「IR」と一致するもの

shotahirama - ele-king

 これが初のフル・アルバムというのは意外だ。これまで多くの作品を送り出してきたNY出身のノイズ~グリッチ・プロデューサー shotahirama が、昨日、配信限定の新作『Rough House』をリリースしている(Spotify / Apple Music)。特筆すべきはそれが、ターンテーブルを用いて制作されたヒップホップ・アルバムであるという点だろう。東京(12月28日)と京都をめぐるリリース・ツアーも決定(詳細はこちら)。驚きの変化と、しかし相変わらず丁寧に作りこまれた音の細部を楽しもう。

shotahirama
デジタル・サブスク限定配信の新作アルバム『Rough House』12月16日発売

Apple Musicリンク

https://music.apple.com/jp/album/rough-house/1490236369

トラックリスト

01. STOP FRONTING (3:44)
02. SLACKER (3:27)
03. SLACK HOUSE (5:40)
04. WHO INDA HOUSE (3:24)
05. ROUGH HOUSE (3:06)
06. PAYDAY IS BLISS (3:48)
07. OKTOBER (4:43)
08. FLAVA (4:12)
09. DAILY BASIS (5:12)
10. FOOLS PARADISE (11:41)

ノイズ・グリッチ・ミュージックの奇才 shotahirama がターンテーブルを楽器に用いたヒップホップ・アルバムをリリース!

shotahirama の2年半ぶりにしてキャリア初となるフル・アルバムはターンテーブルを楽器に用いたサンプルベースのビート・ミュージック。丹念に作り込まれ、しかし複雑過ぎない音楽を意識したという本作にはシカゴ・ハウスやファンク、ヒップホップからの大きな影響とユーモアがふんだんに散りばめられている。ノイズとダブ・ミュージックを掛け合わせた衝撃的な前作に続き、飽くなき挑戦心が“止まらない進化”をさらに加速させる。

YouTubeリンク
https://youtu.be/HgplFGmQZo8

shotahirama プロフィール:

ニューヨーク出身の音楽家、shotahirama (平間翔太)。中原昌也、evala といった音楽家がコメントを寄せる。畠中実(ICC主任学芸員)による記事「デジタルのダダイスト、パンク以後の電子音楽」をはじめ、VICEマガジンや音楽ライターの三田格などによって多くのメディアで紹介される。Oval、Kangding Ray、Mark Fell 等のジャパン・ツアーに出演。代表作にCDアルバム『post punk』や4枚組CDボックス『Surf』などがある。

Baauer × Channel Tres × Danny Brown - ele-king

 新作『uknowhatimsayin¿』が好評のラッパー、ダニー・ブラウンが『グランド・セフト・オート』シリーズに登場する。ゲーム内のラジオ局にてなんと、スケプタとともにホストを務め、選曲を担当。いずれも今年力作を発表しているデンゼル・カリーやエージェイ・トレイシーフレディ・ギブス&マッドリブなどをピックアップしている。
 またそのアナウンスにあわせ、本日〈LuckyMe〉よりコラボ・シングルがリリース。バウアー×チャンネル・トレス×ダニー・ブラウンという、驚き&歓喜の組み合わせが実現している。うひょー。

DANNY BROWN
『グランド・セフト・オート』シリーズにダニー・ブラウンが登場!
バウアー、チャンネル・トレス、ダニー・ブラウンのコラボ・シングル「Ready to Go」をリリース!

最新作『uknowhatimsayin¿』が話題のダニー・ブラウンが、人気ゲーム『グランド・セフト・オート』シリーズに登場! ゲーム内のラジオ局「iFruit Radio」でホストを務めることが発表された。特別ゲストのラッパー、スケプタと共に27曲を選曲している。

今回の発表に合わせて、バウアー、チャンネル・トレス、ダニー・ブラウンのコラボ・シングル「Ready to Go」がリリースされた。

“Ready to Go” by Baauer and Channel Tres feat. Danny Brown
https://www.youtube.com/watch?v=mZKi3ANavo8

選曲された楽曲には、ダニー・ブラウンやスケプタに加え、トラヴィス・スコットやスクールボーイ・Qの人気曲、YBNコーデーとデンゼル・カリーがコラボした未発表曲などが含まれている。

『グランド・セフト・オート』シリーズではこれまでに、フランク・オーシャン、フライング・ロータス、ジャイルス・ピーターソン、ブーツィー・コリンズら豪華なアーティストを音楽にフィーチャーしている。

label: LuckyMe / Godmode
artist: Baauer, Channel Tres, Danny Brown
title: Ready to Go
release date: 2019.12.13 FRI ON SALE

label: Warp Records / Beat Records
artist: Danny Brown
title: uknowhatimsayin¿
release date: 2019.11.22 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-617 ¥2,200+税
国内盤特典:歌詞対訳/解説書封入
国内盤CD+Tシャツ BRC-617T ¥5,500+税

TRACKLIST
01. Change Up
02. Theme Song
03. Dirty Laundry
04. 3 Tearz (feat. Run The Jewels)
05. Belly of The Beast (feat. Obongjayar)
06. Savage Nomad
07. Best Life
08. uknowhatimsayin¿ (feat. Obongjayar)
09. Negro Spiritual (feat. JPEGMAFIA)
10. Shine (feat. Blood Orange)
11. Combat

Kanye West - ele-king

 様々なゴシップで世間を騒がせたり、あるいは精神的にも不安定な状態でありながら、昨年(2018年)には自らの8枚目となるアルバム『Ye』を含む、「Wyoming Sessions」と名付けられたシリーズ(Pusha T 『Daytona』、Kid Cudi 『Kids See Ghost』、Nas 『Nasir』、Teana Taylor 『K.T.S.E.』)をリリースするなど、プロデューサーとしても精力的に活動を続けていた Kanye West。そんな彼が、今年に入ってから、サンデー・サービス(日曜礼拝)と称したゴスペル・イベントをスタートし、コーチェラ・フェスティヴァルであったり、あるいは実際の教会などでも開催するなど、ファンの想像を超える活動を展開していく。本来であれば、様々なゲスト・アーティスト共にレコーディングを続けていたアルバム『Yandhi』がリリースされるはずであったが、サンデー・サービスを通して、しまいには「ラップは悪魔の音楽」「これからはゴスペルしか作らない」といった旨の発言を繰り広げ、その結果、9枚目のアルバムとしてリリースされたのが、ヒップホップとゴスペルを融合した今回のアルバム『Jesus Is King』というわけだ。

 もちろん、Kanye と宗教(キリスト教)との関わりは今に始まったわけではなく、誰もが思い浮かべるであろう、彼のデビュー・アルバム『The College Dropout』に収録された大ヒット曲“Jesus Walks”などはその代表と言えよう。『Yeezus』、『The Life OF Pablo』といったアルバムなども、そのタイトル自体がすでに宗教色が強かったりと、Kanye にとっては宗教はテーマとして常に存在していた。そもそもブラック・ミュージック自体、その成り立ちに宗教というものが深く関わっており、ソウルやファンクなどもゴスペルとは強く結びついているし、80年代からクリスチャン・ヒップホップというサブジャンルが存在するなど、ヒップホップと宗教は一部では強い関係にあった。とはいえ、これまでトランプ支持の表明など、様々な形で炎上を繰り返してきた Kanye がゴスペル・アルバムをリリースするなんて、彼のいつもの「奇行」のひとつと思う人がいるのも当然だ。まあ、筆者もこのアルバムを聞くまでは、そう思っていたのであるが、実際に聞いてみると、音楽作品としてトータルで判断する限り、十分に Kanye ならではの力作に仕上がっている。

 イントロ的な“Every Hour”ではクワイア(聖歌隊)がピアノをバックに高らかに歌い、このアルバム自体が彼が行なっているサンデー・サービスの延長上であることを伺わせる。Kanye 自らが司祭であるかのように先導し、クワイヤがコーラスを重ねる“Selah”はゴスペル・ヒップホップそのものでもあるが、リード・チューンである“Follow God”などは、トラック自体は非常にタイトで、昨年からの彼のサウンドの延長上にありながら、聖書なども引用しつつ、Kanye ならではの視点で父である神との関係をラップしている。つまり普通にヒップホップとして格好良い上で、宗教的なメッセージを彼ならではのスタイルで伝えており、まさにこれこそ「ラップは悪魔の音楽」と発言した彼が導き出した答えなのだろう。Ty Dolla $ign や久しぶりにふたり揃った Clipse をゲストに迎えるなど、ヒップホップ・ファンが喜ぶ仕掛けも入れつつ、ちゃんとエンターテイメントとして成立させながら Kanye が作り上げたゴスペル・アルバム。もちろん、批判の声を上げる信心深いキリスト教信者も当然いるだろうが、当然、そんなことは彼にとっては折り込み済みだろう。しかし、そんな Kanye 劇場のワン・シーンとして片付けるのは勿体無いくらい、非常に聞き応えあるアルバムであり、いろんなことを考えさせてくれる作品だ。

interview with Daniel Lopatin - ele-king

今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。

 監督は前回同様ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟。製作総指揮はマーティン・スコセッシ。たしかに、外部の意向が大きく関与している。映画のサウンドトラックなのだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、ジョエル・フォードしかり、ティム・ヘッカーしかり、彼は他人とコラボするとき、基本的にはOPNの名義を用いずにやってきた。そう、幾人ものゲストを招いた昨年の『Age Of』までは。だからむしろ、サフディ兄弟と初めてタッグを組んだ『Good Time』(17)がOPN名義で発表されたことのほうがイレギュラーな事態だったのかもしれない。ソフィア・コッポラ監督作『The Bling Ring』(13)もアリエル・クレイマン監督作『Partisan』(15)もリック・アルヴァーソン監督作『The Mountain』(18)も、ダニエル・ロパティンの名でクレジットされていたのだから。
 ときどき自分が人間であることを忘れてしまう──ダニエル・ロパティンはそう語っている。今回OPN名義ではなく本名で作品を発表することになったのは、その音楽がまさに自分のものだと思えたからだという。不思議である。サウンドトラックの制作でそのように感じるのは珍しいケースなのではないか。それに、パーソナルなのはむしろ、OPN名義のほうではなかったか。つまり今回彼は、サフディ兄弟とはもちろん、ゲイトキーパーや「MYRIAD」で仲間に引き入れたイーライ・ケスラーのような他人たちと仕事をすることによって、あらためてみずからの人間らしさや自分らしさを確認しつつも、あえてコラボの解禁されたOPNではなく本名のほうで作品を発表したということで、そこには何かしら他者にたいする意識の変化が……
 とまあ、そんなふうにいろいろと深読みしてみたくなっちゃうわけだけれど、DJアールアノーニをプロデュースしたときもOPN名義だったのだから、たぶん、本人は深く考えて使いわけているわけではないのだろう。思うに、そのようなある種のユルさにこそ彼の本質みたいなものが宿っているのではないか。それに振りまわされるかたちでわたしたちはいつも、「今度はなんだ?」と気になって、独自の分析や自説を披露したくなってしまうのではないか。ようするに、彼の音楽や振る舞いは、どうにも思考誘発性が高いのである。

