「Low」と一致するもの

interview with Jessy Lanza - ele-king

 2010年代に登場してきたエレクトロニック系のアーティストのなかでも、ジェシー・ランザは独自のポジションを築いてきた。〈Hyperdub〉のなかではかなりポップな立ち位置だけれど、メジャーの豪華なサウンドやハイパーポップの過剰さとは相容れない。折衷的で冒険心はあるもののけっして前衛主義というわけでもない。R&Bを基調としたその親しみやすいシンセ・ポップ・サウンドは、ヴォーカル面でよく比較されるFKA・トゥイッグスケレラとも大きく異なっている。意外と、彼女に似ているアーティストっていないんじゃないだろうか。

 カナダ出身、現在はLAに居を構えるジェシー・ランザ通算4枚目のアルバム『Love Hallucination(愛の幻覚)』は、ハウス・ビートの “Don't Leave Me Now” で幕を開ける。ご機嫌な曲調とは裏腹に、車に轢かれかけ広場恐怖症になった経験から生まれたというこの曲につづくのは、2ステップ調の “Midnight Ontario” に軽快なエレクトロの “Limbo”。どれもからだを揺らしたくなる曲だ。静かなアンビエントR&B的側面も有していたファースト『Pull My Hair Back』(2013)以降、『Oh No』(2016)、『All The Time』(2020)と徐々にダンサブルな要素を増やしていった彼女だけれど、持ち前のはかなげなヴォーカルとシンセ・ポップ・サウンドはそのままに、新作序盤では身体性への欲望がひとつの壁を超えたような印象を受ける。
 おそらく同時並行で『DJ-Kicks』(2021)を制作していたことが影響しているのだろう。プレイするトラックに自身のヴォーカルを載せていくスタイルはケレラのミックスとおなじだが、こちらはテクノ~ハウスが軸で、ジェシー・ランザのなかのアグレッシヴな一面が展開された作品といえる(レーベルメイトのロレイン・ジェイムズとの共作曲も収録)。パンデミック中~直後におけるフロアへの渇望を表現したかのような同ミックスの余波は、確実に今回の新作にも及んでいる(じっさいはクラブにはそんなに行かないらしいが)。

 べつの意味でも序盤の3曲は重要だ。2曲目は〈LuckyMe〉のジャック・グリーンとの、3曲目はテンスネイク名義で知られるドイツのハウスDJマルコ・ニメルスキーとの共同プロデュース作品であり、また、これら3曲すべてにポスト・ダブステップ期における重要人物のひとり、ピアソン・サウンドことデイヴィッド・ケネディが参加している。これは彼女のキャリアにおける画期といっていいだろう。というのも、従来彼女がジェレミー・グリーンスパン(ジュニア・ボーイズ)以外のプロデューサーをアルバムに起用したことはなかったからだ。
 テーマは信頼だという。阿吽の呼吸というわけにはいかない未知の他人と共同作業をやっていくには、たしかに、相手を信頼しておく必要がある。おなじく初めてのプロデューサー、ポール・ホワイトを迎えた “Marathon” ではひとりよがりのセックスが歌われている。他者の存在について考えることを促す歌詞だし、そもそも今回の新作はほかのひとに提供するためにつくられた曲たちがもとになっているのだ。だから「愛の幻覚」なるタイトルはたんに恋愛関係にとどまらず、広く人間同士の関係をあらわしているとも解釈できる。その点でも本作は、多くの人びとが孤独に浸ったパンデミック以降の感覚を体現する作品といえるだろう。

 もちろん、勝手知ったるグリーンスパンとのコンビもいい成果を残している。個人的には、ちょっとだけドレクシアジ・アザー・ピープル・プレイスを想起させる “Drive” にぐっときた。これまでもフットワークやYMOなどさまざまな音楽を貪欲に参照してきたジェシー・ランザ。その好奇心はいまなお健在のようだ。

このアルバムのテーマのひとつが「信じる」ということだった。自分以外の人たちを信頼する、ということ。

お住まいは現在もシリコンヴァレーですか?

JL:いいえ。いまはロサンゼルスに住んでいる。いまはちょうどカナダで家族と過ごしているところなんだけど。パンデミックの期間中はシリコンヴァレーに住んでいて、その後ロサンゼルスに引っ越した。

シリコンヴァレーはITの街のイメージがありますが、音楽カルチャー的にはどのような場所なのでしょう?

JL:そう、そのイメージが強いと思う。リンジー・バッキンガムのようなシリコンヴァレー出身のアーティストはいるけど、音楽シーンがあるという感じではないかな。とくにいまは大きな動きはないと思う。

パンデミックの年に出た『All The Time』以来3年ぶりのアルバムですね。パンデミック以降のこの3年、どのように過ごされていましたか?

JL:まずはロサンゼルスに引っ越したことが大きかった。前作が出たあと、ツアーにも出られなかったから、それ以外は本当に何もしていなかった気がする。じつはそのころグリーンカードが下りるのを待っていたから、国外に出ることもできなかったのよ。グリーンカードを待っている間に、『Love Hallucination』のほとんどの曲を書き上げて。そういう意味では充実した時間だった。普段はライヴをやったり、旅をしたり、家族に会いに行ったり、なかなかじっくり曲づくりに向き合う時間がないから。

ロサンゼルスに引っ越されたのは何か理由があったんでしょうか。

JL:主人の家族がサンフランシスコにいるからわたしたちもシリコンヴァレーに住んでいたんだけど、IT関係の仕事をしていなければあまり住む意味がない場所だった。ロサンゼルスは同じ州だけどもっといろいろなことが起こっていて、ここには文化があるから。それに、シリコンヴァレーは物価がものすごく高い。夫が映像関係の仕事をしていることも、ロサンゼルスに住むことにした大きな理由のひとつね。

以前のインタヴューで、家の離れのツリーハウスをスタジオとして利用していると仰っていましたが、新作はロサンゼルスで制作されたんですよね? 木に囲まれて音楽をつくることと、通常のスタジオでの作業との違いはなんですか? そうした環境の違いが、あなたの音楽に影響を与えたと思いますか?

JL:もちろん大きな違いがある。自分を取り巻く環境に木しかない場所は、とても静かだからヴォーカルを録音するのに理想的で。でも、自分が作品づくりをするときの環境はなによりも、わたし自身の精神状態を大きく左右すると思う。木々に囲まれていると精神的に落ち着くし、わたしを取り巻く環境が音楽に与える影響はとても大きいと思う。自分自身をケアしてあげられるか否かということよりも、環境のほうが影響力は大きいと思う。

人間関係がメイン・テーマであることは間違いない。とくに、恋愛関係。恋愛をしているときのわたしは脆弱で自信がなくて。

2021年に名ミックス・シリーズの『DJ-Kicks』を手がけたことは、あなたにどのような経験をもたらしましたか?

JL:『DJ-Kicks』を制作しているとき、同時に『Love Hallucination』の曲を書いていたから、自分にとっては大きな挑戦だった。それに、入れたい曲をまとめたウィッシュリストのなかの何曲かは権利の関係で収録できなかったこともあったし。でも、自分がDJとしてプレイしたい曲と、自分自身の楽曲とのギャップを埋めるようなものをつくってみたかったから、とても興味深かった。わたし自身のヴォーカルを足していく作業も面白い試みだったと思う。DJをやっていると自分の個性がだんだん薄まっていくように感じることもあるんだけど、そこにあえてわたしにしか出せないヴォーカルを乗せることで、新しい境地を開けたように思う。なにか特別なことをやりたいという思いがあったのは間違いない。

その『DJ-Kicks』に収録された “Seven 55” ではロレイン・ジェイムズをフィーチャーしていました(https://www.youtube.com/watch?v=myYggI17_cs)。彼女の音楽の魅力はどこにあると思いますか?

JL:彼女は唯一無二の存在だと思う。彼女がプロダクションを手がけたものは一聴してすぐに彼女の音楽だとわかるほどの個性を持っているから。

これまでもあなたの音楽はダンス・ミュージックからインスパイアされていましたが、『DJ-Kicks』からはよりあなたのダンス・ミュージックへの愛が伝わってきました。クラブにはよく行くのですか?

JL:う~ん。いいえ(笑)。以前よりもDJする機会が本当に多くなって、クラブに行くと仕事モードになってしまうから純粋に楽しめないのよね。それに、わたしが生まれ育った町にはクラブというものがなくて……バーのようなところはあるけど、TOP40の音楽がかかっているような場所だったから、クラブという感じではまったくなかったし。だから、自分のなかにクラブ・カルチャーのようなものがなくて。クラブを純粋に楽しんでいた時期がないから、それを懐かしく思うようなところもない(笑)。

クラブでDJをするときはどんなふうにセットを組み立てているんですか?

JL:そうね……とにかくヴォーカルがある曲をかけるのが好きなの。だから、ハウス・ミュージックをかけるのが好きだし、それにディスコなんかを混ぜて。メロディのあるダンス・ミュージックが好きだから。そう、自分がクラブに遊びに行って、聴きたい曲をかける感じかな。もちろんみんなが楽しんでもらえるようなものをプレイしているつもりだけど、メロディがあってヴォーカルのある音楽が好きだから、そういうものを選んでかけている。

若いころからそうしたヴォーカル・ミュージックを聴いてきたんでしょうか?

