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Moritz von Oswald & Ordo Sakhna

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Moritz von Oswald & Ordo Sakhna

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デンシノオト   Jan 15,2018 UP
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 「テクノ/ミュージック」はどこに向かうのか。これまでの世界を規定していた西欧中心主義の枠組みが壊れ、固有の領域における自律性が保てなくなり、末期資本主義の限界(現在の世界はもはや単に金融至上主義である。また加速度的なグローバル資本主義が一種のファンタジーのように希求されるようになったことも資本主義の終焉を意味しているといえよう)が明確になり、「欧米中心の世界地図」というファンタジーが成立しなくなった以上、「テクノ」という音楽ジャンルもまた不可避的に変容を迫られている。
 だが、むろん、この問いは「テクノ」が誕生(だが、それはいつのことか? そもそも「テクノ」は誕生などせず、ただミュータントのように派生・増殖したものではないか? という当然の疑問はあるだろう)して以降、常に発せられ続けてきたものでもある。そもそも「テクノ」は非中心的/週辺的な音楽ではなかったか。

 ドイツのモーリッツ・フォン・オズワルドはその問いに対して、サウンドの領域を拡大してみせることで新しいフォームを生み出してきたアーティストである。あのベーシック・チャンネルやリズム&サウンドは、ミニマル・テクノとダブ・サウンドを融合させ、ミニマルであることとサウンドの「深み」を相反することなく同居させ、「テクノ」における新しい快楽と刺激を生み出した。それがミニマル・ダブという潮流を生み出したことは言うまでもない。彼は機能性のもたらす快楽を拡張してみせたのだ。
 近年も、カール・グレイクと行ったクラシック音楽(カラヤン指揮のベルリン・フィルによるラベル「ボレロ」「スペイン狂詩曲」、ムソルグスキー「展覧会の絵」)のリコンストラクション『リコンポーズド』(2008)や、〈ECM〉からのリリースでも知られるジャズ・トランペッターのニルス・ペッター・モルヴェルとのコラボレーション・アルバム『1/1』(2013)、デトロイト・テクノのオリジネーターのひとりホアン・アトキンスとのコラボレーション・アルバム『ボーダーランド』(2013)、『トランスポート』(2016)、さらにはモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオにおけるトニー・アレンとの共演など、常に「テクノ」の領域を刷新するような活動を行ってきた。そんなモーリッツ・フォン・オズワルドの最新の活動成果が、中央アジアにあるキルギス共和国の音楽集団オルド・サフナ(ORDO SAKHNA)とのコラボレーションである。オルド・サフナのライヴ演奏はこちら。

 この『Moritz Von Oswald & Ordo Sakhna』のリリース元は〈オネスト・ジョンズ〉で、フィジカルは10インチ盤の2枚組仕様となっている。収録曲はアカペラ、マウスハープ、キルギスの伝統的な楽器によるオルド・サフナの演奏/曲のベルリンでのスタジオ録音、キルギスの首都ビシュケクでのライヴ音源、そしてモーリッツ・フォン・オズワルドによるダブ・ミックスが収録されており、まるで「新しい音楽地図」を描き出すように、ヨーロッパ/中央アジアの音楽を交錯させていく。じっさいキルギス共和国は、中国、ロシア、そしてイスラムのあいだに位置する中央アジアの多民族国家である。本作では、そんな複雑な文脈を持った国家の伝統的な音楽とミニマル・ダブという、まったく異なる音楽性の差異を尊重しつつ、音楽と音楽、響きと響きが溶け合う瞬間があるのだ。
 アルバムとしてみればコンピレーションと共作の中間にあるようにも思えるし、今後、さらに本格的な共作へと行き着く可能性も感じるが、しかしこれは「テクノ」を進化/深化させるための貴重な仕事であることに違いはない。そのうえ安易なオリエンタリズムにも軽率なクロスオーヴァーにも陥っていないのだ。世界が断絶しつつある今、モーリッツ・フォン・オズワルドは世界のさまざまな音楽と協働を行おうとしているかのようである。

 オルド・サフナによる演奏の曲もどれも素晴らしい(特にC2のアカペラ“Talasym”と、C3の歌唱とギターによる“Kolkhoz Kechteri”は心の奥底の泉に落ちるような演奏である)が、C4 “Bishkek, May 2016”以降、D1 “Draught”、D2 “Draught Dub”で展開されるモーリッツ的なミニマル・ダブとオルド・サフナの音楽とが見事に交錯するトラックも貴重な試みであろう。
 なかでも音楽の境界線の融解という意味で、B面すべて(つまりアルバムの中心に位置する場所にある)を占める長尺トラック“Facets”も忘れがたい出来栄えである。15分におよぶこのトラックにおいては、ビートもダブもノイズもドローンもオルド・サフナによる音楽もそのすべてが溶け合っている。ここまでエクスペリメンタル/ノイズなモーリッツのトラックも珍しい。そして、その響きのむこうにうっすらと聴こえるオルド・サフナによるキルギス共和国の伝統音楽……。ダブ、ノイズ、そして伝統的な民族音楽が融解する音響空間には、本作の「理想」と「思想」が見事に体現されているように思えてならないのだ。

デンシノオト