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Miki Yui

AmbientElectronica

Miki Yui

Oscilla

Self-released

Tower HMV

デンシノオト   Feb 03,2016 UP

 音楽とアートとの関係は、生活のただなかに生まれる「意識」とともにある。意識は変化と同義であり、生活とは、当然、生と同義である。変化と生。つまりはアート・オブ・ライフというわけだ。アートは高尚な芸術というだけではない。それは生きていることにまつわる表現=生産行為であり、もしくはその隙間に潜む過剰さでもある。だからこそ人が、それぞれさまざまな生き方をするように、アートもまた「違う方法」を考え、生み出されていかねばならない(同時に、それはただのスキャンダラスを意味しない。あのウォーホルも、何より別の手法と新しいコンセプトを生みだすことで世界を一新したのだから。スキャンダラスなだけの行動は、そのほとんどが凡庸である)。

当然、音楽というアートも同様だ。音を鳴らすこと。それはある意味、何かを叩けばいい。ではそこに表現としての自律性や浸透性や持続性を、どう付与すればいいのか。その方法を「考えること」が「アート」であり、それは人生において誰にも平等に与えられた「権利」にすら思える。生産=芸術にまつわる権利と言い換えてもいい。
その意味で、デュッセルドルフ在住のミキ・ユイの作り出す音たちは、アートそのものである。00年代初頭にマイクロ・スコピック時代の〈ライン〉からアルバムを2作リリースしていた彼女だが、最新作『オシラ』は、さらに高次の次元に移行している。1曲め“チャノ(Cyano)”がはじまった瞬間にそう確信をした。まるで、架空の生物たちが生まれ、舞い、蠢くさまが、幽玄で柔らかい音の連なりとして生成しているのだから。じつに見事な音響・音楽作品であり、しなやかな佇まいのアート作品といえよう。

 その「しなやかさ」の理由は、持続音や環境録音、ビートなどが、けっして固定されることなく、先行するいくつもの音楽とは「違う方法」でコンポジションされているからではないかと思う。そう、この作品は単なるアンビエントではない。音のフィギュールは、まるで透明な空間の中で分解され、宙に舞うように「違う方法」で再構成されていくのである(たとえば、3曲め“ボーデンフェルド(Bodenfeld)”から4曲め“オシラ(Osicilla)”へと連なる環境音とサウンドの交錯!)。その結果、アンビエントであっても安易な癒しではなく、ビートであってもありきたりな律動から離れ、ノイズであっても「しなやか」に再生成されていくのである。
 私は、そのような音響交錯=工作の手つきを、サウンド・アートならぬミュージック/アートと名づけたい衝動にかられる。柔らかいのに、たしかな存在感のあるその音たち。その生成。聴き込むほどに、耳に、体に浸透していく不思議な音の魅力。それはミキ・ユイの「人/生」から生まれた「方法=アート」によって鳴っているように思える。だから自然なのだ。

 そして本作は、5曲め“アニマトスコープ(Animatoscope)”など、ときにクラウトロック的なビートも聴かせてくれる。当然、そこに彼女とクラウス・ディンガー(ノイ!)の関係をつい読み取ってしまいたくもなるが(クラウス・ディンガーのパートナーでもあった彼女は、晩年のプロジェクトで遺作にもなった『ジャパンドーフ』に参加しており、没後、クラウス・ディンガーの作品集を編集・出版している)、やはり大切なことはクラウトロックと日本、音響実験とロックを「違う方法」で越境している点にある。なんという水の中でフローティングするようなモータリック・ビートなのだろうか。そのうえ、“アニマトスコープ”は途中でビートが(あたかも幽霊のように?)ミュートするのである。
 そう、何より大切なのは、その音たちが、とても自由な優雅な(個人としての)実験性を称えている点である。そもそもクラウトロックと呼ばれたドイツで生まれた実験性を伴ったロック・ミュージックは、そんなアート・オブ・ライフを象徴するような「自由さ」の象徴ではないか。だから「歴史」を背負っていても重くないのだ。

 商業音楽が巻き起こす猛威から抜け出し、真夜中に行う、もうひとつの、音の遊戯。実験とは何か、などと難しく考える必要はない。別の方法で/の音を楽しむこと。かのシュトックハウゼンだってワクワクしながら電子音を混成させていたはずだ。そこに大文字の芸術の歴史には回収されない実験/遊戯の系譜としてのミュージック/アート・オブ・ライフが生まれる。本作には、そんな見事な音のゆらめきがある。生活の中で、ひっそりと、そして、いつまでも鳴らしていたい音楽だ。

 最後に、本作のマスタリングを手がけたのは、ラシャド・ベッカーであることも記しておく。

デンシノオト