JL:そうね。R&Bがずっと好きだったから。

『DJ-Kicks』も同時進行でつくっていたから、ダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックもたくさん聴いた。ひとつに絞るのは難しいけど、プロデュースの優れたシンセ・ポップをたくさん聴いていたのは間違いない。

では、新作の話に戻りましょう。これまで長らくジェレミー・グリーンスパンとコンビを組んできて、今回の新作もそうなのですが、初めて彼以外のプロデューサーが参加してもいます。彼以外ともやってみようと思った動機はなんですか?

JL:わたしにとって、それまでに会ったことのないひとと仕事をするのはとても怖いことだった。ジェレミーのことは長年知っているし、ついついやりやすいひとと一緒にやってしまいがち……アーティストとしてどうすべき、ということはべつにしてね。でもこのアルバムをつくるにあたって、少し冒険してみようと思って。たとえばジャック・グリーンの音楽は長年聴いていたし、友人を通して知っていたからぜひ彼と一緒にやってみようと。よく知らないひとがスタジオに来てジャム・セッションすることは本来はとても緊張してしまうから得意ではないんだけど、あえて自分の背中を押したところがある。なにか新しい挑戦をしてみたかったのよ。このアルバムのテーマのひとつが「信じる」ということだった。自分以外の人たちを信頼する、ということ。

ピアソン・サウンドが選ばれた理由はなぜですか?

JL:彼の音楽も長年知っていたし、彼のファンなの。友人の友人だったこともある。ロンドンで1週間ほどオフがあったときに彼にコンタクトをとって。当初はミックスだけしてもらう予定だったんだけど、彼のスタジオで一緒に過ごしているうちにとても仲よくなって、プロデュースもお願いすることになった。

このアルバムの曲づくりをしている段階で、今回はいろいろなひとたちとコラボレーションすることを考えていたんですか?

JL:いいえ。実際の制作に入る前に曲はほとんどできあがっていて、そのときは誰とコラボレーションしようというようなことはとくに考えていなかった。曲を磨く段階になって、いろんなひとのアイディアが欲しいと思うようになってきた感じ。もともと今回一緒にやったひとたちとはメールや電話ですでに話をしていたから、実際にお願いするのに支障はなかったけれどね。

先ほど、今回のアルバムのテーマのひとつに「信じる」ということがあったと仰っていましたが、もう少し具体的にアルバムのテーマを教えてください。

JL:これまでにわたしが経験してきた人間関係がメイン・テーマであることは間違いない。とくに、恋愛関係。恋愛をしているときのわたしは脆弱で自信がなくて。だから、タイトルも『Love Hallucination』にしたのよ。脆くて傷つきやすいから、自分がよく知らないひとを信用することが難しい。でも、ひとを信じることのたいせつさを痛感してきたところもあって、自分自身を変えたいという思いがあった。作品づくりにおいても、これまでのわたしはジェレミーのような気心の知れたひととしかやってこなかったし、ミュージック・ヴィデオはつねに夫とつくってきたから、自分の世界の狭さというものに焦りも感じていたのね。だからこそ、このアルバムで「信頼」と「脆弱さ」というテーマを描いてみた。

ひたすら「わたしは自分が嫌い」と繰り返される “I Hate Myself” は、曲調は明るいにもかかわらず心配になってしまう内容です。このリリックはご自身の体験を踏まえて書かれたものですか?

JL:この曲は不思議な過程を経てできあがった。書きはじめたころはけっこう複雑で散らかった感じだったから、歌詞をどんどん削ぎ落としていって、最終的に「I hate myself」という一行だけが残ったのよ。この曲は、YouTubeにアップされていた動画がベースになっているんだけど。プリファブ・スプラウトの「I hate myself」というフレーズをひたすらループして、ずっと馬が走っているだけの動画。わたしはけっして自分を憎んでいるわけじゃない(笑)。ただ、最初に書いたヴァージョンよりもずっと良い出来になったと自負してる。

元ネタの動画はサイケデリックな感じなんですね?

JL:その通り。検索したら出てくると思う。

“Drive” は海中にいるような感覚を持った曲で、雰囲気はダークではありませんが、ドレクシアを思い浮かべました。彼らの音楽のどのようなところが好きですか?

JL:そう言ってもらえるなんて驚いた(笑)。じつは、この曲のシンセ・パートを書いているとき、ドレクシアのひとりのサイド・プロジェクト、ジ・アザー・ピープル・プレイスを思い浮かべていたのよ! たしか彼の名前はジェラルド・ドナルドだったと思うけど(編注:TOPPはドレクシアの本体にして中心人物、ジェイムズ・スティンソンのプロジェクト)。それでエレクトロな楽曲にしたいと思って、ドラム・パートもジ・アザー・ピープル・プレイスっぽい感じを想定してつくった。この曲はとくにお気に入り。ジェレミーがパーカッションを足してくれて、よりエレクトロっぽい雰囲気のある曲に仕上がって。言ってみれば、ドレクシアとジェレミーの曲という感じね(笑)。

歌詞の面でもサウンドの面でも、制作中に参照したものがあれば教えてください。

JL:制作中はいろんなバンドを聴いていた。プリファブ・スプラウトもそうだし、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークもよく聴いていたかな。それにシンセ・ポップのバンドもいろいろ聴いていたし……『DJ-Kicks』も同時進行でつくっていたから、ダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックもたくさん聴いた。ひとつに絞るのは難しいけど、プロデュースの優れたシンセ・ポップをたくさん聴いていたのは間違いない。

興味深いですね。では、本作でもっとも苦労した曲はどれでしょう?

JL:“Gossamer” ね。この曲はかなりトリッキーだった。自分でも好きな曲なんだけど、方向性がなかなか定まらなくて。ヴォーカルを入れるべきかどうか悩んでいて……というのも、テクノ・ポップ調にしたかったから。それでイエロー・マジック・オーケストラを聴いているうちに、自然と方向性が固まっていった(笑)。彼らがやっていることがとても好きで、それに共感することでなにかを得ることができたという感じかな。

それは面白いです。ところでヴォーカリストとしてのロールモデルがいたりするんでしょうか?

JL:そうね……プリンスはとても好き。ボウイの歌い方も好きね。それに、高橋幸宏と細野晴臣。彼らの控えめな歌い方にとても共鳴する。挙げたひとたちは全員ちがう個性を持っているけど、その組み合わせがわたしのシンギング・スタイルを形づくっているんじゃないかな(笑)。控えめな歌い方がとくに好き。若いころは、わたしにアメリカのアイドルみたいな歌い方を勧めてくるひともたくさんいたけど……セリーヌ・ディオンみたいなね。でもわたしの声はそういう歌い方には向いていないし。そうね、イエロー・マジック・オーケストラのスタイルにはとても影響を受けていると思う。控えめでいて、ポップでとても効果的なシンギング・スタイルだと思う。

あなたの音楽ではフューチャリスティックな部分と、どこかレトロな感覚がうまく同居しているように感じます。それはご自身でも意識していますか?

JL:ある意味でどこか過去に生きているところがあるのかもしれない(笑)。家族が昔の話をしたりするからかもしれないけど、30年くらい前はいろいろとおもしろいことが起こっていたし、観るもの、読むものもたくさんあった印象がある。昔のほうがよかったとは言わないけど、前時代を生きているところはあるのかも(笑)。

一方で、あなたの音楽にはフューチャリスティックな要素もありますよね。

JL:そうかもしれない。人間は未来を夢見る生きものでもあるから。

その通りですね。では最後に今後のご予定をお聞かせください。ツアーでしょうか?

JL:ええ。9月22日のサンフランシスコから全米ツアーがはじまる。その後、11月から12月はヨーロッパ・ツアーに入るから、秋から冬にかけてたくさんライヴをやる予定。しばらくツアーに出られなかったから、とても楽しみにしている。

本日はありがとうございました。日本でもあなたのショウが見られる日を楽しみにしています。

JL:わたしも楽しみにしている! 2024年のはじめには行きたいと思ってて。まだ日本に行ったことがないから、すごく行きたいと思いつづけてる。日本で会えるのを楽しみにしている。

Aphex Twin - ele-king

 みなさん、7月28日にリリースされたエイフェックス5年ぶりの新作EP「Blackbox Life Recorder 21f / in a room7 F760」はもうお聴きになりましたか?
 まさにそのリリース日である先週末、エイフェックス・ツイン本人だと推定されている「user18081971」なるアカウントが、サウンドクラウドに2曲のトラックを投稿しています。
 タイトルは “Short Forgotten Produk Trk Omc” と “2nd Neotek Test Trac Omc” で相変わらず意味がよくわかりませんが、2006年から07年につくられたもののようです。

 そしてサプライズはつづき、翌29日にはさらなる新曲 “matriarch test 3+Om1 Cass+909 edit1 F6 omc+1” も公開。いったいどれほど曲をストックしているんでしょうね。

