「P」と一致するもの

ゲーム音楽の歴史と本質を知るための最良の手引き
第一人者による積年の研究の集大成

いまわたしたちの目の前にあるゲーム音楽は、
なにがどうなった結果としてそこにあるのだろうか?

『コンピュータースペース』『ポン』『アメイジング・メイズ』
『スペースインベーダー』『ラリーX』『ゼビウス』
『ジャイラス』『デウス・エクス・マシーナ』
『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』
『ジーザス』『ファイナルファンタジー』『アクトレイザー』……

ゲーム音楽を「ゲームサウンド」という大きな枠組みのなかに
位置付け直すことで、その答えを探る。

これまでゲーム音楽の構造研究は主として産業史・技術史の観点からなされてきたが、その大半は「ゲーム音楽はこんなにも進歩してきた」という進歩主義史観に貫かれたもので、零れ落ちるものが無数にあった。クラシック、ロック、ジャズ……どんなジャンルでもそうだが、音楽史には必ず同時代の社会や文化との関わりが示されるものだ。しかし進歩主義史観はどうしてもそこをすっ飛ばしてしまう。だから本書はゲーム音楽に込められた価値と信念の系譜に目を向けるのだ。これを明らかにしておかないと、ゲーム音楽の歴史は永遠に機能論と印象論の牢獄に閉じ込められたままになるだろう。 ──「はじめに」より

最終的に提示するゲームサウンドの構造モデルは、「ゲーム音楽の本質はどこにあるのか」という問いに対する、現時点で最良の解答になっているはずである。 ──同

四六判/360頁

目次

はじめに──ゲーム音楽って、なんだろう。
序章 「最高のノイズ」があった頃
第1章 音の必然性──ヴィデオゲーム以前のゲームサウンド
第2章 エレメカ・サウンドとヴィデオゲーム・サウンド
第3章 ヴィデオゲームにBGMが定着するまで
第4章 「映画」になりたがるヴィデオゲーム・サウンド
第5章 音盤化するゲーム音楽
第6章 「ゲーム音楽語り」の構造
第7章 メカニクス/シグナル/ワールド
あとがき

[著者]
田中 “hally” 治久(たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。チップ音楽研究の第一人者で、主著に『チップチューンのすべて』、共同監修書籍に『ゲーム音楽ディスクガイド』『ゲーム音楽家インタヴュー集──プロのベテラン18人が語るそれぞれのルーツ』『インディ・ゲーム名作選』ほか。さまざまなゲーム・サントラ制作に携わる傍ら、ミュージシャンとしても活動しており、ゲームソフトや音楽アルバムへの楽曲提供を行うほか、国内外でDJ・ライブ活動も展開している。

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Loren Connors & David Grubbs - ele-king

 デヴィッド・グラブスとローレン・コナーズ。ともに現代の米国を代表するエクスペリメンタル・ミュージック・ギタリストだ。そのふたりの共演・共作アルバムが本作『Evening Air』である。リリースはアンビエント・アーティストのローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル〈Room40〉から。

 グラブスはかつてジム・オルークとのガスター・デル・ソルとしても知られている(思えばローレン・コナーズもジム・オルークの共演作がある)。ソロもコラボレーション・アルバムも多数リリースしている。いわば90年代以降の米国実験音楽における重要人物でもある。著作もあり、名著『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』(フィルムアート社)が翻訳されている。
 グラブスとコナーズのデュオ作は約20年前の2003年に〈Häpna〉からリリースされた『Arborvitae』以来のこと(現在はブルックリンのレーベル〈Improved Sequence Records〉からリリースされている)。約20年前の『Arborvitae』は幽幻かつ荘厳な美しさを称えたピアノとギターによるエクスペリメンタルな教会音楽といった趣のアルバムであった。
 いっぽう2024年の『Evening Air』はその音楽性を継承しつつも、より深化した霧のような響きをアルバム全編に渡って展開しているアルバムである。端的にいって『Evening Air』は「美しい」。グラブスのアルバムではNikos Veliotisとの『The  Harmless  Dust』に近い印象を持った。演奏と響きの美。音響の美。
 また、『Arborvitae』ではグラブスがピアノとギター、コナーズがギターを担当していたが、『Evening Air』ではコナーズもピアノを担当(曲によってがドラムも!)している点にも注目したい。このコナーズのピアノがまた素晴らしい響きを発しているのだ。
 グラブスがピアノを担当するのは、1曲目と2曲目、コナーズがピアノを担当するのは3曲目(B1)、4曲目(B2)、6曲目(B4)である。5曲目(B3)ではギターはふたりのデュオだがそれに加えてなんとコナーズがドラムを演奏している(この演奏が極めて独自のもの)。アルバム最終曲の6曲目 “Child” は、ローレン・コナーズとスザンヌ・ランギールのカバー曲である。

 ふたりの演奏にはそれぞれがそれぞれ別の領域に存在し、違いに侵食をしないように気遣いつつ、しかしそれぞれの音がある瞬間に溶け合い、消え入りそうになるような静寂さと緊張感がある。1曲目 “vening Air” はまさにその代表のような曲で、ギターとピアノによる静謐な音の接触と離反が展開されている。ミニマリズムを主体とするグラブスと、夢の中を彷徨うような夢幻的なグラブスの演奏の対比が実に見事だ。
 この曲以降、ふたりのギターとピアノはつねに緊張感を保ったまま持続と生成と接触を繰り返すが、コナーズがドラムを担当する5曲目 “It’s Snowing Onstage” で事態は一変する。いわば完全に独自の音響発装置となったドラムがギターに溶け込むように音を発生するとき、緊張感と異なる不可思議な音響が自然と生成されているのだ。緊張感が別次元に昇華したというべきか。
 どの曲も名演だが、録音の素晴らしさも筆舌に尽くしがたいものがある。決して派手な音ではないが、音の残響の捉え方が見事で、空間の中に霧のように溶け合っていくようなふたりの演奏を見事に捉えている。特にピアノの音が透明な粒のようでもあり、もしくは薄明かりの光のようにうっすらと滲むような響きでもある。
 特にコナーズのピアノ演奏が美しい。マスタリングを〈12k〉レーベルの主宰であり、アンビエントアーティストとしても名高いテイラー・デュプリーが手掛けている点も書き添えておいても良いだろう。ちなみに、ギターとピアノのミックスはグラブス自らが手がけている(DG名義)。

 最初にも書いたようにリリースはローレンス・イングリッシュが主宰する〈Room40〉からである。グラブスは2022年にポルトガルのギタリスト/インプロヴァイザーのマヌエル・モタとのコラボレーション『Na Margem Sul』、本年2024年にはシドニー在住のギタリストのリアム・キーナンとのコラボレーション『Your Music Encountered In A Dream』を、〈Room40〉からリリースしてきた。本作は、いわば〈Room40〉におけるコラボレーション・シリーズ3作目といえなくもない。
 私見だが、コラボレーション・シリーズでこのもっとも良い出来が、この『Evening Air』に思える。演奏と音響、音響と音楽の非常に高いレベルで、しかしさりげなく実現しているからだ。さすがはあのローレン・コナーズとのデュオ作といえよう。
 ローレン・コナーズは1949年生まれのNYの伝説的なエクスペリメンタル・ギタリストで、その淡く幽幻なギターの音響で聴くものを魅了し続けてきた。すでに40年以上の活動歴があり、アルバムの数もコラボレーションも数多い。サーストン・ムーア、大友良英、アラン・リクト、灰野敬二などとの共演を重ねてきた。
 70年代後半からリリースされ続けてきたコナーズのアルバムは膨大で、安易にこの一枚というのは紹介できないが、私が思い入れがあるのは、1999年にリリースされたジム・オルークとの『n Bern』である。また2006年にリリースされたCD3枚組のコンピレーション『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』も非常に印象的なCDだった。ちなみに『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』はジム・オルークがマスタリングを手がけていた。

 いうまでもないがオルークとグラブスは90年代においてガスター・デル・ソルというポスト・ロック・音響派のグループで活動していた。本作『Evening Air』を聴いていると、なぜか不意にそのガスターの影が脳裏をよぎった。むろんグラブスはガスターであったのだから当然かもしれないが、演奏同士がもたらす静謐な緊張感にどこかかつてのガスターと同じ空気を感じたとでもいうべきだろうか。特にグラブスがピアノを演奏する冒頭2曲 “Evening Air”とChoir Waits in the Wings” にそれを感じた。当然、ガスターのようにグラブスの印象的な「歌」はない。だがふとした瞬間に感じる「緊張感」に、どこかガスターを感じたのだ。
 もともとグラブスの音楽をオルークがアレンジするというのがガスターの核だったと思うのだが、そこから生まれる緊張感こそがあのバンドの本質ではなかったか。となればコナーズとの演奏は、グラブスの演奏に良い意味での緊張感を与え、あのガスターを思わせる音楽・演奏・音響空間になったのではないかと、つい妄想してしまうのである。
 私などはこの『Evening Air』がガスターの90年代未発表音源をまとめた『We Have Dozens Of Titles』と同年に出ることに、どこか「運命」を感じてしまったものだ。『Evening Air』と『We Have Dozens Of Titles』、それぞれを併せて聴き込んでいくと、90年代音響派とは何だったのかが見えてくるような気もするのである。90年代音響派とは、20世紀の米国の実験音楽の最後直接的末裔でありつつ、「レコード」というアーカイブの探究によって「現代」という時代を生きてきた音楽であった。本作もまた米国における実験音楽の探究という系譜の中にあるように私には聴こえた。

 その意味で後年グラブスを語るとき重要なアルバムになるのではないか。コナーズもまた英国音楽の例外的な末裔であり、大量のレコードを残している。彼は米国のエクスペリメンタル音楽の「生き証人」でもある。そのコナーズと演奏をおこなうことで、かつてオルークと共にガスターでおこなっていた例外的米国音楽の探究という「緊張感」が再び生成されているように聴こえたのである。
 ともあれふたりのことをまったく知らなくとも、聴いた人の耳を捉えて離さない音楽である。優雅で儚く、そして永遠のような音楽であることも事実だ。まずは聴いてほしい。ギターとピアノによる「夜の時間」、「幽玄の美」がここにある。

9月のジャズ - ele-king

 昨秋に来日公演をおこない、本WEBでのインタヴューにも応じてくれたジャズ・サックス奏者のヌバイア・ガルシアの新作『Odyssey』が発表された。昨年はクルアンビンとのスプリット・ライヴ盤や、参加作品だと『London Brew』などもあったが、自身のソロ・アルバムでは2021年の『Source』以来3年ぶりとなる久々のアルバムだ。シャバカ・ハッチングスジョー・アーモン・ジョーンズらとサウス・ロンドンのジャズ・シーンを牽引してきた彼女ではあるが、既にサウス・ロンドンに限定される存在ではなくなっており、『Odyssey』ではエスペランサ・スポルディングやジョージア・アン・マルドロウなどアメリカ人のアーティストとの共演もある。インタヴューでもティーブスキーファーらアメリカのアーティストへの興味について述べていたり、またクルアンビンとのライヴ盤をリリースするなど、インターナショナルに活躍する彼女ならではだ。しかし、作品の根幹となる部分は今回も変わっておらず、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、エレピ)、ダニエル・カシミール(ベース)、サム・ジョーンズ(ドラムス)というサウス・ロンドンの旧知の面々によるトリオは、『Source』から引き継がれている。プロデュースも『Source』と同じくクウェズ(Kwes.)がおこなっており、ヌバイアがいかに彼を信頼しているかがわかる。


