「IO」と一致するもの

 空が澄んでいる。8月7日午後、僕は緑豊かなトイエン公園でノルウェーの夏を満喫していた。日本のサマー・フェスが温暖化に伴って年々危機的な状況に直面している一方で、北国は夏の野外イヴェントには最高の気候だ。とにかく心地いい。さっそくビールを買いに行くと、1杯125クローネ(約1700円)。…………。まあいっか! この開放感を躊躇していられない。

 前夜の〈Club Øya〉を腰が動かなくなるまで楽しんだのちにオイヤ・フェスティヴァル本番を迎えたわけだが、まず驚いたのが会場の近さだ。僕が宿泊していた街の中心地にあるホテルから地下鉄で2駅、ほんの5分ほどで着いてしまう。自転車やキックボードで来ているひとも多く、そういう意味でも環境負荷の少ない大型イヴェントになっているという。
 会場は思っていたより小さく、15分もあれば会場全体を歩き回れるくらいの規模感だ。ステージ間は2、3分で歩ける距離にあるので、隣同士のステージの時間をずらしてタイムテーブルが組んである。つまり、ひとつのアクトを見終えたらすぐに次のアクトを観られる状態なので、歩き回らなくても気軽に次々ライヴを楽しむことができる。天気に恵まれたということもあるけれど、正直に言って、これまで参加してきた音楽フェスでもっとも楽な環境だと感じた。ポンチョと上着とレジャーシートをバッグに突っこんでさえいれば、街の公園にリラックスしに来た感覚そのままで過ごせるのだ。


Øya 会場


Øya 会場

 ゴミの分別や資源の回収に力を入れているだけでなく、無駄なゴミが発生しないようにスポンサーには試供品の提供を禁止し、使い捨てプラスティックも禁止。トイレの排泄物ですら地域暖房のためにリサイクルに回しているそうだ。会場で売られているフードもオーガニックなものの割合を増やすよう努めている。また、近年の音楽フェスで議題となっているジェンダー・バランスの問題にも10年以上取り組んでおり、すべてのステージでアーティストの男女比をほぼ半々にしていることを発表している。こうした北欧らしい(と感じられる)「意識の高さ」は、しかし、実際に会場で過ごしていると無理している感じがしない。フェスティヴァル側が啓発的に上から目線でそういう取り組みをおこなっているというより、街ないしは社会全体にそうした意識が行き届いていて、参加者の想いに応えているような自然さが感じられるのだ。環境や他者に配慮することは、自分の心を整えることでもあるのだと。


Øya 会場


Øya 会場

 会場内にパートナーシップを組んでいるというLGBTQの権利を訴えるオスロ・プライドのブースがあったので、話を聞いてみた。このタッグは昨年オスロの歴史あるゲイ・クラブにテロ行為があったことに対するリアクションとして実現したそうで、プライド・イヴェントをプロモートすると同時に参加者に対してグリッターのフェイスペイント・サーヴィスをおこなっているという。そうしたテロ行為が起きることもあるし、世界中と同じようにトランスフォビアは問題だし、差別主義者は少数ながら存在するものの、ノルウェー社会全体で性の多様性を受容し合っているというコンセンサスがあるので、クィア当事者は暮らしやすいと感じているひとがほとんどなんじゃないかな、とブースにいたふたりは話してくれた。もちろん、そこにはコミュニティが権利を勝ち取ってきた自負もあるのだろう。このあと、僕はグリッターを顔につけて楽しそうに過ごす若者たちの姿を会場内で多く見ることになる。


オスロ・プライドのブースにて

 そんなわけで、よくオーガナイズされたフェスで僕は4日間まったく困ることもなく(トイレもまったく並ばなかった)、日本の暑さを忘れて存分に別世界を味わったのだった。ご飯がハチャメチャに高いのは致し方なし、というかフェスのせいではない。街のレストランが多く出店しているので味のレベルは高く、199クローネ(2700円ぐらい)のフィッシュ&チップスはフェス関係なく人生最高のうまさだった。


水も無料で飲むことができる


白身魚がものすごくおいしかったフィッシュ&チップス

 アクトについては細かく書いているとキリがないので、印象的だったものをいくつか挙げておこう。近年のフォーキーなテイストと初期の生々しいロックを行き来しながら、圧倒的な存在感で会場全体の空気を引き締めたPJハーヴェイ。ときには観客をステージに上げて踊らせながら、超ファンキー&エロティックなパフォーマンスで沸かせたジャネール・モネイ。クラブ・ミュージック新世代としてのニア・アーカイヴスやLSDXOXOの若いオーディエンスからの人気ぶりには目を見張ったし、カオティックなIDMとレゲトンをハチャメチャに混ぜながらスモークをまき散らしたりブランコに乗ったりやりたい放題だったアルカも痛快だった。個人的にずっと観たかったディスコ・モードのジェシー・ウェアは、クィア・ダンサーを引き連れ本人も踊りまくるアッパーなステージを披露。USインディ・ロックからは話題のウェンズデイやビッグ・シーフもそれぞれバンド・ミュージックとしてのロウな感覚を提示していた。パルプやエールに関しては、なぜ90年代のビッグ・アクトを僕は2024年にノルウェーで観ているのだろうか……と不思議な感覚を抱いたが、世代の異なるオーディエンスに受け入れられていて、これもストリーミング・サーヴィスによって時代感覚が撹拌している現代のフェスならではの光景と言える。パルプが “Disco 2000” をプレイしたとき、隣にいた20代前半くらいの女の子グループが大騒ぎしていて、思わず笑ってしまった。
 しかしながら、今回の僕のオイヤ・フェスティヴァル参加で強く印象に残っているのは、知らなかったノルウェーのミュージシャンたちだ。ジャジーなテイストを持ったヒップホップ・ユニットのトイエン・ホールディング(Tøyen Holding)のステージではなぜかステージ上からシェフが焼いた牡蠣が振る舞われ独自のユーモア・センスを提示していた(?)し、ノルウェーのひとから「絶対観て!」と言われていた「ハッピー・マンデーズへのノルウェーからの回答」というコピーのフョールデン・ベイビー!(Fjorden Baby!)もいい感じにやさぐれたダンス・ロックで楽しかった。スカンディナヴィアの先住民サーミの文化をするエラ・マリー(Ella Marie)は、フォークロアが持つ政治性を浮かびあがらせるとともに北欧社会で見落とされてきた音楽風景を立ちあげていた。アッパーなダンス・ポップで地元のオーディエンスを大いに沸かせていたカシオキッズ(Casiokids)や4日間の大トリを飾ったポップ・シンガーのガブリエル(Gabrielle)はノルウェー国内でよく知られたポップ・アクトだがグローバルにもっと人気が出る可能性のある存在だと感じたし、日本の音楽リスナーにもアピールしうる存在ではないだろうか。あと、バリトン・ヴォイスで渋いアート・ロックを演奏するシヴァート・ホイエム(Sivert Høyem)はノルウェー版のインディ叙情ロックという感じで、僕はすっかりファンになったのだった。レコード・ストアのひとが話してくれたようにジャンルもスタイルも本当に多様で、発見と興奮に満ちている。


Tøyen Holding


Fjorden Baby!


Sivert Høyem

 クラブ・シーンの充実も垣間見ることができた。klubben(ノルウェー語でクラブ)という名前のステージではジョイ・オービソンらが出演していたのだが、地元ノルウェーのアクトとしては日本にもしばしば来てプレイしている人気のDJスケートボードはベテランらしい卓越したプレイでオーディエンスを気持ちよく踊らせ続けていたし、新世代のアーティストも多数登場していた。なかでも面白かったのは、冷たくアグレッシヴな感覚を持ったエレクトロニックなトラックとオルタナティヴR&Bをミックスするスワンク・マミ(Swank Mami)。ケレラFKAツイッグスらと北欧からシンクロする存在と言えるかもしれないが、奇抜な衣装で歌い踊るパフォーマンスにはユーモラスな風合いもあって引きこまれる。これからの躍進を予感させる個性を放っていた。


Swank Mami

 またフェス関連イベントとして、チケットは別なのだが〈Øyanatt〉というプログラムもあり、これは各日の深夜、街のクラブやヴェニューでDJプレイやライヴが観られるもの。僕は2日目の深夜にクラブに行ってリンドストロームを観ることができた。当然だが会場は大入りだ。勝手にDJと思いこんでいたら、生ドラムとシンセも入れた3人編成のライヴで、誰もが彼に期待する「コズミック」な大らかさや楽天性を感じさせる高揚感があり、ああ、自分はいまノルウェーで踊っているんだなあ……! という感慨に浸ったのだった。
 ライヴが終わったあとの深夜2時ごろ、横で踊っていた兄ちゃんに「これから別のクラブに行くけど、きみも来る?」と誘われたのだが、やはり腰が限界なので残念ながら断った。元気だなー。聞けば彼はオイヤ・フェスティヴァルそのものには参加していないそうで、街を挙げた音楽イヴェントとして多様な楽しみ方ができるのもよいと思った。

 3日目に少し小雨が降ったくらいで、4日間と半日、僕はひたすら快適な気候と穏やかな街と多彩な音楽を味わったのだった。フェスティヴァルがグローバルな産業として似通ってくるなかで、僕が体験したオイヤ・フェスティヴァルはオスロという街、ひいてはノルウェーの音楽文化のムードをたっぷり吸いこんだものだ。それは社会のあり方とも繋がっている。ノルウェーも近年は移民・難民問題の議論で荒れているところもあると聞くし、一週間少しの滞在ごときでいち観光客がわかった気になってはならないとは思うが、日々の暮らしを快適にすることと社会をよりよくしていこうという意識がこの街では地続きであると僕には感じられた。


自転車で来ているひとも多い


キックボード派も

 とにかく、オスロの街の空気感と音楽を同時に堪能するには最高のフェスティヴァルであることは間違いない。僕は行く前よりもはるかにノルウェーを身近に感じられるようになったけれど、もっともっと知りたくなったし、何よりこの国の音楽をもっと聴きたい。そう遠くない未来に、オスロの明るくて涼しい夏をまた体験したいと思う。

Special Thanks:キティさん、髙橋くん。ありがとう!

世界の終わりとは何か?

