「Low」と一致するもの

小林:今年スクエアプッシャーの『Ultravisitor』(2004年)が20周年を迎えたということで、アニヴァーサリー・エディションがリリースされています。先に世代感を確認しておきますと、ぼくがリアルタイムでスクエアプッシャーを聴きはじめたのが2001年です。00年の秋ころからエレクトロニック・ミュージックに興味を持ちはじめて、01年に〈ビート〉が〈Warp〉をとりあつかいはじめて。

渡辺:その前は〈ソニー〉だったね。

小林:はい。『Go Plastic』(2001年)、『Do You Know Squarepusher』(2002年)とつづいたあとに『Ultravisitor』が出て、当時、まだまだ聴いている電子音楽の量が足りていなかった自分の感想としては、「決定打が来たんじゃないか」みたいな第一印象がありました。

渡辺:そういう世代の方にフックがあったアルバムじゃないですかね。

小林:やはりその前の世代の方にとっては最初の2枚、『Feed Me Weird Things』(1996年)と『Hard Normal Daddy』(1997年)が決定的だったと思うんです。

渡辺:しかもその後にいろいろ実験をしていましたからね。

小林:『Music Is Rotted One Note』(1998年)とか。

渡辺:そこで極端に振れちゃったようにも見えて。「このひとはなにをやりたいんだろう」みたいなところは正直ありました。90年代の終わりとか2000年代初頭のスクエアプッシャーってそういうイメージが強かったと思うんですよ。『Do You Know Squarepusher』というタイトルもそうだけど、自分とはなにかを考えてた時期なのかな、と今回あらためて聴いてみて思いました。当時ってそんな話題になってました?

小林:今回、当時の『ピッチフォーク』のレヴューを確認してみたんですよ。そしたらかなり微妙な評価で(笑)。うまく書いてあって、悲観的とまではいえないんですけど、「いいものはどれも終わりを迎える」という書き出しで(笑)。ちなみに書き手のドミニク・レオンは自身も〈Smalltown Supersound〉から作品を出している音楽家でもあります。

渡辺:当時リアルタイムで褒められていた印象がぜんぜんなくて。『ガーディアン』のレヴューも3点で、まったく褒めていなかった。この時期、自分はなにを聴いてたかなって思い返してみると、ミニマルなんですよ。2000年代前半はクリック・ハウス以降のミニマルをすごく聴いてたから。そんな時代に『Ultravisitor』も出て、少なくとも「これはすごい」みたいな評価がされていた記憶はないし、でも酷評されたというわけでもなく……。たとえば『Music Is Rotted One Note』が出たときはものすごい賛否両論で、よくも悪くも話題になりました。その後、実験的にやっていく時期がつづいて、広く一般にインパクトを与えたっていう印象は残っていないですね。〈Rephlex〉のファンだったりエイフェックス・ツインのファンだったり、〈Warp〉のファンだったり、コアなひとたちは少しあとから支持していたような印象があって。それこそ小林さんもそうだと思うんですけど、新しい世代のニュートラルなリスナーが支持したことで広がっていったアルバムなのかな、という気はします。

小林:20周年記念盤を出すということは需要が見こめるからこそでしょうし。

渡辺:たとえば〈R&S〉もそうなんだけど、〈Warp〉もいまやってるスタッフって世代交代してると思うんですよね。昔の〈Warp〉に憧れて新人として入ったりA&Rやったりしてる若い人たちのほうが主力になっているんじゃないかな。そのあたりの影響も、今回あるのではないかなと思います。

小林:去年はバンドキャンプがブレイクコア・リヴァイヴァルを特集していて、そういうことも背景にあったりするのかもしれないと思う一方で、でもその路線であればすでに『Feed Me Weird Things』や『Hard Normal Daddy』がありますよね。

渡辺:そうなんですよね。じっさい『Feed Me Weird Things』はリイシューが出ましたよね。それが成功したというのもあるのかも。今度は、中期の彼の評価を確立した名作ということで。今回、レア曲を詰めたボーナス・ディスクがついてるじゃない。それらの曲の背景を当時は知らなくて、今回調べたんです。どうも、当時オンライン・レコード・ショップのBleep(当時はフィジカルの販売はWarpMartという別ショップ扱い)がスタートしたタイミングで、そこで予約購入した人に配っていたCDに入っていた曲みたいですね。プロモ盤としても出していて。

小林:なるほど。当時〈ビート〉から出ていた初回限定盤にもそのCD「Square Window」の5曲がボーナス・ディスクとして付属していました。

渡辺:今回、それが正式に付属したのが大きいんじゃないかなと思っていて。当時シングルとしても出た “Square Window” もいいんですが、とくに “Abacus 2” という曲が素晴らしい。レーベルとしてはやっぱりポップでキャッチーな曲をアルバムに入れてほしいはずなんです。ラジオで流せるような曲だったり、CD時代だったら試聴機で最初に流れる1曲目をそういうものにしたいとか。〈Warp〉としてはほんとうは “Abacus 2” を『Ultravisitor』に入れたかったんじゃないかと(笑)。今回、2枚目がけっこういいんですよ。そういうメロディックな曲だけじゃなくて、“Talk About Me & You” みたいなおもしろい曲も多い。でも当時トムが嫌だと言ったんじゃないか、という深読みはしちゃいますね。

小林:もしトム・ジェンキンソンが嫌だったのだとしたら、それはなぜだと思いますか?

渡辺:『Ultravisitor』って、メロディックでメランコリックですごく静かなタイプの曲と、ものすごくノイジーな曲と、両極端がありますよね。エレクトロニックなビートはもちろんあるけど、踊りやすかったりフックがあったりする、わかりやすい曲は入っていない。だから、収まりどころがなかったんじゃないかなと。彼は作品ごとにテーマを決めてやるひとだし、すごくクレヴァーなひとだとも思うし。たとえば初期に 「Vic Acid」(1997年)といいうシングルがありましたよね。あれに入っていた “The Barn” という曲には303がブリブリに鳴っていて、弟(アンディ・ジェンキンソン/シーファックス・アシッド・クルー)の影響もあるんじゃないかと思うんですが、ほんとうはああいうタイプの曲もかなり好きだと思うんですよ。でも、シンプルな4つ打ちだったり、わかりやすいアシッドでフロア寄りみたいな曲ってほとんどアルバムには入れていないような。

小林:たしかにそういう印象はある気がします。

渡辺:『Feed Me Weird Things』のときもたしか、1曲入れようと思っていたトラックが権利関係だったかで入れられなくなっちゃって、代わりにつくった穴埋め的な曲を入れたって話をしていましたよ。それが “Squarepusher Theme” だった。後に代表曲になったものが、もともとは入らない予定だった、という。あと、〈Warp〉から最初に出た紫のシングル(「Port Rhombus EP」、1996年)、あれもアルバムに入ってないよね。

小林:入ってないですね。あれはすごくいい曲ですよね。スクエアプッシャーでいちばんの名曲じゃないかと思います。

渡辺:渋谷にあったシスコ・テクノ店の棚が全部あの紫のジャケで埋まってて、1日中かかってたのをよく覚えてる。やっぱりあれがすごく衝撃的だったんですよ。だから、〈Rephlex〉から〈Warp〉に移った最初のアルバム『Hard Normal Daddy』には代表曲として絶対に入れるよねと思っていたけど、入らなかった。そういう彼のスタンス、こだわりはあるのかなと思います。最新作『Dostrotime』も、配信しないという触れ込みで。

小林:でしたよね。その後時間が経って結局配信しちゃいましたが(笑)。

渡辺:たぶんどこかで折れたのかなっていう(笑)。

小林:最初はストリーミング時代に果敢に抗ってるなと思って、ぼくも燃えて紹介記事を書いたんですけど、「出すんかい」って思いました(笑)。

渡辺:そうそう(笑)。だからその辺はせめぎ合いというか、思い入れだったり自分のなかでこういうプランでいきたい、みたいなものがあっても、ある程度時間が経てば妥協するところもあるのかなと。そういう意味では、今回のリイシューはレーベル側の意向とアーティストのやりたかったことを、両方ちゃんとうまくパッケージしているような感じがして、すごくいいリイシューだな、とぼくは思いましたね。寄せ集めの、ほんとうにアウトテイク集みたいなのって多いじゃないですか。買ったはいいけど2枚目は聴かないよ、みたいな。でも今回は「なんで入れなかったんだろう」という曲が多い。

小林:ちなみに『Ultravisitor』本編はライヴ音源が混ざっていて、若いころ「なんだろう、これは?」と思いましたけど、それについては当時どう思いましたか?

渡辺:その前の、『Do You Know Squarepusher』の2枚目にフジロックでのライヴ音源が入ってるでしょ。ぼくは完全にあの流れだと思ってたんですよ。たしか音質があまりよくなくて、その点をリヴェンジしたいのかなって、勝手に思っていましたね。だけど今回調べたら、彼は裏でいろいろ考えていたことがわかりました。当時のインタヴューってほとんど残ってなくて、ひとつだけあったんですが、それももうリンクが死んでいて。それでなんとかアーカイヴを漁ってテキストだけ読むことができたんですけど、ライヴ音源を入れたのは、ちょっとリスナーをバカにしているというか、炎上狙いのようなところもあったみたいです。そもそも自分の音楽は多くのオーディエンスが理解できないものだけど、ライヴの歓声が入っているとウケているように聞こえるから、それで「聴いてみようかな」と思っちゃうバカなひともいるかもしれない。そういう効果を狙っている、というようなことを言っていて。それでだれかが間違ってアルバムを買ってくれたら、本人は理解できなくて放置されても、そのひとの子どもや未来のリスナーが「こいつすげーじゃん」と思うかもしれない、ネクスト・ジェネレーションが自分の真価を発見してくれたら、老害になってもライヴができるかもしれない、そういう意図があった、と。

小林:なるほど。未来を先読みしていた……と褒めていいのかどうか(笑)。

渡辺:ほんとうにそこまで深く考えてたのかはべつとしても、発想としてはおもしろいですよね。ライヴ・ヴァージョンの歓声を活かすっていう。ライヴの勢いでもグルーヴ感でもなく、ほかのミュージシャンが参加していることを打ち出すのでもなく、ただ歓声が重要だっていうのはすごくおもしろいアイディアだなと。ライヴといえば、ダフト・パンクみたいに光るヘルメットをかぶったプロジェクトもあったよね。

小林:ショバリーダー・ワンですね。超絶技巧バンドの。

渡辺:あとロボットに演奏させたりとか(『Music For Robots』、2014年)、やっぱり随所でおもしろいことをやるひとだなと思います。そういう意味ではやはりなにかリリースされるたびに、スクエアプッシャーに帰らざるをえないというか、呼び戻される感じはありますよね。

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(ここで野田編集長が登場)

野田:90年代に初来日したとき、超満員の新宿のリキッドルームでドリルン・ベースをバックにベースを弾いていたよね。

渡辺:基本そのスタイルだったね、最初。

野田:あの時点でもうひとつのスタイル、型ができあがっていたからさ、そこから抜け出ることってなかなか難しかったのかなと。『Music Is Rotted One Note』以降、違う自分を探したかったのかもしれない。そこは彼のいいところで、自分の芸風を初期の時点で捨てたというか。

渡辺:「スクエアプッシャーらしい」初期のスタイルをいつまでも求められることが嫌だったみたいだね。どこかのインタヴューでそういうステレオタイプに対して怒ってたおぼえがある。でも、初期は家でもああやって録ってたという。『Feed Me Weird Things』の記念盤セルフ・ライナーノートに書いてありました。最初はマルチトラックのレコーダーがなくて、基本的に一発録りでやっていたそうで。バック・トラックをつくっておいて、シーケンサーのスイッチ押して、同時にベースを弾いて録ってたっていう。

野田:その話はおもしろい。それで音質がその後と違うんだね。やっぱりいいね、アーティスト初期の「持たざる」時代って。みんなアイディアを駆使してつくって録音してるんだよね。

渡辺:ホックニーを輩出した名門アート・スクールに通ってて、そのお金を親に出してもらってたのに、学費や学生ローンで得たキャッシュを全部シンセサイザーに使っちゃって(笑)。

野田:それは親の立場の人間としてはちょっと(笑)。

渡辺:一応、ちゃんと卒業はしたみたいですよ。

小林:でもたしかに10年代の作品になると、システム自体かなり高度な感じになっていきますよね。

渡辺:けっこう機材オタクっぽいですよ。

野田:そう。リチャード・D・ジェイムスとはまた違うタイプの。リチャードはもうちょっと偏執狂的というか、ある意味では狂気の世界に入ってるけど、スクエアプッシャーはもうちょっと真っ当な。

渡辺:そうだよね。だからオールドスクールの機材が好きだったりとか。『Be Up A Hello』は、そういう古い機材を持ち出してつくっていた。

小林:あれは彼にしては珍しく懐古的になった作品ですよね。

野田:スクエアプッシャー史において、『Ultravisitor』はどういう位置づけなの? 『Music Is Rotted One Note』はひとつの転機だったと思う。このころからマイルス・デイヴィスとか、けっこうジャズを意識して。

渡辺:完全に生演奏でやっていたしね。さっきも話したんですけど、それでその後いろいろやって、結果『Ultravisitor』に至った、みたいな。

野田:じゃあ第2期の総括的な。

渡辺:あるいは、第3期の出発なのか。ジャケが本人の顔写真っていうのも。

小林:買ったとき、ジャコ・パストリアスみたいだなと思いました。

渡辺:そうそう、ジャコ・パストリアスのファースト(『ジャコ・パストリアスの肖像』、1976年)っぽいですよね。すごく思った。当時だれも言わなかったけど、やっぱりそうだよね。それを今回変えたじゃない。もしかしたら、ちょっと恥ずかしくなったのかなと(笑)。

小林:以降も顔をバーンって出したアートワークはないですし。そもそもテクノのアーティストはそういうことを滅多にやらないですよね。やはり『Ultravisitor』には自分の振り返り、自分史的なテーマが込められているのでしょうか。

(このあたりで野田編集長が退場)

渡辺:そういう時期だったのかなと。『Music Is Rotted One Note』に “Don't Go Plastic” という曲があったけど、その後『Go Plastic』を出した。「ニセモノはやめましょう」って言っていたのに「やっぱりまがいものがいいです」みたいな(笑)。生演奏のような、いわゆる「ホンモノ」の音楽も自分はできるんだというのを見せたかった部分がありつつ、完全にそればっかりでもない、みたいな。

小林:なるほど。『Ultravisitor』はセンティメンタルなメロディの曲が多いのも特徴ですよね。そこで内面的なものを表現しようとしていたのかもしれません。Spotifyで見ると、“Iambic 9 Poetry” と “Tommib Help Buss” だけ断トツの再生数で、ほかの曲とケタが違っていて驚きます。大多数はその2曲しか聴いてないんじゃないかと危惧してしまいます。すごいライト層だとは思うんですが。

渡辺:残酷というか、ハッキリ見えちゃうから怖いですよね。その2曲の人気からもうかがえますが、スクエアプッシャーといえば過剰なビートだったりドリルン・ベースの極北だったり、あるいはベースもむちゃくちゃ弾きまくるみたいな印象だったのが、それと真逆のイメージを打ち出してきたのが『Ultravisitor』で。“Abacus 2” のようなポップでわかりやすいリズムで、かつメロディがきれいな曲を入れなかったのは、もっと静かなもののほうが彼のアナザー・サイドを打ち出すためにはいいっていう判断をしたのかもしれないですよね。こういう曲はその後も継続してある程度出てくるし。

小林:たしかにこれ以降、こういう曲がちょこちょこ入るようになりますね。

渡辺:インタヴューで「そういう曲がすごく好きだし、自分のなかにあるものだ」って自分でも認めている。それを本人がはっきり認識したり、あるいは自分のそういう面を発見した時期なのかなって思う。デビューが95年だから、そろそろ10年目が近づいてきている、正念場みたいなタイミングだったのかもしれない。そう考えるとやっぱり転機になったアルバムだと思うんですよね。

小林:肖像のジャケにしても感傷的な曲調にしても、ちょうど現代とつながる感覚があるようにも思いました。いまはSNSで有名人も一般人も自分語りをするし、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーも自分史3部作を出した。そういう時代の流れにハマったリイシューでもあるのかな。

渡辺:さっき当時のインタヴューの話をしましたけど、じつはもう1本あって、LAの雑誌『URB』がインタヴューしているんです。そっちはメール・インタヴューなんですが、トムが「ヴァーチャル・コメディアン」っていうソフトを使って返信をつくりました、って書いてて、ぜんぜんインタヴューになっていない(笑)。ようはChatGPTの先祖みたいなソフトなんですけど、当時から「新しい技術に新しいことをさせよう」みたいな発想が彼にはある。『Dostrotime』の “Wendorlan” のヴィデオでもオシロスコープを使っていましたよね。オシロスコープ自体は新しくないけど、そういうふうに技術に寄り添って自分を出していくところもおもしろいなと。いまでこそAIは当たり前のものになってきましたけど、20年前にそういうことをやっていて。そのソフトも自分でつくったらしいんですよね。ほんとうかどうかわからないけど。

小林:たしか『Damogen Furies』(2015)のときはソフトウェアから自作していましたし、テクノロジーへの関心は高いですよね。先ほどのロボットもそうですし。そうしたハイテクなものへの関心がある一方で、今回『Ultravisitor』を聴きなおして再発見したのは、やはり静かな曲で。といっても先ほど話に出た大人気の2曲ではなくて、“Andrei” と最後の “Every Day I Love” です。おなじくメロディアスなタイプの曲ですが、この2曲はバロック的ないし古楽的な感じもあって、もしかしたらスクエアプッシャー流の、民衆の音楽という意味でのフォークともとらえられるかもしれないと思いました。個人的には “Iambic 9 Poetry” や “Tommib Help Buss” より、この2曲のほうがいまは響くなと。先ほどの『ピッチフォーク』では「退屈だ」って書いてあったんですが(笑)。

渡辺:バロックっぽいのはぼくも気になりましたね。2004年のライヴを調べると、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでやっていたりするんですよ。クラシカルのひとたちとやったり、いろいろ実験もしていた時期のようなので、そういう影響もあるのかも。でも、なんで “Iambic 9 Poetry” があれほど広く受け入れられたのかについては、考えてみたんですけどわからないんですよね。ピアノやクラシカルな楽器でのカヴァーをYouTubeで見かけたりとか、ぜんぜん違う層に刺さっていたりして。

小林:エイフェックス・ツインの “Avril 4th” がひとり歩きしているのと似たような現象かもしれませんね。エイフェックスやスクエアプッシャーの凶暴なブレイクビーツは、ふだんそういうものを聴かないリスナーからすると受け入れられないけど、きれいなメロディの穏やかな曲だったら聴けるという。

渡辺:“Iambic 9 Poetry” については、新しく発見したことがあって。ぼくは普段ゲームの仕事をしていて、英語の脚本をつくったりしてるんですけど、いろんなキャラクターに方言とか昔のことばを喋らさなきゃいけないことがあるんです。そのキャラクターが違う文化圏のキャラクターであることを表現するために、古い時代の喋り方をさせたり。それで、あるときイギリス人のスタッフから「アイアンビックを入れたらどうですか」と言われたことがあって。古典詩の脚韻のひとつに「イアンボス(iambos)」というのがあって、日本語だと「弱強格」。ようするにリズムのことです。そのリズムに合うことばを選んで入れて、読み方も強弱をつけて読むんです。シェイクスピアのころはそういうことが盛んで、だからイギリスの舞台俳優はみんなけっこうそれができるんですよ。現代の日常会話では使われてない言語だけど、「こういうキャラクターなので、そうしてください」と伝えると、普通にやってくれる。その弱強格にも「三歩格」とか「四歩格」とか種類があるんですが、「Iambic Pentameter」が「弱強五歩格」のことで。『Budakhan Mindphone』(1999年)に “Iambic 5 Poetry” という曲がありますけど、そのことだったんですね。それが、『Ultravisitor』だと “Iambic 9 Poetry” だから、「弱強九歩格」ということになる。なんで「9」にしたのかわからないんですけど、「弱強九歩格」というのはおそらく存在しないんですよ。以前「5」はやったから今回はその上を行く「9」でやろうということなのか、静かな曲調のなかで波を打っていくようなドラムの流れのことを意識しているのかはわからなですけど。インストの曲なのに、舞台とか古典詩からインスパイアされてそういう題をつけるのはおもしろいなと。

小林:それはすごい発見ですね。ぜんぜん知りませんでした。

渡辺:リアルタイムではまったく気づいてなくて。最近になって仕事をしてるときに気づいたんですよね。「これじゃん!」って。だから、彼はことばづかいは荒っぽいときもあるけど、すごく頭のいいひとなんだなと思います。

小林:『remix』時代に野田さんがやった、『Just A Souvenir』(2008年)リリース時のインタヴューでも、コンセプトなどをめぐってかなり知的な話をしていました。ブレグジットに反対する曲(“Midi Sans Frontières”、2016年)を出したりもしていましたよね。

渡辺:その曲の素材をフリーで出すから、みんなでそれを使ってリミックスしてくれという。あれはすごくおもしろいなと思いました。昔オウテカがクリミナル・ジャスティス・ビルのときに「これなら捕まらない」ということで反復しない曲(“Flutter”、1994年)を出してたじゃないですか。あれに通じるものを感じましたね。〈Warp〉もスピリットを失っていないなと。

小林:今回聴き返してみて、あらためていいなと思った曲ってありましたか?

