Home > Reviews > Album Reviews > Sam Lee & Friends- The Fade In Time
とくに21世紀に入ってからずいぶんたくさんの移民や難民を描いた映画を観ることになったが、紙版『ele-king vol.14』で三田さんと対談したときに気づいたのは自分のなかでエルマンノ・オルミの『楽園からの旅人』(2011)が尾を引いているということだった。映画ではイタリアのある街で取り壊されかかっている教会にアフリカ移民たちが逃げ込んで来る数日間が描かれていたが、すなわちその後日談はわからない。オルミは、未来も見えないまま流浪する運命にいる人びとがいまも現に存在するという当たり前の事実を提示した上で、その教会で繰り広げられる対話のなかでいくつかの宗教の対立と和解の可能性を示唆してみせていた。それは現在世界で起こっていることを考えると、より重くのしかかってくるようである……。
「このナポレオンを巡るバラッドにおける、“イングランドとスコットランドの団結”と“ロシアでの戦争”というテーマは、今起きていることを予言していたかのようで、僕に強く訴えかけた。まるで歌ってくれと言わんばかりに。(中略)ここでは、英国のフォークソングと東欧の朗詠唱法が合流する接点を探索し、ロシアにある僕のルーツ、そして、時代と場所の感覚のタイムレスな対話を掘り下げている。」
というのは、サム・リーのセカンド・アルバムとなる『ザ・フェイド・イン・タイム』収録曲“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”に寄せられたリー本人の解説だが、それを読みながら、そして本作を聴きながら僕は『楽園からの旅人』の移民たちの顔を思い出していた。いや、サム・リーがあくまで英国トラヴェラーズの伝承歌のコレクターであることは承知しているし、イタリアの巨匠とは背景も立場もまったく異なるのだが、しかしさまよう人びとのなかに文学性や物語性を見出していることに共通のものを覚えたのである。
そして、サム・リーの場合ここで本人が言うように「歌ってくれ」との啓示めいたものを感じている。彼は伝承歌がどうして「いま」歌わなければならないのか、ということに対して非常に雄弁だ。各曲の解説を惜しまず、また、その歌が「誰」から教えられたものか(すなわちルーツがどこにあるのか)を明示する姿勢は、リーの優れた研究者としての側面をよく示している。
しかしながら、サム・リーは編集者として適材適所にひとを配置していくのではなく、あくまでも自分を歌の中心に置こうとする。いわば伝承歌にこめられた物語を自分に憑依させることでもう一度語り直そうとしているのだ。それは絶大な評価を受けたデビュー作『グラウンド・オブ・イッツ・オウン』から貫かれた態度だが、この2作めでは音響面において現代性を高めることに腐心しているように聞こえる。オープニング、“ブライン家のジョニー”がいきなりハイライトで、ミニマルに叩かれるパーカッションのリピートとそこで左右から飛んでくるシャープなブラスとエレクトロニクスの応酬は、実験的なエレクトロニカを聴く体験とそう遠くないものである。あるいは、“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”における時空を歪ませるようなサンプリング使いと、妖艶に響く弦楽器と丸く響く打楽器のサイケデリア。かと思えば“グレゴリー卿”や“ウィリーO”では地鳴りのような弦の低音が鳴り響き、いっぽうで“愛しのモリー”ではホーリーなゴスペルが降り注ぐ。ルーツ音楽のモダナイズというとこの10年のトレンドとして繰り返されたフレーズだが、本作においてはその洗練の度合いがずば抜けている。ブライアン・イーノ界隈の人脈であるレオ・エイブラハムが関わっていることも大きいのだろう、たんに伝承を発掘するという「崇高さ」にあぐらをかかず、現在に通用する録音物に仕上げようという気迫が感じられるのである。
そしてまた、若き日のマチュー・アマルリックのような青年の面影が抜けないサム・リーのジャケット写真からは想像もつかないほどの、彼の深い歌声が聴ける。曖昧な音階をしかし自在に行き来する“フェニックス島”での歌唱など、老ジプシー・シンガーによるものだと言われても信じてしまいそうだ。クロージングとなる“苔むした家”は陶酔的なほど美しくシンプルなピアノ・バラッドで、彼は確実にこの歌が生まれたというアイルランドの風景を見ている。研究だけでは飽き足らず、その歌が立ち上げる感情や肌触りを再現することへの情熱を惜しまないシンガーだ。
そうだ、このアルバムに横溢するのは情熱である。サム・リーは現在、ブリテン諸島のものに限らずヨーロッパ大陸のジプシー音楽の収集にも取り組みはじめているという。だから場所を特定しない流浪者に想いを馳せるような音楽になっているのだろうし、現代における社会からの逸脱者、その感情を浮かび上がらせているのだろう。かつてのアーティスト志望のミドルクラスの青年は、前作でトラヴェラーズの伝承歌にたどりつき定住したのではなく、まさにライフワーク=流浪のスタートラインに立ったのだ。サム・リーの音楽は見落とされた現実に目を向けさせるような聡明さとともに、魔力的なまでにサイケデリックな引力を持ち合わせている。『ザ・フェイド・イン・タイム』とは逆説的なタイトルで、記憶が時間とともに薄れゆくとしても、感情は歌とともに蘇るのである。
だからこの文章は、サム・リー本人による“フェニックス島”に寄せられた解説のなかの、力強い言葉で終えたいと思う。
「この曲は物語性を失ってしまってはいるが、僕はずっと、文化の耐久力と、その人が受け継いだ文化的生得権として、支配的な社会の窮屈な生き方に束縛されずに独立した生活を送る権利を主張するというテーマゆえに、今まで生き延びたのだと信じてきた。それはジプシーとトラヴェラーたちが常時直面している試練であり、この問題について歌い、支持の意を表明することには価値がある。」
(引用は国内盤に寄せられたサム・リー本人の解説による)
木津毅