表紙・巻頭『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』
浅野いにお(原作)インタヴュー

宇川直宏 宮台真司 小川公代
world's end girlfriend sasakure.UK
藤田直哉 野田努 飯田一史 北出栞 後藤護 福田安佐子 冬木糸一 藤井義允 伊藤潤一郎 小林拓音 松島広人 しま Flat

古くは『デビルマン』から『風の谷のナウシカ』、『AKIRA』、『新世紀エヴァンゲリオン』を経て、『進撃の巨人』、『君の名は。』、そして『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』まで、あるいはボーカロイドの奏でる「世界の終わり」的風景まで──なぜ日本のポップ・カルチャーはかくも「終末」を描いてきたのか。大衆文化の側から「世界の終わり」を、ひいては日本文化を考察する。

菊判/192頁

表紙ヴィジュアル
©浅野いにお/小学館
©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

目次

終末論的文化はいま世界を駆け巡る 野田努

◆『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

浅野いにおインタヴュー──世界が終わらなかった後で
くそヤバい地球で、僕らは未来の夢を見ることができるか?──『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』論 藤井義允
我々の勝利――浅野いにお作品における「世界の終わり」 藤田直哉

◆なぜ日本のポップ・カルチャーはかくも「終末」を描いてきたのか

[インタヴュー]
宇川直宏──次の地球の番人、ナメクジのために
宮台真司──世界が終わろうとも、周りの人を幸せにすることで、幸せになれ
小川公代──ケアと対話で「終末」を乗り越える
world’s end girlfriend──「世界の終わり」も自己も個も越えた「新たな世界」を提示すること
sasakure.UK──人類が消えてもボーカロイドは歌い続ける

[エッセイ・論考・コラム]
戦後日本の特撮・アニメにおける、「世界の終わり」の変容 藤田直哉
セカイ系の時代精神 飯田一史
「世界の終わり」にあなたは泣けますか?──楳図かずお『14歳』とおさなごころ(ロックンロール) 後藤護
終末SF小説概観──核戦争から感染症、気候変動、隕石衝突、人口減少、AIまで 冬木糸一
ポップ・カルチャーとしての「終末ソング」、その常態化 野田努
パンデミックの回想──「来そうで来なかった終末」のなかで育まれた音楽 松島広人
「世界の終わり」をテーマにしたボカロ曲 しま
〈ポスト・セカイ系〉における「世界の終わり」 北出栞
2分前と2分後のあいだ──アポカリプスにおける「人間らしさ」について 福田安佐子
人類最後の世代の苦しみ──田村由美『7SEEDS』から 伊藤潤一郎
『花物語』から想像する、世界の終わりと資本主義の終わり 小林拓音

[共同監修者プロフィール]
藤田直哉(ふじた・なおや)
批評家。日本映画大学准教授。1983年札幌生まれ。著書に『虚構内存在』『攻殻機動隊論』『新海誠論』『シン・エヴァンゲリオン論』『新世紀ゾンビ論』『シン・ゴジラ論』『ゲームが教える世界の論点』『現代ネット政治=文化論』『娯楽としての炎上』、編著『東日本大震災後文学論』『3・11の未来』など。

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interview with Conner Youngblood - ele-king

 個人的に今年は久しぶりに海外に出る機会を得たのだが、いろいろなひとと話すなかで、パンデミックが落ち着いてからいっそう旅に対する欲求が高まっているように感じる。日本に対する関心も強く、オーヴァー・ツーリズムや渡航費の高騰などの問題もクローズアップされているが、少なくとも世界の様々な文化への興味が広がっているのは悪いことではないだろう。

 スフィアン・スティーヴンスやエリオット・スミスが引き合いに出されるフォークや室内楽をエクスペリメンタルなR&Bやアンビエント・ポップとクロスさせたデビュー・アルバム『Cheyenne』(2018)で注目されたテキサス出身のシンガーソングライター/マルチ・プレイヤー/プロデューサーのコナー・ヤングブラッドは、世界中に対する強い興味を自身の音楽の原動力にしてきた存在だ。様々な土地を巡った旅の経験を生かした『Cheyenne』は、そこで見た光景をどのようにサウンドスケープに落としこむかに注力した作品で、壮大な穏やかさとでも言うべきスケールを携えていた。ジェイムス・ブレイクの諸作や『22, A Million』の頃のボン・イヴェールのプロダクションをより穏やかでリラックスしたものと表現できるかもしれない。
 約6年ぶりとなる新作『Cascades, Cascading, Cascadingly』もまた幽玄さや陶酔感を伴うサウンド・デザインが心地よいアルバムに仕上がっており、前半はエフェクト・ヴォイスが多用されることもありオルタナティヴR&Bの印象が強いが、聴き進めていくとフォーク、アンビエント、ロック、クラシカルと様々な要素が立ち現れる。使われている楽器も多ければ、音色もプロダクションも多様。さらに興味深いは母語の英語以外の言語もいくつか使われており、日本語タイトルの“スイセン”は日本語で歌われている。聞けばパンデミック中は複数の言語を学習していたとのことで、とにかくナチュラルに世界中の文化に触れて自分に取りこみたいひとなのだろう。その音楽性にしても、制作中にたくさん観ていたという映画のラインアップにしても、やや過剰に興味や関心が散らばっているようだが、それらすべてに対して素朴にオープンであることは彼の表現とそのまま繋がっている。

 以下のリモートでおこなったインタヴューでは、日本の裏側のブエノスアイレスから日本語もたくさん使いながら話してくれた。「cascades」は小さな滝のように何かが連なった状態を指す言葉だが、コナー・ヤングブラッドは精神的な意味においても国境に囚われず、多くのものに対する純粋な好奇心を心地よい音楽の連なりへと変換する。

日本だと『リリィ・シュシュのすべて』は印象的でした(……)毎日、レコーディングしながら映画を観ていました。歌詞も音楽も、その影響がすごく大きかったです。

いまはブエノスアイレスにいらっしゃるんですよね?

コナー・ヤングブラッド(以下CY):はい、アルゼンチンに住んでいます。

え、住んでいるのもアルゼンチンなんですか?

CY:はい、ナッシュヴィルに12年ぐらい住んでいたのですが、今年アルゼンチンに移住することにしました。ナッシュヴィルがつまらなくなってしまって。

そうだったんですね。それではいろいろ聞いていきたいのですが、前作『Cheyenne』からパンデミックもありましたが、この6年間どのように過ごされていましたか?

CY:音楽と言語の勉強をしていました。日本語も勉強していたんですよ。昔日本語を勉強していたことがあったのですが、コロナ禍の時期は自分の部屋でYouTubeを観て、日本語やデンマーク語、ロシア語、スペイン語を学んでいました。音楽的にちょっと行きづまったところもあったので、語学を生かしてみたいと思ったんです。はじめは独学だったのですが、朝レッスンを取ることで生活リズムを整えて、いろいろな言葉を音楽に取り入れられるようになりました。

トム・ヨークのプロジェクトはどれも全部好きなんです。あと、映画のスコアにも影響を受けています。

あなたの音楽は海外での旅にインスピレーションを受けている部分が多いと感じるので、パンデミックはフラストレーションだったのではないかと思います。

CY:パンデミック以降は映画をたくさん観ていたので、そこからのインスピレーションが大きかったですね。そうやって世界を見ていました。それで、フィクションと現実を混ぜながら新曲に対するヒントを得ていきました。

今回のアルバム『Cascades,~』は曲数も多く、アレンジも多彩ですが、制作した時期は楽曲によってけっこう異なるのでしょうか?

CY:コロナ前に作ったものがふたつあって、“Running through the Tøyen arboretum in the spring”と“Closer”という曲です。ただ、残りは同じ部屋で同じ椅子に座って同じ時期に作った曲でした。

なるほど。というのは、本作はエレクトロニックなR&Bもあり、フォークもアンビエントもあり、プロダクションやタッチの面でヴァラエティに富んでいますよね。楽曲ごとのサウンドはどのように決まっていったのでしょうか?

CY:そこも、いろいろな映画を観たことの影響が大きかったですね。ホラーやSF、レトロなものと、いろいろなものを観て、そのときの気分で決めていったところがあります。自分を内観することで決まっていった部分もありますね。映画を観て抱いた感情と自分の人生を組み合わせて、いろいろな雰囲気が生まれていったのだと思います。あとは、いろいろな楽器を持っているので、しばらく使っていなかった楽器を引っ張り出して気分がフィットしたら使ってみたりと、その日のムードで作っていきました。

ちなみに、とくにインスピレーションを受けた映画はありましたか?

CY:たくさんあります。日本だと『リリィ・シュシュのすべて』は印象的でしたし、『ゾディアック』、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、『グリーンナイト』……ブライアン・デ・パルマも観てましたし……HBOのドラマ『LEFTOVERS/残された世界』も観てました。30本ぐらいの観ていた映画のリストがあるんですよ(と言って、ヴァイナルのインナースリーブに掲載されるというインスピレーション元の映画作品リストを見せてくれる。『アド・アストラ』や『A GHOST STORY』など比較的新しいものから、ジブリ作品、1993年のほうのスーパーマリオの映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』まで、じつに様々な作品が並んでいる)。

なるほど……本当にいろんな作品にご興味があるんですね。

CY:毎日、レコーディングしながら映画を観ていました。歌詞も音楽も、その影響がすごく大きかったです。

ゴロゴロする音楽です(笑)。わたしの音楽にとって、心地いいスペースがあることは間違いなく重要です。

一方で、サウンド・プロダクションの面でヒントになった音楽作品はありましたか?

CY:それもいろいろあります。レディオレッド、エリオット・スミス、ゴリラズ、コクトー・ツインズ……。レディオヘッドもですが、アトモス・フォー・ピースのような(トム・ヨークの)サイド・プロジェクトにより影響を受けたかもしれません。トム・ヨークのプロジェクトはどれも全部好きなんです。あと、映画のスコアにも影響を受けています。というのは、さっき言ったように音楽を作りながら映画をたくさん流していたので、そのスコアからが自然に自分に入ってきたと思います。

あなたはマルチ・プレイヤーでもありますが、何か新しい楽器を習得されることはありましたか?

CY:1980年代のソビエトの時代のギターを買いました。

え、ソビエトですか?

CY:はい、インターネットで買いました。ソビエト時代のシンセサイザーも買いましたね。新しい楽器を習得したわけではないのですが、その辺りが新しく手に入れたものです。マイクやエフェクターも、ロシア製のものを買いました。

へええ、面白いです。こうしてお話を聞いていても、すごくいろいろな土地のいろいろなものにご関心があるのだなと感じますが、今回のアルバムで母語以外のいろいろな言語で歌われているのも興味深いですよね。あなたにとって、なぜ複数の言語で歌うことが重要なのでしょうか?