 今回の『Uncut Gems』でキイとなるのはおそらく、初期の彼を思わせるアナログな触感から『AKIRA』的な発想と王道のクラシカルなアレンジとスムージィなサックスの奇妙な混合へとなだれこんでいく、冒頭“The Ballad Of Howie Bling”だろう。この曲から聴きとることのできる諸要素は、声楽を活かした8曲目やサックスの映える10曲目、やはり芸能山城組を思わせる13曲目、おなじくかつての音色で思うぞんぶん感傷の湯船につかる最終曲などに、分散して登場することになる。ほかにも、これまでの彼にはなかったクラシカルな旋律を聞かせる2曲目や4曲目、ブリーピィかつミニマルな7曲目、ライヒ的な9曲目など、今回のサントラもいろいろと分析したくなる魅力にあふれている。
 そのような誘発性をこそ最大の武器に、2010年代のエレクトロニック・ミュージックを代表する存在にまでのぼりつめたダニエル・ロパティン。去る10月末、《WXAXRXP DJS》のために来日していた彼だけれど、幸運にも取材の機会に恵まれたので、『Uncut Gems』についてのみならず、かつての作品のまだあまり語られていない部分についても質問を投げかけてみた。じっさいに対面した彼は、いわゆるアメリカ人らしい陽気なナイスガイといった印象で、そのサウンドやコンセプトから連想されるような気難しさや思弁の類はいっさい身にまとっていなかった。

音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。

いまも拠点はブルックリンですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):ああ、不幸なことにね。

それはなぜ?

DL:もう10年住んでるからそろそろ場所を変えたいかな。

先日ニューヨークのラジオ局WNYCの「New Sounds」という番組(*1982年の開始以来、積極的にエレクトロニック・ミュージックや現代音楽などを紹介してきた番組)が終わることになって、『ニューヨーク・タイムズ』紙がそのことを「NYはかつてほどクールではなくなってしまった」という方向で記事にしていたのですが(*それらの抗議の結果、番組は継続することに)、いまニューヨークのエレクトロニック・ミュージックのシーンはどうなっているのでしょう?

DL:物価が高くなって、アートやクリエイティヴィティみたいなものが薄くなってきているね。グレイなサイクルに入ってしまっている。豊かな歴史のあるところだから残念だよ。もちろん、そこから変わって新しいものが出てくる可能性はあるよ。僕自身は新しいアイデンティティの感覚がある場所に惹きつけられるね。ニューヨークはアイデンティティがもう決まりきってしまっているというか、そういうサイクルにあるのかなと思う。たとえばメキシコシティに行ったときは、すごく新鮮なものを感じた。新しいものが出てきている感じがした。だからいまは自分の拠点を変えることを考えたり、もう少しアメリカの外で何が起きているかとか、どういうところに何があるのかを考えたりするべき時期なのかもしれないな。

いまニューヨークでおもしろいことをやっていると思えるアーティストやレーベル、ヴェニューはありますか?

DL:ニューヨークでどんな新しいクールなものが出てきているか、何が起きているかという質問に答えるのに、僕はあんまり適していないと思う。よく知らないんだ。なぜかというと、僕は影響を受けることから隠れているからね。新しいものをスポンジみたいに吸収しすぎてしまうと、自分のものがわからなくなるようなことがあるから、いま何が起きているかということからは距離を置いているんだ。でも、友だちがやっていることはおもしろいと思うよ。たとえば〈RVNG〉をやっているマット・ワース(Matt Werth)。彼がキュレイトしたイヴェントやライヴはどれもおもしろいと思う。

前回のサウンドトラックはOPN名義でしたけれど、今回本名を用いたのはなぜですか?

DL:それはほんとうにたんなる思いつきだね。父と母がいて僕が生まれたということ、自分が人間であるということを忘れてしまうときがあるんだけど、そのことを少し思い出したんだ。今回のサントラは『Good Time』とはぜんぜんちがっていて、ものすごく誇りに思っている。だからこそ「これは良い作品だ」「これが僕なんだ」という気持ちになってね。人間としての自分に近いような作品に思えたんだ。まあ、思いつきなんだけどね。

人間であることを忘れるというのは、たとえば自分を「音楽機械」のようなものだと感じることがあるということでしょうか?

DL:たしかに、音楽をつくるマシーンみたいなところはあるね。でもそれはクールな機械で、自分でも気に入ってるんだ。他方でものすごく自己中心的な、自分だけの、誰も入れないような世界がある。自分がつくっているものはパーソナルな言語みたいなところがあってね。「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」は自分だけのコミュニケイションみたいな場所なんだ。でも今回はほかのひとたちとのコラボがあったり、監督との絆やコミュニケイションも含まれてるから、もうちょっとあたたかさがあるし、そういう意味では人間的だね。

過去にも何度かサウンドトラックを手がけていますけれど、おなじ監督と組むのは初めてですよね。サフディ兄弟の映像表現はあなたの音楽と相性が良いのでしょうか?

DL:今回は彼らの最高の作品だよ。もちろん彼らは友人だし、コラボレイションがうまくいく親密な関係性ができていると思っている。サウンドトラックをつくることには彼らも関わってくるからね。ただ、彼らと仕事をするのは2回目だけど、ほかにたくさんの監督と一緒にやったわけではないから、比べられる人がいないんだ。僕は、友情がなくても良い仕事はできると思っているから、将来的にはそうじゃない人とも仕事をしてみたい。ただ、ひとつ言えるのは、彼らみたいに友人で、かつアーティスティックな面でも共感できる人と働くのはすごく楽しいし、贅沢だということ。もし一緒に仕事をしなかったとしても、彼らの映画は好きになると思う。すごく良い映画をつくっているからね。一緒に仕事することになったきっかけは、2014年の『神様なんかくそくらえ(原題:Heaven Knows What)』なんだ。あの映画を観てすごく良いと思ったし、そのひとつ前の、レニー・クックというバスケットボール選手のドキュメンタリー(『Lenny Cooke』)も観ていたから、ぜったい良い仕事ができると思っていたんだよね。

今回もサウンドトラックに台詞が入っていますね。これはじっさいに映画のなかで使われている音声ですか?

DL:4つ入っているはずだけど、それらはとくに僕がとりつかれている台詞なんだ。僕にとって重要で、この映画のソウルを代表するような台詞を選んだ。ただ、それはちょっと変な台詞で、たとえば予告編に入れられるタイプの台詞ではないんだけど、自分にとってはすごく重要なもので。僕にとってこの映画の意味を象徴するような台詞だね。

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ヴェイパーウェイヴは祈りみたいなものだと思う。自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。

今回のサウンドトラックにも声楽が入っていますけれど、これまでサンプリングだったり聖歌的なものだったり叫びだったり、あるいはチップスピーチを導入したり自分自身で歌ってみたり、毎度アプローチは異なれど、あなたは一貫して声にたいする高い関心を抱きつづけてきたのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

DL:声はものすごくユニークな楽器なんだ。地球上でいちばん変な、ユニークな楽器で、ある意味人間のあり方とか音楽のあり方、ことばとしての音楽のあり方のキイになるようなものだと思う。これから言うことは僕のオリジナルな理論ではないんだけれど、音楽は苦しみから生まれたっていう考えがあるんだ。たとえば傷ついたときとか、死に直面したときのうめきだったり、音楽はそういうものから生まれたんだっていう理論があってね。太古のむかし、ホモ・サピエンスが死に直面したときの恐怖感みたいなもの、そういう本能的なものから生まれたのが音楽なんじゃないかな、と。だから、声ってものすごく変だし、いわゆる人間的といわれているものとはぜんぜんちがう、エイリアンのようなものだったりもするけど、でも同時にほぼすべての人が持っているもので、それが人を進化させてきた。人間ひとりひとりが声を持っている。それは全員が生まれつき持っているものでありながら、ひとりひとり異なるものだ。こんなに多様な楽器はほかにないよ。そういう意味で声はものすごく興味深いね。

なるほど。そのような声にたいするアプローチは、9年前のチャック・パーソン名義の作品でも、スクリュードというかたちであらわれていました。『Eccojams Vol. 1』はヴェイパーウェイヴの重要作とみなされていますが、日本ではなぜかいまになってヴェイパーウェイヴが再流行しています。ユーチューブに音源をアップしていた当時は、どのような意図があったのでしょう?

DL:はじめはシンプルだったよ。そのころはデスクワークの仕事についていて、時間を無駄にしていたんだ。与えられた仕事が来るまでコンピュータの前で何時間も何もしないようなときがあったりね。ものすごく落ち込む仕事だった。それで、その時間にループをつくりはじめたんだ。自分にとってはちょっとした詩みたいなもので、ポップ・ソングのある部分を切りとって、それをものすごくスロウダウンさせて、瞬間を引き延ばして、そのなかで自分がポエティックな瞬間を泳げるような感覚をつくりだした。だから、ものすごくパーソナルなものだったんだ。つくり方も簡単で。やり方を学べば誰でもつくれるものだから、それを大勢の人たちがつくって、フォークロア的なものになればいいなと思ったんだ。みんながつくることでそれがひとつのプラクティスになるようなね。だから、いま日本でヴェイパーウェイヴが人気になっていたり、もしかしたらほかの場所でも人気なのかもしれないけど、そう聞いて僕はすごく嬉しいよ。喜びを感じるね。自分がはじめたころはオリジナルなものだったから、とくにユニークなものだとも思っていなくて、単純で、プラクティスみたいなものだと思っていた。誰でもできるものになっていくと思っていたから、じっさいにいまそうなっているのは嬉しいよ。(ヴェイパーウェイヴは)祈りみたいなものでもあると思うんだ。それはべつにポップ・ミュージックの神さまにたいする祈りということではなくて、自分を表現する、その瞬間を表現できる、そこに自分を捧げるような祈り。ループしているということは、その瞬間を永遠に続けられるということ、そこで自分が永遠に生きていられるということ。そこでものすごく鳥肌が立つような感覚を得たりね。そういう音楽の瞬間をつくる。それは3分間でもいいし、300分間でもいいんだけどね。

『Eccojams』のアートワークとタイトルは、セガのゲーム『エコー・ザ・ドルフィン』のパロディですよね。イルカがサメに変更されていましたけれど、あのイメージを使ったのはなぜですか?

