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『エリザベート 1878』

『エリザベート 1878』

監督・脚本:マリー・クロイツァー
出演:ヴィッキー・クリープス、フロリアン・タイヒトマイスター、カタリーナ・ローレンツ、マヌエル・ルバイ、フィネガン・オールドフィールド、コリン・モーガン
2022年/オーストリア、ルクセンブルク、ドイツ、フランス/ドイツ語、フランス語、英語、ハンガリー語/114分/カラー・モノクロ/2.39 : 1/5.1ch
原題:Corsage
字幕:松浦美奈
字幕監修:菊池良生
後援:オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム東京、ドイツ連邦共和国大使館、オーストリア政府観光局
提供:トランスフォーマー、シネマライズ、ミモザフィルムズ
配給:トランスフォーマー、ミモザフィルムズ
©2022 FILM AG -SAMSA FILM -KOMPLIZEN FILM -KAZAK PRODUCTIONS -ORF FILM/FERNSEH-ABKOMMEN -ZDF/ARTE -ARTE FRANCE CINEMA
【公式サイト】https://transformer.co.jp/m/corsage/

8/25(金)よりTOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほか全国順次公開

三田格 Aug 01,2023 UP

 昨11月にウェブスター英英辞典が英語圏の流行語大賞(word of the year)として選んだ「ガスライティング(Gaslighting)」は同じ年に日本で流行語大賞となった「村神様」と違ってアグレッシヴな思想的起爆剤となり、論点は現在も拡大し続けている。「ガスライティング」というのは心理学用語で元は心理的虐待を意味していたものが、最近は男性が女性に劣等感を抱かせるテクニックを表すスラングとして狭い意味で使われることが増えている。「ガスライティング」の語源は30年代に書かれた戯曲に由来し、何度か舞台化され、TVドラマになり、最終的にはハリウッドでリメイクされた『ガス燈』(44)が作品的には最も有名。同作でイングリッド・バーグマン演じるポーラ・アルクィスト・アントンはロンドンで新婚生活を始めるも言葉巧みな夫の計略にはめられて自分は病気だと思い込む。「また忘れたの?」「覚えてないの?」と何度も畳み掛けられているうちにポーラは自分の記憶力に問題があると信じ込んでしまう。他人と話をさせないようにして孤立させるのが「ガスライティング」のポイントで、ポーラがこうした状況に追い込まれるのは女性たちの社会的立場が多いに関係し、他人と話をする機会が少ない女性がいわば「ガスライティング」の餌食にされやすいことも『ガス燈』では前提となっている。「ガスライティング」は#MeToo運動を受けて2018年のイギリスで最初に流行語となり、以後、様々な記事が書かれるようになると心理学の専門家がその濫用を懸念し、Z世代というワードが日本では間違った意味で定着してしまったように、素人考えが暴走していくことに警鐘を鳴らし始める。これに対してミシガン大学の社会学助教、P・L・スウィートは「ガスライティング」はフェミニズムが発見した問題解決の有効な手段であり、専門家が警鐘を鳴らすこと自体に大きな疑問を投げかけた(日経サイエンス2023年6月号)。「ガスライティング」は言葉だけでなく、身体的な虐待を伴えばDVに発展する可能性もあり、これらを連続性のなかで認識するためにはもっと「ガスライティング」について多くの例証を挙げることが急務だと反論したのである。これに呼応したかのようにフォーブスやワシントン・ポストも今年に入って具体的な事例だけでなく、「ガスライティング」から身を守る具体的な方法だったり、女性のガスライターによって男性が被害に遭ったケースなども報じ始める。僕の目に入った限りではどの記事も非常にシリアスで、「専門家」が危惧したようにトローリングと同じ意味で使うゴシップ記事もそれなりにはあるようだけれど、そっち方面は三浦瑠璃さんにでもお任せいたしましょう。