CY:わたしにとって新しい言語を学ぶことは、自分を表現するための新しい色を使えるようになるということなんです。外国語という別の色を持ってくることで、表現の仕方、リズム、歌い方が変わることがあります。たとえば日本語で歌うときとデンマーク語で歌うときだと、少し違ってくるんですよね。また、作っている最中は気づかなかったのですが、いま考えてみると、自分の両親が理解できる英語だと気恥ずかしかったりナーヴァスに感じられたりするものを、母語以外だと歌いやすい部分もあるのかもしれません。それにたとえば、ある外国語が理解できる女の子がいたとして、その相手にだけ伝わる言葉で自分を表現できる良さもあると思います。

なるほど、興味深いお話ですね。アルバムに収録されている“スイセン”では日本語で歌ってらっしゃいますが、他の楽曲と歌い方がかなり違っていて、この曲では激しさが出ています。あなたにとって日本語は、どのような感情を表現する言語なのでしょうか?

CY:どうしてそうなったかはわからないのですが、日本語で歌った“スイセン”ははじめてわたしが叫んだ曲になりました。たぶん、アニメを見ていて「自分が架空のアニメのオープニング・テーマを歌ったらどうなるだろう」と考えたのが関係していると思います。短くて、ロックやスクリームがいっしょになっているものを想像しました。なぜそれがスイセンの花というモチーフになり、そこからナルシストというテーマになったのか(※スイセンの学名はギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する)はわからないのですが、自分がやりたかったことを詰めこんだ結果です。

ただ、あなたの音楽は様々なタイプのサウンドがありながら、前作から基本的には心地よさは一貫していると思います。音楽において、心地いいことや気持ちを落ち着かせることはあなたにとって重要ですか?

CY:(日本語で)ゴロゴロする音楽です(笑)。

ゴロゴロ(笑)。

CY:わたしの音楽にとって、心地いいスペースがあることは間違いなく重要です。ただ今回は、激しいとまでは言わなくとも、『Cheyenne』よりは切迫感や緊張感があるものを作ろうとは思っていました。でも結果としてはリラックスできるものになっているので、それがわたしの音楽ということなんだろうとは思います(笑)。たとえば“All They Want Is Violence”という曲ではホラー映画にインスパイアされたので怖い要素があるものを作ろうとしたのですが、結果としては落ち着いた曲になりましたね。

なるほど。でもたしかに、そうした緊張感がアクセントになっている部分もありますよね。『Cascades,~』に関して、曲のモチベーションとなる感情はどのようなものが多かったと思いますか?

CY:感情というよりは、実験という部分が大きかったと思います。つまり、何かしらの変化を求める感情に突き動かされていたかもしれません。

本当はアルゼンチンではなく日本に住みたかったのですが、手続きが大変で。でも日本語はずっと勉強してるから、近い将来に日本に住めるようになりたいです。

アルバム・タイトルの『Cascades, Cascading, Cascadingly』というのも変わったものになっていますが、これはどのように出てきた言葉ですか?

CY:まず「Cascades」という言葉の響きそのものが好きで、それに変化をつけてみたのですが、選びきれなくて並べたものをタイトルにしました。「Cascadingly」というのはおそらく文法的には間違っていて、検索すると使っているひとはいるんだけど、造語に近いものだと思うんですね。ただ、その連なっていくイメージがアルバムの曲の雰囲気にも合っていると感じました。

本作はあなたのミュージシャンとしてのいろいろな側面が発揮されたアルバムだと思いますが、シンガーソングライター、プレイヤー、プロデューサーでいうと、どの側面でもっともチャレンジングだったと思いますか?

CY:ミキシングが一番苦労しました。エンジニアリングやプロダクションも含めて全部自分でやったのですが、ミキシングだけは友人といっしょにやったんです。一番楽しかったのはプロダクションですが、全部の要素をまとめるミキシングがもっともチャレンジングでした。それから、歌も大変でしたね。自分が歌っているのを聴いて、どのテイクが一番いいのか見極めるのが難しかったです。

そんななかで、一番達成できたと感じられるのはどんなところでしょうか?

CY:アルバムのなかでは“Blue Gatorade”と“Solo yo y tú”が一番好きです。一番気に入っているのは“Blue Gatorade”なのですが、“Solo yo y tú”はプロダクションやミキシングまで全部ひとりでやった曲なので、とくに誇りに感じています。

わかりました。また、ぜひ日本でもライヴで来てください。

CY:行くつもりです! 本当はアルゼンチンではなく日本に住みたかったのですが、手続きが大変で。でも日本語はずっと勉強してるから、近い将来に日本に住めるようになりたいです。ツアーに関してはまだ予定はないけど、実現できるよう努力します。

ゲーム音楽の歴史と本質を知るための最良の手引き
第一人者による積年の研究の集大成

いまわたしたちの目の前にあるゲーム音楽は、
なにがどうなった結果としてそこにあるのだろうか?

『コンピュータースペース』『ポン』『アメイジング・メイズ』
『スペースインベーダー』『ラリーX』『ゼビウス』
『ジャイラス』『デウス・エクス・マシーナ』
『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』
『ジーザス』『ファイナルファンタジー』『アクトレイザー』……

ゲーム音楽を「ゲームサウンド」という大きな枠組みのなかに
位置付け直すことで、その答えを探る。

これまでゲーム音楽の構造研究は主として産業史・技術史の観点からなされてきたが、その大半は「ゲーム音楽はこんなにも進歩してきた」という進歩主義史観に貫かれたもので、零れ落ちるものが無数にあった。クラシック、ロック、ジャズ……どんなジャンルでもそうだが、音楽史には必ず同時代の社会や文化との関わりが示されるものだ。しかし進歩主義史観はどうしてもそこをすっ飛ばしてしまう。だから本書はゲーム音楽に込められた価値と信念の系譜に目を向けるのだ。これを明らかにしておかないと、ゲーム音楽の歴史は永遠に機能論と印象論の牢獄に閉じ込められたままになるだろう。 ──「はじめに」より

最終的に提示するゲームサウンドの構造モデルは、「ゲーム音楽の本質はどこにあるのか」という問いに対する、現時点で最良の解答になっているはずである。 ──同

四六判/360頁

目次

はじめに──ゲーム音楽って、なんだろう。
序章 「最高のノイズ」があった頃
第1章 音の必然性──ヴィデオゲーム以前のゲームサウンド
第2章 エレメカ・サウンドとヴィデオゲーム・サウンド
第3章 ヴィデオゲームにBGMが定着するまで
第4章 「映画」になりたがるヴィデオゲーム・サウンド
第5章 音盤化するゲーム音楽
第6章 「ゲーム音楽語り」の構造
第7章 メカニクス/シグナル/ワールド
あとがき

[著者]
田中 “hally” 治久(たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。チップ音楽研究の第一人者で、主著に『チップチューンのすべて』、共同監修書籍に『ゲーム音楽ディスクガイド』『ゲーム音楽家インタヴュー集──プロのベテラン18人が語るそれぞれのルーツ』『インディ・ゲーム名作選』ほか。さまざまなゲーム・サントラ制作に携わる傍ら、ミュージシャンとしても活動しており、ゲームソフトや音楽アルバムへの楽曲提供を行うほか、国内外でDJ・ライブ活動も展開している。

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Loren Connors & David Grubbs - ele-king

 デヴィッド・グラブスとローレン・コナーズ。ともに現代の米国を代表するエクスペリメンタル・ミュージック・ギタリストだ。そのふたりの共演・共作アルバムが本作『Evening Air』である。リリースはアンビエント・アーティストのローレンス・イングリッシュが主宰するレーベル〈Room40〉から。

 グラブスはかつてジム・オルークとのガスター・デル・ソルとしても知られている(思えばローレン・コナーズもジム・オルークの共演作がある)。ソロもコラボレーション・アルバムも多数リリースしている。いわば90年代以降の米国実験音楽における重要人物でもある。著作もあり、名著『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』(フィルムアート社)が翻訳されている。
 グラブスとコナーズのデュオ作は約20年前の2003年に〈Häpna〉からリリースされた『Arborvitae』以来のこと(現在はブルックリンのレーベル〈Improved Sequence Records〉からリリースされている)。約20年前の『Arborvitae』は幽幻かつ荘厳な美しさを称えたピアノとギターによるエクスペリメンタルな教会音楽といった趣のアルバムであった。
 いっぽう2024年の『Evening Air』はその音楽性を継承しつつも、より深化した霧のような響きをアルバム全編に渡って展開しているアルバムである。端的にいって『Evening Air』は「美しい」。グラブスのアルバムではNikos Veliotisとの『The  Harmless  Dust』に近い印象を持った。演奏と響きの美。音響の美。
 また、『Arborvitae』ではグラブスがピアノとギター、コナーズがギターを担当していたが、『Evening Air』ではコナーズもピアノを担当(曲によってがドラムも!)している点にも注目したい。このコナーズのピアノがまた素晴らしい響きを発しているのだ。
 グラブスがピアノを担当するのは、1曲目と2曲目、コナーズがピアノを担当するのは3曲目(B1)、4曲目(B2)、6曲目(B4)である。5曲目(B3)ではギターはふたりのデュオだがそれに加えてなんとコナーズがドラムを演奏している(この演奏が極めて独自のもの)。アルバム最終曲の6曲目 “Child” は、ローレン・コナーズとスザンヌ・ランギールのカバー曲である。

 ふたりの演奏にはそれぞれがそれぞれ別の領域に存在し、違いに侵食をしないように気遣いつつ、しかしそれぞれの音がある瞬間に溶け合い、消え入りそうになるような静寂さと緊張感がある。1曲目 “vening Air” はまさにその代表のような曲で、ギターとピアノによる静謐な音の接触と離反が展開されている。ミニマリズムを主体とするグラブスと、夢の中を彷徨うような夢幻的なグラブスの演奏の対比が実に見事だ。
 この曲以降、ふたりのギターとピアノはつねに緊張感を保ったまま持続と生成と接触を繰り返すが、コナーズがドラムを担当する5曲目 “It’s Snowing Onstage” で事態は一変する。いわば完全に独自の音響発装置となったドラムがギターに溶け込むように音を発生するとき、緊張感と異なる不可思議な音響が自然と生成されているのだ。緊張感が別次元に昇華したというべきか。
 どの曲も名演だが、録音の素晴らしさも筆舌に尽くしがたいものがある。決して派手な音ではないが、音の残響の捉え方が見事で、空間の中に霧のように溶け合っていくようなふたりの演奏を見事に捉えている。特にピアノの音が透明な粒のようでもあり、もしくは薄明かりの光のようにうっすらと滲むような響きでもある。
 特にコナーズのピアノ演奏が美しい。マスタリングを〈12k〉レーベルの主宰であり、アンビエントアーティストとしても名高いテイラー・デュプリーが手掛けている点も書き添えておいても良いだろう。ちなみに、ギターとピアノのミックスはグラブス自らが手がけている(DG名義)。