DL:いくつかレイヤーがあるんだ。「Eccojams」ということばは、もちろんゲームから出てきたってのもあるけど、「ecco」という文字の並びが好きだったってのもある。あと、ミニットメンっていう、いろんなことばをつくったカリフォルニアのパンク・バンドがいて、たとえば「マーチャンダイズ」のことを「マーチ」って言いはじめたのも彼らなんだ。いまでは誰もが「マーチ」って言っているよね。それで彼らは、「We jam econo」という言い方もしていて、「econo」は「economy」から来てると思うんだけど、高い楽器じゃなくて安い楽器でジャムってるんだぜ、って意味で彼らは「We jam econo」と言っていて、その「econo」を使ったってのもある。だから、すごくいろんな意味があるんだ。当初は「Econo Jam」だった気がするな。それを「Eccojams」に変えた気がする。(*このミニットメンのくだりは昨年すでに『Age Of』リリース時のインタヴューで語ってくれている。紙エレ22号の32頁参照。ここではイメージの意図を尋ねたかったのだが、残念ながらうまく伝わらなかった模様)

きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

あなたの友人であるジェイムス・フェラーロもヴェイパーウェイヴの重要人物のひとりとみなされています。『Age Of』のコンセプトは彼との読書会をつうじて生まれたものだそうですが、それはほんとうですか?

DL:音楽界でいちばん古い友人だね。だからすごく仲はいいんだけど、彼はほんとうにミステリアスで変なやつなんだ。最後に彼と会ったのは、僕がたまたまパリでギャスパー・ノエ監督を訪ねていたときで。彼(ノエ)のアパートはものすごく人が行き来する道に面しているんだけど、ドアを開けたらなぜかジェイムスがいたんだよ! ジェイムスはパリに住んでいるわけじゃないんだけど、たまたまドアを開けたら彼がいたんだ。「なんだこれ、夢なのか?」って思いながら「何してるの?」って声をかけたら、「いまフランス革命のリサーチをしているんだ」って言っていたね(笑)。まったく理解できなかったよ(笑)。彼は魔法使いみたいにクレイジーなやつでね。僕はただふつうに生活している人間だけど、彼は魔術師みたい、ソーサラーみたいなんだ。ときどきテキストでやりとりをしたりするけど、じっさいに会ったのは何ヶ月も前だな。ほんとうに変わった人だよ。

最近の彼の作品は聴いています?

DL:つねに超フレッシュな人だと思う。彼の音楽はどの曲もぜんぶ聴いてるはず。ものすごくオリジナルで、彼の脳のなかに直接トランスミッションしているような音楽、それが彼の音楽だと思う。聴いているとまるで脳のなかに座っているような感覚になるんだ。良いアート作品にはつねにそういう部分があるものだと思うけど、彼はほんとうにオリジナルだと思うよ。

いま彼がやっているポスト・アポカリプティックなフィクションについてはどう見ていますか?

DL:彼のコンセプトを信じちゃダメだよ! ぜんぶしょうもないことを言っているだけだから(笑)。インタヴューで聞くぶんにはすごくおもしろいし、まとまりもあって、僕も思うところがあるけど、彼は彼自身を含め、まわりの人みんなに嘘をついている。バカにしているところがあるんだ。でもそれはまったく悪意ではなくてね。ものすごく美しくて、シュルレアリストみたいなものだよ。きみはシュルレアリストのコンセプトを信じられる? 信じられないよね(笑)。あれはただその美しさを楽しめばいいんだよ。

(わりと信じてますけど……と言いかけたもののお尻が迫っていたのでつぎの質問へと移る)『Age Of』ではCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)の論集からインスパイアされたことがクレジットされていたため、いろんな憶測が飛び交いました。そのことについてあなた自身の口から説明してください。

DL:変な憶測だね。CCRUに影響されているのは“Black Snow”という曲だけ。ウェイバック・マシン(Wayback Machine)っていうウェブサイトをやっていた友だちが、サイバーパンクのアーカイヴのなかから一篇の詩を見つけて、僕に送ってきたんだ。その詩がまるでランディ・ニューマンの曲のように思えてね。それで少しことばを変えたりして、サイケデリックなランディ・ニューマンの曲みたいにしてつくったんだよ。ただそれだけのシンプルなこと。だから、ニック・ランドがいま言っているような政治のばかばかしいこと、それを僕は残念だと思うけど、それとはまったく関係ないね。

ニック・ランドや加速主義にシンパシーを感じているわけではない?

DL:そもそも彼についての知識があまりないね。ただ、2~3年前に彼の本を読んだときに、すごく美しくてカラフルでシュルレアリスティックなことばをつくる人だとは思った。詩人みたいな部分ですぐれたものを持っていると思う。でも、政治的なスタンスとかは、ものすごくヘイトに満ちた人だから、自分が彼とつながっている、彼に共感を持っていると思われるのはいやだな。彼が過去じっさいにそういうコレクティヴの一員だったことはたしかだけどね。僕はそれをよく知っているわけでもないし、そこに共感したということではないよ(笑)。

Masahiko Takeda - ele-king

 京都の電子音楽レーベル〈shrine.jp〉から京都出身の電子音響作家・武田真彦のソロ・アルバムがCD作品としてリリースされた(同レーベルから2年ぶりのCD作品!)。武田は京都市芸術大学ギャラリー、京都芸術センター、十和田市現代美術館、安楽寺、ロームシアター京都などとアート・プロジェクトをおこなってきた気鋭のサウンド・アーティスト。 くわえて Velveljin、Rexikom としても活動をしており、〈shrine.jp〉のサブ・レーベル〈MYTH〉、パリの〈Récit〉、ルーマニアのミニマル・レーベル〈pluie/noir〉などから、EP、楽曲、ミックスなどをリリースしてきたミニマル・シーンの俊英でもある。

 『Mitate』はそんな武田真彦名義のファースト・ソロ・アルバムだ。武田がインスタレーションなどで制作・発表したコラボレーション・ワークを中心に全6曲を収録し、「サウンド・アーティスト」としての側面・経歴をパッケージしたノーブルな音響作品に仕上がっている。
 コラボレーション・アーテイストは、Virta のメンバーにして京都在住のトランペッター Antti Hevosmaa (M2)、コンテンポラリー・ダンスとして参加した Simon Erin とダンス・建築・美術の領域を越境する Fumi Takenouchi (M3)、1995年生れのフランス人小説家 Théo Casciani (M4)、パイプオルガン/フィールド・レコーディング・サウンドで参加した Vesa Hoikka (M5)など京都のアートシーンと縁のある(関係する)作家/アーティストたち。くわえて1曲め“Expectation”は建築と彫刻、ファッションと音楽、アートとデザインなどの垣根を超えて活動するジルヴィオ・シェラー(Silvio Scheller)とミルコ・ヒンリクス(Mirko Hinrichs)によるベルリンの BIEST のエキシヴィジョンで披露された貴重なパフォーマンスである。
 協働によって生まれたサウンドは、まるで清流のような美しさを放っていた。電子音/持続音を基調としつつ、さまざまな環境音などのサウンド・エレメントをミックスした曲(1曲め、2曲め)、密やかなノイズの蠢き琴の音色が交錯する曲(3曲め)、透明な空気を感じさせるアンビエント/ドローンから、Théo Cascian によるテキスト(小説)のリーディング、そして囁くような歌声へと生成変化を遂げる曲(4曲め)、深く響く環境音と柔らかい質感のドローン、細やかなグリッチ・ノイズがミックスされるサウンドスケープがシネマティックな聴取感覚を与えてくれるアンビエント・トラック(5曲め)、環境音からヴォーカル曲が交錯するトラック(6曲め)まで音響作品としてあらゆる手法を存分に投入しながらもスタティックなムードで統一されているのだ。まさに「ソロ・アルバム」としての気品と風格を兼ね備えた作品といえよう。

 本アルバムを特徴付けるもうひとつの重要な要素がCD盤を包み込むジャケットにある。素材を提供し、クリエーターの協働をめざす「MTRL KYOTO」は、伝統的な布地にCDを収めるという新しいパッケージ・フォームを生み出した。ジャケット素材の風のような軽さと柔らかさに、硬質な銀盤の共存は本作のサウンドそのものであり、ぜひともCDを手にとってその質感を味わって頂きたい。私見だがこの「触れる/聴く」の共存性は、ストリーミング時代における「CDのあり方」をリ・プレゼンテーションするプロダクトにすら思えたほど。

 『Mitate』は、音と素材の「見立て」によって生れた実にエレガント/エクスペリメンタルな音響作品であり、音を用いた芸術と音楽の境界線を思考する上で重要な問いを発している批評的な作品でもある。何より「場」の空気をアート・インスタレーションに変えてしまうほどに美麗さと存在感のある音の粒子を放つ音響作品なのである。このアルバムが2019年の終わりにリリースされたことは10年代の電子音響/サウンドアートにおいて僥倖に思えてならない。2020年も繰り返し聴取したいCD作品のひとつである。

NYクラブ・ミュージックの新たな波動 - ele-king

 NYダンス・ミュージック・シーンの10年代の変遷については前編で伝えたけれど、20年代が始まろうとする今のブルックリンのアンダーグラウンドはどうなっているのだろう?

 2012年、〈Mister Saturday Night Records〉によってその才能を見出された Anthony Naples は、それから7年経った今、もはやブルックリンのダンス・ミュージック・シーンを牽引するといっていいほど勢いのある存在だ。ヨーロッパを中心に毎週世界のどこかでブッキングされる人気DJの傍ら、2017年には、まだ発掘されていないNYの新しいアーティストにフォーカスするインデペンデント・レーベル〈Incienso〉をデザイナーの Jenny Slattery とともに設立。その第1弾としてフィーチャーされたのが、10年代のブルックリンのユース・カルチャー・シーンをともに歩んできた、“DJ Phython”こと Brian Piñeyro のデビューLP『Dulce Compãnia』だ。

 実は DJ Python のほかに、表現するモノによって DJ Wey や Deejay Xanax、Luis などの名義も使い分ける Brian Piñeyro は、DJ Python では〈Incienso〉の前身のレーベル〈Proibito〉時代からすでに、ディープ・ハウスやシューゲイザー、トランス、レゲトンなどをスローテンポにしたサウンドのうねりをゆったりサーフライドしていくような「ディープ・レゲトン」と呼ばれる新たなスタイルを打ち出してきた。この『Dulce Compãnia』のリリースは、オンライン・マガジン「ローリング・ストーン」における「2017年ベスト・エレクトロニック・アルバム」にランクインされるほど高く評価され、そのスタイルを確かなものにした。
 さらに、今年6月にはアムステルダムを拠点とするレーベル〈Dekmantel〉からEP「Derretirse」をリリース。『Dulce Compãnia』に続き2作目となる本作では、ラテンにルーツを持つ Brian Piñeyro らしく、南半球から生まれる陽気なパーカッションやリヴァーブ、ディープ・シンセのリズムとともにレゲトンとアンビエント、ポストIDMがよりメローに融合していくようなさらなる進化を遂げている。そんなブルックリンのアンダーグラウンドで育まれたオリジナルのサウンドが「ディープ・レゲトン」として世界に広まりつつある今、DJ Phython は、間違いなくこれから活動の場を外へ広げていくNYの新世代アーティストのひとりだといえるだろう。

