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熊は、いない

熊は、いない

監督・脚本・製作:ジャファル・パナヒ
撮影:アミン・ジャファリ 
編集:アミル・エトミナーン 
サウンドデザイン:モハマド・レザ・デルパック
2022/イラン/原題: خرس نیست/英題:NO BEARS/ペルシア語・アゼリー語・トルコ語/107分/カラー/ビスタ/5.1ch
日本語字幕:大西公子/字幕監修:ショーレ・ゴルパリアン
配給:アンプラグド
©2022_JP Production_all rights reserved

9月15日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

三田格 Oct 03,2023 UP

 試写状を裏返すと上映場所がイラン大使館と書かれていた。これは珍しい。イラン映画は機会があれば観るようにしていたし、イラン大使館に入れるのは面白そうだと、それだけで『君は行く先を知らない』の試写に行ってみた。麻布十番から少し歩いたところにある白い建物。アメリカ大使館と同じように坂を上っていき、しかし、銃を持った警備員が立ちはだかることはなかった。入り口で試写状を渡して階段を降りると壁一面にペルシャ絨毯が貼りめぐらされている。美しくて威厳がある。その奥に大きめのプレゼンテーション・ルームがあり、映写スペースを兼ねている。手前のロビーも広くてテーブルにイランのお茶やお菓子が並べてあり、DJパーティにちょうどいいスペースだと思ったり。トイレは和式で、洋式はひとつだけ。あとで聞いたら女性用も洋式はひとつだけだったという。上映が始まる前に大使や広報係の挨拶が続く。起立して国歌斉唱もあった(♪なんとかかんとかイ~ラ~ン~)。この作品はイランでは上映禁止になっている。だけど、大使たちはこの作品に出演している役者が好きなので、日本では上映したかったという。上映禁止の理由は申し上げられないけれど観ればわかるということだった。国家の方針よりも映画の役者が優先。いいマインドじゃないですか。本国に知られたら処分されたりするんだろうか。体制を批判するプロパガンダの罪で禁錮4年とか? そういえば大使館に来た女性たちは頭にヒジャブを巻けとは言われていない。皆さん、髪の毛丸出しで歩いている。本国では今月20日にヒジャブを巻いていない女性は10年以下の禁固刑に処するという法案が通っている。ヒジャブをバカにするだけで罰金と2年以内の渡航禁止。人間だけでなくマネキンや人形も髪の毛を出してはいけない。女性たちが服装自由ではない社会。これはさすがにどうかしている。自由主義にも多々問題はあるだろうけれど、衣服に関してはやはりイスラム社会はいただけない。ポニーテール禁止とか、肌を出していたDJソダの方が悪いと批判する声が少なからずあった日本もイスラム社会に近づいているようで、遠い国の話ではないのかもしれないけれど。

 砂漠のなかをまっすぐ延びている道路を車が飛ばしていく。長男が結婚するので家族4人で目的地に向かっている。ハンドルを握っているのが長男で、助手席に母親、後部座席には足にギプスをはめた父親と次男だけが1人ではしゃいでいる。後でわかったことだけれど、この時、車の中で流れていた音楽はホメイニによるイスラム革命の前に流行していた曲らしい。一家は誰かに追われているようで、前後を走っている車に警戒心を募らせている。結婚式とその緊迫感がどうにも結びつかない。次男が隠し持っていたケータイが親に見つかり、途中にあった岩場に隠すことになる。現在位置を知られるとマズいらしい。「上映禁止」という情報がすでに頭に入っているので、国家とか政府に知られてはいけない「結婚」があるのかしらと思うばかりで、とにかく序盤はナゾめいている。家族が目的地らしきところに着き、車を降りると彼らに接触してくる怪しげな人物が現れる。複雑な指示が家族にもたらされ、観客もドラクエよろしくあっちへ行ったりこっちへ行ったりする家族を追い続ける。そしてようやく花嫁がいるらしき村に辿り着く。(以下、ネタバレ)そこはつまり国境を超えた場所で、家族に接触して来たのは密航請負業者だったのである。家族愛を描いた映画はイラン映画の本流である。しかし、国境を越えるとなると上映は許可されない。そういうことだったようである。国境を超えた家族はややこしい結婚の儀式を執り行い、父と子の別れをしみじみと語り合う。日本人から見ると普通ではないけれど、ペルシャ民族にとっては普通のことをやっているだけなのだろう。普通であればあるほどイランの人たちにとって「国境」というものがどれだけ重みのあることなのかが伝わってくる。それは大使館の人たちが「申し上げられない」ほどであり、パナー・パナヒ監督が一家の旅路を『2001年宇宙の旅』とダブらせて描くぐらい大ごとなのだろう。長男を置いて帰途についた家族は自転車レースに出くわし、車と接触事故を起こした選手を車に乗せてあげる。この選手はしかし、不正を企んでいたのかどうだったのか、家族の車が自転車レースの先頭を抜き去ると、再び自転車を漕ぎ始める。この家族がいつの間にか密航業者と同じことをやっていたという比喩であり、密航業者もやりたくてやっているわけではないという意味なのだろうか。イラクの国内で出世するには不正をするしかなく、国外脱出した長男はそんな世界から逃れることができたという意味に取れてしまう。

