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Babyshambles

GarageIndie Rock

Babyshambles

Sequel to the Prequel

EMI / ワーナーミュージック・ジャパン

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橋元優歩   Oct 11,2013 UP

 言うべきことはとくにない。というか、われわれにとって用があるのはベイビーシャンブルズやそのn番めのアルバムではなく、ピート・ドハーティその人ではないだろうか。彼、彼のありかた、彼の物語。われわれが欲するのはそういうものであり、そういうものを提供できることが、彼をポップ・スターにしている条件だ。そしてそのひとつひとつを類なき歌と音楽に変えられるというところが彼の業である。下津光史やガールズのクリストファー・オウエンスと比較すればわかりやすいかもしれない(下津にはおそらく直接的な影響があるだろう)。それは削り節のように生身から歌(あり方・生き方)を剥がしていく行為であって、もう10年以上も肉を剥がしつづけ、なお求められるピート・ドハーティという人は、よっぽどの削り節である。彼があるところに歌がある。歌が服を着て歩いている。慈善でも身過ぎ世過ぎでもない、あるがままそのように生きている彼を、われわれは2013年も見つめている。

 あるがままに在るという自由さ。それはあるがままにしか在ることができないという不自由さでもある......この統合されることのない自由のパラドクスが、ピート・ドハーティに魅力的な影を加えている。彼が動くさまを見ていると、筆者のごとき並の人間には自由も不自由もないのだと思われてくる。本来それらは、並の生には触れることのできないような、とても激しく過酷な言葉なのではないかと。絶え間なく供給されるゴシップ記事、積み重なる逮捕歴、解散再結成をめぐるドタバタ劇。彼の自由と不自由が引き寄せる悲喜交々は、だからこそ多くの人々にドラマを分け与えてきた。ひとつひとつの事件が持つ派手さのためではなく、その苛烈な自由さのために。
 ジェイク・バグが「冷静」であり(野田)、アークティック・モンキーズがわざわざロカビリーっぽいスタイルをキメて21世紀におけるロックンロールの可能性と不可能性をクリティカルにあぶり出している傍らでは、もしかするとそれはずいぶんと古くさく、滑稽なことに映るかもしれない。しかし2000年代を通じて、何かを好きになったり共感したりするたびに「それは○○の縮小版焼き直しだ」と言われつづけてきたわれわれにとって、ドハーティの存在には度外れの忘れがたさがある。『リバティーンズ革命』でカール・バラーに支えられてやっと立っていたあの写真に胸を打たれるとき、われわれは一見彼がどんなに記号的なロック・レジェンドのクリシェに見えようとも、縮小版や焼き直しの時間を生きているわけではないということを知る。彼しか彼を自由にできない。彼しか彼の生を真似ることができない。誰もドハーティのように生き、歌うことはできない。彼にはなれなくてもそれはわれわれの個別的な生を勇気づける。

 ベイビー・シャンブルズの、6年ぶりのフル・アルバム『シークエル・トゥ・ザ・プリクエル』がリリースされた。そういうわけだからもちろん世相もシーンの変遷も関係のない作品で、ただただ頭から尾まで削り節のようにピート・ドハーティである。彼のいるところに彼の音楽あり。ゆえに彼が歌うたびに彼の音楽は新しく生まれなおす。その意味ではふるいも新しいも、進化も後退もない。千鳥足のフォーク・ナンバーからパンク、レゲエ、スカ、ひと揃いあるが、とりたててジャンルを研磨・更新するようなものでもない。個人的にはリバティーンズのようにガレージ感をラフでソリッドに切り出すプロダクションが好みだけれども、必須条件ではない。はじまったらただその歌に耳を傾ければよい、というシンプルな音楽だ。

 ただし、タイトル曲"シークエル・トゥ・ザ・プリクエル"において彼は「俺達にはセリフがもう一行必要だ」と付け加える。そして、いまは「その前編の続編」だとも。あくまで歌の一節だから、逐一彼の生き方に結びつけて語ることはできないけれども、その「もう一行のセリフ」というやつが見つかったときにおそらく彼の物語は完結するのだろう。というか、われわれもみなその「もう一行のセリフ」を補うべく生きているのかもしれない。ドハーティの生をわれわれの生につなぐ、強い普遍性を持った言葉である。そしていまはその半分。彼が完結させられないでいるものというのは、もしかするとリバティーンズのことかもしれない。それを終わらせる前編としてのベイビーシャンブルズ、6年をあけてのその後半。......図式的にすぎるだろうか? しかしさらにこの後に後半戦をイメージしているとすれば、まだまだ長い旅になりそうだ。ピート・ドハーティがその決定的な一行を得るときが、彼が擦り切れてしまうときでなければいいと思う。

橋元優歩