「Derretirse」より“Be Si To”

 そして、〈Incienso〉の第2弾には、カナダの〈1080p〉やシカゴの〈Lillerne Tape Club〉からカセットテープを発表してきたダンス・ミュージック・シーンの新星 Beta Librae のデビューLP『Sanguine Bond』をフィーチャー。実はブシュウィックの「Bossa Nova Civic Club」がオープンした当時(2012)からプレイしている Beta Librae は、この「Bossa Nova Civic Club」で、女性特定のDJ集団「Discwoman」を主宰する同郷の Umfang とともに今のNYのアンダーグラウンドで重要なポジションを占める「Techno feminism」というパーティのレジデントDJを務めている。


Bossa Nova Civic Club 2013 flyer “Techno feminism”

 そんなバックグラウンドの片鱗を垣間見せるような『Sanguine Bond』では、アンビエントなディープ・ハウスにエレクトロニック・サウンドをレイヴ感たっぷりにミックス。この新しい質感こそがまさに“今のNYサウンド”だと思わせる、NYのダンス・ミュージック・シーンに新境地を切り拓くアルバムとなった。

『Sanguine Bond』より“Pink Arcade”

 レーベルについて、「ポリシーは、“私たちが真価を認めている人たちの、新鮮でおもしろさを見出せる音楽をリリースする”こと。これまでのリリースでは身近な友人だけをフックアップしてきて、これは絶対的なルールじゃないけど、その人のことを知っているからこそすでに彼らとの信頼関係があるのは制作においてかなりやりやすいの。そして、まだリリースのない人を紹介することが何よりもエキサイティング!」と、Jenny Slattery。
 その後〈Incienso〉は、CZ Wang と Joli B. のデュオ People Plus によるEP「Olympus Mons」や、まだ記憶に新しい工藤キキのEP「Splashing」、最新作には Sleep D によるLP『Rebel Force』など、レーベル設立からたった2年でコンスタントに7つのタイトルを発表し、NYナイズされた気鋭のダンス・ミュージックを発信し続けている。さらに、Jenny Slattery は、「最初はNYの友人たち、そして次は世界中の友人たちへ。レーベルを通じて作り上げたコミュニティとアーティスト自身の小さな世界をリンクさせていくのは楽しいし、それを続けていくことがこれからも楽しみ。2020年は、DJ Python のセカンドLPから始まり、これまででいちばん有望な年になりそう」。


L to R: People Plus, Kiki Kudo, Sleep D

 そんなアンダーグラウンド・シーンで最もフレッシュなリリースといえば、ブルックリンに拠点を置き、Anthony Naples や DJ Phython、Beta Librae たちと一緒に肩を並べてきた Galcher Lustwerk のLP『Information』を真っ先に挙げたい。

 そもそも Galcher Lustwerk が世界から注目されるようになったきっかけまで話を遡ると、2013年に発表した初めてのミックス「100% Galcher」が決定的だろう。エクスペリメンタルなダンス・ミュージックをはじめ、エレクトロニック・サウンドに関連するさまざまなアーティストのミックスに焦点を当てた実験的なプロジェクト「Blowing Up The Workshop」のために未発表音源を集めて制作した「100% Galcher」は、オンライン・マガジン「FACT」の「2013年ベスト・アルバム50」では4位、「Resident Advisor(以下、RA)」の「2013年ミックス/コンピレーション・トップ30」ではオンライン・ミックス部門で堂々1位を獲得し、“無名の新人が自身の音源のみでミックスを公開するのは2013年のベスト・サプライズだった”と「RA」から絶賛された。ディープ・ハウスのようなドラムマシンに独自のスモーキーなヴォーカルをかけ合わせたサウンドは、平たく言うと控えめなヒップハウスのようで、ありそうでなかったオリジナリティーにほかならない。Galcher Lustwerk はそれほど鮮烈なデビューを果たしたのだ。


2012年のトラックを集めたプロモミックス「100% Galcher」

 そして、同年 Young Male と DJ Richard が主宰するブルックリンの〈White Material〉からヴァイナル・デビューとなるEP「Tape 22」をリリースするやいなやその新鮮なサウンドが世界のダンス・ミュージック・リスナーの心をつかみ、2015年に立ち上げた Galcher Lustwerk 自身のレーベル〈Lustwerk Music〉から立て続けに、「100% Galcher」のシングルカットとなるEP「Parlay」と「I Neva Seen」、〈White Material〉の Alvin Aronson とのプロジェクト「Studio OST」名義でLP『Scene (2012-2015)』をリリース。その意欲的な活動とユニークなサウンド・スタイルで、Galcher Lustwerk という存在を揺るぎないものにしていった。

 話を本題に戻すと、今年11月にリリースされたばかりの最新作『Information』は、2017年〈White Material〉からのデビューLP『Dark Bliss』、翌年2018年〈Lustwerk Music〉からのセカンドLP『200% Galcher』に次ぐ、待望のサード・アルバム。しかも、Matthew Dear や Gold PandaTychoShigeto などのアーティストをダンス・ミュージック・シーンに輩出してきたミシガンの名門〈Ghostly International〉のデビュー作品だ。Galcher Lustwerk は〈Lustwerk Music〉のホームページにこうコメントを寄せる。
 「アメリカはミッドウェスト、クリーヴランド出身の自分が〈Ghostly International〉と一緒に作品を出すのであれば、最もミッドウェスト的な“フックの強い”トラックを選び出すことがしっくりくると思う。このアルバムでは、ほかのクリーヴランドのプロデューサーが作る曲のなかで聴いたビターウィートな質感を表現したかったんだ」。

 その言葉の通り、『Information』は、Galcher Lustwerk ならではのスタイルが顕在しながらもよりライヴ感のあるドラムとジャズ・サックスを含んだ、これまで以上にダイナミックなサウンドを生み出している。

 このラインでブルックリンのアンダーグラウンド・シーンを紹介したなら、前編からの一連で登場した〈L.I.E.S. Records〉や〈Proibito〉、さらには Maxmillion Dunbar が主宰するワシントンD.C.の〈Future Times〉など10年代のアメリカで重要なレーベルからリリースのある“Huerco S.”こと Brian Leeds についても特筆すべきだと思うけれど、彼は、2018年に自身のレーベル〈West Mineral〉を立ち上げるとともにブルックリンからベルリンへ拠点を移した。アンビエントやドローン、エスニックに通ずるエクスペリメンタルなエレクトロニック・サウンドを発表してきた〈West Mineral〉では、Brian Leeds の故郷であるカンザスのアーティストを中心にフィーチャー。20年代が始まろうとする今、Brian Leeds はもはや「NYサウンド」というこの本題にはくくりにくい存在となってしまったが、拠点をベルリンに移した今でもNYで培ってきた大もとのスタンスは変わらないはず。

 もちろんほかにここで紹介しきれなかった新世代アーティストもたくさんいるが、実は今回取り上げた DJ Python と Beta Librae、Galcher Lustwerk は、DJ/プロデューサーの Aurora Halal が主宰するNYで数少ない野外レイヴ・パーティ「Sustain-Release」の国外初となるサテライト・イベント「S-R Meets Tokyo」のために来年1月に来日を予定している。そもそも、「NY」とか「新しい世代」とか、日常的になじみの薄い字面だけでハードルの高さを感じる人もなかにはいるかもしれない。だけど、一度彼らを見てみたら、きっと好きになると思う人たちの顔も目に浮かぶ。

Sustain-Release presents “S-R Meets Tokyo”

2020年1月25日(土)東京・Contact
OPEN 22:00

出演
Aurora Halal (NY)
Galcher Lustwerk (NY)
Wata Igarashi (Midgar | The Bunker NY)

DJ Python (NY)
Beta Librae (NY)
AKIRAM EN
JR Chaparro

Mari Sakurai
Ultrafog
Kotsu (CYK | UNTITLED)
Romy Mats (解体新書)
Celter (Eclipse)

料金
BEFORE 11PM ¥2500 | UNDER 23 ¥2500 | ADVANCE ¥2500 | GH S MEMBERS ¥3500 | W/F ¥3500 | DOOR ¥4000
詳細:https://www.contacttokyo.com/schedule/sustain-release-presents-s-r-meets-tokyo/

Burial - ele-king

 この原稿を書いている今日12月2日の午前11時に、イギリスの諸大学では黙祷があった。先月29日にロンドン・ブリッジであった凄惨なテロの犠牲者(ふたりともケンブリッジ大卒の二十代の若者だった)を悼むためである。現在、大学はストライキ中なので、僕はキャンバスにはできるだけ立ち寄らないようにしている。なので家で1分間、目を閉じて、事件のことを思った。
 ロンドンとテロというと、意外かもしれないが、僕はベリアルのことを思い出す。2005年にロンドンで同時多発テロが起きたとき、ベリアルはダブステップのミックス・テープを聴きながら混乱する街を歩いていた。その時、音楽が街を癒していくように感じたと、彼は述べている。
 ベリアルの音楽とある種のアーバンスケープは切り離すことができず、その集合体は盤上に抽象的な何かを作り上げている。タイトル、雑踏、金属音、煙のようなクラックル・ノイズ、その他多くのパーツが、不可避的に見えない都市を浮かび上がらせてしまう。自分の作品から作り手の存在を意図的に消去し続けてきたベリアルだが、こればかりは作家性がにじみ出てしまっている。ひときわダークでエレガントで凶暴だったゼロ年代初期のダブステップ・サウンドに、崩壊しかける都市との相関性で癒しを感じたという強靭な感性の持ち主を僕は他に知らない。
 今作『Tunes 2011 to 2019』は、レーベルのボス、コード9が本誌インタヴューで語っているように、2011年から2019年の間にベリアルが〈Hyperdub〉からリリースしたソロ・シングルを網羅的に集めたものである。この期間に、ベリアルはゾンビーとの共作10インチ「Sweetz」(2016年)と、片面にコード9によるフットワーク・リミックスを収録した「Rodent」(2017年)が同レーベルから出ているものの、今作には収録されてはいない。
 デビュー・アルバム『Burial』(2006年)とセカンド『Untrue』(2007年)以降、彼はシングルを主なリリース形式として活動している。去年はコード9との共同ミックスを〈Fabric〉から出してはいるものの、サード・アルバムに匹敵するヴォリュームの楽曲集は出されてはいない。なので、このような形でこの8年間の音源を聴き返すのは、2019年にいたるベリアルのモードを考えるのに良い機会だ。