渡辺:最初はトムが観客に話しかける声、そこからすごく静かにはじまって激しいドリルン・ベースになっていく曲……“Tetra-Sync” かな。前から割と好きではあったんだけど、今回聴き直してもやっぱりすごくいいなと思った。まあ、ライヴを観たいですね。

小林:いま『Ultravisitor』でライヴをやってくれたらすごくハマりそうな気がしますよね。

渡辺:その後ライティングに凝ったライヴなどが評価されましたけど、そういうこともぜんぶ経てきたうえで、この時代の曲をやったらどうなるのか、というのは聴いてみたいですね。

小林:ということで、ここまでの話を一言でまとめると、『Ultravisitor』はスクエアプッシャー試行錯誤期の名作、ということですね。

Squarepusher
Ultravisitor (20th Anniversary Edition)

Warp / ビート
2024.10.25 release

2CD国内盤

Amazon Tower HMV disk union

3LP国内仕様盤

Amazon Tower HMV disk union

拝啓 ゲンイチさん

 挨拶は抜きにしよう。だいたい2024年になってまでも、貴兄と『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』(以下、『SAW Vol.2』)についてこうして手紙をしたためことになるとはね。我ながら30年前からまったく進歩がないとあきれるばかりだよ。もっとも『SAW Vol.2』が30年という年月に耐えた、いや、それどころか、むしろじょじょに光沢を増していったことに話は尽きるのかもしれないけれどね。まあ、とにかくだ、我ら老兵の役目としては、この作品がその当時、どのような背景から生まれ、そしてどのような意味があり、それがもたらした文化的恩恵について後世のためにも語ってみようじゃないか。
 まず、ぼくとしては以下に『SAW Vol.2』についてのポイントとなる事項を挙げてみた。どうぞ確認してくれたまえ(そしてもし見落としがあれば追加を頼む)。

 ■AFXのカタログのなかでもっともミステリアスな作品。

 ■明晰夢から生まれた。

 ■円グラフ、曲名のクレジットはなし。

 ■メジャー・レーベル第一弾の意図的に商業的でない作品。

 ■評価の分裂(否定も激しかった)。

 ■『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』(以下、『SAW85-92』)と違って、ダンス・ビートがほとんどない/あっても作品全体では強調されていない。

 ■1993年~1994年のアンダーグラウンド・シーンとアンビエント

 発売当日、唯一曲名がわかっていたのは、1992年の決定的なコンピレーション『The Philosophy of Sound and Machine』から再録の “Blue Calx” だけだったね(2019年の 「Peel Session 2 EP」で“♯2”が “Radiator” という曲だったことが判明される)。ちなみに “Blue Calx” は、発表時は作者名でもあった。あの曲をリアルタイムで聴いていた人間からすると、当時としては実験的で画期的な曲だったけれど、それがどうだ、『SAW Vol.2』においてはもっとも聴きやすい曲として挙げれらる。
 あの時代、こうしたインディ音楽はアナログ盤での流通が普通だったから[※CDよりヴァイナルのほうが安かった。LP盤は平均2千円、CD盤は2千300円くらい]、当然のこと我々はアナログ盤を買って聴いているわけだが、アナログ盤で3枚組というリリース形態にも、1993年から1994年にかけての時代のドープさを見ることができる。時間にして167分、2時間半以上のリスニングを日常的にしていたことは、若くて暇だったからではなく、それだけ音楽の吸引力が凄かったということだ。そうじゃないかね、ゲンイチさん。

敬具

2024年11月18日 野田より


拝復 
野田くん

 いや、ほんとうに恐ろしいね。30年かあ。僕は1961年生まれなので、1991年にちょうど30歳を迎えたんだよ。30歳という年齢もさることながら(Don’t Trust Over Thirty!)、1991年っていろんな意味で記憶に残る年だった。湾岸戦争にソ連崩壊で日々リアル世紀末を感じてたりもしていたいっぽうで音楽にとっても特異な年だったからね。ニルヴァーナの『Nevermind』やらREMの『Out of Time』 やらダイナソーJr.の『Green Mind』もすごいインパクトだったけど、やっぱりプライマル・スクリームの『Screamadelica』とマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』だよね。
 でさ、僕が生まれた1961年のヒット曲を眺めてみると、たとえば洋楽だとプレスリーの “Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)” とかベン・E.キングの “Stand by Me” 、ジョン・コルトレーンの “My Favorite Things” 、国内に目を向けてみると石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲の定番ともなった “銀座の恋の物語” や植木等の “スーダラ節” だったりする。そこから30年後、マイブラの “Soon” やプライマルの “Higher Than The Sun” が来る。このジャンプアップはとんでもないわけじゃないですか。1961年に若者でこういう音楽を聴いてた人たちに “Soon” 聴かせたらまあ “???” ってなるよね。そのくらいことこの2曲についてはそれまでの音楽のクリシェが通用しないものだったわけでさ。これを聴くにつけ、いやー音楽もずいぶん遠いところまでたどりついたものよのぅ……なんて思ったりしてね。30年ってそのくらい長い時間なんだよ。
 ところがさ。1994年にリリースされたこの『SAW Vol.2』。プレスリーや植木等とマイブラの間に横たわる時間と同じ時間が流れたんだぜ、30年! 少なくとも僕の耳にはこの『SAW Vol.2』が30年前の音楽には聴こえない。全然古びていない。今回発売された30周年記念盤で初めて耳にする若いリスナーにしてみても、僕が1991年にベン・E.キングや石原裕次郎を聴いて懐かしさを感じるのと同じように『SAW Vol.20』を聴くとは思えないよね。それがすごいのかどうかは微妙だけどね。もしかして音楽の進化が遅くなってるのかなとか。ま、実際そうなんだろうなと感じることはあるんだけどね。『SAW Vol.2』が出た頃ってネットもありはしたけどまだまだ黎明期だったしYou Tubeもないし、音楽聴くなら買うか借りるかしかなかったのに、30年後の今はもう普通にストリーミング主体の状況になってるわけで、やはり時代は進化しているわけなんだけど、音楽そのものの革命的な変化ってもうあんまり感じられないのも事実でしょう。
 それはともかく、1994年においてこのアルバムがミステリアスだったというのは事実。調べるって言ったってネット情報なんてないし、そもそもこのエイフェックス・ツイン/リチャード・D.ジェイムス(RDJ)がいったいどういうアーティストなのかということも、海外の音楽新聞などに載ってくる記事とせいぜいレコード店のPOPなんかで類推するしかなかった。彼の名が多少なりともテクノ好きの間で知られるようになったのはブーメラン・ジャケットの 「Digeridoo」 (1992年)だったよね。それとヒトデ・ジャケの 「Xylem Tube EP」 。この2枚のシングルはベルギーのテクノ・レーベル〈R&S〉からのリリースで、その前にも別のレーベル(イギリスの〈Mighty Force〉と〈Rabbit City〉)からのシングル(「Analogue Bubblebath」の1枚目と2枚目)があったけど、レーベルとしては〈R&S〉のほうが知名度があったからね。よけいに目に留まりやすかったというのはある。あのころ〈Mighty Force〉盤買っていたのって三田格くらいじゃないの?(笑)
 で、1994年にはこのアルバムがあって、UKのDJイベントMegadogの引っ越し公演があって、そのDJとしてRDJが初めて日本のファンの前に姿をあらわし、取材もいくつか受けたから少しずつその神秘のヴェールが剥がれてはきてたんだけど……いや、むしろもっと??になったと言ってもいいのかもしれない(笑)。印税で軍事用のタンク買ったとか、リミックスする相手の音楽は嫌いであればあるほどいいリミックスができるとか、明晰夢で曲を作るとか……どこまで信じて良いのかみたいな、石野卓球の言葉が思い出されるよ。

 RDJの最初のアルバムは〈R&S〉から出たエイフェックス・ツイン名義の『SAW 85-92』で、これが1992年。このアルバムに続く同名義のアルバムが『SAW Vol.2』だったわけだけど、これは〈R&S〉からではなく、〈WARP〉と契約しての最初のアルバムだった。〈WARP〉からの最初のリリースは『SAW Vol.2』に4ヶ月ほど先立つ1993年末のシングル 「On」だったね。同時に彼はアメリカでは大手ワーナー傘下の〈Sire〉と契約し、〈Sire〉からは本国から2ヶ月遅れで 「On」がリリースされてる。これはディレイのかかった叙情性すら感じるピアノの美しいメロディと暴力的なリズムが融和した素晴らしい曲だったよね。レーベルとしても力を入れているであろうことは、珍しくリミックス・シングルも別にリリースされていることからもわかる。この 「On」の次に『SAW Vol.2』が出るわけだけど、それに続くシングル 「Ventolin」もリミックス盤が出た。もっともリミキサーはReload、μ-Ziq、Cylob、Luke Vibertと、みんな近親者ばかりというのが笑っちゃうけどね。ちなみにこの 「Ventolin」に次いで出たシングル 「Donkey Rhubarb」には、アメリカン・ミニマルの代表的作曲家フィリップ・グラスのリミックス(というよりオーケストレーション)が収録されてて当時は興奮したものだよね(笑)。
 それにしてもだよ。移籍後の初シングルの数ヶ月後にアルバムが出るのであれば——しかもそのシングルがけっこう力を入れたものであればなおさら——その曲を含むアルバムが出るものと思うよね。それなのに出たのは『SAW Vol.2』(笑)。これは衝撃的でしょう。仮にもメジャーからのリリースとなれば、まず間違いなく先行シングル→ヒット→それを含むアルバムで快進撃という図式に則るだろうなと思いますよ。しかし事実は違った。まさかのシングル曲 “On” 未収録、まさかのオール・インストのアンビエント・アルバム。まさかの2枚組(アナログは3枚組)。まさかの曲名なし……〈WARP〉ならともかく、〈Sire〉がよくこれをOKしたなと今でも思うよ。

2024年11月20日 杉田より


前略
ゲンイチさん

 冬になったかと思えば、秋に戻ったり、老体にはこたえる今日このごろ、今朝もなんとか不死鳥のごとく起き上がって仕事をしているよ。たははは。
 さて、それにしても、うん、音楽作品とは面白いものだね、たとえば、90年代前半、シーンで絶大な支持と人気を誇った作品にオービタルの2枚目がある。リアルタイムにおける支持と人気で言えば、『SAW Vol.2』は、それよりも勝っていたとは言えない。『SAW Vol.2』ほど評価が二分した作品はなかったし、我々支持した側の人間にしても、大声で、目くじら立てて支持したわけでもなかった。支持率や共鳴度で言えば、やはり『SAW 85-92』と『Surfing on Sine Waves』(93)のほうが圧倒的だったし、『SAW Vol.2』の次作、『...I Care Because You Do』の激しさのほうが新しいファンを巻き込んでいった。ところが、21世紀もクォーターが過ぎようとしている現在、『SAW Vol.2』の評価はずっと上昇し、人気の面でもひょっとしたら、『Surfing on Sine Waves』なんかともかなり拮抗しているんじゃないないだろうか。つまり、『SAW Vol.2』は、それがリリースされた時代やその背景から切り離されてから、どんどん存在感を増していった作品だったと。まあ、よく言うところの、「時代がこの作品にようやく追いついた」のだろうね。もちろんリスナーの耳が、時代が進むにつれて、当時は難解だと思われていた音楽を楽しめるようになっていったのは事実だよ。ゲンイチさんだって、1994年よりもいまのほうがこのアルバムを好きなんじゃないかな。
 昔話はこれで最後にしておくけど、まあ、あの時代はね、いまと違ってダンス熱がすごかった。みんなで集まって身体で音楽を感じること、その素晴らしさに多くの人たちが気付いた時代だったよね。だからあの時代は、ダンスに即したオービタルやアンダーワールドが人気だった。だから、みんなが汗をかいて踊っているところにこのアルバムを投下したRDJの逆張りも、なかなかのものだった(笑)。〈Sire〉もよく出したというか、メジャー移籍第一弾でこれをやるRDJがすごいよ。たしかにこの時代、アンビエントはブームだった。いろんなアーティストがアンビエント作を作りはじめていたよね。ダンスフロアのピースな空気にも陰りが見えはじめたころで、みんないったんクールダウンしようじゃないかという話になったわけだけれど、しかし、ここまで無調音楽やドローンをやるの人は、シーンのなかにはまだ他にいなかったね。しかも、曲名もないときた。反商業主義も甚だしい。
 ここで再度、追加でポイントを挙げてみた。

 ■当時のRDJ(まだ22歳~23 歳の若者)の説明によると、音楽制作のため、なるべく寝たくない。

 ■睡眠時間を削りに削った結果、日常生活において “老人のように頭が混乱し始める。お茶を淹れてもシリアルボウルに注いでしまうような、予測不可能なことをするようになる” (1993年の『Melody Maker』のインタヴューより)。

 ■こうしたある種の催眠状態(ぼけ状態)から、RDJは明晰夢を見るようになった。

 ■そして、その能力を音楽制作にも活かそうと作ったのが『SAW Vol.2』である。

 ■夢の状態や、夢で見たことを起きてから音楽にする。

 ■『SAW Vol.2』に神秘的な風景が広がるのはこのためである。

 ざっくり言えば、こういうことで、細かく言えば、このアルバムには明らかに『SAW 85-92』時代の曲もあるし、前の手紙にも書いたように、1992年の “Blue Calx” もある。ただ、多くはやはり、アルバムの最初の曲、 “Cliffs(崖)” とファンからは呼ばれているこの靄のかかったトラックが象徴的で、驚異的と言える神秘的な音像が散りばめられている。当時もいまも、ほんとうにRDJは夢で作曲したのかどうは議論の対象だけれど、ぼくはね、それはあながち嘘じゃないと思っている。それから、1992年から1993年のあいだにRDJは、過去にはない音楽体験をしたんじゃないかともにらんでいるんだ。たとえば現代音楽と言われてる “現代” ではない過去の音楽なんかをね。そこはゲンイチさんの専門だから、どう思うか訊いてみたかったんだ。

早々

2024年11月22日野田より


拝復
野田くん

 RDJは “テクノ・モーツァルト” なんて呼ばれていたこともあったね。別に彼がクラシック好きというわけじゃなくて、ようするにわずか35年の生涯に700曲以上の作品を遺したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトみたいに曲を大量に作っていることから付けられたイメージだろう。もっとも曲をたくさん書いた作曲家といえばヨハン・ゼバスティアン・バッハとかフランツ・シューベルトも1000曲以上書いてるし、シューベルトなんてモーツァルトより4歳も早く死んじゃったんだから、モーツァルトよりやばい量産家だけどね。もっともシューベルトよりモーツァルトのほうが一般的な知名度は高いから “テクノ・バッハ” とか “テクノ・シューベルト” じゃなくてやっぱり “テクノ・モーツァルト” なんだろうけど。
 あの時代のRDJが確かに湧き上がる楽想をスケッチするようにどんどん創り貯めていたのは事実だろうね。アンファン・テリブルと言われていた20代前期までの彼は特に。毎週アルバム出しても2、3年は持つくらいの曲があるよって言っていたね。彼のデビュー作『SAW 85-92』は、創り貯めた曲からコンパイルされたアルバムなわけだし。ほんとに14歳のときの曲あんのかぁ?って思わなくはないけど(笑)。

 プレ『SAW Vol.2』的なスタンスの作品として、たとえば『SAW 85-92』があったりPolygon Window名義の『Surfing on Sine Waves』(特に “Quino-Phec” )みたいなアンビエント的な作品が『SAW Vol.2』の前にあったわけじゃない。けど、それらの2枚よりも『SAW Vol.2』が注目されたというのは、前にも言ったようにメジャーからのデビュー・アルバムっていうこととかもあるけど、やはり3時間近い大作っていうことと、より深遠(あるいはやや難解)な感じを聴き手に与える響きがそこにあったからでしょう。アンビエントという点では1990年にはKLFの『Chill Out』が、翌年にはThe Orbの『Ultraworld』があり、さらにはミックスマスター・モリスのIrresistible Forceやピート・ナムルックが台頭し、1993年にはUKロックChapterhouseのセカンド・アルバムをまるごとアンビエント化したグロコミことGlobal Communicationの『Pentamerous Metamorphosis』があったね。これが翌年のGCによる最高のアンビエント・アルバム『76 14』を生み出すきっかけとなったわけだけど、『SAW Vol.2』が94年の3月で『76 14』が6月。これだけでも94年はすごいアンビエント・イヤーだったよね。そういや94年の春には野田くんたちとコーンウォールへアンビエント・トリップ、リアルなドライブをしたっけな。この旅と『76 14』の関係については第一期ele-kingの創刊号に長い原稿を書いたので、探して読んでほしいところだけどまあそれは置いとくとして、これらの先行作が状況を用意したとしても、やはりこの『SAW Vol.2』のジャンプアップにはみんな驚かされたんだよね。
 野田くんが指摘するようにRDJがこの時期に “過去にはない音楽体験をした” かどうかは正直わからないよ。でも明らかに『SAW Vol.2』の前の作品、つまり『SAW 85-92』とか『Surfing on Sine Waves』とはだいぶ音の感じが変わった。『SAW Vol.2』以前の2作にあったダンスビート——実際踊れるかどうかは別としても——がない(あるいは少ない)こともあるだろうけど、あくまで電子音楽の装いだった前2作と比べて、『SAW Vol.2』の響きはクラシックで言うところの室内楽的なそれに近いものになっていたということが大きい。もちろんそれは電子音で作られたもので、別にリアルな弦楽合奏や管楽器が使われてるわけじゃない。でも、全体的に彼の音楽にみられがちな神経症的な響きではなく、ふくらみのあるハーモニーが前面に出ているし、コード進行もスムースな曲が多い。声高にメロディ!と主張するものはないにしても、移りゆくコード進行のトップノートの連続がとても印象的に聞こえる感覚を聴き手にもたらすんだと思う。このアルバムの何曲かはクラシカルなオーケストラやアンサンブルに編曲されて演奏されていたりするけど——Alarm Will SoundとかLondon Sinfoniettaとかにね——そういうことをしたくなる曲がたくさんあるアルバムなんだよ。
 それにしてもだよ。〈WARP〉移籍後のリリースを見てみてよ。 「On」~『SAW Vol.2』~ 「Ventolin」、この振れ幅ってやっぱりとんでもないなと改めて思うね。もっと細かく言うと 「Ventolin」の前に出たAFX名義の 「Analogue Bubblebath4」 と 「Hangable Auto Bulb」シリーズを含めて考えるともっとすごいなとなるけど。とはいえ、RDJ言うところの “明晰夢からのインスピレーションで作曲・創作” したのは『SAW Vol.2』だけだろう。だからこのアルバムだけが前後の作品から切り離されて屹立しているんだと思うんだよ。

2024年11月24日杉田より


前略
ゲンイチさん

 朝方は冷える今日のこの頃。今朝も歯を食いしばって布団から出たよ。それはそうと、この便りを最後に旅に出ることにする。もちろん、金もないから内面旅行だ。
 それはそうと、ここで言っておくと、『SAW Vol.2』の系譜というか、これに匹敵する謎めいた作品がRDJにはもうひとつある。そう、『Drukqs』(01)だ。いつかこのアルバムも、より深く語られるときが来るだろう。またそのさいには筆をとることになるかもしれないから覚悟しておきたまえ(笑)。
 それはそうと、もうまとめよう。最後に読者への案内をかねて、このアルバムのなかのお互いのなかのフェイヴァリットをいくつか挙げようじゃないか。 “Blue Calx” を除いて、本来は曲名のクレジットなしのこのアルバムには、時間のなかでファンが勝手につけた曲名が非公式ながらレーベルも認めているので、その曲でいくつかピックアップするよ。

