Home > Reviews > Album Reviews > Nwando Ebizie- The Swan
先日……といってももうかれこれ2ヶ月以上前の話だが、坂本慎太郎のライヴに行って、ぼくがもっとも感動したのはベースだった。OOIOOのAYAのベースは、録音物にはない迫力で身体に響いてくる。それは宇宙的であり、瞑想的でもあったが、あの躍動感は傑出していた。
女性には男性にはないグルーヴ感覚があるとぼくが確信したのは、テクノやハウス・ミュージックを好きになり、クラブで踊るようになってからだ。クラブに通いだすと、フロアで、ちゃんとリズムに乗って踊りたくなるもので、ロックのライヴのように頭の上下運動や手を振り回したりとか、そんな単純な動きしかできない自分も、それこそいつぞや三田格も書いていたように、腰で踊ることを会得したいと思ったのだ。まあ、壁に張り付いてビールを片手に頭をぐらぐらさせているような男性などまずいなかった時代だったし、踊りたいからそこに通っているわけで、おのずとダンスという行為に自覚的になるわけだが、はっきり言って、ダンスフロアで滑らかにリズムに乗れている多くは女性だった。だからぼくは、女性の動きを教師として踊り方を学んだ。ハウスはもちろんのことドラムンベースのパーティでも、プロのダンサーでもないのにちゃんとリズムに乗れているのは女性で、そこには男性にはない柔軟な身体感覚があるとしかぼくには思えない。フロアでつね女性が目立っていたのは、踊りがうまいからだった(いまでも、そうなのかな?)。
Nwando Ebizie——「ンワンド・エビジ」のカタカナ表記で合っているのだろうか、わかる方がいたら教えてください。とりあえずここはンワンド・エビジで進めます。
ナイジェリア系で、UKのウェスト・ヨークシャー州トッドモーデンを拠点にしている彼女は、音楽家であり、研究者でもある。2007年頃からアフリカの哲学や宇宙論、神話、〈Black Atlantic〉における儀式の文化を研究しているという。しかも彼女はダンサーでもある。
エビジは最近、マシュー・ハーバートの〈アクシデンタル〉から『The Swan』なるアルバムを出したばかりで、これがじつになんというか、シャバカ・ハッチングとビョークとOOIOOをナイジェリアのひとつのスタジオに詰め込んだような、衝撃的で、ユニークな音楽だった。因習打破的で、リズムが魅力的で、そしてその音楽はジャンルの壁を越えている。母系社会の可能性を追求し、現在必要とされているものを増幅させるために古代を参照していると〈アクシデンタル〉は解説している。
アルバムは、それこそサンズ・オブ・ケメットの扇情的な旋律と歩を合わせるかのようにはじまる。そして、ハイパー・ファンク・パンクの“I Seduce”へと展開。この曲は、その次の“The Swan”へと繋がる、共同体的な雰囲気をもったダンス・サウンドだ。先行シングルとして発表された“Myrrha”はアート・アンサンブル・オブ・シカゴを彷彿させるアヴァン・ポップといった趣で、“Liturgy”はムーア・マザーの『Sonic Black Holes』の隣に置きたい曲かもしれない。アリ・アップを思い出さずにはいられないコズミックなダブ空間“True Believer”のような曲もあれば、シャンガーンをやったレインコーツのような“No!”とか、どの曲にも面白いアイデアが詰まっている。最後の2曲、催眠的なリズムの“Renewal”、そしてアフロ版ビョークと形容できそうなクローサー“ Something Like Empathy ”もかなり良い。
歌詞には、(反資本主義、インターネット文化の腐敗など)いろいろな意味が込められてるらしいが、ぼくにはわからないので割愛する。「この宇宙には、現在、未来、過去に存在する女性たちの社会があり、このアルバムはそのメタ・ストーリーのいち部です。彼女たちが見つけたもの、話しているもの、祝っているものを通して語られています」と彼女は『クワイエタス』の取材で話しているが、そのなかで、エビジは人種という概念は西欧の植民地主義が作ったものであることを強く説いている。黒人は白人から黒人と呼ばれたことで自分が黒人であることを認識するというこれは、学者ポール・ギルロイの「反人種(against race)」という考え方と同じで、彼女は植民地化される前のアフリカの音を収集し、作品のなかに注入にしている。これが彼女のいう「過去」から「未来」へという意味だ。
ちなみに人種とはフィクションだとするギルロイの「反人種」なるコンセプトは、黒人性に特別な執着をもたなかったデトロイト・テクノ第一世代ともリンクしているのだが、アメリカでは受けなかったそうな。黒人社会学者W.E.B.デュボイスがいう「二重意識」、つまり他人の目を通して自己を見る感覚を内包しながら生きること、白人からの蔑称「ニガ」を逆手に取ってひとつの立派な芸(ラップ)にさえしているアメリカでは、それはたしかに夢見るユートピアも良いところ、理想主義的すぎる話だったのかもしれない。だが、いまここにその理想主義に準じるアート作品が生まれたという事実に、ぼくは密かに期待を寄せている。
野田努