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「こうしてまた、かき集められる声とともに」木津毅
『Stray Dogs』というタイトル、そして岡田喜之による少年と犬が向かい合う可愛らしいイラストに僕はなんだか『犬ヶ島』を連想してしまったのだけれど、たしかに『Stray Dogs』はウェス・アンダーソンによるストップモーション・アニメのような愛らしい見た目と人懐こさ、茶目っけと温かみに満ちたアルバムだ。『兵士A』のような緊迫感やシリアスさはずいぶん和らぎ、怒りを堪えることができなかった七尾旅人そのひとの歌う姿を息を呑みつつ見つめなくても、寒い日の午後に紅茶でも飲みながら聴くこともできるだろう。が、あるいはこうも言えるかもしれない――『Stray Dogs』は、その柔らかく優しい感触とともに、この国や世界で起こっていることに想像を巡らせさせるようなアルバムである。その言葉とメロディ、音に耳を澄ませば、縦横無尽に繰り広げられる架空の冒険が待っている。それはどうしようもなく、僕たちが暮らす過酷な現実世界と結びついている。
そういえば『犬ヶ島』の主人公は、野良犬(Stray Dog)だった。それまで誰にも心を開かなかった野良犬チーフは、少年アタリと暴走する権力と闘うための冒険をしているうちに彼との絆を育んでいく。僕はだから、あの映画はチーフが「thank you」とアタリに伝える声を聞くためのものだと思っている。ブライアン・クランストンによる、あの低く深い声。もちろん現実では犬の声を聞くことは僕たちにできない。だが想像のなかでなら、耳を澄ませば、もしかしたら聞こえてくるのかもしれない……。「野良犬」というのは、もちろんボヘミアンたる七尾旅人の生き方を表した言葉であるだろう。と同時に、僕には声を持たない人びとのことだと思える。七尾旅人は、世界に散らばった彼らの小さな声を懸命に拾い集めようとしている。ビリオン・ヴォイシズ。それをある種のファンタジーやフィクションに仮託して物語ること。だから、『Stray Dogs』はまったくもって『兵士A』の続きの地平で鳴っている。
アルバムは、七尾旅人が20年でそうして集めてきた「声たち」とともに積み重ねてきた音たちをコレクションしたものだ。初期からの弾き語りフォーク、『billion voices』以降に顕著なソウルを中心としたブラック・ミュージックからの影響、いくらかのシンセ・ポップ、ギター・ポップ、ジャズ、ヒップホップ、エレクトロニカ、それに童謡。それらは少し悪戯っぽくとっ散らかりながら、しかし彼らしいチャーミングなメロディと少年性を残した声によって統合されていく。なめらかなアコースティック・ギターの演奏とシンセが重ねられる“Leaving Heaven”はあまりにも「らしい」オープニング・ナンバーだし、強めの打ちこみビートとエフェクト・ヴォイスが炸裂するエレクトロ・ポップ“Confused baby”には少し面食らうけれど、歌が入ってくれば変わらぬ愛嬌に微笑まずにはいられない。なんだかんだ言って、七尾旅人の歌はどんな装飾をしようとその芯でこそ聴き手の心をわし掴みにする。
だから、たとえばヘリパッド建設問題で揺れる沖縄・高江で録音したと知らなければ、“蒼い魚”が政治的な歌だとは気づかないかもしれない。シンプルな言葉と強いメロディに支えられた美しいフォーク・ナンバーだ。僕たち聴き手はただ陶然とすることもできる。が、かすかに注がれる沖縄の音階と波の音、それに「泣かないで 泣かないで 蒼い魚はまだ泳いでいる」という言葉の意味をじっくりと考えてみれば、そこに沖縄で暮らす人びとの声や想いが重ねられていることがわかる。ほとんど幻想的なほどに華麗な弦の調べと反比例するように、必死に振りしぼられる歌声。そのひたむきさだけが、この歌たちの原動力になっていることがよく伝わってくる。もしくは、モザンビークからNadjaをヴォーカルに迎えた“Across Africa”はモザンビーク内戦をモチーフにしているそうで、音色やリズムはアフロ・ポップからの引用だ。日本のポップスとしてはオルタナティヴな類のものだろう。だが、誤解を恐れずに書いてしまえば、僕はこの曲をBUMP OF CHICKENやRADWIMPSのようなJ-ROCKを聴いている若い子たちにも聴いてみてほしいと思う。ナイーヴさと勇壮さを併せ持つメロディやコーラスとともに、知らない言語のスポークン・ワードを楽しんで、アフリカの歴史に想いを馳せてみてほしいと願う。それぐらいオープンなところで鳴っている歌だと、少しばかり頼りなくもしなやかなポップ・ソングだと感じる。
僕たちは自分たちの生活や人生にいっぱいいっぱいだから、世界中に散らばった声なき声に耳を澄ましている余裕など失っているのかもしれない。シリアの現状を伝えるために危険を顧みなかったジャーナリストを攻撃せずにはいられないほどに。ただ生き延びるだけならば、そんな声たちに耳を塞いだほうがいくらか楽なのだろう。七尾旅人はそれらを無視することができず、しかし、その「できない」ことこそを歌うたいとしての力に変えていく。
『Stray Dogs』はそんな風にしてこの世界の悲しみや嘆きを見つめているが、驚くほど肯定的な響きを有している。たとえば近しいひとの自死がきっかけとなったという“きみはうつくしい”は、ある喪失を根拠など持たぬまま「きみはうつくしい」という断言にひっくり返してしまう。やや唐突なラップでまくしたてられる、「誰かが最後に遺したフレーズ 読まれぬまま 流れるメール/誰かが最後に あれから迷子に そう 見逃される 無数のトレイル」という誰にも顧みられないまま消えていった存在への物想いは、七尾旅人流のソウル・チューンとして昇華される。「うつくしい」という単語は5音であるがゆえに少し収まりが悪く、だが、だからこそチャーミングなフロウとなる。その歌は、どうしたってはみ出してしまう存在や想いをどうにかして肯定し、祝福しようとする。清潔な響きのピアノが純粋な想いと呼応するラヴ・ソング“スロウ・スロウ・トレイン”。オートチューンド・ヴォイスがメロウなムードを醸すダウンテンポ“DAVID BOWIE ON THE MOON”。どれもが小さな人間の感情について描いているが、それらは宇宙にだって旅をする。 ところで、はっきりと犬が主人公になっている歌はアルバムには収録されていない(と思う)。代わりに鍵盤の音がまろやかでキュートなポップ・ソング“迷子犬を探して”は、いなくなってしまった子犬を探す少年の目線で語られる。「あの子の場所をぼくに教えてよ」とお願いする七尾旅人は本当に子どものようだ。そして僕たちがもし声を持たず、帰る場所もない野良犬だとして、懸命に探してくれる誰かがいる限りは存分に彷徨い続けることができる。彼の歌はそういうものだと思う。永遠の流浪を詞に託し、ジャズ・ピアノが静かな夜を彩る“いつか”はまったくもって美しいエンディングだ。
月明かりのその下を 二匹の犬が歩いていく
どこへ行くの? どこまでも
どこへ行くんだ? どこまでも
どこまでも どこまでも
横切って消えた
“いつか”
木津毅