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楽園

楽園

監督・脚本:瀬々敬久
出演:綾野剛 / 杉咲花
村上虹郎 片岡礼子 黒沢あすか 石橋静河 根岸季衣 柄本明 佐藤浩市
 
原作:吉田修一「犯罪小説集」(KADOKAWA刊)  
配給:KADOKAWA 
© 2019「楽園」製作委員会
10月18日(金)全国ロードショー
https://rakuen-movie.jp/

三田格   Oct 29,2019 UP

 10月中に絶対『ジョーカー』を観るぞーと思っていたのに、僕のまわりは全員がネガティヴな評価で、しまいには「観なくていい」とまで言われ、いや、ホアキン・フェニックスにトッド・フィリップスだし、自分の目で観なくては……と思っていたにもかかわらず、10月最後の週末に足を向けたのは『楽園』でした。口コミってボディブローのように効いてしまうんです。

 酒鬼薔薇聖斗の社会復帰を暗示した『友罪』(18)、大正時代のアナキストと女相撲を交錯させた『菊とギロチン』(18)に続いて瀬々監督が取り組んだのは吉田修一の短編2作を合わせた限界集落の閉鎖性。これまで吉田修一といえば李相日監督が『悪人』(10)、『怒り』(16)と力作を連発し、大森立嗣監督が『さよなら渓谷』(13)、沖田修一監督が『横道世之介』(13)と水際だった作品ばかりなので、『ヘヴンズ ストーリー』(10)や『64(ロクヨン)』の瀬々監督なら、それらを上回るストレートな社会派エンターテインメントが期待できるだろうと。

 一面に広がる田んぼをタテ移動で見せ、森の中をヨコ移動でそれに続けると、中年の女性がヤクザ風の男に殴る・蹴るの暴行を受けている場面へカメラは寄っていく。黒沢あすか演じる中村洋子は村のフリーマケットに許可なく参加してしまったようで、それを咎め立てた男に問答無用で暴力を振るわれていたのである。綾野剛演じる息子の中村豪士は最初は車の陰で怯えているだけだったけれど、なんとか助けを呼びに行き、柄本明演じる藤木五郎らが「まあまあ、大目に見てやれ」とその場を収める。この母子は難民で、様々な国を転々としながらようやく長野県にたどり着いたことがだんだんとわかってくる。(以下、ネタばれ)タイトルの「楽園」というのは難民たちが日本に対して抱いているイメージのこと。中村豪士は体が弱く、綾野剛による体の動かし方はいわく形容しがたいものがあり、これがひとつの見所になっている。

 場面変わって2人の少女が田んぼの脇でシロツメクサを積んでいる。2人は仲が良いのか悪いのかよくわからない雰囲気を醸し出していて、まるで仲違いでもしたように別な道を通って帰っていく。Y字路を左の道に進んだ「あいか」が、そして、行方不明になる。村中が総出で「あいか」の捜索を始め、やがて川べりでランドセルが見つかる。12年後、「あいか」と別れてY字路を右の道に進んだ湯川紡は東京の青果市場で働いている。村の祭りで笛を吹く要員が足りないというメールを受け取った湯川紡は村に戻り、祭囃子の練習に参加した夜、帰り道でうしろから近づいてきた自動車に驚き、自転車ごと転んでしまう。それが中村豪士との出会いだった。湯川紡を演じる杉咲花はまだ若いのに、最近のTVドラマで観ていると何もかもを知り尽くしたおばばさまのように超然とした雰囲気を持った女優で、頼りなさのようなものとは無縁に思えてしまうのに、それが『楽園』では自分に自身を持てない気弱な女性を演じながら、それが最終的には少しずつおばばさまめいてくるところが、もうひとつの見所。

 物語が大きく動き出すのは12年前と同じ事件が起こり、村人Aが「犯人は中村豪士だ!」と叫んだのにつられて村中が中村豪士の家に押し寄せるところから。逃げ出した中村豪士は蕎麦屋に逃げ込み、全身に灯油をかけたまま、店の中に立てこもる。これらのシークエンスに村祭りの場面が交互に差し挟まれ、わざわざ東京から駆り出された湯川紡の視点ということなのだろう、祭りの描写は共同体の外側から冷静に観察されているように熱を帯びず、何か異様なものを見ているような雰囲気に終始する。真利子哲也監督『ディストラクション・ベイビー』(16)ほどではなかったものの、近年の邦画では地方の共同体が否定的に描かれるとき、このように祭りをストレンジなものとして描く傾向がある。ついでに言うと、つい4日前にTVで放送された即位の礼で手を振って万歳を叫んでいる人たちも、浅田彰ではないけれど、さすがに僕も(自粛)に見えてしょうがなかった。ということは、『ディストラクション・ベイビー』も『楽園』も近代人の視点でつくられているということである。日本列島が呪術に覆い尽くされているわけではない。

