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Oracle Sisters

Indie Rock

Oracle Sisters

Hydranism

22TWENTY / Pヴァイン

Casanova.S Oct 24,2023 UP

 何か見たり聞いたりしていて「最高」という言葉がよく出てきてしまうのだけど、その「最高」はいつのそれと比べてどうかというのではなくて、その瞬間他の存在は一切忘れて頭の中にそれしか浮かばなくなるということなのではないかとぼんやりと考えたりする。この幸せはこの前の幸せと比べてどれくらいの幸福なんだろうなんて考えずにただ湧き上がってくるこの感覚を楽しむ。幸せの種類も、好きな音楽の種類もいろいろあって年齢を重ねるごとにヴァリエーションが増えたり減ったりするのだろうけれど、いまこの瞬間に感じる幸福はたとえ明日には消えてしまうのだとしてもきっと唯一無二のものなのだ。

 そんなことをパリを拠点に活動する3人組のバンド、オラクル・シスターズを聞きながら頭に浮かべる。ギリシアのイドラ島(アルバムのタイトル『Hydranism』にもその形を残している)で録音されたというこのアルバムは柔らかく暖かい光に溢れリゾート感を漂わせそして少しの寂しさを滲ませている。明るすぎてもダメだし明るいだけでもダメで、大事なのはきっとそのバランスなのだろう。1曲目の “Tramp Like You” を聞けばそれもきっとすぐにわかるはずだ。あっという間にノスタルジックな空気に包み込むピアノの音と静かに寄り添うアコースティック・ギター、耳に飛び込んでくるファルセット・ヴォイスは抜群の抜け感で、思い出に包まれた幸福なまどろみが訪れる。そうして曲が終わる頃には頭の中のしがらみや他の全ては抜け落ちて、ただひたすらにこの喜びに満ちた音が生み出す心地の良さの中にどっぷりと浸かり込んでしまうのだ。

 バンドのインタヴューによるとこのアルバムは古いカーペット工場を改装したスタジオでレコーディングされたものだと言う。機材をロバで運び、古い井戸の中でヴォーカルを録音し、かって絨毯を織っていた部屋、その必要がなくなった後にそこで暮らす人びとがダンスを躍るボールルームとして利用されていたというその部屋でピアノやアコースティック・ギターを録音する。レコーディングしていた時期に嵐が島にやってきて島の封鎖が発表された。船は出ず誰もそこから出られなくなった。そんな中でオラクル・シスターズは風でカタガタと震えるスタジオに籠もってアルバムを制作した。
 だからということもないのかもしれないけれど、しかしこのアルバムからはどこか浮世離れしたような少し不思議な雰囲気が漂ってくる。それは外の嵐から逃れた、陽光にあふれた島の日常の風景を思い描いたものだったのかもしれないし、あるいは現実の暗いトーンが空想上の幸せな世界に影を与えているのかもしれない。とにかくこの音楽は逃避的な喜びの音楽であるのと同時にどこか憂いを帯びていて、それがこの心地の良さにより一層の深みを与えている。きっと悲しさも喜びもどちらもあるから幸せを見つけられるのだ。

 あぁそれにしてもこのアルバムの音楽はなんと幸福な瞬間に溢れていることか。響き渡るサックスの音と体を静かに突き動かすようなドラム、叫びだしたくなる気持ちが我慢できなくなってしまったみたいに漏れ出る掛け声、“Hot Summer” はノスタルジックにいまを映し出し、“RBH” のギターのリフはまるで冷えたサイダーの泡みたいに心を騒がし、そうして余韻を残して消えていく。それはまごうことのない快感で、このシンプルな音の気持ち良さが何度も幸福感を連れてくる。
 そしてアルバムの後半はもっと60年代を感じさせる曲が増える。黄金時代のマエストロたちの小品のように気取らずにさりげなく装飾が施されたアレンジ・ワーク 、ユリア・ヨハンソンがヴォーカルを取る “Ruby on the Run” ではこれ以上がないくらいのタイミングでストリングスが入ってきて、その瞬間にたまらない快感に包み込まれるのだ。

 このアルバムはそうであるのが当たり前かのように自然体でノスタルジックな幸福感を作り出している。それはポラロイドや使い捨てのカメラを使って撮った写真のようにいまのこの瞬間に違ったタッチを加えていく。たとえばオールウェイズのエヴァーグリーンの青春感、あるいはビーチ・フォッシルズの消えない輝き、そしてオラクル・シスターズはそれらよりもくすんだオフビートな喜びを運んでくるのだ。輝きがこぼれ落ち、地面に吸い込まれたそれが再び芽吹く姿を眺めるような、ここにあるのはそんな音楽だ。
 もちろんその瞬間にならないとわからないことではあるけれど、この音楽はたとえ10年前に聞いていたとしても、あるいは10年後に聞いたとしてもきっと最高だって思えるようなそんなタイムレスな幸福感に満ちている。現実を描いた空想の音楽は古ぼけてはいても決して古くはならないのだ。

Casanova.S