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ガンナー・ヴェンデル、カッセム・モッセ名義4枚目のアルバムは古巣、ロウテック率いる〈Workshop〉から。本名義での〈Workshop〉からのリリースはというと、コレより前がファースト・アルバムにあたるLP2枚組『Workshop 19』が2014年、ということでココからのリリースはじつにひさびさ、9年ぶりの作品となるわけですね。もろもろのコラボやライヴ盤などを除くと名門〈Honest Jon's Records〉からの2016年『Disclosure』、続く、自身のレーベル〈Ominira〉からは『Chilazon Gaiden』を2017年にリリースしています。またマンチェスターのレフトフィールド・テクノなレーベル〈YOUTH〉(〈PAN〉の切り開いた「その後」を個人的には感じてしまうレーベルです)から、別名義の Seltene Erden で2020年にリリースしたり。また上記のようにコラボや DJ Residue 名義で〈The Trilogy Tapes〉からアブストラクトな電子音響作品『Residual Manifesting』のテープ・リリースもありますが、今回は待望の本名義のアルバムと言えるのではないでしょうか?
2010年前後、〈Workshop〉がもろにそうですがディープ・ミニマルからの、セオ・パリッシュなどのローファイでラフなハウス・サウンドを昇華したある種のジャーマン・ディープ・ハウスの新たな展開、そうした流れの象徴的なアーティストのひとりとしてあげられるのではないでしょうか。そのサウンドは上記『Workshop 19』あたりを聴いていただければと思いますが、セオ・パリッシュの影響を感じさせるビートダウン・ハウスを、さらにドイツ流にミニマルにクリアに展開といった感覚のサウンドで注目を集めました。
さて時系列的にそのサウンドの流れを追うと、セカンド『Disclosure』はちょっと異質な作品で、ディスコグラフィーを後から見渡すと、どちらかと言えば Seltene Erden 名義や DJ Residue 名義のアブストラクトな電子音の冒険の前哨戦といった感じもします。前作にあたるサード『Chilazon Gaiden』は、そうした電子音の実験がストレンジな音感のハウス・グルーヴへと進んだ感覚で、ファースト『Workshop 19』が醸し出すムードとも、セカンドの電子音響的な実験的な世界観とも違ったシンプルなリズムの探求を目指した結果という感覚もします。どこかグルーヴだけを手がかりにストーリーやムードといった表現を排除したような、「鳴っている」ことの面白さを極めているようなそんな作品です。
こうしたキャリアのなかでリリースされた本作は『Chilazon Gaiden』で示されたクリアな質感とシンプルなリズムを表現の中心に備えた作品ではありますが、同時に初期にあったデトロイト・ディープ・ハウスの影響を後半に見せてもいるのが特徴ではないかと。アルバム冒頭、シンプルなフレーズとパーカッションが蛇行したグルーヴを淡々と作る “A1”、彼の真骨頂とも言えるディープ・ハウス・トラック “A2”。このあたりはリズムの冒険を中心に据えた楽曲と言えると思いますが、こうした楽曲でこれまでの作品になかった要素としてあげられそうなのは、ダビーとも表現できそうなサブベースの使い方(サブスク音源だったりあまり現代的でない指向性のスピーカーだとそれほど伝わらないので再生環境に注意が必要ですが)。ミキシングなのか機材なのかマスタリングなのか判断しかねますが、本作の下の方でブンブンと低音が鳴っているのが結構印象としては強いアルバムです。
リカルド・ヴィラロボス的なサイケデリアを発する “C1” やキックを排した “D2” などの楽曲にもやはりベースラインがよりサウンドの要として活躍しています。リズム、フレーズ、そしてスウィングする地鳴りのようなサブベース、この3つの要素が有機的にからんでグルーヴを作り出していく、そんな印象を受けます。“B1” や “B2” はベースラインの印象は薄いですが、初期ハーバートあたりを彷彿とさせるストレンジなファンクネスです。このあたりの要素は『Chilazon Gaiden』の先にある作品であることは間違いないでしょう。そしてアルバム後半はハイライトとも言える “C2” 以降、前作にはなかったストリングスが流麗にムードを作り出していて、このあたりは逆にファーストあたりで見せていたデトロイト・ディープ・ハウスの影響をひさびさに感じさせるサウンドになっています。アルバムのラスト “Provide Those Ends” は “C2” のダブ・ヴァージョン的な趣ももあります。
テクノ由来の電子音の実験性が醸し出すストレンジな感覚、淡々とどこまでも続く抑制的なディープ・ハウスのグルーヴ、このふたつの有機的な絡み合いがこの名義の魅力と言えるとは思いますが、本作では彼のキャリアをひとつ総括するように、その才覚が遺憾なく発揮されています。サブべースの援用はもちろん昨今の制作ソフトウェアや機材、モニタリング機材、PAを含めた再生・音響技術の変化といったテクニカルなところから、不断となったベース・ミュージックとハウス/テクノの関係性というモダンなシーンへの反応というアップデートを示すものとも言えるでしょう。ともかく、なんというかミニマルなジャーマン・ディープ・ハウスの真骨頂、そんな言葉が浮かぶアルバムです。アゲず、終わらずなグルーヴの感覚、そこから導き出されるヒプノティックないわゆる「ハメ」の感覚は、バシッとDJプレイでハマったときに「アレからのコレ」なのか「コレからのアレ」なのか、まぁともかくこうした楽曲の真価はそうした瞬間に訪れるものですよね。