 〈Warp〉からの最新EPのほうにも動きがあります。表題曲のオフィシャルMVが、今夜深夜1時(日本時間8月1日1時)に解禁される予定です。MVとしては前回の “T69 Collapse” 以来。手がけるのはおなじみ Weirdcore。もうページは公開されていてカウントダウンがはじまっていますので、1時にそなえましょう。
 最新作「Blackbox Life Recorder 21f / in a room7 F760」の魅力について佐々木渉と編集長が語りあう対談は、こちらから。

Aphex Twin - Blackbox Life Recorder 21f (Official Video)
https://youtu.be/e_Ue_P7vcRE


Various - ele-king

 マイクロ・アンビエント・ミュージック。
 坂本龍一を追悼するために、これほど重要な言葉もない。この20年あまりの坂本龍一の音楽・音・アンビエント/アンビエンスの探求を追いかけてきた聴き手にとってはまさに腑に落ちる思いである。
 じっさい坂本龍一の「晩年」は、「小さな音」のアンビエンスを追い続けてきた日々だった。彼は世界に満ちている音を聴き、音響・音楽を創作した。世界中のアンビエント・アーティストやサウンド・アーティストの音源を聴き、彼らとの交流も深めてきた。音楽と音の境界線に誰よりも繊細に耳を澄ましてきた。
 この追悼コンピレーション・アルバム『Micro Ambient Music』は、そんな「坂本龍一と小さな音」との関係性を考えていくうえでこれ以上ないほど重要で素晴らしい作品である。アルバムのインフォメーションにはこう記されている。

坂本龍一が2000年から晩年にかけて関係の近かった音楽家や、共演者らによる追悼盤です。非楽器音を用いた静寂をもたらす音楽を『Micro Ambient Music』と称し、国内外の41名の音楽家の賛同を得て実現しました。

 本作『Micro Ambient Music』の企画・制作は、アンビエント・アーティストの伊達伯欣がおこなった。この美しいコンピレーション・アルバムを編むことで、坂本の追悼をしたのである。これは簡単なことではない。この短期間でこれだけのアーティストに声をかけて、その楽曲を集め、アルバムに纏めていったのだ。深い追悼の念と、その不在に対する悲しみがあるからこそ成し得た仕事ではないかと思う。
 何より重要なことは、伊達伯欣はあきらかに坂本龍一の音楽家としての「本質」をこの20年ばかりの活動と作品、00年代以降の坂本のアンビエント/音響作品に聴きとっている。これは重要な視点だと思う。じっさいアルバムのインフォメーションにはこう記されていた。

坂本氏の評価はYMOやアカデミー賞に集まりやすいですが、氏の思想や音楽の真価は、それ以降の作品群にも色濃く現れています。この追悼盤では、特に晩年の氏と関係の近かった音楽家たちに、焦点が当てられています。非楽器音を中心とした音楽から、楽器音を中心とした音楽へ。その追悼の音たちは、ごく自然に・穏やかに、必然的な調和の中で、ひとつの作品として5つのアルバムに配列されました。

 『Micro Ambient Music』の参加アーティストは伊達伯欣の作品をリリースし、生前の坂本とも交流の深かったテイラー・デュプリーが主宰するニューヨークのレーベル〈12k〉の音楽家たちや、大友良英、アルヴァ・ノトデイヴィッド・トゥープ、蓮沼執太、原摩利彦など坂本龍一と交流のあった音楽家、さらに世界中の音響作家やアンビエント・アーティストら計41人が楽曲を提供している。総収録時間は5時間に及ぶ大ヴォリュームのコンピレーション・アルバムだ。
 この人選から坂本が世界中の音響作家から、いかに坂本龍一がリスペクトされていたのか、そして重要な存在だったのか分かってくる。
 しかも不思議なことに長尺コンピレーションなのに、時間の感覚が希薄なのだ。どの曲も反復や環境音などを用いたミニマル/ミニマムな音の連なりでできているため、5時間という時間がリニアに進む時間軸に感じられない。浮遊するような、空気のような聴取体験なのである。永遠の反復とズレ。その時の只中に身を置くような聴取体験がここにはある。

 この20年ほどの坂本龍一は「音」そのものへの探求と、リニアな時間軸ではない音楽の時間を追求していたように思える。アンビエント作品やインスタレーション作品では「時間の流れ」自体を問い直すような作品が多かった。なかでも2017年の傑作ソロ・アルバム『async』は音楽における「非同期」をテーマにしたアルバムだった。
 しかし非同期を希求していたとはいえ、坂本は「音楽のカオス」を追い求めていたわけではなかった。彼は音楽家であり、作曲家であり、作曲と構築を捨て去ることはなかった。そうではなく「同期」に変わる新しい音楽システムを希求していたのではないかと思う。エレクトロニカやアンビエント、フィールド・レコーディング作品に、そのような同期とは異なる新しい音楽のシステムを聴きとっていたのかもしれないといまなら思う。その点から、本作『Micro Ambient Music』は、『async』への音楽家・音響作家たちからの応答・変奏という面もあるように聴こえた。

 計41人、どのアーティストの楽曲も興味深い。環境音と音と音楽の交錯地点を聴取しているような気分になる。個人的にはトモコ・ソヴァージュの楽曲 “Weld” がとても良かった。トモコ・ソヴァージュは水を満たした磁器のボウル、ハイドロフォン(水中マイク)、シンセサイザーなどを組み合わせた独自のエレクトロ・アコースティック楽器を用いて、透明な霧のような音響を生み出すアーティストだ。本作もまた透明な音のタペストリーが生成し、シンプルにして複雑な「非同期」のごとき音響空間が生まれている。この5分少々の曲には、坂本龍一が『async』で探求していた「同期しない音楽」があった。音が重なり、生成し、消えていく。その美しい音響。
 また、中島吏英とデヴィッド・カニンガムの “Slow Out” はアルバム中の異色のサウンドだ。マテリアルな音のズレ。蓮沼執太の “FL” もまた興味深い。普段の蓮沼の楽曲とは異なり、モノの音によるマテリアルな音響作品で、晩年の坂本の「音」そのものへの探求に憑依したような素晴らしいトラックだ。もちろん主宰である伊達伯欣の楽曲も見事だ。美しい点描的なピアノに、非反復的な環境音が深いところで共振し、まるで夜のしじまに沈んでいくような音楽を展開している。断片的な音の随想とでもいうべきか。
 むろんどのアーティストも、それぞれの方法で坂本を追悼している。41人の音楽家すべて、晩年の坂本龍一の「音の探求」を理解し、そこに向けて音を構成しているのだ。その結果、このアルバムは世界の音響作品、サウンド・アート、アンビエントなどのエクスペリメンタル・ミュージック、その00年代以降の達成を示すようなコンピレーション・アルバムとなった。坂本龍一への「追悼」が20年の音響音楽の総決算にもなった。この点だけでも「晩年」の坂本の偉大さがわかってくる。

 現在、アンビエントとサウンド・アートの境界線は融解した。おそらく坂本龍一もそのことを敏感に感じ取っていたように思う。そして、このコンピレーション・アルバム『Micro Ambient Music』もまたその事実を体現している。世界に満ちた音のざわめきが、ここにはある。発売は10月31日までだ。気になる方は一刻も早く入手した方が良いだろう。なお収益の一部は Trees For Sakamoto へ寄付される。

interview with YUKSTA-ILL - ele-king

 1982年生まれ、三重県鈴鹿市在住のラッパー、YUKSTA-ILL(ユークスタイル)を知らずして、東海地方のヒップホップとその歴史について語ることはできない。彼は00年代後半からいままでブレることなくコンスタントに作品を発表し、そのたびに全国をツアーで回っている。以下のインタヴューでは、東京、大阪、名古屋などの大都市ではない地域でアンダーグラウンドな音楽をつづけることの困難とそれを乗り越えてきた経験の一端が語られる。

 YUKSTA-ILLは00年代後半にはヒップホップとハードコアが独自に深くつながる名古屋、東海地方のストリート・カルチャーの土壌が生んだ突出したラップ・グループ、TYRANTの一員として活動。その後、15、16年に『WHO WANNA RAP』とそのリミックス盤『WHO WANNA RAP 2』という決定的な作品を発表した大所帯のクルー、SLUM RCに参加。個性豊かな面々が混じりけのないラップの魅力で競い合う美しさにおいて日本語ラップ史に残る2枚のアルバムだ。TYRANTとSLUM RCは、「日本語ラップ史」における重要度に比してあまりに評価が追いついていないと言わざるを得ない。が、YUKSTA-ILLについて語るべきことはそれだけではない。

 YUKSTA-ILLのラップの特異性は、「どんな奇妙で変則的なビートでもラップしてやろう」という好奇心と冒険心から生まれている。日本でこれだけラッパーが増えた現在でも、YUKSTA-ILLのような、ブーム・バップとトラップの二元論やトレンドに囚われない冒険心を持つラッパーというのは少数派だ。ダニー・ブラウンが風変わりとされ、唯一無二であるように。良くも悪くも、一般的にラッパーは、その時代のトレンドの形式や様式のなかで個性やスキル、人生経験を競い合うものだ。すでに約10年前、ビートメイカー、OWLBEATS『? LIFE』(12)におけるYUKSTA-ILLのラップは、まさにele-kingのレヴューにおいて、実験的なエレクトロニック・ミュージックの観点からも驚きをもって評されている。