 最初にも書いたようにリリースはローレンス・イングリッシュが主宰する〈Room40〉からである。グラブスは2022年にポルトガルのギタリスト/インプロヴァイザーのマヌエル・モタとのコラボレーション『Na Margem Sul』、本年2024年にはシドニー在住のギタリストのリアム・キーナンとのコラボレーション『Your Music Encountered In A Dream』を、〈Room40〉からリリースしてきた。本作は、いわば〈Room40〉におけるコラボレーション・シリーズ3作目といえなくもない。
 私見だが、コラボレーション・シリーズでこのもっとも良い出来が、この『Evening Air』に思える。演奏と音響、音響と音楽の非常に高いレベルで、しかしさりげなく実現しているからだ。さすがはあのローレン・コナーズとのデュオ作といえよう。
 ローレン・コナーズは1949年生まれのNYの伝説的なエクスペリメンタル・ギタリストで、その淡く幽幻なギターの音響で聴くものを魅了し続けてきた。すでに40年以上の活動歴があり、アルバムの数もコラボレーションも数多い。サーストン・ムーア、大友良英、アラン・リクト、灰野敬二などとの共演を重ねてきた。
 70年代後半からリリースされ続けてきたコナーズのアルバムは膨大で、安易にこの一枚というのは紹介できないが、私が思い入れがあるのは、1999年にリリースされたジム・オルークとの『n Bern』である。また2006年にリリースされたCD3枚組のコンピレーション『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』も非常に印象的なCDだった。ちなみに『Night Through (Singles And Collected Works 1976-2004)』はジム・オルークがマスタリングを手がけていた。

 いうまでもないがオルークとグラブスは90年代においてガスター・デル・ソルというポスト・ロック・音響派のグループで活動していた。本作『Evening Air』を聴いていると、なぜか不意にそのガスターの影が脳裏をよぎった。むろんグラブスはガスターであったのだから当然かもしれないが、演奏同士がもたらす静謐な緊張感にどこかかつてのガスターと同じ空気を感じたとでもいうべきだろうか。特にグラブスがピアノを演奏する冒頭2曲 “Evening Air”とChoir Waits in the Wings” にそれを感じた。当然、ガスターのようにグラブスの印象的な「歌」はない。だがふとした瞬間に感じる「緊張感」に、どこかガスターを感じたのだ。
 もともとグラブスの音楽をオルークがアレンジするというのがガスターの核だったと思うのだが、そこから生まれる緊張感こそがあのバンドの本質ではなかったか。となればコナーズとの演奏は、グラブスの演奏に良い意味での緊張感を与え、あのガスターを思わせる音楽・演奏・音響空間になったのではないかと、つい妄想してしまうのである。
 私などはこの『Evening Air』がガスターの90年代未発表音源をまとめた『We Have Dozens Of Titles』と同年に出ることに、どこか「運命」を感じてしまったものだ。『Evening Air』と『We Have Dozens Of Titles』、それぞれを併せて聴き込んでいくと、90年代音響派とは何だったのかが見えてくるような気もするのである。90年代音響派とは、20世紀の米国の実験音楽の最後直接的末裔でありつつ、「レコード」というアーカイブの探究によって「現代」という時代を生きてきた音楽であった。本作もまた米国における実験音楽の探究という系譜の中にあるように私には聴こえた。

 その意味で後年グラブスを語るとき重要なアルバムになるのではないか。コナーズもまた英国音楽の例外的な末裔であり、大量のレコードを残している。彼は米国のエクスペリメンタル音楽の「生き証人」でもある。そのコナーズと演奏をおこなうことで、かつてオルークと共にガスターでおこなっていた例外的米国音楽の探究という「緊張感」が再び生成されているように聴こえたのである。
 ともあれふたりのことをまったく知らなくとも、聴いた人の耳を捉えて離さない音楽である。優雅で儚く、そして永遠のような音楽であることも事実だ。まずは聴いてほしい。ギターとピアノによる「夜の時間」、「幽玄の美」がここにある。

9月のジャズ - ele-king

 昨秋に来日公演をおこない、本WEBでのインタヴューにも応じてくれたジャズ・サックス奏者のヌバイア・ガルシアの新作『Odyssey』が発表された。昨年はクルアンビンとのスプリット・ライヴ盤や、参加作品だと『London Brew』などもあったが、自身のソロ・アルバムでは2021年の『Source』以来3年ぶりとなる久々のアルバムだ。シャバカ・ハッチングスジョー・アーモン・ジョーンズらとサウス・ロンドンのジャズ・シーンを牽引してきた彼女ではあるが、既にサウス・ロンドンに限定される存在ではなくなっており、『Odyssey』ではエスペランサ・スポルディングやジョージア・アン・マルドロウなどアメリカ人のアーティストとの共演もある。インタヴューでもティーブスキーファーらアメリカのアーティストへの興味について述べていたり、またクルアンビンとのライヴ盤をリリースするなど、インターナショナルに活躍する彼女ならではだ。しかし、作品の根幹となる部分は今回も変わっておらず、ジョー・アーモン・ジョーンズ(ピアノ、エレピ)、ダニエル・カシミール(ベース)、サム・ジョーンズ(ドラムス)というサウス・ロンドンの旧知の面々によるトリオは、『Source』から引き継がれている。プロデュースも『Source』と同じくクウェズ(Kwes.)がおこなっており、ヌバイアがいかに彼を信頼しているかがわかる。


Nubya Garcia
Odyssey

Concord / ユニバーサルミュージック

 ギリシャの叙事詩を意味する『Odyssey』は、ヌバイアの長い音楽の旅をイメージしている。「自分自身の道を真に歩むこと、そして、こうあるべきだ、あああるべきだという外部の雑音をすべて捨て去ろうとすることを表現している。それはまた、常に変化し続ける人生の冒険、生きることの紆余曲折にインスパイアされたものでもある」と、アルバムを総括してヌバイアは述べているのだが、そこには音楽業界に長く残る差別という雑音への示唆も含まれる。長く男性優位が続いたジャズ界であるが、近年はヌバイアのような才能あふれる女性アーティストの活躍もクローズ・アップされるようになり、本作ではエスペランサ、ジョージア・アン・マルドロウ、リッチー・シーヴライト、ザラ・マクファーレン、シーラ・モーリス・グレイ、ベイビー・ソルなど米英の黒人女性アーティストが多く起用される。女性ジャズ・アーティストによるプロジェクトとしてはテリ・リン・キャリントンのモザイク・プロジェクトが知られるが、ヌバイアが参加するネリヤも同じような方向性のバンドであるし、『Odyssey』についても女性アーティストとしての矜持が存在している。

 『Odyssey』のトピックとしては、英国のチネケ・オーケストラとの共演も挙げられる。チネケ・オーケストラは多民族の演奏家より構成され、ヨーロッパにおいて初めて多くの黒人演奏家が参加する楽団として知られるが、今回の共演に際してヌバイアは初めてストリングス・アレンジも手掛けている。そうしたオーケストラ・サウンドの魅力が詰まった楽曲が “In Other Worlds, Living” で、『Odyssey』の世界観を表すような壮大なスケールを持つ。重厚で骨太なモーダル・ジャズの “Odyssey”、律動的なリズム・セクションが斬新なカリビアン・ジャズの “Solstice” などヌバイアらしいインスト作品が並んでおり、“The Seer” ではアグレッシヴなジャズ・ロックの曲調の中、ヌバイアのサックスがディープで鮮明なフレーズを奏でる。この曲に顕著だが、サックスのミキシングはエコーをかけたような残像があり、そのあたりはクウェズのなせる技なのだろう。一方、今回はさまざまな女性シンガーたちによるヴォイスも花を添える。中でも、ジャズ・ファンク調の “Set It Free” におけるリッチー・シーヴライトのクールだがソフトで浮遊感に満ちたヴォーカルがいい。彼女はココロコのトロンボーン奏者として知られるが、本職ではないヴォーカリストでも素晴らしい才能を見せる。


Ibrahim Maalouf
Trumpets of Michel-Ange

Mister I.B.E.

 ベイルート出身のジャズ・トランペット奏者のイブラヒム・アマルーフ(マーロフ)は、叔父に作家のアミン・アマルーフを持つ。1975年のレバノン内戦で祖国から難民としてフランスに渡り、アラブ社会についての著書や、内戦や難民をモチーフにした小説を残しているが、音楽一家に生まれたイブラヒム・アマルーフも同様にレバノン内戦中にフランスに逃れ、クラシックやアラブ音楽を学んできた。父親のナシム・アマルーフもトランペット奏者で、イブラヒムと一緒にデュオを組んでヨーロッパで演奏活動をおこなってきた。イブラヒムは父が開発した4本のピストンバルブを持つ特殊なトランペットを用い、それによってアラブ音楽特有の微分音を表現することが可能となった。そして、アラブ音楽をジャズや西洋のポピュラー音楽と結びつけ、独自の表現をおこなう音楽家である。2007年のソロ・デビュー作『Diaspora』は、そうしたフランスにおけるレバノン人のディアスポラとして、イブラヒムのアイデンンティティを強く打ち出した作品だった。その後、ロック、ファンク、ソウルなど西洋音楽に接近した『Illusions』(2013年)、アロルド・ロペス・ヌッサ、アルフレッド・ロドリゲス、ロベルト・フォンセカらキューバのミュージシャンと共演し、ラテン色が濃厚となった『S3NS』(2019年)、デ・ラ・ソウルと共演するなどヒップホップを取り入れた『Capacity To Love』(2022年)と、作品ごとにさまざまな色を出すイブラヒム・アマルーフだが、いつも根底にはアラブ音楽がある。

