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Shotahirama

ElectronicNoise

Shotahirama

post punk

Signal Dada

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デンシノオト   Feb 03,2014 UP

 断言しよう。2014年、最初の衝撃である。本作によってわたしたちの耳はモード・チェンジした。

 痙攣と震動が同時に生成する。耳と肉体が感電する。震える。驚異的な現象としての音響=音楽の炸裂。メロディはない。リズムはつねに変化する。変化、持続、切断、生成。そして震動。これらはまるでショータヒラマのライフ=人生そのもののように感じる。彼が生きている、暮らしている、聴こえている、触れている、震動している、そして感じている、ラヴとヘイトに満ちた世界のありようが、この電子音にたたみ込まれている。この快楽的で痺れるような電子音の震動は、一人の音楽家が体験する瞬間や衝動だ。それはストリートの光景や音のように刹那に通り過ぎていく音=ドキュメントでもある。電子音楽、電子音響、パンク、ビート、リズム。鼓動。つまり生きているということだ。ライフ・ミュージック・オブ・サウンド!

 このショータヒラマの3枚めのアルバムのタイトルは『ポスト・パンク』と名づけられている。これまでも『サッド・ヴァケイション』、 デュサレイ・アダ・ネキシノとのスプリット・シングル『ジャスト・ライク・ハニー』など、パンク以降のロック史上の名作を思わせる名前が付けられていたが、それらは単なる引用ではないはずだ。歴史と個人史が交錯する地点がそこにあったから、そう付けられていたとわたしは理解している。

 とすると、この『ポスト・パンク』もまた、ポスト・パンクという単語から思い浮かぶであろう、あれやこれやのアーティストやアルバムやそれやこれやの歴史的事実を、いちど、知った上で忘却してしまった方がいい。そう、何より、2014年の「ポスト・パンク」なのだから。

 事実、この音を耳にした者は誰しも直感的にその事実を理解するだろう。高速で流れ行く音の光景。ノイズとビートの瞬時的な変化と生成。その音響は聴く者に、中毒的な耳の快楽をひきおこす。弾け飛ぶビート。脳髄に直撃するノイズ。すべてはその瞬間に生成し、打ち抜き、変化を繰り返す音の運動だ。わたしたちは、そのサウンド・マッサージを鼓膜に浴びる。

 これらはまるで、流れ行くストリートの光景や音を、電子音響にトランスフォームした音の姿だ。そしてショータヒラマはそれらの音を極めて肉体的なリズムで「演奏」してみせている、この痙攣、この震動、このリズム、この運動、この衝動は、ショータヒラマの体から湧き出るリズム=衝動そのものではないか。

 わたしは、ここに、ショータヒラマがこれまでのアルバムで実験を繰り返してきたフィールド・レコーディングとサウンドのコンポションに対する大きな跳躍を感じた。音を採取し加工しマッピングするようにコンポジションすることを通じて作品を生み出してきた彼は、本作において、自身の内にあるリズム/ビート/衝動を、楽曲に注入し、自身の作品のアップデートを図ったのではないか、と。もちろん、前作『ジャスト・ライク・ハニー』で既にその兆候を聴き取ることはできる。そう、既にビートが導入されているのだから。だが、本作の跳躍はさらに圧倒的なのだ。

 曲を再生する脳内を飛び散るようなビート。それは接続と変化の中で音の姿を変えていく。そのコンポジションのみならず、音色の素晴らしさは筆舌に尽くし難い。乾いた、しかし、物質的な手触りを感じさせる音の粒が耳を刺激する。そこに透明で純度に高い透明な層のような電子ノイズが次々にレイヤーされ、聴く者を痺れさせていくのだ。音響は次々に変化し、一度や二度聴いただけでは全体を把握することが不可能なほどの驚異的な音響密度。

 この震動と痙攣と圧縮感覚は、まるでアート・リンゼイ、イクエ・モリ、ティム・ライトらによるDNAの痙攣的にリズム/ビートの遺伝子を引き継ぐかのようである。昨年、イクエ・モリのツアーに同行し、衝撃的なライヴを披露したというのも納得である(ちなみに初回特典のCD-Rには、イクエ・モリ・ツアーでのライヴ・トラックが収録されている。ライヴらしい躍動感のみならず、アルバム・ヴァージョンにはないエレクトリック・ギターまでもが導入されている! これがまた最高・最強のトラック。クールな熱情がみなぎっている。なくならないうちに購入されることをお勧め)。

 だが、わたしはここであえて歴史の焦点を絞ってみたい。グリッチ・ミュージックとの接続である。例たとえば90年代中盤以降から00年代頭にかけてグリッチ・ミュージック創世に尽力したレーベル〈メゴ〉は、ラップトップ・コンピューターによる電子音のエラーを積極的に活用していくことで、テクノ以降の電子音楽のパンク化を実現した。ここに壊れた音(電子ノイズ)の快楽と摂取が実現したのだ。たとえばピタのアルバム『セブン・トンズ・フォー・フリー』(1996)、『ゲット・アウト』(1999)、『ゲット・オフ』(2004)などを本作を聴いたあとに聴いてみてほしい。(ポスト・)デジタル・ミュージックの清冽さと、エラーを活用する「失敗の美学」を聴きとることができるだろう。

 ショータヒラマは、そんなグリッチ以降の電子音響の歴史をアップデートしようとしている。グリッチは電子音響のパンクであった。ゆえに本作はポスト・パンクとはいえないか。何が違うのか。デジタル・ミュージックに、自分の衝動と人生と震動と鼓動と視覚と聴覚をすべて電子音に畳み込もうとしているからではないか。それは理屈ではない。コンセプトでもない。一種の衝動である。その衝動=震動が織り込まれた電子音楽/音響として生成すること。そしてそれを2014年的な圧倒的な情報密度で作品化すること。つまり衝動と密度の多層的生成。いや、もともと彼の音楽にはそのような驚異的な圧縮/解凍感覚があったのだ。ゆえに収録時間が20分程度で十分なのだ。織り込まれた音の情報や層がクロノス時間を越えている。時間が縦に圧縮されている、とでも言うべきか。

 断言しよう。本作はショータヒラマが成しえた驚異的な音響的達成の成果であり、最高傑作である。聴くほどに耳と脳が震える。聴くほどに音を求める。アディクトとコンポジションとインプロヴィゼーションの彫刻=超克。驚異的な情報密度の圧縮と解凍。「聴く=効く」の交錯。まさに電子ノイズ・ビート・ミュージック・サウンドの全く新しいカタチである。

 繰り返そう。本作は、2014年、最初の衝撃である。さらにこうも言い換えよう。本作は、最後からはじまる最初の挑戦でもある、と。そして、本アルバムの名前として付けられた言葉を、もう一度、つぶやいてみよう。そう、「ポスト・パンク」と! わたしたちは、みな「以降」の時代を生きている。だが、衝動や衝撃や震動は収まることはない。世界に音が満ちており、ストリートの光景や音も終わることなく、わたしたちの耳から記憶に刻み込まれているのだから。生きていること。つまりライフ・ミュージックだ。本作は電子音楽/電子音響がライフ・ミュージックであることを堂々と告げている傑作である。

デンシノオト