 以下、野田のハイリー・レコメンド
 ・Cliffs(クリフス)
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
 ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)

 レコメンド
 ・Radiator(レディエイター)
 ・Grass(グラス)
 ・Weathered Stone(ウェザード・ストーン)
 ・Lichen(ライカン)

 まあ、これはたんに好みであって曲を評価するものではない。ただ、アルバムの正規のクローサートラックが “Matchsticks(マッチスティックス)” 、つまりマッチ棒なのがどうなのかというのは、当初から思っていたよ。もうちょっとロマンティックな終わり方をしても良かったと思うんだが、じつに不穏なエンディングだ(笑)。
 とにかく、 “Blue Calx” が名曲なのは言うまでもないけれど、 “Cliffs” と “Stone in Focus” もほんとうに好きだな。ことに1曲目の “Cliffs” は、異世界への完璧な入口だ。ちなみに、 “Blue Calx” はコーンウォール時代に(通称〈Linmiri〉スタジオにて)レコーディングした最後の曲だと言われているね。つまり、機材的には『SAW85-92』と重なっている。ああ、それから曲名の代わりに配置されている円グラフだけれど、ファンがいろんな考察——それぞれの角度に意味があるんじゃないかとか——をしているものの、結局、いまだにその謎は解けないでいる。
 じゃ、最後に、先生の推し曲をご教示いただけますかな。

早々

2024年11月26日野田より


拝復
野田くん

 そうだね、『Drukqs』。 “Avril 14th” という『SAW 85-92』における “Xtal” 、『SAW Vol.2』における “♯3(Rhubarb)” と並ぶ静謐系RDJのベスト・ソングが入ってるアルバムね。アルバムとしても僕はこの3枚が好きだし今も聴き続けてる。死ぬまで聴くだろう……とは言ってもこの先何年生きられるのかわからないけどさ(笑)。
ということで、僕の『SAW Vol.2』の推し曲はこれ。

 ハイリー・レコメンド
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Curtains(カーテンズ)
 ・Domino(ドミノ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
  ・Z Twig(ゼット・トウィッグ)

 レコメンド
  ・Blur(ブラー)
  ・Windowsill(ウィンドウシル)
  ・Hexagon(ヘクサゴン)
  ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)
  ・Lichen(ライカン)

 僕も野田くんと同じように2曲目の穏やかな “Rhubarb” がほんとうに好きなんだけど、RhubarbといえばRDJにはとんでもなく騒がしい “Donkey Rhubarb” という曲もある。『…I Care Because You Do』の先行シングルのリードトラックだった曲だけど、続いて出たアルバム『…I Care~』にはこの曲は収録されず、かわりにフィリップ・グラスがミニマルなオーケストレーションを施して話題だった “Icct Hedral” のエディットテイクが収められたっていうところもRDJらしい悪戯心かな。
  “Blue Calx” が素晴らしいのはもちろんだね。RDJにとって “Calx” は重要なテーマなんだろう、『SAW 85-92』のGreen、『SAW Vol.2』のBlue、ちょっと飛んで『Richard D. James Album』のYellowと、見事に三部作を揃えてる。リズムは3曲とも全然違うけど、背後に美しいパッド系の音が鳴っている点は共通している。タイトルがナンバリングだけだった『SAW Vol.2』において、唯一最初から曲名が明らかにされていたのは、RDJのこの曲への思いがあったからじゃないかな。まあ、野田くんも指摘していたようにこの曲だけは既発曲だったというのも関係しているのかもしれないけど。
 あと、このリストには入れてないけど、僕はオリジナル盤のラストが “Matchsticks” であること、嫌いじゃないけどね(笑)。この “物語が終わらない感” がいいんだよ。最後、響きが唐突に途切れるところも含めてね。だから、今回の30周年記念盤で追加された2曲は、正直蛇足じゃないかって思うんだけどどう? いや、曲としては悪くないんだけどね。そういえばこの追加トラックの2曲目にまたしても “Rhubarb” が登場してる。全曲リバース処理されてて響きはおもしろいけど、これを足して30周年記念盤を閉じるっていうのがRDJらしい一筋縄ではいかない感ありありで、おもしろいといえばおもしろいんだけど。

2024年11月28日 杉田より


前略 
土門さん、いや、ゲンイチさん、

 冬の透明な空気が気持ちいい。家のなかでビールを飲みながら聴いているよ。自分としてはいまもこの『SAW Vol.2』を楽しめることは嬉しいよ。あの頃の音楽が2024年になっても現役なのは、ある意味いまだからこそ『極悪女王』が面白いのと同じように……いや、違うか、はははは。
 ジェフ・ミルズの “サイクル30” を思いだそう。あれはテリー・ライリーの “In C” から30年、つまり、ミニマルの30周年期ということで “サイクル30” なんだけど、1994年に我々は(コイちゃんと一緒に)テリーさんの『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー』をよく繰り返し聴いたよね。だから、30年前の作品であっても、まったく古くはならない音楽作品はほかにもいろいろあるし、おそらく 『ア・レインボウ~』がむしろ時間が経ってから聴いたほうがよく聴こえたように、あるいはより幅広いく聴かれていったように、『SAW Vol.2』もそういう作品だった。こういうのをタイムレスな音楽っていうんだね。若い人たちにもぜひ聴いて欲しい。いまでもぜんぜん新しいから。
 ところで、ゲンイチさんがあの頃買った『SAW Vol.2』にもナンバリングしてあるわけだけど、何番? ぼくのは7000番台のかなりの前のほう。いつかディスクユニオンの壁に『SAW Vol.2』の7000番台のかなりの前の番号のがあったら、それはぼくが売ったレコードかもしれないよ。12月は1年のうちでいちばんセンチメンタルな季節だと言ったのはレスター・バグスです。では、いずれまたお会いしましょう。

拝具

2024年11月28日 野田より


拝復
野田くん

 なんだよ、野田くんってサッカー野郎じゃなかったっけ。ドカベンなんて今の読者ついてこれませんよ(笑)。そして極悪女王と言えばやっぱりジュワイヨクチュールマキウエダ……いや、この話はやめとこう。これも読者がついてこれないや。

 “ア・レインボウ~” ね、あれ、ほんとよく聴いたよなー練馬のコイちゃんの家で。やっぱり30年前くらいだよね。先日その “ア・レインボウ~” を日本のSONYがリイシューしたんだけど、その制作を外注された僕がライナーを野田くんに頼んだのは、あの経験があったからですよ。今でもこの曲の電子音が迸るように鳴り始めるイントロを聴いただけであの風景を思い出せる。音楽ってそういう要素あるよね。そして聴取体験を重ねれば重ねるほど、その音にまつわる記憶もどんどん増えていく。その記憶がノスタルジーの場合もあれば、いつまでも新鮮さを伴って思い出せるものである場合もある。 “ア・レインボウ~” や『SAW Vol.2』は典型的な後者のタイプなんだろうな。
 30年といえばさ、僕と野田くんが出会ったのも30年ちょっと前の話だったね。あの頃から僕らは変わったのか変わらなかったのか……こうして今でも出会ったころに聞いてた音楽についてああだこうだと話ができるんだから、きっと変わってないんだろう(笑)。

 僕の『SAW Vol.2』のアナログも7000番台だよ。同じ店で買ったんじゃないかな(笑)。あれ盤面がマーブル色で溝がよく見えなかったから、狙った曲をかけるのが大変だったことをよく覚えてる。もっとも狙って聴くのは “Blue Calx” くらいだったけど。あれはLP2枚目のB面の1曲目だったからわかりやすかったね。だからこのアルバムで当時いちばんよく聴いたのは “Blue Calx” から “Z Twig” までの5曲だったんだ。だから僕は “Z Twig” が好きになったのかもしれないな。

 じゃあ僕もこの辺でペンを置きます。次の往復書簡は2031年だね。そう、『Drukqs』30周年(笑)。それまでがんばって生きようや。あ、酩酊はほどほどにね。

2024年11月29日杉田より


Aphex Twin
Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)
Warp/ビート

30周年記念新装版にして決定版。CDでは3枚組。アナログでは4枚組。名曲“#19”(“Stone in Focusで知られる”)ほか、初のフィジカル・フォーマットでリリースされる“th1 [evnslower]”、今回初めて公式リリースされる“Rhubarb Orc. 19.53 Rev”が追加音源として収録されている。(輸入盤CDはボックス使用ではない)

東京国際映画祭レポート - ele-king

 今年の東京国際映画祭は、ドナルド・トランプが米大統領選での勝利宣言をした同じ日に閉幕するという不運に見舞われた。トランプの勝利は、マイノリティや女性の権利、ウクライナ・パレスチナ情勢、世界の民主主義、そして地球環境の未来にまで深刻な影響を及ぼすものとなるだろう。そのような事態を前にして、日本を代表する映画祭はあまりにも小さく感じられた。

 東京国際映画祭(TIFF)がそもそも話題性の高いイベントであるというわけではない。TIFFという略称からしても、1ヶ月先に開催されるトロント国際映画祭(同じくTIFF)の影に隠れてしまいがちだ。毎年、東京国際映画祭のコンペティション部門で上映される外国映画のうち、日本で劇場公開されるのはほんの一握り。しかも、最高賞にあたる東京グランプリを受賞しても、配給会社が見つかる保証はない。

 しかし、今年最高賞を取った吉田大八監督の『敵』は、2005年以来、日本映画として初めてグランプリを受賞した作品であり、その心配は無用だろう。以下に、その作品と、今年上映された注目すべき映画について簡単にご紹介する。

『敵』

 吉田大八監督はこれまで駄作を撮ったことはないが、この作品は彼の最高傑作と言えるかもしれない。筒井康隆による1998年の小説を映画化した今作は、その穏やかな滑り出しから、後にシュルレアリスムへと突入する衝撃的な展開をみせる。長塚京三は、退職した大学教授を演じ、その日常生活が徐々に、そして最終的には劇的に破綻してゆく様を見事に演じきり、主演男優賞を受賞。このラストは、ルイス・ブニュエルや、ダーレン・アロノフスキーの『マザー!』を彷彿とさせるほどである。トランプ当選のニュースを聞いた後、再びこの映画を鑑賞したのだが、作品が描く死生観や、謎の「敵」に関する噂、そして大量の難民であふれかえる社会の描写は、さらに不吉なトーンを帯びていた。
(2025年1月17日劇場公開:https://happinet-phantom.com/teki/) 

『トラフィック』

2024 © MINDSET PRODUCTIONS – LUNANIME – LES FILMS DU FLEUVE – BASTIDE FILMS – FILMGATE FILMS – FILM I VÄST – AVANPOST MEDIA – MOBRA FILMS
119分/カラー/ルーマニア語、オランダ語、英語/日本語、英語字幕/2024年/ルーマニア、ベルギー、オランダ

 西欧と東欧の格差を赤裸々に描いたテオドラ・アナ・ミハイ監督の社会派ドラマ。ルーマニア人ギャング集団がロッテルダムの美術館から多数の文化財を盗み出したという2012年の事件を基に制作。前半はオランダが舞台で、窃盗集団の1人の内縁の妻(最優秀女優賞を受賞したアナマリア・ヴァルトロメイ)に焦点を当てており、後半よりも面白い。この映画では、裕福な西欧において、出稼ぎに来る移民たちが二流市民として扱われている様子が容赦なく描かれているが、その一方で、彼らの母国にも深刻な不平等が存在することも取り上げられており、そのような背景を思えば、ピカソの作品がどうなろうと、取るに足らないことのように思えてくる。

『雨の中の慾情』

©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
11月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 昭和の時代に描かれた、変態チックでシュールな漫画は、現代の映画制作者に対して「健康を害する可能性あり」という注釈を添えるべきかもしれない。台湾を舞台にした片山慎三監督の映画は、つげ義春の作品いくつかを翻案したものだが、手塚眞が監督した『ばるぼら』と共通する難点があった。最先端の映像技術や、時折織り込まれるドリーミーな空想シーンを駆使しても、時代錯誤的な性描写を美化することはできないのである。さらに、この映画は(現実というものがあるとすれば)現実が何なのかという感覚を揺るがそうと躍起になっているせいで、こちらとしては、結局、何もかもがどうでもよくなってくる。しかし、この作品は散漫・雑然としながらも、見どころのない映画というわけではない。例えば、大日本帝国陸軍による大虐殺を描いた豪勢なシーンなど、現代の日本映画ではあまりお目にかかれないような場面もある。 
(11月29日劇場公開:https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

『アディオス・アミーゴ 』

118分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/2024年/コロンビア

 イヴァン・D・ガオナ監督による、マカロニ・ウェスタン風のコロンビア映画。昔懐かしい西部劇の雰囲気が色濃く出ているが(主人公たちのやけに汗ばんだ顔がやけにアップで映るなど)、一筋縄ではいかない展開で予想外の方向へと進み、人類は暴力行為から脱却できるのかという話になる。そして、「イエス・キリスト」という名の先住民シャーマンによって与えられる天然の幻覚剤を大量に摂取することで、復讐に燃えていた登場人物たちに、平和を考える余地が生まれてくる。あまりテンポがよいとは言えないが、『アディオス・アミーゴ』のラストは力強く、パラレルワールドでのメキシカン・スタンドオフ〔訳注:互いに武器を向け合ったまま誰も動けない状態〕で締めくくられ、セルジオ・レオーネというよりもアレハンドロ・ホドロフスキーに近い。

『レイブンズ 』

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
2025年3月28日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー

 伝記映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』に続き、マーク・ギルが制作したこの作品も、悩める芸術家の姿を描いているが、その内面には踏み込めていない。『レイブンズ』は、2時間という上映時間内に、芸術家のキャリアすべてを詰め込もうとするという、ありがちな罠にはまっている。特に、写真家・深瀬昌久のような複雑な人物を扱うとなると、その取り組みはさらに困難なものとなる。この映画は、深瀬役の浅野忠信と、深瀬の妻でありミューズでもあった洋子役の瀧内公美の安定した演技が支えとなり、映像も良く仕上がってはいるが、どこかありきたりな印象が残る。ギルの最も大胆な試みは、深瀬を突き動かした闇の衝動を具現化したことであり、それはホセ・ルイス・フェラーがヴォイスオーバーを務めた、人間サイズのカラスという形を成しているのだが、このカラスは、残念なことに漫画『DEATH NOTE』の死神に酷似している。(2025年3月劇場公開:https://www.ravens-movie.com/

『黒の牛』

2024年/日本=台湾=アメリカ/114分/シネマスコープサイズ/5.1chサラウンド/白黒&カラー
配給:ALFAZBET、ニコニコフィルム、ムーリンプロダクション

 東京国際映画祭でデビュー作『祖谷物語―おくのひと―』が上映されてから10年あまりを経て、蔦哲一朗監督はさらに素晴らしい2作目で返り咲いた。『黒い牛』は、19世紀後半、日本近代化の波に翻弄される山男(リー・カンション)の物語を通して、禅の悟りへの道を描いた作品。70mmフィルムで一部撮影されたモノクロ映像には独特の質感があり、その一方で、音響効果はサイケデリックな域にまで達している。それ加えて、ただただ唖然とするような場面もあったので、この作品は、ぜひとも大画面・大音量で鑑賞していただきたい。

Tokyo International Film Festival Report

written by James Hadfield

This year’s Tokyo International Film Festival had the misfortune to wrap up on the same day Donald Trump declared victory in the US presidential election. In the face of an event that’s likely to have such dire consequences – for minorities, women’s rights, Ukraine, Palestine, global democracy and the state of the planet itself – Japan’s preeminent film festival felt awfully small.

Not that TIFF tends to be a major news event anyway; even its acronym ensures that it’s forever in the shadow of Toronto’s more high-profile festival, which takes place a month earlier. Only a handful of the non-Japanese films screened in competition each year go on to receive a theatrical release here; even winning the top Tokyo Grand Prix is no guarantee of finding a distributor.

That won’t be an issue for this year’s winner, Daihachi Yoshida’s “Teki Cometh,” which became the first Japanese film to take the festival’s top prize since 2005. Here are some brief notes on that, and a few of the other notable movies that screened this year.

Teki Cometh (敵)

Yoshida has never made a bad film, but this might be his finest hour. The director’s adaptation of a 1998 Yasutaka Tsutsui novel starts so gently, its later turn into surrealism comes as a shock. Kyozo Nagatsuka deservedly won the Best Actor award for his portrayal of a retired professor whose domestic harmony starts to unravel, first slowly and then spectacularly, in a final act that recalls Buñuel and even Darren Aronofsky’s “Mother!” Watching it for a second time, after getting the news about Trump’s electoral win, the film’s rumination on mortality and its depiction of a society awash with rumours of a mysterious “enemy” and hordes of refugees took on an even more ominous tone.
(Released theatrically on January 17, 2025: https://happinet-phantom.com/teki/)

Traffic (Reostat)

Europe’s east-west divide is laid bare in this anti-thriller by Teodora Ana Mihai, based on a 2012 heist in which a Romanian gang made off with a clutch of priceless artworks from a museum in Rotterdam. The first, and stronger, half of the movie is set in The Netherlands and focuses on the common-law wife of one of the thieves (Anamaria Vartolomei, who won the Best Actress prize). The film is merciless in its depiction of the second-class status afforded to migrants in the affluent West, though also attentive to the stark inequalities that exist in their native country – compared to which, the fate of a Picasso painting starts to look rather insignificant.

Lust in the Rain (雨の中の慾情)

Kinky, surreal manga from the Showa era should probably come with a health warning for contemporary filmmakers. Shinzo Katayama’s Taiwan-set drama, loosely adapted from several stories by Yoshiharu Tsuge, suffers some of the same problems as Macoto Tezka’s “Tezuka’s Barbara.” Superior tech specs and occasional bursts of dreamlike visual imagination can’t gloss over some retrograde sexual politics, while the film works so hard to undermine our sense of what (if anything) is real that none of it seems to matter any more. This sprawling, messy movie isn’t without its highlights, though, including a lavish set-piece depicting an Imperial Army killing spree – not something you see often in modern Japanese cinema.
(Released theatrically on November 29: https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/)

Adios Amigo (Adiós al amigo)

This Colombian spaghetti western from Ivan D. Gaona goes hard on the throwback vibes (the faces are extremely close and extremely sweaty), but takes a circuitous route to an unexpected destination, where what’s at stake is whether or not people can move on from violence. It takes some liberal doses of all-natural psychedelics – dispensed by an Indigenous mystic named Jesus Christ – to get the film’s vengeful characters to a point where they might consider giving peace a chance. While the pacing is a little off, “Adios Amigo” ends strong, with a Mexican standoff in a parallel dimension, more Jodorowsky than Leone.

Ravens

Mark Gill’s follow-up to Morrissey biopic “England is Mine” is another portrait of a tortured artist that doesn’t get past the surface. “Ravens” falls into the familiar trap of attempting to squeeze a whole career into a two-hour runtime, which is a particularly fraught undertaking when you’re dealing with a figure as problematic as photographer Masahisa Fukase. The film looks good, and is grounded in solid performances by Tadanobu Asano as Fukase and Kumi Takiuchi as his wife-slash-muse, Yoko, but it ends up feeling oddly generic. Gill’s boldest step is to give a literal manifestation to the dark impulses that drove Fukase, which take the form of a man-sized raven, voiced by Jose Luis Ferrer, who bears an unfortunate resemblance to the Shinigami from “Death Note.”
(Released theatrically in March 2025: https://www.ravens-movie.com/)

Black Ox (黒の牛)

Over a decade after his debut film, “Tale of Iya,” screened at TIFF, Tetsuichiro Tsuta returned with an even more impressive sophomore feature. “Black Ox” sets out to depict nothing less than the path to Zen enlightenment, through the story of a mountain man (Lee Kang-sheng) who comes spiritually adrift during Japan’s late-19th century modernisation. Shot partially on 70mm film, the monochrome imagery has a tactile quality to it, while the sound design pushes things to almost psychedelic heights. There are sequences that left me slack-jawed: it’s worth seeing on the biggest screen, and with the loudest speakers, possible.