 だから、YUKSTA-ILLが今年4月に発表した通算4枚目のアルバム『MONKEY OFF MY BACK』は、“オルタナティヴ・ヒップホップ” と言えよう。彼がこれまでリリースしたファースト『questionable thought』(11)、セカンド『NEO TOKAI ON THE LINE』(17)、サード『DEFY』(19)がそうであったように。彼はアルバム以外に、盟友=ATOSONEとの12分間の実験作品『ADDICTIONARY』(09)、KID FRESINOやPUNPEE、16FLIPら東京のビートメイカーとの共作EP『tokyo ill method』(13)、あるいは、『MINORITY POLICY OPERATED BY KOKIN BEATZ THE ILLEST』(15)や『ABYSSS MIX』といった自身の楽曲などを仲間のDJがミックスする作品を残している。後者のミックスは、YUKSTA-ILLの未発表曲、リミックスなどとアメリカのラップを混ぜてミックスしていくDJ BLOCKCHECKの手腕によって、YUKSTA-ILLの多彩なフロウがいかにグルーヴィーであることを伝えている。

 本作では、呪術的なムードが漂う “DOUGH RULES EVERYTHING”、ジャズのドラムロールの一部をループしたような騒々しいビートでCampanellaとスキルを競い合う “EXPERIMENTAL LABORATORY(その名も「実験室」)” の2曲が象徴的だ。両者ともOWLBEATSのビートだ。その他にMASS-HOLE、KOJOE、ISAZ、UCbeatsのビートがある。さらに、山口のラッパー、BUPPONとの “BLOOD, SWEAT & TEARS” はいわば “ローカルからの逆襲” である。このふたりが、あのtha boss(THA BLUE HERB)と共作した “HELL'S BELLS”(『IN THE NAME OF HIPHOP』)の続編としても聴ける。

 今年41歳になる彼は自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉を立ち上げ、最新作をそこから出した。音楽を、表現をつづけることが闘いなのだと言わんばかりに。ライヴで渋谷にやってきたYUKSTA-ILLに話を訊いた。

YUKSTA-ILL - BLOOD, SWEAT & TEARS feat. BUPPON

工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。

4年ぶりのアルバムですね。この数年間はどう過ごしていました? コロナもあったじゃないですか。

YUKSTA-ILL:前のアルバム『DEFY』を2019年2月に発表してから約1年はツアーを回っていましたけど、2020年の年が明けてほどなくして世の中コロナになってしまって。ライヴが決まっていても、緊急事態宣言やまん防(新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置)で延期か中止になるからライヴに向けてのモチベーションが保てなくて。そのころNYの街もロックダウン中で、当時はまだ現地にいたSCRATCH NICE、GRADIS NICEから届いたビートで、『BANNED FROM FLAG EP』(20)を作って。それからは、水面下で曲は作り続けていましたけど、三重からはあまり出なかったですね。近くの公園にバスケのゴールができたから、早朝にバスケして、散歩してるおじいちゃん、おばあちゃんと戯れて、帰って午前中からリリックスを書いたりしてました。

マイペースにやっていたと。

YUKSTA-ILL:アルバムを出したら、曲を引っ提げて全国を回りたいじゃないですか。『NEO TOKAI ON THE LINE』のときはOWLBEATSと、『DEFY』のときはMASS-HOLEといっしょに全国を回りました。俺は、フル・アルバムを出すというのはそういうことだと思っていますから。『BANNED FROM FLAG EP』を出したあとも、三重以外でも呼んでくれる土地には行きましたけど、中止や延期の可能性も高かったから自分からはアプローチはしなくて。心置きなくライヴをできるまではアルバムを出すタイミングじゃないと思っていましたね。

ライヴをやってナンボですからね。

YUKSTA-ILL:ホントそうなんですよ。だから、とりあえず曲を作り溜めてそれから考えようと。

たとえば、“JUST A THOUGHT” の冒頭の「時として なんなら飛び込みてぇ/脱ラッパー宣言 『例えば』とか『もし』の視点」っていうリリックはコロナ禍での鬱積した気持ちの表れなのかなと。

YUKSTA-ILL:田舎は人が落ち着くのが早くて、まだ若いのにクラブやライヴ・ハウス、遊ぶ場所に来なくなる人も多いんですよ。名古屋や東京のような都会では、年齢層高めでも遊んでいる人が多いじゃないですか。そういう都会に行くと、ずっとやってるヤツ、ギラついているヤツにも会って自分のマインドを保てるけど、田舎はそうじゃないから。それに追い打ちをかけるようにコロナも流行して、俺自身も三重にこもりっきりになって、プライヴェートでもいろいろあって、そういうなかから出てきたリリックスですね。ラップを辞めるつもりはないですよ(笑)。ただ、やっぱり人生についていろいろ考えるじゃないですか。だから、「『例えば』とか『もし』の視点」と書いているし、曲の最後は、「どこまで行こうとも根本 芯はDEFY」と締めている。『DEFY』は前のアルバムのタイトルで、「ブレない」「確固たる」という意味。そこに最後は戻るという構成になっている。アルバムのなかでいちばん早い段階ぐらいでできた曲ですね。

リリックで面白かったといえば、“DOUGH RULES EVERYTHING” の「金だ金だ金だ金だ金だ」っていうフックの反復ですね。

YUKSTA-ILL:これは、J・コールが金について歌った “ATM” っていう曲のオマージュなんですよ。J・コールとゴタゴタがあったリル・パンプへのアンサー・ソング(“1985”)があるじゃないですか。あの曲と同じく『KOD』に入っていますね。フックで「Count it up, Count it up」ってくり返す箇所が「金だ金だ」に聴こえるし、意味としても「金を数える」だからサンプリングしたんです。俺のフックの「あの世に持って行けんけど/ないと生きていけん」というリリックも、その曲の「Can't take it when you die, But you can't live without it」の和訳なんですよ。

J. Cole - ATM

なるほど、そうだったのか。ユークくんは、J・コールについて前回のインタヴューでも語っていましたね。やはり好きなラッパーのひとり?

YUKSTA-ILL:J・コールはカッコいいと思いますね。J・コールは、バスケへの愛があるし、プロのバスケ選手にもなったじゃないですか(バスケットボール・アフリカ・リーグのルワンダのチーム「Patriots」に一時所属、試合への出場も果たした)。ラップのリリックスにもそういうのを盛り込んでくるんですよね。だから、俺も無条件にフィールしている。『The Off-Season』(2021年)のアルバムのジャケでもバスケット・ゴールが燃えているし。それと、J・コールの出身地のノースカロライナ州はアメリカの田舎なんですよ。そういうローカルな感じも好きですね。

ユークくんはアメリカのどこに住んでいたんでしたっけ?

YUKSTA-ILL:ペンシルベニア州のポコノですね。フィラデルフィアやニューヨークに近い山地で避暑地みたいな場所です。子どものころに4年ぐらい住んで、現地の学校に通っていました。日本人は俺と妹しかいなかったですね。物価が安いからポコノに住んでNYに出稼ぎに行く労働者も多かったみたいだし、黒人の人も多くて、クール・G・ラップやDMXのリリックにもポコノの名前が出てくる。だから、なおさらヒップホップにのめり込みましたね。

ということは、ラップはアメリカで始めたんだ。

YUKSTA-ILL:高校生のころ、ポコノの地元のヤツらがラップをはじめて、俺もそこに交じった感じです。クルーとまでは言えないけど、集団になって。で、そのなかのひとりの父ちゃんがビートを作っていて、アメリカによくあるベースメント、要は地下室をスタジオにしていたんです。そこにみんなで集まってやっていましたね。

最初は英語でラップしていた?

YUKSTA-ILL:いや、それが日本語でやるんですよ(笑)。一時帰国したときに、ちょうど “Grateful Days”(1999年)がオリコンで1位になっていたんです。しかも当時、ヤンキーもFUBU(90年代のヒップホップ・ファッションを代表するブランド)とか着ていたじゃないですか。それで、「日本でもヒップホップが来てるのか! ヤベェ!」って興奮したんですけど、周りのヤツらに話をよくよく聞いてみると、音楽は浜崎あゆみを聴いていると。俺はそれぐらい日本の事情を何もわかっていなかったから。いまだから言えますけど、自分でリリックを書きはじめる前は、“Grateful Days” のZEEBRA氏のヴァースを向こうのヤツらの前でキックしたりしていました(笑)。すると向こうのヤツらも「こいつヤベエよ! ライムしてるぜ!」ってなって。

はははは。いい話。

YUKSTA-ILL:あと、『THE RHYME ANIMAL』(ZEEBRAのファースト・アルバム/98)の “I'M STILL NO.1” のヴァースもやりましたね。そうそう、フォースM.D.'Sっているじゃないですか。そのうちのひとりがポコノで服屋をやっていたんですよ。そこに遊びに行って、「俺、ラップするんだよ」ってラップをやってみせたりしていました(笑)。もちろん、その後はちゃんと自分で日本語でリリックを書くようになりますね。

ポコノには、日本人が他にいなかったということでしたけど、差別も厳しかったですか?

