「KING」と一致するもの

interview with Tourist (William Phillips) - ele-king

 朝目が覚めたとき、妙なフィーリングにとらわれることがある。つい数秒前まで大冒険を繰り広げていたはずだった。アラームが鳴り響いた瞬間はまだ半分くらいそっちの世界にいる。どうやら刻限らしい。かならず戻ってくる。おまえらとの友情は永遠だ。この体験は生涯忘れない──そう固く決意しログアウトした瞬間、さっきまでなにをしていたのか、あっという間に記憶が薄れていく。見知った天井。絶対に忘れてはならないたいせつな出来事が起こったはずだけれど、電車に遅延はつきものだ。一刻も早く歯を磨かなければならない。ようこそリアル。ここがきみの居場所だ。

 その感覚がこのアルバムそのものなんだ──そうウィリアム・フィリップスは述べる。旅行者=ツーリストを名乗り、2010年代後半から4枚のアルバムを発表、2015年にはグラミー賞まで手にしているエレクトロニック・プロデューサーの5枚目のアルバムは『記憶の朝』と題されている。MJコールにフックアップされたという彼は、ハウス~UKガラージ、ブレイクビーツ~ジャングルといった、けして生やさしいとはいえない現実のなかで発明されてきたリズムを駆使し、やさしげな旋律と蠱惑的なヴォーカル・サンプル、きらきら輝く電子の断片をもってどこまでも夢幻的な空間を演出する。この桃源郷はタイコパンサ・デュ・プリンスらのエレクトロニカと通じるものだ。あるいはその淡くはかなげなポップネスに着目するなら、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライター、コナー・ヤングブラッドあたりと並べて聴いてみるのも一興かもしれない(スタイルはまったく異なるけれど)。どこまでも広がる、ただただ美しい世界──わかってる。これは現実じゃない。だからこそ、いい。「ぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ」。フィリップスは音楽がもつ最高の効用のひとつ、エスケイピズムを称揚する。
 個人的なオススメは最後に配置された表題曲 “Memory Morning” だ。30周年を迎えたエイフェックス・ツインの名作『SAW2』(の数曲)を想起させるメロディに導かれ、ヒップホップのビートと、鳥のさえずりのごとくチョップされた音声が一日のはじまりを告げる──夢とうつつの転換、あのえもいわれぬ短い時間を表現しているのだろう、なんともさわやかなダウンテンポである。
 というわけで、このうるわしいアルバムを完成させた当人に、まだ日本ではあまり知られていない自身の背景について語ってもらった。

MJコールに大きな影響を受けたよ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。

最初のシングルのリリースが2012年かと思いますが、音楽制作をはじめたのはいつ頃からですか?

Tourist(以下T):音楽制作? うわぁ……ぼくは1987年生まれ、つまりいま37歳ということになるんだけど、曲を作りはじめたのはたぶん10歳か11歳の頃じゃないかな。

通訳:早かったんですね。

T:そう、大昔だよ。3歳か4歳くらいの頃にピアノを弾くようになったんだ。レッスンを受けたわけじゃないけど、家にピアノがあったからね。なにせ3歳だし、押すと音が出るからすごく興味を持ったんだ。ワクワクしたよ。37歳のいまになっても、どこか押して音が出るとやっぱりワクワクする(笑)。
 ぼくにとって音楽というのはエンドレスで興味を惹かれるものなんだ。どんなタイプのものでもね。自分で書く曲のタイプも成長するにつれて変わっていった。10代のころ書いていたのと、20代のころ書いていたのと、30代になってから書いていた曲はちがうんだ。
 EP「Tourist」はそんななかで、これから長い間やっていくだろうと思ったタイプの音楽に、初めてコミットした作品だった。自分にとって初めてのちゃんとしたアーティスティックなペルソナだったんだ。それが……いまから12年前か。25歳だから、ひとによっては遅いとみる向きもあるかもしれないね。20代前半もけっこう曲を書いていたけど、あまり成功したわけじゃなかった。20代半ばくらいになってやっと手応えを感じてきたという感じだね。
 曲をコンピュータでつくりはじめたのはたぶん10歳くらいのころだと思う。

通訳:ツーリストを名乗りはじめたころに手応えを感じはじめたんですね。

T:そう、「Tourist」という名前だったらやりたいことがなんでもできると思ったんだ。あまり束縛感がなかったし、ダウンテンポでもハウス・ミュージックでも、UKガラージだっていい。この名前なら好きにやれると思ったんだ。そういう認識だけでもすごく助けになる。自由に音楽を感じて、自分に「好きにやっていいよ」と言えるからね。「Tourist」はぼくにとってそういうものなんだ。

通訳:ツーリストのように、どんなタイプの音楽を旅してもよいということですね。

T:(コップからなにか飲みながらにっこりうなずく)

音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。

幼いころはどういった音楽を聴いて育ってきたのでしょう? あなたにもっとも大きな影響を与えたアーティストはだれですか?

T:子どものころはドラムンベースやUKガラージをたくさん聴いていたんだ。LTJブケムが大好きだったね。それからロニ・サイズ、エイフェックス・ツイン、ケミカル・ブラザーズも大好きだった。少年時代はアヴァランチーズも大好きだった。ロイクソップも大好きだったし……メロディックで夢見心地な感じの音楽にインスピレイションを得ていたんだ。UKガラージではMJコールに大きな影響を受けたよ。人生にもほんとうにたいせつな影響をくれたひとなんだ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。

通訳:そうだったんですね!憧れの人があなたを「発見」してくれたんですね。

T:そうなんだよ。彼にはたくさんの恩がある。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。彼には大いにリスペクトを感じているよ。ぼくの人生のなかでものすごく重要な人物なんだ。ケミカル・ブラザーズ、MJコール、LTJブケム……それから子どものころはジャズも大好きだったよ。あと80年代のシンセ・ポップ。トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー。あの辺がぜんぶ大好きだった。20代のころにはフォーク・ミュージックを「ちゃんと」聴くようになった。10代のころはあまりクールに感じなかったんだけどさ(笑)。でも成長するにつれていろいろ学んで、耳を傾けるようになったんだ。……そんな感じで、ほんとうにたくさんの音楽を聴いてきたよ。

あなたはロンドン生まれのコーンウォール育ちだそうですが、コーンウォールの土地柄や風土は、あなたの音楽性に影響を与えていると思いますか?

T:ぼくは引っ越した当時の感覚をずっと憶えているんだ。ロンドンは魔法、ロンドンはカルチャー、ロンドンはあらゆるひとの場所だと思っていた。ところがぼくがまだ幼いころに両親が離婚して、コーンウォールに引っ越したんだ。まあ、よくある話だよ。
 コーンウォールのカルチャーはぜんぜんちがった。いい悪いじゃなくて「ちがった」。ぼくには馴染みがないものだった。思うに、コーンウォールで暮らしていたからこそ、ロンドンを思い出させる音楽をつくっていたんじゃないかな。ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めていたからね。
 17歳くらいになって初めて、エイフェックス・ツインもコーンウォール出身だって知ったんだ。じっさいコーンウォールからはすばらしいアーティストがいろいろ出ているんだけど、ぼくにとって音楽をつくるのは、ある意味「コーンウォールにいない気分になる」ための手段だったのかもしれない(笑)。というのも、正直言ってコーンウォールに暮らしていたころはあまりいい思い出がないんだよね。だから音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。コーンウォール自体はすばらしいところで好きだけど、ロンドンは生まれたところだし、「どこ出身?」と訊かれたらロンドン出身と答えるよ(笑)。
 でもコーンウォールは海に近くていいところで、子ども時代はそこが好きだった。サーフィンもスケートボードもしたし、当時からの親友たちもいる。ただ、コーンウォールでぼくくらいの歳の子が音楽をつくるのはヘンというか珍しいことだった。

通訳:コーンウォールはあなたに逆説的な影響を与えた感じなのでしょうか。

T:そのとおり! 100%そうだね。自分がロンドンで恋しかったものを思い出させてくれたんだ。

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人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

ツーリストになる前もなってからもさまざまな作品を出してきましたが、これまでのアルバムないしシングルで、あなたにとっていちばんの転機となった作品はなんですか?

T:ふむ。いい質問だね……。ターニング・ポイントか~。……セカンド・アルバム(『Everyday』、2019)をつくり終えたときだったかな、人生には時間があまりないことに気づいたんだ。ファースト(『U』、2016)のときは時間があり余るほどあったから、自分がつくりたいまさに理想の音をつくることができた。でもファーストをつくり終えていざセカンドをつくるとなると……(ため息をつく真似)さて、これからどうする? と思うんだよね。
 ぼくのファースト・アルバムはそんなにビッグにはならなかった。大した成果はもたらさなかったけど、名は知られるようになった。その後セカンドをつくることになって、「そうか、何枚だって、好きなだけアルバムをつくればいいんだな」と気づいたんだ。すごく自由になれた気がしたよ。ファーストにたいしては出るまで後生大事にしているけど、いったん出ると拍子抜けしてしまうものだからね。グラミー賞を獲るとか、すごい会場でプレイするとか、そういうのがないかぎり。でもそのファーストがあまり目立たなくて、ぼくのことを知っているひとたちだけに届いたことによって、今度は自分の実力を証明しないと、と思ったんだ。ファーストをつくり終わってセカンドの曲を書きはじめて、何度でも繰り返して自分の実力を証明しよう、と思った。それにはただアルバム1枚分書くだけじゃだめ。もっともっとたくさんの労力を要するものなんだ。ぼくの好きなミュージシャンは全員……そう、全員が、何枚もアルバムを出している。それで気づいたんだ。このアルバムでやれなかったことは、次のアルバムでやればいいじゃないかってね。そう気づいてほっとしたよ。ものすごく自由な気持ちになれた。ただ1枚分だけじゃない。10枚分書くんだ。20枚分だって書ける。

通訳:1枚で終わりじゃなくて、その後も続くと。

T:ある意味1枚でおしまいだと思ったけどね。幼かったと思うよ。いまは「いや、何枚もつくればいいじゃないか」と思えるようになったんだ。ミュージシャンとして成長していくなかで、ほんとうにいろんなことを学ぶからね。

通訳:ということは『U』と『Everyday』の間がターニング・ポイント期という感じなのでしょうか。

T:そうだね。『U』でやったことをたんに繰り返すわけにはいかないと気づいたんだ。ほかのことをやらないと。ときの流れに適応しつつも、自分に誠実なものをつくることがたいせつなんだ。そうすると自分のスタイルはなんなのかということを考える。自分のスタイルはなんなのか。それをキープしながら変化させて、興味深いものにするにはどうしたらいいのか。あれはぼくにとって大きなターニング・ポイントだったね。
 ぼくのアルバムのなかで『Everyday』が好きだって言ってくれるひとは多いんだ。家でヘッドフォンで聴くのに向いていて、内向的だからね。一方ファーストの『U』はものすごく外に向いたアルバムだった。あの辺りがターニング・ポイントだった気がするね。というのも、『Everyday』を出してすぐ後……わずか8ヶ月後にぼくは(サード・アルバムの)『Wild』(2019)を出したんだ。それほどインスピレイションを得たということだね。次々にアルバムをつくっていけばいい、という考えに強くインスパイアされたんだ。すごく自由な気分になれたから、『Everyday』を出した後すぐに気持ちを切り替えることができた。

先ほどグラミー賞の話がちらっと出ましたが、あなたはツーリスト名義のファーストを出す前にグラミー賞を獲っています。あなたが作曲に参加したサム・スミスの “Stay With Me”(2015)は現在20億もの再生数を誇り、当時グラミーも受賞しました。その成功はあなたになにをもたらしましたか?

T:ものすごく正直に言わせてもらうと、ぼくがやりたい音楽をやる力を与えてくれたと思うね。ある意味すごく安定したし……それってミュージシャンにとってはプライスレスなことなんだ。住宅ローンを払うために毎週末DJしに行く心配をあまりしなくていいというのはね。
 ものすごく正直に言わせてもらうと、あの成功はぼくに自由を与えてくれた。そしてその自由をぼくは自分自身のプロジェクトに投資した。レコード会社が「こっち方面に力を入れようと思う。あなたには○枚アルバムをつくってもらいます」と言わないような、リスクをとりたがらないような分野にね。メジャー・レーベルのどこかを指して言っているわけじゃないけど、自由を得たことによって、ツーリストとはほんとうはなんなのかということに本格的にフォーカスすることができるようになったんだ。それが “Stay With Me” のくれた恩恵だね。“Stay With Me” がなかったらツーリストはいなかったと思う。“Stay With Me” はいまじゃクラシック・ソング(往年の名曲)化しているよね。すばらしいことだと思う。サムにもいろんなすてきなことをもたらしてくれて、彼のことを思うとハッピーだよ。ほんとうにすばらしいことになった。
 ぼくは曲を書くのが大好きで、いまもいろんなひとに曲を書いているけど、“Stay With Me” を超えるのは難しいね(笑)。でも、ぼくに自由を与えてくれた曲なんだ。

冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。

あなたの音楽の大きな特徴のひとつにヴォーカル・サンプルがあります。ヴォーカル・サンプルに惹かれるのはなぜですか?

T:それは……ぼくが基本的に人間の声が大好きだからなんだ。人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

通訳:たしかに!

T:興味深いよ。もしぼくがフランス語だけを使って曲をつくっていたら、フランス語圏のひとにしかアピールしなかったかもしれない。ぼくは人間の声をピアノとして扱って操作するのが好きなんだ。ぼくにとって人間の声というのは、それが合唱であろうと、歌であろうと、だれかが話している声であろうと、大好きなサウンドということには変わりない。というか、たいていのひとが好きなサウンドじゃないかな? そうじゃないかもしれないけど(笑)。でもそれがないとなにもできないからね。ともあれ、ぼくは人間の声が大好きなんだ。ただ大好きなだけで、それ以上におもしろい理由はないけどね。声に手を入れて、アレンジしたり、まったく独特のものにつくり変えたりすることによって、新しい意味を与えるのが好きなんだ。

美しい夢を見ているような、きれいな電子音もあなたの音楽の特徴です。現実のつらいことを忘れさせてくれるような、いい意味での逃避性があなたの音楽にはそなわっているように思います。先ほど少し触れていたかもしれませんが、それは、あなた自身が音楽に求めている効果や役割でしょうか?

T:そうだね。音楽というのはきわめて基本的な意味で、ぼくにとっては逃避性なんだ。いままでずっとそうだったし、いまもそうだね。
 音楽をつうじて他人のなかに自分自身を見るのが好きなひとは多いと思う。シンガー・ソングライターや作詞家が人気があるのはそれだよね。でもぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ。自分の行きたいところやほかのところに連れていってくれるものでもある。いろいろな場所を思い起こさせてくれるもの、ぼくを連れていってくれるもの。アイスクリームを食べるのに少し似ている気がするよ。

通訳:それはいい表現ですね(笑)。

T:「うまっ! 別世界に行った気分だ」みたいな感じ(笑)。ぼくにとってはドラッグだね。ぼくの脳や神経に影響を与えてくれるんだ。いい影響をね。だからなんだ。ひとになにかを感じさせてくれるところが大好きなんだ。それに……音楽はいくら食べても食べ過ぎにはならないからね(笑)!

通訳:たしかに! アイスは健康によくないときもありますが、音楽は健康にいいですからね。

T:そう、いちばんたいせつなことだよ。音楽は自分と他人をつないでくれるし、自分自身ともつないでくれるんだ。それがもっともたいせつなことだよね。だからAIでつくった音楽にはあまり興味がないんだ。人間がつくったものじゃないからおもしろ味がない。加工食品みたいなものだよ。もちろんマクドナルドを1日じゅう食べていることはできるけど、そこからなにか感じられるものはあるのか、だれかの表現だと感じられるのか。そこだよね。音楽は人間がつくった、いちばん効果的なコミュニケーションのかたちだと思う。

『Wild』のリミックスEP(2020)にはアンソニー・ネイプルズメアリー・ラティモアらと並んで、広島のプロデューサー、冥丁が参加しヒット曲 “Bunny” をリミックスしています。人選はあなたご自身によるものですか? 冥丁の音楽についてどんな印象をお持ちでしょう?

T:冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。知ってる? ぼくのレーベルにいたぼくの友だちの曲をひとつリミックスしてくれたひとなんだ。
 冥丁の音楽はぼくにとって……ものすごくピースフルなんだ。あんな感じのものは経験したことがなかった。ひたすら美しいし、スケールもコードもよく考えて使われている感じがする。それでいてすごく人間味があるし、脆さと音楽性の高さが同時に存在しているんだ。彼があの曲のリミックスを手がけてくれたのはほんとうに光栄なことだった。とても気に入っているよ。

通訳:彼のことはリミックス以前から知っていたのでしょうか。

T:ああ、彼のアルバムですごく気に入ったのがあってね。名前が思い出せない! けど、おなじ年に出たんだよね。ちょっと待って、ぼくのSpotifyにあるか探してみるよ。それは……(PC画面を眺める)これだ! 『Komachi』だ。それがぼくの好きなアルバム。すばらしいアルバムだよ。ぼくの『Wild』とおなじころに出て、よく聴いていたんだ。それで彼にリミックスをお願いしたらイエスと言ってくれた。ほんとうに光栄なことだよ。

新作収録曲 “Valentine” はジェレミー・スペンサー・バンドの “Travellin’” からインスパイアされたそうですが、アルバム全体としてはいかがでしょう? 『Memory Morning』を制作するうえでもっとも大きく影響を受けた音楽はなんでしたか?

T:サイケデリックな音楽をたくさん聴いていたね。1960年代のサイケデリカ、それからシューゲイズもいろいろ聴いていたし、ポスト・パンク、それから初期のレイヴ・ミュージックもよく聴いていた。“Siren” にその影響が聴きとれるかもしれないね。トリップホップぽいのもいろいろ聴いたな。“Ithaca” や “Memory Morning” はそっち系の色が強い気がする。いまの音楽は聴いていなくて、大昔にインスピレイションを与えてくれた曲をたくさん聴いていたんだ。だからある意味、あまり今風のアルバムには聞こえない。ヒップには聞こえないだろうな(笑)。いまの音楽の多くはすごく速いけど、ぼくはそういうものからむしろ遠ざかっていくような感じだったんだ。ときには大勢を押し返すのもいいからね。

新作でもっとも苦労した曲、難産だった曲、あるいはもっとも思い入れが深いのはどの曲ですか?

T:トラックリストが思い出せないよ(笑)! ちょっと見てみるね。……(PC画面を眺める)そうだな、“Siren” はこれまで書いた曲のなかでもとくに気に入っている部類に入るね。いまこうしてトラックリストを見ているけど、とても誇りに思うよ。“Siren” と、あと “A Little Bit Further” はしっくりくるものをつくるのがちょっと大変だったな。あれは基本的に2曲をひとつにまとめたようなものだからね。フォーク・ソングみたいな感じではじまって……マーク・フライという男の “Song For Wilde” からだんだん変化していって、ほとんどケミカル・ブラザーズみたいな感じになる。拍動感の強い、ハウスっぽいものにするのが狙いだったからね。“A Little Bit Further” はAの状態からBの状態に持っていくのがとても大変だったんだ。
 あの曲以外はそんなにつくるのは大変じゃなかった気がするね。すごく流れている感じがしたんだ。ほかのアルバムはみんな書くのがすごく難しくて、ぼくも細かいところまでこだわりがあったけど、今回はすごく自由な気持ちで、思いついたものをすべて尊重してアルバムに入れることができた。

アルバムのタイトル『Memory Morning』にはどのようなニュアンスが込められているのでしょう? それは最終曲の曲名でもありますね。わたしたちは朝、夢から目覚めたとき、たいていの場合は夢の内容をすぐに忘れてしまいます。あの不思議な感覚と関係がありますか?

T:その感覚がこのアルバムそのものなんだ。まさにそれだよ! わかってくれて嬉しいね。あのふたつの単語(「memory」と「morning」)を並べてみるとどうにも合わないというか……寝ている間にどこかに連れていかれるんだけど、目覚めたときに「うわぁ、いまのはいったいなんだったんだ?」なんて感じる、あれこそがいちばん強いインスピレイションになった。ああいう感じ方をさせる音楽をつくりたいと思ったんだ。これだ! と思ったよ。だから最後の曲は “Memory Morning” なんだ。このフレーズを使うことによって、いちばんステキなかたちで人びとの方向感覚を失わせたかったからね。『Memory Morning』の核心はそういうところなんだ。

通訳:今日はこのインタヴューまで一日じゅうこれを聴いていたので、明日の朝起きてどんな感じか興味が出てきました(笑)。(訳註:やはり起きた途端に夢を忘れてしまいましたが……)

T:悪夢を見ることになるかもよ(笑)?

現在ツアー中かと思いますが、ライヴやDJをやっていて最高だと感じるのは、どのような瞬間ですか?

T:基本的には「自分の音楽を知ってくれている、自分の知らない人たちに会うこと」だと思うね。いまでも感動するよ。ぼくの知らないひとたち、ぼくが行ったことのない国に住んでいるひとたちがぼくの音楽を聴いてくれているということに、いまでも大きなインスピレイションをもらっている。ぼくは自分のことをユビキタスなアーティストだと思っていない。知るひとぞ知るという感じで、全員に知られているわけじゃない。でもそれってほんとうにすばらしいことだと思うんだ。余計な期待をされないということだからね。ファンがとても真摯でいてくれることも意味する。ファンはあまり知られていないという事実も好きな傾向があるしね。ぼくはこの状態から大きな恩恵をもらっていると思うし、ぼくのショウに来てくれるひとたちに心から感謝している。彼らは心からショウに来たくて来てくれているわけだからね。友だちに連れられて仕方なく来たとか、1曲だけちょっと好きな曲があるから来てくれたわけじゃない。彼らが来てくれるのは、ぼくのアルバムを気に入ってくれているからだと思うんだ。そう言えるアーティストはけして多くない。アルバム・アーティストだって自分で言えるのは、とてもラッキーなことだと思うよ。ツアーに行くたびにそう思う。オーディエンスの反応がセットの特定の箇所だけ大好きという感じじゃなくて、一定しているんだ。ずっと同じレヴェルを保っている。とてもありがたいことだと思う。

あなたが生きていくうえで、あるいはあなたの人生において、音楽はどのような意味を持っていますか?

T:ぼくにとっての音楽の意味? ……音楽はぼくの人生全体に意味を与えてくれたね(笑)。笑顔も希望も。ときにはフラストレイションも(笑)。ときには音楽におじけづいてしまうこともあるし、特定の音楽が怖いこともあるし、大嫌いになることだってある。でも音楽がなによりも大好きなんだ。ぼくの人生にちゃんとした意味を与えてくれるからね。ぼくは自分の人生のすべての瞬間にサウンドトラックをつけることができる。その瞬間を思い出させてくれる音というのがあるんだ。そのことに感謝しているよ。人間に音楽があるということにね。

Blue Bendy - ele-king

 サウス・ロンドンのポスト・バンク・バンドを中心にここ数年で大流行した喋るように唄うスタイルは聞くものに新たな感覚を残したのではないだろうか。つまりは芝居がかった演劇的な側面を音楽にもたらして、プレイリスト、曲単位で盛り上がる観賞スタイルが普通になった中で、再びアルバムという物語を意識させたのではないかということだ。歌い手が言葉を使いストーリーを表現し、その主体の感情を描写するように音楽が追従する。ストリングスやサックスがバンドの中にあるというのが当たり前になった編成で、セリフをつぶやくかのごとく唄うバンドの音楽は舞台で行われる演劇やミュージカルに近く、物語性を持った楽曲との相性が非常に良かった。その一番の成功例は高い評価を得たブラック・カントリー・ニューロードの1stアルバム、および2ndアルバムだろう。アイザック・ウッドの固有名詞にイメージを持たせキーワードのようにしてアルバムの楽曲を繋ぐスタイルを1stアルバムでは偶発的に2ndアルバムでは意図的にイメージを喚起させるように楽曲を組み立てたとバンドは言う。
 そうして時間が経って物語を追う感覚がリスナーに浸透したタイミングで違ったアプローチをする流れも生まれて来た。喋るように唄うスタイルではなくもっとメロディアスで、もっと色鮮やかに。HMLTDのデイヴィッド・ボウイ的SF、精神世界の大活劇の素晴らしき復活作『The Whorm』(この作品はエヴァンゲリオンにも影響を受けたという)が昨年リリースされ、今年、24年にはフォークのアプローチをしたテイパー!の傑作『The Pilgrim, Their God and The King Of My Decrepit Mountain』が生み出された。表面の音楽はまったく違うがどちらのアルバムもいくつかの章に分かれ、それらをナレーションで繋ぐという手法を用いより一層アルバムという物語を強調するものだった。

 さて、このロンドンの6人組ブルー・ベンディーのデビュー作『So Medieval』はどうだろう? 僕にはこれが喋るように唄うポスト・パンク・バンドが生み出したシーンのその先に進んだ音楽に思えてならならない。ピアノが鳴りアコースティック・ギターが咲く柔らかなサウンド、楽曲構成にポスト・パンクの気配を残しながら冷たく鋭い音楽から離れ、陽光の差す平原へ。あるいはそれはブラック・カントリー・ニューロードが2ndアルバムで目指した場所なのかもしれないが、ブルー・ベンディはさらにその先へと歩みを進めている。シンセサイザーが奇妙な音を作りシリアスになりすぎないようにバランスを取り、ねちっこく唄うヴォーカルはミュージカルのように熱を持ち、ギターが感情を作り出す。そして現在のロンドンの多くのバンドたちが共有している感覚であるフォークのアプローチを試み、その中に混ぜる。22年のEP「Motorbike」から進化した音楽はまた一つの特定のジャンルとして形容するのが難しい音楽になったが、歴史の流れの中で歩みを進める実験的なポップ・ミュージックとして完璧に機能している。

 粘り気があって艶があるアーサー・ノーランのヴォーカルは喋るようにメロディを唄いストーリーを語る。マコーレー・カルキンにケンダル・ロイ(ドラマの中のキャラクター)、スーパーマンのコミック、超次元ソニックマン、自らを取り囲むポップカルチャーの固有名詞をふんだんに使い、実存的危機にさいなまれる人生がユーモア交じりに物語られる。宗教的な価値観を織り交ぜながら俗っぽく、壮大な物語はしかしミームと物にあふれた小さな生活の中にかえっていく。たとえば“Darp 2 / Exorcism”のインターネットの惑星に漂う孤独は、暖かいギターの音色ともの悲しいヴォーカルメロディ、壮大というには一歩及ばないコーラス、爆発する小さな起伏に彩られ、最後には車の中、鼻で笑うような会話の中に戻っていく。感情を一気に持っていくようなものではなくニュアンスと空気のレイヤーを重ねてシフトチェンジしていくような音楽がなんとも心を揺り動かすのだ。美しい旋律の快感と、それを壊すようなユーモア、静かに積み上げられていく柔らかな興奮、6分を超える冒険“Cloudy”はまさにそんなブルー・ベンディの魅力がつまったもので、ぐるぐる周るピアノとアコースティック・ギターの爆発に彩られドライヴしていく物語は途中で緩み、展開し、まるでミュージカルのようなコーラスを伴った後半へと突入する。柔らかに着実にどこまでも上っていくように、爆発と展開を繰り返すブルー・ベンディのこの柔らかなカオスはたまらない快感を連れて来るのだ。

 「ロンドンで3番目にいいギターバンドであることはどうにかできる」“Mr. Bubblegum”で唄われるこの言葉はおそらくブラック・カントリー・ニューロードの“Science Fair"の「世界で2番目のスリントのトリビュートバンド」のラインを意識した言葉なのだろうが、彼らはその後にこう続ける「でも僕はなにかで一番になりたいんだ」と。
サウス・ロンドンのインディシーンを見つめ続けてきたバンドは見事にその先へと歩みを進めている。極端にならない方法で、カウンターではなく進化するように。そうして作られたこのアルバムはロンドンのポスト・パンク・バンドとテイパー!やアグリーなどのフォークの要素を強めたバンドの中間のグラデーションとして機能する。固有名詞に囲まれた物語と柔らかいサウンドの彩り、ブルー・ベンディのこのデビュー・アルバムはこんな風になったのだと変わりゆく季節、シーンの未来を確かに感じさせ、そしてなんとも胸を揺さぶってくる。

5月のジャズ - ele-king

 今年1月のコラムでテリ・リン・キャリントンのデビュー・アルバム『TLC And Friends』のリイシューについて紹介したのだが、そのテリ・リン・キャリントンが若手ミュージシャンを率いてソーシャル・サイエンスというグループを結成したことがある。2019年に『Waiting Game』という1枚のアルバムを残したのみだが、そのソーシャル・サイエンスに在籍したのはカッサ・オーヴァーオール、アーロン・パークス、マシュー・スティーヴンスといった錚々たる面々。そして、同じくグループのメンバーだったモーガン・ゲリンがリーダー・アルバム『Tales of the Facade』を発表した。


Morgan Guerin
Tales of the Facade

Candid / BSMF

 ニューオーリンズ郊外のミュージシャン一家に生まれたモーガン・ゲリンは、ニューヨークの名門ニュースクール・フォー・ジャズ・アンド・コンテンポラリー・ミュージックとボストンのバークリー音楽院に学び、サックスやフルートのほか、ピアノ、オルガン、各種キーボード、シンセサイザー、EWI(木管楽器のシンセ)、ベース、ドラムスとあらゆる楽器をマスターしたマルチ奏者。作曲家、プロデューサー、エンジニアでもあり、カッサ・オーヴァーオールに近いタイプのミュージシャンであるが、彼の『I Think I’m Good』(2020年)にも参加している。テリ・リン・キャリントンやカッサのほか、クリスチャン・スコット、タイショーン・ソレイユ、エスペランサ・スポルディング、ニコラス・ペイトンたちとも共演し、ソロ・アルバムは2016年から始まった『Saga』というシリーズ3部作をリリースしている。

 ウェイン・ショータージョン・コルトレーンアリス・コルトレーンといったジャズはもちろん、ステーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、ケンドリック・ラマーなどからも同様の影響を受けたというモーガンは、『Tales of the Facade』について「ジャズのアルバム」という限定的な見方をされたくないと述べる。自宅のスタジオで1年ほどの制作期間を費やして、さまざまな楽器を演奏しながら多重録音し、ほぼひとりで作り上げたトラックにソーシャル・サイエンスのメンバーだったデボ・レイや弟のチェイス・ゲリンはじめ、J・ホアードやメラニー・チャールズ、シスコ・スウォンクなどシンガーやラッパーをフィーチャー。ほかにヴェテランのジョージア・アン・マルドロウの参加も目を引く。『Tales of the Facade』はそうした音楽仲間やコミュニティと作り上げた産物で、“Pyramid” は管楽器や鍵盤などが織りなす重層的なハーモニーやグルーヴと、ワードレスなコーラスが豊かな想像力を掻き立てる。J・ホアードが歌う “We Are More” は、モーガンが標榜するジャズとソウルの境界線のない世界。ジョージア・アン・マルドロウの参加する “Infinity” も同様で、コズミックで深遠な音響世界が広がる。音楽界に根強く残る性差別について取り上げたという “Something In The Air” は、1970年代のアース・ウィンド&ファイアーやチャールズ・ステップニーなどが見せていたスピリチュアル・ジャズとゴスペル、ソウルが融合した世界を彷彿とさせ、メラニー・チャールズの歌もミニー・リパートンを彷彿とさせる。


