Home > Reviews > Film Reviews > 密偵
ヴァイオレンス映画やホラー映画が専門なのかと思っていたキム・ジウン監督の新作は日本統治時代の大韓帝国を扱った抗日アクション映画。エンターテインメントであることは外していないものの、これまで緻密に描きこんできたテンションや恐怖感とはどこか焦点が異なっている。拷問シーンなどもあっさりとしたもので、これが残虐極まりない『悪魔を見た』(10)と同じ監督なのかと思うほど。アクション映画とは書いたものの、これもくどいほどヤクザ同士が殺し合う『甘い人生』(05)に比べれば非常に淡白で、そもそも血がそんなにほとばしらない。爆破シーンもカメラは引きになってしまう。抑えたものである。「反日」を強く印象づけているとも思えず、日本人が為政者としてわざとらしく振舞っているシーンも皆無。刑務局のトップを演じているのは鶴見辰吾で、これはけっこう冷酷な役ではあるけれど、日本ではもっと冷酷な役を鶴見は演じまくっている。そう思うと単なるナイス・キャスティングである。では、どこにパワーを振り向けているのか。
この夏、韓国で公開された『軍艦島』が日本のTVニュースなどでも話題になった。日本統治時代に長崎の軍艦島で朝鮮人たちが強制労働に就かせられ、脱出を試みるというエンターテインメント映画だそうである。観ていないのでなんともいえないけれど(つーか、日本では公開されない?)、どうも韓国通らしき人のブログなどを読むと大韓帝国における「親日派」の表現に違和感があるらしい。日本がどうこういう前に日本に尻尾を振っていた同胞にすっきりしないものがあり、日韓両国でメディアが大騒ぎしたほどの映画ではないというのである。詳細はやはり観てみないことにはわからない。しかし、キム・ジウンが『密偵』で力を入れていたテーマが、そう、これと同じだった。「親日派」をどう描くか。『軍艦島』を観てからつくるのは時間的に無理なので、まったくの偶然なんだろう。監督自身は現在の北朝鮮と大韓民国に分かれてしまう前の大韓帝国について考えてみたかったということもあるらしい(日本による占領時代を舞台設定とした作品はこの2~3年だけでも『暗殺』や『お嬢さん』などけっこうな数がある)。
オープニングで刑事イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)は日本からの独立運動を進める義烈団(ウィヨルダン)のメンバーを追い詰める(義烈団は実在した組織で、作中で行われる爆破事件はすべて史実)。イは朝鮮総督府の刑務局部長ヒガシ(鶴見辰吾)の命令で義烈団の全貌を探り、ハシモト(オム・テグ)もその捜査に加われと命じられる。義烈団の団長チョン・チェサン(イ・ビョンホン)はイを味方に引き込もうと画策し、二人は共に酒を酌み交わすことになる。大韓帝国にとどまることが難しくなった義烈団はいったん上海に逃れ、爆弾を大量に入手して、再び、京城へと引き返す。列車に乗り込んだ彼らはメンバーのなかにハシモトの密偵が潜んでいることを知らされ、発車寸前に乗り込んだイやハシモトらと車中で攻防戦が繰り広げられることに。
韓国系といえば『スノーピアサー』(14)や『新感染』(16)など走行中の列車のなかで登場人物たちが活劇状態に突入するというヒット作が続くのは偶然なんだろうか。狭い空間には経済的に厳しくなってきた韓国の閉塞感が投影され、パニックに陥ることが幻視されているのだろうか。『密偵』で興味を引いたのは、そうしたパニックは適度に回避され、登場人物たちが空いている席にスッと座ることで何度も危機を切り抜けることである。それだけ空席があり、余裕があることを示すことで全体は落ち着くことができる。まるで「親日派」について考えることもそうした余裕から生まれると同作は示唆しているような気がしないでもなかったけれど、警察が待ち受けている京城に着くと、結局はパニック状態を招き、独立運動は頓挫したかに見える。「親日派」の心が深く揺れ出すのはここからである。誰もが初めから抗日の活動家などではなく、占領下にあってはもっと弱い人間だったのではないかという問いが後半のストーリーをドライヴさせていく。韓国では『軍艦島』よりも『密偵』の方がヒットしたそうなので、エンターテインメント以上の問題意識がここでは評価されたと見ていいのかもしれない(反米を強く打ち出した『シン・ゴジラ』とは逆パターン?)。
ソン・ガンホが演じたイ・ジョンチュルはまったく表情が読めない。「密偵」というのはダブル・ミーニングでもあり、イがどこで何を感じ、どう思ったかは観客次第だし、その解釈によって「密偵」が意味する範囲も変わってくる。ソン・ガンホの演技は、そうした解釈の幅を主人公の「心の揺れ」として感じさせるところが素晴らしい。角度によっては毒蝮三太夫に見えてしょうがない人だけれど、やはり『シュリ』(99)や『殺人の追憶』(03)といった名作に起用され続けてきただけのことはある。また、僕が役者として見飽きなかったのはハシモト役のオム・テグ。日本人を演じているのはやはり無理があったとはいえ、こまわり君を思わせるメイクのせいもあって、その風貌だけで遠くまで持って行かれてしまった。すでに彼を指してオムファタールなどというフレーズまで生まれているらしい(内輪受けですいませんが「倉本諒が真面目な役者としてデビューしたら、こんな感じになりそう」とか言いたい)。
日本の占領時代といっても舞台の大半は20年代に集中していた。セットによって再現された京城の景観は高貴な佇まいを示し、西欧的なモードとも巧みに折り合った独自の豊かさを感じさせた。『グエムル』(06)や『息もできない』(08)で見慣れた現代の景色とはまったく異なる雰囲気であり、戦後に続いた軍事政権とはもちろん異なっている。この時代を描き出す目的は日本に占領されていたことを思い出すための記憶装置としてだけでなく、日本でいえばバブル回顧のような側面もあるのかなあと。1997年と2008年に2度も通貨危機を経験した韓国は現在、またしても構造危機に陥っているとされ、恋愛や結婚、出産を諦めた若い「三放世代」がさらに仕事や家、夢や人間関係も諦めた「七放世代」に膨れ上がり、すべてを諦めた「n放世代」にまで発展しているらしい。現在の韓国で義烈団がどのように振り返られているのかはわからないけれど、テロリズムを肯定した『密偵』は様々な意味でガス抜きの効果も備えているのかもしれない。
三田格