Home > Reviews > Album Reviews > Miss Red- K.O.
ダンスホールっていうのはじつに面白い。まずこの音楽は、置き去りにされた下層民による寄り戻しとして誕生した。それは意識高い系の音楽へのあてこすりのようにも見える。国際的な感性/知性に訴えることができたルーツ・レゲエと違って、80年代に登場したダンスホールはアンチエリートの庶民派だが文化的には保守的で、言うなれば引きこもり的なそれは、周知のように内向きな暴力やゲイ嫌悪を露わにしたことで国際舞台で厳しく叩かれたこともある。
しかしながらそのスタイルは、どメジャーからアンダーグラウンド、ジェイミーXXからイキノックス、カナダから南アフリカまでと、いまもまったく幅広く愛されているし、進化もしている。その成分はR&BにもUKグライムにも注がれている。そして、こんなにも矛盾をはらみながらも途絶えることなく拡大しているのは、ひとつにはダンスホールの敷居が低さゆえだろう。
ケヴィン・マーティンはダンスホールの側にいる。近年は主にザ・バグ名義による精力的な活動で知られるマーティンは、彼のもうひとつの主題であるダブの探求の成果をつい先日はBurialとの共作12インチ(Flame 1)によって発表したばかりで、あるいはまた彼のエクスペリメンタルな側面は、たとえば2年前のアース(ドローン/ドゥーム・メタルのバンド)との共作アルバムによって表現されている。そして、彼はいまミス・レッドとともにダンスホールに戻ってきた。リングに上がって、ファイティング・ポーズを取っている。
ダンスホールは基本的には楽しみの音楽であり、アドレナリンの爆発であり、ユーモアが込められた音楽だ。さばさばしていて、活気があって、エネルギーの塊。ダンスホールにおいて重要なのはマイク一本握って自分をより格好良く見せることだが、モロッコ人とポーランド人の両親を持つイスラエルはテレ・アヴィヴ出身のミス・レッドは、ダンスホールの引きこもり的傾向にまずはパンチを一発、風穴を開けてこのエネルギーを外側へと放出する。
そして彼女はアルバムを通じて“マネー”というものに何度もパンチをお見舞いする。セコンドには……もちろんケヴィン・マーティンが付いている。まわりくどい表現はない。センチメンタルなメッセージもない。あるのはダンスのリズム、リズムに乗ったシンプルな言葉。トラックは、それこそイキノックスとか、はたまたポルトガルの〈プリンシペ〉なんかとも共振している。
ケヴィン・マーティンは、たとえばインガ・コープランドやグルーパーのような素晴らしいアウトサイダーに声をかけながら、基本、ウォーリア・クイーンやフローダンのような現場で揉まれてきたMCのことを評価し続けている。彼がザ・バグ名義で何人もの強者MCたちと仕事をしていることはdiscogsを見ればわかる。ミス・レッドの『K.O.』は彼女にとってのファースト・アルバムであり、ケヴィン・マーティンのダンスホール愛がもたらした、その最新盤ということでもある。パンク・スピリッツもあるし、まったく見事な一撃。この勢いをもらって、ちょうどいま話題の恥知らずな政治家=杉田議員にも一発と。ちなみにミス・レッドは、いま人気急上昇の日本のBim One Productionとも仕事をしているし、また、今年話題になったサイレント・ポエツの最新作にもフィーチャーされている。
野田努