 マリー・アントワネットから約100年後のハプスブルグ家を舞台にした『エリザベート1878』はヨーロッパ随一の美女と謳われたエリザベート妃が40歳を過ぎて、自らの美貌の衰えと向き合っていく話である。ピチャピチャと水の音から始まるオープニングはエリザベートが浴槽に身を沈め、息を止めているシーンから始まる。エリザベートは1分11秒間、息を止めていたにもかかわらず、「40秒ぐらいだった?」と女官たちに訊く。自らの能力を過小評価(=ガスライティング)しているという暗喩なのだろう。『エリザベート1878』の原題は『Corsage(=コルセット)で、作中では何度もコルセットをきつく締め上げるシーンが描かれる。皇妃としての務めは美しくあることであり、ほかには「何もしなくていい」とか「政治に興味を持つな」と言われ続けてきたことは想像に難くない。ここであからさまに夫である皇帝フランツ・ヨーゼフがエリザベートに対して抑圧的な態度を示すわけではない(当時の女性たちを取り巻く環境については主役を演じたヴィッキー・クリープスがパンフレットに掲載されたインタビューで事細かに語っていて、これがとてもわかりやすい)。その辺りを図式的に描かないことが『エリザベート1878』の巧妙なところで、しかし、皇帝が18歳の人妻アンナと談笑しているところをエリザベートは目撃し、アンナの若さを意識せざるを得なくなるとエリザベートは葛藤を抱え込み、いわば勝手に追いつめられていく。一方でエリザベートの娘ヴァレリーは宮廷の作法を身につけ、かつての自分のようになり始める。エリザベートは何をやってもうまくいかず、何をしたいのかわからない行動を繰り返す。エリザベートは衝動的な行動でしか自分を表現できない自分自身にも苦しめられ、どの場面からも彼女の焦燥感が激しく伝わってくる。皇妃という立場でそれなりに好き勝手なことができるにもかかわらず、ハーレー・クインや羌瘣のように次々と問題を解決していくわけではないところがエリザベートに対するシンパシーをかえって増幅させる面もある。はたして自分は存在しているのかいないのか。40歳を過ぎたら女は用済みという、宮廷全体になんとなく漂うムードはそれこそガスライティングの親戚のようなものだろう。(以下、ネタバレ)エリザベートは美しい妃でいることに訣別しようと腰まで伸びていた髪を切り落とす。これがパティ・スミスかヴィヴィアン・ウエストウッドを思わせる初期のパンク・ヘアにしか見えず、エリザベートの髪を毎日、手入れしてきた女官たちは彼女の頭を見て泣き崩れる。ふてくされたような表情はしかし、ようやくエリザベートの意志とマッチしたかのように見え、エリザベートは揚々とイタリアまでタトゥーを入れに出掛けていく。


『エリザベート1878』は史実を忠実に再現しているわけではなく、中指を立てるポースや「君主制は人気がない」といった歴史を鳥瞰するセリフなど現代的な要素が意識的に散りばめられている。とくにポップ・ソングは効果的に多用され、プロモーション・ヴィデオのように挟まれる場面もある。なかではミック・ジャガーがマリアンヌ・フェイスフルに書いたデビュー・シングル〝As Tears Go By〟をエリザベートたちが無表情で聴く場面が秀逸で、「金も自由も手にしたのに・・・」「無邪気な子どもたちのようにはもう笑えない私」といった歌詞がエリザベートの内面をあぶり出すだけでなく、マリアンヌ・フェイスフルが世界で初めて愛想をふりまかず、ニコリともしなかったアイドル歌手であった事実(https://www.youtube.com/watch?v=S8EykQaZ8CU)とオーヴァラップし、「大衆や男たちの期待に応えない=宮廷の期待に応えない」というステートメントとしても効果的に作品の転換点を示すことになる。さらにいえばマリアンヌ・フェイスフルはそれでもエンジェル・ヴォイスの持ち主として持て囃され、アイドル歌手として成功したのであり、現在でいうところの塩対応のアイドルに先駆けた存在(峰不二子のモデルにもなった)であったにもかかわらず、当時の恋人でもあったミック・ジャガーが手を焼くほどヘロインにのめり込み、酒とタバコで喉をつぶし、〝As Tears Go By〟からわずか15年後にはガラガラのダミ声で歌う「大人の女性」に様変わりしていたこと(https://www.youtube.com/watch?v=f2tbc81Ujno)とも『エリザベート1878』はイメージをダブらせる。タバコを吸い、医者にヘロインを勧められてボロボロになっていくエリザベートはマリアンヌ・フェイスフルがやっていたこととまったく同じことをやっていて(これは偶然の一致)、フェイスフルがソフィア・コッポラ監督『マリー・アントワネット」で同じハプスブルグ家のマリア・テレジアを演じていたことも奇妙な符号に思えてくる。マリア・テレジアというのはハプスブルグ家を最盛期に導いた女帝であり、しかし、同時に皇帝(夫)の背後にいてエリザベートのような皇妃をガスライティングしていく主体が実は同じ女性だったということも『エリザベート1878』ではふんだんに描かれている。作品の終盤、あらゆることから吹っ切れたエリザベートは18歳のアンナを宮廷に呼び出し、皇帝の愛人になってくれと依頼する。彼女はまるでマリア・テレジアや自分を苦しめたゾフィー大公妃と同じように宮廷内の采配を振り始めたかのようである。エンディングにはさらにいくつか象徴的なシーンが続き、そのほとんどは僕には解釈不能だった。『女王の教室』よろしくエンドロールの映像で自由気ままに踊るエリザベートがいつの間にか髭を生やしていたことはとくに意味不明だった。あれは……?

三田格