Home > Reviews > Album Reviews > Jay Glass Dubs- Epitaph
忘れがちなことだけれど、2012年あたりのオリジナル・ヴェイパーウェイヴの特徴のひとつにスクリューすることがあった。スクリューというのはですね、2000年に夭折したヒューストンのヒップホップDJ、DJスクリューが編み出したテクニックで、再生の回転数を下げることで得られる効果を駆使すること(一説によれば咳止めシロップの影響下による)。ゴーストリーな音声などはその代表例だが、スクリューは面白いことにヒップホップ・シーンの外部であるLAのアンダーグラウンドなインディ・ロック・シーン(昨年、食品まつりを出したサン・アロウなんかも関わっていたシーン)へとしたたかに伝播し、そしてヴェイパーウェイヴにも受け継がれた。そうすることによって「蒸気=ヴェイパー」な感触が生まれたのだった。
スクリューは、楽曲をメタ・レヴェルで操作することによって別もの(ヴァージョン)を創造するという点においては、ダブと言えるだろう。もちろんジャマイカのオリジナル・ダブとは、スタジオにおいて録音されたマルチトラック上のヴォーカルないしは楽器のパートを抜き差しし、あるいはエフェクト(リヴァーブ、そしてエコーやディレイ)をかけながらオリジナルとは別もの(ヴァージョン)を作ることである。音数を減らし、引き算足し算しながら骨組みだけにすることから「レントゲン(x-ray)音楽」とも呼ばれる。
しかしながらスクリューやオリジナル・ヴェイパーウェイヴのようなデジタル時代の音響工作は、キング・タビーとはあまりにも違っている。なによりも「レントゲン音楽」的ではないし、楽器の部品(パート)を操作するのではなく、音の位相(レイヤー)を操作する。そしてその音像は独特のくぐもり方をする。ジャマイカのダブには、サイケデリック体験における酩酊のなかにも霧が晴れていくような感覚があった。しかし、スクリュー以降の新種のダブはむしろ霧を呼び込んでいるようなのだ。Mars89の作品でも知られるレーベル〈Bokeh Versions〉からリリースされたジェイ・グラス・ダブスの『エピタフ』がまさにそうだ。
OPNの『レプリカ』をリー・ペリーにコネクトしたような感じというか、『エピタフ』はジャマイカのオリジナル・ダブの基盤であるドラム&ベースを削除することなく継承しつつも、まったく違ったものになっている。鄙びたサウンドシステムもなければ埃もたたないピクセルの世界に踏み込んでいるからだろう。それはひとの生活の何割かがインターネットの向こうに及んでいるというリアリティをただ反映しているぐらいのことかもしれない。
あるいはまた、“セイキロスの墓碑銘”からはじまる『エピタフ』はコクトー・ツインズと初期のトリッキーをスクリューしたようでもあり、ジェイムス・ブレイクの新作は生ぬるい(ぼくは嫌いじゃない)というひとが聴いても面白いかもしれない。Burialが深夜の侘びしい通りから聴こえるレイヴ・カルチャーの記憶だとしたら、こちらはいったいなんだろう。アルバムには“模倣の新しい型”という曲名があるけれど、タッチスクリーンの向こう側の、暗闇なきダークサイドから聴こえるダンスホールなのだろうか……。いや、この音楽からはなにも見えてこないのだ。
ジャマイカのオリジナル・ダブにおける音の断片化は、ディアスポラの記憶すなわち観念上の“アフリカ”=理想郷の想起ではないかという説がある。しかし『エピタフ』にはそうした音の断片化はないし、理想郷も想起されない。にも関わらず、エコーがさらにエコーし、ディレイがさらにディレイする世界……いったいどこに連れて行く気だ?
なんにせよ興味深いなにかが起こっている、そんな気がしてきた。
野田努