YUKSTA-ILL:まあ、どこ行っても差別みたいのありましたね。車でモールに行って買い物して帰って来たらタイヤの空気が抜かれていたり。アジア人だからってそういうことはありましたよ。俺、中学生のころはバスケ部だったし、向こうにはコンビニ感覚でゴールがあるからとうぜんやっていたんです。ちょうど(アレン・)アイバーソンが登場して活躍しはじめる時代です。そのアイバーソンの必殺技にクロスオーバー・ドリブルっていうのがあって。俺はそのドリブルを中学生のころに習得していたから、アメリカでもそれをかましたら、向こうのヤツらがぶち上がっていましたね(笑)。

それでリスペクトをゲットしたと。

YUKSTA-ILL:そうそう。それでリスペクトを得て打ち解けていったのはありましたね。そもそも俺は、バスケからヒップホップに入ったんです。アイバーソンが出てきて、バスケとヒップホップがリンクしているのを知ってヒップホップに興味を抱いた。今回のアルバム・タイトルの『MONKEY OFF MY BACK』もよくスポーツ選手が使う諺みたいな言葉で、「肩の荷を下ろす」とか「苦境を脱する」みたいな意味合いで、“FOREGONE CONCLUSION” の最後で、この言葉を使うコービー(・ブライアント)のインタヴューをサンプリングしているんですよ。

なるほど。

YUKSTA-ILL:当時、日本のバスケ雑誌にも、毎月1ページだけ、ヒップホップのアーティストが紹介されるコーナーがあって。アメリカにいるときに、日本から雑誌を取り寄せてもらって、そのコーナーを隅から隅まで読み込みましたね。1回目がZEEBRA氏、2回目がDEV LARGE氏、3回目がK DUB SHINE氏で、4回目がYOU THE ROCK★氏でした。その雑誌を読んで、日本にもヒップホップがあるのを知ったぐらいですから。

00年に、ナイキのキャンペーンで、ZEEBRA、DEV-LARGE、TWIGYの3人がバスケットをテーマにした “PLAYER'S DELIGHT” を作っていますよね。

YUKSTA-ILL:ありましたね。

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DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。

ところで、今回の作品は、自身の自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉の第一弾リリースじゃないですか。このタイミングで自分のレーベルを作ろうと思ったのはなぜですか?

YUKSTA-ILL:自分の地元の三重の鈴鹿・四日市を色濃く形作るためにはやっぱりレーベルを立ち上げてやった方がいいと思ったんですよね。

ピッチダウンさせたソウル・ヴォーカルをループしているような “TBA” を作っているUCbeatsさんはユークくんの地元・鈴鹿のビートメイカーなんですよね。

YUKSTA-ILL:そうっすね。地元の鈴鹿・四日市の現場にも20代前半ぐらいの若いヤツらも増えましたけど、UCbeatsは、俺とその若いヤツらのあいだぐらいの世代ですね。UCbeatsは、鈴鹿にあるゑびすビルという複合ビルに〈MAGIC RUMB ROOM〉というスタジオを持っていて、自分もそこにいたりしますね。〈KICKBACK〉(三重県のハードコア・バンド、FACECARZのヴォーカルのTOMOKIが営む洋服屋)もあって、2階が〈ANSWER〉っていうライヴ・ハウスです。もともとヤマハ楽器のビルだから防音の扉もしっかりしているんです。

YUKSTA-ILL - TBA

〈WAVELENGTH PLANT〉というレーベル名はどこから?

YUKSTA-ILL:WAVELENGTHには「波長」とともに「個人の考え方」という意味があり、さらに、鈴鹿・四日市は工業地帯だからPLANTと付けました。ロゴは四日市コンビナートと、波形データをイメージしてデザインしてもらいました。

鈴鹿や四日市はどんな町なんですか。やはり労働者の町?

YUKSTA-ILL:そうですね。工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。だから、仕事を選ばなければ仕事はあって職には困らない地域とも言えます。で、鈴鹿の隣町の四日市が三重ではいちばん栄えている町で、そこに〈SUBWAY BAR〉というクラブがあるんです。

そこが、地元の活動の拠点なんですね。

YUKSTA-ILL:そうですね。今日バックDJとして(渋谷に)来てくれてるキヨシローっていうヤツが〈TRUST〉ってパーティをやっていて。俺がライヴをやるときもあれば、「レコード持って行っていい?」ってDJやりに行く回とかもあるんですよ。コロナ前に1982S(YUKSTA-ILL 、ISSUGI、仙人掌、Mr PUG、YAHIKO、MASS-HOLEの1982年の6人から成るヒップホップ・グループ)が中目黒の〈SOLFA〉でDJオンリーのパーティをやるときに、MASSくんから「DJできる?」って声かけられて、そこで初めてDJしました。

ああ、そうだったんですか。

YUKSTA-ILL:今回のアルバムのCDの特典に、DJ 2SHANの『BLUE COLOR STATE OF MIND』ってミックスCDを付けているんですけど、そのDJ 2SHANは四日市で〈RED HOUSE〉っていうレコ屋をやっている。レコードでDJする彼にDJを教えてもらって、本番に臨みましたね。MASSくんも悪い男だから、俺は初めてのDJなのにメインフロアの1時ぐらい、しかも16FLIPのDJの前に組まれて(笑)。この世のDJの皆さんには謝りたいぐらいですけど、つなぐだけで盛り上がってくれてほっとしました(笑)。DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。和歌山にラッパーのSURRYくんがやっている〈Banguard〉っていうお店があるじゃないですか。

おお~、SURRYくん! わかります。

YUKSTA-ILL:嫁の地元が和歌山で、〈Banguard〉にも行く機会が増えて。あのお店はヒップホップのみならずレコードの品ぞろえがいいんですよ。それで行くとテンションが上がって、行くたびに何かを買って帰るようになりましたね。DJをやるようになってから新しい視点が加わりましたね。“JUST A THOUGHT” の「まるでレコードの溝 はみ出るニードル 対応には全神経集中する肉眼を駆使」とかは前の俺からは出てこないリリックスですし。DJをちゃんとやっている人にたいして、俺なんかが大それたことは言えないですけど、楽しみが増えたって感じです。ソウタ(ATOSONE/RC SLUM主宰/ブランド「Comma Violeta」のオーナー)もたまに「〈COMMON〉(ATOSONEが名古屋にオープンしたGallery&Bar)でDJしないか?」って誘ってくれますし。

三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。

DJは楽しいですよね。音楽との関わり方のチャンネルがひとつ増えますよね。ユークくんの周りにはお手本になる良いDJがたくさんいるんじゃないですか。今回のアルバムでもビートを2曲手掛けているISAZもミックスCDをコンスタントに出していますし、ぼくは彼のミックスCDがすごく好きで。

YUKSTA-ILL:ISAZのビートは軽やかですよね。あと瞬発力がある。じつは今回のアルバムは作り溜めてきたものをいろいろ調整して作り上げたんです。KOJOEくんが大阪にいたときにいっしょに作品を作っていたんですけど、その途中で沖縄に行っちゃったんで(笑)。

KOJOEさんは、東京、大阪に〈J.STUDIO〉という音楽スタジオを作って、東京はMONJUに、大阪はTha Jointzに任せて、さらにスタジオを作るために沖縄の那覇に移住したんですよね。

YUKSTA-ILL:そうなんです。KOJOEくんもいろいろプロジェクトを抱えている人なので、俺の考えるペースではアルバムが出ないと判断してスウィッチを切り替えて。KOJOEくんとのプロジェクトはいずれなんらかの形で発表するとして、俺のフル・アルバムをまず出そうと。それで、KOJOEくんに了承を得て、KOJOEくんと作った曲からピックアップして、今回のアルバムに収録した。ただ、KOJOEくんのビートをそのまま使っているのは2曲だけで、ほとんどビートは差し替えました。すでにREC済みのアカペラをビートメイカーに送ってビートを作ってもらって、送り返してもらって、さらにラップを録り直してブラッシュアップしていった。だから、けっこう迷走した時期もあって。俺はフル・アルバムを出すときにはやい段階でタイトルやコンセプトを決めて作っていくんですけど、今回は溜まった曲を並べていった。そうしたら、ぜんぜんまとまりがなくて、ISAZの2曲は、アルバムがじょじょに肉付けされていくなかで、アルバムに足りない部分を加えた曲だった。いままでと違う作り方をして完成させることができたのは新しい経験でしたね。

そもそもユークくんとKOJOEさんとの出会いっていつですか?