Nubya Garcia
Odyssey

Concord / ユニバーサルミュージック

 ギリシャの叙事詩を意味する『Odyssey』は、ヌバイアの長い音楽の旅をイメージしている。「自分自身の道を真に歩むこと、そして、こうあるべきだ、あああるべきだという外部の雑音をすべて捨て去ろうとすることを表現している。それはまた、常に変化し続ける人生の冒険、生きることの紆余曲折にインスパイアされたものでもある」と、アルバムを総括してヌバイアは述べているのだが、そこには音楽業界に長く残る差別という雑音への示唆も含まれる。長く男性優位が続いたジャズ界であるが、近年はヌバイアのような才能あふれる女性アーティストの活躍もクローズ・アップされるようになり、本作ではエスペランサ、ジョージア・アン・マルドロウ、リッチー・シーヴライト、ザラ・マクファーレン、シーラ・モーリス・グレイ、ベイビー・ソルなど米英の黒人女性アーティストが多く起用される。女性ジャズ・アーティストによるプロジェクトとしてはテリ・リン・キャリントンのモザイク・プロジェクトが知られるが、ヌバイアが参加するネリヤも同じような方向性のバンドであるし、『Odyssey』についても女性アーティストとしての矜持が存在している。

 『Odyssey』のトピックとしては、英国のチネケ・オーケストラとの共演も挙げられる。チネケ・オーケストラは多民族の演奏家より構成され、ヨーロッパにおいて初めて多くの黒人演奏家が参加する楽団として知られるが、今回の共演に際してヌバイアは初めてストリングス・アレンジも手掛けている。そうしたオーケストラ・サウンドの魅力が詰まった楽曲が “In Other Worlds, Living” で、『Odyssey』の世界観を表すような壮大なスケールを持つ。重厚で骨太なモーダル・ジャズの “Odyssey”、律動的なリズム・セクションが斬新なカリビアン・ジャズの “Solstice” などヌバイアらしいインスト作品が並んでおり、“The Seer” ではアグレッシヴなジャズ・ロックの曲調の中、ヌバイアのサックスがディープで鮮明なフレーズを奏でる。この曲に顕著だが、サックスのミキシングはエコーをかけたような残像があり、そのあたりはクウェズのなせる技なのだろう。一方、今回はさまざまな女性シンガーたちによるヴォイスも花を添える。中でも、ジャズ・ファンク調の “Set It Free” におけるリッチー・シーヴライトのクールだがソフトで浮遊感に満ちたヴォーカルがいい。彼女はココロコのトロンボーン奏者として知られるが、本職ではないヴォーカリストでも素晴らしい才能を見せる。


Ibrahim Maalouf
Trumpets of Michel-Ange

Mister I.B.E.

 ベイルート出身のジャズ・トランペット奏者のイブラヒム・アマルーフ(マーロフ)は、叔父に作家のアミン・アマルーフを持つ。1975年のレバノン内戦で祖国から難民としてフランスに渡り、アラブ社会についての著書や、内戦や難民をモチーフにした小説を残しているが、音楽一家に生まれたイブラヒム・アマルーフも同様にレバノン内戦中にフランスに逃れ、クラシックやアラブ音楽を学んできた。父親のナシム・アマルーフもトランペット奏者で、イブラヒムと一緒にデュオを組んでヨーロッパで演奏活動をおこなってきた。イブラヒムは父が開発した4本のピストンバルブを持つ特殊なトランペットを用い、それによってアラブ音楽特有の微分音を表現することが可能となった。そして、アラブ音楽をジャズや西洋のポピュラー音楽と結びつけ、独自の表現をおこなう音楽家である。2007年のソロ・デビュー作『Diaspora』は、そうしたフランスにおけるレバノン人のディアスポラとして、イブラヒムのアイデンンティティを強く打ち出した作品だった。その後、ロック、ファンク、ソウルなど西洋音楽に接近した『Illusions』(2013年)、アロルド・ロペス・ヌッサ、アルフレッド・ロドリゲス、ロベルト・フォンセカらキューバのミュージシャンと共演し、ラテン色が濃厚となった『S3NS』(2019年)、デ・ラ・ソウルと共演するなどヒップホップを取り入れた『Capacity To Love』(2022年)と、作品ごとにさまざまな色を出すイブラヒム・アマルーフだが、いつも根底にはアラブ音楽がある。

 『Capacity To Love』から2年ぶりの新作『Trumpets of Michel-Ange』も、彼ならではのアラブ音楽と西洋音楽との邂逅が見られる。『Trumpets of Michel-Ange』とは「ミケランジェロのトランペット」ということだが、ルネッサンスの偉大な芸術家にちなむと共に、ナシム・アマルーフが開発した4分音のトランペットを普及して広めようという教育プロジェクトの名称としても用いられる。今回はゲストにニューオーリンズのトロンボーン奏者で、ジャズ、ファンク、ロック、ヒップホップと縦横無尽に活動するトロンボーン・ショーティー、デトロイトのダブル・ベース奏者のエンデア・オーウェンズ、マリのコラ奏者として世界的に活躍し、去る7月19日に逝去したトゥマニ・ジャバテ、その息子のコラ奏者/シンガー/プロデューサーのシディキ・ジャバテらが参加。イブラヒムは2022年にアンジェリーク・キジョーとの共作『Queen Of Sheba』をリリースし、そこではアフリカ音楽とアラブ音楽との融合を試みていたのだが、『Trumpets of Michel-Ange』もかなりアフリカを意識した作品と言えるだろう。“The Proposal” や “Love Anthem” は哀愁漂うアラブの旋律にアフロ・ビートをミックスし、中東フォルクローレの舞踏音楽の系譜を受け継ぐ作品となっている。トロンボーン・ショーティーをフィーチャーした “Capitals” はさらにアップテンポのダンサブルなナンバーで、ビデオ・クリップのライヴ映像ではダンサーも登場して盛り上がる。ライヴ映像を見るに、今回の録音はブラスバンド的な編成で、オーバーダビングは一切用いていない。また、イブラヒムのバックで演奏するトランペット隊もすべて4分音トランペットを用いており、それが迫力のあるブラス・サウンドを作り出している。


Jaubi
A Sound Heart

Riaz

 テンダーロニアスのアルバム『Tender In Lahore』、『Ragas From Lahore』(共に2022年)で共演し、その後『Nafs At Peace』(2021年)でアルバム・デビューしたジャウビ。パキスタンのラホール地方出身のグループで、アリ・リアズ・バカール(ギター)をリーダーに、ゾハイブ・ハッサン・カーン(サーランギー)、カマール・ヴィッキー・アバス(ドラムス)、カシフ・アリ・ダーニ(タブラ、ヴォーカル)という4人組である。もともとはパキスタンや隣接する北インドの古典伝統音楽などをやっていたが、テンダーロニアスなどとの共演からジャズやジャズ・ファンクをはじめとした西洋音楽にも傾倒していく。『Nafs At Peace』にはテンダーロニアスも参加し、北インド地方固有の音楽をジャズやジャズ・ファンクで解釈した作品となっていた。3年ぶりの新作『A Sound Heart』もテンダーロニアスが参加しており、カマール・ヴィッキー・アバスが抜けた代わりにルビー・ラシュトンのドラマーのティム・カーネギーも加入。テンダーロニアスの周辺では同じくルビー・ラシュトンのメンバーのニック・ウォルターズも参加し、ほかにオーストラリアの30/70からヘンリー・ヒックス、ポーランドのEABSからマレク・ペンジウィアトルが参加し、より広がった世界を見せる。

 『A Sound Heart』というアルバム・タイトルはイスラム教のコーランの一説に触発されたもので、神への愛を描いたものとなっている。また、収録曲である “A Sound Heart” はビル・エヴァンスにインスパイアされた美しいピアノ曲(ピアノだけでなくテンダーロニアスのフルートや、ゾハイブ・ハッサン・カーンのサーランギーも素晴らしい)であるが、アルバムでは随所にジャズの偉大な先人たちに捧げられた曲がある。ウェイン・ショーターへ捧げた “Lahori Blues” は、1960年代後半のショーターを想起させるブルース形式のモード・ジャズ。ちょうどショーターや、彼の参加したマイルス・デイヴィス・カルテットの演奏で知られる “Footprints” に似たところがあるが、ジャウビの方はサーランギーによるエキゾティシズム溢れる演奏が異色である。変拍子によるジャズ・ロック的な “Wings Of Submission” においてもサーランギーが印象的で、ほかのグループには無いジャウビのトレードマークになっていると言えよう。“Chandrakauns” はタブラを交えたリズム・セクションが北インド的で、テンダーロニアスのフルートやキーボード、シンセなども相まって全体的に不穏で抽象性の高い演奏を繰り広げる。“Throwdown” はブルージーなギターが導くクールなジャズ・ファンクで、カマール・ウィリアムズに通じるような作品。パキスタンとサウス・ロンドンが邂逅したような1曲と言えよう。


Allysha Joy
The Making of Silk

First Word / Pヴァイン

 メルボルンのソウル~ジャズ・コレクティヴの30/70のリード・シンガーとして活躍するアリーシャ・ジョイ。ソロ活動も活発に行っていて、『Acadie : Raw』(2018年)、『Torn : Tonic』(2022年)に続く3枚目のソロ・アルバム『The Making Of Silk』をリリースした。30/70のドラマーであるジギー・ツァイトガイストやキーボード奏者のフィン・リース、ハイエイタス・カイヨーテでバック・コーラスを務めるジェイスXLといったメルボルン勢のほか、サウス・ロンドンからギタリストのオスカー・ジェロームや、ブラジル出身のコンガ奏者のジェンセン・サンタナ(彼はヌバイア・ガルシアの『Odyssey』にも参加する)といったメンバーが録音に加わっている。これまでのソロや30/70の作品の延長線上にある作品集と言え、ジャズとソウルやファンク、そしてクラブ・サウンドが融合した世界を聴かせる。

