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アイスと雨音

アイスと雨音

監督・脚本・編集:松居大悟
出演:森田想、田中怜子、田中偉登、青木柚、紅甘、戸塚丈太郎、門井一将、若杉実森、利重剛/MOROHA 
音楽・主題歌「遠郷タワー」:MOROHA
配給:SPOTTED PRODUCTIONS

3月3日(土)、渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー
Ⓒ「アイスと雨音」実行委員会
http://ice-amaoto.com/

三田格   Mar 03,2018 UP

 これは驚いたな。松居大悟といえば男子高校生が学園祭で大騒ぎするだけの『男子高校生の日常』とか男子高校生が女子高校生の脱毛を手伝う『スイートプールサイド』とか大事なことなのかそうでもないことなのかもよくわからない青春映画を丁寧に撮っている監督だと思ってるわけじゃないですか。確かにクリープハイプのプロモーション映画『自分のことばかりで情けなくなるよ』はプロパガンダの範囲を大きく超えてロック・バンドの表現がここまで来たかと思うような面はありましたよ。大島渚が撮ったフォーク・クルセダーズの映画『帰って来たヨッパライ』に匹敵するとは言わないけれど、神聖かまってちゃんの映画よりは1000倍ぐらい面白かったし、クリープハイプの名前も一発で覚えましたからね。でもですよ、『アイスと雨音』も青春映画ではあるけれど、いままでとはぜんぜん違うんですね。すべてワン・カットで撮影されていて、それは内部事情に詳しい朝倉加代子監督の密通によると全行程14日のうち、12日をリハーサルに費やして最後の2日間で3テイク撮ったものから最後のヴァージョンが完成形ということになったらしいです。実験映画なんですよ。邦画ですよ。同じ映画が3ヴァージョンも存在するんですよ。設定を聞いて下さいよ。舞台稽古の読み合わせから話は始まって、演出家と役者が鬼のようにぶつかり合って、ひとつの舞台が出来上がっていくなーと思っていたら、いきなり、その舞台が中止になるんですよ。みんな、がっかりですよ。やりがい搾取だなんだといろんなことを言われてる時代に、とりあえずは役者たちが一所懸命、稽古をしている場面を観てきた観客も一緒にがっかりですよ。しかし、それからですよ、この話は。中止になったにもかかわらず、役者たちは下北沢の本多劇場に忍び込むんですね。ここで、あッ!と氷解しました。これは『バードマン』のパクリなんですよ。もとい、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥがアカデミー賞を取った『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と似た発想で、「舞台裏」というものを念入りに描こうとしたのが『アイスと雨音』なんですね。それではもう少しゆっくりこの作品を観ていくことにしましょう。ワン・カットだからといってワン・パラグラフで全部書いたら読みにくいですからね。

 ト書き:いつもの文体に戻る。

 台本の読み合わせから話は始まる。最初のうちは断片的に、こうした稽古の場面が繰り返され、テロップによって日付が変わっていくことが示される。友だちが町から出ていくと聞いて、それを聞いた仲間たちがあれこれとリアクションを返す。観客はどのような舞台にするとか、方向性のようなものは何も知らされていないので、演出家が役者の演技に注文をつけても、どこがどう悪かったかはわからない。ダメ出しの理由は明確に述べられているので、プロっぽいなーとか思うだけ。どこまでが稽古で、どこからがそうではないのかが意図的に混乱してしまうように撮られているので、当然のことながら混乱しそうになりながら観続ける。つーか、その連続。日常会話かと思うと劇のセリフだったり、外に買い物に行くはずが、路上で一人稽古が続いていたり。これだけで充分、飽きさせないのに舞台音楽として設定されているはずのラップ・グループ、MOROHAもカメラのフレームに入ってくる。演じている人たちには見えていないという設定で、舞台からインスパイアされたらしき内容のラップが時々入る。役者の心情を代弁したり、挑発したりする内容のものもあった。そして、役者たちは突然、公演が中止になったことを制作サイドから告げられる。チケットが売れなかった。ガラガラの観客の前で演じても君たちの未来に傷がつくだけだとかなんとか。遅刻してくる役者がいて、みんなが受けているショックに時間差で追いつたりする。そして、何日かは稽古場を片付けるためにやってくるスタッフと役者たち。ここでまた稽古が再開する。上演されないかもしれないけど、やろうと言い始める人がいて、その気になる人もいて。そして、その熱は次第にエスカレートし、彼らの足は自然と本多劇場に向かう。