YUKSTA-ILL:KOJOEくんが2009年にアメリカから帰国してからの付き合いなんで長いんですよ。KOJOEくんが帰国して最初のライヴは〈MURDER THEY FALL〉(1998年に第1回が開催された東海地方のハードコア、ヒップホップ、ストリート・カルチャーを象徴する重要イヴェント)で、自分はそこにTYRANTとして出演していたんです。それからじょじょに親しくなっていった。仲が良いからこそ、KOJOEくんからは厳しく言われますね(笑)。

“TIME-LAG” はKOJOEさんのビートですが、ベースラインがカッコいいですね。

YUKSTA-ILL:いいですよね。WELL-DONE(大阪を中心に活動するクルー、Tha Jointzのラッパー) との “GRIND IT OUT” は、俺がTha Jointzのみんなも出てる大阪のイヴェントに行ったときにやることになった曲です。まだKOJOEくんも大阪にいました。ただ、KOJOEくんのビートをOWLBEATSのものに差し替えていますね。

OWLBEATSさんも精力的に活動していますよね。〈OILWORKS〉から出した『ON-SHOCK』も今年出した『BAN-ZOK-HEADZ』も素晴らしかった。

YUKSTA-ILL:鹿児島出身のOWLBEATSとも古いです。OWLBEATSはファースト・アルバム『? LIFE』を〈RC SLUM〉からリリースしていますけど、その前から、鹿児島や沖縄にはよくライヴで行っていましたし、名古屋や地元以外で、いちばんライヴで行っている土地が鹿児島ですね。というのも、自分たちの周りは昔からハードコアとヒップホップのつながりは強くて、OWLBEATSはLIFESTYLEという鹿児島のハードコア・バンドと仲が良くて、名古屋にいっしょに来ていたんですよ。WELL-DONE も元々ハードコア・バンドをやっていましたしね。OWLBEATSが2015年にOTAI RECORDが主催して〈club JB'S〉で開催したビートメイカーのバトル・イヴェント〈BEAT GRAND PRIX 2015〉で優勝したときは、俺らは誇らしかったですよ。ブレずに自分のスタイルでやり続けていますよね。

“SPIT EASY” にはALCIとGIMENが参加していますけど、すこし前に東京で観たALCIのライヴがめちゃくちゃパワフルでした。

YUKSTA-ILL:ALCIと兄貴のBRUNOの日系兄弟のライヴもすごいですよ。ぜひ観てほしいですね。兄弟だから出せるグルーヴがあって、あれは他のヤツらには真似できないっすね。ALCIはいまは名古屋にいますけど、四日市に2年ぐらい住んでいた。ヤツは、〈SUBWAY BAR〉で「AMAZON JUNGLE PARADISE」ってずっとやっているオープンマイクのイヴェントに三重に住む前から来ていて、ラッパーとしてそこで培ったものは大きいと思います。ALCIのソロ・アルバム『TOKAI KENBUNROKU』でも1曲やっています。でも、三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。今回は自分のアルバムだけど、俺だけのレーベルじゃなくて、地元の他のヤツらにもみんなのレーベルと思ってほしいんです。

Hakushi Hasegawa - ele-king

 長谷川白紙がフライング・ロータス主宰のレーベル〈Brainfeeder〉と契約を交わしたことがアナウンスされている。発表に合わせ、シングル曲 “口の花火” が公開。2年前のインタヴューでフライング・ロータスが長谷川白紙の名を挙げていたのは、この布石だったのかもしれない。詳細は下記より。

7月のジャズ - ele-king

 この5月、6月はヒタ・リー、アストラッド・ジルベルトと唯一無比の個性を持つ女性アーティストの訃報が続いたが、先日7月16日にはジェーン・バーキンが亡くなった。エルメスのバッグの名前にもなったジェーンだが、私にとってはセルジュ・ゲンズブールのパートナーで、彼の作品にいろいろと顔を出したことで忘れられないシンガーである。“ジュ・テーム” はもちろんのこと、少年のような裸体のポートレートをジャケットに配した『メロディー・ネルソンの物語』(撮影当時のジェーンは娘のシャルロットを妊娠していた)は、ブリジット・フォンテーヌのプロデュースでも知られる鬼才ジャン・クロード・ヴァニエが音楽監督やアレンジを務め、後世にも多大な影響を与えた。


Nicola Conte
Umoja

Far Out Recordings / ディスク・ユニオン

 さて、今月の一枚目はイタリアのニコラ・コンテによる久しぶりのアルバム。タイトルの『ウモジャ』とはスワヒリ語で統一や連帯を意味する言葉で、1970年代のアメリカの黒人ジャズ・ミュージシャンの間ではキーワードのひとつにもなっていたのだが、これが示すようにここ10数年来の方向性であるアフロ・ブラック・ジャズ、スピリチュアル・ジャズ的なアルバムとなっている。これまでも南アフリカはじめいろいろな国のミュージシャンたちと共演するなどしてきたニコラだが、今回の録音メンバーもイタリア、イギリス、フランス、フィンランド、スウェーデン、セルビア、アメリカ人、ガーナなどアフリカをルーツとするミュージシャンと、アドリア海に面した港町出身のニコラらしく国際色豊かな顔ぶれである。

 長年の付き合いであるザラ・マクファーレンが歌う “アライズ” (彼女の同名アルバムとは別曲)が代表するように、ジャズを基調にソウルやファンクが融合し、アフリカ音楽やブラジル音楽などのエッセンスを交えたアルバム作りは相変わらずだが、今回は1970年代中頃のロニー・リストン・スミス&コズミック・エコーズ、ギル・スコット・ヘロンブライアン・ジャクソン、ロイ・エアーズ・ユビキティなどを想起させるような作品が多く、使用楽器や録音機材も含めて当時の音楽が持っていた匂いや質感をリアルに再現しようとしている。アフロ・ジャズとサンバ・フュージョンを掛け合わせた “ライフ・フォーセズ” におけるティモ・ラッシーのサックスは極めてファラオ・サンダース的(現在であればカマシ・ワシントン的)で、そうした引き出しの多さはやはりニコラ・コンテのDJ的な嗅覚のなせるところである。


Ashley Henry
My Voice

Royal Raw Music

 サウス・ロンドンのピアニスト、アシュリー・ヘンリーも2019年のファースト・アルバム『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』以来久しぶりの新作となる。ビートメイカー的な側面も持つアルファ・ミストに対し、アシュリー・ヘンリーはクラシックもマスターしてきた正統派のピアニストであり、同じジャマイカをルーツに持つウィントン・ケリーからアーマッド・ジャマルらの影響も口にする。リリカルで端正なジャズ・ピアノと、カリビアン・ルーツのラテン的なタッチというのが彼のピアニストとしての評価となるだろう。ただ、彼もクラブ・ミュージックからの影響を受け、リ・アンサンブルというプロジェクトではナズをカヴァーするなど、ヒップホップやブロークンビーツ的な作品も展開し、自らヴォーカルもとっていた。新作EPである「マイ・ヴォイス」は、自身で設立したレーベルの〈ロイヤル・ロウ・ミュージック〉からとなり、来年にリリース予定のニュー・アルバムに先駆けた作品となる。

 今回のEPは「マイ・ヴォイス」とするだけあって、自身のヴォーカルやワードレスのヴォイス、スキャットなどを含めたトータルでの声楽とピアノ演奏のコンビネーションを披露する部分が多い。表題曲がその代表で、透明感に富むピアノとワードレス・ヴォイスが非常にイマジネーション豊かな音像を描く。“ラヴ・イズ・アライヴ” におけるスウィートな歌声も、シンガーとしてさらに覚醒したアシュリーの姿を見せてくれる。ヴォコーダーのようにも聴こえるメロウな歌曲の “メラニン” など、歌とピアノのバランスはハービー・ハンコックが手掛けた歌モノの域に近づいている。“デイ・ドリーム” での歌声は、オマーやクリーヴランド・ワトキスなどの先達を彷彿とさせるもので、みなジャマイカ系イギリス人という共通項から生み出される歌声なのかもしれない。そして、小刻みなブロークンビーツ調のリズムを刻む “ブリーズ” をはじめ、今回もクラブ・ミュージック経由の斬新なドラム・パターンが随所に配置され、新しいジャズの息吹を感じさせる作品集だ。


Terrace Martin
Fine Tune

Sounds Of Crenshaw

 ロサンゼルスのミュージシャン/ラッパー/プロデューサーであるテラス・マーティンは、スヌープ・ドッグ、ケンドリック・ラマー、トラヴィス・スコットらの作品に関わり、ジャズとヒップホップを結びつけたキーパーソンである。自身のアルバム『3コードフォールド』(2013年)はそれらラッパーからシンガー、さらにロバート・グラスパーも交え、そのグラスパーの『ブラック・レディオ』に対するヒップホップ/R&Bサイドからの回答とでもいう作品だった。『ヴェルヴェット・ポートレイツ』(2016年)ではサンダーキャット、カマシ・ワシントン、キーヨン・ハロルドらも交え、全体にジャズへ接近したところが見られた。特にディアンジェロのツアー・メンバーで、グレゴリー・ポーターやアシュリー・ヘンリーの作品にも参加し、マイルス・デイヴィスの伝記映画『マイルス・アヘッド』でトランペットを演奏したキーヨン・ハロルドが鍵で、彼の参加でディアンジェロ的な70年代ソウル~ファンク・リヴァイヴァルの流れを汲んだアルバムとなった。

