Home > Reviews > Album Reviews > Thurston Moore- VDSQ - Solo Acoustic Volume Five
突然休刊宣言して世間を賑わせた田中宗一郎は、編集部でよくギターを弾いていたものだが、何を隠そう僕もたまに家でギターを弾く。下手の横好きに過ぎないので、こんな風に書くのも我ながらこっぱずかしのだけれど、早い話、ギターの音が好きなのだ。どんなギタリストが好きかと問われれば、フィンガー・ピッキングかスティール・ギターが上手い人だと言う。これは、自分には到底できないからで、つまり憧れとも言える。カントリー・ブルースが典型的だが、たった1本のギターを最大限に弾きこなしながら、ことこまかな感情表現までしてしまうところがすごいし、まあ何よりもそのプレイは曲芸師のような側面もあるし、見ているだけでもたまらない。要するに、最近あらためて人気がありそうなケヴィン・シールズのようなタイプのギタリストとは真逆のタイプである......というか、まあ、シールズみたいなセンス一発のギターとはまったく別の発想の演奏である。
ジャック・ローズといえば、そのソロ・ワークにおいてはジョン・フェイヒィの後継者とも謳われた人物で、2年前に心臓発作で亡くなっている。まさにフェイヒィ流のフィンガー・ピッキング演奏を継承しながら、いわゆるアメリカーナ(アメリカのルーツ・ミュージック)という口当たりの良い括りを破壊するような彼の諸作――2003年の『オピウム・ミュージック(アヘン音楽)』や翌年の『ラーガ・マニフェスト』などなど――はゼロ年代のディケイドにおいて大きなインパクトを残している。ブルースやカントリーのギター奏法の発展型における複雑さ、ないしは逸脱していく感覚もさることながら、こうしたの音楽の、流浪のなかの憂鬱さというのに胸を打たれる。ホント、やるせねーなーというわけだ。
カリフォルニアのレーベル〈VDSQ〉は2009年からギタリストのアコースティック・ギター演奏によるソロ作品をリリースし続けている。アコギのソロ演奏が好きな人には興味深いシリーズで、アートワークも品が良く、コレクター心もくすぐられるだろう。ちなみに第二弾がエメラルズのマーク・マッガイアで、第四弾が三田格が例によってやたら情報量を詰め込んだレヴューのなかで紹介していたファブリックのギタリスト、マシュー・マリンの作品、そして第五弾がサーストン・ムーアとなっている。ムーアの作品はサブ・タイトルにもあるようにジャック・ローズに捧げられている。
ムーアは12弦のアコースティック・ギターを演奏しているが、当たり前の話、ソニック・ユースのファンが納得するであろう、ムーアらしい演奏だ。僕がこのアルバムを聴いてみようと思った理由は、『SNOOZER』のレヴューで書いたように、ベックがプロデュースしたサーストン・ムーアの最新ソロ・アルバム(アコギによる弾き語り)が良いと思ったからである。ムーアはどちらかとえいばケヴィン・シールズのほうに近い、センスで勝負するタイプのギタリストで、ローズやフェイヒィのような流暢なフィンガー・ピッキングはない。ムーアのようなギタリストがアコースティック・ギターのみでどのように表現をするのかという意味においても、興味深い作品である。
結論を言えば、これは直球勝負の作品である。アルバムは、ムーアが得意とする変則チューニングによる不協和音をしゃらーんと鳴らしながらはじまり、演奏はいわばパンキッシュだがそれでも瞑想的なレヴェルへとあがっていく。それはアカペラで歌うシンガーのように生々しく、録音は目の前でムーアがギターをかき鳴らしているようにも感じられる。故人への敬意や思いは、レコードをひっくり返してから最後のほうでさらに高まる。かき鳴らされるギターの背後からは明らかにムーアの叫び声が聞こえる。センスよりも気持ちが全体を支配したアルバムで、そのエモーションは感動的だし、ギタリストが自分の思いを表現するうえでこんな演奏もあるのだと思い知る。
ちなみに〈VDSQ〉はヴァイナルのみのリリースだ。このレーベル以外でも、アメリカで一昨年から続くこうした傾向は、今年もますます強まっているようだ。みんな、ヴァイナルの時代に戻せと主張しているのだろう。
野田 努