11月のジャズ - ele-king

 エチオピアン・ジャズのパイオニアであるムラトゥ・アスタトゥケは、2009年に〈ストラット〉のコラボ・セッション・シリーズ『Inspiration Information』でザ・ヒーリオセントリックスと組んで以来、LAの〈モチーラ〉が企画した『Timeless』でミゲル・アットウッド・ファーガソン、ブランドン・コールマンフィル・ラネリン、エイゾー・ローレンス、ベニー・モウピンらと共演し、その後もロンドンのアレキサンダー・ホーキンス、バイロン・ウォーレン、トム・スキナーらによるステップ・アヘッド・バンド、メルボルンのジャズ・ファンク&ヒップホップ・バンドのブラック・ジーサス・エクスペリエンスなど、さまざまなアーティストとのコラボをおこなってきた。

Mulatu Astatke And Hoodna Orchestra
Tension

Batov

 新作の『Tension』は、イスラエルのテル・アヴィヴを拠点とするフードナ・オーケストラと共演する。フードナ・オーケストラの正式名称はフードナ・アフロビート・オーケストラで、総勢12名からなるバンドだ。ディープ・ファンクからソウル・ジャズ、サイケ・ロックなどの影響を受け、これまで2枚のアルバムをリリースしているが、2017年にエチオピアのシンガーであるテスファイエ・ネガトゥと共演してから、エチオ・ジャズに感化されるようになった。アフリカの中でもエチオピアはイスラエルや中東とも文化圏的に接しており、もともとの音楽性に類似点が見られるところでもある。そして、ムラトゥ・アスタトゥケとのセッションを熱望するようになり、そうして『Tension』のレコーディングに漕ぎつけたのである。

 レコーディングは2023年初頭にムラトゥをテル・アヴィヴに招いておこなわれた。収録された6曲はすべてこのレコーディング用に書き下ろされたもので、ディープ・ファンク系レーベルの〈ダプトーン〉創設者であるニール・シュガーマンがプロデュースを担当。荘厳な出だしに始まる“Tension”は映画音楽風のスリリングな作品で、ムラトゥの神秘的なヴィブラフォンとグルーヴィーに疾走するフードナ・オーケストラの演奏がマッチする。“Yashan”はエチオ・ジャズ特有のエキゾティックなメロディが印象的で、煽情的なテナー・サックスのソロに対し、ムラトゥの演奏は幻想性を帯びていて、そうした演奏のコントラストも味わえる。そして、ディープでサイケデリックなグルーヴを放つ“Dung Gate”、クリフォード・ブラウン作曲のジャズ・スタンダード“Delilah”のラテン・ジャズ的なアレンジなど、非常に充実したセッションとなっている。


Flock
Flock II

Strut

 フロックはタマラ・オズボーン(サックス、クラリネット、フルート)、サラティー・コールワール(ドラムス、タブラ)、ダン・リーヴァーズ(エレピ、キーボード、シンセ)、ベックス・バーチ(ヴィブラフォン、シェーカー、ベル、ゴング他)、アル・マックスウィーン(ピアノ、シンセ)と、ロンドンのジャズ、フリー・インプロヴィゼーション、エクスペリメンタル・シーンで活躍するミュージシャンによるセッション・バンド。アフロビートとフリー・ジャズを結びつけたカラクターのタマラ・オズボーン、サッカー96ザ・コメット・イズ・カミングで実験的なエレクトロニック・ジャズを創造するダン・リーヴァーズ、ジャズ、インド音楽からテクノ、グライムなど異種の音楽を融合するサラティー・コールワールと、それぞれ個性溢れるミュージシャンが集まった民主的なプロジェクトである。2022年にファースト・アルバムをリリースし、この度セカンド・アルバムをリリースした。

 ロンドンのスタジオで1日で録音したファーストに対し、セカンドは西ウェールズのドルイドストーンの田園地帯にある教会を改築したスタジオで、1週間に渡るセッションの中で制作された。自然環境に恵まれた中で、イマジネーションやインスピレーションがより豊かに育まれたセッションであったことが想像される。“Cappillary Waves”はアフロビート的なビートと重厚なバリトン・サックス、エレクトロニックなキーボード&シンセ群によるコズミック・ジャズ。“Turned Skyward”はディープな音響空間に神秘的なフルートが舞うアンビエント・ジャズで、“A Thousand Miles Lost”も同様に抽象性に富む静穏な世界が描かれる。“Meet Your Shadow”はフリーキーなサックス・インプロヴィゼーションがサイケデリックなシンセ群と即興演奏を繰り広げる。“Large Magellanic Cloud”はダブやニューウェイブなどを通過したトリッピーな世界で、エクスペリメンタル・シーンで活躍するメンバーならではの楽曲。全体的にはエレクトロニクスを交えたアンビエントな世界と、サックスやフルートなどのフリーフォームなインプロヴィゼーションが鍵となるアルバムだ。


Anna Butterss
Mighty Vertebrate

International Anthem Recording Company

 マカヤ・マクレイヴンダニエル・ヴィジャレアルなどのアルバムに参加し、ジェフ・パーカーのETAカルテットというグループのメンバーでもあるベーシストのアンナ・バターズ(https://www.ele-king.net/news/011494/)。シカゴ・シーンと繋がりが深い彼女ではあるが、活動の拠点はロサンゼルスで、ラリー・ゴールディングスのような大物ミュージシャンから、やはり彼女と同じくLA~シカゴを股にかけて活動するサックス奏者のジョシュ・ジョンソン(彼もジェフ・パーカーETAカルテットのメンバー)などとも共演している。これまでダニエル・ヴィジャレアル、ジェフ・パーカーとの共演作『Lados B』などをリリースしてきているが、ソロ名義のアルバムとしては2022年の『Activities』以来の2枚目のアルバムとなるのが『Mighty Vertebrate』である。

  『Mighty Vertebrate』のレコーディングはカリフォルニアのロング・ビーチのスタジオでおこなわれ、ジョシュ・ジョンソンとジェフ・パーカーも参加するなど、ジェフ・パーカーETAカルテットに近い形でのセッションとなっている(ちなみに、ETAカルテットとしては今年頭にライヴ録音による『The Way Out Of Easy』というアルバムをリリースしている)。“Bishop”はグルーヴ感に富むベース・ラインが印象的で、ジャズ・ファンク、ジャズ・ロックなどのミックスチャー的なナンバー。ポスト・ロック、ジャズ、実験音楽などを縦断して活動してきたジェフ・パーカーの近くにいる、アンナ・バターズらしい曲と言えるだろう。“Shorn”もジャズとオルタナ・ロックの中間的な作品だが、アンナ・バターズはベース以外にギター、フルート、シンセ、ドラム・マシーンなどを演奏していて、この曲でもシンセなどをオーヴァーダビングし、エフェクトも多用したサウンド・クリエイターぶりが発揮される。ジェフ・パーカーが参加した“Dance Steve”や、ミスティカルなムードに包まれた“Saturno”は、最近クローズ・アップされることの多いアンビエント・ジャズ的な作品。“Saturno”などはリジョイサーやバターリング・トリオなどイスラエルのアーティストの作品に近いものを感じさせる。


Svaneborg Kardyb
Superkilen

Gondwana

 マシュー・ハルソールの〈ゴンドワナ〉は、近年はマンチェスターやイギリスのみならず、ベルギーやポーランドなど他国のアーティストの作品もリリースしていて、スヴェインボゥグ・カーディーブはデンマークのアーティスト。鍵盤奏者のニコライ・スヴェインボゥグとドラマー&パーカッション奏者のジョナス・カーディーブ・ニコライセンによるユニットで、北欧のジャズとデンマークの伝統音楽を融合し、エレクトロニクスを用いたアプローチで現代的に表現する。地元の〈ブリック・フラック〉というレーベルから2019年に『Knob』でデビューするが、このアルバムはE.S.T.(エスビョルン・スヴェンソン・トリオ)やトール・グスタフセン、ヤン・ヨハンソンなどのスカンディナビアン・ジャズの系譜を引き継ぎ、ニルス・フラーム的なポスト・クラシカルなエレクトロニック・ミュージックを融合していると評論家たちから高評価を博し、デンマークのジャズ音楽賞などを受賞した。

 〈ブリック・フラック〉から2枚のアルバムを出した後、〈ゴンドワナ〉から2022年に『Over Tage』をリリース。そして、〈ゴンドワナ〉から2枚目となる最新作が『Superkilen』である。“Superkilen”はゴーゴー・ペンギンポルティコ・カルテットなどを思わせる作品で、アンビエントなテクノとジャズが融合したような世界を見せる。ちなみに曲名はコペンハーゲンのノレブロ地区にある公園にちなんでいる。多様な民族が住むコペンハーゲンにおいて、移民と地元民の交流の場として親しまれている公園だそうで、そうした寛容と団結のムードを音楽として表現している。“Cycles”は抒情的なメロディがデンマークの民謡を想起させるもので、E.S.T.や〈ECM〉の作品に近いイメージ。今回はアンビエントなジャズを幾つか紹介したが、スヴェインボゥグ・カーディーブもそうしたアーティストのひとつと言えよう。

 2024年のアメリカについて日本の方々に知ってもらいたいことがひとつあるとしたら、今回の選挙における選択肢に、私たち多くのアメリカ人が熱狂していたわけではなかったという点だ。
 まず一方には、近年でもっとも忌み嫌われた政治家、ドナルド・J・トランプがいた。彼はかつて、2004年にスタートしたリアリティ番組『アプレンティス』(※参加者が「見習い」として働き、最後に採決される)において「お前はクビだ!」と叫ぶ役を演じ、それで一躍、アメリカで有名人になった、億万長者のペテン師である。2024年に早送りすると、後期資本主義の典型であるこの人物は、なぜか労働者階級からの支持を得て現状に至っている。支持層の多くは白人の地方住民——おそらくは私たちの社会では一括りにしても問題のない唯一のグループ、無学で人種差別的な「田舎者」たち——で、2024年の選挙ではラテン系や黒人層にも右傾化が顕著に見られた。結果、トランプは国民投票と議論の的となる選挙人団の両方で勝利を収めたわけで、多くのアメリカ人の心に彼のポピュリスト的メッセージが響いたことは否定できない。
 もうひとりの候補者は、2020年の大統領選で民主党予備選挙において支持を得られなかったカマラ・ハリスだった。アメリカ史上初の女性副大統領であるが、しかし、女性である私としては、黒人女性を副大統領に起用したバイデンの人選が「フェミニズムの勝利」などという幻想を抱くようなものではないことを承知している。また、ハリス氏が女性であるからといって、彼女が女性の利益を代弁するなどとは一瞬たりとも考えたこともなかった(事実、民主党はオバマ政権時から妊娠中絶に関する法改正の機会を持っていながら優先事項とせず、最初の任期中に却下した)。もしその女性が優れたアイデアと能力を認められて当選したのであれば、アメリカ社会は真の男女平等を達成したと言えただろう。悪名高いことに、彼女は電撃的な選挙キャンペーン中、ほとんどインタヴューに応じなかった。数少ないそのなかには、ニュース番組『60ミニッツ』も含まれていたが、番組では、彼女の当初の極めて親イスラエル的な立場を隠すように編集されていた。また、彼女の具体的な政策に関心のあるインタヴュアーに対しては、「ウェブサイトを見てください」と答えるのみだった。
 トランプは、過去10年間の大半を大統領選に費やしてきたと言えるような、誇大妄想的なおしゃべり屋だ。彼を打ち負かすのは難しくないはずだった。が、“政策(ポリシー)”ではなく“権力(ポリティクス)”に頼ってアメリカ人の半分を味方につけようとするのは、明らかに勝利のための戦略とは言えない。

 理由はふたつある。第一に、民主党が(アメリカ)国民に対して誠実でなかったこと、そしてそれが私たち(私のような真の左派を自認する人びとを含む)の多くを遠ざけてしまったことだ。アメリカの民主党は決して「左派」ではないことをここに明確にしておきたい。実際には、経済政策に関しては穏健中道、あるいはやや右派だ。しかも、アメリカの主流メディアは民主党に支配され、バイデンや民主党への批判を「保守派の陰謀」に過ぎないとした。また、バイデンの明らかな認知機能の衰え、米国(およびその他の国々)におけるインフレの蔓延、犯罪の増加、そして不法な人権侵害の国境問題は「陰謀説」であって、それも右派によるものとした。現在の平均的な民主党員によれば、右翼であることはナチスであることを意味する。

 そのようなレッテルを貼られるのを避けるために、自分の信念を検閲した人はたくさんいると思う。私もそのひとりだ。なぜなら、私の食料品代は2020年以来ほぼ2倍になっているのに、アメリカは無意味な代理戦争にふたつも関わっている(そればかりか大量虐殺に積極的に資金を提供)。2022年には、私が利用するニューヨーク市の地下鉄駅で起きた集団銃撃事件で10人が撃たれ29人が負傷した、私は何ヶ月も電車に乗るのが怖かった。アメリカの“信頼できる”メディア、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』などによると、これらの懸念はすべて私が「右派の白人至上主義者だから」ということになるらしい。
 私が、民主党がトランプを打ち負かすことができなかった理由としてふたつ目に挙げるのは、あからさまな偽善だ。私はドナルド・トランプの内閣や気候に対する態度、最高裁の保守的な人選、1月6日の議会襲撃事件など、数え上げればきりがないが、これらすべてに深い不快感を抱いている。しかし、民主党がヒステリックに主張する「自分たちに投票すれば、ファシズムからアメリカを何とかして救うことができる」という主張は疑わしい。なぜなら、真の左派の候補者たち(とくにコーネル・ウェストやロバート・F・ケネディ・ジュニア、ただしイスラエルに対する姿勢を除いて)は、討論会はおろか、予備選挙にも参加させてもらえなかったからだ。ハリス自身も民主党候補として選出されたわけではない。今年6月のトランプとの討論会の惨憺たる結果によってバイデンの老いがもはやアメリカ国民に隠しきれなくなった後、ようやく戴冠されたに過ぎない。
 トランプは厳密には有罪判決を受けた犯罪者だが、それは捜査を受けたからだ。それに対して、バイデン一家が関わっていると想像される違法な不正行為には驚かされるばかりだ。とくに彼の息子ハンターのノートパソコンにウクライナや中国との家族ビジネスに関するメッセージが含まれていたという噂が事実だったことを考えると——もっとも、その話はアメリカの主流メディアによって大幅に検閲されていたが。
 民主党が自らの権力を脅かす人物を攻撃しようとしたのは今回が初めてではない。民主党と共和党が同じコーポラティズムの硬貨の表裏であることは、何年も前から明らかであった。例えば、バーニー・サンダースの階級意識を意識したキャンペーンは、2016年と2020年の両方で民主党に支配されたメディアによって組織的に破壊された。そして2024年には、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの型破りながらも力強いキャンペーン・メッセージ、すなわちアメリカ政治に蔓延する腐敗と取り組むというメッセージも、ナチス(すなわち民主党員と認めない者)からの言論の自由を守ることを主張する「左翼」メディアによって同様に粉砕された。バーニーの選挙運動と同様に、ケネディ・ジュニアの政策も検閲され、ワクチン反対派の気違いじみた戯言にすぎないものに貶められた。なぜなら、彼もバーニー同様、“アイデンティティ”ポリティクスではなく“階級”ポリティクスによって、実際にアメリカの分裂を埋めようとしていたからだ。
 結局のところ、真の左翼であれば、抑圧の本質的な交差点は「階級」だと教えるだろう。カマラ・ハリスの集会でビヨンセやトゥワークをするミーガン・ジー・スタリオンを登場させても、生活費が手頃になるわけでも、パレスチナの戦争が終わるわけでもない。

 注目すべきは、選挙運動が失敗に終わっていた際に、この国を悩ませている政治的分裂の解消を模索して、ケネディ・ジュニアが民主党と共和党に接触したことである。民主党は彼を無視したが、トランプは最終的に彼に閣僚への参加を要請した。

 民主党は過去8年間、自分たちに反対する人びとの知性や人間性を侮辱してきたという不名誉な実績がある。ヒラリー・クリントンは、自分たちに投票しない人たちを「憐れむべき人びとの巣窟(the basket of deplorables)」と呼び、バイデンは先月、彼らを「ゴミ(garbage)」と呼んだ。私の友人でさえ「トランプに投票する人は悪だ」と宣言している。私が貧しい田舎の白人アメリカで育ち、そこで暮らす大多数の人たちは、ただ生活を営み、そっとしておいてほしいと願う善良で勤勉な人たちであることを知っているからかもしれないが、私は民主党が「蜂を捕まえるには酢よりも蜜を使った方がよい」(*)という古い諺を聞いたことがないのではないかと思わずにはいられない。

 私はふたつの出来事を決して忘れないだろう。どちらも私の政治的信条に影響を与えた出来事だ(私は環境問題に関心があり、所得の平等、中産階級および労働者階級の生活の質に維持、女性の権利に関心があり、アメリカの海外における植民地主義的な存在を排除することに関心があり、性的暴行容疑のある人物には投票しない。民主党がその事実を隠そうとしても、ジョー・バイデンもその対象だ)。
 最初の出来事は2016年、いまは亡き祖父に「なぜトランプに投票するのか」と尋ねた。
 「私は実はバーニーのほうが好きなんだ。でも、トランプには勢いがあるし、ワシントンDCには変化が必要なんだ。民主党の連中は自分たちがみんなにとっていちばん良いことをわかっているつもりだが、そんなことはない。政府は小さく保つべきなんだ」
 「なぜ小さく保つ必要があるの?」と私は尋ねた。「国民皆保険(ユニバーサル・ヘルスケア)制度は必要ないの?」
 「それはいいな」と祖父は言いました。「でも、郵便物を確実に送ってもらいたいなら、米国郵便公社ではなくフェデックスのようなサービスを利用しなければならない。政府のウェブサイトにアクセスしても、動きが遅すぎて使えない。それに政府の電話番号にかけても、何時間も保留音が鳴りっぱなしだ」
 彼の言うとおりだ、と私は思った……
 「では、もし政府が医療を提供したら?  まあ、おそらく世界最悪の医療だろうね」
 オバマが 全国民向け医療制度を試みた際、健康保険に加入できない人には700ドル以上の罰金を科されることを考えると、私も同意せざるを得ないかもしれない。

 ふたつ目の出来事は、私が日本の音楽の博士号を取得するために在籍していたコーネル大学の大学院の仲間たちと、2016年の選挙後のパーティで過ごしたときのことだった。 大学院生たちは、トランプに投票した人たちは無学で愚かで、——そしてまたあの言葉が出てきたわけだが——、邪悪(evil)だ、などと不満を漏らしていた。
 「トランプに投票した人と話したことがある人はいる?」と私は尋ねた。
 「いるわけないだろ!」と彼らは声を張り上げ、誇らしげに言った。「なぜそんなことをする?」
 「まあ、もしそうしたら」と私は言った。「みんなあなたたちをエリート気取りのろくでなしの集まりだと思うだろうね」そして私はその場を去った。
 過去最悪のパーティでの出来事。

 私としては、これは希望の持てる出来事だと考えている。民主党がなぜ負けたのかについて、引き続きよく考えてほしいと願っている。共和党は、相手候補があまりにもひどかったからこそ自分たちが勝てたのだということを知ってほしいと願っている。そして、私は米国が最終的に現実的な第三政党を誕生させることを願っている。私はこれまで3回の大統領選挙でそうした政党に投票してきた。なぜなら、今年のアメリカ大統領選挙の茶番劇が示すように、民主党と共和党は同様に堕落しているからだ。
 おそらくほとんどのアメリカ人が私の意見に賛成してくれると思う。

