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アイス・クワイアーのなかでは、『少女革命ウテナ』と鈴木英人や永井博が奇妙な回路でつながっているらしい。ようやくデビュー・リリースの運びとなった『アファー』のアート・ワークは、鈴木英人と永井博を念頭においたものだということだが、これはよくわかる話だ。デザイン自体はベタな影響関係を避け、現代的な再解釈が加えられたものだが、音はまったくAOR的でテクノ・ポップ(あえてこう記そう)的、かつて彼らのデザインが象徴したものと、現在においても消費されつづけるエイティーズ・ノスタルジーを、かなりストレートに表出するものであるからだ。だが、彼のウェブ・サイトの真ん中に97年の日本のアニメ『少女革命ウテナ』から4つのシーンが抜かれている理由は、ひとまず不明である。
アイス・クワイアーことカート・フェルドマンは周知のとおりペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートのドラマーとして知られる人物である。彼らは2000年代においてトゥイー・ポップ概念の底を抜いたというか、こんなことをやっていいのか? と筆者のようなリスナーが一瞬ひるんでしまうほどあまりに臆面のないきらきら感で、シューゲイザーからギター・ポップ、ネオアコなど90年代未明のUKインディにまたがった空白地帯に、おそろしいインパクトをもって浮上してきた。カートによるこのソロ・プロジェクトは、そこから15度ほど方角をずらし、ティアーズ・フォー・フィアーズかというような80年代のポップ・ナンバーに、技巧的なエレクトロニクスを組み込んでいる。やはり、まよいも歪みもない。ゲート・リヴァーブをきかせたスネアにふちどられ、シンセが鮮やかにメロディをつむぎ、ジェントル・ヴォイスがソフトにヴォーカルを重ねる。フェルドマン本人はワイ・エム・オーや高橋幸宏のほか、ギャングウェイやスクリッティ・ポリッティ、そしてとくにビル・ネルソンの影響が大きいということを複数のインタヴューにおいて語っているが、なるほどアイス・クワイアーのルーツをよくあかしている。
しかしおもしろいのは、この『アファー』が、シンセを使わ(え)なかった偽シンセ・ポップというねじれたアイデンティティを隠し持っていることである。玄人耳ならわかるのかもしれないが、筆者の耳には一聴してそんなことはわからない。さぞシンセにもこだわって作っているのだろうと思い、またそう思わせる材料が多いにもかかわらず、「すべてMIDI音源です」ときたものだ。方法自体をたどることに重要度を認めているわけではないようである。エメラルズらのようなシンセ・マニアとは異なり、彼は芯からのポップ・マニアだということだろう。
『ウテナ』との関連はナゾだと述べたもののなんとなくわかる気もするのは、ピックアップされているのがウテナやアンシーというふたりのヒロインではなく、御影草時という、永遠を手にしようとして永遠に過去にしばられているキャラクターだという点だ。ヒロインたちは力づよく世界の小さな殻をやぶり、果敢に外を目指していく。それに比して、外見も衰えぬままほとんど幽霊のようにその卑小な世界にとどまりつづける美青年たち。その耽美な関係性を描出したシーンを4コマ掲げるのは、フェルドマン自身が自らの惑溺する音に向けた皮肉であるようにも、苦い認識であるようにも思われる。
橋元優歩