 その後、ミュージシャンやプロデューサーらのコラボレーション・グループであるポリシーズのアルバムやライヴ盤を経て、ケンドリック・ラマーやレオン・ブリッジスら久々にラッパー/シンガー陣とコラボした『ドローンズ』を2021年に発表。それから2年ぶりの新作が『ファイン・チューン』である。今回のラインナップを見ると、キーヨン・ハロルド、カマシ・ワシントン、ロバート・グラスパー、デリック・ホッジ、ブランディ・ヤンガー、ロバート・シーライト、エレナ・ピンダーヒューズとジャズ界の実力者が多く揃うので、『ヴェルヴェット・ポートレイツ』の路線かと思いきや、アフロビートの “デグナン・ドリームズ” などがあり、非常に幅広い内容となっている。カマシ・ワシントンとロバート・シーライトをフィーチャーした濃密なアフロ・ジャズ・ファンクの “ファイナル・ソウト”、ブランディ・ヤンガーのハープが夢想の世界に誘うメロウ・グルーヴの “ダメージ”、ジェームズ・フォントルロイのスウィートな歌声が魅力の “トゥー・レイト” など力作揃いのアルバムとなった。なお、同世代のミュージシャンだけでなく、ラリー・ゴールディングスのようなジャズ界の大物から、かつて〈ブラック・ジャズ〉に伝説的な2枚のアルバムを残したギタリストのカルヴィン・キーズまで参加するなど、通も唸らせる人選となっている。そのキーズのボサノヴァ調のギターが光る “ザ・アイランド” は、これまでになかったテラス・マーティンの新しい面を見せるものだ。


Kris Tidjan
Small Axes

BBE Music

 仏領マルティニーク出身でパリ育ちのシンガー・ソングライターのクリス・ティジャンは、ヒップホップ、ソウル、レゲエなどから音楽に傾倒していき、その後自身の楽曲制作をはじめて2015年に「フローティング・セラピー」というEPでデビュー。アフロビート、ブロークンビーツ、ディープ・ハウスなどをミックスした作品を作っていたが、そこから長い期間を経て(現在はベルリンを拠点とするようだ)、ようやくデビュー・アルバムの『スモール・アクシズ』を完成させた。“ダズリング・リボン” に見られるように、ディアンジェロの『ヴードゥー』を連想させるネオ・ソウルとジャズが結びついたクールな世界が彼の魅力だ。ランプの “デイライト” のフレーズが飛び出す “インカーネイテッド” はじめ、彼の歌声はドゥウェレを思い起こさせる非常に魅力的なもの。そんな歌声とアフロビートとブロークンビーツが混じったようなリズムが結びついた “リトル・ジャイアント” は、クリスの兄弟であるアラン・ロジーヌとセルビア出身のジャズ・ピアニストのゾラン・テルジッチが参加。中間で披露されるピアノと土着的なコーラスとリズムの交わりは、彼のルーツであるマルティニークから生まれたものだろう。

 1990年にはじまるジョージ・ブッシュの声明に反応して2005年に書かれたという反戦歌の “ローズ・オブ・ウォー” は、クリスのヴォーカルに対してサックスとフルートが極めて有機的に絡み、そこから即興的なインタールードの “インターローズ” を挟み、“エディ” は切々と綴るネオ・ソウル調のナンバー。これらのナンバーではディアンジェロやドゥウェレはもとより、クリスの敬愛するボブ・マーリーからの影響も見ることができる。アルバム・タイトルの『スモール・アクシズ』もボブ・マーリーへのオマージュとして名付けられたそうだ。そして、“カティオパ” は2005年にいとこのジェレミー・オーネムとコラボして作った曲で、マルティニーク系やフランスのミュージシャンと共演している。カリビアンとアフロビートとソウルが結びついたクリス・ティジャンの原点と言える楽曲だ。

Haruna Yusa - ele-king

 昨年、ソロとしては2作目となる Have a Nice Day! のカヴァー・アルバム『Another Story Of Dystopia Romance』を発表し注目を集めた遊佐春菜。本日、1年ぶりとなる新曲がリリースされている。今回の楽曲は、今後の飛躍が期待される若手バンド Strip Joint の “Liquid” で、もともと英詞だったものを日本語詞にして再構成。夏の一瞬を切りとるようなヴォーカルに注目したい。


「夏の雫」リンク
https://big-up.style/WT6SWhgvvC

Pantayo - ele-king

 パンタヨとはタガログ語で「わたしたちのために」という意味だそうだ。わたしたち、とは誰か。カナダはトロントのフィリピン系のクィア5人組。パンタヨはマイノリティである自分たちのアイデンティティを探るためにフィリピン南部の伝統楽器クリンタンを叩きつつ、思いきりポップなインディ・ポップをやっている。それはもう、一度聴いただけで覚えてしまえそうなキャッチーさで……はじめてパンタヨを聴くというひとは、本作のオープニング・ナンバー “One More Latch (Give It to ’Ya)” を。R&B風の色気のあるメロディを持った一曲だが、そこで妙に人懐こく響く金属音が連打されれば、不思議なトリップ感覚が発生する。なじみ深いようで、同時に聴いたことのない音楽だ、と思う。

 クリンタンの音色と旋律を現行のポップ・ミュージックとミックスするパンタヨのスタイルは、デビュー・アルバム『Pantayo』ではまだアイデア一発勝負という感じだったが(それはそれですごくチャーミングだったのだが)本作ではよりポップ・ソングとしての完成度を高めた曲が目立つ。思いがけずメロウなソウル・テイストがある “Must've Been A Fool"、爽やかなギターがたっぷり鳴るものだからまるでただの北米インディ・ロックのような “Mali”。フィリピン系である彼女たちも(当たり前だが)現代のカナダでは西洋文明や西洋文化の支配下で暮らしているわけで、パンタヨはそのありのままの姿を隠すことはないが、自分たちのルーツを探ることで音楽をオリジナルなものにしてきた。テクノ風のシンセ・リフが聞こえてくる “Dreams” や “Masanguanan”、インディ・ロック風のイントロで始まりつつすぐにクリンタンがメロディを先導する “Sapa(n)ahon” といったインスト曲では西洋のスケールを外れていることがわかりやすく、フィリンピン由来のアイデンティティを言葉よりも音楽のなかから追求している。OKI DUB AINU BAND にとってアイヌに伝わる伝統楽器トンコリがもっとも重要であるように、パンタヨにはクリンタンを鳴らすことが自己表現の発露なのである。
 僕がひとつ気になるのは、イスラム文化と関わりの深い楽器であるクリンタンをクィア・バンドだと公言しているパンタヨが鳴らしていることの意味だ。イスラム圏でも近年は変わってきているとの話も聞くとはいえ(それに、非イスラム圏における多地域でのクィアへのバックラッシュを見ていると、文化や宗教以上に政治的陣営の問題だと感じられることも多い。が、)イスラム文化がクィアに対して厳しい態度を歴史的に示してきたことは否定できない。民族的マイノリティとして、あるいは性的マイノリティとしての経験を歌っているというパンタヨがミックスしているものは、単純にスタイルとしての伝統とモダンよりも大きなものなのかもしれない。
 とはいえ、パンタヨの音楽はアイデンティティ政治が最優先されたものではないと思う。初期パンクのように徹底してDIY精神が貫かれているため聴いていると晴れ晴れとした気持ちになれるし、その上でいろんな音楽にアクセスする身軽さが気持ちいい。パンタヨの愉快な音楽は、個性と呼ばれるものがどこからやって来るのかを僕に考えさせる。少数派としてのルーツとつながることもできるし、必ずしもルーツに縛られなくてもいい。その間を行き来しながら、何よりもアイデアを生かして自分たちにだけ作れるものを目指せばいいのだ。

 1961年8月ニューヨークはヴィレッジ・ゲイト、ジョン・コルトレーン・セクステット(エリック・ドルフィー含)完全未発表ライヴ音源発掘。そんな令和一大ジャズ・ニュースに触れて「待ってました」と色めき立つ人が、はたしてどれくらいいるだろうか。狂喜する往年のジャズ・ファンを横目に、それがいったいどれほどの意味を持つことなのかよくわからぬまま、とりあえず様子を見るか、あるいはすぐに忘れてしまうか、ようするに大して関心を持たない人たちが大勢目に浮かぶ。そんな諸兄諸姉に対して説得力のある何事かを訴えるのはなかなか難しそうであるし、かといって往年のジャズ好事家諸賢にとり為になるような何事かを私なんぞが書けるはずもなく、さて。


John Coltrane with Eric Dolphy
Evenings at the Village Gate

Impulse! / ユニバーサル

Jazz

■通常盤(SHM-CD)
Amazon Tower HMV disk union

■限定盤(SA-CD~SHM仕様)
Amazon Tower HMV disk union

配信

 ともあれいまさら基本的な情報は不要であろう。なにしろいまや岩波新書の目録にその名を連ねるほどの歴史的偉人である。その岩波新書赤版1303『コルトレーン ジャズの殉教者』の著者であり世界有数の “コルトレーン学者” たる藤岡靖洋は、『The John Coltrane Reference』(Routledge, 2007)というコルトレーン研究の決定版と言うべき巨大なディスコグラフィーの編纂にも関わっている。コルトレーンの足取り・演奏データを詳細に記したこの本を眺めていると、「when you hear music, after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again(音楽は聴き終わると空中に消え去り、もう二度と捕まえることはできない)」という呪文のようなエリック・ドルフィーの言葉を思い出す。ようは録音されずに空中に消えた演奏のほうが録音されたものより圧倒的に多いという当たり前の事実に改めて直面するわけだが、したがって録音されているという事実だけを根拠に、今回発掘された1961年8月ヴィレッジ・ゲイトでの演奏に何か特別な意味を持たせる理由はないこともまた、肝に銘じておくべきことなのかもしれない。ごく一部の(ほぼ関係者に近い)人を除けば、「待ってました」というわけではなく不意の棚ぼた的サプライズ発掘音源であり、つまりコルトレーンが日常的に行なっていた数あるギグのほんの一コマが、当時たまたま新しい音響システムのテストの一環としてリチャード・アルダーソンによって録音されており、永らく行方不明になっていたそのテープが近年たまたまニューヨーク公共図書館に眠る膨大な資料のなかから発見されただけの話である。発掘音源をめぐるいたずらな伝説化を避けるなら、そういう物言いになる。

