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2011年にスタートして、翌年アルバムがリリースされたVCMGのプロジェクトはとっても衝撃的だった。ヴィンス・クラークとマーティン・ゴアが共演するなんて、皆が夢想したとしても絶対に起きえないようなハプニングだったわけで。デビルマン対マジンガーZみたいなもんですよ。ピーター・ガブリエルとフィル・コリンズがいっしょにやるとか、ジョン・フォックスとミッジ・ユーロがユニット結成とか、荒井注と志村けんがコンビ組むみたいな話で(う、どれもたとえが超絶古すぎて余計にわからない……)。まぁ因縁浅からぬ2人が組みましたってだけじゃなくて、ばりばりにシンセ使いまくった今風のテクノ・トラックに挑戦したことも、エレポップの歴史に残る名曲の数々を書いてきたソングライターが手を組んだのに、メロディーの際立った曲なんてぜんぜんやらなかったことも驚きだった。
その後デペッシュ・モードに戻ったマーティンはヴィンスとの作業で思い出したと言わんばかりに、『デルタ・マシーン』を往年のサウンド回帰とも取れるシンセ・サウンドで彩った。で、さらにこれだ。こう来たか。べつにVCMGの続編ということでもないみたいだが、またも全編シンセ・サウンド全開のインスト、しかもSF映画(のサントラ)的な雰囲気や空間性を重視したサウンドだ。ほとんどユーロラック規格の最新型モジュラー・シンセで作ったというだけあって、そこで鳴ってるのは、アナログでありながらヴィンテージ感のいっさいない音なんだ。ローランドのAIRAとかに顕著だけど、デジタルの技術を使って往年の銘機のアナログな音をより攻撃的に再現しよう、現代に蘇らせようっていう最近の電子楽器業界の流れがある。そんな風潮にはあえて乗っからないで、よりマニアックでオタクちっくなモジュラー・シンセの世界にどっぷりハマって、この古いようで新しい、そしてアブストラクトなようでいて最低限の音楽的要素を残した絶妙なバランスのアルバムを作ってきたのは、さすがだ。DMがビッグになるに従ってどんどんギターとか生ドラムを使うようになって、ロックだブルースだと泥臭くてアメリカンな味を押しだすようになったとき、心底がっかりしたのは俺だけじゃないと思う。最近じゃマーティンのプロフィールに「ギタリスト」って書いてあって「え~?」といつも違和感を覚えていたけど、やっぱり核はここにあるんだな。うん、兄さん、いま、猛烈に嬉しいぜ。
だいたい3~4分のゆるりとした小品を16トラックも集めたこのアルバムだが、歌とか心揺さぶるアレンジとか、DMファンが求めるような要素がぜんっぜんないかわりに、かつてはアラン・ワイルダーが担っていたような尖ったノイズや音響処理が光ってて、マーティンの“Somebody”的な少女趣味というかメロドラマチックなところは表面的には封印されているんである。誤解してほしくないんだけど、ステージで天使の羽根つけてみたり、キラキラのメイクしたり、隙あらば半ズボンはいちゃうマーティンはわりとかわいいと思ってて、むしろ好きなのよ。でもそういう黄色い歓声要素が必要なのはハレの場であって、DM本体の制作時に作りすぎて捨てることになりそうだった曲を拾い上げ、こうやってぜんぜんちがうカタチに仕上げるなんて際にはむしろ邪魔でしょう。
間違ってここまで読んでしまった「は? デペッシュ・モード? ジジイのポップスだろ、興味ねぇ」みたな若いテクノ・ファンの人は、騙されたと思ってアルバム唯一の4つ打ち曲“Crowly”を聴いてみてほしいな。マーク・ベルとヴァンゲリスが共演したようなこの曲の、ありそうでなかったイマジナティヴなサウンドだけでも、いまのほとんどのエレクトロニック・ミュージックにはみつからない発見が、きっとあると思うから。
渡辺健吾