Blue Lab Beats
Blue Eclipse
Blue Adventure / ユニバーサル

  2022年にサード・アルバムの『Motherland Journey』を発表し、キャリア初のライヴ・アルバム『Jazztronica』を引っ提げて初来日公演も行ったブルー・ラブ・ビーツ。その際にインタヴューもおこなったが、そこではいろいろなアーティストたちとのコラボについて話をしてくれた。2年ぶりの新作スタジオ・アルバム『Blue Eclipse』も、すべての曲が多彩なアーティストたちとのコラボ集となっている。これまでもたびたび共演してきたラッパーのコジェイ・ラディカルのほか、地元ロンドンのジャズ・シーンからココロコのリッチー・シーヴライト、サックス奏者のカミラ・ジョージ、トロンボーン奏者のポッピー・ウィリアムズ、『Days & Nights』や『The Spectrum』などのアルバムで知られるシンガー・ソングライターのデイリー、サム・スミスなどの仕事で知られるプロデューサー&マルチ・ミュージシャンのベン・ジョーンズ、そしてロサンゼルスからムーンチャイルドのメンバーであるアンバー・ナヴランなどが参加する。

 ブルー・ラブ・ビーツと言えばジャズとヒップホップやグライム、R&Bを結びつける作品が多く、そこにアフロやラテンなども取り入れてきたが、『Blue Eclipse』はこれまで以上にR&Bやソウル寄りの内容となっていて、エリカ・バドゥの系譜を引き継ぐネオ・ソウル調の “Rice & Peas” や “Brother” がそれにあたる。“Brother” はLAのムーンチャイルドにも共通するムードを持つ作品だが、そのアンバー・ナヴランが参加する “Sunset in LA” はデイムファンクを彷彿とさせる80年代スタイルのブギー・ファンク。“Never Doubt” はブロークンビーツ的なリズムによるフュージョンで、未来的なヴィジョンと疾走感に満ちたグルーヴに包まれる。“Blue Eclipse” も同様で、アルバム中でもっともジャズ度が高いインスト曲である。一方、同じインスト曲でも “Guava” はラテンやカリプソを取り入れた陽性のナンバーで、リッチー・シーヴライト、カミラ・ジョージ、ポッピー・ウィリアムズらによるホーン・アンサンブルが聴きどころ。こうした多彩な曲をやるのがブルー・ラブ・ビーツらしいところである。“Cherry Blossom” はフルートが奏でるメロウなムードとヒップホップ・ビートが融合した曲で、『Motherland Journey』でも共演したキーファーあたりに通じる。


Nubiyan Twist
Find Your Flame

Strut

 ブルー・ラブ・ビーツがもっとアフロ~ラテン寄りになったグループのヌビヤン・ツイスト。総勢10名ほどのグループで、DJやエレクトロニクスも交えてクラブ・ミュージックとの親和性も高い。音楽形態としてはジャズ、ソウル、ファンク、アフロ・ビートが柱となり、リズム・セクションにブラジル系ミュージシャンがいることなどから、サンバ、アフロ・キューバン、ラテン、クンビア、レゲエ、ダブなどワールド・ミュージックの要素が色濃い。そうした生演奏にブロークンビーツ、ヒップホップ、グライム、ダブステップ、ベース・ミュージックを通過したエレクトロニクス・サウンドが融合されている。アフロ・ビートやワールド・ミュージック系のリリースも多い〈ストラット〉と契約を結び、2019年に『Jungle Run』をリリースしているが、それから2021年の『Freedom Fables』を挟み、最新作の『Find Your Flame』をリリースした。

 『Jungle Run』ではエチオピアン・ジャズの巨匠であるムラトゥ・アスタトゥケ、『Freedom Fables』ではガーナのハイライフ・シンガーであるパット・トーマスと共演するなど、そうしたコラボが話題となってきたヌビヤン・ツイスト。今回のアルバムではフェラ・クティの息子であるシェウン・クティ、マリ共和国でサリフ・ケイタのバック・シンガーを務め、レ・アマゾネ・ドゥ・アフリークのメンバーであるママニ・ケイタと共演する。ほかに意外なところでナイル・ロジャースが参加しているのも興味深い。そのナイル・ロジャースの軽快なカッティング・ギターをフィーチャーした “Lights Out” は、1970~80年代のディスコやブギー・スタイルのナンバーで、そもそもダンス・ミュージックやクラブ・サウンドと繋がりの深いヌビヤン・ツイストらしさが全開となっている。シェウン・クティが参加する “Carry Me” は、シェウンのヴォーカルとアフリカ系のリード・シンガーのヌビヤ・ブランドンによるコール&レスポンス、シェウンのサックスや豪快なホーン・セクションが活躍するアフロ・ビート。一方、ママニ・ケイタをフィーチャーした “Slow Breath” は彼女の伸びやかな歌声が魅力の曲で、マリの民謡がモチーフとなる牧歌性の高い楽曲。アフリカ音楽といってもさまざまなタイプがあり、『Find Your Flame』にはそうした多様なアフリカ音楽やラテン音楽のエッセンスが詰まっている。


Jembaa Groove
Ye Ankasa / We Ourselves

Agogo / ウルトラ・ヴァイヴ

 ドイツで結成されたアフロ・グループのジェンバ・グルーヴ。メンバーの出身や国籍はドイツ、ポルトガル、イスラエル、ガーナ、ベナンで、特にグループの核となるヴォーカリストのエリック・オウスは、ガーナでエボ・テイラー、パット・トーマスなど大御所と共演してきたミュージシャンだ。エリック・オウスとベーシストのヤニック・ノルティングは、ガーナのハイライフや1970年代のソウル・ミュージックから影響を受けたという点で意気投合してグループを結成。ガーナのハイライフやアドワ、ギニア、マリ、コートジボワールなどで広まったワソルなど西アフリカの伝統音楽と、西欧の黒人音楽であるソウルを融合していくというのがジェンバ・グルーヴのコンセプトだ。2022年リリースのデビュー・アルバム『Susuma』は、同年にリリースされたココロコの “Could We Be More” と共にアフリカ音楽とジャズが結びついたピュアなサウンドとして高い評価を得た。それから2年ぶりのニュー・アルバム『Ye Ankasa / We Ourselves』がリリースされた。

 今回はゲストとして、ガーナのハイライフ・ミュージシャンであるジェドウ=ブレイ・アンボレイと、同じくガーナ出身のアフロ・ソウル/レゲエ/ダンスホールのMCである K.O.G が参加する。ジェドウ=ブレイ・アンボレイの低音ヴォイスとサックスがフィーチャーされた “Agya” は、深い哀愁と土着的なグルーヴを湛えたアフリカン・ブルース。K.O.G をフィーチャーした “Sweet My Ear” は、アフロとレゲエのいいとこ取りをしたユル~いグルーヴのナンバー。ナイヤビンギやルーツ・レゲエなど、アフリカ音楽を祖先とするジャマイカ音楽の要素が見られるのもジェンバ・グルーヴらしいところだ。そして、アフリカやジャマイカならではの素朴なメロディや歌がこのグループ最大の魅力である。

Various - ele-king

ラップは聴く者にある種の奇妙さを与え、別の意味で、私たちを私たちの社会の社会的良心から排除された次元へと接触させる。 ——モニカ・ド・アマラル「エロプティカが侵食するブラジルの公立学校の現状」より

 

 我々とは異なる文化から発信される音楽が、ひどく奇妙なもの、「なんじゃこりゃあ」というものとして聴こえるとしたら、それは我々がまだよくわかっていない知恵による創造物であるということ、先方から見たら我々のほうが奇妙である、ということだ。先々週、三田さんが紹介したタンザニアのシッソのアルバムは、たしかに、まずこの国で流れることのない音楽ではある。とはいえ、すでにシャンガーンを聴いている耳にはアフリカの高速リズムは経験済みではあった。その点、『Funk.BR』なるコンピレーションは、20年前のバイレ・ファンキ(またはファンク・カリオカ)、要するにブラジリアン・ヒップホップを聴いている耳には、クセのあるリズムから、理屈ではその現在形と理解できる。が、バイレ・ファンキがディプロらを通じてグローバル化し、ポップスに感じられるようになっているこんにちにおいても、これは新たな「なんじゃこりゃあ」なのだ。なんとまあ多彩な、変態的ハイブリッドの数々だこと。日本の裏側の、人口2億人の国のリオデジャネイロという二重構造を持つ都市の貧困地帯で生まれ、同国内のもうひとつのメガロポリス、サンパウロに飛び火した「ファンキ(ファンク)」は、さらに独自の発展を遂げ、ブラジル国内はおろか、北半球の都市部の人たちをも魅了している。

 バイレ・ファンキは、USヒップホップ(とくにマイアミ・ベースやエレクトロなど)の影響を受けながら、貧民街のディアスポラ文化——アフロ・ブラジリアンとネイティヴ、そしてアフロ・アメリカンがぐしゃぐしゃに混じり合って生まれたラップ&ダンス・ミュージックだった。サンパウロにおけるその発展型は、USからのトラップやドリル(あるいはレイヴ・サウンド)の影響を受けつつも、またしても斬新なサウンドを複数のアーティストがクリエイトしている。現行のシーンを知るうえで、ぼくは英米メディアをはじめ、「ブラジルポップス観測所」という日本語サイトを参考にした。かいつまんで言えば、サンパウロのファンキには「ブルクザリア」なるスタイル、「マンデラン」と呼ばれる路上パーティなど、いくつかのサブジャンルや細部化されたシーンがある。『Funk.BR』はサンパウロのシーンのスナップショットで、ぼくのような初心者にはじゅうぶんに衝撃的と言える内容だ。

 「ファンキ」は、彼の地の現実(暴力、セックス、ドラッグetc)を反映しながらも、制度的な人種差別、都市部における貧困、そして精神的な抑圧からの解放(ないしは抑圧されたリビドーの解放)の音楽として機能している。バイレ・ファンキの刺激を受けて、サンパウロのシーンが急成長したのは2010年代に入ってからだという。保守派からは、公衆衛生犯罪だと非難されたこともあったという話だが、そうしたファンキを黙らせようとする反対派の声もなんのその、彼らの音楽への情熱はYouTubeチャンネル「KondZilla」やTikTokなどを通じて広がり、音楽の魅力をもってリスナーを増やしている。いまではブラジルでもっとも人気のジャンルのひとつへと成長しているそうだ。

 英国のジャーナリストのフェリペ・マイアとジョナサン・キムがキュレーションし、NTSからリリースされた『Funk.BR』は、22のトラックを通じてこのシーンに光を当てている。ここでは、そのさわりだけ紹介しよう。アルバムは、不吉なアートワークにぴったりな、DJ Patrick RとDJ Pikenoによるゴシックかつインダストリアル調クラーベの“Vai No Chão”にはじまる。そして、Mu540とMC GWの共作、呪文のような“A Culpa Eh da Cachac​̧​a”へと続き、DJ Aranaによる“Montagem Phonk Brasileiro”ときたらもう……、このミニマルな電子ノイズの歪みは(ほかの曲にも言えることだが)静と動のメリハリもったみごとな構成で、決して力任せに作られたものではない。北半球の世界では「ノイズ/エクスペリメンタル」などと形容されていたであろう、すばらしい芸術作品だと言える。が、しかし、これはアカデミアとは無縁な、完璧なストリート・ミュージックなのだ。

 電子化され、変容したサンバ。DJ DayehとMC Bibi Drakによる“As Mais Top”におけるねばっこいエロティシズムや、そしてDJ P7とMC PRによる“Automotivo Destruidor”のダークな電子空間からも、当たり前のことだが、昔の(生まれた階級こそ違えど)ボサノヴァやブラジリアン・ポップスとも相通じる節回しがある。しかしながら彼ら新世代の発想力は圧倒的で、そのテクスチャーは北半球のマキシマリズムやフットワークにも通じている。DJ Pablo RBの“Boca de Veludo”は、本作のなかではわりと馴染みがあるテクノ・ダンスと言えるが、それでもこの曲の前では、ザ・レジデンツでさえもMORなのだ。『Funk.BR』において、もっともぶっ飛んでいる曲のひとつはDJ BlakesとDJ Novaesによる“Beat das Gal​á​xias”で、これは周波数による耳への攻撃というか何というか……。ハンマーで粉砕された電子サウンドは、ときには鋭い刃物型の音響彫刻にもなる。

 シーンのなかには、動画編集ソフトを使って作っている者もいれば、スマートフォンだけで作っている者もいるというが、ファンキとは、クリエイティヴな音楽制作に必要なのは、高価な機材ではないということのお手本のようなシーンでもある。エレクトロニック・ダンス・ミュージックにはまだまだ発明できる領域があった。そんなわけで、ブラジルはサンパウロ内の1600万人以上が暮らす貧困地帯でこの10年磨かれてきたダンス・ミュージックが、ここ1〜2年でいっきに北半球でも注目され、話題になっている。我々も、このトレンドを楽しもう。 

interview with tofubeats - ele-king


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NOBODY

ワーナーミュージック・ジャパン

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 次の一手がどんなものになるのか、2年前からほんとうに楽しみにしていた。というのも、前作『REFLECTION』があまりにも時代のムードと呼応していたから。いや、むしろ時代に抗っていたというべきかもしれない。「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」なる表題曲の一節は、以前からあった「失われた未来」の感覚がパンデミックや戦争をめぐるあれこれで増幅されいまにも爆発しそうになっていたあの年、頭にこびりついて離れなかった歌詞のひとつだった。かならずしもいいものとはかぎらない。でもそれはいやおうなくやってくるのだ、と。

 潔い。新作EP「NOBODY」はハウスに焦点が絞られている。むろん、シカゴ・ハウスを愛する tofubeats はこれまでもその手の曲をアルバムに収録してきた。フロアライクなEPの先例としては「TBEP」(2020)もあった。今回の最大の特徴はそれが全篇にわたって展開されているところだろう。ここ数年のダンス・ミュージックの盛り上がり、一気にパーティやイヴェントが増えた2023年以降の流れとしっかりリンクしている点で、これもまた時代と向き合った作品といえる。
 ダンスのよろこびに満ちているはずの音楽にはしかし、「だれもいない」なんてさびしげなタイトルが冠せられている。ヴォーカル部分にAI歌声合成ソフトが使用されていることを踏まえるなら、これは tofubeats なりの「ポストヒューマン」作品なのかもしれない。そこも2022年の ChatGPT ショック以降という感じできわめて現代的なのだけれど、仮にざっくり、ヴォーカル入りのハウスにかんして、じっさいにシンガーをフィーチャーするのがUSで、サンプリングを駆使するのがUKだと整理するなら、tofubeats はそのいずれでもない道を模索しているともとらえられよう。
 近年はヒップホップ文脈での活動も盛んな彼。これは、かつて史上最年少で《WIRE》に出演し、いま「自分のことをハウスのDJやと思ってい」ると主張する tofubeats の、ある意味では原点を確認する作品であると同時に、ふだんそうした音楽を聴かないリスナーに向けて送られた最高の招待状でもある。(小林)

自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。

まずは前作『REFLECTION』のころのことから伺っておきたいんですが、ちょうど東京に引っ越されたときにパンデミックが直撃して。DJ活動を増やすために来たのに、仕事がなくなったという話だったかと思いますが、いまはDJはけっこうできていますか?

TB:コロナ禍のころよりは戻ってきたんですけど、そんなに頻繁にやっているわけではないですかね。以前のペースには戻っていないという感じです。コロナ禍前は年100本弱くらい、平均で80~90ぐらいはやっていて、デビュー時からずっとそのくらいだったんですけど、いまはライヴも合わせて年たぶん50~60ぐらいかなという印象です。大箱と言われるような、Spotify O-EAST(渋谷)とか The Garden Hall(恵比寿)みたいなところだったり、フェスの比率もちょっと増えた感じです。なので今年は久しぶりに仙台とか金沢とかの普通のクラブに行ってやる、みたいなのをちょっと意識して入れるようにはしていて。

DJ活動からのフィードバックは大きいですか?