 〈CTI〉時代のボブ・ジェームズのサウンドを想起させるメロウでスペイシーなジャズ・ファンク “nothing to prove”、かつてのウェスト・ロンドンのブロークンビーツを想起させるリズム・セクションとメロディアスなコーラスがフィーチャーされた “dropping keys” と、フェンダー・ローズを軸としたサウンドとハスキーなアリーシャ・ジョイのヴォーカルは今回も素晴らしいマッチングを見せる。コズミックなシンセがエフェクティヴな効果を上げる “raise up” では、後半のアリーシャのスキャットが鍵となり、オスカー・ジェロームのギターをフィーチャーした “hold on” では、アリーシャの歌からアーシーでレイドバックしたフィーリングが溢れ出す。

interview with Sonoko Inoue - ele-king

落ちこぼれの馬鹿馬鹿しくも切ない暮らし
忘れられない覚えられない
落ちこぼれの馬鹿馬鹿しくも愉しい暮らし
忘れられない でも覚えられない
くだらないったら ありゃしない
(“ありゃしない”)

 アコースティック・ギターを抱えて生活について歌うことはフォークのひとつの型であり、井上園子はその伝統を現代の日本において受け継いでいるシンガーソングライターだ。ブルーグラスやカントリーに影響を受けたその音楽性は、ギターを始めてそれほど長くないというのが意外に思えるほどすでに滋味深さを獲得しているが、しかし、歌われる風景自体は必ずしも穏やかなものばかりではない。日本の都市の片隅で見落とされている「落ちこぼれの暮らし」にあるわびしさ、悔しさ、みじめさ……そんなものが率直に描かれている。
 弾き語りの一発録りで制作されたデビュー作『ほころび』は、アコギ1本でおこなうことが多い現在のライヴ活動のありのままを反映したものだという。ときにラフさを隠さない演奏が心地よさだけではない緊張感を呼び、飄々とした歌声は不意に痛切さをこぼしてみせる。その緩急の妙味を体験できる一枚だ。
 それは言葉においても同様で、日々の生活におけるささやかな喜びや切なさが綴られる一方で、生々しく獰猛な感情が姿を現すこともある。孤独の情景がたんたんと語られる“三、四分のうた”、劣等感がにじむ“ありゃしない”、うら寂しい瞬間を切り取った“漫画のように”。それに、ユーモアや毒もある。「綺麗な服着たおやじども」に悪態をつく“きれいなおじさん”の率直な怒りに、痛快さを覚えるリスナーも多いだろう。
 それでも、一般的な常識から外れた美学を持って生きる人びとに敬意を捧げる“カウボウイの口癖”がそうであるように、『ほころび』では小さな人間同士の交感もまた、たしかに歌われている。何もかもが慌ただしい現代において、ほころびを悪いものではなく、慈しむものとして捉える感性をフォーク/カントリーの伝統から自然と吸収した歌なのだ。

 マイペースな活動を続ける井上園子に話を聞いた。「私は私をうたうだけ」とデビュー作で宣言している彼女は、これからもそうすることだろう。

ブルーグラスであれば何でも好きなんですけど、たとえばディラーズなんかは探れば探るほど面白いですね。

デビュー・アルバムをリリースした心境はいかがですか。

井上園子:あまり変わらないです。

プレッシャーも感じずに。

井上:そうですね。本当はもっと感じたほうがいいのかもしれないですけど、いつもと変わらない穏やかな日々を過ごしています。

ではバックグラウンドからお聞きしたいのですが、子どもの頃はどういう音楽を聴いていたんですか。

井上:自分で選ぶというよりは、そこにあるものを聴いていた感じです。両親やきょうだいが聴いているものをお下がりとして聴いてきたイメージです。

そのなかでとくに好きだったものはありますか。

井上:母が好きだったオジー・オズボーンを聴いていました。チャットモンチーやaikoも聴いてましたね。ヒップホップもアイドルも聴くし、アメリカン・ルーツがあるものも聴くし、雑種な感じでした。

子どもの頃からアメリカン・ルーツ的なものも耳に馴染んでたんですね。

井上:父が好きだったので。

ひとりが作ったものを何百人も何千人ものひとが口癖のように唱えられること、時間をかけてひとの記憶に入りこんでくることは、パッと出のものにはない温かさがあるんじゃないかなと思います。

ブルーグラスのライヴ・カフェ&バーでアルバイトをされていたとのことですが、ブルーグラスのどういうところに惹かれたのだと思いますか。

井上:決められたトラディショナルな音がずっと続いていくところや、弦楽器のテンプレート化されたフレーズの技術的な部分がすごく心地よかったです。

ある種、様式化されたものに惹かれるという。

井上:そうかもしれないです。

バイトをされていたという茅ヶ崎の〈STAGECOACH〉というのは、どういう雰囲気のお店だったんですか。

井上:ブルーグラスやカントリーを演奏する老舗で、年齢層も上の方が集う喫茶クラブみたいなところです。

ギターもそこで始められたとのこですが、ギターは楽器としてすぐにしっくり来る感じだったんですか。

井上:いや、いまだにそんな感じは全然ないですね。

そんななかで、ご自身で曲を作るのは自然な流れだったのでしょうか。

井上:自分ではそういう感情はなかったんですが、周りから「やってみなよ」と言われたのが一番大きい理由だったと思います。

曲作りをしていくなかで、とくにインスピレーションだったり影響だったりを受けたものはありましたか。

井上:ずっと聴いてきたものなので、トラディショナルやブルーグラスには少なからず影響を受けていると思います。ブルーグラスであれば何でも好きなんですけど、たとえばディラーズなんかは探れば探るほど面白いですね。

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「ほころぶ」って素敵なことなんだなと感じたんです。大事にした結果がほころぶってことなのかなと思えて、すごく好きな言葉です。

では、アルバム『ほころび』についてお聞きします。弾き語りの一発録りというのは覚悟がいることだとも思うのですが、そうしようと決めたのはどうしてでしょうか。

井上:ライヴ活動でもひとりでやっていることがほとんどなので、バンドで繕えるほどまだ仲間がいないというのが正直なところですし、最初のアルバムは堂々と、粗が出るぐらいのほうがいいかなと思って弾き語りにしてもらいました。一発録りも、何度も録り直しても上手くならないので、いまあるものが前面に出たほうが自分らしいのかなと思ってそうしました。

一発録りのロウな感触もありますし、自分が『ほころび』を聴いていて感じたのは、生活について正直に歌っている弾き語りだなということでした。生活について歌うのは井上さんにとって意識的なことなんでしょうか。

井上:意識的にならざるをえないところもあります。そこにわたしの暮らしが全部あるので。でもそれが伝わっているなら、嬉しい気持ちもあります。ただ意識して暮らしているわけではないので、自然な形で歌になっているといいなと思います。

曲と歌詞はどちらが先にあることが多いですか。

井上:どちらも別々ですね。

というのは、アルバムを聴いて言葉のセンスが独特だなと感じたんですね。「キャリア採用」みたいな、弾き語りのフォーク・ソングに一見マッチしなさそうな言葉が出てくるのが面白いし、ユーモアや毒もありますよね。こういった言語感覚がどこから来たのか、思い当たるところはありますか。

井上:難しいですが、漫画だったり紙に印字されたものが好きなので、それはあるかもしれないです。長い文章というよりは、ひと場面で情景が浮かぶような短い言葉に全部が詰まっているものにすごく惹かれますね。

とくに好きな漫画はありますか。

井上:ギャグ漫画がすごく好きですね。落ちこんだときは絶対『浦安鉄筋家族』を読みます。

なるほど! ちょっと通じるところがある気がします。『浦安』のどういうところがお好きですか。

井上:あの世界観とかが全部好きですね。ちゃんと笑いで落ちる安心感も好きです。最高だよな、みたいな。

一方で、「この暮らしのカビ臭さ」、「落ちこぼれ」みたいな暮らしに対する生々しい言葉も出てきますが、これはもう率直に感じていることを書かれているのでしょうか。

井上:はい、何のひねりもなく、感じたことをそのまま書いています。

歌詞は直感的なものを書き留めて作っているのでしょうか。

井上:書き留めているものを、パズル的に組み上げている気がします。

とくに“きれいなおじさん”のような曲に感じますが、怒りは曲を作る原動力になりますか。

井上:はい。

普段、どういうところに怒りを感じますか。

井上:うーん……原因が基本自分のほうにあるのはわかってるから、やり場のない悔しさのほうが近いかもしれないです。悪いひとと悪くないひとがいて、理由がはっきりとあれば真っ当に怒れるんだろうけど、ほとんどの場合は自分にも原因があったり自分が不甲斐ないことが原因だったりするので、悔しさのほうが多いです。結果として怒りになるだけで、始まりは劣等感なのかなと思います。

とくに“ありゃしない”には劣等感や悔しさがあると思うのですが、一般的な意味で社会人として働いているひとたちと比べてそうしたことを感じられることはあるのでしょうか。

井上:あの歌詞を書いていた当時は感じていたと思います。

アルバムのなかでは“漫画のような”にも痛切さを感じるのですが、これはどのようにできた曲だったのでしょうか。

井上:“漫画のような”は先に言葉で言いたいことがあって、気持ちいいフレーズをつけていく作業をしていたと思います。

「ぼくら雑に積まれた本のようだね」というのが印象的ですが、何かこの言葉を書くきっかけはあったのでしょうか。

井上:すごく狭い部屋に住んでいて、物が増えると縦に積んでいくような状態で。それが何かのきっかけで崩れちゃったときにまた積み直すって作業をしているんですけど、これが正しい形じゃないのに積み直すのって何でなんだろうと思って。部屋が狭いからなのか、積んでいくことで整理されていると自分が勘違いしているからなのか。そういう雑に積まれた本というところから連想していって、恋人との付き合い方とか家族や友だちとの関わり方とかにもつながっていくんだろうなというのを考えて作りました。

なるほど、イメージ喚起的な。一方、“きれいなおじさん”はある意味ストレートに怒りが出ているようにも思うのですが、経験されたことを率直に書かれたのでしょうか。

井上:そうです。悪口を本人に言えなかったので書いたという、よくない形の曲ですね。

(笑)でも、痛快に感じるリスナーも多いと思いますよ。ただ、それが聴き心地のよい弾き語りフォークになるのも面白いと感じます。歌詞と音楽的なフィーリングのバランスについては考えられますか。

井上:歌っていて気持ちいいことに一番重きを置いているので、そこがそのまま曲に出ていますね。

“カウボウイの口癖”には粋な感じの描写がありますが、カウボウイというモチーフはどこから出てきたのでしょうか。

井上:自分のアルバイト先の〈STAGECOACH〉には、本当にカウボウイがいっぱいいるんです。ウェスタン・ブーツ履いてウェスタン・ハットかぶって、カントリーを歌う、本当に化石みたいなひとたちがいるところなので(笑)。そのひとたちの美学をずっと聞いて暮らしていたので、そのひとたちのカッコいい潔さを歌いたいと思って作った曲です。