 『Capacity To Love』から2年ぶりの新作『Trumpets of Michel-Ange』も、彼ならではのアラブ音楽と西洋音楽との邂逅が見られる。『Trumpets of Michel-Ange』とは「ミケランジェロのトランペット」ということだが、ルネッサンスの偉大な芸術家にちなむと共に、ナシム・アマルーフが開発した4分音のトランペットを普及して広めようという教育プロジェクトの名称としても用いられる。今回はゲストにニューオーリンズのトロンボーン奏者で、ジャズ、ファンク、ロック、ヒップホップと縦横無尽に活動するトロンボーン・ショーティー、デトロイトのダブル・ベース奏者のエンデア・オーウェンズ、マリのコラ奏者として世界的に活躍し、去る7月19日に逝去したトゥマニ・ジャバテ、その息子のコラ奏者/シンガー/プロデューサーのシディキ・ジャバテらが参加。イブラヒムは2022年にアンジェリーク・キジョーとの共作『Queen Of Sheba』をリリースし、そこではアフリカ音楽とアラブ音楽との融合を試みていたのだが、『Trumpets of Michel-Ange』もかなりアフリカを意識した作品と言えるだろう。“The Proposal” や “Love Anthem” は哀愁漂うアラブの旋律にアフロ・ビートをミックスし、中東フォルクローレの舞踏音楽の系譜を受け継ぐ作品となっている。トロンボーン・ショーティーをフィーチャーした “Capitals” はさらにアップテンポのダンサブルなナンバーで、ビデオ・クリップのライヴ映像ではダンサーも登場して盛り上がる。ライヴ映像を見るに、今回の録音はブラスバンド的な編成で、オーバーダビングは一切用いていない。また、イブラヒムのバックで演奏するトランペット隊もすべて4分音トランペットを用いており、それが迫力のあるブラス・サウンドを作り出している。


Jaubi
A Sound Heart

Riaz

 テンダーロニアスのアルバム『Tender In Lahore』、『Ragas From Lahore』(共に2022年)で共演し、その後『Nafs At Peace』(2021年)でアルバム・デビューしたジャウビ。パキスタンのラホール地方出身のグループで、アリ・リアズ・バカール(ギター)をリーダーに、ゾハイブ・ハッサン・カーン(サーランギー)、カマール・ヴィッキー・アバス(ドラムス)、カシフ・アリ・ダーニ(タブラ、ヴォーカル)という4人組である。もともとはパキスタンや隣接する北インドの古典伝統音楽などをやっていたが、テンダーロニアスなどとの共演からジャズやジャズ・ファンクをはじめとした西洋音楽にも傾倒していく。『Nafs At Peace』にはテンダーロニアスも参加し、北インド地方固有の音楽をジャズやジャズ・ファンクで解釈した作品となっていた。3年ぶりの新作『A Sound Heart』もテンダーロニアスが参加しており、カマール・ヴィッキー・アバスが抜けた代わりにルビー・ラシュトンのドラマーのティム・カーネギーも加入。テンダーロニアスの周辺では同じくルビー・ラシュトンのメンバーのニック・ウォルターズも参加し、ほかにオーストラリアの30/70からヘンリー・ヒックス、ポーランドのEABSからマレク・ペンジウィアトルが参加し、より広がった世界を見せる。

 『A Sound Heart』というアルバム・タイトルはイスラム教のコーランの一説に触発されたもので、神への愛を描いたものとなっている。また、収録曲である “A Sound Heart” はビル・エヴァンスにインスパイアされた美しいピアノ曲(ピアノだけでなくテンダーロニアスのフルートや、ゾハイブ・ハッサン・カーンのサーランギーも素晴らしい)であるが、アルバムでは随所にジャズの偉大な先人たちに捧げられた曲がある。ウェイン・ショーターへ捧げた “Lahori Blues” は、1960年代後半のショーターを想起させるブルース形式のモード・ジャズ。ちょうどショーターや、彼の参加したマイルス・デイヴィス・カルテットの演奏で知られる “Footprints” に似たところがあるが、ジャウビの方はサーランギーによるエキゾティシズム溢れる演奏が異色である。変拍子によるジャズ・ロック的な “Wings Of Submission” においてもサーランギーが印象的で、ほかのグループには無いジャウビのトレードマークになっていると言えよう。“Chandrakauns” はタブラを交えたリズム・セクションが北インド的で、テンダーロニアスのフルートやキーボード、シンセなども相まって全体的に不穏で抽象性の高い演奏を繰り広げる。“Throwdown” はブルージーなギターが導くクールなジャズ・ファンクで、カマール・ウィリアムズに通じるような作品。パキスタンとサウス・ロンドンが邂逅したような1曲と言えよう。


Allysha Joy
The Making of Silk

First Word / Pヴァイン

 メルボルンのソウル~ジャズ・コレクティヴの30/70のリード・シンガーとして活躍するアリーシャ・ジョイ。ソロ活動も活発に行っていて、『Acadie : Raw』(2018年)、『Torn : Tonic』(2022年)に続く3枚目のソロ・アルバム『The Making Of Silk』をリリースした。30/70のドラマーであるジギー・ツァイトガイストやキーボード奏者のフィン・リース、ハイエイタス・カイヨーテでバック・コーラスを務めるジェイスXLといったメルボルン勢のほか、サウス・ロンドンからギタリストのオスカー・ジェロームや、ブラジル出身のコンガ奏者のジェンセン・サンタナ(彼はヌバイア・ガルシアの『Odyssey』にも参加する)といったメンバーが録音に加わっている。これまでのソロや30/70の作品の延長線上にある作品集と言え、ジャズとソウルやファンク、そしてクラブ・サウンドが融合した世界を聴かせる。

 〈CTI〉時代のボブ・ジェームズのサウンドを想起させるメロウでスペイシーなジャズ・ファンク “nothing to prove”、かつてのウェスト・ロンドンのブロークンビーツを想起させるリズム・セクションとメロディアスなコーラスがフィーチャーされた “dropping keys” と、フェンダー・ローズを軸としたサウンドとハスキーなアリーシャ・ジョイのヴォーカルは今回も素晴らしいマッチングを見せる。コズミックなシンセがエフェクティヴな効果を上げる “raise up” では、後半のアリーシャのスキャットが鍵となり、オスカー・ジェロームのギターをフィーチャーした “hold on” では、アリーシャの歌からアーシーでレイドバックしたフィーリングが溢れ出す。

interview with Sonoko Inoue - ele-king

落ちこぼれの馬鹿馬鹿しくも切ない暮らし
忘れられない覚えられない
落ちこぼれの馬鹿馬鹿しくも愉しい暮らし
忘れられない でも覚えられない
くだらないったら ありゃしない
(“ありゃしない”)

 アコースティック・ギターを抱えて生活について歌うことはフォークのひとつの型であり、井上園子はその伝統を現代の日本において受け継いでいるシンガーソングライターだ。ブルーグラスやカントリーに影響を受けたその音楽性は、ギターを始めてそれほど長くないというのが意外に思えるほどすでに滋味深さを獲得しているが、しかし、歌われる風景自体は必ずしも穏やかなものばかりではない。日本の都市の片隅で見落とされている「落ちこぼれの暮らし」にあるわびしさ、悔しさ、みじめさ……そんなものが率直に描かれている。
 弾き語りの一発録りで制作されたデビュー作『ほころび』は、アコギ1本でおこなうことが多い現在のライヴ活動のありのままを反映したものだという。ときにラフさを隠さない演奏が心地よさだけではない緊張感を呼び、飄々とした歌声は不意に痛切さをこぼしてみせる。その緩急の妙味を体験できる一枚だ。
 それは言葉においても同様で、日々の生活におけるささやかな喜びや切なさが綴られる一方で、生々しく獰猛な感情が姿を現すこともある。孤独の情景がたんたんと語られる“三、四分のうた”、劣等感がにじむ“ありゃしない”、うら寂しい瞬間を切り取った“漫画のように”。それに、ユーモアや毒もある。「綺麗な服着たおやじども」に悪態をつく“きれいなおじさん”の率直な怒りに、痛快さを覚えるリスナーも多いだろう。
 それでも、一般的な常識から外れた美学を持って生きる人びとに敬意を捧げる“カウボウイの口癖”がそうであるように、『ほころび』では小さな人間同士の交感もまた、たしかに歌われている。何もかもが慌ただしい現代において、ほころびを悪いものではなく、慈しむものとして捉える感性をフォーク/カントリーの伝統から自然と吸収した歌なのだ。

 マイペースな活動を続ける井上園子に話を聞いた。「私は私をうたうだけ」とデビュー作で宣言している彼女は、これからもそうすることだろう。

ブルーグラスであれば何でも好きなんですけど、たとえばディラーズなんかは探れば探るほど面白いですね。

デビュー・アルバムをリリースした心境はいかがですか。

井上園子:あまり変わらないです。

プレッシャーも感じずに。

井上:そうですね。本当はもっと感じたほうがいいのかもしれないですけど、いつもと変わらない穏やかな日々を過ごしています。

ではバックグラウンドからお聞きしたいのですが、子どもの頃はどういう音楽を聴いていたんですか。

井上:自分で選ぶというよりは、そこにあるものを聴いていた感じです。両親やきょうだいが聴いているものをお下がりとして聴いてきたイメージです。

そのなかでとくに好きだったものはありますか。

井上:母が好きだったオジー・オズボーンを聴いていました。チャットモンチーやaikoも聴いてましたね。ヒップホップもアイドルも聴くし、アメリカン・ルーツがあるものも聴くし、雑種な感じでした。

子どもの頃からアメリカン・ルーツ的なものも耳に馴染んでたんですね。

井上:父が好きだったので。

ひとりが作ったものを何百人も何千人ものひとが口癖のように唱えられること、時間をかけてひとの記憶に入りこんでくることは、パッと出のものにはない温かさがあるんじゃないかなと思います。

ブルーグラスのライヴ・カフェ&バーでアルバイトをされていたとのことですが、ブルーグラスのどういうところに惹かれたのだと思いますか。

井上:決められたトラディショナルな音がずっと続いていくところや、弦楽器のテンプレート化されたフレーズの技術的な部分がすごく心地よかったです。

ある種、様式化されたものに惹かれるという。

井上:そうかもしれないです。

バイトをされていたという茅ヶ崎の〈STAGECOACH〉というのは、どういう雰囲気のお店だったんですか。

井上:ブルーグラスやカントリーを演奏する老舗で、年齢層も上の方が集う喫茶クラブみたいなところです。

ギターもそこで始められたとのこですが、ギターは楽器としてすぐにしっくり来る感じだったんですか。

井上:いや、いまだにそんな感じは全然ないですね。

そんななかで、ご自身で曲を作るのは自然な流れだったのでしょうか。

井上:自分ではそういう感情はなかったんですが、周りから「やってみなよ」と言われたのが一番大きい理由だったと思います。

曲作りをしていくなかで、とくにインスピレーションだったり影響だったりを受けたものはありましたか。

井上:ずっと聴いてきたものなので、トラディショナルやブルーグラスには少なからず影響を受けていると思います。ブルーグラスであれば何でも好きなんですけど、たとえばディラーズなんかは探れば探るほど面白いですね。