(*)物事をうまく進めたり人を惹きつけたりしたいなら、批判や冷たさよりも、親切や優しさで接するほうが効果的だという意味のことわざ。

American Politics: There Are No Good Guys in 2024

Written by Jillian Marshall

If there’s one thing I wish Japanese people could know about Americans in 2024, it’s that most of us were not excited about the choices in this election.
On the one hand was the most reviled politician and public figure in recent memory. Yes, Donald J. Trump: the billionaire grifter who cemented his fame in America on a reality TV show called The Apprentice, where he screamed “you’re fired!” at contestants. Fast forward to 2024, and this poster child of late-stage capitalism somehow found his political base in working class America: the very people exploited by the system that rewarded him. And while that base was largely white and rural — perhaps the only group in our society it’s OK to make sweeping judgements about (uneducated, racist rubes, they are!) — this year’s election saw significant rightward movement in Latino and Black populations as well. Having won both the popular vote and the somewhat controversial electoral college, it’s undeniable that Trump’s populist messaging evidently spoke to the majority of American voters.
On the other hand was a candidate so unpopular during her 2020 presidential bid that she received zero votes in the Democratic primary: Kamala Harris, the first woman vice president in American history. But as a woman, I’m under no illusions that Biden’s explicitly tokenistic appointing of a Black, female vice president was any kind of “feminist victory”— nor did I believe for a second that Harris would serve women’s interests simply because she herself is one (Democrats have had the chance to codify pro-abortion legislation into our constitution since the Obama administration, which Obama himself dismissed as a “non-priority” during his first term). If anything, I’d believe that American society achieved true gender equality if a woman got elected by recognition for her good ideas and competency— neither of which Harris demonstrated. Infamously, she gave very few interviews during her blitzkrieg campaign — including one with news program 60 Minutes that was actually edited to redact her original, highly pro-Israel stance— and dismissed interviewers interested in her specific policies to “go to her website.”
Trump is a megalomaniacal blowhard who has spent most of the past decade vying for presidency. It shouldn’t be hard to outwit him, but banking on politics instead of policy to win over half of America is, evidently, not the winning strategy.
The reason why is twofold. First is the Democratic Party’s inability to be honest with the (American) public, and how this has alienated many of us— including people, like me, who identify as true leftists. Let me first clarify that the American Democratic Party is not truly “left”; it’s actually moderate-center or even slightly right on economic policies. At the same time, mainstream media in the US — overwhelmingly controlled by the Democratic Party — have claimed that any critiques about Biden or the party in general were nothing but conservative nonsense. Biden’s obvious cognitive impairment, the rampant inflation in the US (and elsewhere), increased crime, and illegal, inhumane border crossings were not only conspiracies, but right wing ones at that. And according to the average Democrat today, being right wing means you’re a Nazi.
To a certain extent, I’d say that there are many of us who censored our beliefs to avoid being branded as such— myself included. Because, even though my grocery bill has nearly doubled since 2020, the US is in two ridiculous new proxy wars (while actively funding a genocide) and, after twenty-two people got shot at my subway station in New York City in 2022, I was scared to ride the train for months, my concerns — according to America’s “reputable media” sources like the New York Times — must be because I’m a right wing white supremacist.
The second reason I think the Democratic Party failed to defeat Trump is because of its blatant hypocrisy. I am deeply uncomfortable with Donald Trump’s cabinet, his misogyny, his stance on climate, his conservative stacking of the Supreme Court, what happened on January 6th of 2021 — the list goes on. But the Democrats' hysterical claims that voting for them will somehow save America from fascism is suspicious when other candidates running on truly leftist tickets — notably Cornel West and RFK Jr (save for his stance on Israel) — weren’t even allowed a debate, much less a primary election. Harris herself wasn’t even elected as the Democratic candidate; she was essentially coronated only after Biden’s senility was no longer able to be hidden from the American public following a disastrous debate with Trump in June of this year. And while Trump is technically a convicted felon, that’s only because he was investigated. I can only imagine the illegal shenanigans in the Biden family, particularly since rumors about his son Hunter’s laptop (with its messages about family business deals with Ukraine and China) turned out to be real— though that story was heavily censored by American mainstream media.
This isn’t the first time the Democrats have sought to destroy anyone who threatens their power. It’s been obvious for years that the Democrats and Republicans are two sides of the same corporatist coin; Bernie Sanders’ class-conscious campaign, for instance, was systematically destroyed by the Democrat-captured media in both 2016 and 2020. And in 2024, RFK Jr’s unconventional, but powerful campaign message of tackling the rampant corruption in American politics was similarly dismantled by the “left wing” media outlets claiming to preserve freedom of speech from the Nazis (i.e. anyone who doesn’t identify as a Democrat). Like Bernie’s campaign before him, RFK Jr’s platform was censored, reduced to nothing but an anti-vaxxer’s kooky ramblings, because he— like Bernie— threatened to actually bridge the divide in America through class politics instead of identity politics.
After all, a real leftist will tell you that class is the true intersection point of oppression. Trouncing out Beyonce or a twerking Megan Thee Stallion at a Kamala Harris rally does jack shit to make the cost of living more affordable, or end the war with Palestine.
Worth noting, too, is that RFK Jr reached out to the Democrats and the Republicans when his campaign was failing, seeking to bridge the political divide plaguing this country. The Democrats ignored him, while Trump ending up asking him to join his cabinet.
What’s more, Democrats have a nasty track record these past eight years of disparaging the intelligence and even humanity of whomever disagrees with them. Hillary Clinton called people who don’t vote for them “the basket of deplorables”; Biden called them “garbage” just last month. Even my own friends have declared on several occasions that “anyone who votes for Trump is evil.” Maybe it’s because I grew up in impoverished, rural white America and know for a fact that the majority of people there are decent, hardworking folks who just want to make a
living and be left alone, but I can’t help but think the Democrats never heard the old adage: “You catch more bees with honey than with vinegar.”
I’ll never forget two moments, both of which informed my personal politics (I care about the environment, I care about eliminating America’s colonialist foreign presence overseas, and I won’t vote for anyone with a sexual assault allegation — which includes Joe Biden, as much as Democrats try to hide that fact). The first was in 2016, when I asked my now-deceased Grandpa why he was voting for Trump.
“I actually like Bernie,” he said. “But Trump has the momentum, and we need change down in Washington DC. And those Democrats think that they know what’s best for everyone, but they don’t. We need to keep the government small.”
“Why small, though?” I asked. “Don’t you want universal health care?”
“That’d be nice,” my Grandpa said. “But if you want something mailed on time, you have to use a service like FedEx instead of the United States Postal Service. If you go to a government website, it’s too slow to use. And if you call any government phone number, you’re on hold for hours.”
He’s right about that, I thought...
“So if the government offered health care? Well, it’d probably be the worst health care in the world.”
Given that Obama’s attempt at universal health care penalized people upwards of $700 if they couldn’t obtain health insurance otherwise, I might have to agree.
The second moment was during a post-2016 election party with my fellow graduate students at Cornell University, where I was finishing my PhD in Japanese music. Grad students there were sharing their grievances, like how everyone who voted for Trump is uneducated, stupid, and— here’s that word again — evil.
“Have any of you ever talked to anyone who voted for Trump?” I asked.
“Of course not!” they remarked, with something close to pride in their voices. “Why would we?”
“Well, if you did,” I said, “You’d know they’d think you’re all a bunch of elitist assholes.” And I left.
It was the worst party I ever went to, by the way.
So I, for one, see this as a time of hope: I hope that the Democrats keep taking a look in the mirror about why they lost. I hope the Republicans know they only won because the other candidate was so awful. And I hope the US can finally produce a viable third party — which is how I’ve voted for three presidential elections now — because the Democrats and the
Republicans are, as evidenced by the farce that was this year’s American presidential election, equally captured.
And I dare say most Americans would agree with me.

interview with Kelly Lee Owens - ele-king

 エレクトロニック・ミュージックにおける2017年といえば、ヴィジブル・クロークスがニューエイジ・リヴァイヴァルに火をつけたり、ジェイリンがフットワークを新たな次元に押し上げたり、〈XL〉に移籍したアルカが自己を肥大化させる方向に舵を切ったり、チーノ・アモービが非常にコンセプチュアルかつ重厚なコラージュ作品を世に問うたり、ツーシンやDJパイソンがデビュー・アルバムを発表したりと、ディケイドの終わりに向かってさまざまな傾向が噴出してきた年だ。当時〈Smalltown Supersound〉から放たれた、ドリーム・ポップとテクノの溝を埋めるケリー・リー・オーウェンスのファースト・アルバムもそうしたさまざまな芽吹きのひとつだった。透きとおったヴォーカルの影響もあるだろう、評判を呼んだ同作以降、彼女の存在感は一気に高まっていくことになる。
 パンデミック中に発表された2枚目『Inner Song』(2020年)は時世に抗うかのようにフロアライクな側面を増大させたアルバムだったけれど、他方でウェールズの労働者階級の村で育ったという自身のアイデンティティを確認するかのように、同郷の大物ジョン・ケイルによるウェールズ語のヴォーカルをフィーチャーしてもいた。そうしたルーツへの意識と関連があるのかないのか、3枚目『LP.8』(2022年)では大きく路線を変更し、アイルランドのエンヤとスロッビング・グリッスルの中間を目指すという大胆なコンセプトのもと、独自のやり方でノイズとアンビエントを同居させている。オーウェンスのベストな1枚だろう。

 それから2年。デペッシュ・モードとのツアーを経験した彼女は今年7月にザ・1975のドラマー、ジョージ・ダニエルが設立した〈dh2〉と契約を結び、10月に4枚目のアルバム『Dreamstate』を送り出している。レーベル移籍とともに心境にも変化が訪れたのかもしれない。バイセップやケミカル・ブラザーズのトム・ローランズとのコラボ曲を含む新作『Dreamstate』はふたたびダンスフロアにフォーカス、トランシーな感覚もまといつつ、とことん恍惚を追求している。なんでも、過去を振り切るためには多幸感を追い求める必要があったのだとか。5月の来日公演ではハード寄りのテクノをかけ大いに会場を盛り上げていたオーウェンス。新作もまた最近の流れ、ポスト・パンデミックのダンス熱を代表する作品のひとつとなるにちがいない。

都会的な要素というのは、わたしがこの17年間、ロンドンやマンチェスターといった都市に住んできた影響をあらわしている。でもわたしにとって真の故郷は、わたしたちの言葉で言う「Cymru(=ウェールズ)」で。

昨年はデペッシュ・モードの北米ツアーをサポートしていましたね。その経験はあなたになにをもたらしましたか?

ケリー・リー・オーウェンス(Kelly Lee Owens、以下KLO):毎晩、大勢の観客の前でプレイして、大規模な空間を音で埋める必要性に迫られたことは、その後のスタジオ制作にたしかな影響をもたらしたと思う。ツアーから戻って最初に書いた曲が、アルバム最初の曲 “Dark Angel” なのだけど、じつはわたしがデペッシュ・モードのツアーTを着ている動画があって、いつか投稿すると思うけれど、そのTシャツのバックプリントには天使の羽が描かれていて。動画では、わたしがシンセのメロディを演奏しているんだけど、とてもアンセミックな音響。そういう意味で、今回のアルバムでは、大きな空間を埋めるための音をつくるようになったと思う。その一方で、デペッシュ・モードの素晴らしいところは、そういった大きな空間においても、親密な瞬間をつくりあげられるということ。だからビッグで大胆で、アンセミックで感情に訴えかける音を表現すると同時に、静かな瞬間も加えたいと思うようになった。それが『Dreamstate』の音の旅路に反映されていると思う。これはツアーに参加する前から思っていたことなんだけど、ツアーに参加したことで、そのあたりの領域を探求していきたいという思いが、さらに強くなったと思う。それに、彼らと一緒にいること自体がすごく刺激的だったし、わたしの人生における最高な体験のひとつになったと思う。

〈Smalltown Supersound〉を離れ、新作をザ・1975のドラマー、ジョージ・ダニエルが〈Dirty Hit〉とともに立ち上げたレーベル〈dh2〉から出すことになった経緯を教えてください。

KLO:まず、〈Smalltown Supersound〉とは素晴らしい関係を築いてきたということを言っておきたい。レーベル主宰者のヨアキム・ホーグランド(Joakim Haugland)はわたしのことをずっと応援してくれて、わたしを成長させてくれた。でもその名のとおり、〈Smalltown Supersound〉はとても小さなレーベルで、現時点のわたしのキャリアにおいては、もう少し大きな土台が必要だと感じていたところで。でもヨアキムはその考えに賛成してくれて、今後、ヨアキムとわたしと〈dh2〉のひとたちで集まって、お茶でもすることになると思う。いままでほんとうによくしてもらった。それから〈dh2〉のジョージは、前のレーベルと同じような方針で、アーティストの芸術性や寿命をとても大切にするひとで。ジョージとは何年か前からメールで連絡をとっていたのだけど、去年、ザ・1975のライヴ終わりに会う機会があった。チャーリー(・XCX)に誘われて、彼らのアフター・パーティでわたしがDJ をやって。それ以来ジョージとはずっと連絡をとっていたんだけど、〈Dirty Hit〉とジョージはこのレーベルをかなり前から立ち上げたかったみたい。そして、ついにそれを実現しよう! と彼らが決断したその数分後に、わたしのマネージメント会社が彼らに連絡をとって、「ケリーがレーベルを探しているんだが、〈Dirty Hit〉と契約を結べないだろうか?」と持ちかけたらしい。まさにセレンディピティ(思いもよらぬ幸運)だった。そしてわたしはジョージとロサンゼルスでランチをして話し合った。すべてがうまくおさまった感じがした。〈Dirty Hit〉からはファミリーみたいな親近感を感じる。わたしにとって、コミュニティの一部であると感じたり、リアルな連帯感をおぼえるということは昔から大事なことだった。だから〈Dirty Hit〉のようなレーベルと一緒にこれからの旅路を続けていくことができてとても嬉しく思う。

新作『Dreamstate』はダンス・アルバムです。路線としては、アンビエントやノイズの要素が強かった前作『LP.8』ではなく、パンデミック中にダンス・ビートを打ち鳴らした前々作『Inner Song』のほうに近いと思いますが、『LP.8』にはあまり手ごたえを感じられなかったのでしょうか?

KLO:じっさいのところ、その逆。『LP.8』はパンデミック中につくったもので、8日間という短い期間で素早く仕上げた作品で。無意識に流れてくる思考を表現した、そのときの瞬間をあらわしたものだった。あの作品は、次の作品に向けての跳躍台としてつくる必要があったんだと思う。ふたたび、よりポップでダンス・ミュージック寄りの明るいものをつくるために、『LP.8』のような深い領域を探る必要があった。『LP.8』の出来にはとても満足している。『LP.8』というタイトルにしたのは、8枚目のアルバムみたいに感じられるから。つまり、たいていの場合、商業的な作品をたくさん出してから「今度は、誰にも制限されずに、自分がつくりたいものをつくる!」というのが8枚目くらいにくると思うのよ。わたしはタイムマシーンに乗って、8枚目のアルバムを先まわりしてつくったという(笑)。だから『Dreamstate』はわたしの3枚目ということになるね。こんなことを言ったらまわりがどう思うかわからないけれど、アッハッハ(笑)! でもわたしはそう考えている。『Dreamstate』はわたしの3枚目の商業的なアルバムで、『LP.8』は自分の無意識に深く潜った、奇妙で興味深い時期につくった作品。この作品には感謝している。じつはデペッシュ・モードのマーティン(・ゴア)と話していたときに、わたしの作品群で一番のお気に入りは『LP.8』だと言ってくれて。『LP.8』はそんな作品。大好きなひともいれば、好きじゃないひともいて、好きじゃないひとは、まだそのよさに気づいていない。それはそれでいいと思う。それが芸術というものだから。

わたしは過去を振り返って熟考したり、未来を心配したりする傾向があって、とにかくそういうものをすべて手放したかった。現在の瞬間に集中したかった。それが多幸感というものだと思うから。現在という瞬間に存在するということ。

あなたはウェールズの労働者階級の村で育ったそうですが、ウェールズという出身地はあなたのアイデンティティにとって大きなものですか?

KLO:とても大きい。それは年を重ねるにつれて、さらに大きくなっていっている。自分の起源やルーツというものはすごく大切なことだと思うし、自分の歴史を理解したいと思うのは人間として基本的なことだと思うから。たとえそれが痛みを伴ったり、複雑なものであったとしても、自分がどこから来ているのかを知ったり、その起源に誇りや美しさを感じることができるのは大事なことだと思う。それこそが自分自身の一部であり、系統であり、それがつねに自分のなかに流れているということが、大人になるに連れてわかってきた。そしてそれはわたしの音楽にもあらわれるし、サミュエル・ブラッドリーと制作した、アルバムのアートワークにもあらわれていると思う。わたしたちは、自然がある場所で撮影をして、自然に囲まれているわたしと、鉄塔といった都会を象徴するものとの対比を表現したかった。都会的な要素というのは、わたしがこの17年間、ロンドンやマンチェスターといった都市に住んできた影響をあらわしている。でもわたしにとって真の故郷は、わたしたちの言葉で言う「Cymru(=ウェールズ)」で。

今回これほど多幸感に満ちたアルバムをつくりたくなったのには、なにかきっかけがあったのでしょうか?

KLO:自身からの解放というものを必要としていた。ちょうどプライヴェートでも11年か12年間ともにしてきた、自分の大きな一部(パートナー)と別れを告げたばかりで、過去に縛られたくないという思いがあった。そこから解放される必要があった。しかもわたしは過去を振り返って熟考したり、未来を心配したりする傾向があって、とにかくそういうものをすべて手放したかった。現在の瞬間に集中したかった。それが多幸感というものだと思うから。現在という瞬間に存在するということ。その多幸感は、広い空間で踊っていて、他のひとと共有できるものもあれば、“Trust & Desire” や “Ballad” のような静かな瞬間にも感じられると思う。その瞬間に自分がどう感じているのかと向き合うこと。それがたとえ辛いものであっても、自分はちゃんとそれを受け止めている。それがいまの瞬間に存在するということ。そういう、「自身からの解放」が今作のテーマだったのだと思う。自分を、過去や未来から解放して、自分に自信を持つということ。

今回、共同プロデューサーのひと組としてバイセップを迎えたのはご自身の希望ですか?

KLO:そう、彼らとは “Rise” という曲しか一緒に曲をつくらなかったけれど。あとはケミカル・ブラザーズのトム・ローランズと “Ballad” を制作した。今回のアルバムに参加してもらったひとたちはすべて自分のコネクションから派生したもの。あ、ひとつの例外を除いて。フィル・スカリー(Phil Scully)というプロデューサーとロサンゼルスで一緒に制作をしたけれど、それはレーベルに紹介してもらったつながりだった。わたしたちは “Love You Got” や “Higher” を一緒につくって。とても素晴らしい経験だった。バイセップとは昔から一緒に仕事をしたいと思っていたし。彼らもコクトー・ツインズが好きだったりとインディ・ミュージックの共通点や、メロディックな音楽が好きだったりする共通点があるから。そういうわたしたちの共通点が今回の曲からも聴きとってもらえると思う。バイセップは憧れの存在だったから、まさに夢が叶った瞬間だった。彼らがわたしを彼らの世界に招き入れてくれてすごく嬉しかった。

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マドンナの『Ray of Light』をおもに聴いていた。〔……〕真似するということではなくて、『Ray of Light』から感じられた、ある種のフィーリングに近づきたいと思った。

バイセップとの曲での役割分担を教えてください。制作はどのようなプロセスを経て進めていったのでしょうか?

KLO:「ある午後の時間」みたいな感じだった。ホクストンにある彼らのスタジオに行って、温かい歓迎を受けた。ほとんどおしゃべりしていて。一緒に時間を過ごして、音楽や、自分達のバックグラウンドなどたくさんのことを話した。制作プロセスにおいて、それがいちばん大事な部分だったりするもので。それにお互い、美味しいものを食べることに目がなくて、ウフフフ! 彼らはすごくおいしいタイ料理のお店に連れていってくれて、お昼をご馳走してくれた。その後、スタジオに戻ってきてジャム・セッションをやったの。わたしはあまりジャム・セッションはやらないほうなんだけど、それがバイセップのやり方なのかもしれない。わたしは808を使っていて、マットはロジックかエイブルトンを使っていて、アンディはシンセを使って、彼らの素晴らしいセットアップに音を通していた。そして1分半ほどのトラックができた。とてもラフなもの。わたしはそれを持ち帰って、メロディと歌詞を書き、その上にシンセやほかの要素を加えた。でも曲の骨格となる部分は30分くらいでつくったの! といっても、制作というものはその30分だけじゃなくて。先ほども話したように、一緒にとった食事であったり、会話であったり、そういう最高な要素がすべて制作につながっている。ほんとうに素晴らしい経験だった。 

新作にはケミカル・ブラザーズのトム・ローランズも参加していますね。彼らの作品ではなにがいちばんお好きですか?

KLO:オーマイガッド! それはかなり難しい質問ね。ちょっと待って、彼らのディスゴグラフィーを確認する。……アルバムは難しいけれど、いちばん好きな曲はある。最近いちばんよく聴いているのは “Star Guitar”。

通訳:あの曲は最高ですよね!

