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bod [包家巷]

Experimental

bod [包家巷]

Limpid Fear [清澈恐惧]

Knives

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デンシノオト   Sep 06,2018 UP

 ダブステップ/グライムの異才、ヴェックストのクエドとジョー・シェイクスピアによって主宰・運営される〈プラネット・ミュー〉傘下の〈ナイヴズ〉は面白いレーベルだ。
 2015年にリリースされたジェイリン『ダーク・エナジー』も〈プラネット・ミュー〉と〈ナイヴズ〉の共同リリースだったし、2017年にリリースされたベルギーのオブサクゥイズ『オルガン』もロマン主義的なダーク・ミュジーク・コンクレートで、興味深いアルバムに仕上がっていた。
 ベース・ミュージックからモダンなミュジーク・コンクレート作品へ。ダブステップ/グライム世代である彼らが時代の音を追い求める過程で、サウンドやコンポジションが次第に抽象化し、複雑かつ流動的なミュジーク・コンクレートの音響へと至った点は非常に興味深い。
 00年代末期から10年代初頭のアンビエントの時代を表すキーワードを「融解/溶解」とすると、10年代後半のヴェイパーウェイヴ以降のミュジーク・コンクレート・テイストの音響作品は「流動/状態」ではないか。ここでは、そのような「流動/状態」の象徴的な作品として、〈ナイヴズ〉からリリースされた bod [包家巷] の新作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』を捉えてみたい。ちなみにレーベル初のカセット作品でもある。

 bod [包家巷] は、LAを拠点に活動するアーティスト、ニック・ヂゥーのプロジェクトである。これまで2016年にニューヨークの〈パステル・ヴォイズ〉から『オーケストラ・オブ・ザ・フローズン・ステート[冰国乐队]』、2017年にロサンゼルスの〈ズーム・レンズ〉から『ピアノ・コンポジションズ[钢琴组成]』をリリースしてきた。そのオリエンタルなムードと電子ノイズをミックスさせる手法によってヴェイパーウェイヴ以降ともいえる独自の奇妙さを称えた音響作品を制作している。

 本作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、ニック・ヂゥー・サウンドの集大成に聴こえた。中華的な音楽モチーフと尖ったノイズの交錯は高密度かつ高精度にコンポジションされ、認識がクラッシュしたようなエクスペリメンタル・ポップネスを生むことに成功している。
 彼のルーツでもある中華的なサウンドと西洋音楽的なハーモニーに、10年代的なジャンクなサウンドコラージュとクールな電子音が交錯することで、フェイクともリアルとも区別のつかない新・電子音楽空間を生成しているのだ。だからといって、全体を包み込むオリエンタルなムードに「文化搾取」という感じはまるでしない。エドワード・サイード的な「オリエンタリズム」が希薄なのである。さらにはリドリー・スコット『ブレードランナー』(1982)やウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984)などの80年代的なサイバーパンクの音響=イメージ的な反復でもない。
 「オリエンリズム」に回収されないオリエンタリズム。なぜなら末期資本主義の時代においては、さまざまな局面において、欧米的な世界にアジア的なものが大きく流れ込み、諸々のイメージの固定化が覆され、価値と意味が刻々と変化し続けるからだ(ハリウッド映画における中国資本の大きさを挙げるまでもなく)。さまざまなフェイクや情報が水のように流動化し、次の瞬間には無効化する時代なのである。となれば欧米中心の音楽地図が、一部の状況に過ぎないというのも、現在の音楽リスナーであればいとも簡単に気がついてしまう事実だろう。

 『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、そんな時代のムードを称えた現代的なミュジーク・コンクレート・サウンドである。そこに漲っているのは接続への意志というより流動的状態への生成変化だ。自然というより完全に人工的、川や海というより水槽的な音響とでもいうべきか。管理された人工性の希求。それと相反する世界の流動化。水槽への隔離。快適と管理の希求。異物の侵入への恐怖。本作は、まさに現代ならではの多様性とフェイクとホラーが混濁する独自のムードを醸し出している。
 だが、しかし、ノイズは鳴る。水槽の外は想像できないにもかかわらず、である。それは他者への恐怖からかもしれない。現代において不安は存在論的不安ではない。そうではなく水槽の中における他者への不安である。このノイズは閉ざされた世界で自身の身に危険を与える恐怖の表象ではないかと思う。つまり暴力への恐怖だ。暴力は認識や知覚をクラッシュさせる。ニックの音楽はそのような認識の崩壊と再生成を、サウンドのミックスによって往復していく。まるで中国からアメリカへと至ったその人生のように。クロアチア出身のメディア・アーティストの Tea Stražičić と、Jade Novarino の書道による世界認識のクラッシュのようなアートワークも、作品/人生の世界観をうまく表現している。ホラー的なのだ。

