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Pan American

AmbientPost-Rock

Pan American

The Patience Fader

Kranky

野田努   Aug 02,2022 UP

 いやしかし暑いですな。本当に暑い。少し外に出ただけで汗が噴き出るし、夜も寝苦しい。でも、それでもぼくは夏が好きなんですよ。夏の空、入道雲、蝉の声、ヒマワリや朝顔、これだけでも気持ちが上がる。毎週通っている区民プールも夏休みの子供たちでいっぱいで、騒がしいけれどそのほうがいい。夏最高。
 と、そんな書き出しではじめながら、今年の2月にリリースされた、冬の木枯らしの荒涼とした写真をしつらえたアートワークに包まれているアルバムを紹介しよう。ビールを飲みながら聴いていると至福の時間が流れること請け合いだ。
 
 マーク・ネルソンによるパン・アメリカンは、ポスト・ロックなるジャンルがざわめきたった90年代後半に、シーンのいちアーティストとして脚光を浴びたベテランで、その前はラブラドフォードなるバンドのメンバーだった。ちなみに、同バンドの1stアルバム(1993年)こそシカゴの〈クランキー〉の第一弾であり、このレーベルの名盤の1枚にも数えられている。それに、スペースメン3やループといった80年代UKのモダン・サイケに影響された彼らのサウンドは、のちのレーベルの方向性(ロスシル、ディアハンター、ウィンディ&カール、スターズ・オブ・ザ・リッド、グルーパーティム・ヘッカー、そしてロウやGY!BEまで)としっかり符合もしている。つまり彼らが志向した音楽は、初期のシーフィールとも似た、アンビエントやドローン(ないしはクラウトロック)の要素を吸収した静寂のサイケデリア。パン・アメリカンは、ラブラドフォードで試みたポスト・ロックの青写真めいたサウンドから、アンビエントなギター・サウンドを抽出する格好でスタートしたネルソンのソロ・プロジェクトである。
 
 アンビエントを作る人のほとんどが使うのは、鍵盤の付いた電子楽器やコンピュータだが、ネルソンはギター演奏でそれを表現しようとする。パン・アメリカンとしては9枚目のアルバムとなる『ザ・ペイシェンス・フェイダー』もギター・インストゥルメンタルを集めた作品で、控えめなダブ処理はあるものの、エレクトロニクスには頼っていない。曲によってはハーモニカ(あるいはアコーディオンも?)も使っているようだが、ゆったりとした楽器の演奏による音色と旋律とその間(静けさ)によって彼のサウンドスケープは創造される。全編ビートレスで、どの曲も美しく、ブルージーだが、どの曲も夢見る響きを持っている。この繊細な音楽の素晴らしさは、なんといっても仕事をしたり、日々の心配事だったり、などといった毎日強制される時間感覚から解放されるという点にある。
 
 いま、『ヴァイナルの時代』という、レコードに関する本を編集している。ヴァイナル・レコードの魅力についての本で、社会学や哲学的なレヴェルまで掘り下げてレコード収集について述べられている本だ。レコードの魅力を語る上で、音質が良いという話がたびたび出てくるが、音質の善し悪しは聴き手の好みも入ってくるので主観的なことでもある。では、レコード・リスニングの魅力とは何かというときに、ひとつの理由として、それを聴いている体験は誰にもその履歴を追跡されないし、広告の入る余地もない、ただ自分のものとしてある、という話が同書には出てくる。これはCDでも、独立した再生機をアンプに通して聴く分には同じことになるが、重要なことだとぼくには思える。
 また他方では、レコードを聴くことは、時間感覚を変えるという旨も詳説されている。これもまた十分にうなずける話だ。一時期はぼくも流行に便乗して、電車に乗っているときもサブスクで音楽を聴いていた時期もあったが、ずいぶん前に止めてしまった。それはまるで、人間の持ち時間の隙あらばどんな時間帯でも消費活動に走らせる資本主義の一部のごときというか、生産性のない無駄な時間、何もしない時間がどんどん減っていっているような今日における、支配的なデジタル消費文化の一部に思えてしまうのだ(コンテンツなどという呼称は、それなしでは生きられないほど愛している人間や丁寧に聴かれることを望んでいる音楽にとっては侮辱的だろう)。個人として音楽を聴くことは、むしろそうした支配的な時間感覚から逃避することだったと思うし、ぼくにはいまでもそれが、音楽を聴くことを好んでいる理由のひとつだ。レコードを聴くということは、そのための時間を作ることでもあり、忙しい日々からいったん自分を切り離すことでもある。
 
 そんなわけで、地味な作品ではあるけれど、慌ただしい時間帯からの解放という点においては、パン・アメリカンの本作は良いセンいっている。ぜひレコードで……とは言いません。ただ、自分の部屋のなかで、すべての作業はいったん止めて、音だけに集中して無駄な時間を満喫しましょう。

野田努