 というわけで、まずはこの8年のベリアルのキャリアを振り返ってみよう。この間、アルバムの発表こそなかったものの、ベリアルはソロ、共作、リミックスの発表を精力的に行ってきた。まずは2011年にフォー・テットとの共作の発表が、彼の〈Text Records〉からあった。ヴァイナルでのみリリースされたシングル「Moth/Wolf Cub」、さらにはそのコラボにトム・ヨークを迎えた「Ego/Mirror」を同年に発表(ベリアルとフォー・テットは、2007年に出たヨークの『The Eraser Remix』にも参加している)。そこにふたりによる「Nova」のリリースが翌年に続いた。特に最初の「Moth/Wolf Cub」の評価が高く、真っ黒なラベルの12インチ上で、ベリアルの跳躍するガラージのリズムが、フォー・テットの荘厳で流浪なメロディと有機的に響いている。ソロイストとしての彼のポテンシャルは、この3枚でさらなる他者性へと解き放たれたと言ってよいだろう。
 2015年にはベリアルの良き理解者でもある、マーティン・クラークことジャーナリスト/DJ/プロデューサーのブラックダウンが主宰する〈Keysound Recordings〉から、ホワイトラベルの12インチ「Temple Sleeper」を発表(なおベリアルは2006年にブラックダウンの“Crackle Blues”をリミックスしている。ちなみに冒頭の2005年のテロの話は、ベリアルがクラークに語ったものだ)。彼が得意とするUKガラージのリズムと、ハードコアのブレイクを巧みに行き来する一枚だ。2017年にボディカの〈Nonplus〉から リリースされたシングル「Pre Dawn/Indoors」は、おなじみのヴォイス・サンプルやクラックル音がスキルフルにエディットされてはいるものの、思い切ってテクノの4/4のリズムに舵を切った作品でリスナーたちを驚かせた。この二枚は、この間、ベリアルがかつてないほどリズム・コンシャスになっていることを裏付ける好例である。
 リミックス業にも触れてみたい。2017年に、クリプティック・マインズの片割れであるサイモン・シュリーヴが別名義モニック(Mønic)で自らのレーベル〈Osiris Music UK〉から発表したシングル「Deep Summer」にベリアルはリミックスで参加。原曲はヘヴィーに響くスローなアンビエント・テクノだが、リミックスでは風鈴のような生楽器のサンプルを主軸に、オリジナルで流れるヴォーカルのピッチを変調させ、叙情的な楽曲へと変化させている。こちらとは対照的に、同年に話題になったゴールディ“Inner City Life”のリミックスでは、荒々しいドラム・ブレイクに、バッド・トリップへと誘うようなシンセのループが重なる。2019年にリリースされたルーク・スレーターの“Love”のリミックスでは、静寂なリズム・パターンをアンビエント・ブレイクで演出することによって、原曲の多幸感が、ベリアル独自のうつむいた悦楽へと変換された。この三曲においても、ベリアルは自身の傾向を保持しつつも、クラブ・ミュージック史の踏襲と展開の両方をおこなっていることがわかる。つまり、彼は確実に次へ進んでいるのだ。

 この活動の並行線上に『Tunes 2011 to 2019』はある。合計17曲の2時間と29分の厚さだ。1曲ずつ聴いていこう。
 前半では、主にノン・ビートの荒野が広がっている。思い返せば、この8年の間、ベリアルのシングルは高い確率でアンビエントを伴ってきた。1曲目の“State Forest”は、今年リリースのダンス・トラック“Claustro”のカップリング曲だが、約8分にも及ぶ持続するシンセのレイヤーは、シングルで聴取体験以上に聴き手を深遠へと誘い混んでいく。
 そこに続く“Beachfires”と“Subtemple”は、二曲入りのアンビエントのみのシングルとして2017年にリリースされている。1曲目に連なるような持続に重視した形でプレイされる、ベリアル・サウンドに満ちた前者と比べ、後者ではゆっくりと様々な光景が移り変わっていく。ノン・ビートのみの構成に困惑する声も当時はあったと記憶しているが、いま振り返ると、パーカッションを捨て去った先で、自分の声を見つけようとする彼の葛藤が見えてくるようである。
 この1曲におけるムードの移り変わりは、自曲の“Young Death”でも顕著であり、雨の音と電子的にストレッチされたヴォーカルが、自然とデジタル環境を越境していくような錯覚をもたらす。立ち替りに現れる音像は多くを語る前に、次へ、次へと進んでいく。続く“Night Market”は、同様の移り変わりを、持続音的連なりとアルペジエイターによる演出で描いている。1曲のなかに複数の曲が何層にもわたって待機しているかのようだ。この二曲も同じシングル盤として2016年に世に出ている。
 楽曲たちは双極性障害、あるいは精神分裂を引き起こしているかのようだ。6曲“Hider”は、シガー・ロスのアンビエントを思わせるようなシンフォニーに、突如、80年代のクリスマス・ソングのようなドラム・リズムが挿入される。そして、そのムードはほぼ無音状態によって突如として破られ、暗鬱たる静寂に飲み込まれていく。異なるバラードたちが10分のなかで現れる7曲目の“Come Down To Us”も同様の傾向をまとっている。
 ここで、今作は前半のラストに差し掛かる。CDでいえば最後の2曲だ。ここで1曲目のカップリング曲“Clasutro”が登場し、UKガラージの高速リズム上で、アイコニックなR&Bサンプルが舞う。アンビエントにおける抽象世界とは異なり、ダンス・チューンとしての一貫性があり、かつはっきりとした展開もある。前半を締めくくる“Rival Dealer”は2013年に6、7曲目ともにシングルの表題曲としてリリースされた楽曲だ。タイトルに示唆されるドラッグ・ディーラーの争いの顛末を描くように、強い感情を鼓舞する、ハードなブレイク・ビーツがかき鳴らされ、中域で4/4ビートに合流し、最後は光が埋めくアンビエントへと回帰していく。
 後半、あるいはCD2枚目は、対照的にリズム・セクションがメインの楽曲が続いていく。2012年のシングル「Kindred」に収録された表題曲、“Loner”、“Ashtray Wasp”が冒頭を飾る。まずはダークでパワフルなビートを持つ“Kindred”は、『Untrue』期と、様々なジャンルのリズム・アプローチをおこなう現在のベリアルの橋渡しのような存在なのかもしれない。他の2曲にも、UKの音楽史のみを参照としない手法が溢れている。
 13、14曲の“Rough Sleeper”と“Truant”も2012年に一枚のシングルとしてリリースされている。楽曲名は、それぞれ「路上生活者」と「学校をサボる生徒」を指す。ロンドンを歩いていて、路上生活者を目にしない日はないし、昼間のどんな時間でも学校に行っているはずの子供たちが路上にたむろしている。同じリズムを基調としつつも、サンプル・エディットで様々な風景を見せる前者、全体のなかで珍しく響く後者のゆったりとしたビートは、リズムにおける空間と低音に違った角度でスポットライトを当てている。
 今作の最後を締めくくるのは、2011年に出たEP「Street Halo」の表題曲、“Stolen Dog”、“NYC”の三曲だ。このようにして俯瞰してみると、この選曲は2019年作の1曲目にはじまり、最後にはこの楽曲群で最も古い2011年のシングルが配置されている。これを時代錯誤(アナクロニズム)的な意図と捉えることもできるが、個人的にはこの3曲には、この17曲の中で最も思い入れがあるのでラストにふさわしいと感じた。当時、『Untrue』の次を待っていたリスナーにとって、これまでのアプローチとハウス的手法がミックスされたサウンドでベリアルが戻ってきたときは、作家の成長を感じさせるものだった。ゴリゴリのベースと深遠なヴォーカル・サンプルが響く1曲目も、BPMを落とされたガラージのブレイクビーツの3曲目も素晴らしいが、やはり“Stolen Dog”の聴き手を突き放さない、優しくも物悲しいメロディとリズム・ワークは、8年後の現在も色褪せていない。

 DJやライヴを一切やらず、インタヴューも受けず、表舞台に出ることは極力さけつつも、シーンの一部として共作やリミックスをおこなってきたベリアル。その一方で彼がひとりで見てきた8年間のサウンドスケープは、ここで触れてきたように、ノン・ビートとダンス・ミュージックの間で揺れ動き、様々なグラデーョンを生んでいる。その彼を貫くものを、どうやったら捉えることができるのだろうか。
 楽曲に頻出するクラックル・ノイズは、2017年に亡くなった評論家のマーク・フィッシャーが『わが人生の幽霊たち』(2014年)で述べているように、確かに、レコード盤上に蓄積した傷跡や埃が奏でる時間の重みをダイレクトに映し出す。だがそれと同時に、その音はときに雨や焚き火のように美しく、郊外から見える都市中心部の明かりのように孤独に輝いている。それは、楽曲の放つ時代性というよりも、イメージを抱える空間/場所性と強くリンクし、過去に憑依された現在という時間観の脱構築、という手法のみで捉えきれるものではない。この17曲でそれを強く感じた。我々はフィッシャーのベリアルを引き継ぎつつも、さらに作り手と一緒に前に進まなければいけないのかもしれない。
 クラックル・ノイズだけではなく、ゲームの効果音、自然音など、ベリアルの手法において、サンプリングはなくてはならい存在だ。彼はそのネタをユーチューブなどから探してくることでも有名で、オリジナル曲だけではなくカヴァーなども参照することもある。つまり、彼は原曲という「真正性」をまといがちな対象に寄り添う、カヴァーをする一般人たちにも愛の目を向けてきた。それはいわば寄食者たち(Parasite:フランス語ではいわゆるパラサイトとノイズも意味する。今年亡くなった哲学者ミシェル・セールの『パラジット』を少し念頭に置いている)のための音楽である。彼の音楽は、ネット環境やレコード文化、あるいはレイヴという、音楽が循環するネットワークを体現しつつ、そこに点在する普通の小さなものたちを抱握する。今作に現れる路上生活者、学校をサボるキッズ、盗まれてさまよう犬。それらも小さな存在であるが、同時に逞しさも備えている。クラックル・ノイズも音楽を媒体するものがなければ存在しえないが、楽曲におけるそのプレゼンスは大きい。ベリアルの描く都市は、そのような存在によって支えられ、同時にそれらを肯定し続けている。
 先日、今作の日本流通盤のライナーを書いている野田努が、この楽曲たちにおいて参照されるR&Bなどの原曲が、当時どのような場所で鳴っていたのかが、このコンピを通してよくわかったと言っていた。聴き返して僕もなるほどなぁ、と思い、そこから自分でも書き進めた。その意味でも、今作はただのベスト盤以上のポテンシャルを備えており、通して聴くたびに様々なことを考えさせられる。
 ベリアルの場所性は、シングル「Rival Dealer」やその他の彼のアンビエントのように支離滅裂にねじれている。ベリアルの持つセンサーはそれを察知し、彼の音楽はそれを映し出す。リスナーはそこに自分の記憶を接続する。フィッシャーがそうであったように、そこで初めて彼の音楽は鼓膜に誰かの幽霊を生む。音そのものは酷な時代が通り過ぎていく環境を映し出しているに過ぎない。そこには先ほどの寄食者たちがうごめいている。そのサウンドが人を癒し、強烈にダンスをさせる。今日、ベリアルを聴く意味は、このようにしても生まれてくるのではないだろうか。

