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当時『NME』といえば、ポストパンクやアンダーグラウンド・ミュージックの発信源でもあり、筋金入りのアンチ・サッチャリズム、アンチ・レイシズムのデモ行進を表紙にしたほどの音楽紙。理屈屋で、「アシッド・ハウスは音楽か?」議論の戦場でもあった。ディスコにはさしたる興味を見せなかったが、80年前後にはレゲエ、80年代なかば以降はヒップホップ、そしてシカゴ・ハウスとデトロイト・テクノに情熱を注いだ。
そんなメディアが1988年、たった1枚の「ビート・ディス」で大ヒットを飛ばしたボム・ザ・ベースを表紙にした理由は、それがポップ・チャートをも席捲した、サンプリングの痛快さがほとばしる、若い世代(当時20歳)のエネルギッシュなダンス・ミュージックの出現だったから......だけではない。経費8万円弱、レコードとサンプラーのみで作られた曲が爆発的に売れて大金を稼いだことも大きかった。ポストモダンの列車強盗として、持たざるモノがやってのけたということだ。
これと同じ論法で、ザ・KLFがザ・タイムローズ名義で「ドクトリン・ザ・ターディス」をヒットさせ、コールドカットが「ドクトリン・ザ・ハウス」と続いた。著作権法によってサンプリングの自由が奪われた後も、初期レイヴではこの手のギミックが氾濫した。ギミックだらけになって飽き飽きもしたが、良くも悪くも当時のダンス・カルチャーはディスコ・クラシックに出る幕を与えなかったのである。〈DJインターナショナル〉や〈トランスマット〉にはチャンスを与え、ボム・ザ・ベースを格好良く思わせた。たとえ音の善し悪しなどは主観的なものだとしても、コンテキストにおいては善し悪しが言える。「素人のディスコ」と揶揄されながらも、コンテキストにおいては、ハウスやボム・ザ・ベースは立派に格好良かったのである。
さて、こんなに回りくどい前口上を書いてしまった理由とは、何を隠そう、テイ・トウワの新作をいざ聴くと、「ビート・ディス」やその時代を思い出したからである。チップ・Eの"ライク・ディス"については言わずもがな。1曲目のイントロの、サンプラーの使い方が88年風で、高橋幸宏が歌うその曲"Luchy"も、バート・バカラックをブレイクビーツに組み込んだりした『イントゥー・ザ・ドラゴン』と重ならなくもない。随所に見られる効果的なカットアップの使い方も似ている。
コンテキストにおいては、むしろ対極だ。サマー・オブ・ラヴに馴染んだディー・ライト在籍時だったら話は別だが、今日「ビート・ディス」のポジションにいるのは、PC1台とR&Bサンプルで作られるベース・ミュージックだ。斎藤が好きな〈ナイト・スラッグス〉や〈フェイド・トゥ・マインド〉のような連中である。ゲイ・ラップやヴェイパーウェイヴもその一部かもしれない。それでもアルバム『Lucky』が、「ポップとして優れたダンス・アルバム」というクリシェにとどまらず、「ビート・ディス」まで蘇らせるのは、この作品が初期レイヴ・リヴァイヴァルと気持ち的にどこか繋がっているんじゃないだろうかと思わせるフシがあるからだ。まあ偶然だろう。だが、繰り返し聴いている度に、草間弥生のデザインもその機運にリンクしていると思えてくる。セイホーの「アイ・フィール・レイヴ」や瀧見憲司のBeing Boringのアルバム(小野田雄が自分がreviewを書くと言って、いまだに書いてくれていない傑作)と並んで、新たな上昇を感じる。
僕は、日本では、ダンス・カルチャーやクラブ・カルチャーは、ある世代以降はしぼみつつあると思っていたところがある。若者の週末の深夜は自宅で過ごし、サマー・オブ・ラヴはオヤジの郷愁としてある。シーンには内輪受けの小宇宙が増え続け、クラブは自分のジャンルしか知らない専門家化されたDJに支配され......いや、しかし、そうではなかったようなのだ。たとえば、先日のDUM DUM PARTYの最初のDJを務めたtomadoのプレイにも兆候が見られた。それはいま起きつつあることの断片なのだとはある情報筋からの入れ知恵である。
「ラッキー!」という言葉が印象的だったことは、88年や初期レイヴにはない。グラスゴーの〈ラッキーミー〉、テイ・トウワの「ラッキー!」は、20年前の「ラヴ」に相当するのかもしれない。「勘が働いた」ということなのだろうか。ダフト・パンクの新作と同じように豪華ゲストを招いて作ったダンス・ポップのアルバムだが、『Lucky』の遊び心にシニシズムはない。「ラッキー!」なる言葉は、この作品ではシニカルに使われていない。太くはないが軽快かつ繊細なグルーヴがあり、グッド・ヴァイブレーションが作品を支配している。ビートレスの曲"GENIUS"が作品の表情を象徴しているし、"KATABURI"や"LICHT"のようなインスト曲が、実はアルバムでは重要な役目を果たしている。だいたいクローザー・トラックは"LOVE FOREVER"。ベタな曲名だが、これが不思議とクサくない。ゆえに、この曲がいま起こりつつあるレイヴ・リヴァイヴァルのクローザーとなっても僕は驚かない。いや、驚きたい。
野田 努