 本作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、カセットのA面とB面にそれぞれ1曲という長尺2曲の構成だが、まるでミックス音源のように音は変化し続ける。高音域の電子ノイズも耳に気持ち良い。ラストは天国に昇るような電子音のアルペジオが鳴り響き、唐突に終焉を迎える。このアルバムには快適さと異物への恐怖が共存しているが、この終焉は恐怖の浄化かもしれない。
 この猛暑の8月、私はひたすら本作を聴いていたがいまだ飽きない。2018年の無意識にアクセスするような心地良さを感じたのだ。私は空調も空間も見事に管理された巨大な商業施設を彷徨っている感覚になった。快適であり、文化の行き着く先である。モノ・コトが、無数の商品となり、陳列され、断片化し、流動化する。消費社会の到着地点である。そこを泳ぐように放浪・浮遊することは、どこか水槽の中を浮遊する魚のようだ。巨大な商業施設=モールは水槽である。つまりは快適に管理された自由ともいえる。この場所では大きな物語性は消失したが、商品化(断片化)した物語にアクセスすることはできる。巨大な商業施設=水槽の中を泳ぐ魚のように放浪するのは、そういった断片的な「物語」にアクセスするためではないか。

 あらゆる権利を無化するようにネット上の画像や動画、音楽などをコピーする21世紀のアナーキズム音楽であるヴェイパーウェイヴもまたそのような消費世界の残滓としての「物語」にアクセスする聴取感を持っている音楽に思える。それは現代的なノスタルジアだ。そのような瀕死のアナーキズムとノスタルジアは、欧米的なものからの脱却のようにアジア的な流動的世界感へと合流していく。
 例えば2814『新しい日の誕生』(2015)、『レイン・テンプル』(2016)をはじめとするロンドンの〈ドリーム・カタログ〉の音楽が、この現代において魅力的に聴こえるのは、『ブレードランナー』や押井守監督(原作・士郎正宗)『攻殻機動隊/ゴースト・イン・ザ・シェル』(1995)などのカルチャーのリヴァイヴァルだからではない。
 そうではなく、2814のような音楽は、この20世紀的な物語がデータ化した現代という時代において、「物語的なるもの」を感覚するためには、ただひたすらに断片的なイメージ(音)を摂取するしかないということを明確に示しているのである(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは〈ワープ〉以前の作品からそうであった)。それらを彩る日本のアニメ的かつアジア的なアートワークも断片化した世界認識へのアタック/グリッチ効果をもたらすものであり、20世紀のオリエンタリズム的批判意識を壊してしまう。そして80年代的なシンセ音楽もまた10年代的な音響工作によって時代性や歴史性への遠近法を狂わす。
 ここでは「物語」はすでに断片=残骸に等しい。そう考えるとメルツバウ『パルス・デーモン』がヴェイパー系のレーベル〈Bludhoney Records〉からリイシューされたのも当然だった。メルツバウこそ資本主義の残滓によって資本主義社会がもたらす雑音に抗ったノイズ/ミュージックの祖なのだから。

 ともあれ、ヴェイパーウェイヴはインターネット空間の中にある物語=残骸(画像であっても動画であっても音楽であっても、物語の欠片である)をコピーし、エディットし、レイヤーし、コンポジションすることで20世紀の残滓を21世紀的なモードに切り替えた。ノスタルジアがアナーキズムに行き着くのは、サンプリング時代であった90年代といっけん近いようでありながら、ここでは「終わったもの」が違っている。
 「彼ら」は終わったものが何かを分かっている。だが、もはやどうすることもできない。突破の手口はあらゆる方面から閉ざされ、資本主義は疑うこともできない闘争の前提条件になってしまったからだ。ゆえにヴェイパーウェイヴがシニシズムに満ちているのも当然といえる。そして日本的/アジア的なイメージを借用するのも、欧米的なそれとは違うアジアの非弁証法的な資本主義的世界観=流動性から抵抗を試みようとする無意識の発露かもしれない。
 その意味でドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』(2017)もヴェイパーウェイヴやインダストリアル以降の同時代的な表現といえる。『ブレードランナー2049』のイメージや物語はすべてオリジンを欠いたコピーのコピー(のコピー……)である。物語消失以降の世界における芸術=物語=人間へのアクセスをめぐるアートであった。また、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの新作『エイジ・オブ』も同様の表現に思える。いわば後期フィリップ・K・ディック的なサイケデリックな認識崩壊的な感覚は、現在はこういった作品たちに継承されているのかもしれない。人間の終わり、世界の不穏化の意識と表象……。

 この bod [包家巷] 『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』にも、そのような「以降の世界」における人間の意識パターンと、その崩壊から再認識へと至る過程を聴き取ることができた。
 ミックス音源経由のミュジーク・コンクレート的音響の生成とでもいうべきものだ。それは音楽文化の残滓の蘇生でもある。過去の借用と盗用のインターネット時代のアナーキズムでもある。それゆえの80年代から90年代初頭の電子音楽の借用でもあった。われわれは水槽を泳ぐ魚のように断片化した物語にアクセスするだろう。そこでは暴力の記憶もある。それゆえのノイズが生成だ。同時に「アジア的なもの」が流動化してもいる。流動化と閉塞。水の中に融解するように変わる世界と突破できない無力感。出口を求める感覚。それゆえに生まれる強いエモーション。
 本作は、いわば流動/状態と情動/生成の同時接続としての新・電子音楽、つまりは「エモ・コンクレート」だ。ここに21世紀前期の無意識があるような気がしてならない。未聴の方はぜひ聴いて頂きたい。


デンシノオト