Mark De Clive-Lowe - ele-king

 ソロ・アルバム『Heritage』にロウニン・アーケストラにと、今年ノりにノっているマーク・ド・クライヴ=ロウだけれど、さらなるリリースのお知らせだ。彼の主催するパーティ《CHURCH》のセッションが音源化される。発売は年明け後の1月22日(水)。ソロ作もロウニン・アーケストラのアルバムも充実の内容だったので、このセッション録音盤もしっかりチェックしておきましょう。

Mark De Clive-Lowe
CHURCH Sessions

多岐なシーンで活躍を続けるキーボード奏者/プロデューサー“マーク・ド・クライヴ・ロウ”が主催する、セッション・イベント「CHURCH」。
ジャズ/ソウル/ヒップホップを代表するミュージシャンが多数参加した、躍動的な熱気と演奏が集約された音源が9周年を記念して一枚に!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/mark-de-clive-lowe-church-sessions

CHURCH はマーク・ド・クライヴ・ロウが2010年からLAで始めたパーティ。ミュージシャンのライヴとDJのプレイを垣根なく楽しむ場だ。「教会」の名が付いているのは伊達じゃない。飛び入りのセッションもあって、時間と共に様々な人々が混じり合う特別な空間が出来上がる。パーティ9周年を祝うセッションを収めた本作からは、その熱気と演奏のクオリティの高さが伝わるはず。LAのみならずNYでも評判となった CHURCH は、ハイブリッドでオープンマインドなジャズを追求してきたマークのライフワークである。 (原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : MARK De CLIVE-LOWE (マーク・ド・クライヴ・ロウ)
タイトル : CHURCH Sessions (チャーチ・セッションズ)
発売日 : 2020/1/22
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC63)
フォーマット : CD (日本企画限定盤)

Tracklist :
01. Kamau Daaood & Mark de Clive-Lowe / Invocation
02. Mark de Clive-Lowe / Smoked Something
03. Colectivo Arte & Manha / Mystic Brew (feat. Mark de Clive-Lowe, Ricardo Pino,
Antonio Bruheim & Joao Leandro)
04. John Robinson & Mark de Clive-Lowe / A.C.H.H.
05. Colectivo Arte & Manha / Atlantic Journey (feat. Mark de Clive-Lowe, Ricardo
Pino, Antonio Bruheim & Joao Leandro)
06. Joy Jones & Mark de Clive-Lowe / Steps Ahead
07. Stro Elliot, 14KT & Mark de Clive-Lowe / Part One
08. Stro Elliot, 14KT & Mark de Clive-Lowe / Part Two
09. Stro Elliot, 14KT & Mark de Clive-Lowe / Part Three
10. Mark de Clive-Lowe / Blueberries
11. Mark de Clive-Lowe / ESSS [Love the Space] (feat. Todd Simon & Te'amir)
12. Tommaso Cappellato / Ancient Prophecy (feat. Mark de Clive-Lowe)
13. Myele Manzanza, Mark de Clive-Lowe & Matt Dal Din / Montara
14. Mark de Clive-Lowe / Ryūgū-jō (Live at Grand Performances) [Bonus Track]

interview with Kode9 - ele-king

 今年で設立15周年を迎える〈Hyperdub〉。ベース・ミュージックを起点にしつつ、つねに尖ったサウンドをパッケージしてきた同レーベルが、きたる12月7日、渋谷 WWW / WWWβ にて来日ショウケースを開催する。
 目玉はやはりコード9とローレンス・レックによるインスタレイション作品『Nøtel』の日本初公開だろう。ロンドンでの様子についてはこちらで髙橋勇人が語ってくれているが、サウンドやヴィジュアル面での表現はもちろんのこと、テクノロジーをめぐる議論がますます熱を帯びる昨今、その深く練られたコンセプトにも注目だ。この機会を逃すともう二度と体験できない可能性が高いので、ふだんパーティに行かない人も、この日ばかりは例外にしたほうが賢明だと思われる。
 ほかの出演者も強力で、アルカのアートワークで知られるジェシー・カンダの音楽プロジェクト=ドゥーン・カンダ(11月29日に初のアルバム『Labyrinth』をリリース済み)や、昨年強烈なEP「Enclave」を送り出したアンゴラ出身のナザールと、なんとも刺戟的な面子が揃っている。さらにそこに〈Hyperdub〉からリリースのある Quarta 330 をはじめ、Foodman や DJ Fulltono、Mars89 といった日本のアンダーグラウンドの最前線を牽引する面々が加わるというのだから、これはもうちょっとしたフェスティヴァルである。
 というわけで、来日直前のコード9にレーベルの15周年や『Nøtel』、まもなく発売されるベリアルの編集盤などについて、いくつか質問を投げかけてみた。(小林拓音)


photo: David Levene

『Notel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。

今年で〈Hyperdub〉は15周年を迎えます。2004年にレーベルをスタートさせたとき、どのような意図や野心があったのですか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):はじめたときは、亡きスペースエイプと一緒にやっていた自分の音楽をリリースするレーベルにしたいと考えていただけだった。それ以上の目標は持っていなかったよ。

それは、いまでも続いていますか? この15年で大きな転換点はありましたか?

SG:それが、当初の目的はあっという間にどこかへ行ってしまって、他のアーティストたちの作品をリリースするようになった。ある意味、まったく逆のことをやっている──いまでは自分の音楽をやる時間はほとんど持てないからね。ベリアルのアルバムを出したのは、間違いなく大きな転機だった。2014年に起こったDJラシャドとスペースエイプの死もそうだ。

『Diggin' In The Carts』のリミックスは、あなたのオリジナル作品と言っていいくらい独自にリミックスされていましたけれど、そのとき意識していたことや、4曲の選出理由を教えてください。

SG:2017年から、アニメイターの森本晃司が制作した映像を使って、オーディオヴィジュアル・ライヴを続けている──音楽は、コンピレイション・アルバム『 Diggin' In The Carts』の中から14曲を自分でリミックスしたものを使っている。リミックスEPには、その14曲から好きなトラックを選んだだけなんだ。

12月7日の来日公演に出演するドゥーン・カンダ(Doon Kanda)はヴィジュアル・アーティストとしてのほうが有名ですけれど、その音楽についてはどう思っていますか?

SG:彼の映像表現は、驚きに満ちていてすごく独特だ。音楽にかんしては、鋭敏で優美なメロディ・センスを持ち合わせていると思う。初めてその音楽を聴いたとき、これは アルカの曲だろうかと思ったんだけど、いまでは彼独自のサウンドを徐々に見つけていると思う。今回のアルバムはリズムもすごくおもしろくて、電子音でワルツを刻んでいると言ってもいいくらいだ。


photo: David Levene

おなじく今回来日するアンゴラのナザール(Nazar)ですが、彼の音楽の魅力とは?

SG:ナザールは、ここ最近〈Hyperdub〉で契約した新人でもとくに楽しみなひとりだ。他にはまったくないサウンドを持っていて、それを自分で「ラフ・クドゥーロ」(訳註:クドゥーロはアンゴラ発祥の音楽形式)と呼んでいる。彼がふだん鳴らしている音を説明するなら、ベリアルの音楽をさらに騒々しくしたヴァージョンと、マルフォックスニディア、あるいはニガ・フォックスらによる〈Príncipe〉レーベルの音楽の中間にあると言える。パフォーマンスをするときは、自分の音楽だけを演奏していて、何から何まで独創的な音の世界を聴かせてくれる。彼の作品テーマはアンゴラの内戦と関わりがあって、それで僕の著書『Sonic Warfare』とも共鳴する部分がある。そこがたいていのプロデューサーとちがうところだ。

まもなくベリアルのコンピレイションがリリースされます。彼のことですので、たんにレーベル15周年を祝ってという理由だけでなく、何か考えがあるように思えます。すべて既出の音源ですが、曲順も練られているように感じました。これは実質的に彼のサード・アルバムと捉えてもいいのでしょうか?

SG:彼は適切な流れをつくれるように考えて曲順を決めていた。厳密にはサード・アルバムとは言えないだろう──アルバム『Untrue』以降にリリースされたトラックをほぼすべて網羅したものでしかない。ここに収録されたトラックはどれも、アルバムに入っていないからという理由で、見過ごされてきたように感じられる。われわれとしては、今回の楽曲には、アルバムの収録曲より優れたものさえ存在すると確信している。

今年はサブレーベルの〈Flatlines〉も始動しましたね。第1弾はマーク・フィッシャーとジャスティン・バートンによる作品『On Vanishing Land』で、フィッシャーゆかりのアーティストが多く参加しています。この作品は彼への追悼なのでしょうか?

SG:そうだと言ってかまわない。レーベルの名前は、彼が博士号を取得したさいのテーマにちなんでつけたもので、この作品は、彼の最後の著書『The Weird and the Eerie』に記されたアイディアのいくつかをオーディオエッセイというかたちで実践したものだ。

今後〈Flatlines〉はどのような作品を出していく予定なのでしょう?

SG:もしかしたら、僕自身のオーディオエッセイをいくつか出すかもしれない。

AIやテクノロジーのことがよく話題にのぼる昨今、「もともと人間のために作られたシステムが、人間消滅後もシステム自らのために稼働し続ける」という『Nøtel』の設定は示唆的です。作品のもととなったあなたのアルバム『Nothing』が出てから4年たちましたが、『Nøtel』にはどのような反応が返ってきていますか?

