゲームはインスタントに味わえるおもしろさを絶え間なく注入しつづける、最大瞬間風速重視の傾向が強まっています。先ほど取り上げた『Deus Ex: Human Revolution』や『BioShock』もその傾向は色濃い。前者はレベル・デザインの複雑さやRPG色は薄くなり、判断が問われるのはその場にいる敵をどう対処するのかという点に集約されていて、先のことや戦闘以外のことを考える必要性も低くなっています。
『Deus Ex: Human Revolution』はRPGというよりステルスアクションの色がずっと濃くなった。
後者はもっと極端で『Deus Ex』的な複雑さはまったくなく、とくにレベル・デザインは敵と戦闘するときの試合会場的な意味合いしかない。そもそも敵の登場箇所はランダム性が強いし、成長システムにしても自分のステータスはいつでも好きなときに変えることができるので、戦略を立てる意味自体がなく、求められるのは瞬間的なできごとを豊富な手札を使って、いかに好きに対処するかという、刹那の戦術の自由なのです。
そしてこれら2作はレベル・デザインの複雑さの減退をカバーする意味合いも込めて、AIによる展開の多様性により重きを置いているわけですね。AIのとる行動が毎回ちがうだとかということは、レベル・デザインを複雑にすることよりもよっぽど直接的で伝わりやすい。つまり今日のゲームは複雑難解なレベル・デザインはあまり求められていないし、技術的にもそれに頼る必要性が薄れたと言えます。
ここまでことさらレベル・デザインのことばかり取り上げましたが、他のスキルや武器やアイテムまわりのシステムはRPGにとって王道なだけに、他に採用している作品も多く、現代にいたっても過去の複雑さをそれなりに継承している作品はないわけではないのです。しかしこと『Deus Ex』のレベル・デザインの特殊性は無二のものがあり、ゆえに継承者もなくそのまま孤高の存在となってしまっているように思えます。
■まとめ
こうした事情に対する僕の思いは複雑です。何ごともそうだと思うのですが、ゲームの進化もまた単純に要素が増えたり洗練されていくのみではなく、それと同じくらい失っていくものがあるのです。その失ったものを嘆き批判する人も多いですが、それは物事の一面しか見ていない。
レベル・デザインの重要度が高かった時代も、AIが進化して以降の時代もそれぞれの良さも悪さもある。カジュアル化についても同様で、複雑性がなくなることは、見方を変えれば煩雑だった要素がよりスマートに整理されるということでもあり悪いことばかりではありません。
ただひとつ惜しむらくは、進化の流れというのは不可逆的なもので、いったんステップを上がったらそれより下に戻ることは容易ではないということでしょう。ときどきいまのこのシステムとむかし流行ったこのシステムを組み合わせたらおもしろいゲームができるのではないか、みたいなことを夢想することがあります。しかしゲームが商業をベースとした作品であるかぎり、いまの時代のニーズに則るしかない場面は多く、どうしても過去に埋没してしまうデザインというものがあるのです。それが少し寂しい。
『Deus Ex』もそういう作品のひとつです。この作品の功績は大きく、それが現代のゲーム・シーンを彩る数々の作品の道しるべとなったのは間違いありません。しかしそれと同時に前の時代のゲームであることもたしかな事実で、特別むかしのゲームを遊ぶのが好きだ、という人以外にはいまはお勧めしがたい。これだけコアでヘビーなゲームはいまの時代そうそう無いので、やるにはかなりの覚悟が必要でしょう。
ただ最後にひとつ言うと、ニーズに沿わないゲームは作れないという事情は、最近では少しずつ改善されてきていると言えるかもしれません。現代のゲーム業界はインディーズ・ゲームもかなり盛んになってきており、小規模なプロジェクトならばマスのニーズに沿わないもっとニッチな内容でも作れるようになってきています。
またキックスターター(Kickstarter)というクラウドファンディング・サービスも今年に入ってからゲーム系の企画が目立つようになり、ターゲットのユーザーにピンポイントに働きかけ、直接融資してもらうことも可能になってきました。もっともこれに関してはまだ完成までに至ったプロジェクトがないので最終的な結論は出せませんが、いまゲーム業界の期待を一身に集めているサービスのひとつだと言ってよいでしょう。
そういうわけで次回はこれまで紹介してきたゲームとはまったく傾向のちがう、今年発売されたインディーズ・ゲームをご紹介したいと思います。ぜひお楽しみに。