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「ほころぶ」って素敵なことなんだなと感じたんです。大事にした結果がほころぶってことなのかなと思えて、すごく好きな言葉です。

では、アルバム『ほころび』についてお聞きします。弾き語りの一発録りというのは覚悟がいることだとも思うのですが、そうしようと決めたのはどうしてでしょうか。

井上:ライヴ活動でもひとりでやっていることがほとんどなので、バンドで繕えるほどまだ仲間がいないというのが正直なところですし、最初のアルバムは堂々と、粗が出るぐらいのほうがいいかなと思って弾き語りにしてもらいました。一発録りも、何度も録り直しても上手くならないので、いまあるものが前面に出たほうが自分らしいのかなと思ってそうしました。

一発録りのロウな感触もありますし、自分が『ほころび』を聴いていて感じたのは、生活について正直に歌っている弾き語りだなということでした。生活について歌うのは井上さんにとって意識的なことなんでしょうか。

井上:意識的にならざるをえないところもあります。そこにわたしの暮らしが全部あるので。でもそれが伝わっているなら、嬉しい気持ちもあります。ただ意識して暮らしているわけではないので、自然な形で歌になっているといいなと思います。

曲と歌詞はどちらが先にあることが多いですか。

井上:どちらも別々ですね。

というのは、アルバムを聴いて言葉のセンスが独特だなと感じたんですね。「キャリア採用」みたいな、弾き語りのフォーク・ソングに一見マッチしなさそうな言葉が出てくるのが面白いし、ユーモアや毒もありますよね。こういった言語感覚がどこから来たのか、思い当たるところはありますか。

井上:難しいですが、漫画だったり紙に印字されたものが好きなので、それはあるかもしれないです。長い文章というよりは、ひと場面で情景が浮かぶような短い言葉に全部が詰まっているものにすごく惹かれますね。

とくに好きな漫画はありますか。

井上:ギャグ漫画がすごく好きですね。落ちこんだときは絶対『浦安鉄筋家族』を読みます。

なるほど! ちょっと通じるところがある気がします。『浦安』のどういうところがお好きですか。

井上:あの世界観とかが全部好きですね。ちゃんと笑いで落ちる安心感も好きです。最高だよな、みたいな。

一方で、「この暮らしのカビ臭さ」、「落ちこぼれ」みたいな暮らしに対する生々しい言葉も出てきますが、これはもう率直に感じていることを書かれているのでしょうか。

井上:はい、何のひねりもなく、感じたことをそのまま書いています。

歌詞は直感的なものを書き留めて作っているのでしょうか。

井上:書き留めているものを、パズル的に組み上げている気がします。

とくに“きれいなおじさん”のような曲に感じますが、怒りは曲を作る原動力になりますか。

井上:はい。

普段、どういうところに怒りを感じますか。

井上:うーん……原因が基本自分のほうにあるのはわかってるから、やり場のない悔しさのほうが近いかもしれないです。悪いひとと悪くないひとがいて、理由がはっきりとあれば真っ当に怒れるんだろうけど、ほとんどの場合は自分にも原因があったり自分が不甲斐ないことが原因だったりするので、悔しさのほうが多いです。結果として怒りになるだけで、始まりは劣等感なのかなと思います。

とくに“ありゃしない”には劣等感や悔しさがあると思うのですが、一般的な意味で社会人として働いているひとたちと比べてそうしたことを感じられることはあるのでしょうか。

井上:あの歌詞を書いていた当時は感じていたと思います。

アルバムのなかでは“漫画のような”にも痛切さを感じるのですが、これはどのようにできた曲だったのでしょうか。

井上:“漫画のような”は先に言葉で言いたいことがあって、気持ちいいフレーズをつけていく作業をしていたと思います。

「ぼくら雑に積まれた本のようだね」というのが印象的ですが、何かこの言葉を書くきっかけはあったのでしょうか。

井上:すごく狭い部屋に住んでいて、物が増えると縦に積んでいくような状態で。それが何かのきっかけで崩れちゃったときにまた積み直すって作業をしているんですけど、これが正しい形じゃないのに積み直すのって何でなんだろうと思って。部屋が狭いからなのか、積んでいくことで整理されていると自分が勘違いしているからなのか。そういう雑に積まれた本というところから連想していって、恋人との付き合い方とか家族や友だちとの関わり方とかにもつながっていくんだろうなというのを考えて作りました。

なるほど、イメージ喚起的な。一方、“きれいなおじさん”はある意味ストレートに怒りが出ているようにも思うのですが、経験されたことを率直に書かれたのでしょうか。

井上:そうです。悪口を本人に言えなかったので書いたという、よくない形の曲ですね。

(笑)でも、痛快に感じるリスナーも多いと思いますよ。ただ、それが聴き心地のよい弾き語りフォークになるのも面白いと感じます。歌詞と音楽的なフィーリングのバランスについては考えられますか。

井上:歌っていて気持ちいいことに一番重きを置いているので、そこがそのまま曲に出ていますね。

“カウボウイの口癖”には粋な感じの描写がありますが、カウボウイというモチーフはどこから出てきたのでしょうか。

井上:自分のアルバイト先の〈STAGECOACH〉には、本当にカウボウイがいっぱいいるんです。ウェスタン・ブーツ履いてウェスタン・ハットかぶって、カントリーを歌う、本当に化石みたいなひとたちがいるところなので(笑)。そのひとたちの美学をずっと聞いて暮らしていたので、そのひとたちのカッコいい潔さを歌いたいと思って作った曲です。

そのカウボウイたちの美学において、とくにカッコいいと思われるのはどのようなところですか。

井上:日本人が戦時中の敵対国の英語の曲を歌うというのも、音楽やファッションとして何十年も好きでいるというのも、本当にカッコいいことだなと思います。

お話を聞いていると、ブルーグラスの様式美に惹かれるというのもそうですが、ずっと続くものに魅力を感じられる傾向があるのかな、と。

井上:いま思えば、あると思います。

それはなぜなのか、ご自身で分析することはできますか。

井上:なぜですかね……。ひとりが作ったものを何百人も何千人ものひとが口癖のように唱えられること、時間をかけてひとの記憶に入りこんでくることは、パッと出のものにはない温かさがあるんじゃないかなと思います。それがいい悪いではなく、とにかく残し続けるという。それを歌い継ぐひとがいるっていうのは、すごく素敵だなと思うことばかりなので、そういうところが好きなのかな。

(オジー・オズボーンは)声も歌い方もいいし、生きてるひとの歌だなと思います。

なるほど。『ほころび』というアルバム・タイトルはどこから出てきたのでしょうか。

井上:わたしは洋服をいっぱい持っているほうではなくて、一着をずっと着続けるタイプなんですけど、裾がほつれていくことがあるんですね。ロング・スカートが短くなっていくのを見て、いろんな意味で「ほころぶ」って素敵なことなんだなと感じたんです。大事にした結果がほころぶってことなのかなと思えて、すごく好きな言葉です。

リスナーにはどういう状況で聴いてほしいアルバムですか。

井上:ひとりでいるときにさっと聴けるものであってほしいですね。

よくわかりました。現在の活動についてもお聞きしたいのですが、バンドと演奏されるときはよりアメリカーナ的なサウンドを志向しているようですが、こうした音楽性はバンドとやりながら自然と決めていくのでしょうか。

井上:そうですね。プレイヤーのひとたちが好きでわたしは呼んでいるので、彼らが思った通りにやってくれるのを聴きたいと伝えています。

バンドとやるときの楽しさをどんなところに感じますか。

井上:定型文がないから、みんなの感情が音で見えるのにワクワクしますね。

一発録りについてもそうですし、音楽において事故や偶然起こることに惹かれるほうなんでしょうか。

井上:事故はないに越したことはないんですけど、それも楽しめるようにわたしはひとりでいるので。

活動していくなかで、共感するミュージシャンと出会うことはありますか。

井上:はい。望んでひとりでやっているひとには興奮しますよね。

それは井上さんご自身もひとりでやっていきたい気持ちが強いからですかね。

井上:ひとりでやっていると、自分が出したものがすべてだから。バンドとかだと、「本当はもっとこうしたい」みたいな意見がひとそれぞれであるけど、それをひとりで表現できるのは一番原始的だし、一番精巧な形だと思うと言うひとがいたので。

ということは、今後の活動もひとりで背負っていきたいという感じでしょうか。

井上:うーん、楽しいことはどんどんやっていきたいですね。いまはとにかくギターを触っている時間が楽しいです。

一方で、歌うことは井上さんにとって自然なやことだったのでしょうか。

井上:いえ、あまり歌ったことはなかったですね。声が低かったりで、恥ずかしいと思っていたので。

とくに好きなシンガーっていますか。

井上:いっぱいいます。やっぱりヘヴィ・メタルとか、オジー・オズボーンです。

本当にオジー・オズボーンがお好きなんですね(笑)。どういうところが好きですか?

