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カップケイクことエリザベス・エデン・ハリスは、シカゴで生まれ育ったラッパーだ。現在20歳の彼女は、14歳でラップをはじめた。注目を集めるキッカケとなった“Gold Digger”を発表したのが2012年だから、活動してすぐに名が知れたことになる。
彼女の特徴として挙げられるのは、過剰なまでに性的なリリックだろう。“Vagina”や“Deepthroat”などは、その典型例だ。MVでも露骨な性的描写を前面に出し、“Duck Duck Goose”のMVではペニスのおもちゃを大胆に使っている。
こうした表現から、彼女はキワモノ扱いされることが多かった。しかし、それはあまりにも一面的な見方だ。このことを示す例としては、“LGBT”が最適かもしれない。2016年のデビュー・アルバム『Audacious』に収められたこの曲は、彼女のファン層であるLGBTの人たちに捧げられたもの。アップテンポなトラックに乗せて、セクシュアル・マイノリティーを讃えるポジティヴな言葉を紡いでいる。セカンド・アルバム『Queen Elizabitch』に収録の“Scraps”も、彼女のシリアスな側面が見られる良曲だ。差別、貧困、暴力といった、自身の背景を語る思慮深さが際立つ。
このように彼女は、表現者として奥深い存在だ。強烈なユーモアセンスはとてもおちゃめだが、目の前の風景を切りとる鋭い批評眼もある。そのおかげで、彼女の音楽には、聴いていてあくびが出てしまう場面は一切ない。チャーリーXCXと息の合ったコラボができるところも含め、多面的な表現方法は筆者を夢中にさせる。
いま、彼女のサード・アルバム『Ephorize』が手元にある。1月5日にリリースされた本作は、彼女の最高傑作と呼ぶにふさわしい内容だ。これまで以上にシリアスで、どこか祝祭的な雰囲気を醸している。その象徴といえるのは、オープニング・トラックの“2 Minutes”だ。この曲で彼女は、自らの人生について深い省察を試みている。詩情的ともいえるラップは風格を漂わせ、表現者としてまたひとつ進化したことを雄弁に物語る。たおやかなピアノの響きに、賛美歌を想起させるサンプリングが乗るシンプルなサウンドも美しい。
“Crayons”も見逃せない。レインボーフラッグを指すタイトルからもわかるように、多様性を寿く言葉が並ぶ名曲だ。ヘヴィーなダンスホールのビートに、彼女の力強いラップが合わさることで、果てしない高揚感と肉感性を醸してみせる。
彼女の高いラップスキルも本作の聴きどころだ。ドリル、ダンスホール、ハウスなど、本作はさまざまなタイプのトラックを揃えているが、そのすべてを彼女は難なく乗りこなす。速射砲のように次々と言葉を紡いだかと思えば、“2 Minutes”では言葉を聞かせる静謐さも披露する。こうしたエンタメ性は彼女の過去作でも見られたものだが、それを飛躍的に進化させている。この点だけを見ても、彼女がただのキワモノではないとわかるというものだ。
本作を聴いて、あらためて感じたことがある。それは、彼女の表現に黒人女性ラッパーの歴史を見いだせるということだ。トリーシャ・ローズが著書『ブラック・ノイズ』で論じたように、自身のセクシュアリティーや想いを自由に表現できる場を開拓したという意味で、黒人女性ラッパーたちが果たした功績はとてつもなく大きい。他者の視線やフィルターを通してではなく、自分本位で欲望を示し、そのこと自体を祝うのだ。
もちろん、その過程で多くの議論に晒された。たとえば、ソルト・ン・ペパの“Shake Your Thang”は、あえて“お尻(Thang)”を強調することで、自由を表現してみせた。しかし“お尻”は、多くの男性たちにとっては“的”でもあり、それを自ら差しだすことに疑問を抱く人も少なくなかった。
だが、それが自分のコントロール下でおこなわれたとしたら、どうだろうか? 筆者からすると、これも立派な“自由”に見える。他者の意思による強制的なものではなく、自分の意思で欲望を表し、同時に他者の欲望も操ろうとする姿勢には、明確な自立心と抵抗があるからだ。それこそ、映画『エル ELLE』におけるミシェルのように。
カップケイクがたびたび用いる過剰な性的描写も、こうした歴史的文脈のうえで語れる。“Duck Duck Goose”のMVにしても、男性向けのポルノみたいな内容だが、それを自ら戯画的にやっているというのが重要なポイントだ。このような姿勢に筆者は、ミシェルに通じる自立心や抵抗と、それに基づいて“男性的”とされるものを手なづけていくしたたかさを感じる。
近藤真弥