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インディ・ミュージシャンもよく出演する、アメリカの人気トーク番組「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」でのジム・ジェームスの回が素晴らしかった。バックにザ・ルーツとオーケストラを従えて、仕立てのいいスーツに身を包んだジム本人はギターを持たずに歌に専念する。僕などは日本の往年の歌謡ショーのステージを連想したのだが、数年前までテレビでもむさ苦しい格好で長髪を振り乱しながらギターをかき鳴らしていたことを思えばその洗練には目を見張るものがあった。(いまやビッグな存在とはいえ)インディ界隈のミュージシャンにテレビでこういう舞台が用意される状況そのものも素敵だと思うが、それ以上に、マイ・モーニング・ジャケットで彼が長い時間をかけて培ってきたものがそこにはよく表れていて感慨深かった。
これまでもちょっとしたEPを出したりはしていたが、本格的なソロ長編としては初の本作。ソングライター、演奏者、プロデューサーとしての総合的な彼の力量が発揮されているアルバムだが、とりわけシンガーとしてのジム・ジェームスにフォーカスが当たっているように感じられる。マイ・モーニング・ジャケットにおいてもここ数作でジムの歌の魅力が前面に出てくるようになったと思ってはいたのだが、ソウル・シンガーからの影響がここではとくに色濃く、なるほどネルシャツとジーンズにアコギではなくて、スーツにスタンドマイクがぴったりの、よくコントロールされた歌唱を聞かせてくれる。
その意味で、アルバムを通してジムがこよなく愛するブラック・ミュージックのフィーリングが貫かれているのは納得できる。アブストラクト・ヒップホップの感覚とファンクを漂うような"ノウ・ティル・ナウ"、エレガントなソウル"アクトレス"、エキゾチックでセクシーなジャズ・ナンバー"オール・イズ・フォーギヴン"などにそれがよく表れているが、ムードとしてもマイ・モーニング・ジャケットの爆発的なジャムは影を潜めた分、優雅な余裕がアルバムの時間を支配する。そこにじわりと立ち上るサイケデリアの心地よさ。バンドとの断絶も過剰な飛躍もなく、個としての彼の得意分野を過不足なくパッケージした幸福なソロ・アルバムだ。
ジムの透き通ったハイトーン・ヴォイスによる歌唱にはどこか純潔さや神聖さを匂わせるものがある。そしてそれは、歌詞のテーマと寄り添うことでさらにろ過される。先述のテレビ番組で披露した本作におけるベスト・トラック、フォーキーなソウル"ア・ニュー・ライフ"では「新しい人生を始めよう」と真っ直ぐに告げ、"オール・イズ・フォーギヴン"では「神よ、全てが許されることを」と願う。ラスト・トラック、もっとも歌い方にフラジャイルな感覚が付与されるフォーク・ナンバー"ゴッズ・ラヴ・トゥ・デリヴァー"はこんな風に始められる......「"私には夢がある......" ああキング牧師よ、僕にはわかるよ」。その曲で歌われる「神の愛」の何たるかがわたしたちには感情としてはほんとうには理解できなくても、キリスト教が本来「愛」だとするものが何かを探求すること、あるいはその、理想が理想であるために捧げられる信念の強さには胸を打たれる。そうたとえば、グザヴィエ・ヴォーボワの映画『神々と男たち』において、神への愛の前で暴力に屈しなかった神父たちの姿に打ちのめされるように。
ジム・ジェームスそしてマイ・モーニング・ジャケットのスピリチュアルな質感のサイケデリアはしかし、それに酔って我を忘れたりはしない。音と歌は美しく統制され、そしてよりよきものを願うことを恥じない。「簡単にそうならないのはわかっている/でもそのために努力する価値は十分ある」"ア・ニュー・ライフ"
木津 毅