井上:全部ですね。声も歌い方もいいし、生きてるひとの歌だなと思います。

なるほど、ブルーグラスとオジー・オズボーンが両方根っこにあるというのが面白いですね。ご自身はこれから、どういったミュージシャンでありたいと思っていますか。

井上:無理をせずに、本当にやりたいことをやっていくことがわたしは素敵だと思うので、そうありたいと思っています。


MODE AT LIQUIDROOM - ele-king

 去る6月の「MODE 2024」、草月ホールに入ったときには、すでにヴァレンティーナ・マガレッティは最後の3曲くらいで(そのあと出演した坂田明が圧倒的だったとはいえ)、ほんとうにもったいないことをした。イタリア出身でロンドン在住のこの女性ドラマーは、いろんなプロジェクトでいろんなことをしていて、今年は、Holy Tongueのメンバーとしてシャックルトンとの共作アルバムを〈AD93〉からリリースし、そしてつい先日は〈プリンシペ〉のニディアとの素晴らしい共作アルバムを出したばかり。Toneglowに載った彼女のインタヴューの悲観的な予想によれば、AIに頼った未来の音楽シーンではDJは絶滅し、生楽器による生演奏が最後のアートになるという。9月21日の「MODE」の会場リキッドルームに到着すると、だいたい通常のライヴではお約束としあるBGM(ないしは前座DJ)のいっさいがなかった。開演前も転換の時間も、ただ場内のざわざわした音があるだけで、それがなんか妙に新鮮に思えたりもした。しかも、その夜出演したStill House Plantsもgoatも、生演奏の生ドラムのバンドだ。


素晴らしきスティル・ハウス・プランツ

 少しばかり気が早いが、この夜のライヴが今年の自分にとってのクライマックスだと思っていた。そして、期待以上のものがあった。最初はSHPだった。なにげに3人は登場し、音を出したと思ったら演奏がはじまった。それは不規則さの自由というか、ドラムとギターとヴォーカルのみでできることの驚くほどの展開をみせるものだった。フィンレイ・クラークのギターとデイヴィッド・ケネディのドラムとのコンビネーションは、ほとんど奇数拍子、変拍子のリズムにおいて、即興的だがあり得ないほど決まるところが決まっている。ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのジャズやブルーズを押しつぶしたようなヴォーカリゼーションが、その空間を自由に出入りする。ディス・ヒートが普通のロック・バンドに聴こえるほどSHPは変幻自在に屈折しているし、しかもそこにはブラック・ミュージックにも通じる艶めかしさがある。最初の2曲を聴いた時点で、ぼくの涙腺は緩んでしまった。
 いっぽうのgoatと言えばその逆で、ドラムとパーカッションによるまったく規則正しいリズムが重なりあうなか、いっさいのメロディを排したサックスとギターがベースと共鳴し、やがてそれぞれが結合すると、どこか『オン・ザ・コーナー』めいた、しかもじつに推進力のあるサウンドが創出される。その奇妙な迫力は、人間よりもメトロノームに近づこうとしたCANのようなミニマリズムをさらに徹底的に、機械よりも正確にやろうとして生じるものかもしれないし、メロディをまったく排したそのサウンドから立ち上がる無機質さとリズムのすさまじい躍動感との調和が発するものかもしれない。
 それにしても、BGMもMCもアンコールも(そしてCGも動画も)ないシンプルな照明のなか、極めて独創的なサウンドを持つこのふたつのバンドで、リキッドルームが身動き取れないほど超満員になったことにも希望が持てる。ぼくにとって今年のベストなライヴどころか、ここ10年のなかでもベストな体験だった。


オーディエンスをダンスさせたゴートの圧倒的なライヴ。

Jan Urila Sas - ele-king

 Riki Hiadakaの唯一無二のリリースで知られる広島の〈Stereo Records〉からの新作は、激烈なノイズ作品。作者はjan and naomiのJan Urila Sas。ノイズであり、サイケデリックな領域へと突き抜けるサウンド・コラージュであり、Janらしい官能性をともなった轟音だ。サウンドで頭を吹っ飛ばされたい方はぜひチェックしよう(限定300枚プレス)。
 以下、レーベル資料から。

 jan and naomiやGREAT 3、GODでも活動するアーティスト、Jan Urila Sasが6年の歳月をかけて生み出したレコード作品。ラップスチールにインダストリアルな改良を加えた(半)自作楽器「清正」を用い録音された4曲はいずれも光と影が混濁し、本人が制作時にイメージしていたという冥界とこの世の狭間の世界を思わせます。 様々な電気信号から発せられるノイズに満ちた音塊は一聴するとその痛烈な凶暴性が前景化しますが、その中にふと垣間見える優しさと暖かさ、哀しみは本作の代えがたい魅力のひとつになっています。 そして、20世紀前夜に生まれた音楽の原始主義を思わせるほとばしるようなエネルギーは、Jan Urila Sasの制作への関心や意欲が飽くなきものであることを窺わせます。ジャケットはデザイナー・須山悠里によるもの。具象と抽象の間をいくようなモノクロのイメージをあしらった、レコードに刻まれた音と呼応する質感を持ったものになりました。


Jan Urila Sas
Utauhone

STEREO RECORDS
10月7日(月)発売
4.400円(税抜)/ LP(180g重量盤)

※なお、11月にはライヴもあります。

Jan Urila Sas 「Utauhone Release Concert」
会場:Shinjuku Space
https://space-tokyo.jp/
日時:2024年11月21日(木)
時間:19:00 開場 / 20:00 開演
料金:
前売1,500円+1D(700円)
当日2,000円+1D(700円)
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interview with Tycho - ele-king

 ISO50という名義でヴィジュアル・アーティストとしても活動するティコは、DJシャドウやボーズ・オブ・カナダなどからの影響のもと2002年に「The Science of Patterns EP」でデビュー。トリップホップやエレクトロニカ、IDMのような風合いに郷愁を加えたようなフォーキーな作風が次第に話題を集め、2011年作の『Dive』、2014年作の『Awake』、2016年作の『Epoch』の三部作が00年代後半から10年代初頭にかけて巻き起こったチル・ウェイヴ・ムーヴメントとともにドリーム・ポップの秀作として一定の支持を集めた。この時期にソロ・プロジェクトから実質的にバンド・サウンドへと移行していき、よりスケール感の大きいクリアな音像を志向するようになる。

 文化的な刺激を際限なく求め続けていくと、遅かれ早かれどこかのタイミングで「健康」というものを軽視してしまいがちになる。もちろん自分もそのひとりだ。ある種のワーカホリック状態であることは薄々わかってはいるものの、ゆっくりすごしてじっとする方法は体力的な限界、つまりバッテリー切れを待つことのみで、適度に健康的な息抜きを楽しむような時間も余裕もパンデミック以降は失ってしまった。とはいえ、より長く音楽や文化(とそれにまつわるほどよい刺激)を楽しむためには、やはり捨て置いた健康についてどこかで再考の機会を設けないといけない気もする。

 そんななか、ティコがパンデミックを脱した2024年の晩夏に、約4年ぶりの新作『Infinite Health』をリリース。タイトルを直訳すると「無限の健康」という、いままでのディスコグラフィとは若干毛色の違うキーワードが飛び出した。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーとして迎え、出発地点であるエレクトロニカやチル・ウェイヴの持つおぼろげな質感のみを引き継ぎつつ、よりクリアで写実的な、生の音像を追求することを目指したアルバムとなった。従来の陶酔感あふれるダウンテンポな作風からモードを一新し、全9曲中7曲のBPMが110~130というダンサブルなつくりとなっていることも特徴的で、イタロ・ディスコの香りもただようインディ・ダンス風味の作品として自身のディスコグラフィに新風を吹きこんでいる。実際、近年はティコ名義ではいままで挑戦してこなかったDJセットにも意欲的なようで、音楽の原体験がダンス・ミュージックであり、かねてから影響を受け続けているとも公言している。いわば、パンデミック下で自身の生活を見つめなおすとともに、改めて原点に立ち返ろうとした作品であるとも考えられる。今回ele-kingでは、コロナ禍のタームを通りすぎ健康や日常生活へも意識を向けはじめたスコット・ハンセンに、久しぶりに話をうかがった。

やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。

通訳:お元気ですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):元気だよ。いまはちょうどツアーに出発するところで、倉庫から荷物をおろして、バスに荷物を積み込んだところなんだ。

忙しいなか、お時間をつくっていただきありがとうございます。現在も引き続きお住まいはサンフランシスコですか? 東京は猛暑で大変ですが、そちらはいかがでしょう。気候変動の影響はありますか?

SH:いや、いまは湾を渡ってオークランドの近くに引っ越したんだ。オークランドに引っ越したのは家庭を築いて子どもができたから。子どももいるし、もう少し広々とした場所で、親の近くに住んだ方がいいと思ってね。オークランドの気候はサンフランシスコと比べると最高。世界で一番良い気候なんじゃないかってくらいだね。いつも暖かくて、だいたい21度くらい。毎日いい天気だし、暑すぎることはないし、寒すぎることもない。サンフランシスコはいつも寒くて風が強くて、天気がいい日は年に数週間しかないからね(笑)。

2020年の前作『Simulcast』から少し間が空きましたね。この間にはもちろんパンデミックがあったわけですが、この4年のあいだにあなたの人生でなにか大きな変化はありましたか?

SH:やはり一番の変化は家庭を持ったこと。物事に対する考え方が変わったし、ワーク・ライフ・バランスも変わった。あともちろん、コロナがきっかけで立ち止まり、この10年間がどんな時間だったか、そしてこれからの10年間はどうであるべきか、自分は音楽をどんなふうに人に聴かせたいかを考えるきっかけができた。あの期間は、自分のキャリアを一時停止して、ただ人生に集中し、ひとりの人間として自分が将来どうありたいのかということと仕事の折り合いをつける、ほんとうにいいきっかけになったと思う。

新作『Infinite Health(無限の健康)』に寄せたメッセージでは、「我々にほんとうに必要なのは肉体的、精神的に健康でいることであり、誰もが家族や友人が永遠に健康であることを願う」とおっしゃっていましたね。ご自身や家族、友人たちの健康へと意識が向かうようになった出来事がなにかあったのでしょうか?

SH:さっきも少し話したけど、やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。2010年から2020年までの10年間は音楽とキャリアに集中していたから、心身の健康が後回しになっていたんだよね。その期間はその期間で、音楽と自分のキャリアを結びつけ、それを優先させるいい機会だったとは思うけど。でも全体的に見れば、それは束の間のものでもある。肉体的であれ精神的であれなんであれ、いまこの瞬間に健康でいるからこそそれができるわけで。パンデミックを通して、最もポジティヴな影響を人びとに与えるためには、まずは最も強い自分である必要があると思うようになった。そこで、仕事とバランスをとろうとしたんだ。そのほうがうまくバランスがとれて健康的だからね。ぼくはちょっと仕事が好きすぎる傾向があるから(笑)。

健康のためになにかしていることはありますか?

