Home > Reviews > Album Reviews > Loscil- Clara
アンビエント・ミュージックには癒しの効果があるのはたしかだが、このジャンルには思考をうながす効果をはらんでいる作品もある。「この音楽体験はいったい何なんだろう」というわけだ。ロスシル名義で知られるカナダの「音響彫刻家」スコット・モーガンの新譜は、そのふたつを同時に作動させている。まずひとつの楽曲がある。それをひとつのビッグバンとして、いくつもの宇宙が生成される。モーガンはまずブタペストの22人による弦楽オーケストラに演奏を依頼し、それを3分の曲として7インチのヴァイナルにカットした。その曲はおそらくまずサンプリングされ、10通りの加工を施され、その結果、時間も趣も違う計70分にもおよぶ10曲が生まれた。どのような方法で加工したのかはぼくは知らない。とにかくそれが今回のアルバムとなった。モーガンはその作品に『クララ(Clara)』、ラテン語で「明るさ」を意味する言葉を冠している。「これはいったい何なんだろう」
その作風はブライアン・イーノによるかの有名な「アンビエント・シリーズ」に近いかもしれない。優雅で、ときに天使のようなサウンドが湧き上がり、ときにパーカッシヴな要素が微妙に絡み合っている。再生する音量や再生の仕方(スピーカー、ないしはヘッドフォン)によっても聴こえ方が変わってくるだろう。アンビエント・ミュージックのコンセプトを復習するにももってこいだ。
アルバムは闇にはじまる。あるいは、暗い宇宙空間を漂泊しているのかもしれない。まあとにかく、そんな感じなのだ。モーガンは長年、リスナーからのフィードバックで「あんたの音楽からは闇を感じる」という感想と、もうひとつ「あんたの音楽は瞑想的で落ち着きがある」というふたつの感想を聞かされてきたという。本作を作るにあたって彼は、自分の作品におけるそうした二面性を意識した。そこは闇かもしれないが、しかしそれは絶望ではない、瞑想の暗喩なのだ。
ブタペストのオーケストラを使った理由に、文化的な意味はない。インターネットでいろいろ検索した結果、制作予算内で雇えたのがたまたま彼らだった。打ち合わせもネットを通じておこなわれ、録音データもまたネットで受け取った。アルバム中、オーケストラの生演奏がそのまま使用されている箇所はごくわずかかもしれないが、この作品の温かみが弦楽器から来ていることは間違いない。曲が進むにつれて、じょじょに平穏な気配が広がっていくのだけれど、それはたとえば、ゆっくり時間をかけて変化する空を眺めているかのようでもある。とくにアルバムの後半にかけて控え目に感じられる平穏な感覚は、じつに素晴らしい。
これはアンビエント・ミュージックだ。リスナーが何かをするときの邪魔にならない音楽であり、無視することもできる音楽。仕事をしながら聴くこともできるが、音の世界に没入することもできる。ちなみにモーガンは1998年から作品を発表し続けているベテランで、今作が13枚目、メインストリームではないが世界中に熱心なファンを持っている。カナダのブリティッシュ・コロンビア州の南海岸という豊かな自然と隣接した場所で音楽を制作しているというが、じっさい彼は「自然の劣化(気候変動)」をテーマにしたアルバム(2016年の『Monument Builders』)、雲の細部を描写した写真を掲載したアルバム(2019年の『Equivalents』)など、たびたび自然をモチーフにしている、そんななかでも本作はより抽象性の高い、広漠とした宇宙を思わせる音楽が鳴っている。モーガン自身が自分の音楽はモノクロームだと言っているように、カラフルなサウンドとは言い難い。が、しかしそれはたぶん「明るい」のだ。
野田努