そのカウボウイたちの美学において、とくにカッコいいと思われるのはどのようなところですか。

井上:日本人が戦時中の敵対国の英語の曲を歌うというのも、音楽やファッションとして何十年も好きでいるというのも、本当にカッコいいことだなと思います。

お話を聞いていると、ブルーグラスの様式美に惹かれるというのもそうですが、ずっと続くものに魅力を感じられる傾向があるのかな、と。

井上:いま思えば、あると思います。

それはなぜなのか、ご自身で分析することはできますか。

井上:なぜですかね……。ひとりが作ったものを何百人も何千人ものひとが口癖のように唱えられること、時間をかけてひとの記憶に入りこんでくることは、パッと出のものにはない温かさがあるんじゃないかなと思います。それがいい悪いではなく、とにかく残し続けるという。それを歌い継ぐひとがいるっていうのは、すごく素敵だなと思うことばかりなので、そういうところが好きなのかな。

(オジー・オズボーンは)声も歌い方もいいし、生きてるひとの歌だなと思います。

なるほど。『ほころび』というアルバム・タイトルはどこから出てきたのでしょうか。

井上:わたしは洋服をいっぱい持っているほうではなくて、一着をずっと着続けるタイプなんですけど、裾がほつれていくことがあるんですね。ロング・スカートが短くなっていくのを見て、いろんな意味で「ほころぶ」って素敵なことなんだなと感じたんです。大事にした結果がほころぶってことなのかなと思えて、すごく好きな言葉です。

リスナーにはどういう状況で聴いてほしいアルバムですか。

井上:ひとりでいるときにさっと聴けるものであってほしいですね。

よくわかりました。現在の活動についてもお聞きしたいのですが、バンドと演奏されるときはよりアメリカーナ的なサウンドを志向しているようですが、こうした音楽性はバンドとやりながら自然と決めていくのでしょうか。

井上:そうですね。プレイヤーのひとたちが好きでわたしは呼んでいるので、彼らが思った通りにやってくれるのを聴きたいと伝えています。

バンドとやるときの楽しさをどんなところに感じますか。

井上:定型文がないから、みんなの感情が音で見えるのにワクワクしますね。

一発録りについてもそうですし、音楽において事故や偶然起こることに惹かれるほうなんでしょうか。

井上:事故はないに越したことはないんですけど、それも楽しめるようにわたしはひとりでいるので。

活動していくなかで、共感するミュージシャンと出会うことはありますか。

井上:はい。望んでひとりでやっているひとには興奮しますよね。

それは井上さんご自身もひとりでやっていきたい気持ちが強いからですかね。

井上:ひとりでやっていると、自分が出したものがすべてだから。バンドとかだと、「本当はもっとこうしたい」みたいな意見がひとそれぞれであるけど、それをひとりで表現できるのは一番原始的だし、一番精巧な形だと思うと言うひとがいたので。

ということは、今後の活動もひとりで背負っていきたいという感じでしょうか。

井上:うーん、楽しいことはどんどんやっていきたいですね。いまはとにかくギターを触っている時間が楽しいです。

一方で、歌うことは井上さんにとって自然なやことだったのでしょうか。

井上:いえ、あまり歌ったことはなかったですね。声が低かったりで、恥ずかしいと思っていたので。

とくに好きなシンガーっていますか。

井上:いっぱいいます。やっぱりヘヴィ・メタルとか、オジー・オズボーンです。

本当にオジー・オズボーンがお好きなんですね(笑)。どういうところが好きですか?

井上:全部ですね。声も歌い方もいいし、生きてるひとの歌だなと思います。

なるほど、ブルーグラスとオジー・オズボーンが両方根っこにあるというのが面白いですね。ご自身はこれから、どういったミュージシャンでありたいと思っていますか。

井上:無理をせずに、本当にやりたいことをやっていくことがわたしは素敵だと思うので、そうありたいと思っています。


MODE AT LIQUIDROOM - ele-king

 去る6月の「MODE 2024」、草月ホールに入ったときには、すでにヴァレンティーナ・マガレッティは最後の3曲くらいで(そのあと出演した坂田明が圧倒的だったとはいえ)、ほんとうにもったいないことをした。イタリア出身でロンドン在住のこの女性ドラマーは、いろんなプロジェクトでいろんなことをしていて、今年は、Holy Tongueのメンバーとしてシャックルトンとの共作アルバムを〈AD93〉からリリースし、そしてつい先日は〈プリンシペ〉のニディアとの素晴らしい共作アルバムを出したばかり。Toneglowに載った彼女のインタヴューの悲観的な予想によれば、AIに頼った未来の音楽シーンではDJは絶滅し、生楽器による生演奏が最後のアートになるという。9月21日の「MODE」の会場リキッドルームに到着すると、だいたい通常のライヴではお約束としあるBGM(ないしは前座DJ)のいっさいがなかった。開演前も転換の時間も、ただ場内のざわざわした音があるだけで、それがなんか妙に新鮮に思えたりもした。しかも、その夜出演したStill House Plantsもgoatも、生演奏の生ドラムのバンドだ。


素晴らしきスティル・ハウス・プランツ

 少しばかり気が早いが、この夜のライヴが今年の自分にとってのクライマックスだと思っていた。そして、期待以上のものがあった。最初はSHPだった。なにげに3人は登場し、音を出したと思ったら演奏がはじまった。それは不規則さの自由というか、ドラムとギターとヴォーカルのみでできることの驚くほどの展開をみせるものだった。フィンレイ・クラークのギターとデイヴィッド・ケネディのドラムとのコンビネーションは、ほとんど奇数拍子、変拍子のリズムにおいて、即興的だがあり得ないほど決まるところが決まっている。ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのジャズやブルーズを押しつぶしたようなヴォーカリゼーションが、その空間を自由に出入りする。ディス・ヒートが普通のロック・バンドに聴こえるほどSHPは変幻自在に屈折しているし、しかもそこにはブラック・ミュージックにも通じる艶めかしさがある。最初の2曲を聴いた時点で、ぼくの涙腺は緩んでしまった。
 いっぽうのgoatと言えばその逆で、ドラムとパーカッションによるまったく規則正しいリズムが重なりあうなか、いっさいのメロディを排したサックスとギターがベースと共鳴し、やがてそれぞれが結合すると、どこか『オン・ザ・コーナー』めいた、しかもじつに推進力のあるサウンドが創出される。その奇妙な迫力は、人間よりもメトロノームに近づこうとしたCANのようなミニマリズムをさらに徹底的に、機械よりも正確にやろうとして生じるものかもしれないし、メロディをまったく排したそのサウンドから立ち上がる無機質さとリズムのすさまじい躍動感との調和が発するものかもしれない。
 それにしても、BGMもMCもアンコールも(そしてCGも動画も)ないシンプルな照明のなか、極めて独創的なサウンドを持つこのふたつのバンドで、リキッドルームが身動き取れないほど超満員になったことにも希望が持てる。ぼくにとって今年のベストなライヴどころか、ここ10年のなかでもベストな体験だった。


オーディエンスをダンスさせたゴートの圧倒的なライヴ。

Jan Urila Sas - ele-king

 Riki Hiadakaの唯一無二のリリースで知られる広島の〈Stereo Records〉からの新作は、激烈なノイズ作品。作者はjan and naomiのJan Urila Sas。ノイズであり、サイケデリックな領域へと突き抜けるサウンド・コラージュであり、Janらしい官能性をともなった轟音だ。サウンドで頭を吹っ飛ばされたい方はぜひチェックしよう(限定300枚プレス)。
 以下、レーベル資料から。

 jan and naomiやGREAT 3、GODでも活動するアーティスト、Jan Urila Sasが6年の歳月をかけて生み出したレコード作品。ラップスチールにインダストリアルな改良を加えた(半)自作楽器「清正」を用い録音された4曲はいずれも光と影が混濁し、本人が制作時にイメージしていたという冥界とこの世の狭間の世界を思わせます。 様々な電気信号から発せられるノイズに満ちた音塊は一聴するとその痛烈な凶暴性が前景化しますが、その中にふと垣間見える優しさと暖かさ、哀しみは本作の代えがたい魅力のひとつになっています。 そして、20世紀前夜に生まれた音楽の原始主義を思わせるほとばしるようなエネルギーは、Jan Urila Sasの制作への関心や意欲が飽くなきものであることを窺わせます。ジャケットはデザイナー・須山悠里によるもの。具象と抽象の間をいくようなモノクロのイメージをあしらった、レコードに刻まれた音と呼応する質感を持ったものになりました。


Jan Urila Sas
Utauhone

STEREO RECORDS
10月7日(月)発売
4.400円(税抜)/ LP(180g重量盤)

※なお、11月にはライヴもあります。

Jan Urila Sas 「Utauhone Release Concert」
会場:Shinjuku Space
https://space-tokyo.jp/
日時:2024年11月21日(木)
時間:19:00 開場 / 20:00 開演
料金:
前売1,500円+1D(700円)
当日2,000円+1D(700円)
チケット予約
チケット予約
https://space.zaiko.io/item/367134

interview with Tycho - ele-king

 ISO50という名義でヴィジュアル・アーティストとしても活動するティコは、DJシャドウやボーズ・オブ・カナダなどからの影響のもと2002年に「The Science of Patterns EP」でデビュー。トリップホップやエレクトロニカ、IDMのような風合いに郷愁を加えたようなフォーキーな作風が次第に話題を集め、2011年作の『Dive』、2014年作の『Awake』、2016年作の『Epoch』の三部作が00年代後半から10年代初頭にかけて巻き起こったチル・ウェイヴ・ムーヴメントとともにドリーム・ポップの秀作として一定の支持を集めた。この時期にソロ・プロジェクトから実質的にバンド・サウンドへと移行していき、よりスケール感の大きいクリアな音像を志向するようになる。

 文化的な刺激を際限なく求め続けていくと、遅かれ早かれどこかのタイミングで「健康」というものを軽視してしまいがちになる。もちろん自分もそのひとりだ。ある種のワーカホリック状態であることは薄々わかってはいるものの、ゆっくりすごしてじっとする方法は体力的な限界、つまりバッテリー切れを待つことのみで、適度に健康的な息抜きを楽しむような時間も余裕もパンデミック以降は失ってしまった。とはいえ、より長く音楽や文化(とそれにまつわるほどよい刺激)を楽しむためには、やはり捨て置いた健康についてどこかで再考の機会を設けないといけない気もする。

 そんななか、ティコがパンデミックを脱した2024年の晩夏に、約4年ぶりの新作『Infinite Health』をリリース。タイトルを直訳すると「無限の健康」という、いままでのディスコグラフィとは若干毛色の違うキーワードが飛び出した。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーとして迎え、出発地点であるエレクトロニカやチル・ウェイヴの持つおぼろげな質感のみを引き継ぎつつ、よりクリアで写実的な、生の音像を追求することを目指したアルバムとなった。従来の陶酔感あふれるダウンテンポな作風からモードを一新し、全9曲中7曲のBPMが110~130というダンサブルなつくりとなっていることも特徴的で、イタロ・ディスコの香りもただようインディ・ダンス風味の作品として自身のディスコグラフィに新風を吹きこんでいる。実際、近年はティコ名義ではいままで挑戦してこなかったDJセットにも意欲的なようで、音楽の原体験がダンス・ミュージックであり、かねてから影響を受け続けているとも公言している。いわば、パンデミック下で自身の生活を見つめなおすとともに、改めて原点に立ち返ろうとした作品であるとも考えられる。今回ele-kingでは、コロナ禍のタームを通りすぎ健康や日常生活へも意識を向けはじめたスコット・ハンセンに、久しぶりに話をうかがった。

やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。

通訳:お元気ですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):元気だよ。いまはちょうどツアーに出発するところで、倉庫から荷物をおろして、バスに荷物を積み込んだところなんだ。

忙しいなか、お時間をつくっていただきありがとうございます。現在も引き続きお住まいはサンフランシスコですか? 東京は猛暑で大変ですが、そちらはいかがでしょう。気候変動の影響はありますか?