TB:そうですね。あと単純にDJ好きなんで。ただやっぱり、お客さんはぼくが歌ってるのを見たいわけですよ。もし自分が客で初めて観るんやったらやっぱり絶対 “水星 feat.オノマトペ大臣” は聴きたいし(笑)。そういうバランスみたいなのは、昔からテーマとしてありますね。

2020年にダンスにフォーカスした「TBEP」というEPが、『RUN』のあとに出ました。

TB:神戸から東京に出てきて初めてちゃんと仕上げたのが「TBEP」で、「DJを頑張っていくぞ」っていうのをテーマとしてしっかりやって、クラブでかけられるようなものを出して。でもリリースのときにはたしか最初の緊急事態宣言には入っていて。

ほんとうにどんぴしゃだったんですね。

TB:そうなんですよ。それで、失われた幻として「TBEP」のときの気持ちみたいなのがずっと漂ってたまま『REFLECTION』をつくって、その後気分的にイベントのモードが戻ってきたところに、「TBEP」のときにやりたくてできなかったことをもう一回ちゃんとやろう、っていうのが、そもそもこの「NOBODY」のはじまりですね。

なるほど。レヴュー編集後記でも書いたんですけど、2022年は “REFLECTION” の「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」っていう一節がずっと頭のなかに残っていて。日本はまだパンデミック中でしたし、ウクライナへの侵攻もはじまっていて、そういう時代に対する抵抗というか、ポジティヴな未来を求める感覚があったのでしょうか?

TB:そうですね。あと、『REFLECTION』のときぐらいから自分はめっちゃネアカなんじゃないかって思いはじめて。ずっと……『POSITIVE』とかもそうなんですけど、「明るくいよう」みたいな気持ち、けっこうあるぞみたいに思って、そういう部分を出そうっていう気持ちはありましたね。なんというか、「まあ、いつかは終わるっしょ」みたいなことはわりと思ったりするんです。『REFLECTION』をつくってるときは、そういう願いみたいなものも入れたかったというか、最後は開けて終わる感じにしたいなとは思ってましたね。いつもアルバムはループ構造になるのを意識してるんですけど、閉塞感があるときだからこそ、開けて終わるかたちにしたいというのはありました。

しかも、そういうポジティヴな曲のリズムに選ばれたのがジャングルだったっていうのが、すごくはまっていると感じました。

TB:普段だったらジャングルはライヴではやりづらすぎるというか、あまりやらないテンポ帯なのでできないんですけど、ライヴがない時期だからジャングルいけるやん、っていうのはありましたね。

『REFLECTION』では神戸の Neibiss をフィーチャーしていたり、『REFLECTION REMIXES』でも RYOKO2000 や Peterparker69 を起用していて、昔から tofubeats さんは若手をフックアップしてきたと思うんですけど、彼らのことはどういうふうに見ていますか?

TB:単純に若手を呼びたいっていう基本思想というか、前提条件みたいなものはずっとあります。自分が若手のときに仕事をもらって上達していったんで、単純に足掛かりしてもらえればっていう(笑)。あと、メジャーの仕事なので、「ワーナー・ミュージックに請求書を出す」とか、それだけでも若手には経験になるじゃないですか。だから、合いそうな曲があったら振っていますね。ほんとうに自分も昔いろいろしてもらって、頑張った記憶があるので。

『REFLECTION』から『REFLECTION REMIXES』の一連の流れのなかで、「おっ」と思った反響ってなにかありましたか?

TB:どうだったかな……“REFLECTION” がいい曲やなってみんなに言ってもらったのはめっちゃ嬉しかったですね。あれは自分でもいい曲できたなって思えていたので。さっきの小林さんの話もそうなんですけど、あの曲の歌詞とかコンセプトみたいなものを褒めていただけたのはめっちゃ嬉しかったです。あと、普段ああいうテイストはやってないですけど、サウンド的にもちゃんとできてたっぽくて、先日 Sinjin Hawke と Zora Jones のユニット(Flactal Fantasy)と一緒にやったときに、ゾラにあの曲めっちゃいいやんって言われたのは嬉しかったですね。

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代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、と。


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そうした一連の流れを経て、今回いよいよハウスに振り切ったEPですね。以前の「TBEP」も近い位置づけのEPだと思いますが、あちらはハウス以外のスタイルも入っていました。今回は完全にすべてハウスです。その心をお伺いしたいです。

TB:自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。DJでかけるのも基本こういう4つ打ちのハウス・ミュージック的なものが多いんですよ。

むちゃくちゃ盛り上がるんだよね(笑)。

TB:はい(笑)。ただここ数年はヒップホップのイベントに出ることが多くて、あと客演でもラップをやって、それがバズったりして、どちらかというとそちらのイメージが大きくなっていたり。もちろんそれも全然ええことなんですけど……昔は〈マルチネ〉みたいな、打ち込みのひとたちと一緒にやることが多かったんですけど、気がついたらまわりがラッパーとかトラックメイカーが多くなっていて、出るイベントもヒップホップ・フェスの〈POP YOURS〉やったり〈CIRCUS×CIRCUS〉やったり。ありがたいことではあるんですけど、「こうなるはずやったっけ?」みたいに思うこともあります(笑)。なので、ここでこういうハウスをやっておかないと、ヒップホップっぽいことしかできなくなっちゃうかもな、っていうのは思っていました。「tofubeats の作品」として出しておけば、リスナーも聴き慣れないものとして受け止めなくて済むでしょうし。「TBEP」のときにやりたかった気持ちの亡霊みたいなものがあって、そっちの気持ちが戻ってきたんですよね。『REFRECTION』はああいう(パンデミックという)状況があってできたものなので、もともとやりたかったのは「TBEP」の延長線上にあるもので。ハウスが好きやし、よくDJでかけてるにもかかわらず、ぼくのアルバムやシングルにはあまり4つ打ちの曲がないんですよね。

うん、たしかにね。アシッド・ハウスがいちばん大きな影響だったというのは、もうデビュー当時から言っていたよね。

TB:ああいう「ダン、ダン、ダン、ダン!」みたいな、段ボール箱を一升瓶で叩いてるような感じの曲がいちばん好きなんですよ(笑)。こう、トグルスイッチをパンッってやってるのに、一個だけ声ネタが連打されてるみたいな(笑)。もちろんそれだけじゃダメだから、どうバランスをとるかっていうのはずっとテーマですね。いまはハウス・ミュージックをしっかりやろうっていうモードが戻ってきていて、かつ、みんなに聴いてもらえるものじゃないといけないっていうのもあり、いろんな要素を乗せていった感じですね。

少ないとはいえ、これまでもアルバムに数曲ハウスを入れてはいました。それらが聴かれている手応えみたいなものはありましたか?

TB:あまりないですけど、置いてる意味はあるなって思うときはたまにあります。たとえば『FANTASY CLUB』って “LONELY NIGHTS” 目的で聴かれてるアルバムなんですけど、表題曲はBPM110台くらいのハウスなんですよ。そういうのって、なんかじわじわ効いてる気もせんでもないというか。そういうふうにハウス・トラックを設置してあることが、未来の人間に影響するかもしれないので、そういう意味では効果はあるなとは思いますね。

たしかに、それは効果はあると思いますよ。“REFRECTION” のMVをYouTubeで見たとき、コメント欄におそらくは若い方で、まだジャングルの名前を知らない方だと思うんですけど「ビートがかっこいい」と書きこんでいるひとがいたような憶えがあります。そういう入り口になっているようなところはあるのかなと。

TB:まあいまも昔も、自分の役割ってホンマにそれでしかないと思うので。本当のクラブ・ミュージック……というと自分がパチモンみたいな言い方になってしまいますけど……まあパチモンみたいなもんなんですけど(笑)、でもそういう入り口とか仲間とか、やっぱ自分がそういうものに道を開いてきてもらったので、そういう存在でありたいなっていうのは昔からずっと思ってます。

今回、ハウスのEPをつくるにあたってとくに参照したもの、聴いていたものってなにかありますか?

TB:なんですかね、普通に流行ってるサリュート(salute)みたいなスピード・ガラージも聴いてましたし。“I CAN FEEL IT” とかはそこらへんとつなげられるようにつくっていて、シングル・ミックスはまさにそんな感じです。ほかはなんやろ……日本のハウス・ミュージック、たとえば寺田創一さんはけっこう意識していました。でも、自分が好きな120BPMぐらいまではテンポを落としすぎないっていうのも意識してて。ブレイクスっぽさというか、あとつるっとした感じ。最近のハウスってツルッとしてますよね。自分が好きな〈トラックス〉みたいな感じではなくて、もうちょっとリニアな……トランスっぽいとまでは言わないですけど、そういうのに接近してるイメージがあって。いつもだったら「ここで止めてダダダダダンッて入れたい」ところをちょっと我慢して「タッタタタタ」みたいな、少し跳ねたフィルにしたりとか。ドラム・マシンで「ズババババ」って行きたいところを、そういうつるんとした感じに留める、というのは今回全体的に意識していますね。

いまは「tofubeats フォロワー」みたいな世代も出てきてるでしょう、パソコン音楽クラブみたいな。そういう下の世代からの刺激みたいなものってありますか?

TB:パソコン音楽クラブはもう下の世代ってあんま思えへんくらい仕上がってるんで(笑)、普通に一緒にできるグループみたいな感じですね。ただやっぱり、みんな自分よりちょっと速い。ハウスというと自分はどうしても120ぐらいの〈トラックス〉とか〈DJインターナショナル〉っぽいものを思い浮かべてしまうけど、いまの若い子たちが思ってるハウスって全体的に速いといか、トランシーな感じですよね。130弱くらいのテンポだったり、あと裏打ちのハイハットがオープンじゃなくてクローズドになってるとか。「ドッチッドッチッ」って感じで、ぼくの好きなのは「ドッシャードッシャー」というか、シカゴ・ハウスみたいな大地を踏みしめている感じなので(笑)。いまはつるっとした感触で、UKガラージとも混ぜられるような感じがトレンドな気がしますね。

速いよね。でもいまって、若い世代でクラブ・シーンが盛り上がってるみたいじゃない。

TB:めっちゃ感じますね。ただ、自分が思ってるクラブとはもう違ってて。コロナ禍以降のクラブって、深夜にやってるライヴ・ハウスっぽいなーって思うことがけっこうあります。

そういう現場に呼ばれたりはしますか? ブレイクコアとかトランスみたいな、若いオーディエンスの。

TB:そこまでのは、DJではないですね。ただライヴでは行くことがあって、「めっちゃメロコアみたいなライヴやってんな」と思うことはあります。「オートチューン・メロコア」というか……〈BOILER ROOM〉以降というか、いまは自分もああいうショウケース化されたフロアでやることが増えました。DJとか見えても見えてなくてもいいみたいな、なにが流れていようが関係ない、そういういわゆるもともとのクラブの感じの現場ではなくて、ショウ・アップされてて、お客さんがみんなDJのことを見てて、「なにが来るんだ」みたいな感じで期待されているような雰囲気を感じることが増えたかなという気はしますね。ちょっと代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、とは思ったりしますね。

以前日本語でやることにこだわってるって言ってたよね。日本のハウスってテイ・トウワさん、寺田創一さん、福富幸宏さん、サトシ・トミイエさん、〈Crue-L〉などこれまでにもすごくたくさんあるけど、好きなのってなんでしょうか?

TB:テイさんはめっちゃ好きですね。他方で、「J-CLUB」って言われていたような、TSUTAYAとかに置いてあったような「乙女ハウス」みたいなやつとかFPMとか、ああいうのも全然好きですし、一方で寺田さんみたいなのもめっちゃ好きですし……そういうのを合流させたいという気持ちはあります。あと、それとはべつに関西でCD-Rだけで出されてたような、自分が影響を受けた先輩たち、チェリボ(Cherryboy Function)さんとかデデ(DE DE MOUSE)さんとか。そのあたりから受けた影響も全部出したいなと思ってて。

ピチカート・ファイヴのリミックス盤とかもね。

TB:そうそう。メジャーのそういうところからインディのそういうところまで、影響を受けてるので。

たしかにそれは感じる。ポップスとクラブ・ミュージックのあいだで、ちょうどグラデーションみたいになっている感じというか。

TB:そうですそうです。どっちからも軽んじられているようなものが自分は好きなので。

tofubeatsのなかではヒップホップもハウスもおなじだよね、昔から。90年代にハウスやってたひとたちも同時にヒップホップもやってたりするしね。いまみたいにどっちかっていう感じではなくて。

TB:そこはまさにうーんと思ってることのひとつで。パル・ジョーイとかマジで好きで、ヒップホップやっていたひとがハウスに行く感じというか。テイさんのDJ見ててもBボーイっぽいなと思うんですよ、ハウスをかけていても。そういうのはひとつの美学としてあるんですけど、あんまり伝わらないよなと思ったりもする。ヒップホップのイベントに出て、こういうハウスのトラックをぽんと入れたときの反応で、予想してなかったものが来た感じがあるかどうかっていうのは、クラブかクラブじゃないか考えるポイントになる。

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いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。


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今回ヴォーカルに「Synthesizer V」というAIの歌声合成ソフトを使用することになった経緯や理由を教えてください。

TB:M6の “I CAN FEEL IT” ってじつは、『REFRECTION』をつくってるときに7~8割ぐらいの完成度でできてたんですよ。でも『REFRECTION』には入れないだろうなと。歌詞も全部できて自分の仮歌が入ってたんですけど、これは自分じゃないわなって思って、女性ヴォーカルだろうとは思ったんですけど、それでもまだ「この青臭い歌詞を誰に歌わせるか?」というところで悩んで、また寝かせていた。そのタイミングで「Synthesizer V」が出て。ざっくり言うと、「すごいボーカロイド」みたいなものなんですけど、テクノロジー的にも興味があったんで、試しにこの曲で打ち込んだら、「これでよくねえか?」ってなって。

恐ろしいよね。言われなきゃわからなかった。

TB:いやそうですよね。しかもとくに細かいこともしなくて、ほとんどベタ打ちしただけなんです。それで、できそうな気がして、M2の “EVERYONE CAN BE A DJ” もつくったら、「これはもうこのソフトで一枚つくれるな」ってなっていった感じです。一見 “I CAN FEEL IT” の歌詞ってそのソフトを前提にしたような歌詞ですけど、順番的には逆だったんです。

なるほどね。これは、ミスター・フィンガーズに対する tofubeats からの回答だよ(笑)。

TB:じつは今回のEPには全体に通底してるフィーリングみたいなものがあって。去年スミスン・ハックのような、ブツ切りのカットアップ・ハウスみたいな曲を探しているときがあったんですけど、そのとき「めっちゃいいやん」って思った曲があって、調べたら生成AIでつくられた曲やったんですよ。もう、めっちゃショックで。いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。人間がやってると思ってたら人間じゃなかったときのこの気持ち……たとえば最近やったらコールセンターもAIだったりするじゃないですか。人と喋ってると思ってたら「これ、AIや」みたいな。そういう感情ってこれまでなかったタイプのものだと思うんですよ。この曲を聴いて「こんな人かな?」みたいに想起した俺の感情ってなんなん……みたいな、そういう行き場のなさというか。
 人間ってつねにいろんなものを想定して話すわけじゃないですか、会話もそうで、でもそれが急にハシゴを外されることって、これまで生きてきてあんまりなかったと思うんですよね。そういう外され方がこれからめっちゃ増えてくんやなって思って、それが今回のEPのテーマになっています。“NOBODY” もまさしくそう。「待ってるよ」と言われて「誰が待ってるんだろう?」と思って調べたら「これ人ちゃうんかい」ってなるわけです。そういう行き場のなさみたいな感じが、人間側に勝手に生まれること、それこそが生成AIによって生まれる新しい一個のフィーリングかな、と思って、それが全体のテーマになってる。

そういう意味で言うと、2曲目の歌詞で「誰でもDJにはなれる」っていうのをAI が歌っているのが、なんというか、処理しづらい感情を生みますよね(笑)。

TB:人間どもよ! と(笑)。これもふと口をついて出てきた単語なんですけど、歌わせてみたらすごい批評性が出るなあ、と。

さらに「誰でもステップを踏み鳴らす」と。歌っているAI本人にはそれができないわけです。

TB:でもDJはAIにもできるじゃないですか。ぼく、AIのDJと一回戦ったことあるんで。YCAMのそういうイベントで。

戦う、というのはどうやって?