 『君は行く先を知らない』の監督、パナー・パナヒの父親、ジャファル・パナヒも映画監督で、過去の作品は次々と上映禁止、選挙で改革派を支持したために一時拘束され、20年間の映画製作と海外への渡航禁止も言い渡されている。そのためにカンヌ映画祭の審査員に選ばれていたにもかかわらず出席できなかったという経歴を持っている。「女はサッカーの試合を見てはいけない」ので、男に変装してサッカー・スタジアムに紛れ込んだ女性たちを、それはもう楽しく楽しく描いた『オフサイド・ガールズ』の痛快なことといったらなかったけれど、映画製作を禁止されたジャファル・パナヒは諦めずに『これは映画ではない』や『人生タクシー』をこっそりと撮影し続け、フィルムを国外に送り届けることに成功してきた。後者はベルリン映画祭の最優秀作品賞である金熊賞を受賞している。そして、今年、『熊は、いない。』が完成した直後に再度拘束され、刑務所に送られて6年間は出てこられないという報が流れたばかり。日本では『君は行く先を知らない』の3週間後に『熊は、いない。』の上映が始まった。

 オープニングはテヘラン市内だろうか、パブで働いているザラのケータイが鳴り、バクティアールが近くまでやってくると、2人は再会を喜んでいるのかと思いきや、バクティアールが一緒に行けなくなったと言い、ザラに偽造パスポートを渡すと1人でフランスに逃げてくれと告げる。女が2人でなければ嫌だと抗議すると(以下、ネタバレ)「カット」の声がかかり、いまのは映画の撮影で、撮影が行われていたのはトルコだったということが判明する。指示を出していたのはパナヒ監督本人で、パナヒはリモートで現場とつながっている。次の指示を出そうとするとパソコンの画面が乱れ、現場の映像が映らなくなる。パナヒは通信の状態がいいところはないかと家の外に出る。そこはパナヒが身を潜めているイランの小さな村で、回線が回復しないため、パナヒは仕方なくカメラを持ち出して村の景色を撮影して時間を過ごす。連絡が取れなくなって心配になった助監督のレザがトルコからパナヒの元に駆けつけ、トルコまで連れて行こうとパナヒを国境まで車に乗せていくものの、パナヒはやはり危険だと思ったのか、村に戻ることにする(イランにはマルジャン・サトラビやバフマン・ゴバディなどすでに国外に出た映画監督がいるけれど、それをよしとせず、あくまでも国内にいてイランのために戦いという意志がパナヒにはあるように思われる)。もう少し観ているとパナヒが隠れていた村はイランそのものの比喩だということがわかってくる。どのエピソードを見ても封建的で、パナヒは息がつまる思いをしている。続けて起こる事件は、女性には自分の結婚相手を決める自由がなく、生まれてすぐに結婚相手と決められた男性とは違う男といるところをパナヒが偶然にもカメラで撮影していたため、騒ぎがどんどん大きくなっていくという展開になる。市民に自由がない。パナヒがこれまでに撮ってきた対象はそれに尽きるとさえいえるけれど、とりわけ女性の人権が認められていないことにパナヒは敏感である。パナヒは証拠写真を提出するよう村人たちに求められ、そんなものは撮っていないと突っぱねると、村人たちとの関係はどんどん悪くなる。村人たちはパナヒに写真を撮っていないと神に誓えるかと詰め寄り、宣誓室に来るように言い渡す。そして、ある村人から宣誓室に向かう道には「熊」がいるのでとても危険だと告げられる。一方でトルコの撮影現場からは約束と違うと怒り狂ったザラがパナヒに「私たちの人生を撮ると言いましたよね」と抗議のメッセージが届く。ザラとバクティアールが国外に出ようとしていたのは現実の出来事で、パナヒはそれをドキュメンタリー映画として残すという設定だったのである。2組のカップルの運命をパナヒが握るかたちとなり、物語はエンディングに向かって緊迫感を増していく。

 村人との対比で見るパナヒ監督はとにかく都会的であり、近代人である。彼が映画製作を学んだのはテヘランで、とくに海外で映画製作を学んだわけではない。『人生タクシー』ではタクシーの運転手となったパナヒがハリウッド映画のDVDを顧客らしき人々に届けるシーンがあり、パナヒがイランの政治体制を相対化して観ることができたとすれば、それは外国文化に触れたからだと推察できる。とりわけ宗教に縛られ、女性を差別するイスラムの風土には疑問を持つに十分だったようで、そのような支配のメカニズムを彼はこの作品で「熊」に集約させている。パナヒが村人たちに来いと言われた宣誓室は「熊」の脅威を取り除かないと辿り着けないところにある。パナヒはどうやって宣誓室にたどり着けるのか。最初のクライマックスがここにある。パナヒはそして、ある人から「熊」はいないし、宣誓室では嘘をつけばいいとアドヴァイスを受ける。どうだろう、パナー・パナヒの『君は行く先を知らない』で家族の車が自転車を乗せたシーンを思い出さないだろうか。正直にやらなければ助かる道はある。実際、熊がいると脅していることが、いわば支配者の嘘なのだから、嘘には嘘が有効だということになる。しかも、現在のイランには「熊がいる」と言い張れるだけの力はなくなっていて、映画製作を禁じられたパナヒが次から次へと新作を完成させてきたこと自体、その表れと言える。村の長老らしき人物がパナヒに証拠写真を出すよう、最初に家を訪ねてきたシーンに興味深い場面がある。勢い込んで話し始めた長老の前をレザが「ちょっと失礼」と言って横切り、いきなり話の腰を折ってしまうのである。この時の長老の表情は威厳を台無しにされ、怒るよりも虚を突かれて戸惑いの表情を浮かべている。これがいまのイランだとパナヒは言っていると僕には思えた。これまでのことを考えるとパナヒはおそらく刑務所内でも映画を撮ってしまうかもしれない。この監督はそれぐらいのことはやってのけてしまうし、『熊は、いない。』でパナヒに助言をする人たちがちょこちょこ現れるように刑務所内でもすぐに味方をつくってしまうような気がする。

三田格