SH:いや、いまは湾を渡ってオークランドの近くに引っ越したんだ。オークランドに引っ越したのは家庭を築いて子どもができたから。子どももいるし、もう少し広々とした場所で、親の近くに住んだ方がいいと思ってね。オークランドの気候はサンフランシスコと比べると最高。世界で一番良い気候なんじゃないかってくらいだね。いつも暖かくて、だいたい21度くらい。毎日いい天気だし、暑すぎることはないし、寒すぎることもない。サンフランシスコはいつも寒くて風が強くて、天気がいい日は年に数週間しかないからね(笑)。

2020年の前作『Simulcast』から少し間が空きましたね。この間にはもちろんパンデミックがあったわけですが、この4年のあいだにあなたの人生でなにか大きな変化はありましたか?

SH:やはり一番の変化は家庭を持ったこと。物事に対する考え方が変わったし、ワーク・ライフ・バランスも変わった。あともちろん、コロナがきっかけで立ち止まり、この10年間がどんな時間だったか、そしてこれからの10年間はどうであるべきか、自分は音楽をどんなふうに人に聴かせたいかを考えるきっかけができた。あの期間は、自分のキャリアを一時停止して、ただ人生に集中し、ひとりの人間として自分が将来どうありたいのかということと仕事の折り合いをつける、ほんとうにいいきっかけになったと思う。

新作『Infinite Health(無限の健康)』に寄せたメッセージでは、「我々にほんとうに必要なのは肉体的、精神的に健康でいることであり、誰もが家族や友人が永遠に健康であることを願う」とおっしゃっていましたね。ご自身や家族、友人たちの健康へと意識が向かうようになった出来事がなにかあったのでしょうか?

SH:さっきも少し話したけど、やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。2010年から2020年までの10年間は音楽とキャリアに集中していたから、心身の健康が後回しになっていたんだよね。その期間はその期間で、音楽と自分のキャリアを結びつけ、それを優先させるいい機会だったとは思うけど。でも全体的に見れば、それは束の間のものでもある。肉体的であれ精神的であれなんであれ、いまこの瞬間に健康でいるからこそそれができるわけで。パンデミックを通して、最もポジティヴな影響を人びとに与えるためには、まずは最も強い自分である必要があると思うようになった。そこで、仕事とバランスをとろうとしたんだ。そのほうがうまくバランスがとれて健康的だからね。ぼくはちょっと仕事が好きすぎる傾向があるから(笑)。

健康のためになにかしていることはありますか?

SH:肉体的にも精神的にも、より健康的な自分になるために必要なこと、そして家族のために必要な人間になるためにやるべきことに、もっと耳を傾けるようにしている。だから、エクササイズに集中したり、仕事から離れて普通の人たちと同じことをする時間をつくったりして、仕事や音楽に没頭しすぎないようにしているんだ。そしてそれと同時に、音楽に費やす時間を最大限に活用して、最高の音楽をつくるようにしているよ。

過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。

新しいアルバムは、インディ・ロックのギター・サウンドとイタロ・ディスコの融合といえそうです。今作は「自分たちのルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしよう」というのがコンセプトだったそうですね。

SH:ロックの要素をより多くとりこむ方向には前から動いていたんだよ。そしてこのアルバムでは、もっとエネルギッシュでダンスっぽい方向にも向かいたかった。それが最初のアイデアだったんだ。今回は、できるだけ違うサウンドのアルバムをつくろうと思ってね。プロデューサーとして、ミュージシャンとしてどんなに頑張っても、ぼくには声があって、いつもぼくらしい音になってしまう。だからこのアルバムが根本的に違っているとは思わないし、ティコとして認識できなくなるようなサウンドだとも思わない。自分たちらしさを消したいとも思わなかったし、今回のアルバムは馴染みのサウンドを残しながらも進化を感じさせたり、新しい方向へ導いてくれるような作品にしたかったんだ。

通訳:こうした方向性に舵を切ったきっかけ、インスピレーションはなんでしたか?

SH:インスピレーションがあったというよりは、ぼくは長い間、このサウンドとアイデアを追い求めていたんだ。でもそこからちょっと一休みして『Weather』をつくった。あのアルバムは、音的には同じような感じだったけど、ヴォーカルを加えたことで、ちょっと違う実験的な作品になったと思う。そしてそのあと、また長い休みをとった。で、もしインスト・アルバムに戻るなら、そのときはちょっと違う視点からアプローチする必要があると思ったんだ。

今作の制作中、とくによく聴いていた音楽はありましたか?

SH:正直、音楽制作をしているときはあまり音楽を聴かないんだ。長い一日を音楽制作の作業に費やしたあとは、耳を塞ぎたいくらいだからね(笑)。でもここ数年でもっと多くのことをやるようになったと思うし、そのひとつがDJセット。だからダンス・ミュージックが音楽に大きな影響を与えているのはたしかだと思うね。でもまあ、ダンス・ミュージックからは常にインスパイアされてきたし、自分が音楽にハマったきっかけもダンス・ミュージックだったけど。でも、今回のアルバムに収録されている曲は、なにか特定の音楽を参考にできあがったものではないと思う。

バンド・サウンドとダンス寄りのエレクトロニック・ミュージックを融合させるうえで、とくに意識していることはありますか?

SH:意識していることは特にはない。ただ純粋にエレクトロニックなものを用いてひとりでつくった曲もあれば、ザック(・ブラウン)と一緒につくった曲もある。最終的には25曲くらいできたんだけど、そのなかからバランスよく、ダイナミックでいろいろなタイプの曲が入ったアルバムになるように選んでいった。まずたくさん曲を書いて、それをどう組み合わせるかを考えていったんだ。

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今回、共同プロデューサーにグリズリー・ベアのクリス・テイラーを迎えた理由を教えてください。彼とはどのような経緯で出会ったのでしょう?

SH:ぼくがグリズリー・ベアの大ファンだから(笑)。ぼくにとって、とくに『Painted Ruins』は音的にかなり惹きつけられるアルバムなんだ。まず自分にとってお気に入りのアルバムをリスト・アップしてから、そのアルバムを誰がミックスしてプロデュースしたかを調べていたら、クリスが『Painted Ruins』だけでなく、そのリストに載っていたほかの作品のエンジニアとプロデュースも手がけていたことがわかってさ。そこで彼にコンタクトをとってみたんだ。そしたら、幸運にも彼も一緒に仕事をすることに興味を持ってくれた。彼と一緒に仕事をした経験からはほんとうにインスパイアされたよ。

通訳:それまでクリスに会ったことはなかったんですね。

SH:というか、いまだに彼と会ったことはない(笑)。彼はバルセロナに住んでいるから、すべての作業をリモートでやったんだ。最終的には会おう、と最初は話していたんだけど、結局同じ部屋で作業するということはぼくたちにとって必要なことではなかった。個人的には、ある意味あの電報のやりとりのようなやり方がアルバムの仕上がりにいい影響をもたらしたと思う。リモートで作業したおかげで、彼のミックスを何度も時間をかけて聴いて、じわじわと理解することができたからね。

今回、彼が果たした役割を教えてください。バンド・メンバーとクリス・テイラーと、どのようなプロセスで制作を進めていったのですか?

SH:彼は、ほんとうにアグレッシヴな中音域を持っている。ぼくは彼の中音域の扱い方が大好きなんだ。ぼくは中音域の高音が大好きで、それを押し出すのも好きなんだけど、それをやろうとすると荒々しく醜いサウンドになってしまう。でもクリスはその周波数帯域と特別な関係を持っていて、押し出し方がうまいんだ。ドラムの扱い方といい、その他色々、彼はサウンドを駆り立てながらも、有機的で心地よい空間へと押し込んでいく。そして、そのサウンドに新しい命やエネルギーを与えるんだよ。それこそがぼくが求めていたものだった。彼には、エレクトロニックな要素をとりいれつつも、そのサウンドをロックやインディ・ロック・バンドがシンセサイザーやギターを扱うように扱って欲しかったんだ。彼はそれを得意としているからね。

ちなみに、グリズリー・ベアないしクリス・テイラーの作品ではどれが一番お好きでしょうか。やはり『Painted Ruins』ですか?

SH:そうだね。あれは傑作だと思う。ミックスの仕方、ベースの音、ドラムの音、すべてが調和している。ほんとうに美しい作品だと思うね。

全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。

今作のテーマは「未来への希望と過去へのレクイエム」だそうですね。ここでいう「過去」とはどのようなものでしょうか? たとえばあなた個人にとっての過去、これまでの作品だったり、あるいは若いころのことですか? それとも、より広い社会的なことだったり流行だったりを指しているのでしょうか。

SH:過去と折り合いをつけて、過去と和解することがテーマなんだ。そして過去のことで後悔したり、自分を追い詰めたりしないこと。それはほんとうに重要なことだと思う。ぼくにとってのここ10年間は、ただただクレイジーで、あっという間だった。だから、いまになってそれを振り返り、すべてを理解しようとするのは難しいんだ。でもその代わりに、これから先もっと良い結果を出すことがほんとうに重要なことだと思うようになった。過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。もしぼくが過去や未来にとらわれすぎていたら、いまこの瞬間もきっと集中できていなかったかもしれないし。ぼくはノスタルジックな人間で、過去を振り返りがちなんだ。もちろん、過去から学ぶべきことはたくさんあると思うし、反省する必要もあると思う。でも、それをやりすぎるのはあまり健康的ではないと思うんだ。

最後の曲は “Epilogue” というタイトルです。これはシンプルに、この新作の最後の曲という意味でしょうか。2006年に〈Merck〉からリリースされたファースト・アルバムは、シェイクスピアを引用し、『Past Is Prologue』と題されていましたが、それと呼応していたりしますか?

SH:そう。あのアルバムがはじまりで、このアルバムがひとつの終わりのような気がしたから最後のトラックを「Epilogue」にしたんだ。全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。次につくる作品は、今回のものとはまったく違うものにしたいから。『Weather』のときみたいに、また新しいなにか、これまでにつくったことのないものをつくってみたい。そういう意味で、今回のアルバムは、一つの時代全体の締めくくりみたいに感じられたんだよ。

今年は、ファースト・アルバム『Past Is Prologue』のもとになった『Sunrise Projector』(2004)からちょうど20周年です。この20年を振り返ってみて、いちばん大きな転機はどこにあったと思いますか?