TB:AIDJとのバック・トゥ・バックですね。もう10年近く前にYCAMで Licaxxx とぼくが、コスモという会社がつくった「AIDJマシーン」みたいなのとB2Bするっていうめっちゃ面白いイヴェントがあって。そのときは「AIなんてまだまだやな」とか言ってたんですけど、いまはたぶん相当すごいと思います。

今回AIを使用したのはヴォーカルでしたが、今後はトラックとかにも使っていきたいですか?

TB:今回AIを使ってはいますけど、歌詞を書いたのは自分だし歌わせたのも自分だし、どうなるかわからないところはありますね。「音楽をつくる」っていうこと自体がめっちゃ簡素化していくと──自分もそもそも簡素化した後の世代ではあるんですけど──どこまでが楽しみになるのか。文字を書いて音楽を生成することに、音楽をつくる楽しみを味わえるのか味わえないのか興味があります。文字を書くことが音楽をつくることになって、そこに未来を見出した若者たちがプロンプトを書き合って、次世代の〈マルチネ〉みたいなものが生まれるのか、それとも逆にそういうものがなくなって、音楽というものがただただドライなものになるのか。「つくる」ということの概念がどうなるか、その予想のつかなさ。今回みたいにAIを使うのは、意外とそんなに使ってないという感じなんですよね。ほかのソフトも試しで使ったりはするんですけど、ただボンって生成するっていうのはあんまり……。自分は過程が好きでやってるんで、「ただボン!」をやるとそれを省略することになっちゃうんで、それ自体に楽しみみたいなものをまだあんまり見出せてないですね。

日常で Chat GPT に問いかけたりとかはよくあるんですか?

TB:ああ、それはもう全然ありますよ。文面考えてもらったりとか、英語添削してもらったりとか。あとぶっちゃけると、「こういう歌詞考えてんねんけど、候補を100個出してください」とか。そういう使い方は全然ふだんからしていますね。提案してもらうために使うという感じで。回答を出してもらうためには使っていなくて。選ばせるのをAIにやらせはじめると話は変わってくるかな。「肝になる部分を決めさせるかどうか」っていうのはポイントかもしれない。

芥川賞を獲った九段理江さんもAIを使っていて。すごい時代になってきたなあ、と。

TB:そうですよね、それは。マジでビビりますよ(笑)。「つくる」っていうのはどこまで人間の領分なのかっていうのはけっこう考えさせられますね。

今後つくり手の役割は監督みたいなものになっていく、というような。

TB:いやあ、それもきっとできるようになると思うんですよね。脳ってモノじゃないですか。モノである以上絶対再現できると思うんですよ、技術さえ発展すれば。

たとえば「tofubeats の脳のコピーです」みたいなAIが出てきたらどうしますか?

TB:いや、どうなんですかね(笑)。ただ、そうなったときってほかのひとも全員そうなので、流れに身を任せようかな、と。そのときの流行りに。

まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

今回、アートワークもすごく強烈です。

TB:ヤバいですよね(笑)。ビックリしました、これ。

これはどっちなんでしょう? 「警官だけど本当は俺たちも楽しんで踊りたいんだぜ」とも読みとれるし、フロアや踊ることそれ自体が警察に奪われてしまっているようにも見えます。

TB:まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

(笑)。どういうことですか?

TB:厳しく見られてるなあ……という。毎回なんですが、山根慶丈さんのアートワークにかんしては口は出さず、出てきたものを選ぶだけっていう決まりにしています。お願いするときもいつも2、3行だけ、たとえば「ヴィヴィッドな感じにしてください」とか、そのくらいの指示しかしないんですよ。そうしたらラフが2、3パターン来るので、そこから選ぶだけなんです。内容についても聞かないっていうルールもあって、毎回なんでこういうアートワークになったかは知らないんです。

描く前に音楽は聴いてるんでしょ?

TB:はい。聴いてもらって。

じゃあ聴いて、彼女のなかでああいうふうに。

TB:でも「なるほどな」って感じはやっぱりあって。山根さんがここ1、2年で出してる作品って、こういうおなじ顔のひとがいっぱいいるシルク作品なんです。去年2枚似たような、構図の作品を出していて、片方を買ったんですが、それと似た構図でしたので、もしかしたらなにかを汲みとってくれているのかもとは思います。その作品は資本主義を強烈に風刺した作品だったので、まあたぶんなんらかの山根さんの怒りみたいなものは入ってるのではないかと勝手に想像してはいます(笑)。

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ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。

〈WIRE10〉のフードコートのようなところでDJしていたときに、もう仲間がいたよね。〈マルチネ〉周辺とつながっていて。tomadくんもあのころは若かったけど、みんなもうベテランのようになっている。

TB:いや、マジもうおっさんですよほんと。ちょうどこの前も若手の作品にダメ出ししてて、「えらい厳しなったな~」って言うてましたもんね(笑)。

あのときは〈マルチネ〉のような新しい文化というか、新しいプラットフォームがあって、DIYでやっている子たちがいて。いま tofubeats がこういうふうに頑張ってやってるわけですけど、自分たちがやってきたことの成果ってどう思ってますか?

TB:〈マルチネ〉はそろそろ20周年なんですよ。

そんなに!

TB:2005年からだと思うので、来年20周年。自分が合流したのも2007年とかなので、それはそうなりますよね。10代の子とかで聴いてくれたって言ってくれる子はいるので、一定の成果は挙げたなと思いますし、今後も作品は残っていくので、これからもっと先に音楽をはじめる子にもなにかは残せていると思うんですが、当時はもっとインパクトがあったと思うねんけどな……とかは考えますね。サブスクに載せられない音源も多かったので、歴史から消えてるものもあって。ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。もしいま自分が音楽を辞めたら、たとえばイルリメさんの初期とか関西の電子音楽の流れみたいなものは消えてしまうのではないか、とはちょっと考えたりします。

なるほどね。いまイルリメの名前が出たけど、やっぱり自分は関西のオルタナ・シーンから出てきたという意識がある?

TB:自覚はありますね。ずっとその周辺でやってきてますし。その流れと、〈マルチネ〉のような東京のひとたちと、どちらともやってきたっていうのがありますけど、関西のそういうひとたちがもうちょっと日の目を見たらいいのにな……っていうのは、ずっと昔から思っていますね。

めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。


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今回、取材前に「tofubeats に会うよ」って知り合いの若い女の子に言ったら、「え、本当ですか!」みたいな感じですごい羨ましがられたのね(笑)。これも昔から tofubeats がよく言うことだけどさ、自分の立場をけっこう考えるじゃない? 入口になるような、とか役目みたいなものを。ほんとうに20代の女の子が「tofubeats さんに会えるんだ、いいなー」と思うことをやれてるわけだから、そこはしっかりできてるんだなと思う。

TB:いやでもね、本当にマジでそれは思うんですよね。自分もやってもらってたっていうのが大きい。CE$ さんとかがいたから自分がこうなってるわけで、さっきのリミックスの話もそうなんですけど。あと、それをやらないと結局自分が損するんですよ。自分の居場所がなくなる。たとえばクラブってひとりでは絶対成り立たないですよね。一晩やろうと思ったら5人くらい必要で、そういう組がほかにもいっぱいないと、クラブってなくなるわけじゃないですか。だから、やりたいひとを増やしていかないと、自分のいる場所がいずれなくなってしまうっていうのはいつも考えます。風営法のときも思いましたし。

そういう自分の役目以外のところ、役割から降りたところでつくりたいっていう欲望はないんですか?

TB:ああ、まあそうですね。難しいですけど……ぼくはメジャーにいるので、そうなったら半分ぐらいはそれが意義な気もしていて。あと、役目があるから頑張るみたいなところもあるというか。役目というか、大義名分ですよね。これは自分のエゴみたいな話でもあるんで、みんなもそうしてほしいっていうことではないんですけど、それがあったほうが頑張る理由にはなる。自分のために頑張るのはたかがしれていて。頑張るコツとして大義名分を利用しているのは否めないです。みんなのために頑張ってるんだよって言いながら、結局は自分に利益を向けていくっていう悪代官みたいなスタイルでやっていく感じ……(笑)。

すごいね、偉い(笑)。Tofubeats が面白いのが、上の世代から「90年代はよかった」って話ばかりされて、「自分の世代には何もないのか?」っていう反骨心でやってきてるところ。

TB:そうですね。神戸もやっぱり地震があったところなんで、だいたい10個上くらいの先輩からは「昔はよかったのになあ」みたいなことを言われて育ってきたんで。

それって「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」とつながりますよね。

TB:そうですね。そういう感じでやってるのかもしれないですね。

リスナーの世代が入れ替わってる感触みたいなのってありますか?

TB:それはけっこうあります。「“水星” 聴いてました」ってひとと「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」ってひととではすごく世代の差を感じるというか……「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」って言われると、めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。

ちなみに、最近読んだ本で面白いものはありましたか?

TB:いまちょうど、若林恵さんから薦められた『指紋論』(橋本一径著、青土社、2010年)という本を読んでるんですけど、めっちゃおもろいですね、指紋認証の歴史みたいな本です。指紋を認証するみたいな考え方は昔の心霊主義から来てる、みたいな話で。おすすめされてその日に買って。まだ読んでいる途中なんですけど。

アンダーグラウンドでいま注目している面白い動きはある?

TB:あんまり最近は「これだ」っていうのは正直なくて。もうそういうのにぐいぐい行く歳でもないなと。トレンドとかより、もうちょっとおじさんの動きをしようみたいな(笑)。若手にすり寄る歳でもないので、知らないものは知らないと言えるようになっていきたいなと、30代に入ってから思いますね。

まだ若いでしょ(笑)。

TB:いや、でも、若い子からするとぼくくらいの年齢のひとがすり寄ってくるのがいちばん感じ悪いと思うので(笑)。ぼくはもう「何やってるかようわからんわ」ってぐらいの感じで行けるようにしようと意識してますね。ただ、全体的に、自分の好きなタイプのハウス・ミュージックがそれほど来てない時代かなって気はしてます。なので今回のような作品を置いておこうと。

まあ、いま思うと今回のような作品がなかったのは逆に不思議な感じはするよね。

TB:いやそうなんです。「TBEP」はもっとちゃんとハウスにできたのにちょっと変化球っぽいふうにしちゃったっていう反省があって。もっとスタンダードで、全曲もっとテイストが揃ったものをつくりたいっていうのは当時から思ってたんです。それがやっとできたっていう感じですね。

tofubeats、フロアライクなHOUSEミュージックを全曲AI歌声合成ソフトで制作したEP「NOBODY」のアナログ盤を7月にリリース!

tofubeatsが4月にデジタルリリースした新作 EPのアナログ盤を7月17日に発売する。

「NOBODY」は全曲のボーカルをAI 歌声合成ソフトで制作した意欲作となっており、コロナ禍を経てフロアライクなHOUSE MUSIC をコンセプトに制作された作品。

ワーナーミュージックストアでは、ここでしか手に入らない限定トートバッグ付きのセットが数量限定で販売されるので是非チェックしてほしい。

【リリース情報】
EP「NOBODY」
・アナログ盤 7月17日発売
WPJL-10214 税込¥4,180
ご予約受付中:https://tofubeats.lnk.to/NOBODY_Vinyl

■収録内容
1.I CAN FEEL IT (Single Mix)
2.EVERYONE CAN BE A DJ
3.Why Don’t You Come With Me?
4.YOU-N-ME
5.Remained Wall
6.I CAN FEEL IT
7.NOBODY

WARNER MUSIC STORE限定トートバック付きセット

価格:税込¥6,680
https://store.wmg.jp/collections/tofubeats/products/3724

・デジタル配信中
https://tofubeats.lnk.to/NOBODY

【関連リンク】
tofubeatsオフィシャルサイト:https://www.tofubeats.com/

E-JIMAと訪れたブリストル記 2024 - ele-king

 この度10年ぶりにイギリス、ブリストルへ行くこととなり、ある日野田努さんから「よかったらレポート書いてください~」とメッセージを頂いたという経緯から、こうして書かせていただいている。

 まずは自己紹介から。かつて下北沢にディスクショップZEROという、ブリストルの音楽を中心に、ベース・ミュージック、REBEL MUSICを扱っていた一種独特なごちゃついたレコード店があったことはまだ皆さんの記憶にあるだろうか? 私はその店主・E-JIMA(飯島直樹)の妻であります。
 彼が亡くなったのは2020年2月12日。体調を崩し入院してから、わずか2週間ちょっとで逝ってしまった。飯島が入院したという知らせは、たちまちブリストルにも伝わっていた。数多くのミュージシャン、DJたちから心配と応援のメッセージが届き、ほぼ同時に、治療費サポートのため、ドネーション用のアルバム制作プロジェクトが日本とイギリスで立ち上がった。本人が存命中に聴くことができなかったのは残念ではあったけれど、最終的に64曲(!)も収録され、Bandcampからリリースされたアルバム『Bristol x Tokyo』は、その年のDUB STEP AWARDのベスト3にも輝いた。
 パンデミックで行動が制限される直前だったので、彼の葬儀が挙行できたのは不幸中の幸いだった。当日、スミス&マイティ/モア・ロッカーズのロブ・スミスがまさかブリストルから東京まで、その日のために駆けつけてくれるというサプライズもあったし、本当に大勢の方々に見送っていただくことができた。
 飯島の遺骨はお墓に納めたのとは別に、位牌替わりに自宅に分骨して、さらにもうひとつ、ブリストルに散骨したいと思い、小さなジャムの瓶に分けて持っていた。ブリストルへの散骨は本人の希望があったわけではないが、生前は、いつ渡英してくれてもいいよ、と話していたので、あまりにも無念だろうと、無意識にそうすべきものとして小瓶を用意していた。本当はすぐにブリストルへ行き、サポートしてくれたアーティストのみんなに感謝を伝えたかったけれど、ロックダウンや子どもたちの受験などが重なり、なかなか渡英することができずにもどかしい日々を過ごしていた。

 あれから4年、ようやくその時はやってきた。今年のこのタイミングしかない! と思い切って一人で渡英することにした。散骨に関しては前もってロブに相談すると、いずれも思い出のある三か所ほど候補を挙げて、それぞれどういう理由で選び、また決定したかの経緯まで丁寧に写真付きのメールを送ってくれた。最終的に決まったのはブリストルの中心部から車で15分ほどの川沿いにあるちょっとした庭園のような場所で、ロブが彼を連れて行ったことがあり、きっと気に入ってくれると思う、と。
 そして4月末の日曜日の午後、その場所で偲ぶ会を開き散骨した。様々な背景や経緯で知り合った、およそ40人が集まってくれた。ブリストルとつながる最初のきっかけとなったムーンフラワーズのメンバー、そのファミリー、雑誌の取材やレコード買い付けで知り合ったレーベル・アーティストの人たち、ロブ(・スミス)がコネクションを広げてくれたドラム&ベース~ダブ人脈、BS0で来日し我が家に泊まったDJたちが一同に会し、ブリストルの様々なコミュニティの人や文化の日本との橋渡しをしてきた彼の存在・役割を改めて実感することとなった。散骨の際には、改めてロブが彼の功績をスピーチしてくれるという場面もあった。事前に聞いていなかったので驚いたが、本当にありがたかった。朝から雨交じりだった曇天も、散骨の瞬間には太陽が現れるという、とってもマジカルなひと時となった。これだけの人に見守られてブリストルの地に帰ることができて、E-JIMAも喜んでくれているのではないだろうか? と4年越しにやっと実現できた散骨で、わたしもようやくすっきりとしたのだった。(※なお、日本での川の散骨は、川が生活用水であるため、民法で罰せられる場合もある)


NAOKIを偲ぶ会にて。ロブ・スミスが弔辞を述べてくれた。

 すっかり前置きが長くなってしまったけど、そんなわけで10年ぶりのブリストルへ。噂には聞いていたけど、ブレグジットとCOVIDの影響で物価が跳ね上がり、ロンドンからの移住者も多く、家賃は高騰している。街は以前よりきれいになっていて、マンション(ブロックと呼んでいた)やショッピングモール、カフェやレストランも続々と新設されていた。その影響は、気に入っていたかわいい雑貨屋さんやレコード店などのインディペンデントなお店にも及んでいる。軒並み閉店してしまい、みんなオンラインショップに移行してしまったようだ。アンダーグラウンドのミュージシャンにとっては住みにくい街になってしまい、その結果、ブリストルより物価が低いさらに西、サマセットやウェールズに移り住む人たちが増えたという。

