Home > Reviews > Album Reviews > Justin Timberlake- The 20/20 Experience
ジャスティン・ティンバーレイクのことがよくわからない。と、思ったのはクレイグ・ブリュワー監督『ブラック・スネーク・モーン』(2006)を観たときのことだ。映画はメンフィスを舞台に元ブルーズマン役のサミュエル・L・ジャクソンがセックス依存症のビッチであるクリスティーナ・リッチを鎖で縛ってブルーズを聴かせて調教、いや、救済するというとんでもない話で、ゆえにたまらなく熱い一本なのだが、そこにティンバーレイクがいることの必然性が飲み込めなかった。彼は作中で哀れな兵士、アメリカの田舎の貧しい白人のひとりだったが、"セクシー・バック"で大ヒットを飛ばしたポップ・シンガーがなぜその役を?と。それならば、デヴィッド・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』(2010)で(ナップスターの)ショーン・パーカー役をチャラくやっていたほうがまだ納得できたが、そのあと、アンドリュー・ニコル監督『タイム』(2011)で格差社会の「下のほう」にいるヒーローを演じているのには疑問が残った。このひとはいったい、どういう像を期待されているのだろう。いずれにせよ、彼のことが妙に気になるようになったのは映画のなかでその姿をしばしば見かけるようになってからだ。
だが、俳優業が続き、久しぶりに音楽業界に帰ってきたティンバーレイクの第一弾シングル"スーツ・アンド・タイ"で引っさげてきたイメージ(ヴィデオの監督はデヴィッド・フィンチャー)にはもっと驚かされた。トム・フォードのタキシードを着て、バック・バンドを従えつつスタンドマイクを持って歌うその白黒の映像に......いや、アカデミー賞やグラミー賞を見ていれば、古き良き(そしていかにも白人的な)洒脱なショウビズの世界が、いまだにノスタルジーとして強烈にアメリカで求められていることは感じる。だが果たして、それをいま負うのがティンバーレイクでいいのだろうか? それでも事実としてティンバランドがプロデュースしジェイ・Zが召喚されたそのシングルは、マリンバの音色が上下しホーン・セクションが軽快にスイングしながら、70年代のソウルと現行のヒップホップを行き来する洗練の極みのようなポップスで、多くの批評家が舌を巻かずにいられなかった。あるいは、フォー・テットのリミックスを聴けば、実験的な音に貪欲なプロデューサーたちの興味を変わらず掻き立てていることがわかる(過去にディプロやDFAもリミックスを担当している)。どうしてジャスティン・ティンバーレイクだけが、このポジションにいられるのだろう? イン・シンクなんていうボーイズ・グループのリード・シンガーだったアイドルが? 日本でこれができるイケメンが誰かいないか30分ほど真剣に考えてみたが、誰ひとりとして思いつかなかった。僕が日本のイケメンを知らないせいかと思い、友人に「ジャスティン・ティンバーレイクの新曲聴いた?」と尋ねたら、「ブリトニー・スピアーズの元カレの?」と関係ない答が返ってきた。ああ、そう言えば、そんなこともあったなあ......。
果たしてティンバーレイクの7年ぶりの新作、『20/20 エクスペリエンス』は2013年の耳を大いに愉しませてくれる。ティンバランドのプロデュースが数年前よりも90sリヴァイヴァルの時運を味方につけているということもあるし、大きくは70年代のソウルを参照して、ドレイク以降、フランク・オーシャン以降を睨みつつアップグレードするという方向性はジャストなように思える。ビートもアレンジも多彩だし、じつはキャリアの長いティンバーレイクの歌唱もこなれたものだ。まあ、今回のレトロ・スタイルも基本的には色男のヴァリエーションということだろうが、モードがしっかり定まっている。プログレを意識したということらしく、そのせいか長尺曲が多いが7分を超えるものは若干冗長に聴こえなくもないし、"ミラーズ"のような曲でかつてのアイドル・シンガーのイメージが微妙にチラつくときもある。けれども、"レット・ザ・グルーヴ・ゲット・イン"のアフロ・パーカッション、"ザット・ガール"のセクシーなファンク、"ボディ・カウント"で見せる一時期のベースメント・ジャックスのようなねちっこいラテン・フレイヴァーなど、聴きどころは多い。"ブルー・オーシャン・フロア"に至ってはビートレスのアンビエント風R&B(チル・アンド・ビー......?)で、なんだかちょっと笑えてくる。資本の力と言えばそれまでかもしれない。だが、メインストリームとアンダーグラウンドの動向をしたたかに吸収したこのポップ・アルバムは、批評家の評価を満遍なく集めながら、またしても大ヒットを飛ばすのだろう。
ところでブリトニー・スピアーズと言えば、ハーモニー・コリン監督の新作『スプリング・ブレイカーズ』のもっとも感傷的なシーンで彼女のチープなバラードが聖歌のように扱われていた。春休みにフロリダでハメをはずすギャル4人の、愚かな白い子どもたち(ホワイト・トラッシュ)のソウル・ミュージックとして......。で、あるとすれば、彼女たちはこの2013年にジャスティン・ティンバーレイクのこのアルバムを聴くだろうか? いや、きっと......聴くだろう。そのときここに忍ばせられたサウンドのチャレンジに彼女たちが事故的に触れるとすれば、それは少しばかりワクワクする。
このアルバムを聴いても結局僕にはジャスティン・ティンバーレイクのことはよくわからないし、特別に思い入れられるわけではない。おそらく彼は、何かを負っているシンガーではないからだ。けれどもだからこそ、颯爽と衣装を着替えてステージに立ち、次から次へとサウンドを乗り換えることができる。他のサンプルは、やはり僕には思いつかない。
木津 毅