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ブルース・スプリングスティーンの"ボーン・イン・ザ・USA"が共和党のキャンペーン・ソングに使われた話は有名で、村上春樹も音楽エッセイのなかで彼ほど誤解を受けたロック・ミュージシャンもいないみたいな同情的なことを書いていたが、しかし考えてみれば、"ボーン・イン・ザ・USA"に政治的な曖昧さがあるのも事実で、その曖昧さを作ったのは当たり前の話、スプリングスティーン自身である。
レディー・ガガといえば、周知のように欧米のみならず日本においても断トツのセールスを有するミュージシャンであり、スタジム・ロック/アリーナ・ミュージックの女王の座に堂々と君臨している。そればかりか、あの小山田圭吾までもが彼女プロフェッショナリズムを賛辞するほど、ある層からは確実に、絶大な評価を受けている時代のヒロインである。コーネリアスが小野洋子のバック・バンドとしてアメリカ・ツアーをしているとき、RZAなんかといっしょにやって来て同じステージに上がったそうで、つまり、同じアリーナ・ミュージックの女王クラスと言えるであろうリアーナなんかとはそこが違う。良くも悪くも、リアーナは別の場所にいる。
レディー・ガガにとって3枚目のアルバムとなる本作を聴いていると、僕は"ボーン・イン・ザ・USA"を思い出さずにいられない。知らない人がいないほど大ヒットしているタイトル曲の"ボーン・ディス・ウェイ"はこういう歌い出しからはじまる。「どっちを愛してもいい 彼でも 神でも」、そしてこのモダンなエレクトロ・ポップ・ソングは、歌詞のうえではこのように盛りあがっていく。「ドラッグ・クイーンじゃなくてクイーンになればいい/あなたが貧乏でも 恵まれていても/黒人でも 白人でも ベージュ肌でも インディオ系でも/あなたがレバノンに生まれても 東洋系でも/人生で障害を負って/仲間はずれにされて イジメられて からかわれても/今日いる自分を愛して そしてお祝いして/だってベイビー あなたはこの運命のもとに生まれてきた」
ガガのやろうとしていることは"アメリカ的なるもの"の更新である。本国における彼女への熱狂ぶりには、彼女の成功物語やその活力への憧憬に対するもの以上の何か大きな力を感じるが、それはアメリカ的ファンタジーへの熱狂ではないかと作品を聴いていると思えてくる。"ボーン・ディス・ウェイ"とは"やればできる社会(can do society)"、言うなれば民主主義におけるある種の理想主義的声明なのだ。
"ヘアー"というバラードも興味深い。「クールにお洒落する度に親に怒られる」という歌い出しではじまるこのバブルガム・ポップを気取った叙情詩は、「わたしは髪/髪のように自由/わたしでいたいだけ」と繰り返しながら、自由の美徳を強調している。それは誰の耳にも女性の自由の主張に響くにい違いない。が、しかし、たとえば"ボーン・ディス・ウェイ"にはその民主主義がどうして弱い者いじめの政治になっているのかという疑問が抜け落ちているように、"ヘアー"の自由賛歌においても、それが新しい自由主義とどう違うのかという記述はない。彼女の音楽と同様に、ある一線を越えることはないのだ。
それではアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』は大雑把な作品なのかと言えば、違う。曲は単純でも歌詞は複雑で、「アメリカ社会のパノラマを反映している」と評している人がいるように、ガガは現代アメリカの複数の場面を実に手際よくいくつかのトピックにまとめている。
"アメリカーノ"で彼女は移民文化についてのロマンティックな弁証法を試みている。それは英語の話せない不法滞在者のラヴ・ソングであると同時に、反抗のファンタジーとしても展開している。"シャイセ"という曲ではアメリカで暮らしながらドイツ語しか話せないドイツ人女性の苦悩をドイツ語で歌ってみせる。こうした曲から滲み出ているのは、いわば中産階級的なリベラル、ガガのアメリカ的なる寛容さへの強い思いであり、フェミニスト・アートと呼ばれるものへの情熱だ。
すべての曲を通して多様な女性が歌われている。孤独な女性、彼氏を愛せないことに悩み、彼氏の耳にコンドームを要求する女性、嫌な女で負け犬であることを自覚している女、ブラジャーを旗に強くなろうとする女性など、とにかく彼女たちは微妙に逸脱し、苦しみを抱え、伝統主義のなかでもがいている。しかし彼女たちは最終的には道徳的で、結論を言えば前向きに未来を見ようとしている。その前向きさはガガのポップ・ダンスと相まって、すさまじい上昇を描く。「私は勇敢に空しさと戦い、勝者となる」、これはアルバムの最初の曲"マリー・ザ・ナイト"の一節である。彼女がローザ・パークス的ではなく、騎士道的であることがよくわかる。
ほんの数年前までは、民主主義における理想を歌うアリーナ・ミュージックは男性ロック・スターの専売特許だった。そういう意味ではガガはきわめて今日的な存在だと言えるが、彼女への評価を、彼女が啓蒙する民主主義に見ていいのだろうか......というところで僕はひっかかっている。彼女のデモクラシーが世界中で売れているさなかにドレイクは弱々しく内省を歌い、そして20歳のタイラー・ザ・クリエイターは「良心が俺の肩から飛び降りて死んじまった」とゲロを吐きながらラップして、最後には「もう死んでみせるよ」とつぶやいている。レディー・ガガの「人生をあきらめない」という歌とはまったく逆に、男は泣き、絶望し、嘔吐し、首を吊っている(とほほほ......)。そしてガガの表現する寛容さと"ヨンカーズ"がなかば強引に問うているであろうそれとでは著しく違っている。いったいどちらが行き詰まった政党政治に加担しているのだろう......というか、男は本当に弱っているというのに、彼女たちときたらアメリカにはまだ力があるんだと言わんばかりに輝いている。自由の女神がエレクトロで踊っても誰も驚かないだろう。
野田 努