 ト書き:ここまで書いた文章を自分宛てにメールで送り、他人が書いた文章であるかのように読み直す。

 経済原理が若者の行動すべてを支配できるかという話である。そこは簡単。だから、このまま上演を決行すれば君たちのキャリアに傷がつくと言われた時に誰も言い返せない。コクトー・ツインズが初めて日本に来た時は15人ぐらいしか観客はいなかったし、アンダーワールドの初来日も40人ぐらいしかクラウドはいなかった。それが笑い話にできるぐらい彼らはビッグになったということになるけれど、君たちにはその可能性はないと言われたも同然なのに。確かに、昔とは違って、人が入らなかった作品にはその数字が付いてまわり、一度ヘマをするとなかなか取り返しがつかないという社会構造にはなりつつある。数字というのは侮れない。ウソをつくわけでもない。そう、公演を中止にした人の言い分は正しいのかもしれない。しかし、目の前に希望をぶら下げられて、それを取りあげるということはそこから広がるはずだった可能性もまた閉ざされるということであり、経済的にはそうかもしれないけれど、希望をぶら下げられた方にはそこだけで計算が終了するというスケールの話でもない。ここから、まるで経済の外に、それこそ資本主義の外側に主人公たちが飛び出していこうとする「衝動」がクローズ・アップされてくる。それがあまりにも自然にこの映画では描かれていた。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』や『ディストラクション・ベイビーズ』が描く若者たちの暴走は心象風景としては共感できただろうけれど、実際に同じことをやるかと言われれば「やりませんよ」と誰もが答えるだろう。「やるはずがないじゃないですか」と。しかし、『アイスと雨音』で起きることは、やってやれないことはない範囲の行動で、いわば人の迷惑になるようなことをあえてやるのである。ここ数年に限っていえば屈託のないティーンムーヴィーと若者の貧困を描いた作品には同時代性を見出すのが困難なほど開きがあり、どちらかといえばティーンムーヴィーの側にいるのかなと思っていた松居大悟がこうして暴走する若者たちを撮ったものだから、冒頭にも書いたように僕は驚いたわけである。溝が埋まってしまうとは言わないけれど、どちらかに収まっているよりは、この作品が「一歩踏み出した」ことは確かだろう。

 ト書き:気持ち的には70年代の青春映画に話を大きく広げたいところだけれど、ほかの原稿もあるので、いい加減、まとめなければいけない。

 労働とアイデンティティは切り離した方がいいという議論がある。経済と人格は別にした方が楽だろうし、そもそも労働で自己実現できる人の数はたかが知れてるとも。これだけ労働に対する価値観が揺れている時期に若い時代を過ごすということは、昔のように「真面目に働くのが一番」というスローガンとそれに反発するエネルギーという図式とはまったく違うところに放り出されているということだから、自分なりの労働観を形成するのも一苦労だろうし、何をやっても迷うだろうなとも思う。『アイスと雨音』にはそのような時代背景も巧みに織り込まれているように見えるし、あくまでも「衝動」をクローズ・アップしているわけだから、彼らの行動のすべてを語るのも無理だろうと思わせるものがある。観客が誰もいない劇場で彼らが演技を始めた時、それは誰も読んでいないSNSに書き込む行為にも通じ、「誰とも繋がってなんかいない」とかいうセリフがすべてにオーヴァーラップしていく。だから、楽屋裏を晒したんだろうという作品なのである。観たいのは表現じゃなくて、「その裏側では」ってやつなんでしょうと。『バードマン』にあふれていたスノビズムはここにはない。
 2時間ぐらい観ていたのかと思ったら、この映画、たったの70分だった。


三田格