SH:音楽がぼくのキャリアになり、生活するための仕事になったことは、ぼくの人生におけるもっとも大きな変化だったと思う。この仕事にすべての時間とエネルギーを注げるようになって、ほんとうに充実した経験をさせてもらえていると思うね。

さまざまな問題にあふれている現代では、なかなか未来に希望を持ちづらい人も多いかと思います。ついついネガティヴになってしまいそうなとき、未来に希望を持つためのコツのようなものがあれば教えてください。

SH:それはとても大変なこと。近頃は皮肉屋になることは簡単だし、ぼく自身も時々そうなってしまってほんとうに落ち込むこともある。特に子どもがいると、希望を持てない未来を見るのは辛いしね。でも、SNSやニュース、メディアから自分を切り離すこと、そういったものをとりいれるにしても適度に保つことはできると思う。適度にとりいれる分には、SNSはとても助けになると思うしね。知っておく必要があることもあるし、避けられない現実もあるけれど、同時に、日常生活のなかではそれらを心に留めておくように最善を尽くす。それがすべてなんじゃないかな。未来のことを難しく考えすぎると、脳が爆発してしまう。だから、“いま”のことを考え、いま自分ができることをやっていけたらいいんだと思う。自分が無力だと感じるような、そして世界の問題の大きさを感じるような瞬間があるけど、ぼくはただ、音楽と、ミュージシャンとしてのぼくができることはなにかを理解し、それを通してポジティヴな影響を与えることができたらいいと思ってる。それが世界の問題を解決することになるとはもちろん思わないけど、自分ができることをやってその役割を果たし続けることができればそれで良いと思うんだ。それ以上のことを考えたって、どうすればいいか見当もつかないからね。そうして悲観的になってしまうよりは、いまできることを大切にしたほうがいいと思う。

新作のジャケットは、草原のなかに浮いている巨大な球体が印象的です。今回あなたはアートワークにも関与していますか?

SH:今回はフラン・ロドリゲスというアーティストを見つけ、彼と一緒にアートワークをつくったんだ。彼は写真コラージュのようなとてもクールな作品をつくっていて、ぼくが『Dive』時代にやっていたようなことをやっている。今回は70年代のアルバム・ジャケットのような、シュルレアリスム的な雰囲気がほしいと思ってその方向で行くことにしたんだけど、ぼくは彼の作品をかなり気に入ったし、そのアイデアには彼がぴったりだったんだ。できあがりにはかなり満足しているよ。

これまではオリジナル・アルバムを出したあと、リミックス・アルバムをつくるときとつくらないときとがありました。今回リミックス盤の予定はありますか? あるとしたら、いちばん参加してほしいプロデューサーはだれですか?

SH:つくりたいとは思うけど、まだそれについて考える段階にまで達していないんだ。だからいまのところ予定はない。でも、もしつくるとしたら、参加してほしいのはダスカス(Duskus)かな。あとはジョイ・オービソン。ぼくは彼らの音楽が大好きだし、彼らがリミックスでどんな仕事をするのか聴いてみたいから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

SH:こちらこそほんとうにありがとう。またね!

Mark Fisher - ele-king

 こんなご時世であるから、当たり前だ。いろんな国でいろんな人が、政治的良心を歌に、曲に託している。もうずいぶん昔から、60年代から、良いことを言っている歌、メッセージ、そういうものはたくさんある。そしてそういう曲に熱狂したりする。だが、そのすぐ直後にため息が出てしまう人もいる。これが続いてほんとに自分は楽な気持ちになれるのだろうかと。あるいは、その熱狂にいまいち冷めている自分を責めてしまう人もいるかもしれない。抵抗とか反抗とか、威勢の良い言葉にいまいち乗り切れない自分はダメなのかと思ってしまう人だっていよう。マーク・フィッシャーという思想家は、言うなればそうした「ため息」の意味を解明し、そうした「冷め」をどうしたら「ため息」なしの熱狂へと、どうしたらほんとうに人が楽になれるのかをとことん考えていった人だった。
 カウンター・カルチャーをお経のように何度も唱えることがカウンターでもなんでもない、いや、それこそじつは新自由主義のリアルであることはみんなもうわかっている。ひと昔前では雑誌がこうした文化をスタイリッシュに見せることに腐心したものだったが、過去を「すでに起きたもの」として語り直されること、懐古主義に還元されることは、あのとき爆発しようとしていた夢の力を無効化することであり、同時に、それは資本主義の新しい精神すなわち新自由主義に荷担することだ、とフィッシャーは考える。過去ほど安全なものはない。だいたい自由という概念は、パンクの歴史書『イングランズ・ドリーミング』にも書いてあるように権力の側に盗用されてしまったのだ。
 しかしながら、過去の語り直しのなかで、きわめて政治的に、あるいは反動的に、抑圧され、消去された、潜在的な可能性があるのではないか、かつて60年代的な抵抗文化を嘲笑する側にいたであろうフィッシャーは、労苦から解放される世界へと踏み出すための考察において、そう思い立った。そして、70年代とは、60年代の二日酔い、運動の縮小化、しらけの時代などという一般論をひっくり返し、じつはその地下水脈において継続された「カウンター」がより躍動した歴史的な瞬間を調査する。
 それは、若者のサイケデリック文化と呼ばれたものと労働者階級による労働運動という同じ時代を共有しながら反目し、乖離していたものをなんとか接続させることで、「60年代が新自由主義を生んだ」という定説を超えようとする試みである、とここでは言っておこう。集団よりも個人が大事という考え方を植え付けられる前にたしかにあった、「自由になりえたかもしれない世界」の亡霊をいま呼び起こすために。これがフィッシャーの未完の論考、その草稿となった「アシッド・コミュニズム」の入口だ。「資本主義リアリズム」が集団的不幸の理論であったとしたら、「アシッド・コミュニズム」は、そのアンチテーゼとなるべき「集団的精神構造」への未完の路線図だったとは訳者あとがきの説明である。この「アシッド・コミュニズム」という言葉を、フィッシャー自身も挑発的だが「ふざけた言葉だ」と自嘲するが、同時に「そこには真剣な狙いがある」と述べる。彼はそして、ビートルズとテンプテーションズのサイケデリックな瞬間(“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”と“サイケデリック・シャック”)を引っ張り出し、論を進めていく——。

 9月30日刊行の『K-PUNK:アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉・訳)にて、『K-PUNK』全三巻が揃う。既刊には、『夢のメソッド——本・映画・ドラマ』(坂本麻里子+高橋勇人・訳)、『自分の武器を選べ——音楽と政治』(坂本麻里子+高橋勇人+五井健太郎・訳)がある(全巻デザイン:鈴木聖/写真:塩田正幸)。これでマーク・フィッシャーの主要書籍は、すべて日本語訳になった。
 マーク・フィッシャーをなんとなくの印象で語ってしまう人は、彼の「資本主義リアリズム」を「うちら資本主義に支配されているし、資本主義ダメじゃん」、という程度の話だと勘違いしていることが多い。あるいは「世界の終わりは想像できても資本主義の終わりは想像できないよね」、とか。いや、そういう話ではなく、彼が強調したいのは、そういう風に思わされてしまっている「リアリズム」の話なのだ。「リアル」なものなど信用するな。フィッシャーが「サイケデリック」すなわち意識の変容をいまさらながら再訪することは、たしかにひとつの道筋としてある。
 『アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』の前半に掲載された、生前彼がメディアで受けたインタヴュー集には、語り言葉で「資本主義リアリズム」を説明しているがゆえにもっともわかりやすいガイドになっている。また、ここには『K-PUNK』においてもっとも炎上し、もっとも批判され、もっとも物議を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」も収録されている。SNSに見られるリベラルの過剰さ、近視眼的なアイデンティティ議論の洪水に疑問を呈している方には必読のエッセイで、これは訳者あとがきといっしょに読んで欲しい。

 つい先日、話題の『HAPPYEND』がいま封切り前の映画監督、空音央氏に取材した際、きっと好きだろうなと『K-PUNK』全三巻を持っていったら、「フィッシャーじゃないですか!」と思っていた以上に喜ばれてびっくりした。まったく、嬉しい驚きである。原書で『資本主義リアリズム』を読み、「ものすごく影響を受けている」とまでいう空監督は、『K-PUNK』も原書で読んでいたようだった。彼に限らず、マーク・フィッシャーが2010年代以降、若い世代にもっとも影響を与えた思想家/批評家のひとりであることは、これまでで計5冊の訳書を出した経験からもよくわかっている。ぼくといえばフィッシャーの、音楽をはじめ映画やドラマ、SF文学などの大衆文化のなかから、じつに示唆に富んだ言葉や政治性、そして考え方のヴァリエーションを独創するその名人芸にずっと惹きつけられていた。日本で最初にフィッシャーを引用したのはぼくだと思う。フィッシャーがまだ生きていたころ、Burialのライナーのなかそれこそ彼のブログ「k-punk」からの一節をつたない日本語訳で引用した。彼はまた、『Wire』においてマイク・バンクスにインタヴューした人物でもあった。ぼくは彼のその記事で見せたデトロイト・テクノ論にも魅了されていた(URが標的にした “プログラマー” こそ「資本主義リアリズム」なのだし、フィッシャーはURがフィクションを通じてメッセージを伝えることに共感を寄せていた)。
 フィッシャーは大衆文化にこだわった。労働者階級出身である10代の彼に、音楽こそが(高度な教育を受けていなければおおよそ出会うことのない)哲学や文学を教えてくれたからだ。フィッシャーが「資本主義を終わらせる」といういまではお決まりの科白ではなく、もちろん「労働を通しての自由」でもなく、「抑圧的な労働そのものからの自由」に向かったのも、彼が生涯を通じて不安定な経済状況のなかで生活してきたことも影響しているに違いない(『K-PUNK』は主にブログをまとめたものなので、そうした彼の生活感も垣間見れる)。前衛よりも大衆性の側に立とうとしたのも労働者が好む文化の肩を持ちたいからだろうし、しかし彼は単純化された物語に対する抵抗感も隠さず、「大いなる拒絶や異議申し立て」が時代の遅れのロマン主義であるという認識もあった。そんな手垢のついた「反抗」では「資本主義リアリズム」の時代に通用しない。もしくは、「オルタナティヴ」が資本主義文化とは相容れない「異なる生きたかのイメージ」としての文字通りの「オルタナティヴ」ではなく、「同じ生き方のなかの変人」の一種へと転じてしまうことも見逃さなかった。「オルタナティヴ」はそうなってはならない。あくまで、この社会とは相容れない「異」でなければ。フィッシャーは、研究と経験のなかで自分の思想を(それこそ過去の自分の言葉に執着せずに)修正し、執筆活動のなかでどんどんハードルを上げていった。「フィッシャーのヴィジョンに私たちはまだ追いついていない」、とホーリー・ハーンドンは語っているが、21世紀もそろそろクォーターに差し掛かっている現在、彼が残した診断がほとんど当たっている以上、その言葉はいまも未来への指針としての力を失っていない。(野田努)


