Home > Reviews > Album Reviews > Aho Ssan & Resina- Ego Death
パリを拠点とする電子音楽家アホ・サン(Aho Ssan)と、ポーランド出身のチェリスト/サウンド・アーティスト/作曲家レジーナ(Resina)によるコラボレーション・アルバム『Ego Death』が、ベルリンのレーベル〈Subtext〉からリリースされた。
アホ・サン(本名:Niamké Désiré)は、フランス在住の黒人電子音楽家である。グラフィック・デザイナーおよび映画監督としてキャリアを開始したのち、電子音楽家へと転身。2015年にはフランス・テレビ財団賞を受賞し、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)やGRM(フランス音楽研究グループ)との協働を通じて活動の幅を広げるなど、順調なスタートを切った。
アホ・サンは〈Subtext〉からは電子音響/ノイズの傑作『Simulacrum』(2020)およびそのリミックス・アルバム『Simulacrum Remixed』、さらに KMRU との共作『Limen』(2022)を発表する。2023年には、ニコラス・ジャーのレーベル〈Other People〉より、哲学的主題を扱った書籍と音源を組み合わせた『Rhizomes』を発表し、注目を集めた。
彼は、自身の黒人としての出自と、ポストモダン以降の社会的課題をつねに創作と思考の中心に据えている。ボードリヤールやドゥルーズ/ガタリといった現代思想を参照しつつ、緻密で鋭利な電子音響作品を継続的に発表するアーティストである。ジャン・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』を読んだことが、単独での制作に向かう契機となったという。重要なのは、彼が単なるアカデミズムの枠に留まらず、社会的背景に根差しつつ都市のリアルに向けて強烈な音を発する点である。
一方、レジーナ(カロリナ・レック)は、チェリストおよび作曲家としての素養を持ち、アホ・サンとは異なる音楽的背景を有している。これまでに〈FatCat〉傘下の〈130701〉より『Resina』(2016)、『Traces』(2018)、『Speechless』(2021)の三作を発表。モダン・クラシカルとダーク・アンビエントの交差点に位置するシネマティックかつミニマルな音響を展開してきた。現代音楽家としての確かな技量を有しつつも、クラシック音楽の範疇に留まらず、先鋭的な実験音楽の領域においても活動している。
両者の初共演の契機となったのは、2020年に開催されたオンライン即興セッション「Weavings」である。これは、アーティストのニコラス・ジャーとポーランドの前衛音楽フェスティヴァル「Unsound」のチームが企画したプロジェクトであり、Zoomを介して世界各地の12名のミュージシャンが物理的距離と時差を越えて音を「編む」という試みであった。
この場で初めて邂逅したレジーナとアホ・サンは、使用ツールや音楽的出自こそ異なるものの、即座に直感的な対話を開始。異なる音楽言語を用いながらも共通の文法に基づく対話が自然発生的に生じたという。
その後、レジーナはアホ・サンの『Rhizomes』(2023)に参加(第4曲 “Till The Sun Down (feat. clipping. & Resina)”)。ドゥルーズ=ガタリ的哲学を参照し、ポストヒューマン的視座からアイデンティティの断片化と再構築を試みた『Rhizomes』において、両者の協働関係は一層深まった。続けて、「Weavings」のライヴ・ヴァージョンを発表。そして2022年、ポーランド・クラクフで開催されたサウンド・フェスティヴァル「Unsound」において、新たな共同プロジェクト「Ego Death」が初演された。
数年におよぶ長期的なプロセスを経て完成したアルバム『Ego Death』は、全8章から構成されるドローン/エクスペリメンタル・ミュージックの大作である。本作の主題は、自己の「解体」と「再構築」の過程である。レジーナのチェロは旋律的機能を脱し、擦過音、倍音、弓圧の変化といった音の物理的構造にまで還元されていく。そこへアホ・サンがノイズ、フィールド録音などを用いて音の地層を重ね、一つの音響地形を形成していく。アホ・サンの無機的かつ情緒的な電子音響と、レジーナのクラシカルな要素とが交錯することで、サウンドはシネマティックで劇的な空間性を獲得する。
アルバム『Ego Death』は全8章を9トラックに分割して収録。マシニックな電子音響にレジーナの音世界が漸次的に交じり合う過程は圧巻である。“Egress I., Pt. 1” では重層的なドローンが展開され、“Egress I., Pt. 2” では断続的かつ破壊的なビートがノイジーな音響の中で躍動し、エクスペリメンタルな暗黒音響へと変容する。3曲目 “Egress II” では、前曲でも微かに聴こえていたパイプオルガン的な音に、ピチカート的な弦の響きが静謐に重なる。この不穏な静けさは “Egress III” にも引き継がれていく。
なかでも「声」が前景化する “Egress V” は、本作のクライマックスと呼び得る曲だ。声、ミニマルなオルガン、メタリックでダイナミックな電子音響が交錯するサウンドスケープは、人間の意識が身体から電子メディアへと転送されるような知覚を生起させる。脳内信号が電気的インフラへと変換されるこのプロセスにおいて、我々は創造性を得るのか。あるいは喪失するのか。そのような「問い」が音響の微細な隙間に刻まれているように聴こえてならない。
そう、『Ego Death』は、このようなポストヒューマン時代における音響実験としての「エゴ・デス(自我の死)」という概念と連動しつつ、創造の主体、制御、所有といった問題系へと根源的な問いを投げかけている。音は演奏者の手を離れ、コントロールされる対象としてではなく、共鳴と変容を繰り返す有機的存在として現出する。あるいは、こう言い換えることもできるかもしれない。「自己の消失は、現代社会においてむしろ救済となり得る」と。孤独な創作ではなく、他者と共に聴き合い、自我を手放すことで現出する音響空間。『Ego Death』は、そのような創造的態度を体現している。
アホ・サンとレジーナは、異なる音楽的ルーツと方法論を背景としながらも、「音楽における境界線の再定義」を共通のテーマとして追求してきた。本作はそのひとつの到達点であると同時に、新たな創造の出発点でもある。2025年のエクスペリメンタル・ミュージックにおいて、本作は疑いなく重要な成果であり、電子音とチェロによる冷徹な音響構築は、聴き手を氷点下の音響空間へと導く。まさに必聴の一枚といえよう。
デンシノオト