Home > Reviews > Album Reviews > Puce Mary- The Drought
ノイズ音楽は束縛であり、解放である。暴力であり、快楽でもある。赤子の叫びのように人間の恐怖の源泉に遡行するものであり、音=言語の消失でもある。否定であり、肯定でもある。音楽であり、音楽ではない。無意味であり、意味の炸裂でもある。音による感情の発露であり、暴発であり、奇妙な構築物であり、その破壊であり、現象の喪失でもある。
そう、音響/ノイズの持続と暴発の中には「音楽」が解体され尽くしたカタチ、つまり世界の現象が融解してしまった後に蠢く「何か」が蠢いている。だからこそノイズ音楽は「最後の音楽」なのだ。70年代後半以降、「最後の音楽」として生まれたノイズ音楽は、世界中の都市の辺境/中心で生成と衝突を繰り返し、自らのジャンルを刷新し、そのノイズ音響を変化させてきた(ノイズ・ゴッド、メルツバウの歩みを思い出してみてほしい)。
そして2010年代において、ノイズ音楽は、世界の不穏さの反映のようにエモーショナルな領域へと踏み込みつつある。現代の若きノイズ・アーティストたちは「世界」への不安と不信から生まれる自我の葛藤によってノイズを生む。そのノイズは同時に抑圧された生の発露でもある。近年、コペンハーゲンのモダン/オルタナティヴ・レーベル〈Posh Isolation〉などからリリースされる生々しくもスタイリッシュなノイズ音楽にも、そのような不穏と不安、衝動と冷静、物質と血などがせめぎ合う、新しい響きを持ったモダン・ノイズ作品を聴くことができる。彼らは世界にみなぎる欲望に対して、自らの血と生によって抵抗する。 特に主宰のローク・ラーベクの活動には注目だ。彼はクロアチアン・アモル、Hvide Sejl などの複数の名義で、テクノイズ・ユニット、ボディ・スカルプチャーズのメンバーとしてノイズという多様体を疾走するような活動を展開しているのだ。
そして、〈Posh Isolation〉からのリリースで知られるノイズの触媒、もしくは官能的化身ピュース・マリーも同様の存在である。彼女は2010年に、ピュース・マリー - LR(ローク・ラーベクの別名義)のEP「Lucia」、2011年にピュース・マリー - LRのアルバム『The Closed Room』をリリースして以降、同レーベルから2013年に『Success』、2014年に『Persona』のソロ・アルバムを立て続けにリリースする。2015年には再びローク・ラーベク&ピュース・マリーで透明なノイズ音響作品『The Female Form』を発表し話題を呼んだ。翌2016年には、集大成的な作品『The Spiral』をリリースし、先端的音楽マニアの耳を驚愕させる。
そして前作から2年ぶりのリリースとなった新作アルバム『The Drought』は、馴染みの〈Posh Isolation〉から離れ(ちなみにシングル・EP、コラボレーションなどは〈Fascinations〉、〈Nordisk Klub〉、〈Freak Animal Records〉、〈Mutter Wild〉など複数のレーベルからリリースしていた)、ベルリンに拠点を置く先端的音楽の名門〈PAN〉からリリースした作品である。美しい傷のような前作『The Spiral』の腐食する華のようなノイズ・コンポジションの質感はそのままに、西洋音楽的ともいえる和声のレイヤーはさらに洗練されており、「音楽/音響」の拮抗は前作以上の洗練と緊張を高めている。その不安定なノイズと彼女のヴォイスと音楽的和声が、複雑なコンポジションの中で融解し、甘美な痛みのように美しくも過激な音響空間へと聴き手を誘うのだ。
まずM2の“A Feast Before The Drought”は、不安定なノイズが幾層にも重なり、そこに砕け散ったようなサウンドが重なることで、聴き手の自我を壊すかのようなノイズ・ミュージックを生み出している。この楽曲に満ちているのは不穏というより恐怖の感情に思える。自身の自我や肉体を壊すかのような恐怖の感覚と感情。
M3“To Possess Is To Be In Control”は、パイプオルガンのような音に、彼女のヴォイス/リーディングがレイヤーされ、やがてノイズと打楽器が暴風の中で消失するように鳴り始める。続くM4“Fragments Of A Lily”でも性急なリズム/ノイズが継承され、高音域のノイズが聴覚を快楽的に刺激する。インダストリアルの先にあるトライバル・トラックといえよう。
M5“Red Desert”では再び彼女のヴォイス/リーディングとパイプオルガンの和声が重なり、さまざまな環境音とノイズが、それらを掻き消すように鳴り響く。曲名はミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『赤い砂漠』(1964)からの引用だろうが、アントニオーニの映画にあるような不安定な自我は、本作にも確かに漲っているように思える。
前半のクライマックスである“Red Desert”を経て、M6“Coagulate”からアルバムは第二部へと突入する。透明なサウンドのクリスタルなレイヤーである“Coagulate”は、宗教音楽の、もっとも美しい箇所をドローンにしたかのような美麗なトラックである。
以降、M7“The Size Of Our Desires”、M8“The Transformation”、M9“Slouching Uphill”と、ノイズ、ヴォイス、リズムという前半のサウンド・エレメントを意図的に反復するように、さらに大きな音の渦を生成していく……。
https://soundcloud.com/pan_hq/sets/puce-mary-the-drought
全9曲、どの曲もノイズの独特の質感、音響の密度など、前作『The Spiral』以上の達成をみせており、本作をもって彼女の最高傑作と称することも可能だ。しかし何より重要なことは、彼女は、まるで甘い蜜と金によって誘惑する世界の抑圧に抗うために、あえてノイズによる束縛と抑圧を引き受けている点にある。まるで抑圧を意図的に加速させることで、抑圧自体を無化させてしまうように。
欲望と抑圧に塗れた世界へのアゲインストとアジャスト。エモーショナルな自我の発露。終末的・神話的世界観。本作は、そのような過酷な「世界」に対する抵抗であり、闘争の記録であり、生/性の抑圧への闘争/逃走なのだ。そう、「世界・自我・神話」を貫く、ノイズ/ミュージックの蠢きがここにある。
デンシノオト