K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図

マーク・フィッシャー(著)セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉(訳)


K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治

マーク・フィッシャー(著)坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎(訳)


K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ

マーク・フィッシャー(著)ダレン・アンブローズ(編)サイモン・レイノルズ(序文)坂本麻里子+髙橋勇人(訳)

interview with Jon Hopkins - ele-king

 サウナ・ブームがいまだにある程度の盛り上がりを維持し続けているのは結構なことで、むしろ安易に乗っかったような人たちが、あのダウナーな魅力に取り憑かれて残り続けているのだろうと想像している。そうすればもはや敵視する対象ではない。情報の過剰摂取で脳が肥え太っている我々には、あのような嗜好品類に頼らないセラピーの一時が必要なのだ。
 自分にとって銭湯やサウナなどの温浴施設に通うことは教会や告解室に向かう営みに近く、同年代の客層をほとんど見かけなかったブーム到来以前から十数年ほど続けている。とにかく落ち着きがなく衝動的で、不注意ゆえの失敗を幾度となく繰り返し、頭のなかは常にダンプ・データで埋め尽くされている自分を強制的に落ち着かせるためには、あらゆる情報をシャット・アウトして、裸になってゆっくり浴槽やサウナ室で過ごしたり、薄暗い休憩室でまどろんだりするほかに手がない。肩肘を張らずにメディテーティヴな一時を過ごし、深い落ち着きを得るための、自分にとって唯一と言っていい救済措置として長年助けられている。

 前作『Music For Psychedelic Therapy』でサイケデリクスによってではなく、アマゾンの巨大な洞窟での3泊4日ほど過ごした体験をもとにして、音楽そのものによって別の世界に到る手引きを試みたジョン・ホプキンス。ティーンエイジャーのころからすでにプロ・ミュージシャンとして活動をスタートさせていた彼は、その長いキャリアのなかで次第に瞑想やヨガといった体験を通し、カウンター・カルチャーのなかで生まれたサイケデリック・セラピーへの関心を示すようになった。2014年作『Immunity』ではインダストリアル気味なIDM~ベース・ミュージックとたおやかなエレクトロニカ~アンビエントが同居していたが、年を経るにつれてその比率は次第に崩れ、どんどんと静謐かつサイケデリックな質感へ傾いていった。

 最新作『RITUAL』は、前作に引き続き直球的な「儀式」というタイトルの名を関した全8章構成のフル・アルバム。ショート動画の隆盛によってただでさえ奪われていた人類の集中力はさらに悪化の一途をたどっており、音楽産業のセオリーも「より短く、より過剰に、より華美に」変化しつつあるが、そうした潮流に真っ向から反旗を翻すようなシームレスな作りとなっている。本作はホプキンス自身もそう言及しているように、むしろ41分のワン・トラックとして聴かれるにふさわしい機構を備えており、深く潜るような聴き方をすべき作品であると断言できる。

 さて、そんな『RITUAL』の着想源となったのは、2022年にホプキンスがロンドンで参加したストロボ効果で視覚刺激を引き起こす「ドリームマシーン (Dreamachine)」という装置を介しての集団的リスニング体験プロジェクトだという。Dreamachine、つまり「夢みる機械」というこの装置は光と音による深い没入感を参加者に与え、体験を経て生きることの意味を再考してもらったり、疲弊した心のケアの一助となることを目的としているようで、うっすら疑似科学的な匂いもしないではないものの、僕にとってのサウナ施設のように、そこでしか得られない安らぎもきっとあるのだろう。

昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

新作がリリースされて10日ほどが経ちますが、なにか嬉しいリアクションはありましたか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):世界中のいろんな都市で新作のリスニング・セッションをおこなっているんだけど、その反応がすごくよくてとても嬉しいね。たしかちょうどいま、モントリオールでやっているはず。バンクーバー、サンティアゴでもやったし、ロンドンでもやったんだ。結構激しい反応もあって、理屈抜きで受け取ってくれる人も多いみたいだ。素敵なコメントを見つけたんだけど、リリース当日にグループで集まって聴いてくれたようで、スタジオにキャンドルを灯して自分たちなりの儀式をしたらしい。まさにそういう反応を望んでいたから嬉しかったね。

「サイケデリック・セラピー」をテーマとした前作の背景には、エクアドルのアマゾンの洞窟で過ごした体験がありましたが、前作から今作のあいだに起こったことで、あなたにとって大きな出来事は何かありましたか?

JH:今回はそういう特定のアドベンチャーがあったわけではないんだ。外の世界ではなかったけど、自分の内なる世界では多くの冒険があったよ。アルバム冒頭部分は、僕も参加した「Dreamachine」というインスタレーションに影響を受けているんだ。本当の大きな変化は、それはおそらく以前よりもコラボレーターたちとの作業が増えたということじゃないかな。今作には友だちや素晴らしいミュージシャンたちが関わってくれていて、僕にとってはちょっとした旅のような経験だった。なにもかも自分だけでやってしまうのではなくて、より広がりのある作り方というか。素晴らしく励まされる経験だったね。創作中に壁にぶつかったり、なにかが自分の思っていた方向に進んでいないと感じたりしたときに、友だちやコラボレーターという頼もしい存在がいて一緒に考えてくれて。それであっという間に物事が前に進んだりして、作ることをより楽しめたよ。

いま言ったように今回のアルバムは、イギリス政府も資金援助している、「Dreamachine」というプロジェクトのために作曲した楽曲から生まれたものだそうですね。「Dreamachine」とは、複数人が共同で幻覚を体験するための装置のようですが、具体的にどういうものなのでしょうか?

JH:複数人での集団的リスニング体験で、参加者が目を閉じているところでストロボ・スコープの光が明滅するんだ。正確な理屈や理由は分かっていないけれど、光が一定の頻度で明滅すると人間の脳が様々な光景と瞑想状態を生み出して、明滅する速度によって見えるものが変わったり、人によって見るものが違ったりする。つまり本質的にはその人自身の心や脳の内容を見ているということ。非常に面白いプロジェクトで、今後も続いていくし、願わくば世界各地をツアーして多くの人に体験してほしい。僕にとってはこのアルバムの素晴らしいスタート地点にもなったからね。「Dreamachine」の仕事が終わったあとに、かなり方向性が変わったんだ。あのプロジェクトに参加できて本当に良かった。

ウィリアム・S・バロウズの著作はこれまであなたに影響を与えてきましたか?

JH:実は読んだことがなくて。あの世界についてはあまり知らないんだ。

いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作った(……)深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。

今回のアルバムのインスピレーションには「英雄の旅」もあるようですが、古代や神話にアイデアをもとめた背景には、現代文明における疲労が関わっていますか?

JH:面白いことに、僕の仕事のやり方は、実際にはなにかにアイデアを求めることはなくて、すべて直感で、自分のアイデアがどこから来ているのかはあまり考えない。でもアルバムを完成させたら、それを世界にどう提示するか、作ったものを言葉でどう表現するかを考えなければいけなくなるわけだ。本来はサウンドを言葉に翻訳する必要がないというのが理想だけどね。なぜならそのサウンドが物語のすべてだから、アルバムについて自ら進んで語りたいことというのはこれまでも特になかった。でも僕らが生きるこの世界ではそうはいかなくて、人びとはなぜ自分がそれに時間を費やすべきなのかを納得する必要がある。でも興味深いことに、作り終わってから追想する形で自分が深層心理的もしくは潜在意識下でなにを考えていたのか分析したときに、作品の流れが古典的な「英雄の旅」と同じだと気づいたんだ。ただ、たしかに古代であり神話ではあるんだけど、それは現代にも通じるどころか完全にいまのものでもある。多くのメジャー映画も本も同じストーリーの流れだからね。僕にとってはそれが内なる物語だったというか、勝てないと思う戦いで最後の最後で勝つとか、あるいは人生を捨てた放蕩者が後に自分の目的を再発見して本来の自分に戻って家に帰ってきたように感じるといったこと。古典的なものだけど、それが音楽に表れていたことが興味深かった。それは作り終わってから分かったんだ。
 我々は皆、さまざまな問題を抱えているわけだけど、それは人間がそこに住むべく進化してきたような世界に住んでいないからだと思う。これまで常に独自のペースで変動しながら自己改善していく自然なシステムの中で暮らしてきて、人間はそのほんの一部に過ぎなかったのに、なにもかもを科学と建物で塗り替えてしまい、極限まで人間が増えて動物が減り、その結果として人類は種としていまいろんな課題に直面しているんだと思う。だから、それに反抗するために僕らができる小さなステップのひとつは、深層にある動物的自己と意識に再びつながることだと思う。高尚なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、でもこのアルバムと前作で僕がやろうとしているのはそういうことで、一時的に失われたなにかに再接続してほしいという思いがあった。そういうエンパワメントの作品を作りながら、それが自分自身にも影響があって、作ったことで強くなったと感じられたからすごくよかったよ。

8月に公開された、『the Quietus』のお気に入りの12作を選ぶ名物企画「Baker's Dozen」で、クラスター&イーノ “Ho Renomo” を選んでいましたね。そこであなたは「わたしたちの注意はつねに攻撃にさらされている」「ほんとうに音楽に没頭できるかどうかは、携帯電話を部屋から追い出して、WiFiを切ることにかかっている」と仰っていました。今回8つのパートをシームレスにつないだのは、40分間、音楽に集中してもらいたかったからですか?

JH:もちろんそう。元々8つのパートに分かれていたわけではなくて、全部でひとつの作品だけど、契約上というか現実的、物流的理由で分けたまでで。だから本来は分かれていなくて、聴いてもらったとおり曲と曲の間に隙間がないんだ。僕はアーティストの仕事とは、もしアーティストとしての良心があるなら、自分がこの世界で聴きたいと思うものを作ることだと考えていて。その際には、いまの音楽の聴き方の枠組みから外れるものを作るリスクを取ることになる。いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作ったから、その結果として当然聴く人は少なくなるだろうけれど、より深いリスニング体験になることを願っている。今後は、より長い集中力を取り戻そうとする人がもっと増えるんじゃないかと僕は思ってるし、このアルバムも、深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。そこには時間を拡張する効果があって、聴いていると時間の経過かが分からなくなるくらいの素晴らしい冒険になる。だからこそ没入感のあるいい音で聴いてほしいし、そうじゃないとあまり意味がなくなってしまう。とにかくいろんな意味で“普通のアルバム”ではないから、ちゃんと体感したければ、普通のアルバムとはなにかってことを忘れた方がいいかもしれない。昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

前作リリース時のインタヴューの際、前作『Music For Psychedelic Therapy』は「アンビエントではない」と仰っていましたが、新作『Ritual』もやはりそう呼ばれるべきではない作品でしょうか?