  • 偲ぶ会にて、大勢の人たちがメッセージを寄せてくれた。
  • 偲ぶ会にて、大勢の人たちがメッセージを寄せてくれた。

 ブリストル滞在期間中(4/25~5/1)、ふたつのイベントに行った。ひとつはBS0でも来日プレイしたDUBKASMのストライダが企画する「Teachings In Dub」。その日(4/26)はAba Shantiがゲストだった。会場はキャパシティ600人程度のトリニティーセンター。約200年前に教会として建築された歴史的な建造物でありながら、とんでもない爆音で会場中をブリブリ震わせているというのが、まず日本では考えられないことかなと思う。会場は70代と思える老齢の女性から20代の若者まで世代、性別、人種の関係なく、誰もが楽しめる場となっていた。昔から変わらないスタイルで1曲1曲ダブをかけて、スピーチして。イベントのタイトル通り、ダブ・カルチャーを次世代に脈々と伝えていく役割を果たしている。
 同行してくれたロブは、Aba Shantiのセットに相当感動したらしく、20代の頃トリニティで初めてジャー・シャカを体験した時のことを思い出したと感慨深く語っていた。「ジャー・シャカのサウンドシステムで初めて視界がブルブルと揺れちゃってよく見えないという体験をしたのだけど、それは実際、音の振動で眼球が震えているせいだよ」、と当時の友人に言われたそうだ。

  • Trinity Centreにて。ニュー・ルーツのディジェイ、アバシャンティ。
  • CGもGIFもなく、ただサウンドのみでオーディエンスを上げていく。

 その翌日(4/27)には、世界最貧国のひとつと言われているアフリカ・マラウイを支援しているブリストルの団体「Temwa」の20周年記念チャリティー・イベントにも足を運んだ。会場はセントラル・ウェアハウスという、キャパシティ1700人程度の街の中心部にできた大箱。(7/6にはPinch主催でSubloadedの20周年記念イベントが予定されていて、とんでもないメンツがラインナップされている)この会場で、フルサイクル/レプラゼントのDJ KRUSTとDJ DIEが出演するというので行ってみた。まず、そういった社会支援団体がローカルなクラブ・ミュージックのアーティスト/DJを巻き込んで大きなイベントを開くこと自体、やはり、理解度が高いというか、音楽カルチャーが社会に根付いているのだと実感する。この日は他にも、BBCでレギュラーDJしているFun lovin criminalsのヒューイ・モーガンや、ベテラン女性D&B DJ のDAZEEなども出演した。
 元倉庫だった会場には、DJルームがメインのほかにふたつあった。外にはマーケットも出ていて、昼の2時から夜12時まで、ちょっとしたフェスのようなイベントだ。さらに驚いたのが、大きな犬を連れてKRUSTと喋っている元マッシヴ・アタックのMushroomがいたこと! 飯島が入院した時には直接メッセージもくれた彼だけど、相変わらずの優しい落ち着いたトーンで、でもどことなく浮世離れしたオーラを放っていた。とはいえ、彼にインスタのアカウントを聞かれたのでQRを差し出したら、「俺の携帯これだから」、とちーっちゃい古びた折り畳みの携帯を見せてくるようなお茶目な人です。
 Mushroomとの交流は、1998年12月に行われた“マッシヴ・オブ・ブリストル”というDJツアーで来日したとき、同行したモア・ロッカーズのピーター・Dに紹介してもらったことがきっかけだ。その後もお忍びで来日した際に何度か会ったり、ブリストルに行ったときにお宅訪問したりしたのだけど、遠い昔のことで記憶がおぼろげ(笑)。
 私がこのイベントで一番楽しんだのは、大トリのKRUSTとDIEのB2Bの前に突然若いHip Hopクルーが現れたときのこと。見るからにまだ初々しい若い男の子がラップを披露して、後ろにはDIEやKRUSTたちが保護者のように笑顔で応援している。「もっと前に出ろ」とか声援を送っていて、彼らが若手タレントにこの大舞台でプレイするチャンスを与えているんだとわかった。そういうフルサイクルのメンバーたちも、その昔はスミス&マイティのスタジオや機材を借りて音楽を作りはじめたという歴史があるわけで、そうやっていまもまた若者を支援する文化や機会があるということを目の当たりにできて、感無量になっちゃったよね。
 イベント終了後、楽屋に通してもらった時に例の若者ラッパーに声をかけてみると、彼はデビューしたての21歳で、〈ハイパーダブ〉からリリースしたあのジョーカーの弟君だったことが判明! 彼の名はORTISJBROWN。イベントの数日後、ジョーカーのインスタストーリーに弟の誕生日を祝う大量の写真が投稿されていて兄弟愛を感じた!

  • ジョーカーの弟、若干21才のORTISJBROWN。
  • 続いて、ダイとクラストのB2B。

 滞在期間中は2つのスタジオ訪問も。ひとつはライダー・シャフィークと2019年に来日したベース・ミュージック・クリエイターのサム・ビンガ。彼のスタジオは元銀行だった建物の地下ってこともあって、重厚な金庫仕様で分厚いドアに守られている。この前の週には韓国、日本でのDJプレイもあり、7月のアウトルックフェスにも出演が決定。今年はアメリカでの活動も精力的に予定しているそうで、ますますの活躍が期待される。スタジオ近所にあるシンセ屋さん(Elevator Sound)にも連れて行ってもらったけど、超マニアックなお店だし、高級そうだし、売れているのかは謎。

  • パイナップル・レコード、サム・ビンガのスタジオ。
  • スタジオ近くの機材屋「ELEVATOR SOUND」。たくさんのシンセサイザーやミキサー、エフェクターなどが売られている。

  DUBKASMのスタジオにも行ってきた。2012年、スタジオが出来立ての時にも訪問しているので今回で2回目。ただし今回は、スタジオに入るなり目に飛び込んできたのがE-JIMAの写真だった。それは、彼らが作ったオリジナルカレンダーの1ページだった。来日時に我が家で撮った写真が使われていて、彼が亡くなってからずっとこのページを壁にかけてくれているそうだ。そして、数々の名曲を生んできたスタジオでは、これからリリース予定のビッグチューンも特別に聴かせてもらうことができた。


ダブカズムのスタジオにて。左がベン、右がストライダ。後方の壁には飯島直樹の写真をデザインしたカレンダーが。

 みんなが気になっている最近のブリストル・アンダーグラウンドシーンでは何が盛り上がっているのか? リサーチしたところ、ブリストル南東部郊外にあるブリスリントン(Brislington)を拠点に活動しているGreen King Cutsクルーだという情報を得た。彼らが運営しているサウンドシステムのハコ、「Green Works」が評判高く、いま盛り上がっているようだ。
 そんなわけで現在のブリストルは以前より住みにくくなってはいるものの、音楽シーンは変わらず地域に根付いている。世代、人種横断でサポーティヴな環境があるってことがわかった。

  • ブリストル市内のパブ、STAR & GARTER。
  • 店内の壁には、ブリストルにちなんだアーティスト写真が額装され、飾られている。
  • ジュークボックスにはなんと、飯島直樹選曲のCDもあり。
  • 「ワイルド・バンチ」コーナーもあり。

 最後に、そもそもどうしてここまでブリストルとの強力なコネクションができたのか? だけど、気づいたらこうなっていた。としか言えない。E-JIMAの純粋にブリストルの人と音楽が「好き」な気持ちと、オタク心と、DIY精神かな? と思う。彼はお金儲けするような経営者気質ではなかったけど、人と違った面白いことを考え付くアイデア・マンであり、後先考えず実行できる人で、あらゆるチャネルを作ってきた。フリーマガジン、レコードショップ、レーベル・オーナー、イベント企画、音楽ライター、DJ。それらを通じていつの間にか築き上げてきたのだと思う。
 本当の始まりは、彼がムーンフラワーズのファンクで、そのサイケデリックな音楽に惹かれて、まだ携帯もインターネットもなかった時代に作っていたフリーマガジン「GRASSROOTS」のため、1993年、FAX取材を申し込んだことがきっかけだった。そこからブリストルに会いに行くことになり、94年には日本ツアーを企画することになった。
 また、93年には江古田にて、E-JIMA はZEROをオープンさせている。ムーンフラワーズ以外にも、マッシヴ・アタックやスミス&マイティなど、好きなミュージシャンが偶然にも同じブリストルに集中していた。それから、ほぼ毎年レコードの買い付け、雑誌の取材、新婚旅行とブリストルに行くことになった。地元の新聞や雑誌に珍しいやつがいると紹介され、ブリストルに行けばみんなが声をかけてくれるし、日本にくればZEROに遊びに来てくれる。そうこうしているうちに信頼関係ができたのかな、と思う。
 残念ながらE-JIMAは志半ばでこの世を去ってしまったわけだけど、彼が築いてきたブリストルとのコネクションが絶えるわけではなく、BS0をはじめとする彼の想いを受け継ぐ次世代もいる。そこから、きっとまた新しい動きが生まれるのではないかと期待している。

  • ブリストル市内のフレンドリー・レコードの入口には、マーク・スチュワートのおそらく等身大のステンシルが。
  • 市内のスケートボードパーク。ここではグラフィティも自由に描いて良し。

『オールド・フォックス 11歳の選択』 - ele-king

 いまの日本はどこも雰囲気が悪い。それは「努力が報われる社会」から「才能が活かされる社会」に変化したいという要請が行き渡り、その気になっている人が多数いるにもかかわらず才能が認められるプロセスがいつまでも不透明なので、着地点が見つからない人たちの焦りやイライラがあちこちに充満しているからだろう。1989年の台湾を舞台にリャオ・ジエ(バイ・ルンイン)が『オールドフォックス 11歳の選択』で直面する事態も努力以外の価値観があることに気づいたことが端緒となり、11歳の少年が経験するにはあまりに過酷な社会の諸相がむき出しとなっていく。感情表現すらまだ覚束ない少年を中心としながらも登場人物の多い群像劇は勝ち組と負け組のどちらにも肩入れせずに粛々と進行するため、周囲の人々に影響を与えるリャオ・ジエの焦りやイライラは映画を観る者にもダイレクトに貼り付いてくる。どこか突き放したような演出は前期フェリーニを思わせるアトモスフィアを醸し出し、行ったことがないのに郷愁を掻き立てる街の景観や「美人のお姉さん」と呼ばれて「まあ、嬉しいわ」と返す軽口など俗に呑み込まれない俗という意味でもフェリーニの名前はどうしても挙げたくなる(実際にはシャオ・ヤーチュエン監督はホウ・シャオシェンの弟子で、台湾ニューシネマの代表とされたシャオシェンは報道された通りアルツハイマーにコロナの後遺症が重なって引退を発表し、『オールドフォックス 11歳の選択』が最後のプロデュース作となる)。

 同作は台湾でバブル経済が弾け、多くの人々が苦境に追い込まれた時期を背景としている。実話がベースになっているそうで、導入からしばらくは誰1人として孤立したものがいない温かなコミュニティの描写が続く。異なる階級の人間が出会う場所として高級レストランが設定され、分断どころか、適切なコミュニケーションの頻度が多様な人間関係を成立させていることもなかなかに印象深い。ここにあるような人間と人間の距離感は80年代の日本もしくは東京にはすでに存在していなかったもので、若い人が観れば『三丁目の夕日』などを思い出すのかもしれない。冒頭から赤い服を着た女性が1人夜道を歩いている。その場の雰囲気に合っているとは思えない鮮やかな服の色は「夜道で暴漢に襲われる」というフラグにしか思えなかったものの、実際には彼女は地域の家賃を集金して回り、その街と距離があるどころか、資本主義的には効率が悪いと思うほどあちこちで会話の花を咲かせていく。家賃も「取り立てる」というような雰囲気からはほど遠く、『闇金ウシジマくん』の見過ぎで荒んだ心には部屋を借りている者と貸している者がお互いに尊厳をもって接しているとしか見えない温かさをもたらしてくれる。リャオ・ジエは家賃を集めに来たリン(ユージェニー・リウ)からいつものようにおやつをもらい、また同じお菓子だという顔をする。リンはその後も風邪をひいたリャオ親子の面倒を看るなど、家主の代理人という立場からは大きく逸脱した行動をとり続ける(後にわかることだけれど、明らかにそれは無償の行為で、「無償の行為」と注釈をつけて解説しなければいけない日本の現状にも違和感を覚えてしまう)。ジエはまた、平日の午後には父のリャオ・タイライ(リウ・グァンティン)が働くレストランの片隅で宿題のノートを広げ、従業員たちは何かと彼に余った食べ物をくれる。ジエは地域の人たちから可愛がられ、とても大事にされている。

 悪い予感のかけらもなかったムードに初めてバッド・サインが点灯する。リャオ・ジエは学校の帰りに同じ年頃の悪ガキにいじめられ、同年代の子どもたちとは必ずしもいい関係でないことが示唆される。リャオ親子が住むアパートの一階でラーメン屋を営むリー夫婦は戒厳令が解かれたことで歯止めが効かなくなった投資ブームにのって大きな儲けを出し、同時に不動産価格が跳ね上がり、店舗のなかにはしばらくすると立ち退きを迫られる職種も出てくる。ジエは亡くなった母親がやろうとしていた理髪店を自らの手で開くという夢を持ち、父のタイライにはあと3年で開業資金が貯まると告げられる。一方で、タイライの弟の結婚式で会った叔父も株で大金を手にしていて、それを理髪店の開業資金に回してくれると聞いたジエは3年も待てないと思い、自分でも株をやりたいと思い始める。そんなある日、ジエは雨の日に屋台の横で雨宿りをしていると高級車で近寄ってきた家主のシャ(アキオ・チェン)に家まで送ってやると言われて車に乗り込む。シャは知らない人の車に乗ってしまうジエに少し呆れ、街でジエを見かけると車に乗せては勝ち組になる心構えを教えて聞かせる——他人の気持ちを思いやるな。そんなことをする人間は負け組にしかなれないと。

 作風はいわゆるネオレアリズモ。これにジエの母親が生きていて理髪店を営んでいるシーンが空想として差し挟まれ、もうひとつ、ゴミの廃棄所でジエが転ぶと、ゴミの山の上にシャが立っているシーンはあまりに不自然で、ありえない場面ではないものの、さすがに作為的といえ、社会の底辺で2人が繋がっていることを象徴的に示す目的が強かったと思われる。そして、誰のことも助けるつもりがないシャがジエだけを目にかけるのは過去の自分をジエに重ねているからだと告げ、利益を度外視した売買の契約を彼は承諾する。それは自分への憐れみであり、かつての自分がして欲しいことをジエにしてあげたという代替行為に相当する。シャはジエに売ってやると告げた物件に足を運ぶと約束を翻さざるを得ない事態に遭遇して日本語で怒鳴り、そのまま子ども時代の回想へと場面は切り替わる。シャは日本語で「部屋を貸して!」と何人もの家主に向かって訴えている。他人を思いやるなというシャの考え方は台湾を占領していた日本人が彼に冷たくしたことで芽生えたものだったということがそこからは汲み取れる。日本人の顔は1人として映し出されず、日本人の表現には人格を伴っていないことが強く印象に残る。

