Home > Reviews > Album Reviews > Wilco- Star Wars
円熟期に入った……というのは、大きな勘違いだった。
20周年記念のベスト盤や、フロントマンのジェフ・トゥイーディが息子スペンサーと作った愛らしいアルバムがあったせいか、ヴェテランがまとめにかかっているようにも見えたし、何よりオルタナティヴな観点からアメリカン・フォークやカントリーを参照する後進のよきバンドやアーティストたちが豊かな状況を作りあげたこともある。さらにはポストロックがインの現在、『サマーティース』(99)~『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』(02)~『ア・ゴースト・イズ・ボーン』(04)の音響の冒険を再発見することにだって楽しみはある。言ってしまえば、現在へと続く潮流を生み出した偉大なロック・バンドという収まりのいい場所に落ち着いたっておかしくはなかったはずである。だが、ウィルコはここではっきりと老成や円熟といったものにNOを示している。
たしかに唐突で驚きはしたが、この新作がフリー・ダウンロードであること自体はさして重要ではない。『スター・ウォーズ』というタイトルや白猫がこちらを見つめる妙にエレガントなジャケットも……まあ、ここでは問題にしない。驚くべきは音だ。音にヴェテラン・バンドらしからぬフレッシュな気迫が宿っているのだ。いや、もちろん洗練はされているが、『スカイ・ブルー・スカイ』(07)~『ウィルコ』(09)~『ザ・ホール・ラヴ』(11)と続く近作群のペーソスと情感に満ちたムードからは明らかに浮いている。ソニック・ユースのセッションをノリで真似たようにノイジーなオープニング“EKG”からバリバリ攻めている。続く“モア……”ではフォーキーでウィルコらしく甘苦いメロディとコーラスが聴けるが、それはやがて予告なくやってくるノイズに飲み込まれていく。録音がスリリングなバンドだということを忘れたことはないが、それにしてもこの切れ味のシャープさには舌を巻かずにはいられない。ロック・バンドの録音物としてはスプーンのアルバム群ばりの迫力があるし、演奏はジム・オルークの『シンプル・ソングス』とタメを張る活気に満ちている。それでいて受ける印象としては余裕綽々としたラフさもあり、それがアルバムの風通しをよくしている。“ザ・ジョーク・エクスプレインド”なんて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサウンドの上でディランの歌の真似をしているようだし。
ギターの音色の変化とエフェクトの細かな使い分けを詰め込みながらアンサンブルのタイトさで一気に聴かせてしまう“ランダム・ネーム・ジェネレーター”はふざけたグラム・ロックのようで、ジェフはなかばおどけて「僕はときどき名前を変える/僕がときどき生み出す奇跡」と歌う。新しい自分に生まれ変わることそのものが、この軽快なロック・チューンのモチーフになっている。もっともウィルコのこれまでのイメージに近いバラッド“ホェア・ドゥ・アイ・ビギン”では新しい場所へと踏み出す恐れと期待が綴られ、逆再生音のようなエフェクトと威風堂々とした演奏が同時に鳴らされる。20年もルーツと革新の交錯点で挑戦しつづけてきたバンドはいまあらためて、過去を抱えつつひたむきに前を向いているようだ。
このアルバムが急に発表されたとき僕はたまたまアメリカにいて、アメリカン・フォークやカントリー――「アメリカーナ」だ――のミュージシャンたちの演奏を聴いていたく感銘を受け、そのゴールの見えない迷宮の入り口にようやく立った気分でいたのだけれど、ウィルコがいかにその豊かさを僕に示してくれてきたかを思わずにいられなかった。ピッチフォークはこれまでのウィルコの歩みを「アブストラクト・アメリカーノ」なんて表現しているが、それは歴史への敬意を、それ自体を大胆に更新することによって表明してきたバンドへの賛辞だと読み取れる。ラスト・トラックの“マグネッタイズド”は「僕は孤独だ」「誰もが僕の時間を無駄にする」と一見ネガティヴなイメージを伴う言葉を有しながら、しかしその音の優しさと底にある力強さでもって、そこから先へ進もうとする決意のように響いている。
木津毅