JH:そうだね。アンビエントはブライアン・イーノ独自の定義を参考にしていて、それによるとアンビエントとは「無視できるけど注目すればそれに報いるもの」。あとアンビエントという言葉は、電子音楽のなかでも優しい感じのサウンドが多く使われているスタイルと結び付けられていると思う。それだけを取ってもこのアルバムはアンビエントとは言えないと個人的には思う。『Music For Psychedelic Therapy』はリスナーが生息できる音楽的構造物のようなもので、ゆえに深い没入型のリスニングをお勧めしたいし、それは自分を深く掘り下げるためのものであって、BGMではないしアンビエントとして聴かれるべきものでもない。『Ritual』はさらにそうで、非常にラウドで強いクライマックスがあって、作品全体がその極限のカタルシスに向けて高まっていくから、アンビエントとはまったく関係がないもので。アンビエント音楽にはその定義からしてストーリーがないからね。一方『Ritual』にも前作にも物語があるんだ。

空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。

今回のアルバムは「儀式(ritual)」と題されています。これには宗教的な含意があるのでしょうか? それとも、たとえば「シャワーを浴びるときは頭から洗う」のような、あるいは先ほどの「音楽を聴くときはWiFiを切る」のような、個々人それぞれの習慣的なニュアンスでしょうか?

JH:いや、頭から洗うとかではないかな(笑)。宗教的なものでもなくて、このタイトルは空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。個人的に宗教という言葉は使わないし、それがなにかはリスナー次第だと思うけれど、手がかりはトラックのタイトルに全部あるし、フィーリングやサウンドにもヒントがある。僕にとっての意味を言ってしまうと、どうしてもそれがリスナーの聴き方を左右してしまうと思うんだ。

宗教は人間にとって救いやシェルター、日々の励みとなる側面がある一方で、多くの対立や戦争も生んできました。何かを信じる、信仰するということは、あなたにとって、どのような意味を持ちますか?

JH:宗教的な信仰の悪用は現代世界最大の問題で、組織化された宗教に伴うナンセンスや教義をよそに、本来精神的な経験ほど個人的なものはないんだ。その人の内なる世界、内なる風景は極めて個人的なもので、これ以上に個人的なものなんてない。だからほかの人間がそれに構造を与えることなんてできないし、すべきではない。存在する多くの宗教が神聖な世界へのアクセスと、神聖がなにを意味するかということを制御しようとしてきた。それを取り戻そうとする試みは、この時代に起こり得ることだと思うし、人びとは自分自身の中にある強大な力を発見しつつあると思う。それもこのアルバムのテーマのひとつなのかもしれない。

これまでのアルバムでもそうですが、あなたが「物語(物語性)」に惹きつけられるのはなぜですか?

JH:長編の音楽、年齢を重ねてきた僕がいま作っているような音楽は、通常のアルバムよりもおそらく映画に近い気がする。よくあるアルバムの作り方として、30から40曲ほど書いてそこからベストの10曲を選んで曲順を決めるという方法があるけど、僕の場合はいつも聴かれる通りに頭から作るし、どういう順番なのかが最初から分かっているんだ。これまでに映画のスコアを手がけたこともあるけれど、言ってみれば存在しない映画の音楽を作っているような感じだな。なぜなのかは分からないけど好きなんだよね。

Seefeel - ele-king

 ロンドンのエレクトロニック・ユニット、シーフィールの6曲入りミニ・アルバム『Everything Squared』がリリースされたのは8月30日のこと。僕はすぐにBandcampでハイレゾ・データを入手して、エアコンの効いた涼しい部屋でゆっくり聴く……はずだった。
 だがしかし。日本はこの時期、迷走を繰り返して列島を行きつ戻りつし、各地に大きな被害をもたらすことになる台風10号に翻弄されていたのはご存じのとおり。まずいことに僕は8月末、飛行機で西に赴く予定を入れていた。目的は京都の法然院で8月31日におこなわれる素敵なアンビエント・イベント「Electronic Evening 2024」に、昨年に続いて今年も参加するためである。
 多くの友人たちも各地から参加すると聞き、ひさしぶりに会う友人の顔を思い浮かべながら京都でなにを食べようかななどと呑気に考えていた矢先、8月22日にマリアナ諸島付近で台風10号が発生したというニュース。もっとも当初の気象庁の予測では、27日か28日には日本を抜けるコースを取るとされていたので、31日なら余裕じゃん、台風一過で澄み切った京都の青空を見れるなあ、なんて考えていたら、日が経つごとに雲行きが怪しくなってきた。抜けるはずの台風が速度を極限まで落として日本に腰を下ろしてしまう状況になり、九州地区に大きな被害が出はじめたというニュースを知ったのが出発の数日前。まもなく本州でも豪雨による道路冠水などで地上の交通網が麻痺しはじめ、やがて新幹線が計画運休をするというアナウンスが届く頃にはさすがにこれは……と焦りを隠せなくなった。ある友人はせめて前乗りしようと予定を早めて向かおうとするも、新幹線は止まり、飛行機も運休が増えるなか、かろうじてフライト可能な便は早くも満席の状況であえなく脱落。さすがに僕もこれはもう無理だろうと思い、30日に翌日のフライトをキャンセルしようと航空会社のウェブサイトにアクセスしたところ、マイルで取った特典航空券のキャンセルは電話でなければ受け付けないという記述。この状況で電話? と絶望と怒りのなか電話するも、当然のことながらいっこうにつながらない。数十回のトライのあと、キャンセルは諦めて、翌日の奇蹟に一縷の望みをかけてみることにした……というより、そうせざるを得なかったのだが。
 外の豪雨の音を聞きながら出発の準備を終え、神様お願いと祈りながらベッドに入ったところで思い出した。そうだ、今日はあれのリリース日じゃないか……ベッドから出てデスクに向かい、パソコンでBandcampのサイトにログイン。……あった。出ていた。
 翌日は早いし、ダウンロードして部屋で聴いている時間はないので、携帯電話のアプリでダウンロードしておいてそのまま寝た。

 翌朝起きると雨は小降りになっていた。航空会社のウェブサイトをチェックすると、フライトは大丈夫のようだ。急いで身支度をして羽田に向かう。チェックイン。搭乗。機体が動き出した!

 搭乗したボーイング787が厚い雲を抜けたころ、僕はようやくヘッドフォンを取り出し、13年ぶりの新作『Everything Squared』を、青空を横目に見ながらで聴きはじめた。

 2011年に、ふたりの日本人(DJスコッチエッグことベースの石原茂とボアダムスにも関わったドラマーE-Daこと飯田和久)の加入を得て制作された(これは前作から実に14年ぶりの作品でもあった)バンド名を冠したアルバム『Seefeel』は、初期の(エイフェックス・ツインも関わった)シングルからファースト・アルバム『Quique』に至るシューゲイザー・エレクトロ、〈WARP〉に移籍しての2枚のシングルとアルバム『Succour』で、同僚のオウテカにも通ずる音響彫刻的なアブストラクト・エレクトロ、その路線をさらにブラッシュアップし、エイフェックス・ツインの〈Rephlex〉レーベルからのラヴコールで制作された『Ch-Vox』へと音の抽象化を押し進めた彼らが、さらに音を粒子化して結晶化させ、それまでとは違った地平に歩を進めたことを物語る作品だったが、残念ながらそれは一種の袋小路という感もあった。そこから彼らが新たな作品を生み出すのに13年かかったということは、前作の14年とは意味合いが違う。14年という歳月の間には、メンバー間の不和と課外活動があった。オリジナル・カルテット(マーク・クリフォード、サラ・ピーコック、ダレン・シーモア、ジャスティン・フレッチャー)は、マークとサラのデュオ形態へと縮小され、2011年のアルバムではそのデュオに日本人ふたりが手を貸すというかたちで制作されたもので、カルテット時代の作品とはやはり微妙にズレが感じられるものだった。
 その後、マークとサラは2021年に過去の作品と精力的に向き合い、〈WARP〉期(〈Rephlex〉のものも含む)の作品群をひとまとめにした『Rupt and Flex (1994 - 96)』を出した。未発表曲を含むこのCDにして4枚組の大作ボックスの音楽群が、わずか3年足らずで生み出されたものということには改めて驚かされるが、この作品集から3年後にリリースされた『Everything Squared』は、やはりこのレトロスペクティヴな作業からもたらされた要素も多分に含んでいるのだろう。前作に足りないと思われた牧歌的なムード、空気が泡状になって震えるような響きがあちこちに配置されているのに気が付く。
 冒頭の “Sky Hook” が、サラの歪みながらも幽玄なヴォーカルではじまるときの懐かしい感覚。それでいながらマークの生み出す鼓動のようなビートにまとわりつく石原茂(彼はこのアルバムの冒頭2曲に参加)の深いダブベースは新しい。まるで弩級のサウンドシステムを聴いているようでもある。このダブ感覚(アルバム・タイトルもダブを思わせる)は、よりタイトになったヴォーカル・ループと相まった “Multifolds” でも持続し、しかもここには『Quique』期の彼らを思い起こさせる響きが同居している。
 3曲目の “Loose The Minus” は、初期の彼らを彷彿させもするファズ・ギターのサウンドが、弧を描くようにグリッサンドで奏でられるロー・ベースとのデュオ(珍しくこの曲には彼らのトレードマークでもあるメタリックなパーカッションが入らない)によるアンビエントな間奏曲。
 続く “Antiskeptic” は、オウテカ的なスネアと木目を感じさせるキックによるインダストリアルなビートと、ときおり混じる稲妻のようなコード音を従えた牧歌的なシンセの対比によって、その美しさがさらに倍化されている。
 サラのトリートメントされたヴォーカルをリズム的に使用したトライバルな “Hooked Paw” から密にレイヤーされたメロディが美しいラスト・トラック “End of Here” への流れは、エイフェックス・ツインやオウテカのアンビエント作品の反響と捉えられるかもしれないが、しかしここにはあの名曲 “Spangle” にも匹敵するフック、シーフィールでなければ生み出せないフックが間違いなくある。そう、シーフィールに僕(ら)が期待するものがここには確かにあり、それ以上のものも確かに存在する。

 全曲を聴き終えたあたりでちょうど飛行機は高度を下げはじめ、伊丹空港への降下を開始した。ヘッドフォンを外し、窓の外を見る。雨はもうほとんど降っていないようだ。
 空港に着いたらすぐに京都に向かい、数時間後には夜のお寺でのアンビエント・イベントがはじまる。来るはずだった友人は結局2人しか来られなかったが、素晴らしいイベントになる予感は十分にある。

 そして宴のあとの京都の夜、僕はまたひとりでこの『Everything Squared』を繰り返し聴くだろう。

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