SH:肉体的にも精神的にも、より健康的な自分になるために必要なこと、そして家族のために必要な人間になるためにやるべきことに、もっと耳を傾けるようにしている。だから、エクササイズに集中したり、仕事から離れて普通の人たちと同じことをする時間をつくったりして、仕事や音楽に没頭しすぎないようにしているんだ。そしてそれと同時に、音楽に費やす時間を最大限に活用して、最高の音楽をつくるようにしているよ。

過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。

新しいアルバムは、インディ・ロックのギター・サウンドとイタロ・ディスコの融合といえそうです。今作は「自分たちのルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしよう」というのがコンセプトだったそうですね。

SH:ロックの要素をより多くとりこむ方向には前から動いていたんだよ。そしてこのアルバムでは、もっとエネルギッシュでダンスっぽい方向にも向かいたかった。それが最初のアイデアだったんだ。今回は、できるだけ違うサウンドのアルバムをつくろうと思ってね。プロデューサーとして、ミュージシャンとしてどんなに頑張っても、ぼくには声があって、いつもぼくらしい音になってしまう。だからこのアルバムが根本的に違っているとは思わないし、ティコとして認識できなくなるようなサウンドだとも思わない。自分たちらしさを消したいとも思わなかったし、今回のアルバムは馴染みのサウンドを残しながらも進化を感じさせたり、新しい方向へ導いてくれるような作品にしたかったんだ。

通訳:こうした方向性に舵を切ったきっかけ、インスピレーションはなんでしたか?

SH:インスピレーションがあったというよりは、ぼくは長い間、このサウンドとアイデアを追い求めていたんだ。でもそこからちょっと一休みして『Weather』をつくった。あのアルバムは、音的には同じような感じだったけど、ヴォーカルを加えたことで、ちょっと違う実験的な作品になったと思う。そしてそのあと、また長い休みをとった。で、もしインスト・アルバムに戻るなら、そのときはちょっと違う視点からアプローチする必要があると思ったんだ。

今作の制作中、とくによく聴いていた音楽はありましたか?

SH:正直、音楽制作をしているときはあまり音楽を聴かないんだ。長い一日を音楽制作の作業に費やしたあとは、耳を塞ぎたいくらいだからね(笑)。でもここ数年でもっと多くのことをやるようになったと思うし、そのひとつがDJセット。だからダンス・ミュージックが音楽に大きな影響を与えているのはたしかだと思うね。でもまあ、ダンス・ミュージックからは常にインスパイアされてきたし、自分が音楽にハマったきっかけもダンス・ミュージックだったけど。でも、今回のアルバムに収録されている曲は、なにか特定の音楽を参考にできあがったものではないと思う。

バンド・サウンドとダンス寄りのエレクトロニック・ミュージックを融合させるうえで、とくに意識していることはありますか?

SH:意識していることは特にはない。ただ純粋にエレクトロニックなものを用いてひとりでつくった曲もあれば、ザック(・ブラウン)と一緒につくった曲もある。最終的には25曲くらいできたんだけど、そのなかからバランスよく、ダイナミックでいろいろなタイプの曲が入ったアルバムになるように選んでいった。まずたくさん曲を書いて、それをどう組み合わせるかを考えていったんだ。

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今回、共同プロデューサーにグリズリー・ベアのクリス・テイラーを迎えた理由を教えてください。彼とはどのような経緯で出会ったのでしょう?

SH:ぼくがグリズリー・ベアの大ファンだから(笑)。ぼくにとって、とくに『Painted Ruins』は音的にかなり惹きつけられるアルバムなんだ。まず自分にとってお気に入りのアルバムをリスト・アップしてから、そのアルバムを誰がミックスしてプロデュースしたかを調べていたら、クリスが『Painted Ruins』だけでなく、そのリストに載っていたほかの作品のエンジニアとプロデュースも手がけていたことがわかってさ。そこで彼にコンタクトをとってみたんだ。そしたら、幸運にも彼も一緒に仕事をすることに興味を持ってくれた。彼と一緒に仕事をした経験からはほんとうにインスパイアされたよ。

通訳:それまでクリスに会ったことはなかったんですね。

SH:というか、いまだに彼と会ったことはない(笑)。彼はバルセロナに住んでいるから、すべての作業をリモートでやったんだ。最終的には会おう、と最初は話していたんだけど、結局同じ部屋で作業するということはぼくたちにとって必要なことではなかった。個人的には、ある意味あの電報のやりとりのようなやり方がアルバムの仕上がりにいい影響をもたらしたと思う。リモートで作業したおかげで、彼のミックスを何度も時間をかけて聴いて、じわじわと理解することができたからね。

今回、彼が果たした役割を教えてください。バンド・メンバーとクリス・テイラーと、どのようなプロセスで制作を進めていったのですか?

SH:彼は、ほんとうにアグレッシヴな中音域を持っている。ぼくは彼の中音域の扱い方が大好きなんだ。ぼくは中音域の高音が大好きで、それを押し出すのも好きなんだけど、それをやろうとすると荒々しく醜いサウンドになってしまう。でもクリスはその周波数帯域と特別な関係を持っていて、押し出し方がうまいんだ。ドラムの扱い方といい、その他色々、彼はサウンドを駆り立てながらも、有機的で心地よい空間へと押し込んでいく。そして、そのサウンドに新しい命やエネルギーを与えるんだよ。それこそがぼくが求めていたものだった。彼には、エレクトロニックな要素をとりいれつつも、そのサウンドをロックやインディ・ロック・バンドがシンセサイザーやギターを扱うように扱って欲しかったんだ。彼はそれを得意としているからね。

ちなみに、グリズリー・ベアないしクリス・テイラーの作品ではどれが一番お好きでしょうか。やはり『Painted Ruins』ですか?

SH:そうだね。あれは傑作だと思う。ミックスの仕方、ベースの音、ドラムの音、すべてが調和している。ほんとうに美しい作品だと思うね。

全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。

今作のテーマは「未来への希望と過去へのレクイエム」だそうですね。ここでいう「過去」とはどのようなものでしょうか? たとえばあなた個人にとっての過去、これまでの作品だったり、あるいは若いころのことですか? それとも、より広い社会的なことだったり流行だったりを指しているのでしょうか。

SH:過去と折り合いをつけて、過去と和解することがテーマなんだ。そして過去のことで後悔したり、自分を追い詰めたりしないこと。それはほんとうに重要なことだと思う。ぼくにとってのここ10年間は、ただただクレイジーで、あっという間だった。だから、いまになってそれを振り返り、すべてを理解しようとするのは難しいんだ。でもその代わりに、これから先もっと良い結果を出すことがほんとうに重要なことだと思うようになった。過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。もしぼくが過去や未来にとらわれすぎていたら、いまこの瞬間もきっと集中できていなかったかもしれないし。ぼくはノスタルジックな人間で、過去を振り返りがちなんだ。もちろん、過去から学ぶべきことはたくさんあると思うし、反省する必要もあると思う。でも、それをやりすぎるのはあまり健康的ではないと思うんだ。

最後の曲は “Epilogue” というタイトルです。これはシンプルに、この新作の最後の曲という意味でしょうか。2006年に〈Merck〉からリリースされたファースト・アルバムは、シェイクスピアを引用し、『Past Is Prologue』と題されていましたが、それと呼応していたりしますか?

SH:そう。あのアルバムがはじまりで、このアルバムがひとつの終わりのような気がしたから最後のトラックを「Epilogue」にしたんだ。全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。次につくる作品は、今回のものとはまったく違うものにしたいから。『Weather』のときみたいに、また新しいなにか、これまでにつくったことのないものをつくってみたい。そういう意味で、今回のアルバムは、一つの時代全体の締めくくりみたいに感じられたんだよ。

今年は、ファースト・アルバム『Past Is Prologue』のもとになった『Sunrise Projector』(2004)からちょうど20周年です。この20年を振り返ってみて、いちばん大きな転機はどこにあったと思いますか?

SH:音楽がぼくのキャリアになり、生活するための仕事になったことは、ぼくの人生におけるもっとも大きな変化だったと思う。この仕事にすべての時間とエネルギーを注げるようになって、ほんとうに充実した経験をさせてもらえていると思うね。

さまざまな問題にあふれている現代では、なかなか未来に希望を持ちづらい人も多いかと思います。ついついネガティヴになってしまいそうなとき、未来に希望を持つためのコツのようなものがあれば教えてください。

SH:それはとても大変なこと。近頃は皮肉屋になることは簡単だし、ぼく自身も時々そうなってしまってほんとうに落ち込むこともある。特に子どもがいると、希望を持てない未来を見るのは辛いしね。でも、SNSやニュース、メディアから自分を切り離すこと、そういったものをとりいれるにしても適度に保つことはできると思う。適度にとりいれる分には、SNSはとても助けになると思うしね。知っておく必要があることもあるし、避けられない現実もあるけれど、同時に、日常生活のなかではそれらを心に留めておくように最善を尽くす。それがすべてなんじゃないかな。未来のことを難しく考えすぎると、脳が爆発してしまう。だから、“いま”のことを考え、いま自分ができることをやっていけたらいいんだと思う。自分が無力だと感じるような、そして世界の問題の大きさを感じるような瞬間があるけど、ぼくはただ、音楽と、ミュージシャンとしてのぼくができることはなにかを理解し、それを通してポジティヴな影響を与えることができたらいいと思ってる。それが世界の問題を解決することになるとはもちろん思わないけど、自分ができることをやってその役割を果たし続けることができればそれで良いと思うんだ。それ以上のことを考えたって、どうすればいいか見当もつかないからね。そうして悲観的になってしまうよりは、いまできることを大切にしたほうがいいと思う。

新作のジャケットは、草原のなかに浮いている巨大な球体が印象的です。今回あなたはアートワークにも関与していますか?

SH:今回はフラン・ロドリゲスというアーティストを見つけ、彼と一緒にアートワークをつくったんだ。彼は写真コラージュのようなとてもクールな作品をつくっていて、ぼくが『Dive』時代にやっていたようなことをやっている。今回は70年代のアルバム・ジャケットのような、シュルレアリスム的な雰囲気がほしいと思ってその方向で行くことにしたんだけど、ぼくは彼の作品をかなり気に入ったし、そのアイデアには彼がぴったりだったんだ。できあがりにはかなり満足しているよ。

これまではオリジナル・アルバムを出したあと、リミックス・アルバムをつくるときとつくらないときとがありました。今回リミックス盤の予定はありますか? あるとしたら、いちばん参加してほしいプロデューサーはだれですか?

SH:つくりたいとは思うけど、まだそれについて考える段階にまで達していないんだ。だからいまのところ予定はない。でも、もしつくるとしたら、参加してほしいのはダスカス(Duskus)かな。あとはジョイ・オービソン。ぼくは彼らの音楽が大好きだし、彼らがリミックスでどんな仕事をするのか聴いてみたいから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

SH:こちらこそほんとうにありがとう。またね!

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