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ロビー&モナの音楽は夜の匂いがする。日が沈み冷たくなった空気と人が消え音が少なくなった世界の暗がりのその匂い。建物の色も形も闇に覆い隠されて、木々の香りも昼間とはまた違って思えるようなそんな匂いが漂ってくる。
ブリストルのサイケ・ポップ・バンド、ペット・シマーズのメンバーと元メンバー、ウィリアム・カーキートとエレノア・グレイによるプロジェクト、ロビー&モナ。2019年にはじまったこのプロジェクトのその名前はなんでもエレノア・グレイの飼っていた犬に由来するらしいが、そんな由来のプロジェクトがペット・シマーズと並行しておこなわれているのもなんとも面白い(ペット・シマーズも本当に素晴らしいバンドだ)。
ふたつのプロジェクトが同時におこなわれているからこそどうしたって比較してその違いを考えてみたくなってしまうけど、カラフルな夢の中をステップを踏みながら滑るようにやってくるペット・シマーズの音楽に対してロビー&モナの音楽はもっと静かで大きな主張をしてこない。ロビー&モナの音楽を聞いて感じるのは上記のような夜の匂いで、かすかに漂う残り香がそこに誰かがいたということを感じさせムードを形作っていく。それがたまらなく魅惑的に響くのだ。
2021年の1stアルバム『EW』はソーリーのようなラフさと重ねすぎない引き算のセンスをシンセサイザーの上で混ぜ合わせたアルバムで、広がりのない小さな部屋のDIYの感覚がそれゆえに特別な輝きを生み出していたような傑作だったが、この2023年の2ndアルバム『Tusky』はそれよりももっと洗練されていて柔らかな匂いを放っている。上品で滑らかな響き、それは「夜会」とも「舞踏会」とも表現したくなるようなもので、クラシカルな雰囲気の漂う白黒映画をいまの技術と感覚で再現したみたいな架空の映画のサウンドトラックのようにも聞こえてくる。
ゆったりとしたピアノと電子音が組み合わせるオープニング・トラック “Sensation” はアルバムの世界への導入として完璧に機能していて、違うときを生きるヴァンパイアのようなエレノア・グレイとウィリアム・カーキーの小さなそのささやきが幽玄とその空気の中を漂い現実と隣り合った世界との境界線を曖昧にしていく。サックスが加えられジャズのエッセンスに触れられた “Flâneural” へと続くこの音楽は同じ雰囲気を保ったまま、ゆっくりと新たな軌跡を加えていく。その先にある “Sherry Prada” はジョニー・ジュエルが手がける〈Italians Do It Better〉のバンドたちのようにエレクトロニクスの要素をより強く出した美しく儚い夜の世界を表現したような曲だが、その中であってもエレノア・グレイの甘く漂うヴォーカルが柔らかな印象を連れてくる。
あるいはエレノア・グレイの声と、生の楽器の音、電子音の組み合わせの妙こそが『Tusky』の最大の魅力なのかもしれない。この2ndアルバムはこれらの要素を組み合わせることによって近未来の古典のような、違う星で作られた昔の物語のような新鮮な感覚を生み出しているのだ。その感覚はアルバム後半で特に顕著になり、ストリングスと聖歌隊の声が歪められ、そしてけたたましい電子音のビートに吸収される “Dolphin” やピアノとエレノア・グレイの美しい歌声に浸り思いを巡らせている内にエレクトロニック・プロダクションに接続されて、気がつけばサウス・ロンドンのヒップホップ・グループ NUKULUK のモニカのラップを噛みしめているという不思議な感覚を何度も味わうことになる “Mildred” に繋がっていく。
アルバム全体としても曲単位としてもロビー&モナは細かく小さく美しさと奇妙な感覚、そしてジャンルの間を行き来する。それらが単なるパッチワークのように思えないのはきっと同じムードで統一されているからなのだろう。その境目がはっきりとは見えない夜の、美しく不気味な物語。最終曲、“Always Gonna Be A Dead Man” に辿り着く頃には抜け出せなくなるくらいにどっぷりとこの奇妙な雰囲気の音楽に浸かり込んでしまっている。陰鬱だが美しい、ここには極上の夜の香りが漂っているのだ。
Casanova.S