SG:『Nøtel』は興味深いプロジェクトとして続いてきた。最初は僕とローレンス・レックが加速主義(訳註:現行の資本主義プロセスを加速することで根本的な社会変革に結びつけようとする思想)について意見を交わすことからはじまった。それがアルバムの2つ折りジャケットのアートワークにつながった。それから仮想空間に建造物を再現し、僕がライヴ演奏をしているあいだにローレンスがゲーム用コントローラーを使って内部を移動する様子を映し出す(それぞれのトラックにひとつの部屋が割り当てられている)という形式ができて、さらにはユーザー参加型のVR作品に仕上がった。そして『Nøtel』を実際のホテルに見立てた架空の広告を制作し、香港のアート・バーゼルというイヴェントで最大規模のヴィデオ展示をおこなった。12月には上海での展示がおこなわれる──『Nøtel』はこれまで突然変異を繰り返して異なる環境をつくり出し、いまもなお発展を続けている。今回、初めて日本でのパフォーマンスが実現する。


photo: Philip Skoczkowski

『Nøtel』では、資本主義を打ち破るコンセプトとして、ジャーナリストのアーロン・バスターニが描いた全自動ラグジュアリー共産主義(Fully Automated Luxruy Communism)が、資本主義的に読み替えられた全自動ラグジュアリー(Fully Automated Luxury)というコンセプトとして登場します。『Nøtel』は、人間がいなくなったあとも資本主義リアリズムがテクノロジーによって構築され続ける世界です。わたしの記憶が正しければ、『Notel』のなかには、亡くなったスペースエイプやDJラシャドがまるで幽霊のようにホログラムや映像として登場します。人間のいない『Nøtel』の世界に幽霊がいるとすれば、それはどのような意味を持つのでしょうか?

SG:『Nøtel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。『Nøtel』は、富裕な人びとが求める社会的分離が行き着くところまで行ってしまった皮肉な事態(従業員が機械化されたのみならず、『Nøtel』には、もはや宿泊客がやって来ない──ただ、なぜそうなったのかをわれわれは語らない)をあらわすと同時に、「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」(訳註:技術革新によって実現できるとされる豊かな共産主義社会で、アーロン・バスターニの著書『Fully Automated Luxury Communism』のタイトルと一致する)という概念があっても、それが企業体によっていかに容易に私物化されうるかという皮肉を示している。『Nøtel』では、ドローンが従業員として仕事をする。そしてこの作品は、自分たちを使役する人間が存在しなくなったと認識したドローンが自由を獲得することで結末を迎える。

あなたは、今回一緒に来日するローレンス・レックの映像作品『AIDOL』に、声優として出演していますね。『AIDOL』の舞台は東南アジアです。では『Nøtel』の世界では、「東洋」はどのように存在しているのでしょう?

SG:物語の上で、『Nøtel』は国有の中国企業によって経営されている──そのブランド戦略を担うコンサルタントのひとりはロンドンのアートスクールで学んだ経験があり、そこで「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」という言葉を耳にして、意味をとりちがえたまま中国に持ち帰り、迂闊にも高級ホテルチェーンのキャッチフレーズに転用してしまったんだ。

『Nøtel』における機械(ドローン)には、われわれ人間と同じような肉体があるわけではないですが、人間性のようなものが宿っているようにも見えます。われわれは機械の尊厳についても考えるべきでしょうか?

SG:ドローンには、自由になりたいという欲望がプログラムされていて、それは、主人である人間に仕えるよう定めたプログラムよりも根源的なものとして機能する。どうあれ、人間は自動化を進めたまま、やがて終焉を迎えたということだ。

Hyperdub

Kode9 率いる〈Hyperdub〉の15周年パーティーが "Local X9 World Hyperdub 15th" として WWW にて12月7日(土)に開催決定!
また、孤高の天才 Burial が歩んだテン年代を網羅したコレクション・アルバムが国内流通仕様盤CDとして12月6日(金)に発売決定!

00年代初期よりサウス・ロンドン発祥のダブステップ/グライムに始まり、サウンドシステム・カルチャーに根付くUKベース・ミュージックの核“ダブ”を拡張し、オルタナティブなストリート・ミュージックを提案し続けて来た Kode9 主宰のロンドンのレーベル〈Hyperdub〉。本年15周年を迎える〈Hyperdub〉は、これまでに Burial、Laurel Halo、DJ Rashad らのヒット作を含む数々の作品をリリースし、今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンの指標であり、同時に先鋭として飽くなき探求を続けるカッティング・エッジなレーベルとして健在している。今回のショーケースでもこれまでと同様に新世代のアーティストがラインナップされ、東京にて共振する WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉と共に2020年代へ向け多様な知性と肉体を宿した新たなるハイパー(越境)の領域へと踏み入れる。

Local X9 World Hyperdub 15th

2019/12/07 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird ¥2,000@RA
ADV ¥2,800@RA / DOOR ¥3,500 / U23 ¥2,500

Kode9 x Lawrence Lek
Doon Kanda
Nazar
Shannen SP
Silvia Kastel

Quarta 330
Foodman
DJ Fulltono
Mars89

今回のショーケースでは、Kode9 がDJに加えシミュレーション・アーティスト Lawrence Lek とのコラボレーションとなる日本初のA/Vライブ・セットを披露。そして最新アルバム『Labyrinth』が11月下旬にリリースを控える Doon Kanda、デビュー・アルバムが来年初頭にリリース予定のアンゴラのアーティスト Nazar、そしてNTSラジオにて番組をホストする〈Hyperdub〉のレジデント Shannen SP とその友人でもあるイタリア人アーティスト Silvia Kastel の計6人が出演する。

BURIAL 『TUNES 2011-2019』

Burial の久しぶりのCDリリースとなる『TUNES 2011-2019』が帯・解説付きの国内流通仕様盤CDとしてイベント前日の12月6日にリリース決定!

2006年のデビュー・アルバム『Burial』、翌年のセカンド・アルバム『Untrue』というふたつの金字塔を打ち立て、未だにその正体や素性が不明ながらも、その圧倒的なまでにオリジナルなサウンドでUKガラージ、ダブステップ、ひいてはクラブ・ミュージックの範疇を超えてゼロ年代を代表するアーティストのひとりとして大きなインパクトを残したBurial。

沈黙を続けた天才は新たなディケイドに突入すると2011年にEP作品『Street Halo』で復活を果たし、サード・アルバム発表への期待が高まるもその後はEPやシングルのリリースを突発的に続け、『Untrue』以降の新たな表現を模索し続けた。本作はテン年代にブリアルが〈Hyperdub〉に残した足取りを網羅したコレクション・アルバムで、自ら築き上げたポスト・ダブステップの解体、トラックの尺や展開からの解放を求め、リスナーとともに未体験ゾーンへと歩を進めた初CD化音源6曲を含む全17曲150分を2枚組CDに収録。

性急な4/4ビートでディープなハウス・モードを提示した“Street Halo”や“Loner”から、自らの世界観をセルフ・コラージュした11分にも及ぶ“Kindred”、よりビートに縛られないエモーショナルなス トーリーを展開する“Rival Dealer”、史上屈指の陽光アンビエンスが降り注ぐ“Truant”、テン年代のブリアルを代表する人気曲“Come Down To Us”、そして最新シングル“State Forest”に代表される近年の埋葬系アンビエント・トラックまで孤高の天才による神出鬼没のピース達は意図ある曲順に並べ替えられ、ひとつの大きな抒情詩としてここに完結する。

label: BEAT RECORDS / HYPERDUB
artist: Burial
title: Tunes 2011-2019
release date: 2019.12.6 FRI

Tracklisting

Disc 1
01. State Forest
02. Beachfires
03. Subtemple
04. Young Death
05. Nightmarket
06. Hiders
07. Come Down To Us
08. Claustro
09. Rival Dealer

Disc 2
01. Kindred
02. Loner
03. Ashtray Wasp
04. Rough Sleeper
05. Truant
06. Street Halo
07. Stolen Dog
08. NYC

KODAMA AND THE DUB STATION BAND - ele-king

 こだま和文のDUBは、ジャマイカのそれとも、UKの寒さのなかで生まれたそれとも、また違った自己主張をしている。そのDUBは、言うなれば素朴さや慎ましさを反響させるかのようだ。勝手に書くが、庶民の慎ましい生活にリンクすることが、こだま和文のDUBの想いなのだろう。
 こだま和文のDUBはいまのUKで言えば、まったくスタイルは違うけれど、じつはスリーフォード・モッズやリチャード・ドーソンのような人たちに近い。その音楽が庶民の視点によって生まれているという意味においてそうなのだ。ぼくに言わせれば、ケン・ローチ・ミーツ・日本のDUBである。

 Kodama And The Dub Station Band、通称ダブステ(not dubstep)の4枚目のアルバム『かすかな きぼう』はこの時代の日本への素晴らしい贈り物だ、と景気よく言いたいところだが、こだま和文のDUBは聴く人を選ぶかもしれない。
 とくに取り柄のない、日本ならどこにでもありそうな住宅地に、まあ、エリアによっては近年減ってはいるが、空き地があるとする。空き地には、雑草が生えている。歩いていた足を止めて、ふとその雑草を見入ってしまう。そのぐらいの心の余裕がないと、ダブステの透き通るようなレゲエは入ってこない。なんて偉そうなことを書いているぼくは、年を重ねるなかで、そういう心の余裕を無くしつつあるのだが……

 ダブステは、もともと1999年11月、『Riddim』創刊200号記念のイベントに出演するための一夜限りのバンドだったが、そのときのリハーサル音源(モノラルの一発録音)が2005年にミキシングされて最初のアルバム『In The Studio』としてリリースされた(この独特の音質の作品は、昨年アナログ盤として再発されている)。
 その後もカヴァーを交えながらオリジナル曲も増やしつつ、こだま和文としてはミュート・ビート以来のバンドとして活動が続いている。
 ミュート・ビートはすご腕をもったミュージシャンが揃っていたが、ダブステも引けを取らない。ただ、大きな違いはある。こだまの表現は、ソロ活動とそして9.11および3.11を経てからは、変わらざるを得なかった。この変化は曲の背後に大いに反映されていることだろう。

 ナオミ・クラインは『ショック・ドクトリン』において、大災害が起きたあと大衆が茫然自失状態に陥ったときにつけ込む政治について書いている。日本人にとって3.11は、おそらく戦後最大の茫然自失状態をもたらしている。そして、おそらくそこからまだ立ち直れないでいる。ゆえに、癒されたいというのがいまの日本の音楽シーンを覆っているメンタリティだとしよう。9.11後の茫然自失状態がヴェイパーウェイヴを促したという解釈にならえば、シティポップというファンタジーは、機能の仕方としてはそれに近く、いわば対処療法的に、つまり現実を忘れたいと。無意識のなか、3.11以前の世界に戻りたいという。サイモン・レイノルズがレトロマニアと呼んでいるそれである。