 村祭りのクライマックスは宮司が燃え盛る松明を振り回すシーン。それと同時に頭から灯油をかぶった中村豪士はライターをかちっと鳴らす。ここで第1部は終わり。想像通り、第3部では中村豪士が火だるまとなって焼け死んでいく様子が描写される。村祭りはいわば生贄をシミュレートしていたわけだけれど、「あいか」ちゃんのような事件が起きると、そのような擬似だけでは事態を収束できないことがここでは示されている。イラク戦争をオーヴァーラップさせたクリント・イーストウッド『ミスティック・リバー』(03)でも生贄が必要だという意味では同じストーリー展開だったことを思い出す。

 中村豪士の家に押し寄せた群衆のひとり、佐藤浩市演じる田中善次郎が第2部の主役となる。田中善次郎はUターン組で、若い人がいなくなっていく村では様々な人の役に立つことができる人材として重宝されていた。田中はそうしてあちこちでちやほやされているため、調子に乗って養蜂で村おこしをしようと提案したあたりから雲行きが変わっていく。それから起きたことを抽象化していうと、権力者がその優位を確保するために、新たな経済の発生に存在価値を認めず、村から若い人たちが逃げていく要因をますます強くしていったということになる。新自由主義というのは根っからの悪者のように言われているけれど、この村と同じように守旧派なりが利権を独り占めしている時に、その恩恵を機会均等にし、自由競争の状態にすることが目的のひとつであった。そのためには政治にメスを入れ、いわゆるアメリカン・ジャスティスを機能させなければならず、悪と戦う姿勢が根本にはあったはずなのに、公共事業の民営化など利権がバラけ始めると目先の利益に飛びつくだけが能となり、いわば村社会の利権が前門の虎なら新自由主義が後門の狼という配置ができあがってしまい、どちらにも属さない人にとってはこの世は地獄もいいところとなっていった。それが「平成」という時代である。日本では新自由主義というよりも経済右翼といった方が実像に近いだろうし、多くのリベラルが新自由主義に変質したのもそうした正義感に感応して新自由主義を選択したわけであって、なにも最初から欲ボケでそうなったわけではないだろう。ちなみにこうした事態に対して「第3の道」があると宣言したのが、ザ・KLFも期待を寄せたトニー・ブレアで、しかし、「第3の道」とは具体的なアイディアでもなんでもなく、ただ言ってみただけだったというのがすでに22年前。

『楽園』が剥き出しにするのは新自由主義ですら入り込む余地がない、それ以前の価値観で動く世界であり、原発でもいいし、文化庁の助成金システムでもいいけれど、守られなくてもいい日本と守られなければいけないはずの日本が逆転し、グローバル時代に奇妙なダブル・スタンダードが都合よく使い回されていることが痛感させられる。都会から地方に移住した人がゴミ収集に参加させてもらえないという話はよく聞くところだけれど、田中善次郎も同じ目に遭い、事態はどんどん悪化していき、ついに彼は村人を襲い始める。選択肢を奪われ、追い詰められていく佐藤浩市の演技もとても納得のいくものだった。そしてそれは李相日監督が映画化した『怒り』では抽象化するにとどめられていたテーマの種明かしにもなっていた。第3部は無惨極まりない結末の嵐である。それこそ5分おきにありとあらゆる道が閉ざされていく。韓国映画の代名詞となったポン・ジュノ『殺人の追憶』(04)にはさすがに及ばないものの、まったく揺るぐことのない体制の前ではどうすることもできないという徒労感では同格か、引けを取らない作品だというか。

 多様性の掛け声も虚しく、日本はやはり個性を認める社会ではない。どんなレヴェルであれ、権力者が自分の家来になったものにその力を譲り渡すだけで、構造的にはなにひとつ変わっていくことがない(要するに家父長制)。そのために世界の変化に対応する柔軟性を持つことができず、世界の中でどんどん貧しくなっていくのが現在の日本であり、ひとつの村にたとえているけれど、これが日本全体の縮図だということを『楽園』はとてもわかりやすく描き出している。サラリーマンであれ、掃除夫であれ、同じだけ働いてもアメリカ人の3分の2しか給料をもらえず、日本で10万円しかもらえないアニメーターは中国へ行けば27万円になるというとき、誰が「村」を出ていかないという選択をするというのだろうか。湯川紡のことが好きで、彼女のあとを追って東京へ出てきた野上広呂(村上虹郎)が最後に湯川紡に告げた「楽園をつくってくれよ」というセリフは家父長制に逆らう気もなく、安倍政権を受け入れた「若い男」の本音ということになるのだろうか。女に頼るなよとも思うし、女性に期待するしかないよなとも思うし。

 観終わって、珍しく社会派的な気分になり、そのまま渋谷のハロウィーンにぶつけて行われるプロテストレイヴ(https://www.youtube.com/watch?v=KNEBe95ZtOc)に向かい、DJ TASAKAや1-DRINKと合流。ヘロヘロになるまで踊り歩いてしまいました。やっぱ、サウンドデモだねー。いいぞ、DJマーズ89

『楽園』本予告

三田格