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Tracey Thorn

FolkHouseJazzPopTechnoTrip Hop

Tracey Thorn

Solo : Songs And Collaborations 1982 - 2015

Caroline International/ホステス

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野田努   Dec 07,2015 UP

 机の上のPCの裏側にはCDが積んであり、一番上にはジュリア・ホルターの新作が置かれている。彼女のアルバムはつねに良いが今作はとりわけて評判が良い。早くレヴューしなくては……。いや、その前に、ビーチ・ハウスの新作のレヴューが、かれこれ2カ月ほど書きかけのままになっている。読みか返してみると酷い原稿で、いまさら「ドリーム・ポップ」というジャンル用語を、意味もわからずに持ち出している音楽ライターへの憎悪に満ちている。ジャンル用語は、おおおそコンテキストにおいて有効であるということが、いまだわからない連中への……。いや、いくら業務に忙殺されていたとはいえ、これはよくない。ビーチ・ハウスの新作のレヴューで重要なポイントは、メジャーで失敗した彼らがインディーに戻って、あの名作『ティーン・ドリーム』に匹敵する作品を作れるかどうかにある。
 今年ラフトレードのNY店でいちばん売れたのはビーチ・ハウスだというが、それというのも誰もがいまだに『ティーン・ドリーム』並みの作品を期待しているからだろう。もちろんヴィクトリアの声の魅力も重要だ。ニコ直系の低めの声で、線の細いガーリーな声とは反対の、中性的で、太めの声。トレイシー・ソーンもその手の声の歌手だが、ソーンにあってヴィクトリアにない要素はダスティ・スプリングフィールドだ。ソウル・ミュージックというコンセプトはビーチ・ハウスにはないが、ソーンにはある。

 トレイシー・ソーンは、年齢的にはぼくより1歳上で(つまり、現在53歳)、ぼくは彼女の最初のソロ・アルバム『ア・ディスタント・ショア』をリアルタイムで買って、聞いている。ネオアコ(当時はネオフォークなどとも呼ばれていていた)なるジャンルの契機となった1枚だ。パンク以後の、ディストーションを効かせたギター・サウンドばかりで埋め尽くされていた時代に、アコースティック・ギター1本で歌うというただそれだけのことが、あり得ないほど新鮮で、あり得ないほど強いインパクトを持ち得たのである。
 ヴェルヴェット・アンダーグラウドの“ファム・ファタール”のカヴァーを聴きたいというのが買った理由だったけれど、それから数年後に出たエヴリシング・バット・ザ・ガールに混入されていたのはヴェルヴェッツではなくジャズやサンバだった。それはパンク以後のやかましいだけのディストーション・サウンドと違って、いささか高級品に思えた。その高級感はややもすれば80年代的で、貧しい若者の魂を救済するものとは思えなかった。“ルック・オブ・ラヴ”をお洒落だと思えるには、ぼくにはもう2~3年は必要だった。
 そういうわけで長いあいだ、ぼくはトレイシー・ソーンの声とは微妙な距離を保っていたわけだが、あながちこれはぼくの個人的経験に過ぎないというわけではない。あの時代、『ア・ディスタント・ショア』から『エデン』にかけてリスナー層は変わった。調査したわけではないが、考えてもみて欲しい。後者のなかに“パンク”を見いだすのは、困難だ。マッシヴ・アタックが教えてくれるまでは。そう、彼らがセカンド・アルバムでソーンを起用したことで、多くのリスナーは彼女の過去の作品を聴き直している。それほど“プロテクション”はパーフェクトな曲だった。『エデン』から10年後の1994年のことだ。

 それは、トレイシー・ソーンという歌手を物語っているかもしれない。その頃ダンス・カルチャーを我がモノとしてポップスターへと昇ったビョークは、キュートで、エキセントリックだった。ソーンは、充分に魅力的な低い声を有しながらも、グラビアを飾るようなタイプではなかった。また、彼女の曲の多くはメランコリックで、人生を伸び伸びと冒険しているビョークに比べると、なんとも内気に見える。彼女が舞台恐怖症であることも充分にうなずけるほどに。
 しかし“プロテクション”は、見事に逆手を取った。ガーリーではなくメランコリック、内気で、低い彼女の声は、マッシヴ・アタックのトラックにおいて魂を揺さぶる声となった。荒涼とした音像から聴こえる「シェルター(避難所)を必要としている少女がいる」という歌い出しは、何度聴いても感動する。

 本作はトレイシー・ソーンのコンピレーション・アルバム、CDで2枚組、全34曲が収録されている。1982年の『ア・ディスタント・ショア』の1曲目も収録されているし、もちろん“プロテクション”も入っている。最近やったというケイト・ブッシュのカヴァーをはじめ、ザ・XXやヴァンパイア・ウィークエンドやスフィアン・スティーヴンスなどのカヴァーもある。ぼくの世代には思い出深いワーキング・ウィークでの客演もあれば、90年代に活躍したドラムンベースのプロデューサー、アダム・Fのトラック、テクノ・プロデューサー、ティエフシュワルツので歌った曲もある。エヴリシング・ザ・バット・ガール以外の曲での客演もの、ソロ活動からのセレクションだ。厳密にベスト盤とは呼べないが、とてもありがたい編集盤だ。だいたい彼女の声は、12月というこの季節にはぴったりの声である。寂しいが、しかし温かい音楽。シンディ・ローパーの“タイム・アフター・タイム”とエルヴィス・コステロの“アリソン”のカヴァーが収録されていたら、満点だった。

 アルバムのライナーで本人も少し触れているが、トレイシー・ソーン作品で人気があるのは、マリン・ガールズ時代の2枚のアルバム、『ア・ディスタント・ショア』、エヴリシング・ザ・バット・ガールの最初の2枚だ。個人的に思い入れがあるのは『ア・ディスタント・ショア』とEBTGの最初のEP、それから「Each & Every One」と「When All's Well」という2枚の12インチ・シングル。いま挙げた12インチはともにアルバムの1曲目を飾っている曲だが、このおよそ30年ものあいだいつ聴いてもワクワクするし、吹雪の夜に恋人と一緒にいるような、ロマンティックな気持ちになる曲だ。「Plain Sailing」や「When All's Well」のジャケットに印刷された恋人のいる風景の写真は、10代も後半にもなれば誰もが憧れる世界だろう。

 トレイシー・ソーンの声は、ダスティ・スプリングフィールドの声がそうであるように、風化されなかった。結局のところ、ぼくもこうして、ずっと聴いていることになる。「自分のファンは年寄りだから……」というようなことをガーディアンの記事で話していた彼女だが、それはこの拙文の通り事実で、しかし年寄りだけが聴くにはもったいないほど魅力がある。“ルック・オブ・ラヴ”が年寄りの音楽ではないのと同じ意味で。
 バラードが得意なソーンであるが、90年代以降のEBTGがそうであるように、彼女はクラブ・ミュージックにアプローチしている。この時期は、ネオアコどころかほとんどの曲がエレクトロニック、ダンス・ミュージックなのである。彼女の自伝のタイトルは『Bedsit Disco Queen』というが、ベッドシットとは台所付きのベッドルームのことで、内気でありながら外向的なダンス・ミュージックを好む彼女の作品の性格を、あるいはその繊細な感じをうまく言い表している。本作を聴けばそれがよくわかる。踊るということが、まずは心が満ちていなければ空しい行為に過ぎないことを。

野田努