 ジョン・コルトレーン(ss, ts)、エリック・ドルフィー(fl, bcl, as)、マッコイ・タイナー(p)、レジー・ワークマン(b)、アート・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)のセクステット、つまりこの時期数ヶ月間にわたって実験的に試みていたツー・ベース編成による全5曲。“My Favorite Things”(①)、“When Lights Are Low”(②)、“Impressions”(③)、“Greensleeves”(④)といった定番のレパートリーが並び、ドルフィーが編曲したことで有名な『Africa/Brass』(1961年5月録音)収録曲 “Africa” のライヴ録音(⑤)は他のどこにも残されておらずこれが唯一の記録である。すべての曲が10分を超え、“Africa” に至っては22分。この時期に顕著となるこうした演奏の長尺化は、コルトレーンの音楽の発展にとって不可避の事態であり、従来のコードチェンジに縛られずにひとつのハーモニーを延々と展開し続けることの可能性を示していた。とりわけライヴ演奏は一種のトランス状態の渦を作り出すかのごとき様相で、当時は「ジャズの破壊」とまで言われたコルトレーン=ドルフィーの剥き出しのソロがここでは存分に堪能できる。

 ふいと個人的な話になるが、私が初めて買ったコルトレーンのアルバムは、『That Dynamic Jazz Duo! John Coltrane – Eric Dolphy』(1962年2月録音)と題された見るからにブートレグ感が漂うレコードだった。実際おそらく1970年頃につくられたブート盤である。中古で確か500円。安っぽいモノクロ・ジャケットの裏面にはなんとコルトレーンの直筆サインが油性のマジック(つまり魔術的な力)で書き込まれており、すわ!歴史がねじれる不思議!とひとりひそかに喜んだ。私が高校生の頃なので2003年とかそのあたりの話であるが、当時巷では「スピリチュアル・ジャズ」と呼ばれる古い=新しい潮流が盛り上がっていた時代である。クラブ・ジャズ/DJカルチャーのシーンが発端となったスピリチュアル・ジャズなる言葉が指し示していたのは、簡単に言うと「コルトレーン以後のジャズ」だった。どことなく神秘的だったり民族的だったりアフロセントリックだったり、場合によっては宇宙的だったりする崇高なムードを纏ったグルーヴィーな黒いジャズが対象で、代表格はファラオ・サンダースアリス・コルトレーンアーチー・シェップ、そして〈ストラタ・イースト〉や〈ブラック・ジャズ〉、〈トライブ〉などといったレーベル、またはそのフォロワーが定番のネタであり、スピリチュアルを合言葉に一気に再評価が進んだ。コルトレーン「以後」ということは当然ジョン・コルトレーンその人も含まれる、というよりまさにコルトレーンこそがスピリチュアル・ジャズの “元祖”、“伝説”、“永遠のアイコン” であるとして崇められてはいたが(参考:小川充監修『スピリチュアル・ジャズ』リットーミュージック、2006年)、実際の主たるところはその「後」のほう、コルトレーンの「子どもたち」だった。なぜならコルトレーンはとうの昔からビッグネームであったし、一部のDJにとってはグルーヴがレアであることのほうが音楽やその歴史的文脈より優先されたからである。

 個人的な話を続けると、歴史捏造油性マジカル・ブート盤の次に買ったのが『Olé』(1961年5月録音)だった。表題曲におけるコルトレーンのソプラノサックスが「アンダルシアの土埃のなかで舞っているジプシーの肉体感覚に近いように聴こえる」と書いたのは平岡正明だが(『毒血と薔薇』国書刊行会、2007年)、このジプシー的感覚あるいはアラブ的感覚はスペインめがけて地中海を3拍子で突破することによって培われ、おそらくその後のコルトレーン流の高音パッセージをかたちづくる最も重要な要素であるはずだ。螺旋状に延びていく並外れた旋律=フレージングは、隣にエリック・ドルフィーを擁することでより際立ち強化・装飾される。コルトレーンのグループにドルフィーが加入していたのは1961年5月から翌62年3月までの約10カ月間。『Olé』の他に『Africa/Brass』、『Live At The Village Vanguard』、『Impressions』などがあり、ライヴ録音のブート盤を含めるとそれなりの数が残されている。この頃の “中期” コルトレーンはスピリチュアル・ジャズ隆盛の時代にあってはあまり顧みられていなかったようにも思うが、“Olé” や “Africa”、また “Spiritual”(『Live At The Village Vanguard』収録)といった比較的長尺の楽曲は、モーダルな “単調さ” ゆえの “崇高さ” があり、明らかに後のスピリチュアル・ジャズを預言している。『A Love Supreme』(1964年12月録音)や『Kulu Sé Mama』(1965年6、10月録音)を差し置いて、どうやら私はこのどちらに転ぶかわからない危うさ、神に対する卑屈と人間的な尊厳を兼ね備えた “中期” コルトレーンがいちばん好きだった。「ファンキーズムから前衛ジャズにジャズ・シーンがきりかわった前後から、卑屈さや劣等感を額のしわにほりこんだ黒人くさい黒人がジャズの世界から減り、人間的な尊厳にみちた人物が数多くあらわれた」(平岡正明「コルトレーン・テーゼ」『ジャズ宣言』イザラ書房、1969年)。言ってみればコルトレーンはその中間のような、というより明らかに相反するふたつの性質を有しており、かの有名な「笑いながら怒る人」ならぬ、キャンディーをペロペロ舐めながら神妙な面持ちの人、導師の顔をした弟子キャラ、といった具合の、まるでレコードにA面とB面があるような二面性である。それならコルトレーンの毒血はAB型か。

 にもかかわらず片面をなきものとされ、生前より聖人的尊厳を投影され、死後さらに伝説とされ、まるで神様のように祀られている状況について、コルトレーン本人は少なからず戸惑いを感じているようだ。「自分でも考えられねごどだ」──1975年、恐山のイタコに “口寄せ” されて地上に舞い降りたコルトレーンは津軽弁でそう語った。FM東京「ジャズ・ラブ・ハウス」という番組で放送されたこのときの口寄せ実況はなかなか傑作で、しまいにはコルトレーンの親父さんまで降霊してくる始末(「まさかあのようにジョンが有名になるとは思わなかった」云々)。書き起こしが『季刊ジャズ批評』誌46号(阿部克自「宇宙からきたコルトレーン(恐山いたこ口寄せ実況)」)に掲載されているので、ご興味のある方はぜひ。

 口寄せは英語だと necromancy に相当するか、あるいは conjure でもいいかもしれない。たとえば『マンボ・ジャンボ』で知られる作家イシュメール・リードにとって最重要キーワードのひとつが conjure であったことを考えると、(ジャズの下部構造としての)ブルース衝動は死の概念と不可分であり、そこにはすでに何らかの魔術的な力が内在していることに気がつく。黒人霊歌以前のニグロ・スピリチュアルすなわちヴードゥーの精霊か、それこそ奇病ジェス・グルーの発症を促す何らかの魔法か。かくして、キャプチャーされることなく空中に消えた無数のサウンドに、大西洋に沈んだ無数の死のイメージが重なる。まずはレコーディングされていた奇跡を真摯に受け止めるべきなのだろう。録音は呪文であり救済である。1961年8月ニューヨークはヴィレッジ・ゲイト、ジョン・コルトレーン・セクステット(エリック・ドルフィー含)完全未発表ライヴ音源発掘。アフリカ大陸へ延びるテナーサックスのミドル・パッセージに、いまだ見ぬ過去と失われた未来が立ち現れる。もうしばらく、ジャズは「コルトレーン以後の音楽」でしかありえないことを確信する。

Laurel Halo - ele-king

 みなさんお待ちかね、すばらしいニュースの到着です。2010年代を代表するエレクトロニック・ミュージシャンのひとり、ローレル・ヘイローがひさびさのアルバムを発表する。ミックスやサウンドトラックをのぞけば、じつに5年ぶりだ。新作のタイトルは『Atlas』、発売は9月22日、レーベルは〈Awe〉。
 ゲスト陣もポイントを押さえているというか、サックス奏者ベンディク・ギスケ、ヴァイオリン奏者ジェイムズ・アンダーウッド、チェロ奏者ルーシー・レイルトン、ヴォーカリストとしてele-kingイチオシのコービー・セイと、いま注目すべき面々が集合している。
 アルバムごとに作風を変える彼女、今回はどんな新境地を見せてくれるのか──新曲 “Belleville” を聴きながら、妄想をたくましくしよう。

 ちなみに7月後半から11月にかけ、世界各地をDJしてまわるようです。

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