KLO:もう最高! 今回のアルバムにも “Air” という曲があって、“Star Guitar” と似たような反復する感じや、動いている感じがする曲で。オープンカーに乗っていて、髪の毛が風になびいているイメージ。アルバムだと『Surrender』(1999年)かな……好きなアルバムはちょくちょく変わるのよ……『Dig Your Own Hole』(1997年)かもしれない……わからない! わたしのなかでは、しょっちゅう変わっているから。ケミカル・ブラザーズって一度も駄作をつくったことがないと思う。25年経ったいまでもそう言えるってすごく稀なことだと思う! とにかくいま、いちばんよくリピートして聴いているのは “Star Guitar”。彼らの存在自体に夢中なの!

この新作の制作中によく聴いていた音楽はありますか? それらから影響は受けましたか?

KLO:マドンナの『Ray of Light』(1998年)をおもに聴いていた。制作中は音楽を聴かないようにしているんだけど、すごく大変だった。だってデペッシュ・モードとツアーをしていたんだもの(笑)! だからデペッシュ・モードとマドンナの『Ray of Light』をよく聴いていた。『Ray of Light』はダークな要素と明るい要素、多幸感と深みの両方が混在している。それが面白いと思った。それにあのアルバムでは、彼女のヴォーカルがとても近くに聞こえる。すぐ自分の側で歌われている感じがする曲がいくつかあって。わたし自身も今回のアルバムの何曲かではそういう聴かせ方をしたいと思った。それから、無駄なものを削ぎ落とした感じも追求したかったから、その感じが “Trust & Desire” や “Ballad” にあらわれていると思う。それに去年わたしは『Ray of Light』のプロデューサーである、ウィリアム・オービットとランチをする機会があって。素晴らしいミーティングだった。だから宇宙からの啓示というか、『Ray of Light』の本質的な要素が、自分がつくっていたアルバムにも注入されたと思う。それはサウンドを真似するということではなくて、『Ray of Light』から感じられた、ある種のフィーリングに近づきたいと思った。

今回の新作はこれまで以上にシンセやヴォーカルの残響(リヴァーブ)に非常にこだわりがこめられているように聞こえました。あなたの音響にたいするこだわり、音響に向き合うときの意識について教えてください。

KLO:わたしはすべての要素にこだわりや考えをこめていると思う。その理由は、感情が流れているところを突きとめたいから。わたしの目的はただそれだけ。曲がじゅうぶんに流れている感じになり、リスナー自身がその「dreamstate(夢幻状態)」に入りこめる感じ、曲の流れに入りこめる状態にしたい。そして中断されることなく、その感情の本質に近づけるようにしたい。もちろん曲の途中で、中断する瞬間を意図的につくることもあるけれどね。わたしにとって音楽はタペストリーみたいなものであり、音を編み上げているような感じで。べつに音が色として見えるとかではないんだけれど、音の波長は見える。それを編み上げている感じ。そういう表現しかできないんだけど……。その流れがすべててつながった時点で曲は完成する。だから全体像につながりを持たせて、リスナーが感情を最大限に感じられるためのディティールは非常に重要。

最近では、他人の目線がないと、自分たちにとって夢とはなんなのかということがほんとうにわからなくなってしまっている。だからそういうものから離れて、自分にとって夢とはなんなのかということを見出すことはとても大切だと思う。

タイトルの「Dreamstate」が意味するものとは、ずばりクラブでの夢のような状態、あるいは音楽がもつ至福の逃避性のことでしょうか?

KLO:その両方でもあるし、それよりも大きな意味合いがあると思う。〔フランスの哲学者、ガストン・〕バシュラールが書いた『空間の詩学(The Poetics of Space/La Poétique de l'espace)』(1957年)という素晴らしい本があるんだけど、そこでは夢想(daydreaming)することの重要性が説かれていて。夢想することは、夜に見る夢とは違う。夜に見る夢は、無意識に潜りこむことで、疲弊することもときにはあるよね(笑)。その一方で、夢想とは、受動的な行為であると同時に、主体的な行為でもある。でも受動的な部分の方が大きくて、安らかな状態。わたしは、そういう安らかな状態になる時間と空間を積極的に持つようにいつもひとに勧めている。このインタヴューがはじまる前も、わたしは自宅の庭に座ってそういう時間をとった。たしかに寒かったけれど、ジャンパーを着て、紅茶を飲んで、太陽の光を浴びて、地に足をつけた。そして10分間だけ、その瞬間に身を投じて夢想した。自分がそういう状態を欲していたし、音楽でも夢想という状態をつくりたいと思った。そうすることで人びとが集ったときに夢想できるし、それ以上に大切なのはひとりでもその状態になれるということ。技術が発達した現代という時代において、その状態になることは重要性を増していると思う。わたしたちは、外部から「どんな夢を見るべきか」、「夢とはなんなのか」を押しつけられている。最近では、他人の目線がないと、自分たちにとって夢とはなんなのかということがほんとうにわからなくなってしまっている。だからそういうものから離れて、自分にとって夢とはなんなのかということを見出すことはとても大切だと思う。

5月に東京で開催されたOUTLIERであなたのDJを体験しました。ハード寄りのテクノのセットだったように記憶していますが、日本のオーディエンスの印象は他国のと比べてどう違っていましたか?

KLO:いい質問ね。日本のひとたちはディティールにこだわっているというか、その場をすごく大事にしていて、音楽に聴き入っている印象があった。わたしの行動をちゃんと観てくれるし、聴いてくれる。わたしはステージからみんなに「自分を解放して!」といつもアピールしている。みんなに自由に動いて欲しいから。だから日本でもそういうアピールをしていたんだけど、それはどの国でもやっていることで。ひとによっては、ただその場に立っていることが自由なのかもしれないし、ただ観ていることが自由なのかもしれない。それがなんであれ、その自由をみんなが楽しんでいてくれたら嬉しい。ハードなテクノになったのは、クラブという空間で、夜の遅い時間にプレイしたから。それにライヴではなかったから、とても違うものになった。夜の遅い時間はそういう音のほうが元気に踊り続けられると思って。とにかく最高だった。でも、日本にはオーストラリアに行く途中に2日間だけ寄っただけだったから短すぎた。また絶対に日本へ行きたいし、今度行くのがすごく楽しみ!

キュレイターのボノボとは以前から交流があったのでしょうか?

KLO:サイモン(・グリーン)は何年も前からの友人で。ジョン・ホプキンズが共通の友人で、その辺りのひとたちのあいだで交流関係がある。それに、サイモンもライヴとDJ をやるから、わたしと共通している部分も多くて。あとロサンゼルスにも共通の友だちがいるから、ロサンゼルスに行ったときは一緒に遊んだり。サイモンはわたしの活動を応援して励ましてくれたりする。エレクトロニック・ミュージックをやっているソロ・アーティストにとって、ほかのアーティストと仲よくなったり、互いを助け合うことは大切なことだと思う。だから彼との関係は大切に思っている。

東京には2日間しかいられなかったとのことですが、どこか行かれたところはありましたか?

KLO:ほとんど行けなかった。〔神田小川町にある〕チームラボに行ったとき以外は渋谷を出なくて。ほんとうに短すぎで! 日本のいろいろな場所を見てまわりたい。田舎にも行ってみたいし、温泉にも行きたい。伝統文化にも触れたい。あ、でも日本での食事は素晴らしかった! ひとも最高! 日本という国にはほんとうに共感が持てた。

通訳:気に入った場所はありましたか? レストランなど?

KLO:(レーベル担当に)あのディナーは、なんというところだったっけ? 名前が思い出せないけれど……

レーベル担当:渋谷にあるお寿司屋さんに行きましたね。

KLO:あのときのディナーがわたしにとって初のちゃんとした、お寿司体験だった。(板前さんが)目の前で調理してくれる感じ。あれほど満腹になったことはいままで一度もなかった! でもおいしくて、すごく幸せだった! それはよくおぼえている。それから、小さなコーヒー屋さんを見つけて入ったりしたのも覚えている。とにかくすべてがおいしくて、すべてがよく考えつくされていると思った。とても素敵なことだと思う。ディティールにこだわっている感じも好きだし、日本が大好きになった。

今後これまでよりも大きな舞台で活動していくことになるかと思うのですが、現時点で戸惑っていることや苦労していることはありますか?

KLO:これはクレイジーに聞こえるかもしれないけれど、わたしは大勢のクラウドの前でプレイするほうが安心感を得られる。すごく居心地がいい。2万人の前でプレイして、最大は7万か7万5千人の前だった。ついに2万人では物足りなく感じてしまって、もっとエネルギーが欲しいと思ってしまったの! けっしてエゴイスト的な感じで思っているのではなくて、ただそれがものすごくユニークで特別な行為だから。デペッシュ・モードの以前のレーベルのA&Rのひとで、バンドの友人でもあり、第5のメンバーとも言われているダニエル・ミラーが、わたしに「音が会場の奥までちゃんと届いていて、いままでに見たなかで最高のサポート・アクトだ」という優しい言葉をくれた。自信を持って、大勢のひとたちを率いて、みんなを音楽でとりこむのがすごく楽しい! だから、じつは、小さな会場でやるときのほうが緊張するかもしれない(笑)。

最後に、日本のリスナーに向けてメッセージをお願いします。

KLO:日本にまた行く機会をとても楽しみにしています! 日本にはわたしを心からサポートしてくれるファンがいる感じを受けたらから、そういうひとたちとたくさん会って、つながりを感じたい。それから、これは話し合って計画・企画する必要があるけれど、日本でのライヴも実現させたい。とにかく日本ではたくさんのひとに会って、ファンを増やしていきたい。それに、プライヴェートで日本の各地もまわりたいと思っているし(笑)。すごく楽しみにしている!

interview with Coppé - ele-king

 だれもかれも、自分がどう見られるかばかり気にしている。ヴィジュアル主体のインスタだろうがテキスト主体のツイッターだろうがそれはおなじで、スマホとSNSの普及はむしろどう見られるかを意識していないほうが変わり者であるかのような時代を生み出してしまった。一見自分史をテーマにした昨年のOPN『Again』は、じつはそういう自分だらけの現代を鋭くえぐったものだとぼくは解釈しているけれど、これはもう不可逆の流れなのかもしれない。
 その点、みずからを火星人だと呼称するコッペは完全にアウトサイダーだ。独創的なファッションに身を包み、「キョイーン」「でぴゅ」「うれぴー」といった語を駆使する彼女が周囲の目やらトレンドやらに振りまわされていないことは明白である。一度会ったら忘れられないこの強烈な個性の持ち主は、90年代をアリゾナとLAで過ごし、ZトリップやQバートといったヒップホップDJらと交流したり、ドラムンベースを生演奏するバンドをやったりするなかで音楽家としてのキャリアを(再)スタートさせている。1995年に送り出されたファースト・アルバムこそトリップホップという時流とリンクする側面を有していたものの、近年のリリースを振り返ってみると、モジュラー・シンセでオペラに挑戦した『Na Na Me Na Opera』(2019年)、モダン・クラシカルなソロ・ピアノ曲集『蜜 Mitsu (25rpm)』(2021年)、スタンダードも多く含まれたジャズ・ヴォーカル作品『*(Un-)tweaked』(2022年)とやはり独自路線で、だれがなにをいおうが好きなことをやるという気概がビシバシ伝わってくる。

 そんなコッペの最新作『*( -)tweaked』は、上述のジャズ・アルバム『*(Un-)tweaked』のリミックス盤だ。どのリミキサーも「とりあえずぶっ壊して!」とのオーダーを遵守、オリジナルの上品なジャズはみごと解体され、一筋縄ではいかないトラックが並んでいる。招集されているのはコッペと親交のある面々なのだけれど、これがまたそうそうたる顔ぶれで、アトムTMにプラッドにニカコイにルーク・ヴァイバートにDJ KENSEIに……きっとみんな、型にはまらない彼女の気質に引き寄せられるのだろう。
 いったいコッペとはいったい何者なのか? じつはファースト・アルバム以前にも長いキャリアをもつ彼女。取材には流通担当の猪股恭哉も同席し、このユニークな音楽家の歩みを深掘りしてくれた。

お謡からはじまった

長いキャリアをお持ちですので、まずはバイオグラフィからお伺いできればと思います。

Coppé(以下C):死んだことになっていることもあるしね(笑)。いろいろお仕事してたのに、ある時期に急に日本からいなくなったひとなので。「長谷川コッペ」で検索すると出てくるけど。

かなり幼いころから音楽にはご関心があったのですよね。ご家庭の影響でしょうか?

C:生まれながらの音楽ジャンキーだと思う。オギャーッと生まれたときからほぼ曲つくってるようなもので。コッペのパパとママも、おじいちゃんとおばあちゃんも、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも、全員、観世流〔※能の流派のひとつ〕のお謡(うたい)をやってたので、家ではもうずーっと、年がら年中、お謡が聞こえてきて。当然コッペもママから仕込まれたので、そういうのが知らず知らずのうちに出てきているのかな。今日、そのお謡の本を持ってきたんです。



Coppéが持参したお謡いの教科書

初めて目にしました。すごいですね。まったく読めないです。これはどう読むんですか?

C:読めないところもちゃんと振りがあって。上がるとか、下がるとか。最初、教科書に書きこむことも怒られたんですけど、でも覚えられないから、いっぱい書きこんでます。
 コッペの曲にはオリエンタルなフレーヴァーが出てるよねってよく言われるんですけど、たぶんお謡がその由来かなと。お謡って口伝だから、キーが存在しないんですよ。お師匠さまが出したその音に合わせてついていかなきゃいけない。でもコッペはキーのひとなので、「キーがないってどういうことなの?」っていっぱいママに文句言って。でももともとそういうものだから。歌い方、フレーズもぜんぶ口伝で、ようするに先生の真似をするわけなんですけど、そのやり方が叩きこまれてるから、インプロしているときもジャズを歌っているときも、自然と出てきちゃうんですよね。それでオリエンタルだねって言われるのかな。

猪股:ルーツはポピュラー・ミュージックでもクラシック音楽でもなかった、ということでしょうか。

C:いえ、小学生のとき、藤家虹二(ふじかこうじ)先生っていうクラリネット奏者の方に出会って、そこからコッペの人生はギョイーンといまのような感じになっていくんです。『日清ちびっこのどじまん』という番組〔※フジテレビ、1965~69年放送〕で優勝しちゃって、そのときの審査員のひとりが藤家先生でした。コッペが小学4年生とか5年生のころ。そのころからもう、他人の曲には見向きもせず、自分で歌って曲を書いてばかりで。それで藤家先生から「お前は歌はそれほどうまくないけど作曲のセンスがいいから、俺のところに週一で来て楽典とか和声とかハーモニーの勉強をしなさい」って言われて。
 毎週かならず宿題が出るんですよ。「どんな長さでもどんなキーでもいいから、3曲完結させて仕上げてくるように」と。どんなものでも5分でできたけどね。それで、そのうちの1曲を藤家先生が気に入ってくれて、ストリングスを入れてアレンジしてくれて、ある日突然「プロのスタジオ入るぞ」って。それがキング・レコードだった。宿題の楽曲にため息が出るくらい素敵な先生のアレンジがついて、それを歌ってドーナツ盤にしたらレコード大賞の童謡賞をいただいちゃった。小学生だからよくわからないんだけど、親はピーピー泣いていて(笑)。そこからですね、コッペの人生が3分の1くらい芸能人みたいになっちゃったのは。そのあと「Let's Enjoy English」というレギュラー番組もやりましたね〔※NHK、1972~1982年放送、長谷川コッペ出演は1975年度〕

『*(Un-)tweaked』(2022年)はジャズ・アルバムですが、ジャズからの影響も大きかったのでしょうか?

C:藤家先生がクラシックだけじゃなくて、ベニー・グッドマンのコピーもやっていらして。それでどんどんジャズのほうにも行きました。あと当時、水島早苗先生というジャズ・ヴォーカリストの先生もおられて。だから小学生のころからジャズも歌っていたんですけど、歌詞なんてわかるわけないんですよ。でもジュリー・ロンドンとかを丸コピして歌っていました。

その後70年代はどのようなことをされていましたか?

C:『オールナイトニッポン』のレギュラー番組がはじまって、タモリさんと出会って、「なんだこのヘンテコリンなおじさんは?」って(笑)。イグアナの真似とか、四ヶ国語麻雀とか激・面白かったですよ。1時から3時までの1部がタモリさんで、3時から5時までの2部がコッペでした。コッペの好きな英語の曲をがんがん流しまくってたら、当時そういう番組はあまりなかったので需要も上がって1部に昇格させていただいて。そこでタモリさんとはバイバイで、今度は近田春夫さんと一緒にやることに〔※1977~79年放送〕
 近田さんのことはチカちゃんと呼んでいたんですが、すごくかわいがってもらって。ザ・スーパーマーケットというバンドも一緒にやっていたので、たぶん番組を面白くするためとは思うんですけど、コッペとチカちゃんがバトルさせられるんです。それで「なんだお前!」とか怒られながら毎週スタジオに生で入ってました。コッペは洋楽一辺倒だったから、チカちゃんはオンエア中に「お前そんなくだらないもんばっかり聴いてないで、日本人だったら都はるみを聴いてみろ! お前こぶしまわしなんかできないだろう!」とか(笑)。それで急に歌わされる(笑)。


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レジェンドたちとの思い出

ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。

Coppé名義でのファースト・アルバムが1995年ですので、そこへ行き着くまでにまだありますね。80年代はどのように過ごされていましたか?

C:80年代は、『ザ・ポッパーズMTV』っていう番組〔※TBS、1984~87年放送〕をピーター・バラカンさんとやっていました。それまではどんな番組も自分で選曲してたんですけど、『ポッパーズ』は唯一、自分で選曲してなかったテレビ番組。来日アーティストを片っ端からインタヴューするっていうお仕事で。超楽しかった! なにを訊いてもOKだったし、ジェイムズ・ブラウンからシンディ・ローパー、マイケル・フランクスからスティーヴィー・ワンダーまで。マドンナのインターナショナルなものとしては最初のインタヴューもコッペだった。
 ジェイムズ・ブラウンのときがいちばん大変で。伝達ミスで、クルーが40分とか45分とか遅れて来たんですよ。それでしばらくコッペとジェイムズ・ブラウンのふたりっきり。「クルー来てないの? じゃあ帰る」って言われてもおかしくない状況で、でもそうなったらインタヴューがなくなっちゃうから、コッペも怖いもの知らずで、「いろいろ教えて!」みたいな感じで話して。ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。その場面を撮ってくれてるひとがいたら、インタヴューよりぜんぜん面白かったと思う(笑)。

すさまじい面々とお会いされてきているんですね。ちなみに、ファンクはお好きだったんですか?

C:いや、当時はぜんぜんジェイムズ・ブラウンはわからなかったです。インタヴューするときはかならず事前にそのアーティストの音源をしっかり聴くんですけど、ジェイムズ・ブラウンはまったくピンとこなかった。なんでだろう? たぶんミーのなかではあのころ、「ンワッ!」とかそういうフレーズのスウィングの仕方にしか興味がなかったのかもしれない。

渡米されたのはその後ですか?

C:えっとね、『ポッパーズ』をやってたときに、コッペじつは一度結婚してるんです。アリゾナの方と。コッペはマイケル・フランクスが大好きだったんですけど、ハワイでヴァケイションしてるときに、マイケル・フランクスと瓜ふたつのひとがニコニコしながら歩いてきたんですよ。「ヤバい! マイケル・フランクスだ!」と思って。ぜんぜんちがったんですけど(笑)。でもそのひとと結婚しました(笑)。ハワイで「イエス!」って言っちゃった。
 その彼、メルくんというんですが、メルくんのパパが急に病気になっちゃったことがあって、そのタイミングでUSAに戻らなきゃならないことになって、いったん番組を全部降ろさせていただいたんです。ラジオのレギュラーが3本くらい、テレビも2~3本あったし、雑誌も『POPEYE』とか『Olive』とかあったんですけど、もしメルくんのパパが仮に亡くなっちゃったりしたら一生恨まれるだろうなと思って、全部お休みさせてもらってアリゾナに渡って。そしたら超居心地がよくて。パパとママには2年くらいの約束でアリゾナに行ってたのに、20年くらいになった(笑)。


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トリップホップとリンクしたファースト・アルバム

まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。

ファースト・アルバム『Coppé』(1995年)にはトリップホップとリンクするフィーリングがありますが、あのアルバムがリリースされたときはアメリカにいらっしゃったのですか?