 シャの向こうには日本人が見え、それは台湾にとっての父性という意味を持っているのだろう。ジエにはそして、3人の母がいる。亡くなった母と代理母性であるリン、そして父親のタイライもここで果たしている役割は母性に近い。リャオ・ジエは11歳にして社会に抑圧されていることに矛盾を感じ、父と同じ生き方をしていたのでは、一生、底辺暮らしが続くと考える。(以下、ネタバレ)シャはある情報をジエに教え、それをもってジエは自分をいじめる悪ガキどもにリヴェンジを果たす。「情報」が人生を大きく左右すると知ったジエはよく考えずにリンに関する情報をシャに伝える。結果、いつも自分に優しくしてくれたリンはシャに殴られ、顔に大きな痣ができる。ジエにとっては父性が母性を傷つける場面を自らが招いたことになる。ジエはこのことをどう受け止めたのか。それは33年後に彼が建築設計士として働く様子からそれぞれが考えるというつくりになっている。ジエは富裕層の家を設計し、山の中腹に建てられた豪邸を緑で覆い尽くし、そこに家があることもわからなくしてしまうのがいいのではないかと提案する。発注主は戸惑い、少し考えさせてくれと悩む。ジエは父のタイライからカッターの刃をむき出しで捨てずにダンボールで包んでから捨てるという「気遣い」を受け継いでおり、豪邸を緑で覆い隠すというジエの提案はまるで富裕層の存在を視界から消してしまい、そうすることで他の人たちの心を落ち着かせようとしているかに思えてくる。かつての理髪店を開くというジエの望みは亡き母への執着と捉えることが可能で、他人が住む家を設計するという仕事にモチヴェーションを変形させた彼は、家を建てることによって母性の必要性を人に伝え続けていると考えられる。一方で、タイライの初恋の相手でもあるヤン・ジュンメイを門脇麦が演じており、彼女もまた夫に痣がつくほど顔を殴られる。シングル・ファーザーを中心とした物語のなかで2人も女性が殴られるというのは女性に恨みがあるか、それとも男性にも母性は備わっていて、この社会に女性は必ずしも必要ではないというステートメントにさえ思えてくる。「母」は過剰に慕われるけれど「女性」は殴られる。それとも男性は女性を殴る生き物だということを強調したいだけなのだろうか。女性に対する両義性はやはりフェリーニに通じるものがあり、それはそのまま中国本土に対する感情を表しているのかもしれない。そして、今日、中国からの独立派である頼清徳が新たな新総統に就任した。

interview with I.JORDAN - ele-king

クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。

 ハウスかと思えばテクノへ、テクノかと思えばトランスへ、トランスかと思えばハーフ・テンポのビートへ、あるいはジャングル~ハードコア、ガラージ、フットワーク、ポップスへ。紙一重でグルーヴを保持しつつもDJセットのなかで絶えずジャンルを横断するようなプレイングはクラブ・ミュージックのスタンダード・スタイルとすら言い切れる。特定のジャンルやスタイルへと身を捧ぐ美学も依然としてクラブ・カルチャーに欠かせない重要な要素のひとつだけれど、私たちの普段のリスニング態度というのはもっと気ままに、さまざまなサウンドやビートをコラージュするようなものであることは間違いないし、その自由さをクラブに持ち込むということはごく自然な動きでもあるだろう。

 そして、多くの若い人びとがクラブ・ミュージックを横断的に聴く、ということを強く意識したのはコロナ禍の、あのクラブの扉に鍵がかかってしまった時期のことではないだろうか? ホーム・リスニングを強いられた時代を経て、私たちは配信プログラムやウェブ上のDJミックス、動画コンテンツ、あるいはストリーミング・サーヴィスに星の数ほど広がるプレイリストの数々を絶えず渡り歩いてきた。その蓄積はけっして無意味なものではなかったし、むしろダンス・ミュージック受容の可能性を拡張したのではないか、とも考えられる。そんな感覚を(時代の要請とは無関係に)持ち合わせているアーティストたちに、いま光が当たりはじめている気配がする。

 今回インタヴューをおこなった〈Ninja Tune〉所属のアイ・ジョーダンもそのひとりだろう。北イングランドの郊外、労働者の街ドンカスターで生まれ育ち、現在はロンドンを拠点とするノンバイナリーのアーティストだ。階級差別と静かに闘いつつ、物心がつくころから変わらないピュアな音楽愛をもとに多彩なジャンルを横断するプレイヤーで、約10年にわたるアンダーグラウンドでのDJ活動を経て、2019年以降〈Local Action〉からシングルをリリース、2020年にはヒット曲 “For You” を送り出している。のちにコラボするフレッド・アゲイン同様、パンデミック時代が生んだプロデューサーと言えるだろう。その後〈Ninja Tune〉と契約、21年の “Watch Out!” であらためてその存在感を見せつけたアイ・ジョーダンの、ファースト・アルバムがついに完成した。現在流行のトランシーな感覚を維持しつつも、さまざまなスタイルに挑むこの新星にUKダンス・ミュージックの現在地を訊く。

音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。

いまはロンドンが拠点なんですよね。育ったドンカスターという街はどんなところですか?

IJ:ドンカスターが日本でよく知られてないのは、そんなに素敵なところじゃないからかな(笑)。基本的には労働者階級の街で、わたしが好きな音楽のシーンはなかった。だから16歳のときにドンカスターを出たんだけど、あそこは自分にインスピレーションを与えてくれる場所でもあったんだ。クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。ドンカスターはベースラインが生まれたシェフィールドとそう遠くないしね。ドンカスター・ウェアハウスっていうヴェニューがあるんだけど、そこは90年代初頭のUKレイヴやハードコア・テクノのパーティにとって重要な場所だった。

労働者階級であるということは、音楽をやるうえでもご自身にとって大きいですか?

IJ:そうだね。イギリスっていうのはすごく階級意識の高い国で、たとえば自分にはヨークシャーや北イングランドあたりの訛りがあるんだけど、そうした要素から、その人の階級をすぐに判断されてしまうような風土があって。わたしは、そういったものと闘ってきたところもあるかな。音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。ただ、自分は労働者階級のダンス・ミュージックをつくっているし、そうしたものに影響を受けてはいるんだけど、やっぱり音楽をつくるにはお金も練習するための時間も必要で、でも労働者階級だとそうした余裕は持てない。実際、自分の家族のなかでドンカスターを出たのはわたしだけだしね。もちろん、音楽の道に進んでいったのも。

最初に音楽を聴くようになったのはいつごろで、どういうものに惹かれていましたか?

IJ:人生をとおしてずっと音楽に影響を受けつづけてるよ。最初にギターを手にしたのが3歳ぐらいのころで、母がジョージ・マイケルやプリンス、フィル・コリンズ、シンプリー・レッドとか、そういう音楽を聴いていたから影響を受けたかな。10歳のころには本格的にギターを練習するようになって、そのときはロックに夢中だった。16歳ごろから徐々にダンス・ミュージックに興味を持つようになって、トランスやミニストリー・オブ・サウンド、イビザ的なサウンドを聴くようになったんだ。そのあともっとハードな音を求めてペンデュラムやハッピー・ハードコア、ドラムンベースなんかを聴くようになった20歳ごろからDJをはじめて、テクノ、ハウス、ドラムンベース、ガラージ、そういったものをプレイするようになっていった。

ノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

あなたの音楽の特徴のひとつに、トランシーな感覚があります。いまトランスが流行しているのはなぜだと思いますか?

IJ:UKだけじゃなく、いまヨーロッパ全体でトランス・ミュージックが流行っていると思う。とくに90年代から00年代初頭のサウンド、ユーロ・ダンスのようなトランスがね。わたしもその時期の音楽には影響を受けていて、デビューEPの「DNT STP MY LV」にもトランスを入れてる。トランスの浮遊感や多幸感に触れる体験が好きだから、自分もつくってるんだ。そして、いまはトランスと同時にテクノ・エディットしたものがブームになっていて、たとえば自分もつくった曲を違うヴァージョンでテクノ・エディットにしたりしてる。全体的にノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

現在トランスを受容している層はおそらくリアルタイム世代ではないですよね。

IJ:当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。昔は中古のトランスのコンピレーション・アルバムなんかが簡単に、安く手に入りやすかったし、海賊盤もたくさん売ってたから。

UKではいまやはりレイヴも勢いがあるのでしょうか。

IJ:レイヴやクラブはすごく流行っていると思う。というか、それらはイギリスの一部だから、流行りつづけていると言ったほうがいいかな。とくにコロナ以降はこういったものをみんなすごくありがたがっていると思うし。

スクウォット式のレイヴもいまだ根強い?

IJ:いまでもフリー・パーティやスクウォット・レイヴはけっこうあるよ。とくに夏場は野外でおこなわれるものが多くて、たとえばロンドンのハックニー・マーシーズって公園だと、昼も夜もそういったパーティをやってるかな。

あなたが躍進していったのはコロナ禍のタイミングでしたが、トランスやレイヴといったカルチャーが盛り上がるようになったのは、やはりパンデミックの影響だと思いますか?

IJ:そうだと思う。パンデミックがあったことで音楽の聴き方や音楽への向き合い方が人びとの間で大きく変わっていったと思うけど、パンデミックが終わって友だちと一緒にクラブで音楽を聴けるようになったことを祝うムードはすごく大きくなったと思う。同時に、ダンス・ミュージックというものが違った方向でも聴かれるようになったと思ってる。クラブが閉鎖されているからこそ、その枠を飛び越えるようなダンス・ミュージックの新たな可能性をロックダウンが示してくれたんじゃないかな。

ちょうどパンデミックの起こった2020年に、あなたの代表曲ともいえる “For You” がリリースされました。2023年の現時点から振り返ってみたとき、どういう印象を抱きますか?

IJ:3年経って、この曲のことを考えることはよくあるけど、いまクラブではプレイしてないかな。今回の東京や上海は初めてプレイする場所だったから今回はかけたけどね(註:取材は昨年12月、来日公演のタイミングでおこなわれた)。3年間で自分は大きく成長できたと思うし、そのなかでこの曲はたくさんプレイしてきたから。いまは “For You” のことを誇りに思っているよ。

当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。

〈Local Action〉のあと、〈Ninja Tune〉と契約に至った経緯を教えてください。

IJ:“For You” をリリースしたあとオファーをもらって、2枚のEPと1枚のアルバムを出すという内容の契約を結んだんだ。〈Ninja Tune〉はすごくいいレーベルで、できれば条件を達成したあとも契約を更新していきたいなと思ってるよ。

移籍した2021年にEP「Watch Out!」をリリースしていますが、それまで以上にハードコアなブレイクビーツが披露されている印象を受けました。

IJ:いや、そういうわけではなくて、わたしはハードコアなサウンドをずっとつくりつづけているつもりなんだ。「Watch Out!」には2曲ぐらいハードコアが入っているけど、ディスコ・エディットのハウス・トラックがあったりするし。ハードコア・テクノは自分の一部だから、その時期はとくに熱中してつくってたかな。いまは少し変わってきてて、テクノやトランスを中心につくるようになった。アーティストとして、いろんなプロダクションにアプローチしていきたい気持ちが強くて、たとえばアルバムはテクノやトランスもあるし、ガラージや実験的な要素も含まれている。なるべく多くのジャンルを横断的につくっていきたいと思ってる。

ふだんの制作において、なにかコンセプトを考えたうえでつくることはありますか?

IJ:EPや曲単体にかんしては内省的で自分自身を見つめ直すようなものが多いんだけど、明確なコンセプトはないかな。ただ、やっぱりアルバムを制作するとなると客観的な視点やコンセプトが必要になってくるから、ある程度ぼんやりとは考えている。

現在制作中のアルバムはどのような内容になっているのか、教えてください。

IJ:このアルバムは、自分の人生のなかでいちばん重要なプロジェクトで、誇りに思える大切な作品になった。わたしの尊敬するアーティストや友人たちともたくさんコラボレーションしていて、UKのクラブ・ミュージックをベースにエクスペリメンタルやハウス、トランス、ドンク、ガラージのような多彩な方向性を持つ音楽が混ざりあった内容で。それぞれ違ったセッティングや環境でも楽しんで聴いてもらえるアルバムだと思うよ。

Sisso - ele-king

 ロシアのウクライナ侵攻を一貫して支持しているチェチェン共和国は先月、子どもたちの未来のために音楽のテンポに制限を加え、BPM80以下もしくは116以上の音楽を取締りの対象にすると発表した。イスラム教というのは突拍子もなくて何を制限するのか予想もつかないけれど、どうしてまたそんなことを思いついちゃうのかなあ。ロック=西洋とか、ゲイに厳しい風土なのでディスコやハウスを規制したいというのはわかるとして、BPM80以下というのはダブとかスクリュードにも政府が脅威を感じたということなのか。だとしたらそれはそれでスゴい気もするし、BPM80~116というとほとんどのヒップホップはOKなので、チェチェンの未来はヒップホップ一色になっていくのかなとか。いずれにしろこれでチェチェンの子どもたちは〝フィガロの結婚〟や〝ナイトクルージング〟は聞けないことになり(クイーン〝We Will Rock You〟はぎりセーフ)、ましてやタンザニアのシンゲリである。2010年代後半にインド洋に面したダルエスサラーム州キノンドーニで火がつき、タンザニア全土で人気となったシンゲリはBPM170なら遅いほうで、ウィキペディアによると200から300がアヴェレージだとされている。300だと半分でとっても116以下にはならないし、そもそも「半分でとってます」と言っても警察には通じないだろうし……それ以前に警察官たちはBPMを理解できるのか? 逮捕する時はストップウォッチで測りながら?

 ウガンダの〈Nyege Nyege Tapes〉がタンザニアのシンゲリをまとめて紹介した『Sounds Of Sisso』が早くも7年前。シンゲリは当初からBPMの早さが話題で、伝統的なンゴマや外国の影響を受けたタアラブと呼ばれる祭りの音楽から派生し、ジュークやフットワークとも同時代性を感じさせる音楽へと発展する(伝統的な祭りとの結びつきが強いせいか、同じくウィキによると男は高速ラップで女はコーラスとジェンダーが分かれる傾向があるらしい)。『Sounds Of Sisso』はそれなりの話題を呼んだものの、同作がつくられたスタジオの所有主であり、中心人物の1人と目されるシッソことモハメド・ハムザ・アリーが翌19年にリリースしたソロ・アルバム『Mateso』は一本調子であまりいい出来とは言えず、シンゲリにフラップコアと呼ばれるフレンチ・ブレイクコアを掛け合わせたジェイ・ミッタの方が(14歳のMCを起用していたこともあって)僕の仲間うちでは面白がられていた。シッソとジェイ・ミッタは同じ年、さらにベルリンからエラースミス、グラスゴーからザ・モダーン・インスティチュート(=ゴールデン・ティーチャー)を迎え入れて共作アルバムをリリースし、翌20年にライアン・トレイナーが同地で受けた刺激を『File Under UK Metaplasm』にまとめたり、『Sounds Of Sisso』の続編で〈Pamoja Records〉の音源を集めた『Sounds of Pamoja』やDJトラヴェラといった若手の台頭が相次ぐものの、折からのパンデミックに出鼻をくじかれたか、同じクラブ系ミニマルでもベースに重きを置いた南アのゴムに較べるとそれほど大きく裾野を広げた印象はない。強いていえばタンザニア内でさらにBPMを早め、ハードコア化していくことになる。

