Home > Reviews > Album Reviews > すずえり- Fata Morgana
5月25日に緊急事態宣言が全国で解除され、6月に入ると都内のイベント・スペースで少しずつライヴやコンサートが再開されるようになってきた。もちろん以前とまったく同じ状態に戻ったわけではない。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために政府や業界団体によって策定されたガイドラインを考慮してもいるのだろう、ほぼすべての会場で、マスクの着用を義務づけたり来場人数に制限を設けたりするなど何らかの措置が取られている。4月以降イベントが軒並み中止となっていた水道橋 Ftarri でも、事前予約必須・人数制限あり・手指の消毒・マスクの着用などを条件にコンサートの日程が組まれるようになった。そして営業再開後最初のイベントが、6月13日と14日の二日間にわたって開催された、サウンド・アーティストのすずえりによる初のソロ・アルバム『Fata Morgana』のリリース記念ライヴだった。アップライトピアノの上下の前板を外すことで内部構造を剥き出しにし、ユニークなからくり仕掛けを駆使してトイピアノや自作装置と接続していく彼女のパフォーマンスは、ピアノの内部奏法を拡張した演奏行為をおこなっているとも、物体としてのピアノの構造を利用した展示作品をリアルタイムに制作しているとも、あるいは打弦楽器としてのピアノから特異な音響現象を紡ぎ出す試みとも受け取ることができる。そして本盤にはそうした彼女の実践が、即興的なノイズ/アンビエント・ミュージックとなって収められている。
いわゆる音楽家とは異なる経歴を歩んできたすずえりは、もともと武蔵野美術大学の造形学部で銅版画を学び、1993年に環境音楽家の吉村弘がプロデュースした『サウンド・ガーデン』展に音響彫刻を出品。90年代半ばごろより歌とピアノを用いた音楽活動を開始している。1999年には音響系テクノ・アーティスト tagomago と結成したユニット「ときめきサイエンス」で〈Childisc〉からアルバム『新しく、美しい音楽』をリリース。その後、数多くのメディア・アーティストを輩出してきた教育研究機関 IAMAS の DSP コースをゼロ年代半ばに卒業し、徐々に自作装置を用いたピアノの解体/再構築をおこなう独自のインスタレーションおよびパフォーマンスを確立していった。2010年に当時恵比寿に居を構えていたギャラリー「gift_lab」で『Prepared』と題した個展を、さらに2013年には渋谷のギャラリー「20202」で『ピアノでピアノを弾く recursion piano』と題した個展を開催。また、リアルタイムにインスタレーション作品を構築するかのようなパフォーマンスを試み、とりわけテン年代以降は数多くのミュージシャンやサウンド・アーティストと即興的なセッションをおこなってきている。自作装置を駆使したインスタレーションのようなライヴ・パフォーマンスは、ゼロ年代以降に台頭してきたサウンド・アーティストの梅田哲也や堀尾寛太らとも通ずるものの、あくまでもピアノが創作の出発点となっていることが彼女ならではの特徴だと言えるだろう。これまでセッションやスプリット・アルバムでリリースされてきたそうしたパフォーマンスが、このたびスタジオ録音による初のソロ・アルバムとして日の目を見ることとなったのである。
イタリア語で「蜃気楼」を意味する言葉がタイトルに掲げられた本盤は、鍵盤に括りつけられた装置によって無機質に叩かれるピアノのG音から幕を開け、小型扇風機のプロペラがピアノの弦を直接かき鳴らし他の弦と共振することで生じるドローンが全体の基層をなしていく。時間に節目を設けるようにG音が一定の間隔を空けて叩かれ続けるなか、プロペラの回転音やモーターの駆動音、ラジオから流れる放送音声や電磁ノイズなどが何層にも重なり、次第に厚みのあるダイナミクスを形成していく。ときおりすずえり自身がピアノ演奏に加わり、あるいは小型扇風機やモーターの位置をわずかに移動させることによって、積層状のドローンに変化を与えている。工事現場のように騒々しいノイズが延々と鳴り響くなか、音と音が干渉することで発生するうなりは、まるで地平線の彼方にゆらゆらと揺らめく蜃気楼のようだ──それはきわめて幻想的な音の風景であると同時に、あくまでも即物的な音響現象でもある。耳を劈く轟音とともに繊細に変化する音響を見事に捉えた奥行きを感じさせる音像は、録音からマスタリングまでを手がけたサウンド・アーティストの大城真によるところも大きいだろう。同時にリリースされた『Fata Morgana out-take』および『Piano sounds just before Pandemic』がライヴ録音で、メトロノームやトイピアノなど多種多様な音具を使用したパフォーマンスのプロセスが具体的に刻まれていることと比べるならば、本盤は録音作品として音響が聴覚にもたらす体験に重心が置かれている。だがいずれの作品においても、メカニカルなシステムを備えたピアノという楽器を拡張し、パフォーマンスのなかであらたな音楽へと組み換えていく実験性は変わらない。そしてそれは取りも直さずわたしたちを、既存のピアノ音楽の概念を拡張することへと導いてくれるはずだ。
細田成嗣