 こだま和文は、ペシミストではあるが疲れ切ってはいない。彼はきっと、アクチュアルな現実のなかで見つかる喜び以外は喜びではないと思っているに違いない。ここに、こだま和文がレゲエと結びつく必然がある。レゲエのサウンドは、タフな現実を生きている人たちのささやかな喜びのなかで生まれた。
 また、その音楽にはアメリカのブラック・ミュージックやロック、そしてジャマイカの土着音楽であるメントが入っている。高名なレゲエ研究者スティーヴ・バロウによれば、メントはアフリカ音楽とスコットランド民謡やアイルランド民謡なんかがごっちゃになっている、これまたハイブリッドな音楽である。ザ・スカタライツが60年代によくわからずに美空ひばりの“リンゴ追分”をカヴァーしてしまったように、じつはレゲエのなかには、ジャマイカの土着性とUSブラック以外の要素が含まれている。レゲエで“遠き山に日は落ちて”をやってもなんの不自然さがないのはそういうことだ。この回路は、キングストンのサウンドシステムから国立の空き地にまで根をはっているのだ。

 ダブステバンドは、当たり前の話バンドであって、しかもまとまりのあるバンドで、やはりアンサンブル全体がひとつの塊となっている。同時に、そのヴァリエーションは、さながらレゲエ辞典である。
 “霧の中でSka”では、ジャッキー・ミットゥーを彷彿させる Hakase-Sun の鍵盤が最高のアフタービートを走ることでムードを盛り上げている。曲の雰囲気は、テンポこそ違えども、ザ・スペシャルズの黙示録的名曲“ゴーストタウン”を思い出す。
 重たいリズムと勇ましいメロディを持ったルーツ・レゲエ調の“Chorus”が続くと、ミュート・ビート時代の朝本浩文作曲の“Sunny Side Walk”が待っている。明るいメロディを響かせながら、曲調にうってつけの日本語歌詞を載せたカヴァーは、決定的なロックステディである。Ariwa (ゼルダのサヨコさんの娘さん)のトロンボーンがダブステに新たな活力を与えていることは疑いようのない事実だが、彼女の甘い歌声もまた武器になっている。
 表題曲“かすかな きぼう”は、こだま和文がこれまで発表してきた数々の叙情詩──古くは“Organ's Melody”や“キエフの空”や“Quiet Dub”、あるいは“Earth”とか──の最新版であり、頭にこびりつくメロディを有している。レゲエのリズムが流れているとはいえアンビエント・フィーリングもある独特の作風で、しかも普遍性を持った楽曲である。
 ゆったりしたスカのリズムに揺られて展開する“雑草 (Weed)”では、包み込むような温かいメロディがより前面に出て、胸の奥底に忘れてしまった幸せな気持ちを思い出させてくれる。こんな平和で優しい曲は、こだまのこれまでのディスコグラフィーにあっただろうか。
 “Straight To Dub”では、やや重めのダブ空間のなか、ジョー・ギブスとエロール・トンプソンの『アフリカン・ダブ』めいた迫力ある管楽器と即興的なピアノとの絡みが聴ける。そして、次の曲“Gypsy Cigarette”を聴いたとき、ぼくはまたしてもザ・スペシャルズを思い出してしまった。曲全体から漂うどうにもならないブルーな気配が似ているし、じっさいいまの日本は、ザ・スペシャルズがこの世は地獄だと訴えたイギリスの80年代とある部分酷似している。
 本作『かすかな きぼう』は、こうしたメランコリーを日本が失いつつある風景のなかで反転させる。“遠き山に日は落ちて”のメロディを引用する“New World”は、あたかも、自分たちには戻れる場所があるだろうと指し示しているようだ。いまより貧しかったかもしれないが、社会はいまより平等であった時代への強烈な郷愁。
 それから、アルバムは再度“霧の中でSka”の (Mute Version)へとつながり、夜の闇に紛れていくように“Straight To Dub”の(Tez Dub Version)で締めくくられる。

 『かすかな きぼう』は、文字通り、ぼくにとっての“かすかな きぼう”でもある。たしかにこの音楽のなかにはじゃがたら的な要素もフィッシュマンズ的な要素もあろう。が、それ以上に、こだま和文とバンドの全員がこつこつと積み上げてきたものが、保持し続けているヴァイブが最高の形で録音されている。ジャケットに描かれた青い色が、この音楽の核にあるものすべてを示唆しているようだ。

野田努

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 あらためてブックレットをひっぱりだしてみる。5人のバンド・メンバー以外、楽器のクレジットはない。ぼくが持っているのは98年の再発盤だから、もしかしたらオリジナル盤のほうには記載されていたのかもしれない。タイトルは「チャンス」。ギターがカッティングを開始する手前、強引になだれこむドラムによって道が切り拓かれた直後、むせびなくような金管の音が響きわたる。遅れて生まれてしまったがゆえにオンタイムで MUTE BEAT に接する機会などなく、またフィッシュマンズでさえぎりぎり後追いせざるをえなかった若輩の耳に、結果的に、いつまでもいつまでも残りつづけることになったのは、イラクへの空爆がはじまる前後に録音された、『泣くなよ、チャッピー』の最後から2番目におかれたその曲の、かなしげなトランペットの音(ね)であった。

 より何度も聴きこむことになったのは『A Silent Prayer』だった。アートワークの空には雲がかかっている。列島のどこかから見上げられたであろうその空は、ニューヨークともアフガニスタンともイラクともつながっている──とりとめもなくそんなことを考えたのは18の夏だった。9・11という「前代未聞」の出来事に、どう思考を巡らせばいいのか皆目見当もつかなかった田舎の少年は、そのままふたたびイラクへの空爆へとなだれこんでいく世の情勢を、ただ「おかしい、おかしい」と、そのじつ何がおかしいのかもわからぬまま、ひとりぼやきつづけるしかなかった。むりやり明るいふりをしているかのようなラヴァーズ“La Birds Rock”から絶望の淵で光を希求する“Sun-Ka”を経て、しかしその救いを拒絶するかのように、「とにかく、ひとつひとつやっていく」「地雷をひとつずつ撤去するように」「応答願います」と重く、切実なことばで閉じられる、暗いアルバム。当時は DUB STATION だった。彼はひとりだった。それから15年近い年月が経ちこだま和文は、もう一度、仲間たちとともに DUB STATION BAND として動き出した。

 今回のアートワークもやはり、空に雲がかかっている。今度の雲は手のようにみえる。ぎりぎりでつかみ損ねてしまった、救えなかった誰かの手=過去だろうか。それとも、たったいま救おうと手を差しのべた、その先にある誰かの手=未来だろうか。いずれにせよこの『かすかな きぼう』は、ソロから再度バンドへと転生するなかで紡ぎ出された、『A Silent Prayer』のその後の物語にちがいないと、ぼくは直感的に、勝手に把握した。
 開幕“霧の中でSKA”のスカも、ひとときの陽気を誘う“雑草”も、ヘヴィなダブを堪能させてくれる“STRAIGHT TO DUB”も、“家路”として親しまれているドヴォルザーク作曲の“NEW WORLD”も、ただただすばらしいとしかいいようがない。どの曲もかなしみに包まれている。細部の音響も丁寧だ。まぎれもなくこだま和文のものである旋律を聞かせる“CHORUS”では、背後にうっすらと敷かれたシンセが、わたしたちのかなしみを増幅させていく。
 あるいは“SUNNY SIDE WALK”のカヴァー。ARIWA のヴォーカルもコウチの詞も、何もかもがうまく噛みあっている。この歌詞は、コウチが散歩をしているときの情景を描いたものだという。8年ほどまえにぼくは尊敬する先輩から、「最近、デモよりも散歩のほうがいいんじゃないかと考えている」という話を聞かされたことがある。以来、ぼくもよく散歩をするようになった。街を歩くという点において両者に大きな差はないけれど、なるほどたしかに直接的な対立や熱狂に呑みこまれず、落ち着いてひとりで何かを思考するという点において、散歩はデモとは異なる体験をもたらしてくれる。じっさいに地に足をつけるミクロな自分。道や建物、通行人から浮かび上がってくる社会。そして、見上げる空でつながっているはずの、遠い異国の世界。散歩はぼくにとってその三つへの視界を同時に開いてくれるものだが、それとおなじことをこだま和文の音楽にも感じる。
 先日のインタヴューでこだまは ARIWA との出会いを回想している。みずからに制約を課すことになるとわかっていながら、しかしそんな条件を考慮する間もなく、どうしようもなくこの人と一緒に音を奏でたいと思ってしまう、そんなひとりの人間の生涯において何度あるかわからないような稀有な瞬間、それは、とても陳腐ないいかたになってしまうけれど、奇蹟としか呼びようのないものだと思う。奇蹟はそして、ぼくやあなたや、あなたの知り合いやそのまた知り合い、さらには海の向こうの誰かにも、なんらかのかたちで起こっているのかもしれなくて──たとえばそう想像してみること。

 決定的なのはやはり表題曲の“かすかな きぼう”だろう。この曲も背後のシンセが他の曲とは異なる情感を醸し出しており、トランペットもまた絶対にほかの誰ともとりかえることのできない旋律と、振動を響かせている。
 かすかな。微かな。幽かな。「希望」という通常ポジティヴな意味を担わされる単語の頭に、それを中和するような四つの文字が乗っかっている。ここにこのアルバムのすべてが集約されている。「希望」ということばを目にするたびにぼくは、いつもふたつの文を思い出す。ひとつは、デトロイトのとあるビルの壁に書きなぐられた「革命は希望なきものの希望である」という一文。もうひとつは、のちにナチスから逃れる道程で命を絶つことになる批評家が遺した、「希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている」という一文。これらはまさに、こだま和文の音楽をあらわすためにこそ書き記されたことばではないだろうか。二木さんの取材に同席しながらぼくはずっと「希望」について考えていた。「ネガティヴなことだけじゃ成り立たない。かといって、希望じゃないんですよ。ましてや明るく楽しく踊ろう、ということではない。そこで出てきたものが“かすかな”という言葉だった」。

 3・11以降、いろんなことが変わってしまった。でも、変わらなかったものがひとつだけある。呼び方はなんでもいいけれど、体制、権力、支配……ようするに日々ぼくたちを苦しめている根幹そのもの。それだけは何も変わらなかった。むしろ、混乱する人びとの動揺に便乗して、より強化されてしまったようにさえ感じる。『かすかな きぼう』は、そんな時代を生きる、そっち側に行けないすべての人びとを、希望なき人びとを、過度に鼓舞することもなく、過度に慰めることもなく、ただそのかたわらでそっと、かなしみのエコーを響きわたらせる。こんなにも、こんなにも「いま」の日本をとらえた音楽がほかにあるだろうか。
 目の前の日常に追われる生身の人間と、それをとりまく社会、そしてその先に想像される遠く離れた、だがおなじ空の下にあるはずの世界。こだま和文の音楽では、そのすべてがつながって存在している。啓蒙なんかじゃない。もちろん叱責でもない。かといって癒しでもない。ただ、日々を生きる人びとの静かなかなしみが横たわっている。『かすかな きぼう』。これを大衆音楽と、つまりは人民の音楽と呼ばずに、何をそう呼ぶのか。

小林拓音

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