 そして『Mateso』から5年。シッソは大きな成長を遂げていた。音楽性がまずは格段に豊かとなり、曲の構成だけでなく一本調子だったアルバム全体の構成も複雑になって、質素どころか実にゴージャスな『Singeli Ya Maajabu』の完成である。シンゲリといえば高速ラップだけれど、前作同様ここでもMCは入れず、躁状態のパーカッシヴ・サウンドをメインとしたインストゥルメンタル・アルバムに仕上げられている。オープニングはオルガンを連打し、テリー・ライリーがタコ踊りを踊っているような高速トロピカルの〝Kivinje〟。続く〝Kazi Ipo〟もパッセージの早いパーカッションに対して様々なスピードで挟まれるSEが幾重にもレイヤーされ、リズム以外に追いかける要素が多いことがとても楽しいBPM186。部分的には〝ウイリアムテル序曲〟などを思わせるため、DFCクラシックのレックス名義〝Guglielmo Tell〟なんか思い出したりして(つーか、これでもBPM155なのね)。前作の『Mateso』でもシャンガーンを思い出す場面は何回かあったけれど、〝Chuma〟はまさにマルカム・マクラーレンなどが遠くに聞こえ、アルバム全体にその感触は広がっている。〝Uhondo〟は比較的過去のハードコアに回帰したようなモノリズム調で、涼しい鉦の音から始まる〝Kiboko〟は一転してコノノ Nº1などのヘヴィな早回しヴァージョン。そう、00年代初頭にアフリカのオルタナティヴ・サウンドと呼ばれたコノノNº1やスタッフ・ベンダ・ビリリに比べてシンゲリはおそろしいほどヘヴィで、ベースは入ってないのにボトムの重量感がまったく違うところは明確に時代の差といえる。どこか食品まつりに通じる〝Timua〟からインタールードとして奇妙な女性コーラスをメインにした〝Mangwale〟が挿入されるあたり、リズムで押せ押せだった前作からは考えられない構成の妙で(笑)、ポリリズムを強調した〝Rusha〟はリズムがまさにごった煮で気がつくとリズムの迷子になりかける(こういう曲は5年か10年後にもう一度聴くのが楽しみです)。TGにシンゲリをやらせたらこうなるかなと思う〝Jimwage〟から水の音をループさせたり、エレクトロアコースティックを無理やりダンスフロアに引っ張り出したような〝Mizuka〟。メリハリを効かせた〝Jimwage〟に対してミニマルに徹した〝Njopeka〟はヤン富田を高速ブレイクビーツ化したようなもので、このあたりがアルバムのクライマックスをなしている。DJトラヴェラのレイヴ趣味にアンサーを返した〝Shida〟はとにかくウネウネとシンセがくねり、冒頭の〝Kivinje〟や〝Kazi Ipo〟に戻った〝Zakwao〟と、最後まで高速で突っ走る〝Ganzi〟で「見たことのない景色」は幕を閉じていく。シンゲリがどうというより、シッソがスゴいですよ、これは。僕はレコード・レビューの文章に「進化」というワードを使ったことがないけれど、これは確実に「深化」だといいたい。とはいえ、いまはBPM80以下の音楽が聴きたいかも……

interview with Anatole Muster - ele-king

 ジャズの世界でも最近はZ世代の活躍が目立ってきており、ドミ&JDベックのデビュー・アルバム『Not Tight』(2022年)はグラミー賞にもノミネートされた。若干22歳のアナトール・マイスターもそうしたZ世代のひとりだ。スイス出身で現在はロンドンを拠点に活動する彼は、ジャズの世界では珍しいアコーディオン奏者で、またプロデューサーとして自身でトラックや作品制作もおこなう。彼が影響を受けたハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、パット・メセニー・グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーなど1970年代から1980年代にかけてのエレクトリック・ジャズやフュージョンのマナー、そして現在暮らすロンドンのジャズ・シーンやトム・ミッシュedblなどから発せられる新しいUKサウンド、さらにUS西海岸のルイス・コールサンダーキャットキーファーなどのクロスオーヴァーなジャズが融合し、それを幼少期から親しんできたアコーディオンを交えて表現しているのがアナトール・マイスターのサウンドである。

 2020年にファーストEP「Outlook」でデビューし、エモーショナルなメロディやエレガントなタッチのプレイで高い評価を受けたアナトール・マイスターは、テニソン、キーファー、ルイス・コールといったアーティストたちとのコラボレーションも実現させ、スイスやブラジルでおこなわれたモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演し、ロサンゼルスやロンドンでも公演を成功させるなど、現在注目のアーティストへとステップを上がっていった。そして、2024年4月に待望のファースト・アルバム『Wonderful Now』をリリース。ルイス・コールをはじめ、サンフランシスコのビートメイカー/ピアニストのテレマクス、SNSで爆発的な人気を誇る女性シンガーのジュリアナ・チャヘイド、南アフリカで絶大な支持を集めるポップ・バンドのビーテンバーグのM・フィールドといった多彩なゲストをフィーチャーし、エレクトリック・ジャズやフュージョンをベースに、ダンサブルなビートやハイパーなポップ・サウンドを取り入れた2024年の最新型ジャズ・アルバムとなっている。

僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

あなたのプロフィールから伺います。スイス生まれとのことですが、音楽とはどのように出会い、どんな音楽を聴いて育っていったのですか? 子どもの頃はバルカン民謡やアイルランド民謡、ジプシー音楽などを聴いていたと伺っているのですが、スイス特有の音楽も聴いていたのでしょうか?

アナトール・マスター(以下AM):ヨーロッパ各地の伝統的な民謡をたくさん聴いて育ったよ。他にもクラシックもよく聴いていた。僕の親はクラシックのミュージシャンであり、民謡も大好きだったんだ。他にはタンゴやボサノヴァとかかな。スイスの伝統民謡はあまり聴かなかったかも。理由はわからないけど、僕の周りにはあんまりスイスの民謡を聴いたり、演奏したりする人はいなかったんだよね。

ティーンエイジャーの頃に父親のレコード・コレクションを通じてジャズと出会い、ハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、スパイロ・ジャイロ、カシオペアなどおもに1980年代のフュージョン系のサウンドを聴いていたそうですね。ほかにもアラン・ホールズワース、パット・メセニー、ライル・メイズなどが好きだったそうですが、こうしたジャズ/フュージョンのどのようなところに惹かれ、影響を受けるようになったのですか?

AM:父親の古いレコード・コレクションを見つける前は、YouTubeとかでフューチャー・ベースやチルホップのようなエレクトロニック・ミュージックにハマっていて、そこからの流れで同じくYouTubeでよりジャジーなアーティストであるリド、テニソン、メダシン、ロボタキ、トム・ミッシュ、ケイトラナダ、パーティ・パピルスとかを聴くようになったんだ。そこから偶然僕の父親のレコード・コレクションを見つけて、ハービー・ハンコックやジョージ・デュークのようなエレクトロニック・ジャズやフュージョンを自然と聴くようになったんだよね。似たような音楽をすでに聴いていたからスッと入ってきたよ。このときにはすでにエレクトロニックなビートメイクをしていたんだけど、ハービーとか1970年代、1980年代の音楽をより多く聴くようになって、それらから影響を受けてハーモニーやグルーヴを意識するようになった。だからいままで聴いたいろいろな音楽をミックスして自分の音楽にしているつもりだよ。

いま話に上がったテニソンはじめ、サム・ジェライトリー、ノウワーなど現在のエレクトリックなサウンドにも興味を持つようになったそうですが、たとえばハービー・ハンコックなどもそうしたサウンドの元祖と言えるところもあるので、ジャズとそうしたエレクトロニック・ミュージックはあなたの中で自然に結びついていったのでしょうか?

AM:とても自然に結びついたね。むしろ、僕はエレクトロニック・ミュージックの要素が入ってないジャズをあまり聴かないかも。

あなたが演奏するアコーディオンやバンドネオンは、アストル・ピアソラはじめアルゼンチン・タンゴの世界で有名で、またジプシー音楽やシャンソンなどでもよく用いられる楽器です。一方、ジャズの分野ではあまり使われない楽器で、アメリカ出身だがヨーロッパで人気を博したアート・ヴァンダムや、フランスのリシャール・ガリアーノなどが有名ではあるものの、プレイヤーは多くはありません。最近はポルトガルのジョアン・バラータスなど若い演奏家も出てきているようですが、あなたはなぜこの楽器を選んだのですか? おじさんの影響で8歳の頃から演奏していると聞きますが。

AM:僕が小さい頃にアコーディオンという楽器を選んだのは、僕のおじの音楽が大好きだったからだね。彼はアコーディオンの演奏家で、プロデューサーであり作曲家なんだ。10代のはじめまでアコーディオンの演奏を続けて、そこからエレクトロニック系統の音楽にハマっていって、最終的にジャズにたどり着いたんだ。僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。

アコーディオン奏者として影響を受けたアーティスト、好きな作品などを教えてください。

AM:パーソナルに普段聴いている音楽で、アコーディオンが入ってる曲を探すのは結構大変なんだけど、ミシェル・ピポキーニャとメストリーニョの “Baião Chuvoso”、アドリアン・フェローとヴィンセント・ペイラーニの “Marie-Ael”、エディット・ピアフの “L’Accordéoniste”、ペタル・ラルチェフの “Krivo Horo”、アストル・ピアソラの “La Casita de Mis Vjejos” とかがお気に入り。アコーディオニストでいうと、ペタル・ラルチェフ、ヴィンセント・ペイラーニ、メストリーニョが大好きで、彼らはアコーディオンという楽器の可能性を大きく広げてくれたアーティストたちなんだ!

バーゼルの音楽学校でアコーディオン演奏を習うと同時に、作曲や音楽理論も学び、アコーディオンの即興演奏など技術も身につけていきます。そして、現在はロンドンのロイヤル・アカデミー音楽院でジャズを勉強中とのことですが、進学のためにロンドンへ移住したのですか? また、ロンドンに来てから音楽に対する取り組みや環境で変わったことはありますか?

AM:ロンドンに引っ越した一番の理由は活発的な音楽シーンがあるからだね。スイスに住んでいるときもロンドンのシーンで何が起きていたのかをチェックしていたよ。ここに引っ越してこれてハッピーだし、成果もたくさんあったね。たくさんの素晴らしい友人を作れたし、とても大事なコネクションも得ることができた。ロンドンのシーンと上手くやっていると思うよ。

2020年に初めてのEP「Outlook」を発表し、モントルー・ジャズ・フェスに出演したり、テニソン、キーファー、ルイス・コールなどさまざまなアーティストと共演するなど、プロのミュージシャンとして活動するようになったのもロンドンに来てからですか?

AM:「Outlook」でテニソンやキーファーとコラボしたときは、両方ともロックダウンしていた時期で、とにかくその時期は僕にとってクリエイティヴなことに熱中できる時期だった。多くのミュージシャンが僕と同じように家から出られずにいたから、普段以上にコラボレーションするには最適な時期だったと思う。だからこのアドヴァンテージを活かすことに決めて、多くのプロダクションをはじめたよ。 ルイス・コールと初めて会ったのは僕がロンドンに引っ越してきてからの話で、それから多くのヤバイことが起きていった。リオで開催された モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに呼ばれたのもそのうちのひとつだね。

ロンドンにはジャズのシーンがあり、世界的にも注目を集めているわけですが、あなた自身はそこと交流を持っていますか?

AM:そうだね! 僕もロンドンのジャズ・シーンの一員として役に立てるように頑張っているよ。幸運なことに世界的に活躍しているミュージシャンと一緒にプレイできている。多くのジャム・セッションをおこなうことで、たくさんのミュージシャンと繋がりを持てるし、音楽的なアイデアの交換もできているよ。

どちらかと言えばクラシカルなイメージの強いアコーディオンという楽器を、ジャズの中でも新しい試みをおこなうフュージョンやエレクトリックなサウンドと結びつけるアイデアはどのように生まれてのですか? アコーディオンの伝統的な奏者とは明らかに異なることをやっているのですが。

AM:アイデアを思いついたというよりは、アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。ラッキーだったのは、僕はプレイヤーとしてだけではなく、プロダクションにも関わっていたので、自分の好きなことをひとつのアイデアとしてまとめあげることができたって感じかな。

クラブ・ミュージックの世界では、2000年代にフランスからゴタン・プロジェクトが登場し、タンゴや古いジャズ、ラテン音楽やアコーディオン・サウンドとエレクトロニクスを融合したユニークなサウンドで注目を集めました。彼らはアストル・ピアソラやガトー・バルビエリなどもカヴァーしていたのですが、聴いたことはありますか?

AM:このユニットは聴いたことなかったから、いま聴いてみたけど、めちゃくちゃ良いね! 似たような音楽を聴いたことがなかったよ! レコメンドありがとう!

普段の音楽制作はどのようにおこなっていますか? アコーディオン演奏はもちろんですが、あなた自身でビートメイクをしているのでしょうか?

AM:そうだね、僕は作曲、アレンジ、演奏、プロダクション、ミキシングまで全部ひと通り自分でやっているよ。コラボレーションのパートとマスタリングだけ他の人にお願いしている感じかな。僕のアルバムはラップトップで作ったんだ。マイクでヴォーカルを録音したり、MIDIのキーボードを使ったりはする。アコーディオンに関しては僕の持ってるアコーディオン・マイクを使っているね。ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ファースト・アルバム『Wonderful Now』について伺います。あなたにとって初めての声明とも言えるこのアルバムですが、どのようなアイデアやコンセプトがあり、どのようにして生まれたのですか?

AM:『Wonderful Now』は僕の音楽のアイデンティティを探す旅を閉じ込めたものだね。幼い頃からエレクトロニック・ミュージックが好きで、それと同時にジャズ/フュージョンに強い繋がりを感じはじめた。ロンドンでジャズの勉強をはじめたとき、ジャズ/フュージョンがトレンド的なモノだとは全く感じていなかったので、孤独を感じていたし、ときには自分の音楽をどういう方向性で作りたいのか迷走してしまった時期もあって、そのときは音楽の楽しみ方すら忘れてしまっていたよ。だから自分のルーツに一度戻ってみて、昔よく聴いていたフューチャー・ベースやディープ・ハウスのような音楽を制作して、そうしたときに感じた興奮を取り戻したんだ。それでいつの間にかプレッシャーは消えて、また音楽を作ることが楽しめるようになった。それでいままで作ってきた音楽の中にゆっくりとジャズが僕の音楽性として染み渡っていき、新しい道を開いてくれたんだ。それが、新しさのある音楽に生まれ変わって『Wonderful Now』という誇らしい作品を作ることができたよ。さっきも言ったけど、ほとんど僕のラップトップの中で制作された作品だね。もちろん素晴らしいミュージシャンとのコラボレーションも混じっているけど。

ルイス・コールのほかは新進のミュージシャンが多く参加していて、サンフランシスコや南アフリカなど、世界各地に人脈が広がっています。SNSで話題になっているような人もいて、そうしたネットを通じて広がった人脈かなと思うのですが、どのようにしてゲスト・ミュージシャンを集めたのですか? また、身近なロンドンや出身地のスイスではなく、少し離れた場所の人たちとネットを介して繋がっているのがいまっぽいなという印象です。彼らとはデータのやりとりなどオン・ラインで音楽を制作したのですか?

AM:ほとんどのミュージシャンとはネット上で出会ったね! レオ・マイケル・バードは学校の友だちなんだけど、他のミュージシャンに関しては僕がInstagramやSpotifyで見つけた人なんだ。いまではほとんどの人と直接会って、仲良くなったよ。例えば、M・フィールドはここ2年間に最もSpotifyで聴いたアーティストのひとりで、彼にインスタのDMで僕がどれだけ彼の音楽が好きなのかを伝えて、「僕の曲で歌ってくれないかな?」とダメ元で連絡してみたら、返事が帰ってきてね! 彼もいまはロンドンに住んでるから、一緒に曲を作ったり、フリスビーをして遊んだり、ホット・チョコレート作って飲んだり、一緒にライヴで演奏するようになったね。遠くに住んでいるアーティストはだいたい自分のパートをデータで送ってきて、それを僕がミックスして形にしているよ。

ルイス・コールのノウワーとも共通するのですが、アルバム全体の印象としては非常にポップなサウンドになっていると思います。シンガーをフィーチャーしているのもノウアーと同様のアプローチですし、実際に今回のアルバムにも参加するルイス・コールからの影響が大きいのでしょうか? 彼と共演するサンダーキャットなども影響を与えているのかなとも思いますが。

AM:もちろん! ルイス・コールとノウワーからはいつも凄くインスパイアされてるよ。僕が音楽制作をスタートした頃から彼らの音楽が好きで、どうやったらあのようなサウンドを作れるか知りたかったくらいだ。サンダーキャットもずっとファンだね!

かつてのリターン・トゥ・フォーエヴァーのように、ジャズという音楽をロックやポップ・ミュージックとうまく融合し、新しい時代を切り開いていくようなアルバムになっていると思いますし、それはあなたが影響を受けたというハービー・ハンコックやジョージ・デュークなどにも共通するものです。あなた自身はあなたの音楽についてどこを目指していますか?

AM:僕の音楽的なゴールは、自分が駆け出しの頃に憧れていたようないまいちばん熱いシーンの中心にある音楽を作ることだね。

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