Home > Reviews > Album Reviews > 渚にて- ニューオーシャン
琥珀糖という砂糖菓子をご存じだろうか。
透きとおった宝石のような見た目をしており、噛むとシャリシャリさくさくした歯ざわりがある。中身はとろりと甘く、やわらかで口溶けがいい。
いちど自分で作ったことがあるが、何日かかけてじっくり乾燥させ固める必要があり、毎日少しずつ表面のツヤが変化し、キラキラした結晶の粒があらわれてくる様子を、いつくしむように眺めていた。
80年代の京都アンダーグラウンドを出自にもち、90年代から大阪を拠点に活動を続ける、柴山伸二と竹田雅子の夫妻を軸にしたロック・バンド「渚にて」。
前作『星も知らない』から3年。新しいアルバム『ニューオーシャン』が届けられた。
綺羅粉をまぶしたような、キラキラした光の粒をまとったエレクトリック・ギターのクランチ・トーン。
遠い記憶を呼びさます、郷愁をさそうオルガン。
童謡のようにもマントラのようにも聴こえる、やさしいうたとやわらかなコーラス。
まろやかなエコーを帯びたいくつもの音たちが、ずっしりと重厚でたくましく繰り出されるリズムに受け止められて、ゆるやかに伸びてはたゆたい、溶けあう。
スピーカーの向こうに、いくつもの幻像がふっとあらわれては消えていく。
海水浴のような、森林浴のような、魂がおだやかに浄化されていく感覚。
心の底にたまった澱やよどみのようなものを、砂金の粒や星の砂に変えてしまう。
このひとときが、終わることなく、いつまでも続いていてほしい。
遠く広い世界
やがてわかる答え
どこまでも広がる
どこへでも行ける
(“Psalm”)
渚にては知っている。
求めるものはどこにあるのか。
海に行けばいい。
波の音に耳をすませばいい。
やがて、あふれる水のように、
源泉から、とめどなく、眠っている力がわきあがってくる。
渚にては幻視する。
明確な意志をもって、夢からイメージを取り出す。
夢は、目が覚めるとすぐに消えてしまう。
渚にては、彼らは、彼女たちは、その壊れやすくはかない夢のイメージを、慎重な手つきでそっとそのまま取り出し、音の像をかたちづくる。
そのイメージは、人の外側と内側にある宇宙を映し出し、いつも新しく、日々変わり続ける。
渚にては、素直で純真でまっすぐで、「やさしくなる」ことを恐れない。
魂の奥底に手をつっこむことを恐れない。
夢じゃない
本当でもない
きっとそこは
言葉さえ届かないところ
(“影だけ”)
渚にての音楽は、究極のエスケープ・ミュージックであり、ヒーリング・ミュージックである。
立ち止まり、ゆっくり息を吸って吐く。遠くを眺め、心の旅に出かけるための手引きをしてくれる。
と同時に、渚にての音楽は、目のまえの現実に立ち向かう意志を鼓舞する力強いロックンロールであり、肉体と魂を芯から揺らすダンス・ミュージックでもある。
アルバム最後の曲 “何かが空をやってくる” では、軽やかに刻まれるギターのストロークとクラヴィネットが絡み合い、やわらかなコーラスとオルガンが重なりあう上を、エコーが飛び石のようにはねていく。
さざ波は徐々に満ち潮に変わり、寄せては返す波が潮騒とともに渦潮となり、やがて無限の奔流となって、空へ、宇宙へ、どこまでも広がる壮大な祝祭のランドスケープへといざなう。
潮の流れのようにしなやかにベンドするギターは、わたしが、あなたが、ここにいることをすこやかに肯定し、くじけ、うちひしがれた心に、立ち上がる力を与えてくれる。
春日正信