C:そうです。アリゾナでレーベル〈Mango & Sweet Rice〉を立ちあげて、日本からもってきていたオープンリールを使ってひとりでつくりました。ただ8チャンネルしかなかったので大変で。ひとりじゃダメだなと思って、2枚目の『O Of M』(1998年)からはアリゾナのお友だちとコラボするようになりました。

80年代後半から90年代前半にかけてはエレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージックの勢いがすさまじかった時代ですが、やはりそうしたものから影響を受けたのでしょうか?

C:まわりがみんなDJだったし、音づくりもやっていたから自然と。まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。彼らとoToっていう名前の、ドラムンベースを生でやるバンドをやっていたんですよ。ほぼ毎日コッペの家でリハしてて。「もったいなから、このままライヴはじめよう」って、家賃が払えなくなりそうになるとちょっとライヴをやって稼いで……とか。ドラマーのステファン・ポンドはドラムンベース好き、いちばんよくつるんでたテリー・ドリーシャーはアンビエント・ダブのひとで、そのころに受けた影響はすごく大きかったと思う。3枚目の『Peppermint』(2000年)からはアリゾナやLA勢だけじゃなくて、出会いが広がって、プラッドとかも入ってくるんです。『Peppermint』のときがいちばんコラボしていたかな。

ちなみにファーストには “He Didn't Know...Brian Eno...” という曲が入っていますよね。このタイトルはどういう意味なのですか?

C:コッペ、ブライアン・イーノが大好きで。そのころ親しかったoToのメンバーでめっちゃくちゃいいギターを弾くひとがいて、コッペの曲づくりにもとってもインスピレイションをくれたひとりなんですけど、イーノの話をしたら「え、だれそれ?」って。ブライアン・イーノのこと彼はぜんぜん知らなかったんです。だからそのまんまの曲!

ファーストでいちばんお気に入りの曲はなんでしょう?

C:難しいー。こないだリリース・パーティがあってDJ KENSEIと話してて、彼は “Floatin’” を気に入ってくれてるみたいで。30周年だからリメイクするのもいいんじゃないなんて話になったけど。でも毎日聴きたい音って変わるから、自分で選ぶのは難しい。猪股さんに聞いてみようよ!

猪股:いま現在の感覚で選ぶと、初期の作品に惹かれます。さきほどちらっとダブっていうキーワードが出ましたけど、スモーキーな具合、浮遊感、重さみたいなところが当時のアブストラクト・ヒップホップとかエレクトロニカの流れにあって、それがちょうどいま聴くと気持ちいいですね。

C:2枚目とか、3枚目とか?

猪股:それこそファーストですね。

C:えー嬉しー! もうアホみたいに嬉しいですよ。だってコッペが全部自力でプロデュースして全部自力で曲書いたのってファーストだけだもん。そういえばポーティスヘッドは大好きなグループのひとつだった。アリゾナの家で掃除機かけてたときにラジオから “Dummy” が流れてきて、「やばっ、なんだこれ」って。コッペの耳にはアイザック・ヘイズがビリー・ホリデイとコラボしたように聞こえて、もう鳥肌もので。でもポーティスヘッドは最初の1枚だけだったな。

マッシヴ・アタックはいかがですか?

C:マッシヴは大好きですね。マッド・プロフェッサーがやった『No Protection』ってあるでしょ。今回のリミックス盤も、『No Protection』みたいにぶっ壊せばいいかと思って出す決心をして。

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近年の2作『*(Un-)tweaked』と『蜜』をめぐって

亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。

『*(Un-)tweaked』(2022年)は落ち着いた雰囲気の、聴きやすいジャズ・アルバムですね。デューク・エリントンの “Satin Doll” のようなスタンダードのカヴァーも多くあります。これを出す時点で、リミックス盤の『*( -)tweaked』をつくることは決まっていたのですか?

C:はい。もう絶対ぶっ壊そうと思ってました(笑)。〈Mango + Sweetrice〉ってコッペのほぼすべてなので、絶対に嘘ついちゃいけないんですよ。自分が出したくないものは出してはいけない。でも唯一、『*(Un-)tweaked』で初めて、ヒロくん〔※コッペの弟〕をハッピーにするために出すっていう動機からはじまって。だから自分のなかですごく葛藤があった。でも、マッシヴの『No Protection』があったから、あとでぶっ壊せば大丈夫だっていうことで踏ん切りがついたという。
 もともとの録音は、ジェイキー(Richard ‘Jakey’ Slater)のコンピュータから出てきたんです。お蔵入り音源が。おくある状況ですけど、録音してたってことさえコッペは憶えていなくて。『蜜』(2021年)をつくり終わったあとに、ジェイキーが「じつは、昔のコンピュータからジャズの音源が出てきて、めちゃくちゃいいかわ、使わないのはもったいないよ」って。聴いてみたらまあたしかにいいかなって内容で、そこに何曲か足して。

では、だいぶ前の録音が使われているんですね。

C:もう10年とか、15年くらい前。たしかジェイキーが新しいスタジオで仕事をはじめたときで、「ちょっとテストしたいからなにかやってみて」みたいな感じで、当時よくライヴを一緒にやっていたメンバーと集まって。それを彼が録っていたんだと思う。

録られていたことに気づかず。

C:そういうのばかりですよ! ピーナッツ・バター・ウルフの “PBWolf vs. Mothra (feat. Cappe)” もそう。ずいぶん昔、彼のスタジオに遊びに行ったときにレコーディングされてたことをコッペはまるでわかってなくて、レコードが出たこともぜんぜん知らなかった。ひどいやつらですよ(笑)。でも、それはUSのヒップホップだと普通みたいで。「そうなんだ、いいよべつに」みたいな。

ほかにも知らないうちに出ている作品もあるかもしれませんね。

C:いっぱいあると思いますよ。昔はドラムンベースでも歌いまくってたし、ロンドンの〈No U-Turn〉のスタジオとかでも、行くたびにインプロで歌いまくってたので。オービタルの最近の “Moon Princess (feat. Coppe)” も、「ちゃんとクレジットしてくれるのかな?」って不安だったけど、彼らはやっぱりプロフェッショナルなのでちゃんとやってくれた。でも「Coppé」の最後のチョン〔※アクサンテギュ〕はつけてくれなかった(笑)。

先ほど少しお話に出た、もうひとつ前のアルバム『蜜 Mitsu (25rpm)』はピアノ・アルバムでしたね。

C:あれはもうずいぶん昔みたいな感覚……ロックダウン中につくったやつです。生まれて初めて経験して、でもコッペにとってはかけがえのない時間でもあったんですよ。くだらないミーティングとかで外に出ていかなくてよくなって、棚からぼたもちのような、自由になる時間ができて。もうスタジオに缶詰めになるしかないですよ。それで。コッペが持ってる楽器でいちばん古い、コロンビアのエレピがあって、ピノコっていう名前をつけているんですけど、スタジオの奥でほこりをかぶっていたそれをジェイキーきれいに掃除して、「ピノコごめんね」って言ってぽろぽろ弾きながら、ピノコとの会話をスタートさせました。そしたらジェイキーが「レコーディングしてもいい?」って言ってくれて、そこからサクッと3~4日くらいでできたのがあのアルバムです。だから、ぜんぶインプロなんです。たぶん、バッハが降りてきたと思う(笑)。
 こういうこというと「コッペさん、イっちゃってる」とか思われるかもしれないけど、亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。バッハにしてもジム・モリスンにしても、みんな、もっともっといい曲を書きつづけていたかったと思う。でも病気とかいろんな理由があって、先に逝っちゃって。でも、みんなスピリットとして元気にやっていて、曲を書きつづけてるんですよ、絶対。でも地上にいないと形にはできない。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。コッペはいつも頭を空っぽにしてるので、チョウチョが来るとすぐに指が動いたり声になって出てくる。だから、けっしてコッペが書いているんではない。頭で考えてとか、そういう暇はまるでないので。小学生のころは「ここまでAマイナーだったから次はメジャーにしよう」とかいろいろ考えていたんですが、この『蜜』にかんしてはそれはまったくなかった。自然とできあがってしまったという。

憑依されているというのはシュルレアリスムっぽいところもあっておもしろいですね。自分の意識の外からやってくるもの、コントロールできないものによって作品ができてしまうという。

C:コッペの作品はもう80パーセント以上、もしかしたら90パーセント以上そうだと思います。歌詞もほぼ夢からできているし。そもそも地に足が着いていないですしね。だいたい毎日ふわふわしているので。

「ぶっ壊して!」とオファーした最新リミックス盤


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「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。

さて、あらかじめつくることが決まっていたという今回のリミックス盤『*( -)tweaked』ですが、人選にはどのような狙いが?

C:いや、なにもないですね。ただコッペのまわりにいる仲良しなひとたちにお願いするっていう(笑)。ただみんなそれぞれスケジュールがあるから、そこはタイミングを見て。プラッドがいちばん時間がかかったかな。

個人的には今回のリミックス盤では、このプラッドの “Satin Doll (Plaid Remix)” がいちばん好きでした。

C:プラッドだとコッペは、“Atlantis Is Kushti (Plaid mix)” (『Peppermint』2000年、収録)がいちばん好きかな。あれはプラッドのふたりが日本にツアーに来たとき、そのころコッペはまだアリゾナに住んでたんですけど、同行して一緒に沖縄の座間味島っていうところまで泳ぎに行って、そのときできた曲で。1998年だったかな。元ジ・オーブのクリス・ウェストンやミックスマスター・モリスも一緒にいました。みんなプラッドとつながってて。座間味島ってほんとうに海がきれいで、みんなで潜ってレインボー・フィッシュを追いかけたり。サンゴって死ぬと真っ白になるんですけど、そのうえをはだしで歩くとしゃりしゃりして、痛いんだけど気持ちいいんです。その音が大好きで、当時MDのレコーダーでレコーディングしていたので、それを持ってその音を録りに潜ったんですよ。でもぜんぜんダメで、MDが壊れちゃって。みんなから「そういう電子機器は水中では使えないんだよ」って教えてもらいました(笑)。そしたら数年後にプラッドのエド(・ハンドリー)が、海の中にも持っていけて、クジラの声まで録音できるコンタクト・マイクをプレゼントしてくれて。

猪股:「エド」で思い出しましたが、ドラムンベースのエド・ラッシュ&ニコのニコが、2002年ころの作品にはよくクレジットされていましたよね。

C:ニコとはすごく仲良くなってます。ニコのスタジオがいちばんレコーディングしてる場所だと思う。ニコは当時あのあたり、エド・ラッシュとかオプティカルとかを仕切っていたひとで、でもなんか悪いことをされて音楽業界が嫌になっちゃったみたいで。自分が書いたのにクレジットしてもらえなくて、大ヒットしてとか。向こうってそういう大事なところが抜けてるんですよ。でもいまでもロンドンに行ったらつるんでますよ。たしか父親がBBCの偉い方で、ボブ・ディランとかにインタヴューしてる方で。でもニコは不良(笑)。

今回のリミックス盤でいちばん気に入っているのはだれのリミックスですか?

C:難しいなあ。もうあんまり憶えてない(笑)。いつも次につくってるもののことを考えてるから。来年ファーストの『Coppé』が30周年なので、いまはレーベル〈Mango & Sweet Rice〉30周年記念盤をつくってます。ルークと一緒に。

(今回のリミックス盤にも参加している)ルーク・ヴァイバートですか?

C:そう。ヒップホップ。じつは、今回の “My Funky Valentine (Luke Vibert Remix)” をお願いしたあと、いろいろあって、30周年記念盤でも一緒にやろうということになりました。それ(30周年記念盤の曲)はもう鳥肌が立つくらい、めちゃくちゃいい曲になっています。目玉の1曲。

それは楽しみです。今回のリミックス盤で、予想外のものが来たなというのはありましたか?

C:コッペはニカコイが好きなんですけど、彼とのコンビネーションってすごいと思うんですよね。以前『Milk』(2017年)というアルバムをつくったときに、当初ニカコイには1曲だけお願いしていたのに、3曲もやってくれて。相性がいいんです。『Rays』(2012年)のときも、最初はとりあえず1曲って感じでスタートしたんだけど、あれよあれよという間に1枚まるごと共作になって。今回のリミックスについてはノー・コメントですが、ずっと近くにいてほしいひとです。

猪股:いろんな方にリミックスをオファーする際、方向性など注文を出したりはしましたか?

C:「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。そういうことをみんなにはさせたくないので、好きなようにぶっ壊してくれって。クリエイティヴのフリーダムはかならずみんなに与えます。そういうオーダーですね。

猪股:DJ KENSEIさんについてもお尋ねしたいです。今回の面子のなかでKENSEIさんはいちばんスタイルの幅が広い方で、いろんなことができる方ですよね。

C:KENSEIは達人ですよね。KENSEIは「そのままバッキング・トラック流して」って言っても絶対やりたがらないようなひとなので、いろいろやりとりしながら、「好きなようにぶっ壊して」と。2023年のフジロックのピラミッド・ガーデンにCoppé feat. Kensei & Hatakenとして出演したんですけど、キャンドルの火に囲まれて、すばらしいライヴだったんです。コッペたちのアンビエントな感じの音と、そよ風で炎が揺れる感じが化学反応を起こして。みんな芝生に座って聴いてくださっているんですけど、その吐息まで伝わってくるような、ハッピーなライヴでした。

困っちゃうぐらい火星人


photo by alex lenz

あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

最近の音楽で気に入っているものはなにかありますか?

C:フローティング・ポインツ。ミックスマスター・モリスは日本に来るといつもかならずうちに来るんですけど、フローティング・ポインツは神経科学の博士号を持っているのにこんないい曲をつくってるんだよって教えてくれて。あと、サム・ゲンデル。彼が “Satin Doll” を使った曲があって、それは超キョイーンってきましたね。

アートワークについてもお伺いさせてください。デザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけていて、オリジナルがピンク、リミックス盤が淡いブルーないしグリーンのセットですが、なにかコンセプトがあったのですか?

C:イアンはエレクトロニカが好きなひとなので、ジャズ・アルバムのデザインやってくれるかな、断られるかなと思ってました。でもオッケーしてくれました。彼は、もしジャズの音源のデザインの依頼が来たら、ボビー・ハッチャーソンのジャケットみたいなアイディアでやりたい、っていうのをずっと考えていたみたいで。「その路線で進めてもいい?」って確認されて、でもミーはいつものようにボビー・ハッチャーソンのことはぜんぜん知らなかったから、「いいよ、好きなようにやって」と伝えて、こうなりました。

イアン・アンダーソンとはいつごろからお知り合いなんですか?

C:『Coppe' In A Pill』(2010年)っていうUSBメモリー・スティックのコンピレーションを出したときだから……いや、『20rpm』(2015年)のころだから、10年くらいかな。デザインも音も、「キョイーン」ってくるものだから、イアンのデザインは最初から「キョイーン」ってきて好きでしたね。あの、バットを持っている女の子のキャラ、「Sissy」が大好きです。『蜜』のときは「蜜」という漢字で遊んでみて、ってお願いしました。

ちなみに、こんにちでは電子音楽をやっている女性はたくさんいますが、コッペさんがエレクトロニック・ミュージックをされはじめたころは、少なくともいまよりはぜんぜん少なかったと思うんです、とくに日本では。そういうことを意識したことはありますか?

C:まるでない。自分がどういうところにいるのかとか、自分でまるでわかってないひとで。

猪股:男性よりもアタリが強かったりとか、あるいはその逆だったりとか、そういうことはなかったんでしょうか。

C:いい質問をくれました! いや、女性とか男性っていうのはいまいちわかんなくて。コッペ、火星人なもんで(笑)。あんまりそういうの意識してなくて、まわりはゲイばっかりだったし。あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

interview with Matthew Halsall - ele-king

 イギリスで最大のジャズ・シーンがあるのはロンドンだが、それとまた異なるシーンを独自に育んできたのがマンチェスターで、その中心にいるのがマシュー・ハルソールである。トランペット奏者で作曲家、そしてバンド・リーダーでもある彼は、2008年のデビュー以来数々のアルバムをリリースしてきて、この度その足跡をまとめたベスト・アルバムの『Togetherness』がリリースされた。初来日公演を記念してリリースされた『Togetherness』は、本国イギリスはもちろんのこと日本国内でも高い評価を得た最新アルバム『An Ever Changing View』(2023年)から、初期名盤の『Colour Yes』(2009年)まで、自身が運営するレーベルの〈ゴンドワナ〉とともに歩んだ十数年のキャリアからマシュー本人が選んだ楽曲を収録する。

 〈ゴンドワナ〉はマシュー以外に、彼が率いるゴンドワナ・オーケストラや盟友のナット・バーチャル、チップ・ウィッカムの作品から、ゴーゴー・ペンギン、ジョン・エリスなどマンチェスター出身のアーティストの作品をリリースするなど、マンチェスター・シーンを牽引してきた。そして、マンチェスター出身のアーティスト以外にも、ママル・ハンズ、ノヤ・ラオ、ポルティコ・カルテットなどのUK勢から、オーストラリア出身のアリーシャ・ジョイ、ベルギー出身のスタッフなど、所属アーティストの顔ぶれもインターナショナルになってきた。ジャズ以外にもエレクトロニック・ミュージックやポスト・クラシカル系と、音楽性の枠も広がっていった。スピリチュアル・ジャズと形容されることの多いマシュー・ハルソールの音楽だが、近年はフィールド・レコーディングを取り入れてアンビエントの要素が増しており、多様な音楽性を抱える〈ゴンドワナ〉の運営が自身の音楽性にも関与していると言えそうだ。

 ピーター・バラカン監修のフェス《Live Magic》と、Blue Note TOKYO公演で来日中のマシュー・ハルソールに、これまでの活動や 〈ゴンドワナ〉のことを振り返り、また自身の音楽の基盤となるものや影響されるものなど、いろいろと話をしてもらった。

ジャイルス・ピーターソンやミスター・スクラフといったDJは、先生と呼べるほど、自分が音楽を聴くにあたってとても影響を受けた存在です。

あなたは2008年に『Sending My Love』でデビューして以来、10数枚に及ぶアルバムを発表し、また自身のレーベルである〈ゴンドワナ〉からさまざまなアーティストを送り出してきました。すでに長いキャリアを積み重ねられているにも関わらず、これまで日本のメディアでのインタヴューがないようで、あなたのことをよく知らないリスナーもいるかと思われます。ですので、まずはどのようにしてジャズ・トランペット奏者になり、〈ゴンドワナ〉を運営するようになったのか教えてください。

マシュー・ハルソール(以下MH):リヴァプールに住んでいた6歳のころ、両親と祖父母と一緒に、日曜日の午後のコンサートに行きました。そこはニューヨークのジャズ・クラブのような雰囲気で、ジャズ・トランペット奏者がディジー・ガレスピーの “A Night In Tunisia” やマイルズ・デイヴィスの “Milestone” を演奏していて、わたしはビッグ・バンドならではの昂揚感あふれるエネルギーをとても気に入りました。とくにトランペットに魅力を感じて、6歳ながらに「トランペットがいい、トランペットがいい!」と夢中になり、それがトランペットとジャズとの出会いのきっかけでした。トランペットに惹かれたときからレッスンをはじめて、13歳のときに憧れのビッグ・バンドに入りました。14歳、15歳のときはそのビッグ・バンドとともに世界でツアーをして、オーストラリアやアメリカ、そういった国をまわっていましたね。

13歳で抜擢されるというのはすごく早熟ですよね。

MH:(照れ笑い)17歳になってからはサウンド・エンジニアリングやプロダクションの勉強をはじめました。レコードをつくることにとても興味があったので、そういう勉強も。とくに〈ブルー・ノート〉や〈インパルス〉などが好きだったのでそのような音の勉強と、あと〈ニンジャ・チューン〉や〈ワープ〉のようなサウンドも好きでしたので、ソフトウェアやシンセサイザーを使っての音づくりも勉強しました。DJカルチャーに興味を持ちはじめたのが14歳から15歳のときで、ジャイルス・ピーターソンミスター・スクラフといったDJは、先生と呼べるほど、自分が音楽を聴くにあたってとても影響を受けた存在です。
 たとえば、ジャイルス・ピーターソンは当時(2000年代前半)ザ・シネマティック・オーケストラマッドリブといったクラブ・ジャズ系をよくプレイしていて、ミスター・スクラフはクラブ・ミュージック以外にアリス・コルトレーンファラオ・サンダースといった純粋なジャズ・アーティストの作品もかけていたんです。彼がプレイした ファラオ・サンダースの “You’ve Got to Have Freedom” にとても衝撃を受けました。それからファラオ・サンダースを聴くようになって、そしてアリス・コルトレーンを発見して『Journey In Satchidananda』(1971年)を聴き、そこでスピリチュアル・ジャズというものに出会います。
 そして23歳のころ、リヴァプールからマンチェスターに移住しました。この時期のマンチェスターのDJシーンやミュージシャンのシーンがとても面白かったからです。とくに、マット&フレッズ・ジャズ・クラブに入り浸っていて、そこではザ・シネマティック・オーケストラのメンバーなど、シーンで活躍するアーティストが演奏をしていました。ミスター・スクラフも月に一度DJをしたり、ライヴ・シーンとクラブ・シーンをよく学べる環境でしたね。その時期に自分のレコードをつくってみたいという興味が湧いて、シーンで活躍している音楽家たちとレコードをつくるのですが、出してくれるレーベルが見つからず、結局は自分でレーベルを立ち上げてリリースするというかたちになりました。

なるほど。〈ニンジャ・チューン〉ではザ・シネマティック・オーケストラやミスター・スクラフの名が挙がりましたが、〈ワープ〉ではどのアーティストがお好きでしたか?

MH:ボーズ・オブ・カナダエイフェックス・ツインスクエアプッシャープラッド……そのあたりが中心でしたね。


Live Magic(恵比寿ガーデンホール)でのライヴ。Photo by Moto Uehara

サックス奏者のナット・バーチャルと組んだ初期の作品、ファーストの『Sending My Love』やセカンドの『Colour Yes』(2009年)などは、かつて英国ジャズの草創期に活躍したレンデル=カー・クインテットあたりを連想しますが、トランペット奏者のイアン・カーの影響もあるのでしょうか? 

MH:じつはレンデル=カー・クインテットの音楽と出会ったのは、それら2枚のアルバムをつくった後でした。きっかけはジャイルス・ピーターソンの『Impressed With Gilles Peterson』(2002年)というコンピレーションに収録されていたことで、それを聴いてイギリスのジャズ・ミュージシャンがモーダルなジャズをつくっていることを知ることができ、とても嬉しく思いました。

ナット・バーチャルやゴーゴー・ペンギンなど、マンチェスターのシーンで活躍してきたひとたちとあなたは深くつながってきました。いまでもロンドンに出ていかず、マンチェスターに根差して活動しているのはなぜでしょう?

MH:ロンドンの音楽シーンはたしかに盛り上がっているし、そこで成功しているひとたちもいっぱいいます。ただ、わたしとしてはイギリスのなかで、ロンドンだけでなく、ほかの場所に住んでいる才能あふれるミュージシャンたちをサポートすることを大事にしたいんです。友人や家族など、ほんとうに大切にしているひとたちもマンチェスターにいるので、ここで活動を続けています。

ロンドンだけでなく、ほかの場所に住んでいる才能あふれるミュージシャンたちをサポートすることを大事にしたいんです。

あなたはゴンドワナ・オーケストラを率いていることもあり、ソロ・プレーヤーとして活躍するよりもバンド・リーダーというか、サウンド・プロデューサーとして全体を俯瞰しながら音楽をつくっている印象があります。また、初期はインストの作品のみでしたが、途中からシンガーを交えて作品をつくることも増えていきました。仲のいい友人ミュージシャンとバンドを組むことからはじまって、アルバムを重ねるごとに編成も大きくなっていった印象ですが、この15年ほどでバンドがどのような変遷をたどってきたか、その過程を教えてください。

MH:まず、キャリアの初期のころは、マンシェスターの音楽シーンで活躍していたミュージシャンを自分のバンドでフィーチャーしていました。とくに自分が尊敬していた音楽家たち、たとえばナット・バーチャルやチップ・ウィッカム、ジョン・ソーン、あとザ・シネマティック・オーケストラのメンバーだったルーク・フラワーズとか、そういった方たちと一緒に演奏したいと思ったのがスタートでした。ただ、キャリアを積むことによって次第に、まだ名は知られていないけれど若く才能のあるミュージシャンたちをフィーチャーして、彼らにスポットライトを当てたいというふうに変わっていって、それに応じてメンバーの編成も変わっていきました。

あなたの作品にはハープがフィーチャーされることが多く、『Into Forever』(2015年)では日本の琴も取り入れていましたが、それら奏者はすべて女性ですよね。それによって……

MH:いや、じつは男性のハープ・プレイヤーもフィーチャーしたことがあるんです。『Oneness』(2019年)というアルバムがあって、そこで演奏しているのがスタン・アンブローズというハープ奏者で。同作には “Stan's Harp” という、彼をトリビュートした楽曲も収録されています。彼はリヴァプールのプレイヤーなんですが、病院で患者のためにセラピーとしてハープを演奏しているような、とてもスピリチュアルな方です。ただ、ご高齢だったこともあって一緒にツアーができず、ほかのハープ奏者を探したところ、イギリス北部に住んでいるハープ・プレイヤーはみんな女性だったので、おのずと女性をフィーチャーすることになりました。

なるほど。そうしたハープの導入などによりあなたの作品はアリス・コルトレーンやドロシー・アシュビーたちの作品と比較されることも多く、またあなた自身もアリス・コルトレーンのカヴァーやトリビュート曲を手がけたことがあります。あなたのサウンドの特徴でもあるハープですが、とりいれるようになったきっかけを教えてください。

MH:おっしゃるとおり、アリス・コルトレーンやドロシー・アシュビーの影響で、自分の音楽にもハープをとりいれるようになりました。ザ・シネマティック・オーケストラの『Every Day』(2002年)というアルバムでもアリス・コルトレーンがサンプリングされていて。それらがきっかけですね。あと、自分はメディテイション(瞑想)やスピリチュアルなライフスタイルにも興味があって、ハープのメディテイティヴな部分やピースフルな音色が、 自然と自分の音楽にも入ってきたんです。

いまお話に出た瞑想的な部分、メディテイショナルな側面はあなたの音楽の大きな特徴で、ゆえにスピリチュアル・ジャズと呼ばれることが多いかと思います。他方で、ロサンゼルスのカマシ・ワシントンやロンドンのシャバカ・ハッチングスのスピリチュアル・ジャズなどとは異なり、激しいフリー・ジャズのような演奏がされることはあまりありません。基本的にモード演奏をベースに、ときに静穏で理知的です。ご自身としては、自分の音楽についてどのようにとらえていますか?

MH:まず、わたし自身がリスナーでありミュージック・ラヴァーだと思っているので、そういった意識のもとで音楽をつくっています。その過程でピースフルな感じやメディテイティヴな要素が入ってくるのかな……トランペッターとしては、ほんとうに自分が信じるものを吹いているので、レコードに比べるとやはりライヴのほうが心から火がほとばしるような演奏ができるなと思います。ですが、やはりレコードやアルバムという作品のフォーマットを考えると、最初から最後まで楽しめる作品をつくりたいので、ソウルフルな要素や空間の広がりを感じさせる雰囲気、心が落ち着くような部分も大事にしています。


Blue Note Tokyoでのライヴ。Photo by Takuo Sato

ふだんリスナーとしてアンビエントやニューエイジもよくお聴きになるんですか?

MH:そうですね。エレクトロニック・ミュージックやネオ・クラシカルと呼ばれる音楽、もちろんジャズもそうなんですが、それらのなかにもアンビエントといえる音楽があると思います。たとえばジョン・ハッセルブライアン・イーノスティーヴ・ライヒニルス・フラームオーラヴル・アルナルズなど。そういった実験的な、アンビエントにつながるような音楽はよく聴きますね。

ジョン・ハッセルがお好きなのは、やはりトランペット奏者という点からでしょうか?

MH:たしかに、ジョン・ハッセルにはトランペッターという部分でも惹かれました。いま〈ゴンドワナ〉に所属しているポルティコ・カルテットというバンドにも、ジョン・ハッセルの音楽と通じるところがあります。わたし自身も彼らの音楽のファンですし、キャリアのスタートもおなじ時期でしたし、ポルティコ・カルテットのほうもジョン・ハッセルのファンとして音楽をつくっていたり、いろいろなつながりがあります。トランペッターで面白い音楽をつくっているアーティストがいると、いつも興味を持って聴くようにしています。たとえばDJ KRUSHの作品で、トランペット奏者の近藤等則と共作したアルバム『記憶 Ki-Oku』(1996年)がありますが、その演奏もすごく好きです。

近年の『Salute To The Sun』(2020年)や『An Ever Changing View』(2023年)といった作品では、自然界の音をフィールド・レコーディングで用いたり、カリンバやマリンバといったアフリカ由来の原初的な楽器を交えたり、より素朴で自然を感じさせる音を奏でる工夫が為されています。アンビエントや環境音楽に通じるところもあるわけですが、こうした自然や大地への回帰にはどのような意図があるのでしょう?

MH:先ほども言ったように〈ワープ〉が好きで、ボーズ・オブ・カナダなど、これまで聴いてきた作品のなかにフィールド・レコーディングをとりいれているものがあって、それがきっかけですね。ジャズというジャンルではフィールド・レコーディングの手法をとりいれたものが少なかったので、挑戦してみたという理由もあります。また、わたしがフィールド・レコーディングをした場所は、自身が作品を書いた場所でもあるので、リスナーの方に自分が作品を書いたのと同じ場所に一緒に入って楽しんでほしい、という意図もあります。

ジャズというジャンルではフィールド・レコーディングの手法をとりいれたものが少なかったので、挑戦してみたという理由もあります。

この度、ベスト盤の『Togetherness』がリリースされています。これまでの活動を振り返ってみて、どのように感じていますか?

MH:これまでの活動を振り返ってみて、自分がいまここにいられることをほんとうに嬉しく思っています。キャリアにおいては、自分と楽曲との物語がもちろんあるわけですが、いろんなひとに「この曲を聴いて、こう感じたんだ」といったようなエピソードを聞かせてもらうと、「自分の音楽がひとを助けてきたんだな」ということを実感できて、ほんとうに幸せです。それと、日本に来て演奏することも、ずっと願ってきたことだったんです。じつはファースト・アルバムを出す2008年よりも前の、2003年に初めて日本を訪れたことがありました。自分の音楽キャリアがはじまるずっと前から、日本で演奏したいと考えていたんです。だから、ベスト盤を日本で出してライヴまでできるということはほんとうに大きな成果だと思っています。

今回のベスト盤には10曲が収録されていますが、核になっているのは実質的に4枚のアルバム、『Colour Yes』(2009年)『Fletcher Moss Park』(2012年)『Into Forever』(2015年)『An Ever Changing View』(2023年)からの曲ですよね。この4枚が中心になった理由を教えてください。

MH:今回のベスト・アルバムの選曲をするにあたっては、たんにひとつのアルバムから1曲を選ぶのではなく、通しで聴いたときに自分のキャリアにとって大事だった時期と、自分がつくってきた「ある音」を象徴するような1枚にしたかったので、どちらかというとDJ、プロデューサー的な脳が働いて、どうやったらフロウ(流れ)をつくれるのかということを意識して選曲しました。もちろん、去年リリースした『An Ever Changing View』からも選曲したかったし、『Fletcher Moss Park』も自分のキャリアにおいてもっとも成功を収めたアルバムだったので、そこからも選曲したくて。そういうことを考えつつ、あとは流れをつくるために、この4枚からの選曲になりました。

とくに思い入れの深い曲はありますか?

MH:1曲選ぶとしたら “Together” ですね。15年前にリリースした楽曲で、今回のコンピレーション・アルバムのタイトルにもつながりますが、「together」ということばに「unity」や「peace」といった意味も込めてそう名づけたんです。15年経ったいま、そうした世界平和にもつながるようなメッセージがより大切に感じられるようになってきていますよね。それと、ライヴでこの曲を演奏するときに、オーディエンスと自分がおなじ空間のなかで音楽を楽しめるように、という意味もあります。いまでもこの曲を演奏すると、ピースフルな雰囲気だけでなく、観客からの熱気や喜びも感じられて、自分とオーディエンスのつながりを深く感じられるんです。あと、これは余談ですが、この曲は『Colour Yes』に入っていて、そのアルバムは以前一度リイシューしているんですが、そのタイミングでこの曲がプレイリストに入って、より多くの方に楽しんでもらえるようになりました。だから自分のキャリアのなかでもっとも成功した1曲と言ってもいいと思っています(笑)。

最後に、あなたの音楽を聴いているリスナーに向けて、メッセージをお願いします。

MH:ほんとうにみなさんのサポートに感謝しています。こうして日本で記事が出るということもほんとうに嬉しく思いますし、自分の音楽がこれからもいろんなひとたちとつながっていくことで、また日本に来て演奏できることを楽しみにしています。

Shinichiro Watanabe - ele-king

 『カウボーイビバップ』や今年20周年を迎えた『サムライチャンプルー』といったアニメ作品で知られる渡辺信一郎監督。その最新オリジナル・アニメ『LAZARUS ラザロ』(制作:MAPPA)が2025年に放送&配信開始されることがアナウンスされている。脱獄が趣味だという主人公アクセルが特別なエージェント・チーム「ラザロ」に合流し、メンバーらとともにある人物を探索していく物語だ。人類滅亡の危機が訪れるという点では、別エレ最新号『日本の大衆文化は「なぜ」終末を描くのか』ともリンクする面があるかもしれない。
 むろん、これまでも音楽に強いこだわりを示してきた同監督である。音楽にもそうとう気合いが入っている。スコアを手がけているのはカマシ・ワシントンボノボフローティング・ポインツという強力な3組。これは見逃せないでしょう。さらなる詳細について、続報を待ちたい。

アニメ『LAZARUS ラザロ』作品概要

【放送・配信表記】
2025年放送・配信予定(全13話)

【イントロダクション】
西暦2052年。
世界はかつてない平和な時代を迎え、脳神経学博士スキナーの開発した鎮痛剤「ハプナ」が大きく貢献していた。
副作用がない「奇跡の薬」として世界中に広まり、人類を苦痛から解放したハプナ。
しかし、その開発者であるスキナーは突如姿を消し、その行方は誰も知らなかった。
――3年後、彼は世界を破滅に導く悪魔として再び現れる。
ハプナは服用者を3年後に発症させ死に至らしめる薬で、仕掛けられた罠だった。
「あと30日。それまでに私の居場所を見つけだせば、人類は生き延びられる。」
スキナーが持つたったひとつのワクチンを使用するしか、助かる道はない。
そして、これが欲しければ私を見つけ出せと言う。
スキナーの陰謀に対抗すべく、世界中から集められた5人のエージェントチーム「ラザロ」。
彼らは、人類を救うことができるのか?
そしてスキナーの真の目的とは――?

監督に、渡辺信一郎(『カウボーイビバップ』)、キャラクターデザインに林明美(『BANANA FISH』)、アクション監修にチャド・スタエルスキ(『ジョン・ウィック』)、制作にはMAPPA(『呪術廻戦』『チェンソーマン』)、 企画プロデュースにSOLA ENTERTAINMENT(『ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い』)、Kamasi Washington/Bonobo/Floating Pointsが音楽で作品の世界をよりスタイリッシュに華を添え、国内外のクリエイターたちがタッグを組み、迫力のアクションと、緻密なドラマを描く。

【スタッフ】
原作・監督:渡辺 信一郎
アクション監修:チャド・スタエルスキ(87Eleven Action Design)
キャラクターデザイン:林 明美
コンセプトデザイン:ブリュネ・スタニスラス
美術監督:杉浦美穂
色彩設計:田辺香奈
画面設計:坂本拓馬
撮影監督:佐藤光洋
音楽:Kamasi Washington/Bonobo/Floating Points
音響効果:Lauren Stephens(Formosa Group)
アニメーションプロデューサー:松永理人
制作:MAPPA
企画プロデュース:SOLA ENTERTAINMENT

【キャスト】
アクセル:宮野真守
ダグ:古川 慎
クリスティン:内田真礼
リーランド:内田雄馬
エレイナ:石見舞菜香
ハーシュ:林原めぐみ
アベル:大塚明夫
スキナー:山寺宏一

【WEB】
●HP:https://lazarus.aniplex.co.jp/ 
●X(Twitter):https://x.com/lazarus_jp

fyyy - ele-king

 暗闇で万華鏡を覗き込む。何も見えないが、何かが蠢いている。少し、手を伸ばしてみても届かない、そこには実体がないようだ。『Hoves』の手触りはそんな感覚に近い。出鱈目に発した言葉で成る、スクリューされたアシッド・フォーク、サイケデリック歌謡とでも言おうか。その音像は何重にもベールを纏っている。

 fyyy はサイケデリック・ロック・バンドのベーシストをやりながら(現在は所属していない模様)、宅録を個人的な記録や実験の場として長年続けてきた人物のようだ。今回の名義で音源を出しはじめたのはここ最近のこと。レーベル〈造園計画〉の主宰であるバンド、帯化の島崎森哉が Twitter のプロフィールに貼られていた SoundCloud で本作を発見し、リリースする運びになったという。インタヴューによると、過去には架空のレーベルをでっち上げて適当なドローンをアップしていた時期もあるというが、そのレーベル名は明言されていない。何にせよ、できた偶然によって、『Hoves』はおおやけに姿を表すことになった。

 ルールに沿うことで歪な形になった創作物が好きだという fyyy は、その嗜好性をアルバムに反映させている。bpm は50以下で、一曲のなかで展開はひとつのみ。歌をトラックに重ねるときに出てきたものを歌詞として用いる(寝る前の習慣であるしりとりが終わらず不眠に陥ったことがあるとのことなので、おそらく他にもまだあるだろう)。こうした制限により、アルバム全体が儀式的な陶酔に覆われている。
「なえたろ 靴をびたたたがた をわをつる きやか(Kiyaka)」喃語にもちかい歌には、居場所を失ったような感覚を誘発される。架空の言語であればコンセプチュアルで片が付くものを、それまではギリギリ意味が通る日本語が耳に入っているのだから。どこでもないどこかを思わせる、ジョン・ハッセルに端を発する空想民族音楽のような雰囲気すらある。何も言葉だけではない。スローすぎるがゆえにドローンのように響くギター、歌謡曲を取り入れたサイケデリック・ロックに傾倒していたことによるオリエンタルなメロディ。得意ではないというギターに合わせたためにまばらに立ち上がる打楽器。何かしらを経由した意図しない形で、空想民族音楽らしきものが浮かび上がってくる。宅録というパーソナルな表現方法であるために入り組んだあらゆる要素が、この作品にさまざまな角度から歪さをもたらしている。

『Hoves』は音響作品としても聴くことができる。今作から自分が連想したのは、各地の民族音楽を飲み込んでは吐き出すオルタナティヴ・ユニット、サン・シティ・ガールズのラスト作『Funeral Mariachi』、言わずと知れた音響アシッド・フォーク作品を残すサイモン・フィンだった。本人が今作の影響源として挙げているのはニュートラル・ミルク・ホテル『In the Aroplane Over the Sea』とザ・マイクロフォンズ『The Glow Pt.2』。一筋縄ではいかないサウンド・プロダクションが施されているという一点で、上記の作品は共通している。今作においては、特にM2 “CYCLOPES?” を聴けばそのサウンドの美しさに魅了されるだろう。換気扇の音のようなホワイト・ノイズと、目の前で振動するようにパンをふるベース音のうえで「不安だな 新しい船を頭から」という歌が繰り返される。進んでいくごとにホーン、チリノイズ、シンセによるドローンが浮かんでは沈み、つねに新しい景色が音とともに込み上がってくる。サウンドの美しさが、歪なこの作品にメディテーティヴな感覚を誘発し続けている。

 ところで、これは個人的な話だけど、部屋でひとり適当なメロディを口ずさむことがよくある。意味のないリズムを刻み、何も示唆しない寓話をでっちあげる。そんな遊びが脳を休めるのにいいのだと思う。そして『Hoves』を聴いているとき、そういった生活に地続きな遊びを眺めているような気分になった。日常との距離の近さもこの作品には潜んでいる。万華鏡の先で蠢いているのってもしかして自分自身だったのかも。

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